一九六六年以降のワールドカップの日程 1 ・、 1 ・、 11 11 1 ー亠 1 よ 11 11 1 ・亠 11 ワワ朝ワ」っ乙ワ」っ乙ワ」ワ」っ乙ワ」っっ 0 年 〇〇〇〇〇 〇〇 ③ 間〇〇〇 〇〇 〇〇 富〇〇〇 〇〇 〇〇 ◎ ◎③ 爲〇〇〇 〇〇 〇〇 ◎ ◎③ 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 ◎◎◎◎◎◎ ③ 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇◎◎◎◎ ③ 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇◎◎◎◎ 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇◎◎◎◎ co ③ 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇◎◎◎◎ 〇Ⅱ一次リーグ◎Ⅱ二次リーグまたは決勝トーナメント一回戦 Ⅱ準々決勝 co Ⅱ準決勝③Ⅱ三位決定戦Ⅱ決勝 ◎◎
3 ー 1 。延長に人ってから二点を取れば、誰が考えても「勝った」と思うだろう。だが、 相手は勝負に対する執着心ではどこにも負けない西ドイツだった。西ドイツがたちまち 二点を取り返し、 3 ー 3 に追いっき、ワールドカップ史上初の戦に敗れて、フラン スは決勝進出を阻まれた ( ゴールデンゴール方式になってしまった現在、こういうエキサ イティングな延長戦は見られない ) 。 地元開催の一九八四年のヨーロツ。ハ選手権で優勝したフランスは、一九八六年メキシ コ・ワールドカップでも優勝候補だった。準々決勝でプラジルと、ワールドカップ史上 1 で決着はつかなかったものの、戦を制し、フ 最高の美しい試合を繰り広げ、 ランスは再び準決勝に進出した。そこで待ちうけていたのがまたも西ドイツ。プラジル 戦の疲れと、フォワードのロシュト ーの負傷欠場のためにチグハグな試合となって、 0 ー 2 で敗れ、フランスは再び西ドイツに決勝進出の道を断たれたのだ。 開催国として優勝を狙い、無事に準決勝にたどり着いたものの、そこでまたドイツと 対戦するとなれば、昔の悪夢がよみがえってくる。ところが、そのドイツが準々決勝で クロアチアに敗れて姿を消してくれたのだ。もちろん、守ってカウンターを狙ってくる クロアチアもフランスにとってはやりやすい相手ではないが、とりあえずドイツの敗退 はフランスにとって天の恵みのようなものだった。 僕の風邪はまだ治らない。試合のない二日間だったが、マルセイユのプレスセンター で仕事。アヴィニョンから約一時間半の通勤である。
プランに続いて、デサイーまでも退場になりながら、 フォーメーションと選手を替えて完璧に対処した 監督の能力も高かった。 七月十ニ日 ( サン・ドゥニ ) 決勝戦フランス x プラジル 決勝戦に先駆けて、スタッド・ド・フランスのフィールド上では、イヴ・サンローラ ンのファッションショーが行われていた。芝生の上に空色の布が敷かれ、その上を「ポ レロ」のメロディーに乗って、大勢のモデルたちが練り歩いている。記者席からそれを 見下ろしながら、僕はまもなく始まる決勝のことを考えていた。 今大会、一次リーグ二戦目のサウジア一フビア戦を除いて、フランスの試合を全部見て きたが、どう考えてもフランスはトップの選手が弱く、得点力がない。地元の観衆の応 援を受けて弱い相手に対しても攻撃の手を抜くことができなかったので、南アフリカに 三点、サウジアラビアに四点と、得点はたくさん人っているが、決勝トーナメントに人 って、強いチームと真剣勝負をするようになってからは、一回戦の。ハラグアイ戦が一点、 準々決勝のイタリア戦が零点、準決勝のクロアチア戦が二点である。それも、得点者は
南部は気温が相当上がってきている。 北部は相変わらず気温が低く、。ハリは二十度ほど。逆に、南部は三十度をかなり上回 っており、マルセイユで準々決勝、準決勝を戦うオランダまたはアルゼンチンにとって 月はきつい条件である。プラジルまたはデンマークは、準々決勝がナント、準決勝がマル セイユ、そして決勝がサン・ドゥニという日程で、彼らにとっては移動が問題になる。 これも、休養日がたつぶりあれば問題ではないのだが、中三日程度しか休養日がないの い 肌にその間に移動が挟まるのは大きな負担になる。日程的には。ハリに居座りのフランスの 有利は否めない。地元に有利な日程。これは、いつの大会にも付きもののことだ。だか 々ら、「初優勝があるとすれば、開催国ではないか」と言われるのだ。 同時に、いつの大会でもそうだが、そうした運・不運の問題を克服できる「強さ」を 持ったチームだけがワールドカップという大会で優勝できるのだと言うこともできる。 そして、「強さ」という条件がそろっているのは、過去に優勝経験のあるチームだ。今 大会で準々決勝まで残った優勝経験チームはプラジル、アルゼンチン、イタリア、ドイ ヴ けツ。それに、地元の利を考えれば、開催国のフランスにも可能性があるが、フランスは 得点力の問題を解決した場合という条件付きだ。 それにしても、さまざまな悪条件の中で七試合を戦い抜こうとしている強豪国という 月 のは、初出場に国中が熱狂しながら、強豪との二試合で疲労の極に達して、初の一勝す ら実現できなかった日本チームから見たら、はるか雲の上の存在としか言えない。日本
われるタックルを何度もファウルに取られて、次第に苛立ってきていた。アルゼンチン と対戦した一九七八年の決勝でゴネラ主審がアルゼンチン寄りの判定をしたと今でも信 じている古いオランダのファンにとっては、嫌な気持ちがしたことだろう。「今回もレ フェリーはアルゼンチン寄りか」と。 そして、後半が始まる時、オランダの選手が先にロッカールームから出てきて、フィ 1 ルド上に展開して待っているのに、アルゼンチンはなかなか姿を現わさなかった。こ れも、一一十年前に見た光景と同じだ。 しかし、アルゼンチンのファンにとっても、レフェリーがメキシコ人のプリシオ・カ ォルテルだったのは嫌だったのではないだろうか。一九九〇年大会で、頼みのマラドーナ ~ が満身創痍の状態で準々決勝、準決勝と引き分け、戦で勝ち残ってアルゼンチンは ゼ 決勝に進出した。そして決勝で西ドイツと対戦したアルゼンチンは、やはり一方的に攻 アめ込まれながら、西ドイツの拙攻にも助けられ、後半も残り時間僅かというところまで コデサル・メンデスが徴妙 こぎつけていたのだ。ところが、メキシコ人のレフェリー セな。へナルティーキックを取り、これを西ドイツのプレーメに決められて、 0 ー 1 で敗れ て、連続優勝の夢を断たれたのだ。 ワールドカップも大詰めを迎えつつあるが、この段階になると強豪同士の戦いが多く 月 なり、そうなると、お互いに知り尽くした同士の組み合わせとなるので、両国にはいろ いろな過去の因縁が絡んでいるのである。
214 イタリアは局面局面でファイプバック、フォーバック、 スリー バックを切り替えて守っているわけだ。 それを、まったく混乱なく実行していく。 七月一日、ニ日 ( アヴィニョン、。ハリ ) 準々決勝、肌寒い パリの七月 六月十日にワールドカップが開幕してからまる三週間。二十一日間にわたって毎日試 合が行われてきた超過密日程のフランス・ワールドカップも、決勝トーナメント一回戦 八試合を終えて、ようやく一段落。準々決勝まで、中二日の休日となる。 僕自身も六月十日にサン・ドゥニで開幕戦を見てから、決勝トーナメント一回戦の最 後にサンテティエンヌで行われたアルゼンチン対イングランド戦まで二十一日間に二十 試合を観戦した。全十会場を回って、三十二チーム中二十二チームの試合を見ることが できた。世界には、じつに様々なチームが存在し、いろいろなサッカーがあるものだと いうことを、今さらながら実感することができた。 しかし、フランスは広い。鉄道で毎日数百キロを移動し、テレビのレポートをし、新 聞の速報を書き、雑誌の記事を書きながらの観戦だから、食事の時間もままならず、体
Lens 800 219 ポルドー ランス リョン マルセイユ モンペリエ サンテティエンヌ トウールーズ 入場料金 カテゴリー 開幕戦 1 回戦 準々決勝 準決勝 3 位決定戦 決勝 1 次リーグ 都市間距離と TGV 所要時間 3 : 00 2 : 00 4 : 10 4 : 10 2 : 00 2 : 50 5 : 00 2 : 30 2 : 30 4 : 30 PariS 1 : 05 Bord. 581 2 : 00 Lyon 512 639 731 Mars. 351 1082 682 863 M. Pel. 178 329 1060 504 841 Nan. 880 1001 650 615 376 396 St. Et. 709 388 410 59 790 658 571 364 Toul. 585 633 247 425 576 800 257 838 ( ョコが鉄道営業キロ、タテが所要時間。時間のないものは TGV の連絡なし ) 1 , 250 350 500 750 1 , 850 500 2 , 950 850 250 300 490 1 , 150 300 1 , 750 St. Denis 500 185 250 350 800 950 ( 税込み額面、 他会場 145 200 250 300 200 St. Denis 200 145 200 250 300 350 フランス・フラン、 1 フラン = 約 23 円 )
力的にはきわめてきっかった。 ところで、観戦する方は毎日の仕事になるが、参加各チームにとっては、一次リーグ の間は五、六日に一試合のゆっくりした日程だった。たとえば、日本チームは六月十四 月日の日曜日に緒戦のアルゼンチン戦を戦い、以後二十日の土曜日に第二戦のクロアチア 戦、そして二十六日の金曜日に最終ジャマイカ戦と、すべて中五日の休養日があった。 試合内容の高さが違うので比べようもないが、試合間隔だけから言えば、毎週水曜日と 肌土曜日に試合があるリーグよりも、よほど楽な日程である ( 日本チームが毎週週末に試 合をすることになったのは、次期開催国日本での。ハプリシティー目的で、週末のゴールデンタイ 々ムにテレビ放映できるようにという—の配慮のためである ) 。 ところが、決勝トーナメントに人ると、急に日程はきつくなる。六月二十六日にクロ アチアとの一次リーグ最終戦を済ませたアルゼンチンは、中三日おいて三十日には決勝 ーナメント一回戦のイング一フンド戦を戦い、延長・戦の激闘の末、イングランド を下した。イング一フンドも最終日のコロンビア戦から中三日だったから、両チームとも ヴ げ延長後半には疲れきって、運動量は急激に落ちた。 そして、この試合に勝ったアルゼンチンは、準々決勝も中一二日の七月四日。相手は、 中四日の休養をとれるオランダである。さらに、もしアルゼンチンが準々決勝を勝ち抜 月 いたとしても、次はなんと中二日で七月七日に準決勝という強行日程であり、その準決 勝の相手も、中三日の休養をとるプラジル対デンマークの勝者なのだ。休養日が五日も
フランスが一人少なくなって、クロアチアはストツ。、 ノーだったビリッチを中盤に上げ て、 4 ー 4 ー 2 の形で反撃に移るが、もう粘りは残っていない。フランスは、ジョルカ エフに代えてルプーフを投人し、プテイも最終ラインに下げて、ファイプ・ハックで守り 切った。 独立国家としてはワールドカップ初出場のクロアチアにとって、準々決勝でドイツを 破って準決勝まで進んできたことは満足すべき成果だったはず。地元としてどうしても 決勝に進みたいフランスとは、モティベーションに差があったとしても不思議はない。 チ地元チームに対して守備を固めてカウンターで得点して勝っというプランがうまくいき 口かけたのに、先制ゴールの直後に同点とされ、さらに同じ選手に二点目を奪われ、集中 x が切れてしまったのだろう。 フランスが初の決勝進出を決めた。その夜、シャンゼリゼを中心に。ハリの中心街は数 十万の人波で埋まった。 ラッキーポーイ、テュラムの登場というプラスと、プランの退場というマイナス。好 け材料、悪材料を抱えながら、フランスが地元での初優勝を目指してプラジルに挑戦する 8 ことになった。「初優勝」と簡単に言うが、これがどれだけ大変なことなのかは、ワー 月 ルドカップの歴史を見れば明らかだ。 今回フランス大会でワールドカップは十六回目になるが、前述したように、これまで
と一九八六年大会の、計三回準決勝にまで顔を出しているが、いずれも準決勝で敗れて、 決勝には進めなかった。 気温は二十二度あり、コンディションは良好。 フランスは、攻撃のフォーメーションを二つ持っているが、この日も準々決勝と同じ く、ギ・ハルシュのワントップだった。 フランスは、いつものように立ち上がりから攻勢をかける。 4 分にジダヌが打ったシ ュート ( ゴールキー。ハ ー正面 ) を皮切りに、クロアチア・ゴールを攻め付ける。 7 分に右 チサイドでのフリーキックをジダヌが左に振り、リザラズが上げたクロスをジョルカエフ ト一フップしたため、ディフェンダーにクリアさ がペナルティーエリア中央で受けたが、 れてしまう。 7 分にはジダヌのロングシュート。クロアチアも、Ⅱ分にポバンのロング ス 力。ハスが、デサイーとプランの間を抜け、シューケルが。へナルティーエリア内に持ち込ん だが、プランがコーナーキックに逃れる。だが、クロアチアのチャンスはこの一回だけ で、後は再びフランスが攻勢。幻分にはギバルシュのフリーキックをクロアチアのゴー ルキー ラディッチが弾いたが、ディフェンダーが拾って事無きを得る。 サ フランスの攻勢が一段落すると、分にはクロアチアらしい攻めが見られた。中盤ソ ルドから右タッチライン沿いを上がってきたスタニッチに。ハスが出て、スタニッチから 月 プラオヴィッチへの。ハスが通ったのだ。結局プラオヴィッチのドリプルがストップされ てしまったが、ソルドからスタニッチへの。ハス、スタニッチからプラオヴィッチへの。ハ