第 26 章 てきたぜ」 翌日の朝、一一人は駅の観光案内所に行って、高松市内かあるいはその近郊になにか有名な石の ようなものはないかと尋ねた。 「石ですか」とカウンターにいた若い女性は、かすかに顔をしかめて言った。彼女はそういう専 門的な質問をされて、明らかに困惑しているようだった。とおり一遍の名所旧跡を案内する訓練 しか受けていないのだ。 「石って、いったいどんな石でしようか ? 」 「これくらいの大きさの丸いかたちの石なんだけどさ」と青年は言って、ナカタさんがやったの と同じように、両手で»-ap-«レコードくらいの大きさを作った。「で、『入り口の石』っていう名前 で呼ばれているんだ」 「『入り口の石』ー 「そう。そういう名前かついているの。わりに有名な石なんだと思うよ」 「入り口って、どこの入り口なのですか ? 「それがわかったら苦労はしないんだけどね カウンターの女性はひとしきり考えこんだ。星野さんはそのあいだじっと彼女の顔を見ていた。 顔立ちは悪くないのだが、目と目のあいだが少し開きすぎている。そのせいで、用心深い草食動 物みたいに見えなくもない。イ 皮女は何カ所かに電話をかけて、入り口の石について何か知ってい
第 25 章 ようにこれらのレコードをターンテープルに載せ、針を落とし、スピーカーから出てくる音に耳 を澄ませていたのだ。その音は僕をふくめて、部屋ぜんたいを異った時間の中にはこんでいくみ たいに感じられる。僕がまだ生まれてもいなかった世界に。僕はそれらの音楽を聴きながら、今 日の昼に一一階の書斎で佐伯さんと交わした会話を、頭の中にできるだけ正確に再現してみる。 「でも歳のときには、そういう場所が世界のどこかにあるように私には田 5 えたの。そういうべ つの世界に入るための入り口を、どこかで見つけることができるんじゃないかって」 僕は彼女の声を耳もとに聴くことができる。なにかがまた頭の中にあるドアをノックする。強 ノ執拗に。 「入り口」 ? 僕は『ゲッツ / ジルベルト』から針をあげる。そして『海辺のカフカ』のシングル盤をとりだ し、ターンテープルに載せる。針を落とす。彼女は歌う。 おば 「溺れた少女の指は 入り口の石を探し求める。 あお 蒼い衣の裾をあげて 海辺のカフカを見る」 この部屋を訪れる少女はおそらく入り口の石を探しあてることができたのだ、と僕は思う。彼 すそ
「場所はよしと。で、これから何をするの ? 」 「入り口の石をみつけようと思います」 「入り口の石 ? 」 「はい」 「ふうん」と青年は言った。「きっとそこには長い話があるんだろうね」 どんぶり ナカタさんは丼を傾けて、うどんの出し汁を最後の一滴まで飲んだ。「はい。 長い話がありま す。しかし長すぎて、ナカタには何がなんだかよくわかりません。実際にそこにいけばたぶんわ かるのではないかと思いますが」 「例によって、そこにいけばわかるわけだ」 「はい。そのとおりであります」 「そこに行くまではわからねえと 「はい。 そこに ( 打くまではナカタにもかいもくわかりません」 「まあいいや。俺も正直言って、長い話は苦手だ。とにかくその入り口の石を見つければい、 だな」 「はい。 そのとおりでありますー 「で、それはどのへんにあるの ? 」 「ナカタには見当もっきません」 「聞くまでもなかったね」と青年は首を振りながら言った。
第 32 章 「それは困ったね」 「はい困りました」とナカタさんは言ったが、顔の表情はそれほど困っているようには見えなか った。 「それって、時間をかけて考えればだんだんわかることなのかね ? 「はい。そうではないかと、ナカタも思います。ナカタは何をするにもほかの人より時間がかカ りますので」 「しかしね、ナカタさん」 「はい、ホシノさん」 「誰がつけたかは知らないけど、〈入り口の石〉という名前がついているからには、あれはきっ とその昔、どっかへの入り口になっていたんじゃねえのかな。あるいはそういったたぐいの言い 伝えとか、能書きみたいなのがあるとかさ」 「はい。おそらくそうなのだろうとナカタも思います 「でも何の入り口なのかはわからねえ、と」 「はい。ナカタにはまだよくわかりません。猫さんとはよく話しましたが、石さんと話したこと はまだありませんから」 「石と話すのはむずかしそうだね 「はい。猫さんとはずいぶん違いますー たた 「しかしいずれにせよ、そんな大事なものを神社の祠から勝手にもってきちまって、祟りはほん 131
第 48 章 い。目もなく口もなく鼻もない。しかしそれが意志をもちあわせたものであることはたしかだっ た。いや、こいつには意志しかないんだ、と青年は思った。理屈も何もなく彼にはそれがわかっ た。移動のあいだだけ、こいつは何かの事情でたまたまこういうかたちをとっているだけなんだ。 背筋がひどく寒くなった。とにかくなんとしてでもこいつをしとめるしかない 青年は今度は金槌を試してみた。しかしそれもほとんど効果を発揮しなかった。鉄のかたまり たた で叩かれると、その部分は深くへこんだものの、そんなへこみは柔らかな皮膚と粘液によってす ぐに補充され、もとあったかたちに戻った。彼は小さなテープルを持ってきて、脚の部分を持っ てそれを白いものの上にたたきつけた。しかしどれだけ強く叩きつけても、その白いものの進行 をとめることはできなかった。決して速いスピードではないが、 それは不器用な蛇のように身を くねらせながら、着実に隣室の入り口の石に向かって進んでいた。 こいつはどんな生き物とも違っている、と青年は思った。どんな武器をもってしても、とどめ のど を刺すことはできそ、つにない。 突き刺すべき心臓もないし、絞めるべき喉もないのだ。いったい し , 刀学はい 0 どうすりやいいんだ ? でも何があろうとこいつを〈入り口〉の中に入れるわけには、、 なぜならこいつは邪悪なものだからだ。黒猫のトロは「一目見ればわかる」と言った。そのとお りだ。たしかに一目見ればわかる。これは生かしてはおけないものだ。 青年は居間にもどって武器になりそうなものを探した。でも何も見あたらない。それからふと 足もとの石が目についた。入り口の石だ。ひょっとしてこいつで押しつぶすことができるかもし やみ れない。石は淡い闇の中で普段よりいくらか赤みを帯びているように見えた。青年は身をかがめ、 403
「はい、ナカタとホシノさんとで入り口の石を開けました。そのとおりであります。そのあとで ナカタはぐっすりと寝てしまいました」 「で、俺が知りたいのはさ、入り口を開けたことで何かが実際に起こったんだろうか、というこ とだ」 ナカタさんはこっくりと、つなずいた。「はい。起こったと思います 「でもそれが何なのかはまだわからねえわけだ」 ナカタさんはきつばりと首を振った。「よ、。 ( しまだわかりません」 「それはたぶん : : : どっかで今、起こりつつあるんだろうね ? 「はい。そ、ついうことであると思います。ホシノさんかおっしやるように、まだ起こりつつある 途中であるようです。そしてナカタはそれが起こり終わるのを待っているのですー 「そうすれば、つまりそれが起こり終わっちまえばということだけど、いろんなことはみんな無 事に解決するんだろうね え、ホシノさん、それはナカタにはわか ナカタさんはもう一度きつばりと首を振った。「いし りません。ナカタがやっておりますのは、つまりやるべきことであります。それをやることによ って、どのようなことが起こるのかまでは、ナカタにはわかりません。ナカタは頭が悪いので、 そういうむずかしいことには思い至らないのであります。先のことはわかりません」 「いずれにせよ、物事が起こり終わって、結論みたいなものが出るまでには、もう少し時間がか かるってことなのかい ? 」
青年はそれについてしばらく考えてみた。しかしナカタさんの言っている意味は理解できなか った。 「しかしいずれにせよ、その入り口の石さえいったん開けちまえば、いろんなものごとは落ちっ くべき場所にうまく自然に落ちつくのかね。水が高いところから低いところに流れるみたいに ナカタさんはしばらく考え込んだ。あるいは考え込むような顔をしていた。「そう簡単には、 かないかもしれません。ナカタがやるべきは、この入り口の石を探しだして、それを開けること なのであります。正直に申しまして、あとのことはナカタにはよくわかりません」 「だけどさ、だいたいどうしてその石が四国なんかにあるんだろう ? 「石はどこにでもあるのです。四国にしかないというものではありません、またどうしても石で なくてはならないとい、つこともありません」 「よくわからないな。どこにでもあるものなら、中野区でやったってよかったわけじゃないか。 そうすれば手間はずいぶん省けたぜ」 ナカタさんはしばらく手のひらで短い髪をごしごしと撫でていた。「むずかしい問題でありま す。ナカタはさっきからずっと石さんの話を聞いているのですが、まだそれほどうまく聞き取る ことができません。しかしナカタは田 5 うのですが、ナカタも、ホシノさんも、やはりここまで来 なくてはならなかったのではないでしようか。大きな橋を渡ってくることが必要だったのです。 中野区ではたぶんうまくいかなかったと思います 142
第 43 章 けるよ、つなかっこ、つをする。 「僕がここにやってくるのはわかっていたんですね ? 」と僕はたずねる。 「もちろん」とがっしりしたほ、つが一一一中つ。 「我々はここでずっと番をしているから、誰が来るかはちゃんとわかる。我々は森の一部みたい なもんだから」とも、つひとりが言、つ。 「つまり、ここが入り口なんだ」とがっしりしたほうが一一一一口う。「そして俺たち一一人がここの番を している 「今はこの入り口はたまたま開いている」と背の高いほうが僕に説明する。「でも遠からずまた 閉まってしまうはずだ。だからもしほんとうにここに入りたいのなら、今のうちだよ。ここか開 いているのは、そ、つしよっちゅ、つあることじゃないからね」 「ここに入るのなら、俺たちがこの先を案内することになる。わかりにくい道だから、どうして も案内が必要になる」とがっしりしたほ、つが言、つ。 「もし入らないのなら、君はまたもと来た道を引きかえすことになる」と背の高いほうが一言う。 、 0 、コし 心酉することはない、ちゃんと 「ここから引きかえすのは、そんなにむずかしいことじゃなし 帰れるよ。そして君はもとの世界で、今までどおりの生活をつづけることになる。どちらにする かはまったく君しだいだ。入るも入らないも、誰も強制はしない。でもいったん中に入ると、あ ともどりすることはむずかしくなってしま、つ」 「連れていってくださいーと僕は迷うことなく返事をする。
たの ホシノちゃんがどこかのべッドで愉しく昇天しておるあいだ、何の因果か路地裏でこっこっと仕 事をしておったわい。さっきコトが終わったという連絡が入って、駆け足でここに戻ってきたん だ。どうだ、うちのセックス・マシンはなかなかのものだっただろう ? 「うん、よかったよ。文句ないよ。あれはたいしたもんだ。行為的に言って、三度もいっちまっ たよ。身体が 2 キロくらい軽くなったような気がするくらいだ」 「それはなにより。で、さっき話してた石のことだ」 「うん。それが大事なんだ」 「実はな、石はこの神社の林の中にある」 「〈入り口の石〉だよ」 「そうだ。〈入り口の石〉だ」 「おじさん、それってひょっとしていい加減なことを言っているんじゃないよね ? カーネル・サンダーズはそれを聞いて毅然と顔を上げた。「何を一言うか。たわけものが。わし うそ がこれまでひとつでも嘘をついたか ? 口からでまかせを言ったか ? びちびちのセックス・マ シンだと言ったら、たしかにびちびちのセックス・マシンだっただろうが。それも大出血サービ 1 円ほっきりで厚かましく三回も射精しやがって、それでもまだ人のことを ス料金、万 疑うか 「いや、もちろん信用してないわけじゃないよ。だからそんなに怒らないでよ。そうじゃなくて さ、あまりにも話がとんとんとはこびすぎるから、ちょっと首をひねっただけだよ。だってさ、
第 35 章 どうくっ 朝の 7 時に電話のベルが鳴ったとき、僕は深く眠っていた。夢の中で僕は洞窟の奥のほうにい て、懐中電灯を手に身をかがめて、暗がりの中でなにかを探している。そのとき洞窟の入り口の あたりから、誰かが名前を呼ぶ声が聞こえる。僕の名前だ。遠く、かすかに。大きな声でそちら にむかって返事をする。しかしその誰かには僕の声は聞こえないみたいだ。 ) しつまでもしつこく 名前を呼びつづけている。しかたなく僕は立ちあがり、洞窟の入り口に向けて歩きはじめる。そ して「もう少しでみつかるところだったのにな」と思う。でも同時に、それがみつからなかった ことに内、いほっとしてもいる。そこで目が覚める。僕はあたりを見まわし、ばらばらになった意 識をゆっくりと回収する。電話のベルが鳴っていることがわかる。図書館のデスクにある電話が 鳴っているのだ。窓のカーテン越しに朝の鮮やかな光が部屋に差しこみ、となりにはもう佐伯さ んの姿はない。僕はひとりでべッドの中にいる。 E-«シャッとボクサーショーツとい、つかっこ、つでべッドから出て、電話のあるところまで行く。 ずいぶん時間をかけて歩いたのだが、電話のベルはあきらめることなく鳴りつづけている。 177