「文明の , この分解の過程の最高度の表現を研究することに捧げら れた学問の名は , 人類学 ( アンソロポロジー ) よりもむしろ『エント ロポロジー ( 工ントロピィーの学 ) 』と書かれるかもしれない」 25 ). しかし今の私は , 人類学を「エントロピィーの学」あるいは「消 滅の語り」ととらえるより , 「生成の語り」としてとらえることに 魅力を感じます . というのも私は , 民族文化を失われゆくものとと らえるより , 次のロジャー・サンジェクの文化のとらえ方に賛同す るからです . 「文化は絶えざる創造の過程にある一一流動的で , 相 互に連関し , 伝播し , 相互に浸透し , 同質化し , 多様化し , 覇権化 し , 抵抗し , 再編成され , クレオール化し , 閉じているというより は開いており , 全体的であるよりは部分的であり , 越境し , 私たち が予期せざるところで持続し , 予期するところでは変化する」 26 ). 結語 そろそろ話をしめくくらなくてはなりません . レヴィ = ストロー スが取り出そうとした「人間精神」の普遍的構造は , 彼のいう「冷 たい社会」 , 自らを不変と考える停滞的な社会という概念に深く結 びついていました . しかし , 今日の文化人類学においては , このあ る種の「オリエンタリズム」ともいうべき想定が許されるのかどう か , きわめて疑問です . 60 年前にレヴィ = ストロースが歩いたア マゾンの奥地でも , 今日 , おそらく人びとは T シャツを着て , マ ドンナを聴き , コカコーラを飲んでいるでしよう . いや , 60 年前 においても , 100 年前においても , あるいは 200 年前においても 「伝統的文化」は「滅びつつあった」にちがいありません 27 ). とい うのも , 文化は , さきほど引用したサンジェクが言うように , つね に創造の過程にあるからです . こうした事態を西洋文明の影響によって伝統的 繰り返しますが , な民族文化が消滅しつつあるのだと私はとらえておりません . パプ アニューギニアのある村長は「開発とは自らの親族を発展させ , メ ンズ・ハウスをつくり , 豚を供犠することだ」と語ったそうです . ーの話に旨及しながら , サーリンズは , 社会が変化する仕方はその 神話論理から歴史生成へ■ 145
本村凌二 ( もとむらりようじ ) = コ 947 年熊本県生まれ 。 [ 専門 ] 西洋古代史 , 地中海社会構造論 [ 著書 ] 「薄闇のローマ世界 : 嬰児遺棄と奴隷制』 ( 東京大学出版会 ) , 「西洋古 代史料集』 ( 共編訳 , 東京大学出版会 ) . 言 ] ポンペイの遺跡には , なんど訪れても驚かされます . もはや知り尽く していると思うと , とんでもない自分の無知に気づかされる , ポンペイはそん な印象を与え , われわれを謙虚な気持ちにさせます . この古代の町から学ぶべ きことは , まだ無尽蔵に残されています . またそこに行く日とイタリア料理を 心待ちにしています . 山 - ・晋・司 ( やましたしんじ ) 1948 年山口県下関市生まれ [ 専門 ] 文化人類学 ( グローバリゼーションと民族文化の動態 ) [ 著書 ] 『儀礼の政治学一一インドネシア・トラジャの動態的民族誌』 ( 弘文堂 ) , 死の人類学』 ( 共著 , 弘文堂 ) , 「アジア読本・インドネシア』 ( 共編著 , 河出 書房新社 ) など . [ 一言 ] 私は 1970 年に文化人類学の学生になったので , 今年で文化人類学との つきあいははや 25 年目になります ( 銀婚式 ! ). が , 「少年老い易く , 学成り 難し」の心境です . もっとも人生 80 年時代には , 年齢は「七掛け」で考えれ ばよいといいますから , あせらないことにしています . 今「観光人類学」に関 する本を編集しており , 近いうちに「文化人類学そわかる」本を本書の編者の 一人である船曳さんと書こうと思っています . ろ 22 ・執筆者紹介
ーチの姿が凝縮されている . この理論と応用 , 静態研究と動態研究の 関係については稿を改めて考えてみたい . 20 世紀この 1 冊 ! イトルは『悲しき南回帰線』 ) があります . と室淳介訳 ( 講談社学術文庫 , 1971 年 [ 文庫化は 1985 年 ]. こちらのタ 文化人類学が始まりました . 邦訳は川田順造訳 ( 中央公論社 , 1977 年 ) 文化人類学への関心がめざめ , この本を捨て去ろうとしたときに私自身の のとらえ方だという気がします . 個人的にはこの本を手にしたときに私の り」こそ ( 21 世紀には引き継げないという意味で ) 20 世紀的な民族文化 ゆくという「消滅の語り」の典型でもあります . そしてこの「消滅の語 うばかりでなく , 本稿で述べたように , 近代化のなかで民族文化が滅んで この本は 20 世紀中盤の知のシーンを席捲した構造主義の「聖典」とい 1955 年クロード・レヴィ = ストロース『悲しき熱帯』 146 ・第Ⅲ部 多元的論理に向かって
「外在性」がもちうる「余剰」 ( さらには「責任」 ) を重視したこの 見方は , 私たちの内外両面にわたる異文化の理解に重要な示唆をあ たえるものと思われます . パフチン自身による具体例としては , 全 体主義が猛威をふるっていた 1940 年に完成された『フランソワ・ ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』 ( 1965 年刊 ) が あげられますが , そこでは , 公式文化と非公式文化 ( 民衆文化 ) の 対置を独自のカーニヴァル ( 民衆の笑い ) 論と絡み合わせることに よって , 近代のモノローグ的文化観の一面性を根底的に衝いていま す . これに限らず , パフチンがさまざまな分野で実践してきた対話 原理は , 既成の文化観や歴史観の変更にすでに十分に寄与してきた といえましよう . 私自身の経験でいっても , 当のロシアにおいてタ プー視されがちであった文化史・精神史上の成果 , たとえば前衛文 学・芸術を再評価し , さらにはそれらと民衆文化の関係を見直すに は , パフチン的対話原理は不可欠のものでありました . 闘争としての対話 つまるところ , パフチンにとっては , 存在そのものが対話にほか なりません . この点では , プーバーの名を浮かべるひとも少なくな いでしよう . いやこれに限らず , パフチンの著作のあちこちには , プーバーのいう「我ー汝」や「出会い」をほうふっさせるような人 格主義的側面もうかがわれます . ただしパフチンの対話原理には , プーバーのいう「永遠の汝」のような最終的答は必要ではありませ ん . 「真理が開かれるのは , 対等な複数の意識が対話的に交通しう る過程においてである . しかもそれは部分的にしか開かれない . 究 極の問題をめぐるこの対話は , 真理を考え , 求むる人類が存在する 限り , おわり , 完結することはありえない . 対話の終焉は人類の死 にひとしかろう . すべての問題が解決されたならば , 人類にはもは やそれ以上生存していくための刺激がなくなるであろう」と , パフ チンはいいます . このようにむしろ問題や矛盾を抱えていることに 積極的な意義を見いだすパフチン的対話は , 日本語の「対話」とい う言葉がかもしだす調和や妥協といったようなニュアンスを伴って 生成する複数性・ 11 う
・構造の論理 神話論理から歴史生成へ 文化人類学と成熟 山下晋司 ■構造は , 単なる関係の集合ではない . 忘れてはいけないのは , それが つねに二元的な対立に基礎を置いていたことです . 二元的な論理は明 解で鮮やかですが , しかしスタティックです . では , いわゆる「熱い 社会」の多元的なダイナミズムはどうなるのか . そこに問題がありま す . (K) はじめに 「構造」について書いてみたいと思います . 20 年ばかり前 , 私が 学生だったころは , 構造という言葉はフランスの人類学者クロー ド・レヴィ = ストロースの名前と結びつきながら , 人文諸科学の言 説に新鮮で大きな影響を与えていました . そうした「構造主義プー ム」のさなかにあって , 当然私もその洗礼を受けました . しかし , 今 , 「構造」について語ろうとすると , 大きな時代の推 移を感じます . というのも , 時代は今「ポスト構造主義」ですし , 私が専門とする文化人類学においても構造主義は研究活動の現場か ら大きく後退しているからです . 私自身も現在「構造」にとくに関 心をもっているわけではありません . ですから , こでの私の話は , この 20 年ばかりのあいだの文化人類学の展開と私自身の「成長」 をふまえて , 構造から生成する歴史へと進んでいくことになるでし よう . それゆえ , ここでは私は構造とはなにかを概説するのではな く , 20 世紀中盤の知のシーンに華々しく登場した構造という概念 が , 今 , 21 世紀に向けて経験しつつある旅について書いてみたい と思うのです . 1 ろ 2 ■第Ⅲ部 構造 多元的論理に向かって はじめに , 構造という言葉の出自を明らかにしておかなくてはな
12 ) 山下晋司『儀礼の政治学一・一一インドネシア・トラジャの動態的民 族誌』 ( 弘文堂 , 1988 年 ) . 13 ) レヴィ = ストロース , 仲沢紀雄訳「人類学の課題」『今日のトーテ ミズム』 ( みすず書房 , 1970 年 ) 220 ページ . 14 ) 『構造人類学』 28 ー 29 ページ . 15 ) 『レヴィ = ストロース』 75 ページ . リーチ , 長島信弘訳『社会人類学案内』 ( 岩波書店 , 1991 年 ) 16 ) 15 ー 16 ページ . また Adam Kuper, The 怩れ巨 0 れ可 P ⅲれⅲ怩 S : T れザ 0 ”れ佖研 0 れれⅵ 0 れ , London and New York : Routledge, 1988 を参照 . 17 ) マーシャル・サーリンズ , 山本真鳥訳『歴史の島々』 ( 法政大学出 版局 , 1993 年 ). 18 ) 『歴史の島々』 23 ページ . 19 ) 清水昭俊「永遠の未開文化と周辺民族 - ーー近代西欧人類学史点描」 『国立民族学博物館研究報告』 17 ( 1992 年 ) , 481 ページ , 脚注 25. 20 ) Gananath Obeyesekere, T んにス加 eo s 研 C れ C 々 : E ”川加明 M ) , 川佖々ⅲ g ⅲ the Pacific, Princeton : Princeton University Press, 1992 , (1) 山中速人『イメージのく楽園〉』 ( 筑摩書房 , 1992 年 ) 131 ー 132 ペ ージを参照 . 22 ) 『構造人類学』 232 ページ . 23 ) G. W. Rocher, Myth in a Changing world, Bijdragen ー鹿 Ta 観 - , ん佖 - , れ防 en K Ⅲ 1 112 , 1956 , pp. 169 ー 192. 24 ) James CIifford, The P 市 c の研 C ⅵ : Tw 召 -0 れり E れ og 川カれ必川ル , and , Cambridge and London : Harvard Uni- versity press, 1988 , p. 19. また , 太田好信「文化の客体化ーー観光を とおした文化とアイデンティティの創造」『民族学研究』 57 ( 1993 年 ) , 387 ページ以下をも参照 . 25 ) 『悲しき熱帯下』 357 ページ . 26 ) Roger sanjek, The Ethnographic Present, M 佖れ (). S. ) 26 , 1991 , p. 622. 27 ) レヴィ = ストロース自身が同様のことを言っています . CIaude Lévi- Strauss, Anthropology, Race, and PoIitics : A Conversation with Didier Eribon, ln R. Borofsky ed, Assessing C 観スれ / 0 ん , New York : McGraw-HiII, lnc. , 1994 , p. 420. 28 ) MarshaII SahIins, Goodbye to Tristes Tr 叩 es : Ethnography in the Context 0f M0dern World History, ln R. Borofsky ed. Assessing Cultu- 観スれ / 0Z0 , New York : McGraw-Hill, lnc. , 1994 , PP. 377 ー 395. 29 ) ェドマンド・リーチは前掲書『社会人類学案内』の最後の部分 ( 284 ページ ) で , にもかかわらず , 社会人類学は社会システムの静 態の研究である , と述べている . そこには「構造主義者」としてのリ 神話論理から歴史生成へ■ 14 う
考えているようなオーストラリア先住民やプラジルのインディオを 集中的に研究することによって , 神話と歴史の問題を巧みにかわし たとも言えます 15 ). しかし , 「歴史なき社会」という考え方は , 今 日の文化人類学においてはきわめて疑問視されています . 「文明社 会」が「歴史をもち , 進歩的である」のに対して「未開社会」が 「歴史をもたない , 静止的な」社会であるという見解はますます古 くさく見えてくるわけで , 「孤立的で , 停滞的な未開社会」という 観念は近代西欧の「発明」だとする見解さえあるのです 16 ). こうした「未開社会」に対する認識の変化のなかで , マーシャ ル・サーリンズは , 1982 年のワシントンでのアメリカ人類学会に おいて「時代が変われば慣習も変わる一一一歴史の人類学」という記 念講演を行い , レヴィ = ストロースの仕事を歴史のコンテクストに 置き直し , 今や構造と歴史を統合する時だ , と宣言しました . この 講演は 1985 年に出版された『歴史の島々』 17 ) に収められているので すが , その本のなかで , サーリンズはハワイやフィジーを例に構造 と歴史の出会いを具体的に描き出そうとしています . 例えば , 1779 年 2 月 14 日のキャプテン・クックのハワイでの殺害を検討しなが ら , クックの殺害はマカヒキと呼ばれるハワイの新年祭の儀礼的・ 神話的なコンテクストにおいて理解されるべきだ , と論じています . この新年祭マカヒキには , 死んだ神にして伝説的な王であるロノが 土地を奪い返すために戻ってくるとされ , ロノは最終的には儀礼的 に殺害されます . クックがハワイを訪れた時期は偶然にもこの儀礼 の時期に当たっており , クックが乗っていた船のマストに掲げられ た白い旗はハワイの人びとにはロノのシンポルであるカバ ( 樹皮布 ) のイメージと重なっていたので , クックはロノと重ね合わされ , ハ ワイの儀礼的コンテクストにおいて殺害された , というのです . さらにまた , 新年の儀礼におけるロノの自然の再生は , 聖婚 , す なわち誘拐された彼の妻の探索によっても象徴されていた , とサー リンズは述べています . これは後のハワイを有名にすることになる フラ・ダンス ( 来訪する神を性的に高揚させるものであったと言われてま す ) とも深く結びついていたようです . クックの船員たちはこうし 神話論理から歴史生成へ・ 1 ろ 9
私はこれから , あまり世間に類例がないだろうと思われる私達 夫婦の間柄に就いて , 出来るだけ正直に , ざっくばらんに , 有り のままの事実を書いてみようと思います . それは私自身に取って 忘れがたない貴い記録であると同時に , 恐らくは読者諸君に取っ ても , きっと何かの参考資料となるに違いない . 殊にこの頃のよ うに日本もだんだん国際的に顔カ昿くなって来て , 内地人と外国 人とが盛んに交際する , いろんな主義やら思想やらが這入って来 もちろん る , 男は勿論女もどしどしハイカラになる , と云うような時勢に なって来ると , 今まではあまり類例のなかった私たちの如き夫婦 関係も , 追い追い諸方に生じるだろうと思われますから . 考えて見ると , 私たち夫婦は既にその成り立ちから変っていまし た . 私が始めて現在の私の妻に会ったのは , ちょうど足かけ八年 もっと 前のことになります . 尤も何月の何日だったか , 委しいことは覚 えていませんが , とにかくその時分 , 彼女は浅草の雷門の近くに あるカフェ工・ダイヤモンドと云う店の , 給仕女をしていたので す . 彼女の歳はやっと数え歳の 15 でした . だから私が知った時 はまだそのカフェ工へ奉公に来たばかりの , ほんの新米だったの まあ云って見れ で , 一人前の女給ではなく , それの見習い , ば , ウェイトレスの卵に過ぎなかったのです . 構造分析 ソシュールの言語学と深く結びついたレヴィ = ストロースの文化 旨旨五を中軸とした人間の社会や文化を分析するうえ 人類学を経て にコロロ で , 「二項対立的な関係」を抽出することがきわめて有効な出発点 であることが確認されてきました . 差異の体系として現象している 言語や社会のシステム内部の各要素は , それ自身として何らかの同 一性を持っているのではなく , そのシステム内部で対のように対立 し , 差異をきわだたせるもうーっの項との関係において , はじめて 自らの位置を確定するわけです . 同時にそれは , ある特定の二項を , 対立するものとしてみなすということなのですから , ひとつのイデ 256 ■第 v 部論理のプラクシス くわ
社会の本来的な価値に深く結びついているので , 地球の近代化とは しばしば地域的な多様性を再生産することになる , と述べていま す 28 ). 私たち日本人も , 中国製のシャツを着て , インドネシアから のェビを食べ , ロック音楽を聴き , 和洋折衷の家に住みながらも , 実は日本的な価値を再生産しているのかもしれません . そうした意味において , 今 , 人類の歴史は生成のただなかにあり ます . 文化人類学者として , 「人間精神」の普遍性よりもこの生成 しつつある歴史の多様性にこそ注意を払うべきだ , と私は考えてい ます 29 ). 註 1) クロード・レヴィ = ストロース , 川田順造訳『悲しき熱帯 ( 上 , 下 ) 』 ( 中央公論社 , 1977 年 ). 2 ) レヴィ = ストロース , 馬淵東一・田島節夫監訳『親族の基本構造 ( 上 , 下 ) 』 ( 番町書房 , 1977 年 , 1978 年 ). 3 ) レヴィ = ストロース , 荒川幾男他訳『構造人類学』 ( みすず書房 , 1972 年 ) . 4 ) Clifford Geertz, Ⅳ 0 s and 怩 s : The れ加 g as 4 催 , Stanford : Stanford University Press, 1988 , p. 30. 5 ) 工ドマンド・リーチ , 吉田禎吾訳『レヴィ = ストロース』 ( 新潮社 , 1971 年 ) 29 ー 33 ページ . リーチ , 諏訪部仁訳「言語の人類学的側面ーー動物のカテゴリー と侮蔑語について」『現代思想』 4 ー 3 ( 1976 年 ) 68 ー 90 ページ , メアリ ・ダグラス , 塚本利明訳『汚穢と禁忌』 ( 思潮社 , 1972 年 ) . 7 ) レヴィ = ストロース , 内堀基光・西沢文昭訳『アスデイワル武勲 詩』 ( 青土社 , 1974 年 ). 8 ) レヴィ = ストロース , 大橋保夫訳『野生の思考』 ( みすず書房 , 1976 年 ) . 9 ) Claude Lévi-Strauss, cru cuit: 0 ん g s ム paris : Plon, 1964 ; Du 川 I 化れ d s : 0 あ gi お乢 paris : PIon, 1966 ; ん ' 0 ル g 朝召 des 川明 s de わ : og 1 化 s Ⅲ , Paris : Plon, 1968 ; ん ' れひ泚襯 れ : み , 0Z0 / / , Paris : Plon, 1971. (0) Rodney Needham, 1958 , The Structural AnaIysis of the purum soci- ety, ス催ス耐 0 加ん gi 計 60, 1958 , pp. 75 ー 101. またロドニ ダム , 吉田禎吾・白川琢磨訳『象徴的分類』 ( みすず書房 , 1993 年 ) も参照せよ . (1) クリフォード・ギアッ , 吉田禎吾他訳『文化の解釈学 ( Ⅱ ) 』 ( 岩 波書店 , 1987 年 ) 283 , 285 ページ . 144 ■第Ⅲ部多元的論理に向かって
るいはピエール・プルデュのいう「ハビトウス」ではけっしてなく , 意識的に操作され , 演出され , 場合によっては作り出されさえする なにかなのです . こうして , 『儀礼の政治学』というトラジャ社会についての民族 誌を刊行したとき 12 ) , 私はそれに「動態的民族誌」という副題をつ けました . これによって私が意図したことは , 民族誌をミクロな伝 統的な小字宙の記述に閉じこめるのではなく , 都市や国家 , さらに 今日の世界資本主義システムというマクロなコンテクストを視野に 入れた民族誌を書くということでした . 私がトラジャで見出したの は , レヴィ = ストロースの言い方にならって言えば 13 ) , 彼の構造分 析が関わってきたような「冷たい社会」ではなく , 「熱い社会」 , つ まり近代の歴史のなかでうごめいている社会だったのです . 構造と歴史 ところで , レヴィ = ストロースは彼の「構造人類学」を構築しよ うとしたとき , 歴史をきわめて強く意識していました . 『構造人類 学』の巻頭論文は「歴史学と民族学」ですし , 『野生の思考』の終 章は「歴史と弁証法」です . 「歴史と民族学」において , レヴィ = ストロースはマルクスの有名な定式「人間は自分の歴史をつくる , けれども歴史をつくっているということを知らない」を引用して , この言葉は前半の言葉で歴史学を正当化し , 後半の言葉で民族学を 正当化していることになる , と指摘しました . そして両者は補完的 で分かちがたく , 民族学 ( 文化人類学 ) は「社会生活の無意識的要 素」を明らかにすることによって , 人間の全体的考察に寄与するこ とにある , と述べました 14 ). 「歴史と弁証法」においては , 当時の フランスの代表的哲学者ジャン・ポール・サルトルの『弁証法的理 性批判』における歴史主義の優越に対して , レヴィ = ストロースは , 人間が無意識のうちにもっている普遍的な構造を明らかにしようと する人類学の立場から根底的な批判をくわえようとしました . しかしながら , 工ドマンド・リーチが指摘するように , レヴィ = ストロースは , 「歴史なき社会」 , つまり自分の社会を不変であると 1 ろ 8 ■第Ⅲ部多元的論理に向かって