記号 - みる会図書館


検索対象: 知の論理
63件見つかりました。

1. 知の論理

それを再現するというのではなく , 見えるという出来事を造形活動 をとおして引き起こすことなのだ , と理解できます . ここには , 絵 画という記号の活動についての , ある鋭い洞察が表明されているの です . 同じように私たちはクレーにならって , 記号とは , すでにあるも のを表すのではなく , 記号は意味するのだ , と考えることから , 記 号についての考察を始めることができるかもしれないのです . 記号は意味する , これが , 記号の第一の定義です . それを , 例え ば , フランス語で書くと , 《 Le signe signifie. 》となって , 意味する (signifier) という出来事を生み出すことこそ記号 ()e signe) の特 性なのだ , ということがはっきりするでしよう . この場合に , 記号の定義はほとんど同語反復にならざるをえない ことにも注目すべきです . 記号は意味する . 意味するものこそ記号 である . 「意味する」という出来事と , 「記号」との切り離しえぬ内 的連関 . 記号 ()e signe) は記号スル (signifie), あるいは記号スル モノこそ記号であると言い換えてみると , この定義が述べようとす る記号の本質的に自己言及的な特性が露わになります . これに対して , 中世のスコラ学以来の「何カノ代ワリニアル何カ (aliquid stat pro aliquo) 」といった伝統的な記号の定義 ( 「記号 = 代 替物」説 ) は , 記号を , それが代わる記号外のものの側から定義し たものです . 記号は , 記号の外にある何らかの対象や現実を表す ( = 再現する ) もの , あるいはまた人間の思考や意識の伝達道具と考 えられている ( それが「言語道具説」です ) うちは , その内的構造と 論理とを明らかにしません . 意味作用という記号の内的な活動から 記号を定義し , 記号活動を内側から記述すること , これこそが , 20 世紀に登場した新たな記号の知が行った , " コペルニクス的転 回 " なのです . 「記号論 (sémiotique/semiotics) 」や「記号学 (sé- miologie/semiology) 」と呼ばれる , 現代の「記号の学」をつくった パースやソシュールの「記号作用 (semiosis) 」や「言語体系 (la langue) 」といった概念の基本にあるのは , 記号現象の本質的な内 在性ということなのです . 構造とリズム・ 77

2. 知の論理

ソシュールは , このような言語記号の内在性を研究する言語学を 「内的言語学 ()a linguistique interne) 」と呼んで , 記号外的な事実 の研究を行う「外的言語学 ()a linguistique externe) 」と区別しま 言語のような記号現象は , その内部から研究されることによ ってのみその固有の本質を明らかにする , というのが彼の根本的な 姿勢です . 以下では , ソシュールが提唱した「言語記号」の考え方にそって , 20 世紀の知を切り開いた記号の思考とその論理を考えてみること にします . また同時に , パウル・クレーの絵画の記号性を平行して 参照してゆくことにします . なぜソシュールとクレーとを同時に論 じるかといえば , この同時代の二人のスイス人の間には , のちに見 「かたち」の問題をめぐってある共通の認識が認められ るように るからです . そしてそれは記号の問題にとって核心的な重要性を持 つものだからです . ソシュールの言語学の中心、にあるのは「記号のシステム」という 考えです . 人間の記号活動の最も重要な体系として「言語体系 ( ラ ング ) 」を彼は考えるのですが , 「言語体系 ( ラング ) は記号のシス テムである」というのがソシュール言語学の最も基本的な命題です . そして , 記号をシステムとして考えることは , ひとつの記号はひと つの事物を表すというように記号を指示対象との関わりにおいて孤 立的に定義するやり方とは根本的に異なった認識の問題を引き起こ すことになったのです . ソシュールによれば , 言語記号は , 「意味スル (signifiant)/ 意味 サレル (signifié) 」という 2 つの関係性の面から成り立っている . これが , 有名な「シニフィアン ( 意味スルモノ , 記号表現 ) 」と「シ ニフィエ ( 意味サレルモノ , 記号内容 ) 」の区別です . しかし , 重要な のは , 「シニフィアン」も「シニフィエ」も , あくまでも記号の 2 つの面として存在するのであって , 記号の彼方あるいは手前に想定 される観念や音物質として実体化されて考えられてはならないとい うことです . この事態を , ソシュールは , 「言語は形式であって , 実体ではない」と言い表します . 78 ・第Ⅱ部限界の論理・論理の限界

3. 知の論理

1. signifiant 2. signifié Langue 5. signe I. SIGNIFIANT Ⅱ . GNIFIÉ MYTHE III. SIGNE 図 6 ロラン・バルト「コノテーションの図式」 [ 「言語体系」 (Langue) における一次的な意味作用 ( 1. 2. 3. ) である「デ ノテーション」に対して , 「神話」 (MYTHE) は , 一次的な記号 ( 3. signe) をシニフィアン (). SIGNIFIANT) にもつ二次的な記号作用 (). Ⅱ . Ⅲ ) の 「コノテーション」である . ] ーション」の理論が , 複雑で重層的な記号体系を扱う際にひとつの 手がかりを与えました . イエルムスレウによれば「コノテーショ ン」とは , 記号化されていない体系を記号表現 ( 「表現質料」 ) にも つ「デノテーション」に対して , すでに記号化された実質を記号表 現 ( 「表現形式」 ) とする二次的な記号体系のことです ( 図 6 「コノテ ーションの図式」参照 ) . 例えば , 「魚」という記号には様々な神話的・文化的イメージが 結びついています . そのレヴェルがコノテーションです . 図 3 のク レーの魚の絵が第一の記号化だとすると , そのようにして記号化さ れた魚は , 「魚のまわり」 ( 図 7 ) においては , さらに上位の神話的 形象との関係におかれ , 「魚」の二次的な ( つまり神話的な ) 意味作 用が生み出されることになります . 私たちの意味活動を構成している記号系は複数的であるばかりか , このように二次的・三次的に重層化していて , ーっの記号実現は , より上位の記号系との関係で様々な意味作用を帯びることになるの です . 「神話」とか「イデオロギー」と呼ばれるものが , そのような二 次的な記号活動のあり方だとバルトは考えました . かれの『神話作 用』は , そのようなコノテーションの記号学を使った現代社会の神 話の最初の分析でした . こで重要なのは , 「文化」という次元が , まさにこのような二次的な記号活動によって成り立っているという ことです ( 現代ロシアの記号論グループ「モスクワータルトウ学派」によ 88 ・第Ⅱ部限界の論理・論理の限界 ニ一口

4. 知の論理

例えば , 日本語で「木」という記号は , /ki/ という音連鎖と [ 木 ] という概念の結びつきを作り出している . その場合 , 日本語 における [ 木 ] の概念内容はあくまでも / ki / という記号表現 ( シニ フィアン ) と結びついた記号内容 ( シニフィエ ) として存在するので あって , 「木」という記号を離れた観念として存在するわけではな い . なぜなら , 「木」という記号はまた , 「草」 , 「花」 , 「林」とか 「森」とか「動物」などなど他のすべての記号との関わりにおいて しか意味をもたない . このことは , 例えば , フランス語における 《 arbre ( = 木 ) 》と比較してみればよりはっきりします . 日本語の 「木」の場合 , 「木の箱」 , 「木の机」というように材質を「木」とい う記号による表現が可能なのに , フランス語ではむしろ「林」や 「森」に対応する《 bois 》という別の記号によってそのような概念 は表される . このようなことは , 1 つの記号の概念内容はつねに他 の記号との関わりにおいて相対的に決まるのだということを示して いるのです . ソシュールは , 言語記号の領域を , 人間の心理内容や観念がかた ちづくる領域と , 人間の身体が発し聞き取ることができる音調の領 域との中間に位置づけます . 言語記号はそれら双方の領域をお互い に関係づけ , その関係を形式化することによって , 固有の次元を構 成するものだと考えています . 記号による関係づけと形式化がなけ れば , 観念も音声も不分明なマグマの状態にとどまって , 意味作用 が成立することはないと考えられるのです . ソシュールは , 観念の 次元を大気に , 音調の次元を水にたとえてこの事態を説明します . そして , 言語記号の次元は , それら 2 つの連続体の間に , 両者の関 係づけのかたちとしてうまれる波にたとえられます . 旨き五は精神 C::::J ロロ 的実体としての観念でも , 物理的実体としての音調でもなく , その 間を関係づける形式である , というのです . より一般的には , 記号 とは , 2 つの異質な次元の間に結ばれる関係性の形式である , とい うのです . さて , 記号が関係性の形式であるとして , 集中的に問われること になるのがかたち ( つまり形式 ) と意味をめぐる問題系です . 「かた 構造とリズム・ 79

5. 知の論理

ちが来るかは連辞の問題だからです . そのようにして生まれる図が 「言述 ( パロール ) 」というわけです . 言語活動において , 意味が実現するのは , 範列軸・連辞軸にのっ とって言語記号が結びつけられ「文」が生み出されたときです . そ のとき , 文の意味は , 実現した個々の記号 ( = 形態素 ) の意味作用 のたんなる総和としてではなく , 現働化した一連の記号の相互連関 のかたちと不可分な意味 , すなわち , その文に固有な《意味 = 形 式》の出来事として生起することになる . つまり今度は , 記号の布 置 (configuration) という新たな次元があらわれることになるのです . ここにおいて , 私たちは , はじめて , 意味の意味に行き当たるこ とになるのです . 「意味」とは , 記号の実現が記号の布置として成 立したとき , その記号の布置のかたちと不可分な配置として起こる 世界と私たちとの関係づけなのです . 記号活動にとって , 「主体の 問題」が提起されるのもじつはこのレヴェルにおいてです . という のも , 記号活動における「いま・ ・わたし」が組織されるのも , このような文以上の記号実現の次元においてだからです . 「主体」 とは , 記号の現働化において実現する「いま・ ・わたし」の布 置により生み出される効果である , と考えてもよいのです . 文以上 の記号活動の出来事を言語学では「ディスクール (discours) 」と 呼びますが , ディスクールが生まれるときには , 新語記号のシステ ムの全ての活性化と世界の経験とが固有な一致をそのつど実現する のだ , といえるかもしれません . 世界との固有な関係性 , つまり意 味がそのとき生まれるのです . クレーの「歌手のホール」 ( 図 5 ) では , マス目のデッサンと同じ ように縦軸を範列関係に , 横に延びてゆく線を連辞関係に例えて考 えることができます . 縦軸の分節の自由なヴァリエーションと横軸 の必然的な結びつきによって , 絵自体を構成するかたちの布置は , 「歌手のホール」という世界の経験と固有に一致したディスクール として実現するのです . 構造とリズム・ 8 5

6. 知の論理

物第■ ー第■ -- ■ ■、ー■第第■ 第■■第・■ー 図 4 パウル・クレー「分割的 - 非分割的の統合」 ( 「無限の造形』下 , 319 ページ ) るのもやはり分節のシステムなのです . 差異による分節のシステムは , 記号のかたちが実現するときには , そのかたちの実現の場においてつねに反復する網状組織を作ってい ます . たとえば , チェス盤のマス目という分節のシステムが , それ ぞれの局面ごとに , 新たな手の配置を見せつつ反復するといったこ とを思い浮かべてみればよいのです . ソシュールが , 言語体系 ( ラ ング ) は「共時態」において潜勢的なシステムをつくっているとい うとき , 彼が考えているのはこのような反復のシステムのことです . それぞれの記号はこの反復のシステムをとおして呼び起こされる . そのようにして , 記号のシステムは , 現働化するのです . ソシュールは , このような記号の現働化の出来事を「言述 ( パロ ール ) 」として , 記号のシステムとしての「言語体系 ( ラング ) 」と 区別して考えます . そして , 「言述いロール ) 」の成立の規則とし て , 「範列 ( パラディグム ) 」と「連辞 ( サンタグム ) 」という 2 つの軸 を提示します . 「範列 ( パラディグム ) 」とは , ひとつの言述 ( パロー ル ) が実現するときに , 記号の現働化を規定している記号間の「連 合関係」 ( つまり , ある差異を共通項として活性化する記号の反復の系列 ) , 「連辞 ( サンタグム ) 」とは , ひとつの記号の現働化につづく記号の 範列を指定している「結合関係」です . クレーのマス目のデッサンを例に取ると ( 図 4 参照 ) , 縦方向のマ ス目の系列を「範列いラディグム ) 」 , 水平方向の連続関係を「連 辞 ( サンタグム ) 」と考えてみることが出来ます . 実線によりどのマ ス目を現働化させるかは範列の問題であり , つぎにどのようなかた 84 ■第Ⅱ部限界の論理・論理の限界

7. 知の論理

布谷東京ビル ま のかたちの反復が , 非安定化した , 空間と空間 , 場と場 , の " 間 " を 次々に分節しつつ固有の " 場 " の出来事を , 作り出していくのです . く記号〉についてのレッスンをアイゼンマンの建築の記述から始 めたのは , この文章が答えることを求められている「記号とは何 か ? 」という問いに対して , 記号とは , 「布谷東京ビル」の床面や 壁面の「襞 = 折れ目」の運動や「アイゼンマン・キュープ」の く L 〉のように " 関係性の場 " を次々に生み出してゆくかたちの反 復の運動のことだ , とまず述べておきたいからです . 記号とは , 異質なものとの関係のなかに私たちをたえず送り込み , 未知の出来事を引き起こしてゆく何かである . 記号とは , すでに知 られた何かを表したり「何かの代わりにある何か」といった教科書 的な定義を与えられる以前に 「意味」という , そのつど新たな関 係性の出来事を生み出しては消え去る不断の生成の運動なのです . 記号や意味が , すでに安定化して自明なものとなった時間や空間の なかでの物事や情報のやりとりとして馴致されてしまうのはそれよ りずっと後のことなのです . 例えば , 以下に見るように , ソシュー ルは , 大気と水との間に起こる襞の運動である波を例にとって , 記 構造とリズム■ 7 う

8. 知の論理

号を 2 つの相互に異質なものの間に起こる関係づけのかたちの形成 運動だと考えていました . 19 世紀から 20 世紀への転回点において , ソシュールやパースが 提唱した「記号の学」や , のちに「構造主義」と呼ばれることにな る知の運動が行った第一のことは , 近代科学の実体論的な認識から , 関係論的な認識への転換でした . 実体を前提とし , 認識をその実体についての意識の活動と考え , また主体と客体を媒介するものとして言語や記号を考えるというの が実体論的な認識の図式であるに対し , 20 世紀の知の革命は , 認 識の視点自体が対象ーーおよび主体ーーを徹底した関係性 ( = 相対 性 ) において構成してゆくのであって , その関係性の場を刻々と生 み出しているものこそ言語や記号の次元なのだ , と考えることから 始まったのです . そしてそのような転回は , 科学や芸術にのみ起こったわけではあ りません . それは今世紀の社会・文化生活の全般に起こった動きで もあるのです . 例えば , 「都市」はキュービストがよく描いた題材 ですが , 現代の巨大都市は , 入り組んだまさしく複数の関係性の場 としての「記号の風景」のありさまを見せています . 現代生活にお けるモノのあり方にしても , 実体としてではなく , プラックやピカ ソが描く「静物」のように , 商標 , ロゴ , ラベルを張られ広告によ り媒介されて , 私たちの日常生活の様々な意味の光景を演出してい ないでしようか . そもそも今日の私たちの世界そのものが , マス・ メディアという記号媒体によって日々作り出され , 私たちの生活の 意味はそのような記号の次元により大きく左右されるものとなって いないでしようか . 記号の問いは , そのような私たちの意味の世界 についての問いーー・ - 意味批判の問いーーーでもあるのです . 記号のシステムとかたちの出来事 「意味する」 パウル・クレーの有名な創作についての信条告白に , 「芸術は , 芸術は , 見えるようにするの 見えるものを再現するのではない . だ」という文句があります . この言葉は , 絵画は , 物がまずあって , 76 ・第Ⅱ部限界の論理・論理の限界

9. 知の論理

それぞれの音素の同一性は , その他の音素との差異によってのみ定 義される . 例えば , 子音の / n / は , /m/, /p/, / t / ・・・・・など , その 他の全ての音素との対立・区別によってしか自己同一性をもたない . / n / という音素は , ある実体的な音をさすのではなくて , 他の音素 との差異の名なのです . 人間の身体が出す音調は , 第一義的には物 理的な物質としてとらえることができますが , 音韻体系は , その音 調物質を音素として音韻体系に分節することにより記号の構成単位 に変えているのです . ャーコプソンは , 人間の発する物理的音調を 集約 / 拡散 , 低音調 / 高音調という対立をもとに図式化し , それら の対立に基づいて組織される音韻体系を音素の「原三角形」として 定式化しました . 音韻体系のような分節が示しているのは , え糞たとづくシステ ムという原理ー当こで重要なのは , 分節は差異にもとづく構成 単位であって , 記号というかたちのシステムは , 差異をベースにし て成立するということです . 実体論的な集合が要素の同一性を基礎 とするのに対して , 記号のシステムのような関係論的な集合におい ては差異こそが基本である , ということなのです . 「言語体系 ( ラ ング ) には諸々の差異しかない」というソシュールの定式が示して いるのは , 言語体系におけるそのような差異を基本とする記号の成 立の仕方なのです . ・・・ ] 言語体系 ( ラング ) のなかには諸々の差異しかない . さ らに言えば , 差異は一般にはその間に差異が成り立つ実体的な諸項 を前提とするが , 言語体系 ( ラング ) においては , 実体的な項のな い諸々の差異があるのみなのである . シニフィエをとるにせよシニ フィアンをとるにせよ , 言語体系は , 言語システムに先立つような 諸々の観念や音調をもつわけではなく , システムに起因する諸々の 概念的差異 , 諸々の音調的差異があるだけなのである . 」 さて , 分節自体はまだ記号のかたちではありません . 記号のかた ちは , 分節システムを構成している単位が結びつくことによって生 み出されます . 例えば , クレーのチェス盤のデッサンにおいてマス 構造とリズム■ 81

10. 知の論理

/ し 図 7 パウル・クレー「魚のまわり」 ( 1926 年 ) れば , 文化とは , 「二次的な言語活動」であるとされます ). そして私た ちの意味活動は , デノテーショナルなレヴェルだけでは決定されず , つねに二次的な意味作用との関わりにおかれている . そして , その 高次な意味作用はたえず変化を引き起こしていて , それが私たちの 意味活動の文化的無意識を作り出していると考えられるのです . 「文化記号論」といった学問が要請されるのもここなのです . さて , 方法としての記号が真に発見的な価値を持った時代は , 構 造主義の全盛時代 , 1960 年代半ばまでであるといわれます . 発見の方法論的な原理としての構造が , ある認識論的なアポリア を呈してしまうという事態が起こったからです . それが「閉じた構 造」のアポリアです . 記号はつねにシステムにおいて働き , 記号による意味の出来事は , つねに同一のシステムによる反復に規定されているという考えが , 「構造」概念の出発点にはありました . この考え方は , それぞれが 単独で固有な意味の出来事をシステムの「構造的同一性」のなかに 閉じこめます . ある意味実現を理解するには , 意味生成のメカニズ ムを規定している決まりである「コード」を理解すればよく , その 構造とリズム■ 89