AII 111fRODVCfion FOR SPiRjfVAL AWAKEIIiIIG 幸せそうな顔なんてしていないのだ。長年修行している人も、幸せどころか世界中の不幸 をしよって立ってるみたいな感じである。どう考えてもその辺で犬を散歩させている人の 方が幸せそうだ。 しかしその犬が死んだ時、飼い主は多いに嘆き悲しむだろうけど、修行者は「命はいっ か終わる」と冷静に受け止められるかも知れない。修行をしていくと、そうやって「心の 波」が振れなくなっていくのだろうと思う。 それは、幸せなのか。 私はイ , 彦行をしていくうちに、ある一一 = ロ葉を思い出した。 「幸せとは、心の強さのことである」 この言葉を知った時、私はとても納得した。貧乏だったり辛い状況であっても「幸せ だ」と笑っていられる人もいれば、お金持ちでも満たされないまま生涯を過ごす人もいる。 結局、「幸せ」とは条件ではなく、どのような場所にいてもそれを「幸せだと思えるか 」斗ノブ」ゝゝ 。カカっている。 と、つカーオ。 「幸せだと思えるか」は言い換えれば「感謝できるか」だと思う。「感謝する心」、つまりそ れが実は「強い心」であり「足りない何か」なのではないかなあと。私は思ったのでした。 本当は気持ちを切り替えればすぐそこにあるはずだけど、なかなかできない。 「感謝する」って、当たり前に言われすぎていて普段は心を通り抜けていってしまう。修 行は、少なくともその気持ちを思い起こさせてくれる。 しかし人は病気になったら健康の有り難さを実感し、災害にあって初めて普段の暮らし
ーーの恥 食、 5 なんな 気持ち悪い 見横になりたい 辛い ドン そして 「あ勤め」の最中 私に異変がⅡ ちょっと しんどいカら 部屋戻るね卞み 0 し 0 そういえば 杏子ちゃんが 気持ち悪い : ・ 断食って 戻る時が大変で 急に食べて 死ぬ人もいるんだってね ュ中い聆ー 4 0 めまいガ : ・つ 121
AII IfltRODVCfi011 FOPV SpiRjfVAL A 坥Ⅱⅲ G 写経を終えて 正直に言うと、写経そのものはあっけなく終わってしまった感じだった。 とにかく字を写すという決まりがあるだけなので、途中で飲んだり食べ リラックスしながらでもできてしまう。そして「字を上手く書くこ と」に夢中になる恐れも大ありです。 そんな自分を自分で律しつつやらなければならないところが、逆に難し いような気もする。しかし筆で細かい字を書いていると、だんだん心静か にはなってくるので、供養などではなく自分の気持ちを落ち着けるために やるのも、 しいかも知れません と書いていますが、何しろ私はー回書いただけ。 ー 0 0 回やり終える頃にはまったく別の気持ちを持っているのではない かと思います。今は般若心経も最初と最後しかわからないけれど、お経の 解説を読みながらやればその意味について考えられて、とても勉強になる のではないだろうか。お経に書かれていることは、ちょっと霞がかかるく らい遠い境地なんですが。頑張りたい。
AII lfIfRODVCTiOf1 F 〇 SPiRjfVAL AUJAKEIIiTIG 限界に挑戦した。人生で一番疲れた、嵐のようなティータイ ム。新しい経験だった。 そしてすぐさま電気が消され、また 1 時間 覚悟を決めて、「警策」を志願 疲れたけれどお茶した ( お茶したっていうか : : : ) おかげ で最初は新たな気持ちで座れた。しかし、そのうち前 2 時間 の蓄積が。だんだん、じっとしているのが辛くなってきた。 眠い、というほどではなかったけど、ちょっと頭に幕が下り てきた感じもする。 きよ、つさく 私は腹をくくりにかかった。「警策、いっとく ? 」である。 「痛そう」よりも、もう「喝をいれてくれ」の気持ちが強い。 それにアントニオ猪木。彼のビンタに比べれば、肩を平たい 棒で打たれることなど屁じゃないか ! 下品。 とにかく私、覚悟を決めました。半眼のまま、警策を持っ たお坊さんが回ってくるのを待つ。ここは目の前をお坊さん が通るため、頼むタイミングを計りやすい。がに股でゆっく り歩いてくる足が見えてきたので、「ええい」と手を合掌に 変え、頭を下げる。足が止まり、私に向き直った。そして右 本い、いずの コール〒、、ンっン、・
ATI 111fRODvcfi011 FOR SPiRjfVAL AUJAKETIiIIG として、挑戦したいと思えばしてください」と言って一段抜 かしながらグイグイ上り始めた。 私たちもあわてて同じく一段抜かしながら続く。少し上っ たところで早くも息があがる。部屋に戻るには 9 階分くらい はあるのだが、部屋の前に着いたのは先生が一番で、息も乱 さず私たちを待っていた。すごい。歳くらいのおじいちゃ んである。習慣とはいえ、なんという体力。 しかし次の日、いきなり始まった先生の「大告白」を聞い たら、さらにこれが奇跡のようなことなのだ、とわかった。 驚くような事実を先生はこの後、言うのである。 部屋に戻って、内観を続ける。 3 回め以降も、私はたいて い 5 分くらいで書き終わってしまっていた。子供の頃のこと に限らず、私は時々今までの記憶を反芻しては、その時の周 りの人の気持ちになってみたり、「こうしていたら結果が違 っていたんじゃないかーと想像することがある。漫画を描い ているせいかも知れない。 ) しやそういう人間だから漫画を描 いているのかも。とにかく、記憶の分量が少ないだけに持っ ているものはよく思い出すので、この作業はそれほど新鮮味 はなく、相手の気持ちも想像ずみ。そしてそれが感謝しなけ サデブあ用 X イ、 / ス ) 巴、 こら進心
CHAPfER 4 よこ」ではあるが「修行者」の端くれ、の、端くれあたり。滝があると気づいたならば、 一度も打たれないわけにはいくまい さあ腹をくくったその日から、祈ることはただ一つ。「異常気象」。 どうか滝に打たれる日が「天気予報史上初めての、秋の最高気温」になりますように。 あー、どうも腹はきちんとくくれてなかった。いや、一回くくったけどヒモがほどけたっ ・つていうかそんなことはどうでも ていうか。んー違うなー、腹だと思ったが尻だった : しいですよね。 とにかく「これ以上無理っすよお、一応秋ですからー」と、「秋」というものに言わし めるくらい暖かい日になりますようにと、もう呪うような気持ちで過ごしていたのです。 というのも私は寒いのが死ぬほど苦手。この世の中で一番嫌いなものはシベリア寒気団な んですから。 なんで杏子ちゃんは夏に思いついてくれなかったのか。と、杏子ちゃんのことも呪いか けたのだが、へなちょこ修行仲間の彼女は「私はすごくへタレだけど、でも頑張りたいん だよね。でもできるかなあ、無理かも」と意気込んでいるのかいないのかよくわからない 決意を語ってくれたので、一緒に頑張ってみようと私も思った。つられ決意。まあきっか けがないとできないような経験だし。それにしても滝に打たれたら、何かさつばりするの かなあ。体じゃなくて心が。どうなるのかという期待感で気持ちも持ち直しつつ、しかし 「祈り呪い」しつつ、その日を待ったのだった。
CHAPTER Zazeq でも 1 週間だしね。いきなりそれは無謀でしょ 1 などと思いつつ、また読んでいくと、 そこに驚くべき情報が。 「朝食に出る沢庵を食べる時、音を立てたら怒られる」 えええ っ ! 沢庵って、沢庵って、あの黄色いやつだよね ? 黄色くってさ、 丸くってさ、ポリポリってさ : : : 音 : : 音も食感のうちじゃないか。 食感と修行は両立できないのか。私の人生の中で沢庵を無音で食べられた記憶はないん ですけど。ゝ しゃーこれは大変そうだ。できるのかしら。 しかし私の中では、むしろ「行かねば」という気持ちがさらに強まっていた。敷居と時 ことわざ 給は高い方が燃える。なんて諺はない。 しかし、とにかくこれくらい厳しい方が効果があるんではないか ? と思った。早速杏 子ちゃんに提案してみる。 「沢庵を : : : 音を立てずに ? そんな厳しいとこ自信ないよー」 彼女はちょっと天然つばいというか、ポャンとしたところがある。一生懸命やっている ように見えるけど「へタレ」。いや「へタレ」っていうのは自分で言ってるんだけど、私 が一一一一口うと私がひどい人のように聞こえて損なので「癒しへタレ系」にします。「癒しへタ レ」は、しごきに耐えられるのだろうか。 でも私だって、厳しいところに行きたい気持ちはあるが、一人っていうのもなんだな 1 と勝手に思っていたので必死だ。「大丈夫大丈夫 ! 1 泊だし」こうして人が同じ言葉を 2 回繰り返す時は怪しい
うーん あっけなく終わった よ , フな・・ でも書いた後 奉納してくれるのが 嬉しいし それにしても 父のために 「写経作法」の 何ガしたっていう裏にある 充実感は 「般若心経」の意訳を あるなあ 読んでみると : 自分の修行 というより 身近な誰ガの ために何かしたい という気持ちに いいかも知れません 、くるのカ にこたるキの 2 にこおわ”なきに るるキ・とて なに耄なく これガ 「悟り」なんで しようなあ フテ
よかったら してくたさいね 「戒だん巡りーとは 弘法大師が生まれた 部屋の下に行けるもの 読経や法話を聞いた後 「戒だん巡り」 すセド 何ガとても / 神妙な気持ちに なり マ毛 ま 個の一一とな人 1 、ない : 「世界平和」を祈る ロ よガった 昨日 / やろうと 思ったけど やめといて し ちょっと開けた減 場所に出る 手搾り心 その後朝ごはん 毎干し 切ヂし も、つ ないて お漬物 豆腐の 当大ム -.
お 山 a が が恵まれていたのだと認識するもの。あるいは生活が大変であれば、修行どころではない。 というか生活そのものが修行とも言える。わざわざ修行しにいくというのは、とても贅沢 で、幸せなことなのかも知れない。 と、私の修行の動機が「幸せになりたい」だということで、「幸せと修行と私」みたい な文章になってしまいましたが、まったく違う気持ちで修行に挑む方もいらっしやると思 います。 どんどん、頑張ってください。そして、本当のところどうなのかはご自分で感じて下さ 、ゝ、し義や乍法も修行のうちですし、また遊びでもありませ い。ただ当たり前のことです力ネイイ、 んので、その場の決まりや指示には必ず従ってくださいね。 最後には勝手に「係の人」みたいになってしまいました。 そんな私も幸せに感謝しつつ、また修行に行きたいと思っています。 2