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検索対象: 知の論理
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1. 知の論理

論理の応用 船曳建夫 この第 V 部に並んでいる 3 本の文章は , いずれも論理の応用・ 実践編として書かれています . この本の第Ⅳ部までに出て来た論 理を , さあ , 使ってみましよう , というふうに書かれているかのよ うです . ところがそのように この本が , まずは道具の説明 , 次い でその使用法という構成になっていると考えられては困るのです . そのような理解は , 『知の技法』以来 , 私たちの基本にある考え , 知に技法はあるが , それは誰でも手に入れればすぐ使えるような道 具としてではない , という考えに反しているからです . そのポイントはすでに『知の技法』でも書いたように , 人文・社 会科学系の学問の方法は , 「ワインの栓抜きのように , 特定の種類 の問題のために特別に作られた」ものではない , ということと関係 があります . 第Ⅱ部から第Ⅳ部までに出て来た 17 の「論理」も , ある特定の種類の問題を解いて出て来たものではありません . ある 複数の , そこに共通性を見出せるであろう問題群に散在する論理素 ( 論理の素と考えて下さい ) の発見から始まって , それらの問題群に 整合的なものとして発明された論理 , という成り立ちをもつのです . この時 , 例えばあなたが , その論理を「似たような」問題に当て はめて ( つまり説明された道具を実際に使用してみるというように ) , そ れが解けるかどうかを確かめるというのは , 2 つの点で , 意味の薄 い , あまり創造的ではない行為なのです . 第 1 に , そのように確か めることで合と出たり否と出たりしても , そのこと自体によって , 数学の定理のように , その論理が証明されたり , 誤謬と判断が下さ れたりはしません . そして論理を作ることを実践しようとしている あなたにとってより重要なのは , その「似たような問題」がよりよ 論理の応用・ 2

2. 知の論理

はじめに 第 I 部・言侖工里の・発明ーー 20 世紀の知のダイナミクス・・・小林康夫 第Ⅱ部・限界の論理・論理の限界一世紀の方法原理 Ⅵ・目次 ・疑う 論理を行為する・ 疑いと探究 ・見る 見ることの限界を見る 現象学とアウシュヴィッツ ・知覚する 訒知と神経の「場」・ ロ心、 自己組織的人間学 ・表象する 言葉が身体と化す・ 精神分析とファンタスムの論理 ・意味する 構造とリズム・ ソシュール vs. クレー 第Ⅲ部・多元的論理に向かって一 商品交換形式を超えるもの 市場原理と共同体の問題・ ・交換の論理 文化人類学と成熟 神話論理から歴史生成へ ・構造の論理 『源氏物語』の「語り」と「物」 紫上の運命を縫いつける・ ・物語の論理 パフチンとポリフォニックなく若さ〉 生成する複数性・ ・対話原理 べイトソンと精神のエコロジー ころを生けどる論理・ ■ダブル・ . バインド ・・野矢茂樹 ・・高橋哲哉 ・・下條信輔 ・・石光泰夫 ・・石田英敬 ダブル・バインドからカオスまで 1 27 う 6 74 17 41 ・・・佐藤良明 ・・・桑野隆 ・・・藤井貞和 ・・山下晋司 ・・・丸山真人 9 う 107 リ 2 147 119

3. 知の論理

ー第Ⅲ部 多元的論理に向かって ダブル・パインドからカオスまで 複雑さ , それがこの第Ⅲ部のキーワードです . 単純さに対して , です 発的に現れて星雲をなしています . ( 動 この 6 つの論理はそうした目的のために 20 世紀の論理空間に同時多 り落とすことのないように , 複雑なものを複雑に表す方法を発明する . を持っているのですから . 複雑さを単純さへと還元して大事なものを取 見つかりそうもない . なぜなら , その事態の性質そのものが「複雑さ」 これまでだったら考え抜いて単純な原理を探し出せたのに , そんなのは 快に切られてきたんだから・・・ . それがそうではないんですね . つまり し , 自然も訳が分からなく複雑に見えたのが , 天才によってすつばり明 でもそれは考えすぎじゃないかな , だって , 人の世はいつも複雑だ 何だか , 私たち , これまでにない複雑な時代を生きているようですね . ということ . それがこの世紀になって , いよいよ表に現れてきたのです . が . もっと正確に言えば , 単一の原理に対して複雑さを記述する論理 ,

4. 知の論理

■第 V 部 論理のプラクシス 論理を読む・論理を書く

5. 知の論理

の図版です . こうした配慮も今日からすると不思議なものに映りますが , もう ため , といったところでしようか . ウの葉のように , 観る者の眼からその部分を隠すという節度を示す の作業を助けるため . そして同時に , 彫刻などに見られるあのブド に ? 対象となっている身体の男性性器をもちあげて他の一対の手 のびてきて , やさしげに身体のうえに置かれています . 何のため こなっています . そして , 左上からはいささか謎めいた一本の手が が , 器具をあやつり , 解剖ないし外科手術らしき作業をお すらしい二対の手一一点線が直前の動作 , 実線が現在の位置でしょ れているいくつもの手です . 右側にはどうやら時間的経過をあらわ 一方は , 人間の下腹部の断面ですが , そこで気になるのは , 描か 歴史のなかの論理 ーっの図版に目を移してみましよう . 今度はわれわれの医学的常識 228 ■第Ⅳ部

6. 知の論理

■第 II 部 限界の論理・論理の限界 20 世紀の方法原理 いるのですから . (F) 界 , アウシュヴィッツの後において詩を書くことの可能性 , が問われて ません . 夢自体の意味が問われ , そして人間の作りだした「論理」の限 をさらなる彼方につれ去ってくれる , というような夢はもう残されてい し広げています . その論理が尽きる果てに「美」が待っていて , 私たち 鋭さによって , 運動量を増しながら , この時代の論理空間を限界まで押 さから生まれて , 錯綜した戦線を闘いながらも , その知への問いかけの はありません . それぞれの論理がそれぞれの「知る」ということの困難 って基層を作っていたり , かっちり五大元素として核をなしているので れらが私たちの文化の根源のところで , 激しく運動しています . まとま を明らかにしているからです . 論理行為 , 現象 , 知覚 , 表象 , 記号 , こ が重要だから , というよりは , こが「 20 世紀の知の論理」の , 所在 この第Ⅱ部に入っている 5 本の文章はまとめて読んで下さい . どれも

7. 知の論理

ー第 I 部 論理の発明 20 世紀の知のダイナミクス 小林康夫

8. 知の論理

■第Ⅳ部 歴史のなかの論理 他者の論理・創造の論理 可能性の限界まで押し広げられた論理空間の中に , 複雑さに対応する記 述の論理が星雲として渦巻く . いってみれば , そういった , 時間をもた ぬかのような宇宙の中 , 私たちの行為と関係は , どこに現れるのでしょ うか . この第Ⅳ部であっかわれているのは歴史です . その長さはたか だか数千年 , それも全てはこの小さな星の上のこと . しかし私たち人間 の行為と関係は ( ポンペイの「不倫」はもちろんのこと ) , 全て , 歴史とい う場処に , 時間という性質を帯びて立ち上がるのです . その歴史の時間 性はこの近代においては「進歩」と呼ばれる , ある俳人のことばを借り れば , 私たちを貫く棒の如きもの , でありました . この 6 本の文章に 書かれているのは , その近代の歴史観の変容であり , 具体的な解体の方 法です . そして , 変容し解体されるのは , 書割りのように私たちの背に 立っている歴史 , そんなものではなく , 私たち自身の持っ , 他者への行 為と関係性という「歴史」なのです . (F)

9. 知の論理

く理解できるようになったか否かであるはずです . それは第 2 の点 に関係します . すなわち , 新たな問題 (x) をあなたが解こうとしているとき , あなたのすべきことはやはり , 「発明」なのです . たとえばその問 題が , かって構造主義の論理を生み出した問題群 (A) に似ていて , 同様のことが出来はしないか , とあなたが真似して試みたとしても , それは , すでに述べたように , 「構造主義」がうまく行くかどうか を調べることではないし , 問題 (x) が問題群 (A) に似ているか どうか自体を調べたいからでもないはずです . あなたがすべきこと は , 新たな問題 (x) を , おそらく複数の問題群 (X') の中でとら えて , そこに新たな論理を「再び発明」することなのです . ですからこの第 v 部の最初の文章 , 「論理を読む」で行われてい るのは , いくつかの論理が「当てはまる」かどうかの検証ではあり ません . ある対象の問題を分析するときに論理が立ち上がってくる 様子をいくつもの例で展開して示しているのです . そのような発明 の現場の創造性を , 筆者は短い文章の中にいくつもきらめかせて見 せてくれています . 第 2 の文章は , ある研究者が 1 つの問題 ( 史 料 ) を対象にして , 時を置いて , 違う論理を「創り出す」という , まれなケースを提出しています . この文章が私たちに示しているの は , 「事実」がどこに存在するのか , という根底的な問いを発した とき , 歴史を「書くこと」があらたな論理を創ることになる , とい うスリルに満ちた発見の現場です . 第 3 の文章 , 「論理の技法」は まさに実践編です . これをマニュアルのように読まれることは望む ところです . しかしその時でも , マニュアルは文章読本としてでは なく , 調査 , 学会 , 電子討論といった , 論理を書く場を作り上げる ためのものです . この文章は , そのようなマニュアルもふくんで , 議論が成立し論理が発明される , 卒業論文という身近な実践の全体 像を描いているのです . この第 V 部はこういった意味での論理の応用編です . 由自在に発明する秘法はまだ誰にも発明されていません . 「学問に王道なし」とはこの謂なのでしよう . 2 う 4 ■第 V 部論理のプラクシス 論理を自 おそらく

10. 知の論理

いった他の分野の研究者にも大きな影響を与えました . ですが , レ ヴィ = ストロースは , 構造分析をとおしてたしかに「人間精神」の 基本原理をあらわにしたかもしれないけれど , 彼の分析がしばしば 民族誌的な検証が不可能なレヴェルでなされているといった批判 , また彼の関心があまりに主知主義的であるといった批判もなされて きました . 例えば , ギアツは述べています . 「それ ( レヴィ = ストロ ースの構想 ) は歴史を消し , 感情を知性の影に追いやり , あるジャ ングルに住む特定の野蛮人の特定の思考を , われわれすべての中に 内在する『野生の思考』におきかえたのである」 . あるいは「 ( レヴ イ = ストロースが師と仰ぐ ) ルソーと同じように , レヴィ = ストロー スの探求も , 結局 , 具体的な人びとには少しも向けられていないし , そういう人びとのことはあまり気にかけていないのだ . 彼の探求の ねらいは『人間』にあり , 彼はそれに心を奪われている」 11). 私自身は , と言えば , 学生時代に構造主義の洗礼を受けた後 , 人前の人類学者になるべく 1976 年から 78 年にかけてインドネシア 共和国 , スラウェシ島山間部に住むトラジャの人びとのあいだで最 初のフィールドワークを行いました . 調査のテーマは , トラジャの 「伝統的な」儀礼 , とりわけ盛大に行われる死者儀礼でした . その 調査結果をまとめていく過程で , 構造主義に対する関心は徐々に薄 れていきました . なるほど , トラジャの伝統的儀礼のシステムに構 造分析を施すことは可能ですし , そのような論文を書いたこともあ ります . しかし , それは私がトラジャでの調査をとおして見出した ものとはどこか違うものでした . 私が見出したのは , 今日における伝統的儀礼の維持のされ方でし トラジャにはアルク・ト・ドロと呼ばれる伝統宗教があるので すが , 今日 , トラジャの人々の 80 パーセント以上がキリスト教に 改宗しています . また , 多くの人びとはホームランドの村落社会を 離れて都市部へ出稼ぎに出ています . さらに , 伝統的儀礼 , とりわ け多量の水牛を供犠して行われる死者儀礼は , 1970 年はじめより 政府によって導入された観光開発の焦点となっています . したがっ て , 今日のトラジャで行われている伝統的儀礼とは , 出稼ぎで富を 1 % ・第Ⅲ部多元的論理に向かって