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検索対象: 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年
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1. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

うど両都市の中間にあるスイス連邦の首都ベルンの、ヴァンクドルフ・スタジアムであ 発夕方には日本チームの練習試合 ( メキシコ戦に出番のなかった選手が出場。相手はニョン のチーム ) もあるが、スイス・カップ決勝に興味があったので、そちらを観戦に行く。 メ日本の試合は夕方だから、終了後ニョンに駆けつけるつもりだったが、スイス・カップ の方が延長になってしまったので、日本の試合は。ハスした。 ン スイス・カップ決勝は、立ち上がりから地カに勝るローザンヌが押し気味の試合だっ = たが、ザンクト・ガレンのミュラーがドリプルで上がり、ローザンヌのディフェンダー 3 と接触して、倒れる。ミュラーのダイビングかとも思えたが、レフェリーが反則をとり、 このフリーキックからザンクト・ガレンが先制し、さらに後半の立ち上がりにもザンク ザト・ガレンに二点目が人る。 疑惑のフリーキック以来試合は荒れて、あちこちで小競り合いが続いている。「スイ ス」というイメージとはかけ離れた荒れた試合になってしまい、どこかギリシャとかト ルコあたりの荒つぼい試合を見ているかのようだ。そして、分にはザンクト・ガレン 月 に。へナルティーキックが与えられた。これで 3 ー 0 と勝負ありかと思われたが、ヴュ レンスが。へナルティーキックを失敗。これで、試合の流れがはっきり変わる。冷静さを 月 失い、気持ちの揺れがそのままプレ 1 に反映されてしまうあたりは、アマチュア的な試 合だ。精神的なコントロールがきかない選手が多いのだ。そのへんが、ヨーロツ。ハの一

2. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

に当たって、ゴールラインを割ってしまった ( 判定はゴールキック ) 。 フランスの守備陣の強さに比べて、プラジルの守備にはミスが多い。とくにジュニオ ・バイアーノは開幕戦からミスの連続だった。アウダイールも衰えを見せており 能力の高いセンター ・ハックがいなかった。 分、テュラムがロビングを上げた。ヘディングを競ったジュニオール・ヾ ノイアーノ がかぶってしまって、ポールが頭上を抜けてしまう。その落ち際をギ。ハルシュが左足で シュート 低いポールは右隅に飛んだが、タファレルが弾いて、コーナーキックに逃れ る。右コーナーキックからのポールはプ一フジルがクリアし、左コーナーキックに変わる。 左コーナーキックはジョルカエフが蹴る。そして、再びゴール前でジダヌがフリーにな っていた。同じ過ちを繰り返したプラジルのディフェンス陣。前半終了間際に二点目を 人れたフ一フンスは、優勝に大きく近づいたのである。 ロナウドは、じつは試合当日の午後、昼寝の最中に気分が悪くなり、痙攣を起こして 病院に送られたのだという。同室だったロベルト・カルロスは、ロナウドが死んでしま ったと思い込むほど重症だったらしい。ザガロ監督もロナウドの出場を諦め、エジムン ドを出場させることに決めた。しかし、病院からスタジアムに着いたロナウドは出場可 能だと主張し、チーム付きのトレド医師も同意した。。。 サカロ監督も出場に同意したが、 体調不良のロナウドの出場でチームは混乱。プラジルは試合前の練習もせずに試合に臨

3. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

同じアステカ・スタジアムを使用 ) は、ほとんどが現在もその国のメインスタジアムとし て使われている。第一回のモンテビデオのセンテナリオ・スタジアムは、今でも同国で 最大のスタジアムで、一九九五年にコ。ハ・アメリカ ( 南米選手権 ) を開くなど、ほとん どの国際試合が行われている。第二回イタリア・ワールドカップの決勝会場となった Z スタジアムはすでに取り壊されているが、その跡地には、フラミニオ・スタジアム という中規模のスタジアムが造られ、一九九〇年のワールドカップのためにオリンピ コ・スタジアムが改装工事中には ()n ローマとラツイオのホームとして使われていた。 その他、リオのマラカナン・スタジアム ( 一九五〇年 ) 、ベルンのヴァンクドルフ・スタ ベジアム ( 一九五四年 ) など、戦後のワールドカップ決勝が開かれたスタジアムは、いず れも現在でもその国のメインスタジアムとして健在だ。 そうした中で、一九三八年のフランス大会決勝が行われたコロンべ・スタジアムだけ べ ン、、ゝ、 カ今は三部リーグのチームのホーム・グラウンドとなって、ひっそりと存在している リには強豪サ のである。ラシンが没落し、レッドスターが一度解散してしまった後、。ハ いッカー・チームは存在しなくなってしまった。・。ハルク・デ・プランスが改装された時に 人工的に資本を投下して。ハリ・サンジェルマン ( (-) ) というクラブが作られたとい 9 うことは、前にも述べた通りである。 月 フランスは、一九九八年ワールドカップを開催することになって、コロンべの拡張案 もあったが、コロンべ市の左翼政権の反対で実現しなかった。そこで、サン・ドゥニに

4. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

ノルウェーは深みのある赤と、チームカラーもスタイルも違うが、声だけ聞いていると、 どちらの応援か分からないくらいよく似ている。 ノルウェーは、四年前のアメリカ大会に続いての連続出場。大きな体が特徴である。 この試合の先発メン・ハーでも、身長百九十三センチのトーレ・アンドレ・フローをはじ め、百九十センチ以上の選手が四人もいる。もともと、北欧人は体が大きい民族だ。昔 は、ただただ大きさだけのサッカーだったが、最近は冬の間もトレーニングができる室 内練習場などが整備され、新しいコーチング・メソッドが導人されるようになり、テク ニックも上がっている。また、多くの選手が外国のプロチームに所属して経験を積み、 ル 強化されている。登録の二十二人のうち、ノルウェー国内のクラブ所属はわずか六人で ある。 一方のスコットランドは、体はそれほど大きくない。身長百九十センチ以上は先発メ ーのレ ン・ハーには一人もいないし、先発メンバーで長身の選手というと、ゴールキー ス イトンが百八十六センチ、リべロのヘンドリーと右ウイングバックの・ハーリーが百八十 」五センチといったところだ。運動量の多いミッドフィルダー コリンズなどは百六十二 ル センチしかない。トップでターゲットとなるギャラハーですら百七十一二センチだ。 ポ 同じ英国でも、アングロサクソン系のイング一フンドは比較的大きな選手も多いが、ケ ルト系のスコットランド人はもともと背は高くない民族なのだ。その小さなスコットラ ンドが、ノルウェーの大きさをどうやって抑えるかが注目の試合だった。

5. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

ンビアのパルデラマは、一九九〇年イタリア大会からのスターである。 四年前と同様、コロンビアは、速い。ハス、遅い。ハス、速いドリプル、遅いドリプルを 織り交ぜた緩急の変化で中央突破を図る 。バルデラマという選手は動きを止めて、ポー ルを持ち、相手がつつかけてくると、膝から下の動きだけで相手をかわしてスルー。ハ を出すことができる。 しかし、コロンビアは主力選手が年をとっており、もともと運動量のあるチームでは ないが、四年前と比べても動き自体が少なくなっていたことと、中心選手であるバルデ ラマを最近までサポートしてきた運動量豊富なアルバレスがいなくなったことで、出来 は良くなかった。試合前に降った雨の影響も多少はあったかもしれない。 一方、ルーマニアは。ハスの長短ゃ。ハスの角度に変化を付け、そこに。ハス出しのタイミ ングを早くしたり、わざと遅らせたりして、変化に富むカウンター攻撃を見せる。開始 直後にハジがゆっくりとしたドリプルで抜け出して、逆サイドに大きく展開したり、何 度もその技巧を見せ付けた後、分には決定的なチャンスを得たが、イリエ、モルド。ハ モンドラゴンにプロッ ンの強烈なシュートは、二回ともコロンビアのゴールキー。ハー クされた。コロンビアは、中盤ではテクニックを見せるが、フリーキック以外ではゴー ル前のチャンスがっかめないまま時間が過ぎていく。 四年前とは違ってルーマニアがポールを支配する展開となる。立ち上がりは期待通り の緊張感あふれる好ゲームが展開されていた。ところが、分を過ぎると両チームとも

6. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

叩本チームは、戦術的な工夫でそれを十分に補っていた。。ハスのコースや角度、。ハスを受 ける時のボディシェイプ ( 体の角度 ) などはよく訓練されており、九十分間、丁寧なプ ノ、ー、かハ一ア レーを続けたのは見事だった。守備でも、秋田豊、中西永輔の二人のストツ。、 イストウータ、ロベスのワールドクラスのスト一フィカーに対し、ポールのない時でもき ちんとマークをし、彼らにフリーでポールを受けさせることはほとんどなかった。ロ。へ スなどは、中西のマークの前に本来のプレーができなくなって、途中交代。その後も大 会を通じて不調に陥ってしまった。緒戦ということもあって、アルゼンチンが本調子で はなかったとも言えるが、同時に日本のきちんと組織された守備が、アルゼンチンの攻 め手を封じたとも言えるのだ。 ワールドカップ出場国でも、優勝候補の国は別として、集中を欠いた雑なプレーをす る国も多い。ナイジェリア以外のアフリカ諸国などは、戦術など何も考えないでプレー している ( それでも個人能力だけで突破できるのはすごいが ) 。それに比べたら、日本の選手 たちの戦術理解あるいは規律の意識などは、かなり高いレベルにあった。 試合の立ち上がり、アルゼンチンは予想通り、慎重な試合運びをしてきた。開幕戦を 慎重に戦うのは、優勝を狙うようなチームとしては当然の選択だろう。慎重に守って、 カウンターから一点ないし二点を取って、確実に勝点「 3 」を取ること。それが、この 試合のアルゼンチンの唯一の目的だ。日本相手に四点も五点も取っても何も意味はない。 そして、アルゼンチンには慎重に戦ったとしても、確実に日本から九十分間に一、二点

7. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

れまたプライドの高い人物を配した場合、二人の人間関係がうまくいくのだろうか。実 際に、負傷したロマーリオの起用をめぐって二人の間に対立があるという話もあった。 とにかく、結果的にこの開幕戦を見た限り、プラジルの問題点が修正されていないこ とは明らかだった。しかも、頼みのロマーリオが負傷のため大会直前にリタイアしてし まい、攻撃の負担が若いロナウドに集中してしまっている。ロナウドは四年前の大会も 登録はされていたが、出場の機会は与えられなかったから、実質的には今回が初めての ワールドカップということになる。マ一フドーナですら、初めて出場したスペイン・ワー スルドカップでは、不本意な試合の連続だった。ワールドカップというのはそれほどの重 ジさがあり、選手は大きなプレッシャーに耐えなければならないのだ。・ フラジルが、ワー ルドカップ初出場の若いロナウドにすべてを託すというのは、大きな賭けと言うしかな 戦い。すべては、チームとして戦う準備を怠ってきたことのツケである。 開試合は、肥分に左サイドのドウンガが上げたクロスを右から走り込んだカフーがシュ ートし、これがゴールキー 。ハーのレイトンとフルバックのポイドに当たって人り、プラ ジルが 2 ー 1 で勝っことは勝った。 ン ザガロ監督の采配は、後半右サイドバックのカフーを再一二攻撃に参加させた点では当 サ 叩たったが、全体を立て直すことはできなかった。 月 プラジルは攻撃型という印象が強いが、本当に強いチームというのはいつでも守備が 堅いもの。一九九四年大会の優勝時もそうだった。その中心にはドウンガがいた。一九

8. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

ラジルがクリアし、ポールがロベルト・カルロスに渡る。クリアの瞬間にロベルト・カ ルロスの前のスペースにポールを受けに走り出すドウンガのスタートの早いこと。 分近くになって、ようやくスコットランドがチャンスを作り始める。プラジルの運 動量も急に落ちていく。プラジルのディフェンスには弱点がいつばいありそうだ。とく に、アウダイール、ジュニオール・ヾ ノイアーノのセンター 。ハックのコンビ、不ーションが カ悪いのが目に付く。中央での競り合いでも、サイドバックのロベルト・カルロスが処理 ッすることが多い。分、スコットランドが右からクロスを人れ、ディリーからギャラハ ーに渡った時、セザール・サン。ハイオが後ろからシャツを引っ張ってペナルティーキッ ・ー 1 となる。 ジクとなり、コリンズが決めて 1 プ後半、プラジルは中盤の右サイドにいたジオ。ハンニに代えてレオナルドを人れた。左 戦利きのレオナルドが右サイドでプレーすることになったわけだが、これがうまく機能し、 開その後の試合でジオ・ハンニは出番を失ってしまう。だが、プラジルが攻めることは攻め 司るのだが、効果的な攻めは少ない。プラジルが大会前に、スペインのアスレティック・ ビル・ハオと行った練習試合をテレビで見て、チームがバラ。ハラなのに驚いたが、その時 の印象通り、一人一人が勝手にドリプルでつつかけるだけ。スコット一フンドも、プラジ サ ルの攻めのリズムをすっかり覚えてしまう。 月 プラジルは、前回優勝国として、今大会は予選免除で出場した。ワールドカップ予選 という本当に厳しい戦いによって、チームは大きく成長するものだが、プラジルはそれ

9. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

かなかった。 岡田武史監督は、アジア最終予選の途中で加茂周前監督からチームを引き継ぐと、中 盤の運動量を増やすなど、次々と合理的な手を打って、日本選手の持っている潜在的な 力を十分に発揮させてワールドカップ・アジア最終予選を勝ち抜き、本大会に向けても 緻密な、いいチーム作りをしてきた。アルゼンチン、クロアチアと一点差勝負に持ち込 んだのはその功績である。だが、—リーグでも監督の経験がなかった岡田監督は、実戦 的な指揮官ではなかったようだ。 後半の開始と同時に豪雨となったが、わずか四分で止んで、再び日差しが戻ってくる。 じつに気まぐれな天気だ。後半も、すぐに日本に数多くのチャンスが訪れる。町分には 中田がフリーキックからゴールを狙い、分には中田のドリプルから右に展開し、名良 マ 橋がクロスを上げ、再びコーナーキック。これを中田が直接狙う。 しかし、分、ジャマイカが右サイドにいたホイットモアに回すと、付いていたはず 本 の相馬が不注意にもマークをはずしてしまい、そのまま走り込まれ、中に切り返されて 幻二点目を決められて、追加点を許してしまった。 が左のポストに当たり、 日本も反撃し、分には名波の。ハスを受けた名良橋のシュート 2 分には名波の。ハスが相手ディフェンダーに当たって、城の前に転がったが、城は左に 月 はずしてしまう。 、小村に代えて平野孝 分になって、ようやく岡田監督は城に代えて呂比須ワグナー

10. 激闘ワールドカップ'98 : フランスから見とおす2002年

ようというわけだ。ところが、早く着きすぎて、まだスタジアム行きのシャトルバスが 出ていない。・ハス会社の係員に聞くと、「三時には出る」というので・ハス停に行くが、 そこには「四時から」と書いてある。待っていると、親切なおばさんが、「。ハスは四時 でも、・ハスは、本当に三時にはやってきた。 からだよーと声をかけてくれる。 会場のラ・モッソン・スタジアムは、モン。ヘリエ市の郊外にあり、今大会に使われた スタジアムの中で鉄道の駅から最も遠いスタジアムだった。モンペリエの駅から・ハスで、 交通規制された道路を飛ばして約二十分はかかる。・ハス代も、往復で二十フランと、十 会場の中で最高額だった。その代わり、・ハスの切符にも対戦国名が、この日の場合だっ たら「ドイツ対イラン」というように印刷されている。ポルドーでは駅からの路線・ハス の・ハス代が無料だったし、リョンはメトロ・・ハス乗り放題で十フラン : : : といったよう に、都市によって駅からスタジアムへの交通機関は乗り方も、案内の表示も、値段もさ まざまだった。二〇〇二年大会の場合、外国人サポーターにとって言葉の壁が大きいの だから、駅からスタジアムまでの交通機関のシステムは全会場共通にするよう、日韓両 国の各都市でぜひ協力してほしいものである。 大会前、組はオランダ、ベルギーのベネルクスの二強が有利と見られていた。だが、 僕は二月にロサンゼルスで行われたゴールドカップ ( 北中米カリブ海選手権 ) でメキシコ を見て、ラブエンテ監督のチーム作りが成功すればかなりの実力のチームになると思っ ていた。実際、大会が始まってみると、韓国に先制されて攻めるしかない状況に追い込