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検索対象: 絶対貧困 : 世界最貧民の目線
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1. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

147 は、政府が宝くじの売り上げの一部を福祉事業などにあてています。そういう意味ではみなさん も遊び半分でもいいので、宝くじを買ってあげてもいいかもしれませんね。 ちなみに、以前、私はタイのバンコクで、宝くじを売る車椅子の女性と恋に落ちたことがあり ました。私が物乞いの取材をしている時に、出会って仲良くなったのです。カティーンという名 前でした。 彼女はとにかく美人でしたが、タイ語しかしゃべれませんでした。当時、私はほとんどタイ語 ができなかったので、恋が成就することはないなと思いながら、取材が終わった後一言一一言話を して満足していました。 ところがある日、彼女の方からアパートに来ないかと言われたのです。夜の十時過ぎにアパー トに行き、二人で取りとめのない話をしていました。彼女が宝くじを売ったお金でコンサートに 行きたいと言っていたので、その話で盛り上がった記憶があります。 その時、急に私たちの間に会話がなくなりました。気がつくと、私は彼女の洋服を脱がせて抱 いていました。しかし、障害のある女性を抱くのは初めてです。たぶん、私の中の何かが邪魔を したのでしよう。どうしても私の男の部分が反応してくれませんでした。 その晩、カティーンはずっと「気にしなくていいよ」と言ってくれました。必死にそう言って いました。たぶん、私が落胆し離れていくのをとどめようとしていたのでしよう。ですが、私は 気持ちを切り替えることができませんでした。健常者である私と、障害者である彼女の間に深い 第一一部路上生活編

2. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

105 す。恋の炎は一度燃え広がってしまうと、誰にも消し止めることはできなくなります。ある国で 「恋する男女は盲目の荒馬だ」という格言を教わりましたが、路上とて同じなのです。 路上生活者たちと暮らしていると、時々そんな男女の恋に遭遇することがあります。 たとえば、ある夜、私は路上生活者に交じってアスファルトに襤褸を敷いて眠っていました。 合計一一十人ぐらいが横になっていたでしようか ・つしみどき 草木も眠る丑三つ時、私は何かが当たるような感触がして目を覚ましました。すると私の右に 寝ていた男と左に寝ていた女が、私を挟んで木の枝でお互いをつついてじゃれ合っているので す。二人は元々恋人として交際していたのでしよう。それでバラバラに寝ているのが我慢できな くなり、みんなが寝静まったのを見計らって、枝で胸や脇をツンツンし合いはじめたに違いあり ません。 私は非常に不愉快でした。二人がつつく枝には葉っぱがついており、いちいちそれが私の顔や ハゲ頭をくすぐるのです。恋する二人はそんなことお構いなしに、ツンツンやっては「あん」と か「うつふん」とかバカみたいな声をだして二人だけの世界をつくっています。よほど親父に告 げロしてやろうかと思いましたが、若いカップル相手にそこまでするのも大人気ないなと思いと どまったものの、私の興奮と怒りは冷めやらず、翌日から一切口をきかなくなりました。まあ、 単純に嫉妬していただけなんですが こうしたコミュニティで生まれたカップルが結婚に至ることも珍しくないようです。両親とし 第一一部路上生活編

3. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

191 かっていません。蚊を叩くような感覚で人を殺すような少年が少なからずいるのです。そのた め、私は少年兵に出くわすと、できるだけ早くその場から逃げるようにしていました。 ただ、その時は偶然ガイドをしてくれていた人とその少年兵が知り合いで、少年兵が一兀ストリ ートチルドレンだということを教えてもらったのです。私は少年兵のご機嫌を取るために、煙草 をプレゼントしました。マールポロなど欧米の煙草はどこでも喜ばれるので賄賂用にもっていた のです。 少年兵は私の横にすわって煙草を二本同時に吸いながら、「俺は少年兵の中で一番つよいん だ」とか「俺がもっともポスに信頼されているんだ」とい一つよ一つなことを自漫していました。 私はすぐに彼が少年兵であることに酔っているタイプだと察しました。そこでどうして兵士に なったのかを尋ねてみました。彼はカラシニコフの銃ロの上に顎を乗せて煙草を吸いながら答え ました。 「町の路上にいたって、誰からも相手にされずに死んでいくだけじゃないかだけど、軍隊にい ればみんな僕のことを必要としてくれるだろ。働けば働くだけほめてもらえる。偉くなることだ ってできる。だから自分の意思で加わったんだよ」 これを聞いた時、頭を殴られたような衝撃を受けました。私たちは町で子供たちが横たわって も目を逸らして通り過ぎていきます。彼らはそこで感じた孤独や絶望を、ゲリラ組織に人って埋 めようとしていたのです。いわば、私たちが彼らをゲリラ組織に人らせたようなものではないで 第一一部路上生活編

4. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

236 があってお店をやめて違法な立ちんぼうになったのだとか。私は彼女を取材していたわけではな いので、それ以上深いことは訊きませんでした。 メリーは屋台でヌードルをすすっている最中いつも警察の悪口を言っていました。お客さんが つかまらないのに警察は賄賂ばかり要求してくる。おかげで家賃が払えない。そんなような話で した。 毎晩同じことばかり一一一口うので、ある日、私はなぜ公認のナイトクラブで働かないのかと尋ねま した。彼女はまだ若いので働けないことはありませんし、そこであれば少なくとも食いはぐれる ことはないだろうと思ったからです。すると彼女はこうつぶやきました。 「実は、私に感染しているの。だから公認のナイトクラブでは働けないのよ」 公認のナイトクラブでは感染者は雇用してもらえません。そのため、感染した売 春婦はお店をやめざるを得ないのです。しかし今さら実家に戻るわけにもいきませんし、他の職 業に就くこともできません。それで、やむを得ず非合法の立ちんぼうになったのだということで した。 私はそれはそれで仕方のないことだと考えていました。しかしこの話を横で聞いていた屋台の 主人はそうは考えませんでした。だとわかっているのに売春をしていることに怒りを覚 え、屋台から追い出し、一一度と来るな、と立ち人りを禁じたのです。 その日以来、私は屋台で一人で食事をとることになりました。近くに別の店はなかったのでメ

5. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

1 1 7 おり、そういう人たちが産婆の役割を担うのです。さすがにそれぐらいお産をしていると、自分 でもいろんなノウハウがっかめるようになるのかもしれませんね。 かって私がアフリカのタンザニアで知り合った路上の産婆さんにマドンナという本当か嘘かわ らないような名前のオバちゃんがいました。 マドンナは遠くから路上生活者の妊婦が噂を聞きつけてやってくるほど人気があり、頻繁にお 産を手伝っていました。ある日、私は彼女に「少しでもお金を取ればいし ) じゃないか」と一言いま した。そうすれば路上で寝泊まりせず、バラックに暮らすぐらいのお金はできるはずだからで す。しかし、マドンナは苦笑して次のように答えました。 「アフリカでは、みんなお金を目当てに戦争をしたり、虐殺をしたりしている。私は赤ちゃんが 生まれてくる時ぐらいはお金に関係なくやってあげたいのさ。生まれた時から赤ちゃんをお金の 毒にさらしたくないんだよ。だから、私は路上の産婆で満足なんだ」 私はそれを聞いた時、マドンナがみんなから好かれて頼りにされているわけがわかったような 気がしました。 しかし、熟練した産婆にも、どうすることもできない難産や事故があるものです。産婆たちは 自分では手におえないと判断した場合は、すぐに病院へ運びますが、それでも手遅れになってし ま一つことは多々あります。 一例として日本の乳児死亡率と海外のそれを比べてみましよう。 第二部路上生活編

6. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

わびしい生活を余儀なくされていたのです。 ジャパニーズハウスのゴッドマザーはこうした女性にひどく同情し、受け人れてあげていまし た。かって日本へ行って体を売ってまで家族を養っていた彼女たちのことを「英雄」だと称えて 支援を惜しみませんでした。彼女たちをジャパニーズハウスに呼び寄せてご飯を食べさせてあげ たり、シャワーをつかわせてあげたり、仕事を紹介したりしていました。子供の学費も負担して あげていました。 そんなある日のこと、ジャパニーズハウスにいた女性が私のカメラを盗んで売りさばいてしま ったことがありました。お金に困っていたのでしよう。私は取材でカメラが必要だったこともあ り、彼女をつかまえて、「今すぐ買い戻して来なければ警察に訴えるぞ」と怒りました。する と、ゴッドマザーがやってきてこう言いました。 「彼女を怒らないで。私がカメラを弁償するわ。だから彼女を許してあげて」 私はどうしてゴッドマザーがそこまでするのかと間いました。ちゃんと注意しないとまた同じ ことをくり返すのではないか、と。すると、ゴッドマザーは答えました。 「かって彼女は日本で体を売って稼いだお金をすべて仕送りしていたのよ。親戚が取ってお金が たまらないことはわかっていたのに歯を食いしばって働きつづけてくれた。だから家族やスラム の人々が生きてこられたの。私たちは、そんな彼女のような人を尊敬して支えてあげるべきだと 思うの。今はお金もなく、盗みをすることでしか生きていけないかもしれない。けど、以前の彼

7. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

女がそうだったように、私たちだって彼女を許した上で、できる限り援助をしてあげなければな らないのよ」 ゴッドマザーはそういって数万円というお金を私のポケットにねじ込んできました。 最初、私は仕方なくそれを受け取ってホテルに戻りました。しかし、そのお金だってゴッドマ ザーの子供が日本で必死で汗水流して稼いだお金です。そのことを考えるとそのお金がものすご く重たく感じられて、翌日には返しに行くことにしました。もちろん、カメラを盗んだ女性を怒 る気持ちも失せてしまいました。 ゴッドマザーの意見や行動をどうとらえるかは人それぞれです。 ただ、スラムでは、かって海外へ渡って必死に働いていた人々が、その日の米にも困るような ひもじい生活をしていることがあります。その中で、唯一ゴッドマザーが彼女たちに手を差し伸 べています。出稼ぎ成金が、出稼ぎによって夢破れたものたちを救っているのです。 私には、そこに良いとか悪いといった理屈では語れない何かが横たわっているように思えてな りません。 第一部スラム編

8. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

237 リーを置いて食べるしかなかったのです。メリーは悲しみ、毎日主人に「人れて下さい」と頼ん でいました。主人は冷たくあしらうだけでした。ある日、メリーは急に泣きだしてこう言いまし 「お客さんには悪いと思っているわ。けど、私も他に生きていく術がないの。今はできるだけ感 染しないようにコンドームを二重にしてつけてもらっているわ。お客さんが事情を知らずに、着 用を嫌だと言って殴ってきても土下座して頼んでいるのよ。私も精一杯やっているの」 彼女は彼女なりに罪悪感を覚えながら、なんとか感染させないようにしていたのでしよう。 私は隣で聞いていて、彼女がここまで追い詰められてもなお男性客について考えていることに 驚くとともに、胸がしめつけられるような気持ちになりました。しかし主人が直既する理由もわ からないではありません。 私は何と一「〔うべきかずっと考えていましたが、うまい答えは見つかりませんでした。そうこう しているうちに、メリーは去っていってしまいました。それ以降、彼女が姿を見せたことは一度 もありませんでした。 第三部売春編

9. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

280 ま私たちの安全や経済や政治に影響を与えるのです。それがグローバリゼーションということな のです。 今後、世界のグローバル化はますます加速していくはずです。その時に大切なのは、海外での 出来事を自分たちのこととして考えることです。「遠い国の出来事」として見て見ぬふりをする のではなく、我が身に降りかかってくる問題として受け止め、行動をしていくことです。それ が、これからの時代を生きる私たちの義務なのです。 ただ、そのためには海外の貧困地域の生活や、現地で起きている間題がどういうものかという ことを知らなければなりません。それを学んで初めてさらに先のことを考えられるようになるの です。 これまで私は「世界リアル貧困学講義」と題して全十四回にわたって海外の暮らしゃ間題につ 。しいなと思っていま いて述べてきましたが、ここでの話がそうしたことを考える手助けとなれま ) す。海外で起きている出来事を我が身のこととして考えるためのきっかけや材料になればと願っ ているのです。 逆に言えば、この講義はあくまでもきっかけや材料にすぎません。それを手に人れた上で、問 題をどう考え、何をしていくのかということは、みなさん一人一人の選択です。「こうするべ き」という決まりはありません。あるのは、みなさんそれぞれが抱く「こうしたい」という思い だけです。私としては、できる範囲の中で、勇気を出し、その思いに忠実に動いていただきたい

10. 絶対貧困 : 世界最貧民の目線

ると、日本の六十倍以上もの死亡率なのです。もちろん、途上国の中の貧しい地区がスラムです から、実際の死亡率はこれよりも上がる可能性があります。 同じことは大人の寿命についても一「ロえます。大人になることができても、ろくに食事をせず に、錠剤でのみビタミンを摂取していて十分な免疫力がつくわけがありません。そうなれば病気 に感染しやすくなりますし、悪化もしやすくなります。これが、スラム、ひいては途上国の平均 寿命が短くなる理由なのです。 今回の講義で、私は面白おかしく、うんこが川から流れてくるだの、地面に新聞紙を敷いて用 を足すだのという話をしました。現地にいると、彼らは当たり前のようにそうやっていますし、 そこに多くの笑顔があったりします。しかし、だからといって、それが「安全」というわけでは ないのです。きつい言い方をすれば、それは「自然淘汰」に勝ち残った者たちの笑顔にしかすぎ ないのです。 これは、私たちにとっても、すごく難しい現実ですよね。私たちはテレビ番組に映し出される 「笑顔で必死に生きる貧しい子供」を見てほっとしますが、番組にならない所では何倍もの死が 横たわっていることもあるのです。 こうしたことで、一つ思い出深いことがあります。私はテレビのドキュメンタリ番組にも関わ っており、ある時途上国の貧困地区に生きる人々を追う番組に携わったことがありました。プロ デューサー、ディレクター、カメラマンは全員日本人でした。