もっと勉強されたい、 といわんばかりの口調である。むろん、ウェップ裁判長の血圧は上昇す る。 「お待ちなさい、主席検察官。ちょっとご注意を申しあげるが」と、ウェッ・フ裁判長は、公正か っ迅速な審理を規定する条例第一条、不当な審理遅延の防止を強調する第十二条に言及して、 「あなたはこの公正かっ迅速な審理をおこなうという規定にたいして、なにか対応する議論をお 持ちですか。さらに言語採択の裁量を持っていたとしても、審理の遅滞をきたす言語を裁判所が 採用できるでしようか またしても、トゲと針を含んだ、しかも言葉尻をとらえた論争の展開だが、互いに相手にたい する憎悪感になかば眼がくらんでいる二人には、議論のための議論を無意味とわきまえる分別は 失われていた。 「言葉は重要ではない。言葉が含んでいる内容が大切である。内容が肉であり、言葉はカラであ る」とキーナン検事がいえば、「条例に定めてある言葉は英語と日本語の二つだけ。英語のわか る介添がつけば片づく問題だ」とウェップ裁判長は、応える。 「裁判所には裁量の自由があるかどうかを裁判官はきめたのか」とキーナン検事が質問すれば、 ウェッ・フ裁判長は「フランス語を使っても審理の遅滞をきたさぬといえるか」、それが問題では なしか、と切り返して、はてしがなかった。 法廷は再び、感情をむきたしにした「ウ = ップ対キーナン論争」に眠をみはった。清瀬弁護人 262
マッカーサーの権限 一月二十二日、マッカーサー元帥は戦犯裁判をおこなう「極東国際軍事裁判所」条例を布告し た。法務部長カーベンター大佐によれば、この条例とニュ 1 ルンベルク法廷のための「国際軍事 裁判所」条例との「唯一、かっ最大の相違」は、裁判が完全にマッカーサー元帥の管轄下に置か れた点にある。 東京裁判においても、ニュールンベルク裁判と同様、裁かれるのは、「平和に対する罪ー「通例 の戦争犯罪ー「人道に対する罪」という″三つの大罪〃であるが、ニュールンベルク法廷が、米 英ソ仏四カ国の裁判官の互選で裁判長を選び、また各国が別々に被告を訴追するのにたいして、 東京法廷では、裁判長も主席検察官もマッカーサー元帥が任命し、参加各国は共同して被告を訴 追する。カーベンター大佐の法務部は、ほとんどニュ 1 ルンベルク条例と同じ条例を用意するも のと考え、日本降伏文書に署名した九カ国にたいする日本の " 侵略〃事実を基礎に、法廷構成の 条文を策定していた。 ところが、マッカーサー元帥は、前年十一一月二十七日、モスクワで開かれた米英ソ三国外相会 議が、極東諮問委員会をソ連も加えた「極東委員会」とすることを決定すると、条例の改革を命 じた。この「極東委員会」は、極東諮問委員会にくらべると、マッカーサー元帥の指令を審査す ることができ、また委員会の決定について米英ソ中国の四カ国は拒否権を与えられているなど、
「むろんです。私は、大丈夫だ。この裁判はぶつつぶすべきだ」 「いや、あなただけではだめです。全員でなければ : : : 」 それは、と三文字弁護人は言葉につまった。退廷となれば、効果は大きい。裁判を「ぶつつぶ す」ことはできなくても、一時的にマヒ状態にすることは可能である。しかし、そのためには、 清瀬弁護人がいうように、弁護人の総退廷が必要であり、一人の脱落者があってもならない。が、 では、全員の足なみはそろうたろうか。 とっさに近くにいた数人の弁護人にささやいてみたが、応、と承知したのは「林逸郎弁護人だ けであった」と三文字弁護人はいう。三文字弁護人は、だから、忌避作戦はそれまでと思ってい たが、ウェップ裁判長がいないのを見て、退席前の裁判長の言葉を思いだした。ウェップ裁判長 は、忌避動議は同僚裁判官が聞きたいと思っても自分は出席せぬ、といった。 死裁判長以外の八人の裁判官があらわれたのは、休憩時間の短さとも考え合せて、八人は申立て 人を聞こうという意思表示であろう。それなら、退廷覚悟がなくてももう一度 : : : と三文字弁護人 毅は、腰をもちあげたのだが、その腰はそれ以上はのびきらず、次いで失望をこめて椅子に落下す 田ることになった。 裁判長席に坐ったのは、ニュージーランド代表判事〒リマ・ノースクロフトであったが、ノー 章 五スクロフト判事は、法廷の裁判官は裁判所条例第二条にもとづき、連合国軍最高司令官マッカー と、 サー元帥に任命された、ゆえに裁判所としてはどの判事も欠席させることはできない、 159
ウ = ツブ裁判長は、そういって、なにか話すことがあればどうぞ、とキーナン検事をうながし キーナン検事も、露骨に憤懣と軽蔑を顔にうかべていた。秘書山崎晴一によれば、キーナン検 事はほとんど毎日のようにウ = ツブ裁判長批判をこころみていたそうだが、そういうときの評言 の中には、つねに「あの田舎者」という一句が含まれていた、という。 キーナン検事が、い ま、視線にあらわに示す軽蔑の色も、その意味である。ここは、十一カ国 が代表を送る史上前例のない国際裁判である。世紀の法廷であり、一種の外交舞台でもある。 それなのに、あたかも「羊飼い相手の田舎裁判所」のように心得て、気にいらぬとすぐわめく 立とは、あまりに品格がなさすぎる : : この審理が世界史に前例のないものであること、本裁判が持つ目的 の「裁判長に申しあげるが : ナが非常に高邁なものであること、これらは絶えず明確にすべきものでありまして、それを細かい キ技術的な手続きによって、あいまいにすることはよくないのであります」 A 」 ブ キーナン検事は、ニ = ールンベルク裁判でも、英独仏ロシア四カ国語が使用され、また東京裁 = 判条例にも日英語の使用を規定しているが、その他の国語を禁止してはいない、と指摘したあと、 ウ 「でありますから、もし条例などをお読みになる場合、非常に狭量な解釈をされるなら、往々に 七して、公正なる裁判をおこなう意思がありながら、その意思に反する結果になることを、つけ加 えておきます」 - 」 0 261
もまばらで、弁護人の中には、床にあぐらをかき、炊事場から汲んできた水をすすりながら、持 参の代用食弁当をつつく者もいた。 その点では、被告たちのほうが、弁護人よりは厚遇をうけていた。タスコ付きの米軍食を支給 され、食後は、メモを整理したり、備えつけのトラン。フでひと勝負を楽しむ余裕もあった。 法廷の憲兵隊長ケンワージー中佐は、フィリ。ヒンの山下裁判でも警備隊長をつとめ、山下大将 に示した温情によって、日本人被告への同情者として知られていた。もっとも、その同情は、自 室に山下大将を絞首したロー。フの切れ端を飾る形のものでもあったが、中佐は被告たちに、葉巻 をすすめたり、コーヒーのお代りをたずねたり、親切にいたわった。 ウ = ツ・フ裁判長の開廷の辞は、その冷静な語調はともかく、内容については評判が悪かった。 とくに、被告にたいして、「日本人一兵卒、朝鮮人番兵よりも良い待遇はしない」と述べたくだ 日 三りは、不評であった。 五「最初にえこひいきはしないと いいながら、なにもわざわざ朝鮮人番兵をもちたすのは、明らか 六に裁判長が憎悪と復讐の感情で裁判にのそんでいる証拠だ」 九滝川弁護人が控室で不快そうに批判すると、外人記者席では、ロイター通信社の・スミス記 者が、声高に論じたてた。 章 「いかなる裁判でも、被告は有罪の判決があるまでは無罪だ。ウ = ツブ裁判長は元首相を一兵卒 なみに扱うと宣言したが、これは非礼であると同時に、さっさと一兵卒なみに処刑しようとの意 145
そえる結果をもたらしたものであった。 0 ファーネス大尉は、重光元外相の弁護を担任することになるが、初対面の挨拶が終ると、大尉 は、裁判開始にあたって、弁護団はどのような闘いを用意しているか、とたずねた。 清瀬弁護人は、妨訴抗弁書、すなわち裁判の管轄権にたいする異議申立書を用意している、と いった。英米法にもとづく法廷闘争としては、当然の手続きである。 ファーネス大尉は、結構たとうなずいたが、それ以外に " 弾丸〃はないと聞くと、 「ドクター清瀬、同じく初歩的な法廷闘争戦術ですが、ぜひ、裁判長ならびに判事の忌避申立て をやるべきです。裁判長ウェッ・フ氏については、本国のオーストラリアでも、その資格に疑問が 表明されていますー それは、と、小男だが闘志にあふれる清瀬弁護人が眼鏡をおしあげて説明を求めると、ファー ネス大尉は、まだ日本では知られていなかった「ウ = ツ・フ報告」を紹介した。 「なんと、それでは、彼はこと日本の戦争犯罪については、検察官をつとめたわけですか。検察 官が裁判官を兼ねることは許されない」 そのとおりだ、とファーネス大尉は答え、さらにポケットから新聞の切抜きをとりだした。三 ・モーニング・ヘラルド 』紙で、「判事、ウェップ任命に疑義を表明」 月二十二日付の『シドニー という見出しの下に、高等裁判所ブレナン判事の意見が掲載されている。 「 : : : サー・ウィリアム ( ウ = ップ ) は、これまで日本の残虐行為にかんする調査をおこない、
東 II ⅢⅢ川ⅧⅧⅢ 9 7 8 41 2 1 0 0 2 4 4 0 上 東京裁判 ( 上 ) 中公新書 244 歴史上前例のない戦争犯罪人を裁く極東国際軍事裁判は、 ーー昭和一一十一年五 戦争に敗れた日本人に何を問うたか 上月三日の開廷以来二年半余、三百七十回に及ぶ公判で「平 、人道、戦争に対する罪」の名のもとに、満州事変か 判 裁 、七人の絞首 ら太平洋戦争に至る〃侵略〃の事実を問い 京 刑を含む一一十五人全員に有罪を宣した東京裁判の全容を、 東 厖大な公判速記録をはしめ、公刊資料はもちろん内外の 関係諸国、関係者につぶさに取材して解明する。 ・一一六事件増補改版 よ太平洋戦争 ( 上下 ) 既 ~ 南京事件 書一軍国日本の興亡 新 ~ 日本海軍の終戦工作 公Ⅷ 菊巣鴨プリズン 中皿 漢奸裁判 旧Ⅲ川川 IIII Ⅷ旧馴 島襄著 東京裁判 ( 上 ) 1 9 2 1 2 2 1 0 0 7 2 0 5 工 S B N 4 ー 1 2 ー 1 0 0 2 4 4 - X C 1 2 2 1 \ 7 2 0 E 定価ー 児島襄著 劉小纐猪秦児高 林纈木島橋 弘正郁正 傑忠厚道彦襄衛 著著著著著著著 中公新書 中公新書 244 中公新書 244
ウェップ判事は、宿舎帝国ホテルを検分すると、英連邦の判・検事団に十分なスペースがない、 とマッカーサー元帥に、善処を要請した。しかし、元帥が、「東京に家は少ない。強いて広い家 つづいて東京裁判裁判長就任を といわれると、日本皇太子の宮殿を接収するしかない」といい、 申し出ると、ウェッ・フ判事は即座に受諾し、ついで新宿舎の要求は撤回した。 市ヶ谷法廷の建設 マッカーサー元帥は、二月十五日、ウェッ・フ裁判長をはじめ東京法廷の裁判官九人を任命した。 検事団は、判事と同じく参加国は代表検事を派遣するが、実際の仕事は、すでにキーナン検事団 が進めている。裁判所条例も公布された。い まは判事団の任命をみて、いよいよ裁判の開幕が近 いことを感じさせたが、法廷も、戦争末期には陸軍省、参謀本部になった東京・市ヶ谷の旧陸軍 士官学校大講堂に定められ、改装工事が進んでいた。 二月十七日付米軍機関紙『スターズ・アンド・ストライプス』紙が、その様子を伝えている。 「その仕事は、従事する日本人労務者にとっては、たんなる公共事業としか思えないかもしれな いが、それは歴史の背景画を作るにひとしい。この数日間、数十人の汚れたズボンをはいた無表 情の日本人労務者が、やがて開かれる国際戦犯法廷の準備のために、陰気な近代建築である陸軍 省ビルに出入りしている。仕事が終ったとき、トウジョウとその手下たちは、一変した大講堂に びつくりするだろう。そこで、彼らは世界の訴追をうけるのである」
弁護人は、裁判官の忌避は申し立てるが、それは裁判官各位にたいする敬意を失ったがためでは ない、「此の裁判をして真に歴史的の使を完うせしむるため」だ、とい「た。 この清瀬弁護人の言葉が翻訳されるとウェップ裁判長の表情はこわばった。なにか、予想外 の動きを清瀬弁護人は計画しているらしい、と気づいたからである。 「あなたはこの裁判官の各々に個人的に忌避を申し立てるのですか」 「そうです」 しオこのころになると、法廷は、 ウェップ裁判長が、簡単にその理由を述べてほしい、と、つこ。 異変が起る期待に静まりかえっていたが、その静寂の中に清瀬弁護人の声がひびいた。 「それではまず裁判長サー・ウィリアム・フラッド・ウ = ツ。フ閣下にたいする忌避の理由を述べ ます」 「その理由は ? 「その一つは正義と公平との要求のために、ウェッ・フ卿がこの裁判をなされることは、適当でな いということ。次の二つは、昨年七月二十六日のポッダム宣言の趣旨を守って、この裁判をする と考えます」 には、ウェップ卿は適当な人ではない、 「もう少し詳細にその理由をいって下さい」 と、ウェッ・フ裁判長はロをはさんた。ただし、その語調はいくぶん柔らいでいた。どうやら、 。いいながら、抽象的、一般的なものと感じられたか 清瀬弁護人の忌避理由は、個人的申立てとよ 154
和二十年五月八日 ) の約六カ月後 ( 十一月二十日 ) に開始され、日本の東京裁判は日本降伏 ( 八月十 五日 ) の九カ月後 ( 昭和二十一年五月三日 ) にはじまっているが、日本側の遅延の理由のひとつは、 この連合国の対日管理参加機構の発足がおくれたことにある。 たとえば、ソープ准将が用意した戦犯者リストにしても、ワシントンの国務省および陸軍省に おくってその承認を得ることになっているが、国務省では、極東諮問委員会の発足を控え、査定 を急がなかった。その承認は形式的だとしても、必要であるし、委員会が業務を開始すれば、戦 犯担当の第五分科会は各国が要求する戦争犯罪人を通告してくるはずであったからである。 そのような事情であったので、極東諮問委員会がスタートすると、ソー。フ准将のもとには、相 次いで承認された戦犯容疑者、さらに追加すべき人名が伝えられ、十一月にはいると、オ ( イオ 州クリーブランド市出身の刑事弁護士ジョセフ・・キーナンが、裁判の主席検事に任命された 旨の通知があった。 義 定キーナン主席検事の任命については、十一月九日、マッカーサー総司令部から発表されたが、 罪同時に、やがて、開幕する戦犯裁判では、ナチス戦犯にたいする「平和に対する罪」と同内容の 争〃犯罪〃が裁かれることも、明らかにされた。しかし、いぜんとして、日本側には、ナチス戦犯 用の国際軍事裁判所条例も知るすべがなく、また東京裁判のための条例も未定であったので、ど 章 二のような裁判がおこなわれるかは、わからなかった。 陸軍省法律顧問弁護士清瀬一郎も、裁判がいずれ開かれること、たぶんナチス戦犯裁判になら