218 しかし、長期的に考えれば、サッカーにとって、ワールドカップにとって最も大事な のは″商品〃である試合の質であり、戦う選手たちのはず。疲れきった状態の選手たち による退屈な内容の試合ではなく、いい内容の試合を見せることこそ、本当の意味での 観客サービス、視聴者サービスになるはずなのだが : 今年の大会は、一次リーグで上位二チームしか決勝トーナメントに進出できないよう になったため、強豪チームが緒戦から本気で勝とうと思ってゲームをしたおかげで、一 次リーグから決勝トーナメント一回戦まで、最近のワールドカップには見られないほど の好ゲームが続いている。決勝トーナメントに人って、プラジルも調子を上げてきたし、 強豪がそろって勝ち抜いてきているので、さらに今後に期待できる。これから、各チー ムが疲れきってしまって、決勝戦が一九九〇年大会や一九九四年大会のような凡戦にな らないことを祈るのみだ。 それには、気候も気になるところだ。 大会後半を迎えて、フ一フンスも本格的な夏に人った。学校も休みになり、各地の駅に も夏のバカンスに行く家族連れの姿が目に付くようになった。アヴィニョンは、七月に 人ると恒例の演劇祭を迎える。今年は、ワールドカップのため、例年より開幕が遅くな っているが、もう、街の通りには演劇のポスターが貼り巡らされ、演劇関係者の姿が目 立ってきた。アヴィニョンの名物で、お土産物にまでなっている蝿の声も聞こえ出した。
になると、インフォメーション・カウンターで一人ずつ名前を呼ばれて人場券をもらう。 どこの会場でも、これくらいスムースにやってくれれば混乱はないのだが。 さて、ワールドカップに三位決定戦は必要なのだろうか。三位決定戦というのは、時 には勝負の重圧から解放されたチーム同士の楽しい試合になることもある。一九九〇年 のイタリア・ワールドカップでは、ともに準決勝で戦負けを喫したイタリアとイン グランドが、オープンな攻め合いのすばらしいゲームをしたことがある。あの大会の時 チは、決勝 ( 西ドイツ対アルゼンチン ) よりも、三位決定戦の方が面白い試合だった。 ア だが、それは例外である。四年前のアメリカ大会では、ニューヨークの準決勝でイタ リアに敗れたプルガリアは、準決勝進出という偉業を達成した後、一刻も早く母国に凱 旋したかった。しかし、母国プルガリアとはまったく逆方向のロサンゼルス ( 。ハサディ オ ナ ) で三位決定戦を戦うことになり、移動で疲れきったプルガリアは戦意のないまま戦 ~ 疋い、ロサンゼルスでの準決勝以来待ち受けていたスウェーデンに 0 ー 4 で大敗した。一 位九八六年の三位決定戦は、フランスが延長の末にベルギーを下した好ゲームだったが、 フ一フンスは若手中心のメンバーで、スー。ハースターのプラティニはべンチにも人らず、 。 ( ピンクのシャツを着て表彰式に出てきた。 三位決定戦は、とりあえずモティベーションの高いチームの勝ちである。 月 オランダ対クロアチア。これは、間違いなくクロアチアの方が、モティベーションが 高い。オランダは、ヨーロツ。ハ選手権では優勝したことがあるし、ワールドカップでも
を経験してこなかったのだ。昨年、ワールドッアーと称して世界遠征を行ったが、これ はあくまでも親善試合に過ぎない。親善試合では、たとえば大阪で対戦した加茂前監督 率いる日本チームが、無理を承知でプラジル相手に中盤からプレッシャーをかけていっ て完敗したように、相手は必ずしも勝負にこだわった試合をしてこない。そこで、弱点 は露呈されずに、修正するきっかけがなくなってしまうのだ。 プラジルには、ロナウドとロマーリオという世界的なトップの選手がいる。しかし、 真の意味でのゲームメーカーがいないのが問題だ。ポ一フンチの位置で守備に貢献しなが ら、。ハスを配給するドウンガがやはり今年も中心になっており、前の方で攻撃を組み立 てるリーダーがいないのだ。そういうリーダーがいる場合には、その選手がプレーしゃ すいようにチーム作りをすればいいが、もしそういう選手がいない場合には、チームと しての戦術を確立していかなくてはならない。しかしマリオ・ザガロ監督はその必要を 知ってか知らずか、戦術的な組み立てをまったくしてこなかった ( できなかった ) のだ。 こうしてプラジルには、懸案のセンタ ーバックの問題に加えて、中盤の攻撃のリーダ ーシップの点で欠陥があることが今年二月の北中米カリブ海選手権 ( ゴールドカップ ) で 明らかになると、プラジル・サッカー連盟 ( O ) は「テクニカル・コーディネータ ー」という肩書きで、国民の間に人気の高いジーコを任命するという中途半端で危険な 手を打った。 ザガロという自分は世界一の監督だと思っている人物の上 ( 横 ) に、ジーコというこ
りあえず駅に行ってみることにする。すると、時刻表にはまったく載っていないマルセ イユ行き列車がちょうど発車しようとしていたので、これに飛び乗った。汚い古い車両 の中はイングランドのサポーターでいつばいだった。集団になると騒がしいイングラン ド・サポーターだが、一人一人は普通の青年たちだ。負けたからといって暴れるわけで はない。だが、ゲームに興奮して話し続ける彼らの間で、「これは一睡もできないのか な」と心配していたのだが、彼らもカルカソンヌあたりであらかた降りてしまい、列車 内には静寂が戻った。 六月ニ十三日 ( マルセイユ ) プラジル x ノルウェー いよいよ、一次リーグも各組の最終戦を迎える。一次リーグの最終日は、各組の二試 合が午後四時半または午後九時に同時にキックオフとなる。他の試合の結果を見てから 戦うチームが有利にならないように、一九八六年のメキシコ大会から、一次リーグの最 終日は同時刻キックオフというのが定着した。一九八二年のスペイン大会で、西ドイツ とオーストリアが、まったく無気力な試合をして西ドイツが 1 ー 0 で勝って、両チーム が仲良く二次リーグ進出を決め、西ドイツに勝ったアルジェリアが脱落したという「八 百長疑惑」があったためにこうなった。 これまでは、一日に二試合か三試合の日程を消化していたフ一フンス・ワールドカップ
リアは前半の 7 分にコーナーキックからディビアッジョがヘディングを決めて、あっさ り先制したが、その後いくつものチャンスを逃す。幻分には・バッジョから右サイド のモリエーロに出し、モリエーロが折り返したポールでヴィエリがフリーとなったが、 名ゴールキ ー。ハーの誉れ高いカメルーンのソンゴオが飛び出して防いだ。 この日の主審はオーストラリアのエドワード・レニーだったが、前半からジャッジの 基準が不安定で、イタリアの選手たちはかなり苛立ってきており、試合が荒れそうな雰 囲気だったが、チェーザレ・マルディーニ監督が声をかけ続けたおかげもあって、次第 ンに冷静さを取り戻していった。ああいう状況の中でも冷静さを失わなかったのは、さす ルがイタリアだ。マルディーニ監督と、カメル 1 ンのクロード・ルロワ監督は、まるで対 抗心を燃やしているかのように、テクニカルエリアに出づつばりで、声を嗄らして叱咤 ア 激励を続ける。 4 分、カメルーンのリべロのカランコンゴがドリプルで上がろうとしたところを、イ タリアのディビアッジョがタックルした。この時、カランコンゴが足を振り下ろしたが、 これでカ一フンコンゴは一発退場となってしまう。一点負けているチームが一人少なくな ってしまい、ゲームの興味を削ぐ、やや厳し過ぎる判定だった。 後半は、立ち上がりにこそカメルーンにチャンスがあったが、ジョブのシュートも。ハ 6 リューカが止め、次第にゲームは一人多いイタリアのペースになっていく。そして、 分、分とヴィエリが二点を追加して、終わってみればイタリアは 3 ー 0 と完勝してい
ム参加の時代には、四チームずつ四組に分かれ、上位二チームが準々決勝に進出し、そ れ以後、八強がノックアウト方式で優勝を決めるという方式が続いていた ( 一九五四年 大会から一九七〇年大会まで ) 。今でも、オリンピックのサッカーは、これと同じ方式を 採用している。その後、一九七四年と一九七八年には、各組一一位までの八チームを選ん だ後、二次リーグ方式に変更になったが、それでも四つのグループから上位二チームが トーナメントに進むという基本形には変わりがなかった。 ところが、一九八二年に参加国が二十四カ国に増えた。十六、あるいは三十二という 数字と違って、二十四というのはトーナメントを行うには不都合な数字だ。一九八二年 大会では、一次リーグは四チームずつ六組に分かれて、上位二チームが残って、十二チ ームが二次リーグに進む方式になり、そして一九八六年大会から一九九四年大会にかけ ては、各組の上位二チームに加えて、三位のチームの中から成績の良い四チーム、合計 十六チームが決勝トーナメントに進出するという方式になった。つまり、この三回の大 会では、六つのグループのうち、四つのグループで、上位一二チームが決勝トーナメント に進めたわけだ。 モ この方式では、一次リーグでは、強いチームは全力を出さず、引き分け狙いのような % 試合も多かった。ワールドカップに優勝するためには、約一カ月の間に、六ないし七試 6 合しなければならないのである。一カ月にわたって好調を維持するというのは不可能に 近い。そこで、優勝を狙うような強豪国は、一次リーグではあまり無理をせずに勝ち抜
遊んでいた。女の子も含めて、ほとんどがビ 1 ルの缶を片手に、泥酔状態で動き回って いるのだ。 遊びと言っても、本当に力いつばいポールを蹴るし、なにしろ酔っ払いたちのやって いることだ。キックのコントロールなどまるでなしだ。出札窓口や、一般の旅行客にポ ールが当たったりするのだが、一向にお構いなし。フランス人たちも誰も気にもかけな い様子だ。スコットランド人のサポーターがフーリガンではないことは、誰もが知って 一いる。 ウそのスコットランド人たちのポールの蹴り合いを見ていると、彼らの間にはゲームの ノルールのようなものはまったくないらしい。日本人だったら、ああいう場面でポールを 蹴り合うにしても、何らかのル 1 ルを作るのではないだろうか。二つのチームに分かれ てゴールを決めて試合をするとか、リフティングで落とさないように蹴り合うとか、何 一らかの規則が自然に作られるはずだ。だが、スコットランド人たちは、ただひたすらポ ールを奪い、蹴ることだけを楽しんでいる。お互いに激しくぶつかり合い、倒れて石の 床に激しく打ち付けられても、また起き上がってポールを蹴り上げる。どういうポール はを蹴るかなどとは考えてもいない。ただ、力いつばいにポールを蹴る。それを延々と数 十分も繰り返しているのである。少年も、少女も、これを繰り返す。 月 フットボールという遊びは、十一世紀にプリテン島に侵人してきたデーン人の首を蹴 皿り合ったのが起源だという物騒な伝説がある。「デ 1 ン人」というのは、言葉の上では
になった。ドイツ対ユーゴスラビアとかイングランド対ルーマニアなどは「名勝負」と 言ってもよいほどの試合だった ( ドイツ対ユーゴスラビア戦では、終了直前になってからは無 理をして勝負することを避けていたようにも見えたが ) 。 本当に面白かったのは、決勝トーナメントに進めそうな強いチームが三チーム以上あ った組のようなグループだった。 ただ、今回の大会から三十二チーム参加ということで、レベルの低いチームも参加し てきた結果、上位二チームと下位二チームに力の差があるグループでは、早々と勝負が 決まってしまい、興味をつなげられなかった。たとえば、組ではドイツとユーゴスラ ビアの力が突出しており、イ一フンやアメリカにはほとんど勝ち目はなかった。また、ク ロアチアとアルゼンチンが、日本、ジャマイカという二つの初出場国と対戦した組も、 各チームの二試合目が終わった段階で、早々とアルゼンチン、クロアチアの決勝トーナ メント進出が決まってしまった。 組の試合が終わって、例によってプレスセンターで食事をして、いよいよドイツ対 工 イランの試合である。 住イランは、一九九六年に開かれたアジアカップで圧倒的な攻撃力を見せ、この大会で は三位に終わったものの「アジア最強」とも言われていた。とくに、長身でバランスの 6 とれたストライカーであるアリ・ダェイと、身長は低いが半身に構えた素早いドリプル をするホダダッド・アジジのツートップ、それに中盤ですばらしい展開力を持ち、また
110 それぞれの大陸内では通用しても、ワールドカップでは通用しないチームというのが ある。たとえば南米大陸のコロンビアやアジア大陸の韓国は、各大陸内ではここ十年以 上トップクラスの地位を保っているが、ワールドカップではヨーロツ。ハのチームを相手 に、どうしても勝てない。南アフリカもそんなチームなのだろう。基礎的な技術、戦術 の訓練を与えれば大きく伸びる要素はあるが、今大会に限って言えば、三十二カ国中で も最弱チームの一つだった。 その点、同じアフリカでもナイジェリアは、選手の多くがヨーロツ。ハの一流チームに いるだけに、個人レベルでは十分に訓練を受けている。やはり、現段階ではプラックア フリカの中で上位に食い込む力を持つのはナイジェリアだけと言っていい。 不順な天候が続いていたフランスだが、ここにきてすっかり夏めいてきた。この日、 トウールーズのミュニシ。ハル・スタジアムは日陰でも二十九度あった。ピッチの上は三 十度を優に超えていたことだろう。北欧のデンマーク選手たちにとっては、暑くてやり にくいコンディションだ。 ワールドカップは毎回欧州各国の国内リーグ終了後の六月、七月に開かれることに決 まっているから、北半球では夏場に当たり、暑さが問題になることが多い。一九八二年 のスペイン大会では、中央高原や地中海岸は四十度の暑さに見舞われる一方で、北部大 西洋岸の都市は雨が多く、涼しい気候で、チームによって有利、不利が生じてしまった。 スペイン大会の上位四チームは、いずれも一次リーグの間は涼しい大西洋岸で戦ってい
224 角にいて、時には中盤からディフェンスラインにまで自由に動きながら、自分でも得点 を決め、同時にゲームメークもしていた。ストイコヴィッチも名古屋グラン。ハスではト ップにいながらラスト。ハスを出す形でプレーしている。この大会でのイタリアの攻撃も、 トップにいるロベルト・ ・ハッジョまたはデルピエロがラスト。ハスを出して、ヴィエリが 決める形になっている。 ただし、中盤で創造力のある攻撃リーダーがいないのがイタリアの問題点で、イタリ ア国内にはロベルト・ ・ハッジョとデルピエロを同時に使えという論調も強いようだが、 マルディーニ監督にはそのような考えはなさそうだ。 フランスは、アンリは先発せず、ギバルシュのワントップに、第二列からジョルカエ フが飛び出してくる形。右サイドのミッドフィルダーとしてカランプーが先発した。 試合はフランスが一方的にポールを支配して始まった。 このチームの良さはポールを支配する技術にあった。それほど器用な感じは受けない が、一人一人のポールをコントロールする技術は高い。デシャン、プティといった守備 的な中盤の選手は、ポールを奪っても攻め急がずに、キープして前のジダヌなどにポー ルをつなぐ。攻め急がないというのは、キープに自信があるからできることなのだろう。 また、一人の選手がポールを持った時に、その選手から。ハスを受けられるコースを多 く確保するために、うまくサポートして、常にポールを中心にト一フィアングルを作る動 きがいい。一定の距離と角度を保ち、常にトライアングルを崩さない。ポールの位置、