「むろんです。私は、大丈夫だ。この裁判はぶつつぶすべきだ」 「いや、あなただけではだめです。全員でなければ : : : 」 それは、と三文字弁護人は言葉につまった。退廷となれば、効果は大きい。裁判を「ぶつつぶ す」ことはできなくても、一時的にマヒ状態にすることは可能である。しかし、そのためには、 清瀬弁護人がいうように、弁護人の総退廷が必要であり、一人の脱落者があってもならない。が、 では、全員の足なみはそろうたろうか。 とっさに近くにいた数人の弁護人にささやいてみたが、応、と承知したのは「林逸郎弁護人だ けであった」と三文字弁護人はいう。三文字弁護人は、だから、忌避作戦はそれまでと思ってい たが、ウェップ裁判長がいないのを見て、退席前の裁判長の言葉を思いだした。ウェップ裁判長 は、忌避動議は同僚裁判官が聞きたいと思っても自分は出席せぬ、といった。 死裁判長以外の八人の裁判官があらわれたのは、休憩時間の短さとも考え合せて、八人は申立て 人を聞こうという意思表示であろう。それなら、退廷覚悟がなくてももう一度 : : : と三文字弁護人 毅は、腰をもちあげたのだが、その腰はそれ以上はのびきらず、次いで失望をこめて椅子に落下す 田ることになった。 裁判長席に坐ったのは、ニュージーランド代表判事〒リマ・ノースクロフトであったが、ノー 章 五スクロフト判事は、法廷の裁判官は裁判所条例第二条にもとづき、連合国軍最高司令官マッカー と、 サー元帥に任命された、ゆえに裁判所としてはどの判事も欠席させることはできない、 159
もっと勉強されたい、 といわんばかりの口調である。むろん、ウェップ裁判長の血圧は上昇す る。 「お待ちなさい、主席検察官。ちょっとご注意を申しあげるが」と、ウェッ・フ裁判長は、公正か っ迅速な審理を規定する条例第一条、不当な審理遅延の防止を強調する第十二条に言及して、 「あなたはこの公正かっ迅速な審理をおこなうという規定にたいして、なにか対応する議論をお 持ちですか。さらに言語採択の裁量を持っていたとしても、審理の遅滞をきたす言語を裁判所が 採用できるでしようか またしても、トゲと針を含んだ、しかも言葉尻をとらえた論争の展開だが、互いに相手にたい する憎悪感になかば眼がくらんでいる二人には、議論のための議論を無意味とわきまえる分別は 失われていた。 「言葉は重要ではない。言葉が含んでいる内容が大切である。内容が肉であり、言葉はカラであ る」とキーナン検事がいえば、「条例に定めてある言葉は英語と日本語の二つだけ。英語のわか る介添がつけば片づく問題だ」とウェップ裁判長は、応える。 「裁判所には裁量の自由があるかどうかを裁判官はきめたのか」とキーナン検事が質問すれば、 ウェッ・フ裁判長は「フランス語を使っても審理の遅滞をきたさぬといえるか」、それが問題では なしか、と切り返して、はてしがなかった。 法廷は再び、感情をむきたしにした「ウ = ップ対キーナン論争」に眠をみはった。清瀬弁護人 262
マッカーサーの権限 一月二十二日、マッカーサー元帥は戦犯裁判をおこなう「極東国際軍事裁判所」条例を布告し た。法務部長カーベンター大佐によれば、この条例とニュ 1 ルンベルク法廷のための「国際軍事 裁判所」条例との「唯一、かっ最大の相違」は、裁判が完全にマッカーサー元帥の管轄下に置か れた点にある。 東京裁判においても、ニュールンベルク裁判と同様、裁かれるのは、「平和に対する罪ー「通例 の戦争犯罪ー「人道に対する罪」という″三つの大罪〃であるが、ニュールンベルク法廷が、米 英ソ仏四カ国の裁判官の互選で裁判長を選び、また各国が別々に被告を訴追するのにたいして、 東京法廷では、裁判長も主席検察官もマッカーサー元帥が任命し、参加各国は共同して被告を訴 追する。カーベンター大佐の法務部は、ほとんどニュ 1 ルンベルク条例と同じ条例を用意するも のと考え、日本降伏文書に署名した九カ国にたいする日本の " 侵略〃事実を基礎に、法廷構成の 条文を策定していた。 ところが、マッカーサー元帥は、前年十一一月二十七日、モスクワで開かれた米英ソ三国外相会 議が、極東諮問委員会をソ連も加えた「極東委員会」とすることを決定すると、条例の改革を命 じた。この「極東委員会」は、極東諮問委員会にくらべると、マッカーサー元帥の指令を審査す ることができ、また委員会の決定について米英ソ中国の四カ国は拒否権を与えられているなど、
足音をしのばせて歩いた。 開廷がおくれたのは、この日、厚木に到着した板垣、木村両大将を、いったん巣鴨にはこび、 所定の消毒その他の手続きをすませるのに手間どったためたが、午前十一時十四分、キーナン検 事団が入廷したのにつづき、被告、裁判官も席についた。裁判官が入廷すると、法廷執行官・ ノミーター大尉が「全員起立」と叫び、裁判官着席を待って「全員着席」を指示する。 傍聴席、記者席の眼は、被告席にそそがれていた。 被告席の元大臣、元大将たちは、例外なくやせ、疲れているように見えた。東条大将国民服 姿であったが、戦時中にくらべてひとまわりは小さくなった感じである。嶋田元海相も、軍服の 襟がぶかぶかになっているのが見えた。それにしても、記者団の眼をみはらせたのは、松岡洋右 元外相の変貌ぶりであった。パスを降りるとき、松岡元外相はタン壺らしいものを持ち、杖にす がっていたが、ヒゲはのび、眼はく・ほみ、被告席に坐る様子も、坐るというよりも倒れこむよう であった。肺結核の病い重しと伝えられたが、そのあまりの衰弱ぶりに、記者たちは、暗然とし こ 0 「極東国際軍事裁判所は開廷する」 ーー午前十一時一一十分。 オーストラリア代表でもあるウェップ裁判長を中心に、・マクドウガル ( カナダ ) 、梅汝敖 ー 42
そえる結果をもたらしたものであった。 0 ファーネス大尉は、重光元外相の弁護を担任することになるが、初対面の挨拶が終ると、大尉 は、裁判開始にあたって、弁護団はどのような闘いを用意しているか、とたずねた。 清瀬弁護人は、妨訴抗弁書、すなわち裁判の管轄権にたいする異議申立書を用意している、と いった。英米法にもとづく法廷闘争としては、当然の手続きである。 ファーネス大尉は、結構たとうなずいたが、それ以外に " 弾丸〃はないと聞くと、 「ドクター清瀬、同じく初歩的な法廷闘争戦術ですが、ぜひ、裁判長ならびに判事の忌避申立て をやるべきです。裁判長ウェッ・フ氏については、本国のオーストラリアでも、その資格に疑問が 表明されていますー それは、と、小男だが闘志にあふれる清瀬弁護人が眼鏡をおしあげて説明を求めると、ファー ネス大尉は、まだ日本では知られていなかった「ウ = ツ・フ報告」を紹介した。 「なんと、それでは、彼はこと日本の戦争犯罪については、検察官をつとめたわけですか。検察 官が裁判官を兼ねることは許されない」 そのとおりだ、とファーネス大尉は答え、さらにポケットから新聞の切抜きをとりだした。三 ・モーニング・ヘラルド 』紙で、「判事、ウェップ任命に疑義を表明」 月二十二日付の『シドニー という見出しの下に、高等裁判所ブレナン判事の意見が掲載されている。 「 : : : サー・ウィリアム ( ウ = ップ ) は、これまで日本の残虐行為にかんする調査をおこない、
ウェップ判事は、宿舎帝国ホテルを検分すると、英連邦の判・検事団に十分なスペースがない、 とマッカーサー元帥に、善処を要請した。しかし、元帥が、「東京に家は少ない。強いて広い家 つづいて東京裁判裁判長就任を といわれると、日本皇太子の宮殿を接収するしかない」といい、 申し出ると、ウェッ・フ判事は即座に受諾し、ついで新宿舎の要求は撤回した。 市ヶ谷法廷の建設 マッカーサー元帥は、二月十五日、ウェッ・フ裁判長をはじめ東京法廷の裁判官九人を任命した。 検事団は、判事と同じく参加国は代表検事を派遣するが、実際の仕事は、すでにキーナン検事団 が進めている。裁判所条例も公布された。い まは判事団の任命をみて、いよいよ裁判の開幕が近 いことを感じさせたが、法廷も、戦争末期には陸軍省、参謀本部になった東京・市ヶ谷の旧陸軍 士官学校大講堂に定められ、改装工事が進んでいた。 二月十七日付米軍機関紙『スターズ・アンド・ストライプス』紙が、その様子を伝えている。 「その仕事は、従事する日本人労務者にとっては、たんなる公共事業としか思えないかもしれな いが、それは歴史の背景画を作るにひとしい。この数日間、数十人の汚れたズボンをはいた無表 情の日本人労務者が、やがて開かれる国際戦犯法廷の準備のために、陰気な近代建築である陸軍 省ビルに出入りしている。仕事が終ったとき、トウジョウとその手下たちは、一変した大講堂に びつくりするだろう。そこで、彼らは世界の訴追をうけるのである」
義 定 の 罪紛糾する戦争犯罪の定義 争ャルタ会談で、ナチス戦争犯罪人について、最も強硬な態度を示したのは、チャーチル英首相 であった。米国務長官エドワード・ステチニャスによれば、チャーチル首相は、会議で主要な戦 二犯リストを作成することを提案したあと、「ただし、それら犯罪人を確認したら、その場で射殺 すべきだ」と述べた。すると、スターリン・ソ連首相が、「では、ヘスの場合はどうなる」と反 ドイツ戦犯をさばく「ニュールンベルク裁判」であるが、戦勝国が敗戦国の指導者をさばく考え は、第一次大戦にさかの・ほる。 第一次大戦終結後、日本を含む連合国は、ドイツ皇帝ウイルヘルム二世を、国際道義に反し条 約の神聖をおかしたという理由で、米英仏伊日の五カ国の裁判官による裁判にかけることをきめ た。しかし、ウイルヘルム二世が亡命した中立国オランダは、ドイツ皇帝の引渡しを拒絶したの で、裁判は不発に終った。 第二次大戦がはじまると、連合国側はしばしばドイツの残虐行為を非難し、責任者の処罰を強 調した。一九四三年 ( 昭和十八年 ) 十月、米英ソ中の四国によって発せられた「モスクワ宣言」で も、ナチス戦争犯罪人の処罰が言明されたが、具体的に国際裁判所設置の動きがあらわれたのは、 一九四五年 ( 昭和二十年 ) 二月、ソ連領クリミャ半島ャルタで開かれた米英ソ首脳会談からであっ こ 0
清瀬弁護人は、裁判が進むにつれてますます時間の必要を痛感していた。弁護人側の準備は、 検事側にくらべて大差がある。できるだけ検事側のアナをつき、審理をひきのばして時間かせぎ をしなければならぬが、それには事前に検事側の手のうちを知り、スキを知ることが有利である。 森岡中将事件は、中将の帰国を検事側が見逃したスキを利用した。ウェップ裁判長とキーナン 検事との対立がからんで、中将を検事側証人として失格させることができた。 米ソ両陣営の冷たい対立を思えば、ソ連側の間隙を攻めることは、極めて有効な結果を期待で きるのだが、清瀬弁護人の耳には、わずかにフランス関係の材料が聞えてきたたけであった。 フランス検事が母国語使用を強調していて、フランス語通訳が不足する法廷を困惑させている、 という。 利用の対象にはなる。裁判所条例には、法廷用語は日英語と指定されている。かって裁判官忌 避を計画したさい、同じく日英語を理解しないソ連判事とともにフランス判事を目標にするつも りだった。だから、フランス語は条例違反たと異議を申し立てることは可能たが、通訳方法が整 備されればことはすむ。 ことはが大きな障害に だが、九月三十日、フランス代表検事ロべール・オネトが、フランス語で論告をはじめたとき、 ふと気が変って清瀬弁護人が異議を述べると、法廷には意想外の波乱が現出することになった。
( 中国 ) 、・ベルナール ( フランス ) 、ßQ ・ローリング ( オランダ ) 、・ノースクロフト ( ニ = ージ ーランド ) 、 ・ザリヤノフ ( ソ連 ) 、ロード・。 ハトリック ( 英 ) 、・ヒギンス ( 米 ) の九人の裁判 官が、黒いガウンの袖をはらって姿勢を正すと、 / ンミーター大尉が開廷を宣言した。 「極東国際軍事裁判所は開廷する。当法廷は、提出されるいかなる事項も処理する用意がある」 大尉の声が終ると、すかさずウェップ裁判長が、眼の前のマイクに顔をさしだして、開廷の辞 を述べた。 「今日此の法廷に集合するに先だち、私共は恐るる所なく、且っ依怙ひいき或は愛情に支配さる ることなく、法に照らし公明で正大なる判決を下すべしとの共同宣言に署名したのであります ・ : 今回の如き重要な刑事裁判は、実に世界史上その比を見ないのであります。 : : : 今回起訴せ られ当裁判所に出頭して居る各被告は、一地方知事の如き渺たる存在ではなく、過去十有余年の 日 間、即ち日本の国運隆々として居りました当時、指導的立場を占めて居たものばかりで、元首相、 月 五外相、蔵相、参謀総長、軍令部総長その他日本政府の最高の地位に在りました者を含むものであ 六ります。 九 ・ ( しかし ) 是が為め彼等は最も貧しき一日本人兵卒、或は一朝鮮人番兵などが受ける待遇 よりも、より良い待遇を受けしめる理由とはなりませぬ : 章 四当裁判所の大なる任務は、事実と法との両者につき虚心坦懐公平なる態度を持するにあります 143
わば、法廷はマッ にたいする直接の回答ではなく、ただ占領者の権力を強調したにすぎない。い カーサー総司令部の一部局といわんばかりであり、東京裁判は法理にしたがう法廷ではなく、行 政処分をおこなう役所たと告白したにひとしい。だが、そういう感慨と憤懣が弁護団の胸中にふ きあがったのも、ややあとのことである。ノースクロフト判事が着席してから、ウェップ裁判長 が交代するまでの時間は、わずかに一分四十八秒 : きよとんーーと、およそ一般の裁判所では眼にし耳にし難い判事団の言動に、法廷は静まり返 り、三文字弁護人も中腰のままでいるうちに、ウェッ・フ裁判長は、予定どおり被告の罪状認否に うつる、といっこ。 「ノット・ギルティ」 死罪状認否は、英米法では必須の手続きである。被告自身が訴追事項にたいして有罪か無罪かを 人答える。有罪を認めれば裁判はおこなわれず、ただ刑の量定だけとなる。まずは、無罪と答える 毅のが常識である。清瀬弁護人は、すでに、提出した妨訴抗弁書にもとづき、裁判所の管轄権審理 田を申請したが、ウェップ裁判長は、後日に討議する留保を認めて、被告席に問いかけた。 「被告に認否をたずねます。アラアキ・シャダアオ、あなたは有罪を申し立てますか、無罪を申 章 五し立てますか」 被告荒木貞夫陸軍大将の前には、マイクがはこばれている。白い八の字ヒゲをはった大将は、 161