の願いや喜びやつらさを、ともに感じ力だ。 自分が感じている「なにかーが、単に個人的なものだとした ら、わざわざ人と共有するまでのことはない。 でも自分だけのこととは思えないから、なんらかの形にして、 社会に差し出してみることが出来る。そのとき仕事は、「自 分」の仕事であると同時に、「わたしたちーの仕事になる。 「商売にしないようにする」という甲田さんの言葉には、ハッ とさせられた。 ルヴァンでパンを買う時、他の店で買っている時とまったく 違う感覚があって、前から不思議だった。変な言い方だが、ハ ンを買っているはずなのに、なんだかご飯をよそってもらって いるような感じがして、これは一体なんだろうと思っていたの ヾ、」 0 「つくる人とお客さんが、友達というか、家族になっているよ うな関係」と甲田さんは言っているが、その言葉のとおり、ル 3 1 3 甲田幹夫さんを上田に訪ねる
甲田幹夫さんを上田に訪ねる【 2008 年・夏】 「家族のような関係に 人は満足を感じるんじゃないか」 甲田幹夫さんが手がける天然酵母のパン屋さん「ルヴァン は、この一〇年の間に、信州上田に新しいお店を開き、小さな レストランも開業。それと並行して調布にあった工場を閉じた。 いつも通りのパンと笑顔をとどけてくれるルヴァンだが、実 はいろいろな変化を遂げてきた。この一〇年の間に多くのスタ ッフが入れ代わり、自分のパン屋をひらいている卒業生は多い。 パン以外の仕事をしている人もいるが、関係は途切れすにつづ いていて、互いの様子を気にし合っている様子が傍目にも温か く感じられる。ルヴァンはパン屋とい、つより、小さなコミュニ ティのようだ。 3 0 0 補稿 : 1 0 年後のインタビュー
昨年、調布の工場をたたみましたよね。その理由を聞かせ てもら、んますか。 甲田チャンスがあれば閉めたいな、という気持ちは前からあ ったんです。理由はいくつかあるんだけど、一つは人の問題。 昔ある人が牛耳って労働組合ができて、「対社長だ ! 」みたい になった時があって。どうも気持ちが合わなくて。その時はも うすぐに閉じたかったけど、でも調布は原点だしね。ルヴァン はあの工場から始まったわけだから。 経営的にも大変だったんです。富ヶ谷店は小売りのお店だか ら、売上げはそのまま収益になる。でも調布は卸しだから、全 国に送ってはいたけど、利益率は低いし、諸経費も多、。、 もトントンというか、そんな感じでした。 直販じゃないことで、増える仕事も多い 甲田そう。たとえば宅配便で送るわけです。以前は次の日に 甲田幹夫さんを上田に訪ねる
甲田野望やただの義務感からは、本当に価値のあるものは生 まれないよね。自分にも価値があるかど、つかわからないけど、 いろいろ積み重ねていって、後で「そういう価値があったの かーと気づいたり、周りの人が「いい仕事だよ」と認めてくれ たりする。本当に価値あることっていうのは、そういうことな んじゃないかな。 仕事は、自分の課題と社会の課題が、重なるところにある。 それはただ単に好きなことをやることでも、ただ人や会社に与 えられた務めを果たすことでもない。 馬場さんは、正直これまでは自分のイメ 1 ジを形にすること に重心を置いていた部分があると話していた。そう語る彼の仕 事が、グロテスクな独善に陥らずにスタ 1 ネットを訪ねる多く の人から喜ばれているのは、彼の見ている夢やイメ 1 ジが、馬 場さんだけのものではないからだ。 ものをつくる時、つくり手が重要な手がかりにしているのは、 甲田幹夫さんを上田に訪ねる
甲田これまですべて発展的だったしね。閉めるのは経験がな いし、スタッフの次の就職先のこともあるし。どうなるかと思 ったけど、なんとかやらないといけない。 山登りでは頂上を目指していても、状況によって断念して引 き返すことがある。それは勇気のあることだと言われるんです けど。昔の調布のスタッフから、「僕が働いていたあそこをな ぜ閉じるんですかに」と問われるのが一番苦しかったな。彼に とっては、母校がなくなっちゃ、つよ、つなことだものね。 でも閉じて半年経って、だいぶ落ち着いてきました。次はね、 農業をやってみたいと思っているんです。ルヴァン・ファ 1 ム。 麦をつくりたい。日本の麦も大変な状況になりつつある。僕ら は製造業をやってきて、サービス業もやって。あとは第一次産 業だなって思っているんです。そこまでできれば、僕の考えた ことは全部できたかなと。 富ヶ谷のお店については、「僕に任せてください」という人 が出てきたら、しめたもんだなと思う ( 笑 ) 。 3 0 5 甲田幹夫さんを上田に訪ねる
【コラム】 深澤直人さんに聞いた働き方の話 伊藤弘さんに聞いた働き方の話 黒崎輝男さんに聞いた働き方の話 あとがき / 謝辞 補稿加年後のインタビュー 馬場浩史さんを益子に訪ねる ここでの暮らし・ここでのものづくり 甲田幹夫さんを上田に訪ねる わたしたち純 文庫版あとがき 解説ファックス・ズゴゴゴゴの頃から稲本喜則 2 索引 / 参考文献 ロ 054 ロ 2 8 5 3 0 0
す。 なにがそんなふ、つに満足させるのかってい、つと、誠意を込め てつくるとか気持ちよく売るとか、そういうところまで含まれ ている。無農薬だとか有機だとか、そういうことではないって ことだと思、つ。 そう考えると、やつばり母親のつくったものっていうのは、 精神的にいちばん大きいよね。ほんとに精魂込めてつくってい るわけだから。材料とか技術ということより、気持ちが美味し い。他人が食べたら「なんだこんなものーってなるかもしれな いけど、その人のために一所懸命つくられたものをいただくこ とが、「満足」になるのだと思う。 家庭の味というのが大事だと思うんです。ルヴァンもそうだ けど、商売になってしまわないようにする。家庭の味を商品に して売るのではなくて、単純に家庭の味をつくって提供したい。 つくっている人と買いに来るお客さんが、友達というか、家 族になっているような関係。あの人のためにつくるんだって思 えて、時には「こんな油っこいもの食べちゃいけないよ」とか 3 0 9 甲田幹夫さんを上田に訪ねる
ー・・ー自分が死んだあとも、ルヴァンは残って欲しいですか ? 甲田うーん。後継ぎが出てきたら託すというか、なんとか残 して欲しいと思うけど、まだ出てきていないからな。 みんなが楽しくやってくれているというのが理想。平和的な 気持ちというか、それがつづいててくれればパン屋でなくたっ ていいんです。商売をかえて骨董屋さんになっていてもね ( 笑 ) 。 気持ちがつづいていたら、天国の甲田としては嬉しいかな。 前の本で僕は「ルヴァンのパンは美味しいだけじゃなくて、 満たされるんだ」と書きました。甲田さんは満足感というもの を、どんなふうに考えていますか ? 甲田肉体的なそれと精神的なそれでは、後者の満足感の方が 強いと思う。もちろん食べて身体も喜ぶけど、気持ちっていう か、それが喜ぶことの方が、もっと上の楽しみだと僕は思いま 3 0 6 補稿 : 10 年後のインタビュー
そんな人々がつくり出す社会を「機能は完璧だけど、本質をま ったく欠いた世界。という言葉で表現した。このパン屋にはそ の逆のたぐいの仕事があるように思う。彼らのつくるパンはと ても人間的で、エンデが語ろうとしている「本質的なものーが、 みつしりと詰まっている気がしてならなし 、。「ほらこれです と取り出して見せることは出来ないのだが、あのパンには、い ったい何が入っているのだろう。それはどんな働き方の中で込 められているのか。 社長であると同時に、「彼が触ると酵母の動きが違う」とス タッフをうならせるパン職人でもある甲田幹夫氏に、話をうか がってみた。 ハンづくりの仕事を選んだ経緯を、聞かせてもらえますか。 甲田三二歳くらいまでは定職を持たすこ、、 。しろいろな仕事や 旅をしていました。僕は四〇歳くらいを目標にして、呑気に構 えていたんです。 甲田幹夫 1949 年、長野 県生まれ。複数の職に就いた 後、あるフランス人から、自 然発酵種を用いたヨーロッパ の伝統的なパン製法を学ぶ。 年に東京・調布で開業。 年に直営小売店舗「ルヴァ ン」を東京・富ヶ谷に開店。 日々、穀物本来の味を生かし たパンを焼いている。 1 6 9 甲田幹夫さんのバンづくりを訪ねる
甲田このパンに日の目を見せてあげたい、 という気持ちがだ んだん大きくなっていたんです。工場からの卸し先は、自然食 関係の店でしたから、限られた人たちを相手にしていました。 それに卸しだと、どうしても翌日の販売になってしまう。でも 僕たちは焼きたてを食べていて、「こんなにおいしいパンはな い」って思っているわけです ( 笑 ) 。 だから、その思いがどれだけ一般的なものになるのか。街の ハン屋さんと同じ列に並んで、通りがかりの人がオッと思って 買っていってくれたり、その人の話を聞いてまた買いに来てく れる人が生まれたり。このパンがどれくらい広がっていくだろ う、っていう興味があったんです。 ルヴァンはパンも美味しいけど、スタッフ一人一人が釀し 出す雰囲気がとてもいいですね。この店に来て、嫌な気持ちに なったことは一度もありません。 甲田そうなんですよね ( 笑 ) 。それは本当によく言われます。 甲田幹夫さんのバンづくりを訪ねる