でスコットランド代表が活躍することでもなければ、世界の人たちは、スコットランド が独特の歴史や文化を持った、イングランドとは別の国であることなど知らなかっただ ろう。 二年前にヨーロツ。ハ選手権がイングランドで開かれ、この時はイングランドが準決勝 に進出したのだが、イングランドの新聞によれば、白地に赤の十字の聖ジョージ旗が本 カ来のイングランドの国旗であることを知らない若者も多いということだった。いわゆる 英国、つまり連合王国の国旗として使われている「ユニオンジャック」は、イングラン 冖ド国旗ではなく、各国の旗を重ね合わせて作られた旗なのだ。それを、イング一フンド国 ル 旗Ⅱュニオンジャックと思っている若者が多いというのだ。だが、およそスコットラン ブド人で、スコットランドの旗が紺地に白十字の聖アンドリュース旗であることを知らぬ 戦者はまずいないだろう。 開今年は、とくに開幕戦ということもあって、その聖アンドリュース旗の映像とスコッ 司トランド国歌が世界に流れる。スコットランド人にとって、こんな痛快なことはないだ ろう。 酒を飲んで酔っ払って、目が据わった状態で、大声で歌を歌いながらさまよい歩くス サ 皿コットランド人の群れ。知らない人が見たら、じつに異様な風景だし、恐ろし気に見え 月 るかもしれないが、イングランドのフーリガンたちと違って、決して悪さはしない。ョ ーロツ。ハの人は、そのことをよく承知しているから、スコットランド人の群衆を温かい
工作の結果、二〇〇一一年は共同開催ということに決まった。最後は会長自身が共同開催 を提案するという形で、アヴェランジェ会長はなんとか地位と面目を保ったものの、絶 対的な権力は失われ、ついに引退を決意したのだ。後任には、ヨハンソンが確実視され ていた。 しかし、この春になって、アヴェランジェ会長の側近で— << 事務局長を務めてい たゼップ・プラッターが最終的に立候補を決意。じつに二十四年ぶりに会長選挙が行わ れることになった。当初は、ヨーロツ。ハ票を背景にアワリカ連盟を固め、さらにアジア 票も取り込んだヨハンソンの当選は確実と思われていたが、プラッター陣営が巻き返し、 形勢は互角と言われるようになっていた。ヨハンソンはあまりにも早く票を固めすぎた ため、相手に巻き返しの時間を与えることになった。その裏には、ここで会長 でもあるヨハンソンが会長職を握れば、ヨーロツ。ハに権力が集中しすぎるとい うことに対する反発もあった。 サウジアラビアが巨額の選挙資金を出してプラッターを支援。さらに、ヨハンソンの お膝元であるヨーロツ。ハ自体も両派に分裂したと言われる。ドイツはべッケンバウアー を先頭にヨハンソンを支持、フランスのプラティニ ( ワールドカップ組織委員会委員長 ) はプラッターを支持している。プラティニはプラッターが当選したら、—の競技 担当理事に就任することになっていた。二〇〇六年ワールドカップ開催問題でドイツと 対立しているイングランドも、プラッター支持である。ヨーロツ。ハが分裂したことで、
ハイビジョンはとしては実験段階を含めると三大会の経験があるわけです。と ころが、ハイビジョンの方式がヨーロツ。ハと日本と同じ方式でなかったので、ヨ 1 ロッ 。ハでそのまま放送というわけにはいかなかったんですね。 後藤普通のテレビでも方式が違いますから。 山本メキシコ大会のときは Z e O ( 米国のカラーテレビ方式 ) で日本と同じ方式だっ たんですが、当時も現在もヨーロツ。ハは ( 旧西独で開発された方式 ) ですから、そ れで方式変換用の機材にお金がかかったりした時代もある。でも、一番大きな問題は時 差ですね。 後藤これは、技術が進歩しても解決のしようがない。 昔山本とくに二〇〇二年大会は日本と韓国ですから、ヨーロツ。ハの人にとってはいい時 間帯で観られない。日本時間で夜、試合をやると、向こうはだいたい昼前ですからね。 後藤日本のサッカ ー・ファンにとっては、真夜中にヨーロツ。ハの試合をテレビで観る ドというのは当然のことですけどね。 ←山本フランス大会での日本戦は夜中に近い時間帯。でも初出場でしたから、あんなび つくりするような六十何。ハーセントという数字が出ました。 対後藤日本の試合は早い時間にやってくれましたからね。 ( 国際サッカー連盟 ) カ日本での次の大会のためにそのようにセットしたわけですけど。現地ではの 方が大勢行って、各地を回っているんでしよう ?
メキシコが敗れ、決勝トーナメントに残っていたアメリカ大陸勢五チームのうち、三 つが敗れ去った。残ったのは、やはりプラジルとアルゼンチンだった。決勝トーナメン トにアメリカ大陸勢が五チームというのは、健闘と言っていいだろう。 ワールドカップでは、ヨーロツ。ハで開かれた大会ではヨーロツ。ハ勢が優勝。アメリカ 大陸で行われた大会ではアメリカ大陸勢が優勝という歴史が残っている。唯一の例外は、 ザガロ、ニウトン・ 一九五八年のスウェーデン大会で優勝したプ一フジル。ジジ、 サントス、ジャウマ・サントスなどの名選手に加えて、ガリンシャ、ペレがデビューと、 プラジル自身が黄金時代だったとともに、ヨーロツ。ハ大陸のサッカー大国が、第二次世 界大戦の影響で最も弱体化していた時代の話である。一九五四年大会までは、戦前育ち の名選手がまだ頑張っていたが、そうした選手たちが引退した後、戦後育ちの若手が台 頭してくるまでの間、ヨーロツ。ハ各国は力が衰えていたのだ。 四年前に北アメリカ ( 合衆国 ) で開かれた大会でも、伝統は守られ、プラジルが優勝 したが、この時の大会では、アメリカ大陸勢で決勝トーナメントに残ったのは三カ国 ( プラジル、アルゼンチン、メキシコ ) で、しかもベストエイトにはプラジルしか残ってい なかった。 それに比べて、フランス大会ではアメリカ大陸勢は五カ国も残ったのだ。とくに、チ リ、。ハラグアイ、メキシコといった、アメリカ先住民 ( インディオ ) 系の選手たちが活
ヨーロツ。ハで中田が高く評価されているのは、中盤で激しいプレッシャーを受けた時 に、そこでしつかりとポールを受けて持ちこたえて、ドリプルでフリースペースに持ち 出して、すぐにルックアップして。ハスコースを探す一連の滑らかな動きだった。 じつは、ヨーロツ。ハでは中盤での古典的なゲームメーカーが決定的に不足している。 かってプラジルの。ヘレ、ドイツのべッケンバウアー、オランダのクライフ、フランス のプラティニ、さらにプラジルのジーコやアルゼンチンのマラドーナなどが活躍したい わゆる「番」のポジションに、最近の本場のサッカー界では人材不足が激しいのだ。 今年のワールドカップでも、フランスにこそジダヌがいたが、ジダヌはプラティニに は遠く及ばない。プラジル、イタリア、ドイツなどは指揮官不足で苦しんでいた。アル ゼンチンのオルテガも、司令塔としては不完全な選手だった。このポジションでは、ス 、バルデラマ ( コロンビア ) 、シ 、、ジ ( ルーマニア ) トイコヴィッチ ( ューゴスラビア ) ノ フォ ( ベルギー ) などといった、マラドーナのすぐ下の世代が、三十歳前後になっても 未だに中心選手として活躍しているのである。 そうした世界的な「川番」不足の中にあって、極東の島国に中田英寿という若い司令 塔役の選手が現われたのは、それだけでも、ヨーロツ。ハで大きくクローズアップされる に十分なニュースだった。日本ではストライカーの力不足は大きな問題となったが、対 照的に中盤には、中田や小野をはじめ、代表に選ばれなかったものの中村俊輔 ( 横浜マ リノス ) や大野敏隆 ( 柏レイソル ) など有能な指揮官候補のタレントが目白押しである。
ヨーロツ。ハ・サッカー界でずっと小国の位置に甘んじていたデンマークが国際舞台に 初めて名乗りをあげたのは、一九八四年にフランスで開かれたヨーロツ。ハ選手権だった。 プラティニ主将 ( 現ワールドカップ組織委員会委員長 ) 率いる全盛期のフランスが地元優 勝を決めた大会だが、ドイツ人のユップ・ピオンテク監督の下、ウイング。ハックを使っ て中盤の人数を多くする新しいシステムをひっさげて予選でイングランドを破ったデン マークが、本大会でも準決勝まで勝ち進んで世界を驚かせた。 デンマークは二年後のメキシコ大会でワールドカップ初出場を果たし、ここでも南米 の強豪ウルグアイに 6 ー 1 で大勝するなど華々しい活躍を見せた。そして、この時に国 際舞台にデビューしたのがミカエル・ラウドルップ ( 兄 ) だ。 それから十年以上の時が経って、中盤をコン。ハクトにするサッカーは世界の標準シス テムとなり、デンマークは再びフランスに戻ってきた。 その間ワールドカップにこそ出場の機会がなかったが、一九九二年のヨーロツ。ハ選手 権では、国連の制裁決議のために出場できなくなったユーゴスラビアに代わって、急遽 繰り上げ出場となり、優勝をさらってしまったこともあった。最近は、ラウドルップ兄 弟とゴールキ ー。ハーのシュマイケルだけが頼りのチームと一一口われながら、フランス大会 で十二年ぶりのワールドカップ出場を果たした。しかし、三人の主力は、そろそろ衰え を感じざるをえない出来だった。デンマークというチームは今その終焉の時を迎えよう としているのだろうか。
ンには一発の決定力があるだけに面白いのではないかと思われた。 だが、後半に人った分、右のヘスラーのクロスをビアホフが ( ディングで決めてド ィッが先制した。ビアホフらしい、 ~ 局いジャンプで、イランのディフェンダーの肩から 上に頭が飛び出していた。アジアの中ではフィジカル的に強いとはいっても、イランの ディフェンス陣はビアホフのヘディングにはまったくかなわなかった。ドイツは分に も、マテウスがゴール前に人れたポールからチャンスをつかみ、ビアホフの右足のシュ ートが左ポストをたたくところを、クリンスマンが飛び込んで頭で押し込んだ。クリン スマンらしい、美しいフォームのヘディングだった。 日本代表は、アルゼンチン、クロアチアに対して中盤での。ハス回しの部分では通用し ラたのに、トップの力が足りず、とうとう一点も取れなかった。そして、イランの強力ッ ートップも、ドイツには個人では通用しなかった。やはりアジアのフォワードは一対一 ではヨーロツ。ハのディフェンダーには対抗できないようだ。ダェイ、アジジが跳ね返さ れるのを見て、あらためてそれを痛感させられた。 後半、二点をリードされたイランがディン・モハマディを人れて、豊富な運動量でト はツブをサポートするようになると、。ハス交換からいくつかのチャンスが生まれるように なった。やはり、アジアのチームの場合、ヨーロツ。ハに対しては組織力で対抗していく 月 しかないのだろう。
126 町全体も煉瓦造りの建物が多く、イングランドあるいはオランダといった雰囲気を漂 わせているだけに、イング一フンド・スタイルのスタジアムもびったり街にとけこんでい イングランド・スタイルのスタジアムというのは、タッチライン、ゴールラインに面 してそれぞれ四角形のスタンドが取り囲んでいる形の競技場のことを言う。ヨーロツ。ハ 大陸のドイツやイタリアなどには陸上競技兼用で陸上のトラックが周囲を取り囲んでい るスタジアムが多いし、フランスには元自転車競技場で、ゴール裏が半円形になってカ ープを描いているスタジアムが多い。スコット一フンドも、かってはゴール裏がカープに なっている楕円形のスタジアムが多かった。そうしたスタイルのスタジアムに対して、 四つの四角形のスタンドのある競技場を「イングランド・スタイル」と呼ぶのだ。 一フンスのスタンドの後方には黒い三角形のボタ山が聳えており、テレビ中継でも冒頭 にそのボタ山を映し出す。ボタ山が、いわば、ランスの象徴ともなっているのだ。ラン スは、炭坑町なのである。イングランドでも、ヨーロツ。ハ大陸でも、炭坑町にはサッカ ーの盛んな町が多い。イングランドで言えばニューキャッスル、ベルギーのリエージュ、 ドイツのゲルゼンキルヘン、ポーランドのカトヴィッ工など、サッカーで有名な炭坑町 は枚挙にいとまがない。フランスでも、このランスとサンテティエンヌの二つはサッカ ーの盛んな炭坑町である。そして、ランスのチームは、今年のフランス・リ—グで優勝 を飾った強豪クラブなのだ。
敷地で、周囲に日を遮るものもなく、真夏のような直射日光が降り注ぐ中、大勢の日本 人サポーターで、スタジアムの周囲は埋め尽くされてしまっていた。 日本対クロアチア戦である。 クロアチアは、ワールドカップ初出場ではあるが、主力選手の多くは旧ユーゴス一フビ ア代表としてイタリア・ワールドカップにも出場している。一九九六年のヨーロツ。ハ選 手権でも非常に強力なチームで、準々決勝で優勝したドイツと当たり、押し気味の試合 アをしながら、退場者を出し、審判の判定などで不満を募らせ、自滅するように敗れてし アまった。チームとしてまとまり、落ち着いて試合ができれば、ヨーロツ。ハでもトップク クラスの力を持っチームだ。だが、今年に人ってからも、練習試合では好不調の波は激し く、ボクシッチは負傷で参加できず、点取り屋のシューケルも不調をかこっていた。 チームのスタイルとしては、非常に高いレベルの個人技を持っているが、カウンター が主体。厚い守りからポールを奪い、中盤でダイナミックなドリプルも交えながら、プ ナ ンロシネッキ、アサノヴィッチ、ポバンらが大きな。ハスをつないでトップのシューケルに 点を取らせるというものだ。 加このスタイルは、同じくカウンターを狙うアルゼンチンとかなり共通している。日本 チームにとっては、これは幸運なことだった。もし、緒戦の相手と第二戦の相手がまっ 6 たく異なったタイプの相手だったら、日本チームとしては二つの対処方法を構築しなけ ればならない。チームカとして劣っている日本は、九十分間にわたって日本のサッカー
たチームだった。一九八六年のメキシコ大会はヨーロツ。ハのテレビのゴールデンタイム に合わせて正午キックオフなどという試合が多く、暑さと高度の問題に悩まされた。一 九九〇年イタリア大会も暑かったし、四年前のアメリカ大会は北米大陸が異常気象に見 舞われて、超高温、多湿に苦しめられた大会だった。 たとえば、アメリカ・ワ 1 ルドカップでアジア代表のサウジアラビアが決勝トーナメ ントに進んだのも、暑さが有利に働いたからだった。サウジアラビアがサイード・オワ クイランのドリプルシュートでベルギーに勝った日のワシントン O は、ものすごい蒸し マ暑さだったのだ。 プレースタイルによっても、暑さの影響を受けやすい国と受けにくい国がある。 たとえば運動量を生かしたプレーをするチームには、暑さは大きな障害となる。ドイ ツは、体力は強いが、走る量で勝っチーム。しかも、今回のドイツには高年齢の選手が ア 南 多いだけに、これからフランスが暑くなれば不利ということになる。逆にプラジルのよ ズ うなテクニックで勝っチームにとっては、運動量を誇るヨーロツ。ハ勢が暑さで動けなく 一なってくれれば有利になる。 この試合では、南アフリカがポール支配率では上回っていたが、デンマークは前半の 分にプライアン・ラウドルップがヨルゲンセンとの。ハス交換で右サイドを突破し、ク 6 ロスを逆サイドから走り込んだニールセンが決めて先制。その後もヨルゲンセンのコー ナーキックがポストに当たったり、・ラウドルップがドリプル突破でフリーになるな