元弁護士ホイットニー准将 連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー米陸軍元帥が、降伏した日本を管理すべく、神奈 川県厚木の日本海軍飛行場に到着したのは、昭和二十年八月三十日午後二時五分である。 ト・アイケレく 飛行場には、同日夜明けとともに飛来した第八軍司令官ロ。、 ノ / ーガー中将をは じめ、ジョセフ・スウイング少将指揮の第十一空挺師団先遣隊約千二百人、従軍記者・カメラマ ン百十二人が、待機していた。日本は降伏を声明したとはいえ、まだ正式の調印はすんでいない。 空挺師団部隊は、四方に展開して重機関銃をすえ、記者・カメラマンたちの中にも、肩あるいは 腰につけた拳銃をさすって、不安げな眼を動かす者が少なくなかった。 マッカーサ 1 元帥は、しかし、それまで、第一線視察のさいも丸腰であったと同じく、トウモ 第一章東条の自決
: ドイアラ・クエンジ : 「アラアキ・サダアオ : 荒木貞夫、土肥原賢一一、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、板垣征四郎、 賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、小磯国昭、松井石根、松岡洋右、南次郎、武藤章、永野修身、 岡敬純、大川周明、大島浩、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、 東条英機、梅津美治郎。 陸軍大将十人 ( うち元帥一人 ) 、海軍大将二人 ( うち元帥一人 ) 、陸軍中将四人、海軍中将一人、 陸軍大佐一人、大臣七人、内大臣一人、大使 ( 文官 ) 一人、民間人一人ー。・・・計二十八人である。 うち、木村、板垣両被告はまだ外地にいる。 そしてたた一人の " 無官〃者である大川周明は、起訴状をうけとろうと歩きだしたとたんに失 神して倒れ、室外に運びだされた。残る一一十五人は、低い声でつぶやきつづける松岡元外相を除 いては、誰一人口を開く者はなく、無言で起訴状をうけとると、再び列をつくって自分の監房に 達戻った。 の 状 訴 起 章 第
次は、広田弘毅元首相である。弁護人花井忠は、心配げに被告席をふりかえったが、広田元首 相は、ウェップ裁判長の声に一呼吸おくと、端然として「無罪」と答えた。 ▽星野直樹元国務相Ⅱ ( はりのある声で ) 「無罪を主張します」 ▽板垣征四郎陸軍大将日 ( 当然といった感じで ) 「無罪」 ▽賀屋興宣元蔵相Ⅱ ( 眼を忙しくまばたきながら ) 「無罪を申し立てます」 ▽木戸幸一元内大臣Ⅱ ( ほおを紅潮させて ) 「無罪を申し立てます」 ▽木村兵太郎陸軍大将Ⅱ ( 細い声で ) 「無罪を申し立てます」 ▽小磯国昭元首相Ⅱ ( さりげない様子で ) 「無罪を申し立てますー ▽松井石根陸軍大将Ⅱ ( ゆっくりと ) 「無罪を申し立てます」 つづいて呼ばれた松岡洋右元外相は、杖にすがり、やっと半身を起して、かすれた低い声をふ 死りし・ほった。 ・アンド・ エ・フリ・アカウント」 ・ノット・ギルティ : : : オン・オール・ 人「アイ・プリー 毅 ( 予はすべての、かつどの訴因にたいしても無罪を主張する ) 田▽南次郎陸軍大将Ⅱ ( あごヒゲをあげ、明るい調子で ) 「全部無罪ー ▽武藤章陸軍中将Ⅱ ( きりすてるように ) 「無罪」 章 伍▽永野修身元帥日 ( 無造作に ) 「無罪」 ▽岡敬純海軍中将Ⅱ C ほさりと ) 「無罪ー 163
「七月二日、第二十二回裁判。岡田啓介証言ニ立ツ。供述書ハ国賊的ノモノナリ。東洋ノ道ヲ知 ラズ」 「七月三日、第二十三回裁判。岡田氏証言。他国ノ裁ク法廷ニ検事ノ証人トナル人ガ、曽テ首相 タリシ処ニ国運衰弱ノ根元存セリ。何ヲカ日ハンヤ」 と、元企画院総裁鈴木貞一はその " 感動〃の一端を日誌に記述している。 岡田元首相は海軍大将、そして鈴木被告は陸軍中将でもある。同じく元首相の証人若槻氏には いかにも陸軍軍人らしい情感の動きといえる。 ふれず、あえて岡田氏に憤懣の意を表明するのは、 だが、米国独立記念日 ( 七月四日 ) を休廷にしたあと、七月五日、第二十四回裁判が開か しっせいに不快と不満に身をふるわせる れると、被告席は、陸海軍、政、官界出身の区別なく、、 事態に直面することになった。 検事側に″協力〃する田中隆吉 七月五日 法廷は午前九時半に、・、 ノミーター大尉の号令で開廷された。傍聴席は、いたって閑散として 岡田啓介証人にたいする弁護人側の補足質問、つづいて「木戸日記」の抜萃 ( 昭和六年 ) を検 事側が証拠として提出したあと、証人席に陸軍少将田中隆吉が呼ばれた。 198
▽大島浩陸軍中将Ⅱ ( カン高い大声で ) 「無罪ッ ▽佐藤賢了陸軍中将Ⅱ ( 眼をむいて ) 「無罪ー ▽重光葵元外相Ⅱ ( やや下をむいたまま ) 「アイ・・フリード・ノット・ギルティ」 ( 無罪を申し立てま ▽嶋田繁太郎海軍大将Ⅱ ( あっさりと ) 「無罪ー ▽白鳥敏夫元駐イタリア大使Ⅱ ( 早口に ) 「無罪と申します」 ▽鈴木貞一元企画院総裁Ⅱ ( 簡単に ) 「無罪」 ▽東郷茂徳元外相Ⅱ ( ごく自然に ) 「ノット・ ギルティ」 ( 無罪 ) ▽東条英機元首相Ⅱ ( 胸をはり独特の調子で ) 「起訴の全部にイたいしましてエ : 張致します」 ▽梅津美治郎陸軍大将Ⅱ ( 荘重に ) 「無罪」 入院中の大川周明被告については、出廷できるようになってから認否をおこなう、とウ = ツブ 裁判長がつけ加えて認否を終えたが、その間わずかに九分間。ウェップ裁判長が、急ぎに急ぐよ うに呼びたてるので、右に左に走り回るマイク係の米兵は大汗をかいていた。 法廷は、そのあと休憩をはさみ、弁護団から二カ月間の準備期間の申請があったが、ウェップ 裁判長は、五月十三日に管轄権問題を論議し、証拠調べは六月三日からおこなう旨を裁定して、 午前十一時五十五分、休廷した。 ・ : 私はア無罪を主 164
がら " 戦犯選び〃をしている。いかにも無定見をばくろした仕事ぶりと、カ 1 ペンター大佐は感 じたのだが、国際軍事裁判所条例を読んでからは、大佐の考えは、一変した。 「平和に対する罪」は戦争の準備、計画、実施の参画者を対象にしているが、この罪だけでも、 複雑な近代国家機構を考えれば、厖大な戦犯者が期待できる。 とても百人単位ではすむまい。 裁判となれば、全員を一時に審理することはないから、スモウ・レスリング会場うんぬんは冗 談にとどまるが、容疑者を収容する施設は、早目に準備せねばなるまい。それも、一カ所では間 に合わないかもしれぬ。 カーベンター大佐は、法務課長ジャスティン・ウィリアムズ中佐を呼び、東京周辺の全刑務所 の調査を命じた。 ウィリアムズ中佐の進言 そのころ、東条大将とともに第一次逮捕をうけた嶋田繁太郎海軍大将、賀屋興宣元蔵相た ち二十一人は、大森の旧陸軍捕虜収容所にいた。十月五日に横浜刑務所から移され、東条大将も 七日夜には、米陸軍病院から送られてきた。 五日午前九時半、賀屋元蔵相らは大型トラックにのせられ、横浜刑務所を出たが、その日は、 冷雨が降っていた。トラックは鶴見、川崎を経て大森に入ったが、車上から眺める景色は、赤茶
「なにしろ、第十八項目、 告一徳根夫二浩機了樹郎毅六右一夫純宣郎郎章郎身明郎郎郎昭葵 被幸茂石敏賢英賢直五弘俊洋貞貞敬興太次一修周四太治国 つまり満州事変たけがは 繁騏征兵美 任戸郷井鳥肥島条藤野本田岡木木屋田藤沼野川垣村津磯光ずされて、あとは全訴因 担木東淞吶阯東佐星橋広畑松鈴荒岡賀嶋南武平永大板木梅小重 適用でしよう。これは、 明義郎郎郎忠義三吉裕次雄次郎一郎郎一蔵郎郎平三 聡直一一逸正俊元信弦義太尚六八信半三太正賢まずかった。日記を提出 金美 時正字 積沢崎瀬井井崎林御原宮野橋内本佐山原田原宅文柳したばかりに、満州事変 弁穂鵜塚清藤林花神小長菅宗高高竹岡宇奥大山塩三三高 以後から終戦までなにも かも関係しているとみられたのじゃないか、そう感じました」 しかし、とっさにうかぶ想いとしては、そこまでにとどまり、では、具体的に弁護の戦術、作 戦をどうするか、となると、木戸孝彦も、また他の弁護人も、しばらくは、部厚い起訴状をにら みすえるだけであった。 弁護団は、極度に困難な事情に悩んでいた。まず第一に、二十八人にたいする主任弁護人が全 部はそろわなかった。開廷日は五月一二日たが、一応、その日に名乗りをあげられる弁護人は別表 Ⅱのとおりで、二人の被告を兼任する者もいた。 そして、米人弁護人団のほとんどは、まだ米国を出発したとの通告もなく、軍人の中から選抜 された次の六人がいるのみであった。海軍大佐・コールマン ( 団長 ) 、海兵中尉・ラザラス、 陸軍大尉 co ・クライマン、陸軍少佐・ウォーレン、陸軍大尉 < ・ブルックス、陸軍少佐・ 124
明文を記者団に配布した。通信のスクー。フで竸争心をかきたてられていた各国記者は、し せいにジー。フにとびのった。しかし、横浜から東条邸までは遠い。おまけに地理不案内であり、 いち早く日本人記者など案内人を発見した者以外は、適切な現場到着は不可能たった。方角をま ちがえ、浜松市内に突入した例もあった。 午後三時半すぎ、 東条邸には、さらに数人の米人記者が訪れ、声、足音が屋内にも騒がしく聞えた。大将は、夫 、ノドッグ、カサ一本を持ち、女中と 人勝子に退去をうながした。夫人は、モンペ姿のまま、 / 、 一かし、そのまま故郷にはむかわず、筋むかいの鈴木氏邸でスゲ笠と小鎌 ともに裏口から出た。 1 を借りた。そして東条邸門前の梅畑にしやがみ、ときどき草を刈りながら、スゲ笠ごしに様子を っこ 0 、つ、刀、刀ュ / 午後四時二分、 クラウス中佐の一行が、東条邸に到着した。以下は、その後の事態についての中佐の報告であ 自る。 の 条▽東条将軍逮捕に関する報告、米合衆国陸軍中佐ポール・クラウス。 「ーー東条将軍邸に到着したとき、将軍は窓ごしに新聞記者と話していた。本官は、玄関前に部 章 一下を配置して、将軍にドアを開けるよう要求した。 将軍は、逮捕状を持っているか、と質問した。逮捕状ではないが、正式の拘引命令書を持 っ
しつの間にかお・ほえたとみえ、消灯役のも てて鳴らすらしい。メロディは「消灯ラッパ」。、 小さく口箝で合せながら、廊下の電灯を消していった。 キーナンとウェップの会話 巣鴨が眠りにはいろうとするころ、帝国ホテルでキーナン検事とウェップ裁判長が、ウイスキ 1 グラスの乾杯を重ねていた。 ウェップ裁判長は、四月十二日のオーストラリア政府の決定で、オーストラリア高等裁判所の 判事に任命されていた。キーナン検事は、そのお祝いをかね、翌日からはじまる「世紀の裁判」 の成功を祈念して、挙杯の機会を求めたのである。 だが、ウェッ・フ裁判長は、なんとなく落ちつかなかった。キーナン検事は、しきりに「日本の ギャング」たちを「征伐ーする喜びを語った。—出身のネイサン調査部次長の作戦は、完璧 の成果をあげた、といった。 「被告はほとんどが、こちらの誘導にのり、知りたいことはすべて聞き出した。資料も十分にあ り、しかも、われわれは、ネイサンが主張したスパイ、いや、最も協力的な証人になり得る有力 な将軍も確保した」 いずれ法廷で田中少将が活用されること その将軍が、元陸軍省兵務局長田中隆吉少将であり、 138
いまは勝者となり、かっての勝者をさばくのである。偏見を抜きにした裁判は不可能であり、ゆ えに裁判は無効だ、とファーネス大尉は主張した。この〃マッカーサー元帥が敗北した戦い〃と いう表現をみた上官は、あわてて大尉に訂正を命じた。 「ファーネス大尉、陸軍刑法を読んでみろ。指揮官にたいする不敬な言葉使いも処罰の対象にな る。マッカーサー将軍は、自分が敗けたという表現を不敬とみなすだろうよ」 「それしや、敗け戦さといわずに、〃マッカーサー将軍の作戦が不成功に終った戦い〃とします」 ファーネス大尉も、軍人である。軍人としての規律に従う意味で、そう譲歩したが、裁判の不 公正を指摘することは、やめなかった。 東京裁判についても、だから、ファーネス大尉は、まっさきに裁判の公正さが維持されるかど うかに注目し、ウ = ツ。フ裁判長の存在に眼を光らせたのである。そして、大尉はもうひとつ、裁 判官忌避の根拠を示唆して、清瀬弁護人をいっそう歓喜させた。 「ソ連およびフランスの判事は、法廷の公用語である英語、日本語のいずれも理解しません。こ この二人も攻撃の対象になりますよ、ドクタ れでは審理をたどり、公正な判断はくたせない。 開廷前夜 五月二日、 132