ーなのです . ですからフロイトの分析治療が終了したあとで「狼 男」の面倒をみたフロイトの弟子プランスヴィックが , いよいよ深 く同性愛のファンタスムにとらえられてゆくこの有名な患者の姿を 報告しているのを訝しく思う必要は , いささかもないのです . しかしです . フロイトの精神分析学が成立するためには , どうし ても二人のフロイトが必要でした . 果敢に行動して連続殺人犯を逮 捕したのはクラリスだし , 不気味なギャグ漫画を笑い飛ばすのは読 者です . 論理によらないファンタスムを過小評価するのも間違って いますが , ファンタスムのリアリティーを奪う論理を過小評価する のも健全ではありません . ですから , 精神分析が明らかにした表象 の論理 = 知は , 危ういバランスの上でしか成立しないのです . フロ イトの精神分析学が理におばれて , 既成の学問ではみえない身体を とりにがしたという批判を聞くことが最近では多いようですが , 『千のプラトー』のドウルーズ / ガタリが糾弾するようにフロイト がそういう身体を何も理解しなかった , 何も知らなかったというわ けではありません . むしろ過剰に理解し , 過剰に知った上で危険な 綱渡りをしていたのです . したがってフロイトのテクストが仔細に みれば , クラリス的凡庸さをかいくぐってじつは「器官なき身体」 の話に満ち満ちているのも当然だし , ファンタスムに積極的にとら えられようとする現代芸術の身体をずばり言いあてていると感嘆さ せられる箇所にあちこちでぶつかるのも当たり前のことなのです . 冒頭の漫画の内と外に同時にいる論理とは , それ自体がファンタス ティックな出来事であり , この出来事のなかに身を躍らせることは 現代の知に許された最大の快楽にして冒険です . そして事実この冒 険を閲してこなかった現代の知などーっもないのです . あの字が実はどう読まれるのかを知りたいという理不尽な欲望に とりつかれたのは , けっして私だけではないはずです . 72 ・第Ⅱ部限界の論理・論理の限界
感じるあの無償の歓喜のように , あるいは人を好きになるときに働 く , 当人にも不可解きわまりない恋愛感情のように , 何の意味も根 拠もないものでもあるのです . なぜうれしいのか , なぜ好きなのか と聞かれても , 理論だてて答えられはしません . 夢という表象は , それが理屈で説明のつく願望の充足だから , ファンタスムのプロト タイプだというわけではないのです . 理屈では割り切れない理不尽 な胸のときめきを夢から覚めた人に残すからこそ , 夢はファンタス ムなのであり , 発音できるはずのない文字が鼻血を流しながら発音 できてしまうのも , 「狼男」が狼の夢から不安の叫びで身を起こす のも , すべてファンタスムの効果です . ですから , 体系という言葉 をファンタスムや表象に添えてつかっていますが , 理論化できるシ ステムという意味からではありません . 女性になることを密かに欲 望してしまっている男性が , この欲望に単に性器的快楽だけではな く , 衣裳や言葉遣い , 生活習慣などにおけるフェティッシュな欲望 を次々と連結してしまう , その欲望の自動的な連鎖作用だけがファ ンタスムを構造化しているということを , それは言いたいのです . それは体系だが , 決して理論化はできない . 理論化するにはわれわ れ一人ひとりがしてきた偶然というしかない体験にあまりに多くの ものを負っているからです . トマス・ハリスに『羊たちの沈黙』 ( 新潮文庫 ) という小説があり , 映画化されてアカデミー賞をいつばいとりましたから , ごらんにな った方も多いと思います . この小説もしくは映画で主人公の FBI 見習い捜査官クラリスが追う犯人は若い女を次々と殺してその皮膚 を剥いでゆく男です . この捜査に協力するのが , 自身が猟奇的連続 殺人を犯して禁固刑に処せられている精神科医レクターですが , 犯 人の狙いを理解できずにいるクラリスにレクターが , 犯人はどんな 欲求を満たそうとしていると思うかと尋ねる場面があります . クラ リスはそれに対して「怒り , 社会に対する反感 , 性的欲求不満」な どを挙げますが , すぐれた精神分析家でもあるとされているレクタ 限界の論理・論理の限界 内臓を喰らうというファンタスムに自らがとり憑かれて ーは即座に「ちがう」と否定し去ります . 他者の身体に噛みつき , 68 ・第Ⅱ部 引き裂き ,
たものではあるのです . ファンタスム こでついでにもうーっ吉田 ではファンタスムとは何でしよう . 戦車の漫画をみてください . これは今くどいほど詳細に分析してみ せた四コマのいわば続編とみなしてよい四コマです . そしてこれこ そがファンタスムというものの効果なのです . 自分にとって「おい しい」ものとは何かということについてのっぴきならぬ思いこみの ある人は , 平気で「珈琲」という漢字を「うどん」と読んでしまい ます . 「珈琲」という漢字が難しくて読めないのだというふうに考 えたら , この漫画はとたんにつまらなくなってしまいます . そうで はなくて , この男の子はむろん確信犯なのです . 「おいしい」とい う形容詞があればこの子の抱えている , あるいはこの子がとらえら れているファンタスム , すなわちある特定の思いこみの体系が発動 するのには十分であり , この子はそのファンタスムにしたがって , 「おいしい」ものは「うどん」でなければならないし , 「うどん」で あるはずだという信念を掲げて行動してしまうのです . 教育の成果 や生活の習慣によってわれわれが習得し , 毎日を暮らしてゆく上で 受けいれている「現実」とその約束事など , ファンタスムの効果の まえでは簡単に効力を失ってしまいます . ファンタスムによって体 系づけられた無意識の欲望に身体を貫かれている人にとっての「現 実」とは , フロイトがその重要性を強調して止まなかった「心的現 実」以外のものではありえません . ファンタスムとは語源的にファンタジーと同じ言葉なのですが , ふわふわと不定形に漂う感情のようなものではありません . それは すでにみたあの無意識の表象に媒介されて , 普段は「現実」に沿っ て統合されていると信じているわれわれの身体や , 「現実」を正し く認識していると思いこんでいるわれわれの知覚の表層へと , 奇怪 な形を伴いつったえず滲み出してきて , 身体や知覚を攪乱させるも のなのです . この表象体系は , ところがまた , われわれがおいしい ものを食べたとき , 美しいものを身にまとったときに身を貫くのを 66 ・第Ⅱ部限界の論理・論理の限界
タスムのオンパレードであり , ご丁寧に『羊たちの沈黙』のモデル になったエド・ゲイン事件をトマス・ハリスに説明して聞かせたの がこの本の著者にして心理分析官であるロバート・ K. レスラーだ ったということまでが , そこでは披露されています . ファンタスムという , 論理ではとらえられない無意識の表象作用 . フロイトが精神分析学という学問の名において発見したものがこれ でした . ファンタスムとは , それにとらえられている人にとっては , 言葉に還元できない , つまり身体のすべてを挙げて何度も体験しな おさねばならない , 徹頭徹尾身体的な欲望なのです . 無理に言語化 しても , あの発明された字のように , 言葉が身体と化してしまうだ けです . フロイトはこのファンタスムを呼び出すのに , 皮肉にも , 言葉を用いた自由連想法という分析治療の方法を編み出しました . つまり患者には , あらゆる配慮を排して , 思いっくままに自由に話 せと命じ , 分析医にはいわば振動板のように患者の言葉に共振して , 注意力を一点に集中することなく , 自由に漂わせておくよう助言し たのです . 狙いは言葉によって , あの吉田戦車の漫画のような判じ 絵的文字 ( もちろん書かれるのではなく発音されるだけ ) の表象作用を 喚起するためでした . たとえ言葉を介してではあっても , ともかく 表象されなければ , いかなるファンタスムの体系がそこに働いてい るのかを知ることすらできないし , また一方では , この表象には通 常の意味作用は期待できないから , すぐに意味作用を結晶させてし まいかねない注意力をできるだけ分散させておこうという戦略です . したがって逆にいうと , 分析治療の現場での分析医 = フロイトは , あの漫画では , 読めないはずの字にじつは備わっていた音に共振し つつ冷や汗を流している先生のポジションにいることになり , 『羊 たちの沈黙』では , 犯人を懸命に追ってはいるのだが , つい凡庸な 論理によってファンタスムを凡庸に説明してしまうクラリスよりも , カンニノヾル むしろ共犯者ともいうべき精神分析医「人喰い」レクターに重なる ことになります . 分析するフロイトを宰領している知は論理ではあ りません . それは勘というしかないものであって , フロイトの実際 の症例研究は , カンピューターといわれるプロ野球の監督など易々 70 ー第Ⅱ部限界の論理・論理の限界
して近づくことができない他者に身をゆだねるために , 東洋を取り 込もうとしてきたように思います . この傾向は私たちのごく身近に も見つかります . というのは , あなたもご存知の現代の作家たちに おいても , という意味ですが . 日本文化と「形式化」 A あなたはきっと , バルトとあの有名な『記号の帝国』のこと を考えているんですね . あの本は , すでに自分の国で探していたも のを日本に来て発見した , 西洋の記号論者の夢想でしかない , 彼に とって日本は , 自分自身や他人 , ものや言語に対するある種の存在 のあり方のおかげで , 意味やシニフィエ , つまりあなたが超越と呼 ぶものの支配から解放してもらえる場だったんだ , とこういうわけ ですね . 彼の「空虚な記号」という概念は正確には , 意味の欠如へ のこうした呼びかけの中でしか意味をもたないのであって , しかも その呼びかけは , バルト自身のファンタスムに属しているだけだと . B そう , 例えばそういうことですね . なんにせよ , 想像的投影 といっても , 具体的規定 ( 東洋は , 女性的で受動的で神秘的で恐ろしい もの , 等々 ) を避けられることがわかります . イメージや特殊な内 容なしに , 論理や行動のシステムにだけかかわることもできる . だ から警戒しなくてはいけないまた別の危険もあるんです . つまりあ なたが高く評価している外からの視点は , ファンタスムやイデオロ ギーの効果ですらなくて , 認識上の , たんなる反射的な反応かもし れない . 未知の対象の前では , 人は当然 , 多少ゲシュタルト主義者 になる傾向がありますしね . 未知のものの上に , いつも使っている 関係の形式や認識上のシェーマを投影してしまうんです . 外国文化 が , しばしば形式的に , さらにはより形式主義的に見えるのは , き っとそのせいなのでしよう . こで私が感じている困惑もまさにそ れなんです . というのも , あなたは日本の文化について , 私に質問 しようとしているわけだけど , 逆に私のほうがあなたに聞きたいと 思っていたのは , その日本文化がある種の形式主義に与えている位 置についてだからです . ほら , 日本の「スノビスム」に関するあの 「型」の日本文化論■ 201
と顔色なからしめるような , 天才的な飛躍にみちみちているのです . ところがフロイトはもう一人います . それは冒頭の漫画に即して ニ人のフロイト カンニノ均レ 言葉が身体と化す・ 71 妙な心の綾を知っているのはクラリスではなく , 「人喰い」レクタ プレックスの理論によって癒されるものでもありませんでした . 微 ったし , この夢が誘発した「狼男」の症状は , 逆オイデイプス・コン 必ずしもフロイトの理論どおりに原光景へと翻訳される必要はなか した一面があります . 「狼男」を根底では魅惑していた狼の夢は , の理論がその典型でしよう . あるいはフロイトの夢の理論にもそう イトが提唱した , 解読装置としてのオイデイプス・コンプレックス には , 説明するクラリスが顔を出してしまうのです . たとえばフロ の二重作用が , そうした戦略を可能にします . ところがそんなとき す . 判じ絵でもありうるが , 透明な論理をのせることもできる言葉 理の方へファンタスムを回収する道を開いておくためでもあるので です . 自由連想法による分析治療が言葉を介して行われるのは , 論 ンタスムをどうしても論理の枠のなかに閉じこめる必要があったの ないという , 医者としての実践的かっ倫理的な要請によって , ファ 自らがそうしたように , 患者をファンタスムから引き離さねばなら 成の学問体系のなかに位置づかせようという願い , もうーっには , フロイトには二つの理由から , すなわち一つには精神分析学を既 しまうことになります . いてそれなりに鮮やかに , そしていくぶんかは浅薄に読み解かれて 存の大脳生理学 , 生物学 , 熱力学などの論理を華麗にかっ巧妙に用 によって何度も象形文字にたとえられた夢や症状という表象は , 既 と , 発音できない象形文字でも解読されるのだから , フロイト自身 ってあの字の表象作用をなんとか解説しようと試みます . そうなる から離れていて , はじめからあれが読めないものだという前提にた 読めないことが分かっている読者 = フロイトは , すでに分析の現場 聞けないわれわれ読者のポジションにいるフロイトです . あの字が いえば , 漫画の外にいて , 読めないはずの字が読まれるのを決して
いるレクターは , 犯人の欲望が , クラリスの挙げるような「常識的 な」根拠に基づくはずがないことを , ほとんど身体感覚的に知って いるのです . 結末を読め ( 観れ ) ばたちまちわかることですが , 犯 人がほしいのは輝くような女の「皮膚」なのです . 皮膚を剥がすこ とが何かの感情の代理をしているわけではありません . 文字どおり 皮膚が欲しくて , 女を殺しているのです . この男にとって女とはな めらかな「皮膚」なのです . できるだけ完全な皮膚の各部分を集め てそれを縫い合わせ , それを被ることによってこの男は成虫 ( イマ ーゴ ) に脱皮したいと願っているのです . 特殊な蛾とその幼虫を巧 みにプロットに織り込んだこの小説でも説明されているように , イ マーゴとは精神分析において重要な概念で , 両親のイメージのこと を意味しますが , この犯人の場合には , それは輝くような美しい皮 膚をもっていた母親のことになります . しかしだからといって , 精神分析にはつきもののオイデイプス・ コンプレックスの変形がそこにあてはまるというわけでもありませ ん . この男は性転換などを望んでいないことが小説ではしきりに強 調されていますし , 「狼男」が抱いた , 性交する母親と代わりたい という欲望などもいっさいほのめかされていません . この男はおそ らく , かってもろい自我をしつかりと抱き留めてくれた母親の皮膚 を取り戻したいだけなのです . 今現実に自分を覆っている皮膚では 自我を支えきれない , この穴だらけの皮膚では自我が溶けだしてい ってしまうという恐怖でいつばいになったこの男は , ただ容れ物を 必要としているだけです . たとえば健全な常識はそうした容れ物の 機能をはたすのですが , この男の場合には , それが短絡的に母親の 皮膚そのものであり , それがファンタスムとなって何がなんでも母 親 = 女 = 皮膚を手に入れたいともがいているのです . 小説ではむろ んそこまでは説明していません . ファンタスムは説明しきれるもの ではないからです . ですが , しよせん絵空事でしかない小説が説明 しないままで放り出すのはあたりまえだとうそぶく向きには , 最近 話題になった『 FBI 心理分析官』 ( 早川書房 , 1994 年 ) という本の一 読をおすすめします . まさに犯罪として表象された不可解なファン 言葉が身体と化す・ 69
にくいのですが , 新字の読みを聞かれたとたんにこの男の子の鼻か ら流れ出す血と呼応して , これがどう読まれるかに , 汗も血も出る いわば生身の身体そのものが賭けられていることを物語っているか らです . 新字の表象作用が距離をおいて眺めていればよい対象のレ ベルにとどまるのかどうか , むしろそれが距離のとれない身体に密 着した現象 , いやむしろはっきりと身体現象そのものになるのでは ないかという問いが , そこでは決定されようとしているのです . 三コマ目は , 新字の読みにかかる途方もない重み , ただの判じ絵 と , 読めないはずなのに読めてしまう新字のあいだに介在するほと んど超えがたい距離を , 張り出されていた文字を消すことによって , また男の子と先生が共有する重苦しい沈黙をそこに淀ませることに よって , 鮮やかに了解させてくれますが , この絵を経て , 四コマ目 ではついに , 恣意的に発明されたこの奇怪な字が読まれ , 音として 発せられてしまいます . 一体そこでは何が起きたのでしよう . 読め ないはずの文字が読まれてしまった . それが読めないはずだという ことは , 現に四コマ目をみるわれわれにその字が読めないことから も明らかです . それなのに絵のなかでは男の子の声帯によってその 音がたしかに発音され , 発音された音が先生の鼓膜をふるわせてい ます . 四コマ目の決定的な吹き出しは , そのことを示しているはず です . 結論は一つしかありません . ーコマ目で提示された新字という表 象が四コマ目にいたって , 単に男の子の内的妄想にとどまらず , 男 の子と先生のいる現実を犯しはじめたと考えるべきなのです . 男の 子の妄想の形がこの子の身体を含む周辺にあふれ出してそれを規定 しはじめ , 先生はそのありえない音を聞いたことによってこの妄想 に全面的に巻き込まれてゆくことになる . これが , 読めないはずの 文字が読まれたという事件が引き起こした事態なのです . 吉田戦車 はこの大上段の解釈を聞いたらきっと笑うでしようが , この漫画は ファンタスムによって人がとらえられ , その人にとっての現実 , そ の人の現実への対応などをこれからこのファンタスムが染め抜いて ゆくことになるその一瞬を , 不気味なくらい簡潔に切り出してみせ 言葉が身体と化す・ 6 う
はじめに 第 I 部・言侖工里の・発明ーー 20 世紀の知のダイナミクス・・・小林康夫 第Ⅱ部・限界の論理・論理の限界一世紀の方法原理 Ⅵ・目次 ・疑う 論理を行為する・ 疑いと探究 ・見る 見ることの限界を見る 現象学とアウシュヴィッツ ・知覚する 訒知と神経の「場」・ ロ心、 自己組織的人間学 ・表象する 言葉が身体と化す・ 精神分析とファンタスムの論理 ・意味する 構造とリズム・ ソシュール vs. クレー 第Ⅲ部・多元的論理に向かって一 商品交換形式を超えるもの 市場原理と共同体の問題・ ・交換の論理 文化人類学と成熟 神話論理から歴史生成へ ・構造の論理 『源氏物語』の「語り」と「物」 紫上の運命を縫いつける・ ・物語の論理 パフチンとポリフォニックなく若さ〉 生成する複数性・ ・対話原理 べイトソンと精神のエコロジー ころを生けどる論理・ ■ダブル・ . バインド ・・野矢茂樹 ・・高橋哲哉 ・・下條信輔 ・・石光泰夫 ・・石田英敬 ダブル・バインドからカオスまで 1 27 う 6 74 17 41 ・・・佐藤良明 ・・・桑野隆 ・・・藤井貞和 ・・山下晋司 ・・・丸山真人 9 う 107 リ 2 147 119
■表象する 言葉が身体と化す 精神分析とファンタスムの論理 石光泰夫 ・意識を根拠にした近代的な主体概念にとって最大の脅威は , フロイト が発見した無意識の論理 , そして抑圧という論理でした . 抑圧によっ て , 主体のく欲すること〉とく知ること〉のあいだに決定的な断絶が入 ります . しかし , それは同時に , 身体の論理でもあったのです . (K) 『伝染るんです』 まず何はともあれ , 次のページの四コマ漫画をみていただきたい . これはお馴染みの吉田戦車の『伝染るんです』第 1 巻から拝借して きたものです . 全 5 巻から成る『伝染るんです』の圧倒的なナンセ ンスの氾濫のなかでも , この漫画はほとんど傑作と呼びたいくらい のぶつつんぶりでひときわ輝いているものです . ところが誰もが大 変ュニークだとおもわず納得させられてしまうこの漫画の , そのユ ークさ , さらにいえば不気味さは , きちんと説明するのがじつは 意外に難しい . むろん以下でその難しい説明をあえて試みてみよう という魂胆があるからこそ , この漫画をここに掲げました . 四コマ 漫画をくだくだしく解説する野暮は十分承知しているつもりですが , この漫画は「表象」という問題の一番肝心なポイントを , それこそ 気味が悪いくらい鮮やかに指し示してくれているので , 少々の野暮 には目をつぶっていただいても , 議論のとっかかりとしてこれを逃 す手はないと考えたからです . さてそこでこの漫画の , 読む人をおもわずうならせるプラックな ところはいったいどこにあるのでしようか . かわうそ君をはじめ , 様々な登場人物でにぎわう『伝染るんです』の世界で特に第 1 , 第 2 巻に頻繁に登場するこの , 頭に包帯を巻いた子どもは , 別の四コ マでは電車のなかで「幼い頃 , 心に深い傷を負った方」のための優 う 6 ・第Ⅱ部限界の論理・論理の限界