るのではないかと考えています . 特にこういうアプローチは生命系 や社会のような歴史性をもった系には必須なのではないかと考えて いるのです . 参考文献 『荘子』内篇 ( 岩波文庫 ). ボアンカレ『科学と方法』 ( 岩波文庫 ) . カオスの教科書は今やたくさん出ています . 日本語訳のものでは , ベルジェ , ポモウ , ヴィダル , 相沢洋二訳『カオスの中の秩序』 ( 産業 図書 , 1992 年 ) など . 短い解説ではクラッチフィールドらによるも の (Scientific American ; 日本語訳 , サイエンス 1985 年 9 月号 ) . カオスを基に脳の働きを考えようとする試みについては , 津田一郎『カオス的脳観』 ( サイエンス社 , 1991 年 ). 複雑系について , 金子邦彦・津田一郎『複雑系へのカオス的シナリオ』 ( 朝倉書店 , 1995 年秋出版予定 ) ( 後半は専門的ですが , 第 1 章はかなり一般向けに書 いたつもりです ) , 『日経サイエンス』「複雑系の科学」特集 ( 1994 年 5 月号 ) , 『数理科学』「複雑系の科学」特集 ( 1992 年 6 月号 ) など . 20 世紀この 1 冊 ! カオスでも自然科学一般でも 1 冊を挙げるのはほとんど不可能と思いま す . 自然科学では論文の集積として研究は進んでいくことが多く , かなり 影響を与えた本だとしても , 「 1 冊」とするのにはためらいが感じられて しまうからです . 量子力学にせよ , ゲーデルの不完全性定理にせよ , フォ ン・ノイマン , チューリング等にせよ 1 冊を挙げるのは困難です . もしカ オスで 1 篇論文をと言われれば , 反論が ( 特に数学者から ) 多いでしよう が , 僕は E. N. Lorenz, "Deterministic Nonperiodic Flow", J. Atmos. Sci. 20 ( 1963 ) 130 ー 141 を挙げたいと思います . どの分野でもそうだと思います が , 最初の突破口を開いた論文には , その後のその分野の可能性が詰めら れていることが多いのです . 複雑系の方はこれからどう発展するか期待と不安の入りまじった段階で す . 分野上 , 「 1 冊」とはなりにくいでしようが , あと 5 年の間に「 20 世 紀この n 冊」 (n l) が現れるのではないかと思います . 個人的には , 日 本の現在の複雑系研究の熱気の中から , そのようなものが生れてくると ( 期待をこめて ) 思っています . 170 ー第Ⅲ部 多元的論理に向かって
1 0 長谷川寿一 ( はせがわとしかず ) 1952 年川崎生まれ を [ 専門 ] ( 人間を含む ) 動物行動学 ( とくに配偶行動と社会システムについて ) [ 著書 ] U れ鹿ねれ市れ g C ⅲれれぉ (Harvard Univ. press), 「サルの文イヒ誌』 ( 平凡社 ) , 『動物社会における攻撃と協同』 ( 東海大学出版会 ) ( いずれも共著 ) . [ 一言 ] 「論文が書けない症候群」とでもいうべき現象が蔓延している . ほとん ど完成しているのに提出を見送る , 行き詰まって不登校になる , 自尊心を捨て て他人にすがりつく , 等々ー - みんな身近な実例だ . 思えば自分自身もそうだ った . 大学人はこれまでこの症候群に正面から対処してきたのだろうか . 論文 執筆を一種の通過儀礼とみなす精神主義的風潮は根強いが , もっと効果的な論 文指導がなされてしかるべきだろう . 論文執筆は排泄ではなく出産なのだから . 長谷川博子 ( はせがわひろこ ) 1957 年岐阜市生まれ [ 専門 ] フランス近世・近代史 [ 著書」『制度としての女』 ( 共著 , 平凡社 ) 『社会科学の方法Ⅸ歴史への問い - 鵞′ / 歴史からの問い」 ( 共著 , 岩波書店 ) . “。驀 [ 一言 ] 東京にきてようやく一年 . 大学と宿舎 , 息子の保育園の三点を往復す る単調な毎日ですが , 通勤のストレスがなくなった分とても健康になりました . 改革であわただしい雰囲気のある駒場ですが , それでも恵まれた環境にあるこ とにはかわりありません . そろそろ本腰を入れてじっくりと仕事をしたいなと いう気になりつつあるこの頃です . 藤井貞和 ( ふじいさだかず ) 1942 年東京生まれ [ 専門 ] 日本古典文学 , 表現史 , 現代詩 [ 著書 ] 「ロ誦さむべき一篇の詩とは何か』 ( 思潮社 ) , 「物語の結婚」 ( 創樹社 ) , 『物語文学成立史』 ( 東京大学出版会 ) , 『藤井貞和詩集』 ( 思潮社 ). [ 一言 ] 声は表情をもつか , 声は書けるか , 書く語りや読みあげる詩は成り立 つか , 文字の動きなど , 矛盾したことばかり考えているこのごろ . 船曳建夫 ( ふなびきたけお ) 1948 年東京生まれ [ 専門 ] 文化人類学 ( 儀礼と演劇 , 世界志向システムなど ) [ 著書 ] 『現代の社会人類学 1 ー 3 』 ( 共編 , 東京大学出版会 ) , 「国民文化が生ま れる時』 ( 共編 , リプロポート ). [ 一言 ] 小さい頃の夢は有名になって , 「人に歴史あり」という番組に出て , 小 学校の担任の先生に再会する , というものであった . 実は今なお , その夢は捨 てていない . しかし , 有名にもならず , 八木アナウンサーは亡くなり , 「人に 歴史あり」も無くなった . もう時間はない . そこで先日この本を贈ろうと , TV 局の力は借りず , 自力で安部未来子先生の住所を探すことを決心し , つい につきとめた . 一生の夢の半分はかなった感じがする . ろ 20 ■執筆者紹介
・論理を書く 歴史の工クリチュ 「女の場」をめぐって 長谷川博子 ー丿レ 今 , 1 つの実験を試みています . と言いますのも , 8 年前に発表 した論文を , 今の時点でもう一度検討し直し , 再解釈の可能性を探 ろうとしているのです . その論文というのは , 「権力・産婆・民衆 18 世紀後半アルザスの場合」と題された歴史学の個別実証研 究に属するもので , 1986 年 8 月の『思想』という雑誌に掲載され ました . 内容は , 次のようなものでした . フランスでは 18 世紀後半になると , 地方長官と呼ばれる国王直 属の地方官吏たちによって , 地方の管区中心地において助産技術の 講習会が開設されるようになります . 農村部の女性たちを集めて , いわゆる助産婦というものが養成されるようになるのです . アルザ スやロレーヌのようなパリから遠い地方にもこの変化はやってきま す . しかしその際 , そうした動きは必ずしもすんなりと人々の中に 受け入れられていったわけではありませんでした . 村の女たちはし ばしば , 講習会を終え助産婦として資格証明書を携えて帰村した女 にはげしい憎悪や嫌悪を表明し , 彼女によって助産されることを拒 みました . 村によっては , 村の女たちゃ吏員たちによってそうした 助産婦をその職務からおろすための請願が行われ , 助産婦を弁護す る一部の人々とそれに反対する大多数の村人との間に , 長期にわた る争いが継続しました . 助産婦と言えば , 現代では出産に不可欠な存在であると考えられ , こうした現象はわたしたちにはなかなか理解しにくいものがありま す . なにゆえに , この時代の人々はそれほどまでに助産婦をめぐっ て紛糾しなければならなかったのか , いったい何が問題だったのだ ろうか . そのような問いから出発したわたしは , 文書館に保管され 272 ■第 V 部論理のプラクシス アンタンダン
ると , 車の準備に向かいます . 紫上の住む家に来て , お車をしずかに引き入れて , 惟光が , 妻戸 を鳴らし咳払いをしますと , 乳母は , 惟光であるとわかって出てき ます . 「源氏の君がきていらっしやる . 」と惟光がいうと , 乳母は どうしてこんな 「幼い人 ( 紫上 ) はお寝みでいらっしやって・・ 明け方に君はお出でになっているのか . 」と , 何かのついでに立ち この「思って」 ( 原文「思ひて」 ) 寄りなさったのかと思って言う . は , 古文の読み取りとして , 「思っている表情をして」という感じ でしよう . 外面からのようすを言うので , 語り手 ( 書き手 ) が観察 する乳母の表情と考えてもいいし , 惟光がほの暗闇に見る乳母の表 情であってもいい . 乳母の内面において本当にそう思っていること が表情に出ているのか , 思っている表情をして見せているのか , れだけでは分かりません . このような「思ひ」という語に注目でき るようになってくれば , 古文の読み取りが深まった , というところ でしようか . 「物」の記号的意味 [ 源氏 ] 「宮 ( 父宮の邸 ) へ ( 紫上を ) 移しなさるらしいと聞いて , そのまえに ( 紫上に ) 申しておこうとて・・・・・・」 [ 乳母 ] 「なにごとでござりましようか . どのようにはかばかしい お答えを申し上げなさるのであろうか . 」 おほむ 「お答えを申し上げなさるのであろうか . 」は原文「御いらへ聞 こえさせ給はむ . 」で , 「させ給ふ」と熟すのは , 一段と高い敬意を あらわす表現であるらしく , お答えし申す紫上への乳母の敬意が高 く表明される言い回しだ , と考えられます . 乳母はそう言って「うち笑ひてゐたり . 」 ( すこし笑って座ってい る ). 源氏が懸案について解決策をだしてくれると考えて , 満足げ に小さく笑い声を出して座っています . まだ明けやらぬ暗闇ですか ら , 声から源氏は乳母のようすを知ることができるのです . 源氏が寝室にはいるのを , 乳母は止めるわけにゆきません . 何心 紫上の運命を縫いつける・ 127
ていた当時の裁判史料や行政上の記録を探索し , この問題の背景や 事件の経緯を探っていきました . そして 18 世紀のフランス社会の 中でこの事件がもっていた意味を , 言わば謎ときのような形で , そ の当時の社会状況と関連させながら考えていきました . この論文は言わば筆者のエチュード ( 習作 ) とも言うべきもので あり , 思い出深い作品の一つです . 現在の時点からすれば , あれこ れと論難することはできますが , 少なくともその時点での筆者に可 能な最良の成果でした . それなのになぜ , 今になってこれをわざわ ざ引っぱりだし , あらためて問題にするのか , それには理由があり ます . まず , この論文を発表してから現在までの間に , 準備段階か ら数えると正確には 10 年近い歳月が流れているのですが , この間 に自分自身の認識が微妙に変化してきたということがあります . そ のため過去に行った自分の研究に対して「何かがちがう」という違 和感があり「それじゃ , どうすればよいのかしら」という疑問がず っと心の中にくすぶっていました . そこでまずはこれをなんとか整 理してみたい , そして何がどのようにちがうのか , 何をどのように すればそれをのりこえていけるのかということについて改めて考え てみたい , そのような思いがしだいに大きくなってきたのです . こうした感覚は , ある程度長く研究者をやってきた人であれば , 誰しもが経験することではないでしようか . 若いときから老いるま で , 自分自身のパラダイムがほとんど変化しないとか , 過去に述べ たことがすべて無謬のまま生き続けているという人はまれであり , それらが変わらないと主張する人があるとすれば , それはかえって 不思議なことに思われます . なぜなら学問上の認識 , すなわち人間 の認識というものは , 個人の偶然的な , あるいは社会の限られた経 験や情報の制約を受けていますから , それは常に歴史的な限界をも っています . したがって社会の変化や自分自身の変容 , 経験の拡が りとともに , 対象をみるまなざしや捉え方も微妙に , あるいはドラ スティックに変わっていかざるをえません . ですから , ある時点で の発想の枠組みやそのとき書かれた叙述は永遠不変の変わらない真 理なのではなく , いずれは変化していかざるをえない相対的なもの 歴史のェクリチュール・ 273
合の熟練 , 技能 , 判断力の大部分は , 分業の結果であった」 . これ はまるで , 分業が仕事を専門化させることはすなわち卓越性をもっ ことだ , と逆のことをいっているかのようです . 実際 , 分業のもと での断片化された作業でも , ハイテク商品についての手作業仕事の ように , アーレントのいう芸術的なまでの仕事も存在するはずです . 「オタクと専門家は紙一重」ということです . このように分業は , 労働に生産性と単純性 , 卓越性と単調性を持 ち込むといった具合に , 矛盾を孕んでいます . こうした矛盾を解こ うとする努力が , アメリカおよび日本における産業の論理 , すなわ ひとつは , 自分のペースで仕事をする労働者を経営者の指図に従 労働生産性を高めるために , 2 つの課題に答えようとしました . ・システム」によって限界にまで精緻化されました . テーラーは , 世紀末になって , F. W. テーラーの編み出したいわゆる「テー スミスがピン工場で見た古典的な分業は , 100 年あまりを経た フォーティズムについて ちフォーディズムと日本的経営でした . フ 19 フォーディズムと日本的経営■ 219 りました . テーラー・システムのように労働生産性を高める技術革 ところが世紀の転換期における市場は , 次第に変貌を遂げつつあ に管理しようとするものでした . 知識によってマニュアルを作り , それによって未熟練労働を効率的 テーラーの発想は , どこの出身の誰にでも通用するような普遍的な しました . こちらは「科学的管理法」と呼ばれています . 要するに ける作業工程を細かい動作に分解し , 不必要なものを省いて再構成 単純動作を練り上げることです . そのために , テーラーは工場にお 練の労働者にも即座に取りかかれ , しかも作業速度を上げるように , 同時に仕事から自律性・主体性が失われました . ふたつめは , 未熟 って肉体労働者は精神労働ないし頭脳労働から解放されましたが , 「構想 ( 精神労働 ) と実行 ( 肉体労働 ) の分離」と呼ばれ , それによ 断力などの自律性を奪い , それを経営側に集中させました . これは わせる , というものです . そのために労働者から仕事上の熟練や判
挙げさせてもらいました . 「科学は日常的な生活世界を基盤にして成立し 得るものでありながら , 近代科学はその成立の当初からこの事情を「隠 蔽」してきた . それゆえ科学的真理の意味を最終的に明らかにするには , 生活世界へと「還帰」しなければならない」というこの著作のテーゼは , 哲学を超えて社会学や心理学 , そして科学論に大きな影響を与えてきまし た . フッサール自身は , 本論文で見たような科学と技術の結び付きを必ず しも主題化している訳ではありません . しかし「科学と生活世界」という 問題の捉え方は , 現在でも , というより現在のように科学が技術と不可分 に結び付き , わたしたちの生活世界に決定的な影響を与えている時代に そ , その真価を発揮するように思われます . 2 50 ー第Ⅳ部 歴史のなかの論理
会を実現するに至る発展の経路を段階モデルで描いたり , その各段 階で必要とされる人口増加 , 核家族化 , 都市化 , 巨大組織の発生 , 官僚主義化 , 世俗化などの条件を示したり , また産業社会の成熟し た姿を福祉国家やイデオロギーの終焉によって規定したりしたもの でした . これらの書物が著された背景には , 当時 , 発展途上諸国が工業化 を進めるために社会主義体制をとったことがあります . 当時の産業 社会論は , こうした傾向に対抗するための論理という性格を併せ持 っていました . つまり , それは工業化を進め , それを通じて豊かな 社会を築くための体制として資本主義の方が優越していることを主 張するという体制選択論でもあったのです . ちなみにロストウの書 には , 「非共産党宣言」の副題がつけられていました . 社会主義の 経済体制がソ連や東欧において崩壊し世界史から退場を余儀なくさ れたという現時点での後知恵からいうと , その限りでは 60 年代ア メリカの「産業社会論」の目論見は成功していたといえます . けれども今世紀の産業社会は , 今もなお変貌し続けています . 工 業中心社会においてもそこに生じた様々な矛盾を取り除くために 株式会社制度やケインズ経済政策 , 最低賃金制度 , 社会保障制度な どの諸制度が発生し , その後に現れた脱工業社会における第三次産 業はこれらの制度をも含む形で拡充されました . つまり第三次産業 は , 前近代的な第一次産業中心国においても存在する商業などとは 異なったものに進化しているのです . 製造業においても , 情報関連 のハイテク商品が作成されたりしています . つまり , 昨今では一 次・二次・三次といった産業の区別がなし崩しにされつつあるわけ です . それゆえ , 本章では脱工業社会と呼ばれるような社会も広義の産 業社会に属するとみなすことにしましよう . 第何次産業に重心を置 くかといったもの以外に , 産業社会の定義を求めようということで す . そこで , 産業社会とは企業を生産活動の主体に据えつつ生産性 の向上をはかろうとするような社会のことだ , という定義を採用し てみます . 企業が主体ですから , そこでは分業や投資 , 技術革新な フォーディズムと日本的経営・ 215
生まれるという例です ( 図 8 ) . 参考文献 本文中 , ソシュールの『一般言語学講義』は , F. de Saussure, c 虎 れ g ⅵ s 4 g 行観 e , éd. par T. de Mauro, Payot, 1978 から引用 . ャーコプ ソンは , ロマン・ヤーコプソン『一般言語学』 ( 川本茂雄監修 , みすず書 房 , 1973 年 ) 中の論文「音声学と音韻論」を参照 . バルトは『神話作用』 (). Barthes, Mythologies, éd. du seuil, 1957 / 1970 , 邦訳は現代思潮社から抄 訳で刊行 ) , レヴィ = ストロースは , 『神話学第 3 巻 : 料理法の起源』 (CI. Lévi-Strauss : M ) , og お : I ' 0 g え des 川 0 ⅲ召 s de 地わ , PIon, 1968 , ナ「 訳未刊 ) , グレマスは『構造意味論』 ( 田島宏・鳥居正文訳 , 紀伊國屋書店 , 1988 年 ) を参照しています . 「リズム」に関しては , E. Benveniste, p 川わ - I のれ召 s I 朝 g ⅲ 1 化 , éd. Gallimard, 1966 中の論文 "La notion de 'rythme' dans son expression linguistique " ( 未邦訳 ) が基本文献 . それを 発展させたリズム論としては , H. Meschonnic, ⅲ 4 面襯 e , verdier 1982 ( 未邦訳 ) があります . クレーと記号については , R. クローン / J. L. ケナー『パウル・クレー 記号をめぐる伝説』 ( 太田泰人訳 , 岩波書店 , 1994 年 ) . 20 世紀この 1 冊 ! 1916 年フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』 ( 小林英 夫訳 , 岩波書店 , 1972 年 ) 20 世紀における知の「コペルニクス的転回」をもたらした書 . 20 世紀 は「ことばの世紀」であったといわれていますが , 「記号」 , 「意味」 , 「シ ステム」 , 「形式」 , 「価値」 , 「差異」など今世紀の知の問題系のあらゆるト ピックが , たしかにこの本のなかに読めるのです . しかし , この本は , 師の 死後 , 弟子たちによる講義ノートから合成されたもので , ソシュールの思 考は残された言葉の断片から遠い朝の光のように浮かび上がってくるのみ なのです . だから , この「世紀の 1 冊」は存在しない夢の書物でもありま す . そういえば , パース , ウイトゲンシュタイン , ャーコプソンら今世紀 における「ことばの知」の天才たちのだれひとりとしてことばについての 体系的な著作をついに完成させることはなかった . 「ことばの問題」は , あまりに世紀と一致して , わたしたちの知をいぜんとして強くとらえてい 限界の論理・論理の限界 92 ・第Ⅱ部 るのです .
ます . その意味で , 職人的な作業による仕事は , 一種の芸術的な活 動です . の人が尖らせ , さらには先端を磨き , 頭部をつけ , 光らせ , 紙に包 本のピンを作るのにある人が針金を伸ばし , 次の人が切り , また次 業において変容を迫られ , 単純な「労働」となったといいます . 1 びとに記憶され , 失われない . しかしそんな仕事は , 組織内での分 いうのです . その両者をそなえた作品の価値は , 消費された後も人 つまり本来ありうべき仕事は , 芸術性と社会性をもつものだ , と 分の作品を評価してもらおうという社会性ある欲求だととらえまし 収入を得ようとする個人的な欲求でなく , 交換を通じて他人から自 向」だといいましたが , アーレントはこの「交換性向」を , たんに るのは「一つのものを別のものと取引し , 取り換え , 交換する傾 獲得するだろう , と述べています . スミスは人間を動物から区別す ると評価されたなら , その製品は永続する価値を得 , 職人は名声を 事場での独居をやめて製品を携え市場に出向き , 製品が卓越してい の仕事の成果の価値を値踏みしてもらおうとするだろう , そこで仕 さらにアーレントは , 製品が完成したならば , 職人は他人に自分 み , ・・と順次 18 もの工程をもつピン工場を観察したことのある スミスもまた , こんなことを述べています . 「分業が発達すると , 労働によって生活する人びと , つまり人民の大多数の仕事は , 少数 のごく単純な作業に限られる . ところが , 大部分の人びとの理解カ というものは , 日常の仕事によって必然的に形成されるものである . 一生涯少数の単純作業を繰り返している人は , 人間として可能な限 り , 愚かで無知になり , 感情も荒れ , 私生活上の日常の義務や国の アーレントが堕落だと危惧したことです . ところがスミスは , その 入れて職人的な仕事を単純作業に変えてしまうこと , どこにでもあるようなピンの生産高を高めるために , 分業を取り 利害についても正しい判断がもてなくなる」 . これはまさに 分業について別なことも述べています . 「労働の生産力における最 大の改善と , 218 ・第Ⅳ部 どの方向にであれ労働をふりむけたり用いたりする場 歴史のなかの論理