前 - みる会図書館


検索対象: 海辺のカフカ 下
366件見つかりました。

1. 海辺のカフカ 下

すと、ナカタはこう、もとに戻したくなります。長いあいだ家具を作っておりましたので、その せいもありまして、目の前に曲がっているものがありますと、なんでもまっすぐにしたくなりま す。それはナカタの前からの性分であります。しかし骨をまっすぐにしたのは初めてのことであ ります 「才能ってのはきっとそういうものなんだろうな」と青年は感心して言った。 「その前は猫さんと話をすることができました」 「ほう」 「しかし少し前から急に猫さんと話ができなくなりました。それはたぶんジョニー・ウォーカー さんのせいであります」 「なるほど」 「ご存じのようにナカタは頭がよくありませんので、むすかしいことはよくわかりません。しか しここのところ、とかくむずかしいことが起こります。たとえば魚やヒルが空からたくさん降っ てきますー 「ふうん」 「しかしホシノさんの腰の具合がよくなって、ナカタはとてもうれしいです。ホシノさんの気持 ちのよさは、ナカタの気持ちのよさでもあります」 「俺もたいへんうれしいよ」 「よかったです」

2. 海辺のカフカ 下

第 44 章 「それが大事なことなんだねー 「はい。 とても大事なことであります。開けたものはふさがなくてはなりません」 「じゃあさっそくそれをやりにいこう。善は急げだ」 「ホシノさん 「、つん ? 」 「ところがそうはいかないのです」 「なんで ? 」 「まだその時期が来ていないからです」とナカタさんは言った。「入り口をふさぐには、ふさぐ ための時期が来るのを待たなくてはなりません。そしてナカタはその前に、またぐっすりと眠ら なくてはなりません。ナカタはひどく眠いのです 青年はナカタさんの顔を見た。「あのさ、それはまた前みたいに何日もぶつつづけで眠り込む ってこと ? 」 「よい、たしかなことは申し上げられませんが、あるいはそ、つい、つことになるのではないかと思 いますー し , 刀はい 「あのさ、長く寝込んじまう前に、ちょっと我漫して用事を済ませるっていうわけには ) 、 のかな ? だってさ、おじさんがいったん眠りモードに入っちまうと、ものごとが丸つきり前に 進まなくなっちまうんだ」 「ホシノさん」 31 フ

3. 海辺のカフカ 下

きし そして窓から手を出して短く一度だけ振り、太いタイヤを軋ませて行ってしまう。大きな波と、 彼自身の世界と、彼自身の問題の中に戻っていく。 僕はリュックを背負い、図書館の門をくぐる。きれいに刈りこまれた庭の草木の匂いをかぐ。 図書館を最後に見たのは何カ月も前のような気がする。しかし考えてみれば、それはたった 4 日 前のことなのだ。 カウンターには大島さんが座っている。彼は珍しくネクタイをしめている。真白なボタンダウ ン・シャツに、辛子色と緑のストライプのタイ。長袖を肘まで折って、上着はなし。彼の前には 例によってコーヒーカップが置かれ、机の上には削りあげられた二本の長い鉛筆が並んでいる。 「やあ」と大島さんは言う。そしていつもと同じように微笑む。 「こんにちは」と僕はあいさっする。 「兄がここまで送ってくれたんだね 「そ、つです」 「あまりしゃべらなかっただろう」と大島さんは言、つ。 「でも少しは話しました」と僕は言う。 「それはよかった。君は幸運だ。相手によっては、場合によっては、ただのひとこともしゃべら ないときだってあるんだ」 「ここでなにかがあったんですか ? 」と僕はたずねる。「急ぎの用事があるということだったけ そで

4. 海辺のカフカ 下

ここでは でも彼らの意見はあまりあてにできないような気がする。彼ら自身が言ったように、 時間はそれほど大事な要素じゃないのだ。 しばらくのあいだ、僕らはまた黙って歩きつづける。しかしその速度は前ほど猛烈なものじゃ ない。どうやらテストはすでに終了したみたいだった。 「この森には毒蛇のようなものはいないんですか ? 」と僕は気になっていたことを質問してみる。 「毒蛇ねえ」と背の高い眼鏡をかけた兵隊が背中をむけたまま言、つ。彼は常に前方に目をむけた まま話をする。いつなんどき目の前になにか大事なものがとびだしてくるかもしれないという感 じで。「それについては考えたことがなかったなあ 「いるかもしれん」、がっしりしたほうが振りむいて一一一一口う。「見かけた覚えはないけど、あるいは いるかもしれん。でももしいたとしても、俺たちには関係ない 「我々の言いたいことはだね」、背の高いほうがどことなくのんびりした口調で一一一一口う。「この森に は君を傷つけるつもりはないということだ」 「だから毒蛇とかそんなものは気にしなくていい」、がっしりした兵隊が一一一一口う。「それで気が楽に なったか ? 」 「はい」と僕は言、つ。 「毒蛇も毒蜘蛛も毒虫も毒キノコも、どのようなタシャも、ここで君に害を及ばすことはない」 と背の高い兵隊がやはり前をむいたまま一言う。 「タシャ ? 」と僕は聞きかえす。疲れているせいか、一言葉が頭の中でうまく像を結ばない。 2

5. 海辺のカフカ 下

途中の少し大きな町で車をとめて簡単に食事をし、スー ーマーケットに入って前と同じよう に食料品とミネラル・ウォーターを買いこみ、山の中の未舗装道路をとおってキャビンに着く。 キャビンの中は、 1 週間前に僕があとにしたときのままだ。僕は窓を開け、中にこもった空気を 入れかえる。そして買ってきた食料品を整理する。 「少しここで眠りたいーと大島さんは一一一一口う。そして両手で顔をつつむようにしてあくびをする。 「ゆうべはあまり寝られなかったからね よほど眠かったのだろう、大島さんはべッドに簡単に布団をセットし、そのままのかっこうで 潜りこみ、壁のほうを向いてすぐに眠ってしまう。僕はミネラル・ウォーターを使って彼のため にコーヒーをつくり、携帯用の魔法瓶に入れておく。それから空のポリタンクをふたつもって、 森の中のト / 川に水を汲みにいく。森の風景も前に来たときのままだ。草の匂い、鳥の声、 せせらぎ、木々のあいだを抜けていく風、ちらちらと揺れる木の葉の影。頭上を流れていく雲は とても近くに見える。僕はそういったものごとを懐かしいものとして、僕自身の自然な一部分と 第 章 なっ ふとん 212

6. 海辺のカフカ 下

第 45 章 皮らは前をむいて一心不乱 僕とのあいだだけではなく、一一人のあいだでも会話は交わされない。彳 に歩きつづける。一一人はどちらが言いだすともなく、交代で先にたったりうしろについたりする。 兵隊たちが背中にかけた小銃の黒い銃身が、目の前で規則正しく左右に揺れる。それはまるで一 対のメトロノームのようだ。それを目標に歩いていると、だんだん催眠術にかかったような気分 になってくる。意識がべつの場所に向けて、氷の上を滑るみたいに移っていく。でもとにかく僕 は彼らのペースに遅れないことだけを考え、汗をかきながらただ黙々と歩きつづける。 「歩くのが速すぎるか ? 」、がっしりしたほうの兵隊がやっとうしろを振りむいて、僕にたずね る。その声には息の乱れは聞きとれない。 「いいえ」と僕は言う。「大丈夫です。ついていけます 「君は若いし、丈夫そうだものな」、背の高い兵隊が前を向いたまま一言う。 「俺たちはここの道の行き来にふだんからなれているもんだから、ついつい足が速くなっちまう んだ」とがっしりした兵隊が弁解するように言う。「だから速すぎたら速すぎるって言ってくれ。 遠慮することはない。そうすればもう少しゆっくりと歩くよ、つにする。ただね、俺たちとしては 必要以上にゆっくり歩きたくはないっていうだけなんだ。わかるだろう」 「ついていけなくなったら、そう言います」と僕は答える。むりに息をととのえ、疲労している ことを相手に気づかれないようにする。「まだ先は長いんですか ? 「そんなに長かないよ」と背の高いほうが言う。 「あともうちっとだね」ともう一人が言、つ。

7. 海辺のカフカ 下

第 41 章 「僕はそのときずいぶんとめようとしたんだ。君もそれはわかっていたはずだ。僕の声はちゃん と聞こえたはずだ。でも君は僕の一一一一口うことを聞かなかった。君はそのまま前に進んだ」 僕は返事もせず、振りかえることもなく、ただ黙々と前に歩を運ぶ。 「君はそうすることによって、自分にかけられた呪いを乗り越えることができると考えたわけだ。 そうだよな ? でも果たしてそうなっただろうか ? 」とカラスと呼ばれる少年は問いかける。 でも果たしてそうなっただろうか ? 君は父なるものを殺し、母なるものを犯し、姉なるもの を犯した。君は予言をひととおり実行した。君のつもりでは、それで父親が君にかけた呪いは終 わってしまうはずだった。でもじっさいにはなにひとっとして終わっちゃいない。乗り越えられ てもいない。その呪いはむしろ前よりも色濃く君の精神に焼きつけられている。君には今それが わかるはずだ。君の遺伝子は今でもその呪いに満たされている。それは君の吐く息となり、四方 から吹く風に乗って、世界にばらまかれている。君の中の暗い混乱はかわらずそこにある。そう だね ? 君の抱いてきた恐怖も怒りも不安感も、ぜんぜん消え去ってはいない。それらはまだ君 さいな の中にあって、君の心をしつこく苛んでいる。 「いい力い、戦いを終わらせるための戦いというようなものはどこにもないんだよ」とカラスと 呼ばれる少年は言う。「戦いは、戦い自体の中で成長していく。それは暴力によって流された血 をすすり、暴力によって傷ついた肉をかじって育っていくんだ。戦いというのは一種の完全生物 281

8. 海辺のカフカ 下

第 38 章 ートーヴェンは こよれば、べ 「たぶんそうなんだろねーと青年は言った。「でもこの OQ の解説。 ヘートーヴェンはとても偉い作曲家で、若い頃はピアニストとしても 耳が聞こえなかったんだ。。 ヨーロッパでいちばんと言われていた。演奏家としてもとても大きな名声を得ていたんだな。し かしある日、病気のせいで耳が聞こえなくなった。ほとんどぜんぜん聞こえなくなったんだ。作 曲家が耳が聞こえなくなるってのは、大変なことだ。それはわかるよな ? 」 ( しなんとなくわかるよ、つながします 「作曲家が耳が聞こえなくなるってのは、つまりコックが味覚を失うようなもんだ。蛙が水掻き をなくすようなもんだ。長距離トラックの運転手が免停くらうようなもんだ。誰だって目の前が 真っ暗になっちまう。そうだよね ? でもべートーヴェンはめげなかったね。まあそりや少しく らいは落ちこんだとは田 5 うけど、そんな不幸には負けなかった。なんだ坂、こんな坂、ってなも んだ。それからもどんどん作曲を続け、前よりも更に深い内容を持っ立派な音楽をつくり出すよ うになった。たいしたもんだ。たとえばさっき聴いていた『大公トリオ』だって、耳がずいぶん 聞こえなくなってから作曲されたものだ。だからさ、おじさんも字が読めねえってのはきっと不 便だろうけど、つらいこともあるだろうけど、それがすべてじゃないんだ。たとえ字が読めなく たって、おじさんにはおじさんにしかできないことかある。そっちの方を見なくちゃいけない。 たとえばほら、おじさんは石とだって話ができるじゃないか」 「はい。たしかにナカタは、石さんと少しは話ができます。前は猫さんとも話ができました」 「それはたぶんナカタさんにしかできねえことだ。どれだけいつばい本を読んでも、普通の人は かえる 229

9. 海辺のカフカ 下

第 31 章 「スペインに行くこと」と僕は言う。 「スペインに行ってなにをするの ? 「おいしいパエリアを食べる」 「それだけ ? 「スペイン戦争に参加する」 「スペイン戦争は年以上前に終わったわよ」 「知ってる」と僕は一言う。「ロルカが死んで、ヘミングウェイが生き残った」 「でも参加したいのねー 僕はうなずく。「橋を爆破する」 「そしてイングリッド・ ーグマンと恋に落ちる」 「でも実際には僕は高松にいて、佐伯さんと恋に落ちている」 「うまくいかないものね 僕は彼女の肩に手をまわす。 君は彼女の肩に手をまわす。 彼女は君に身体をもたせかける。それからまた長い時間が流れる。 「ねえ知ってる ? ずっと前に私はこれとまったく同じことをしていたわ。まったく同じ場所 「知ってるよ」と君は一一一一口う。 123

10. 海辺のカフカ 下

青年はコーラの缶を手に持ったまま首を振った。だめだ、と彼は思った。石をこのままあとに 残していくことはできない。そんなことをしたら、ナカタさんはたぶんうまく死にきれないだろ りちぎ う。ナカタさんは最後まで律儀に物事を片づけなくては納得できない性格だった。でもその前に 電池が切れてしまったのだ。だから心ならずも、最後の大事な仕事を片づけることができなかっ たのだ。彼はアルミ缶を手の中で握りつぶし、ごみ箱に捨てた。それでもまだ喉が渇いていたの で台所に戻り、冷蔵庫から二本めのペプシを出してプルリングをむしりとった。 ナカタさんは死ぬ前に一度でいいから字を読めるようになりたかったと俺に言った。そうすれ ば図書館に行って、好きなだけ本が読めるのにと言った。でもそれを果たせないままに死んでし まった。もちろん死んでしまって、べつの世界に行って、そこでは普通のナカタさんとして字が 読めるようになっているかもしれない、しかしこの世界にいるあいだは、最後まで字を読むこと ができなかった。というか、ナカタさんが最後にやったことは逆に、字を燃やすことだった。そ こにあるたくさんの一一一一口葉をひとっ残らず無の中に送り込むことだった。皮肉なことだ。だとした ら、俺としては、この人のもうひとつの最後の願いはなんとかかなえてあげなくちゃならない 入り口を閉めることだ。それはとても大事なことなのだ。結局、映画館にも水族館にもつれてい ってやれなかったもんな。 彼は二本めのダイエットペプシを飲み終えると、ソフアの前に行って身をかがめ、ためしに石 を持ち上げてみた。石は重くはなかった。決して軽くはないけれど、ちょっと力を入れれば簡単 に持ち上げることができた。カーネル・サンダーズと一緒に神社の祠から持ち出してきたときと 326