た自作小農だけは、もうこの点については高みの見物をしている。 三たった一つの小作人の弱味 単なる史論としては、明治初年の地租改正の際に今日の米価を見越してもし小作料も 金納の制度を立てておいたならば、何人も余分に苦しむ者なくして、細小農場は今少し としかぞ く栄えたろうと言い得るか、これは死んだ児の齢を算えるようなものである。現在では 新たに法律を設けて金納を強制するか、そうでなければ個々の契約を変更するの他に道 また単に金納の方法に改めてみたところが、それが今日の程度に有利でないと、 いかん 貸主が同意をせぬという以上は、如何とも致し方がない。合法の範囲においては、それ 途 のならばも、つ借りない、作ってやらないと、強く一言切ることができるか否かによって、 題 ずれとも問題を決すべきであることは、あまりにも明白なる常識であるにもかかわらす、 多くのこの頃の小作論議を見ると、まだこれ以外にも何らかの方策があるかのごとく、 人を誤ったる希望に導いて、後かえって深き失望を感ぜしめることを、省みない者があ 第 るのは不本意なことである。 日本に小作騒動というものが始まって、今でちょうど三十年ほどになる。この間に 183
196 しているゆえに、論理上今土地を買受けて、自作農となるのも結構と言うわけには行、 ぬのである。いくら低利の金を借り、その上三分の一の利子を手伝ってもらおうとも、 元金の高いのは直らない。現在一反四百円の田が、やがて二百円にも百円にも下るもの とすれば、急いで買おうとするのは明かに不得策であるが、果して農民組合側の註文通 り、地価がどしどしと安くなって行くかどうか。農林省から公表した評価法というもの ふみたお は、地主の眼で見れば思い切った踏倒しで、あるいは買手の肩を持過ぎたという者があ るかも知れぬ。しかしこの算定の基礎はただ現在の安全率で、いまだ予測すべからざる たん 将来の変化までは考えてない。例えば小作に関する法律が新たに通過して、段当り十五 円を超ゆる小作料は取るべからずという類の、規定が出来ようとは何人も思っていない 小作人らにいろいろの労働機会が出来て、反十円より高い小作料を要求するなら、借り てやらないと言切り得る時代が、そう早くは来そうにもないと思っている人たちが、こ うすずみいろ の案の実現を急ぐのである。日本の細小農の未来を薄墨色を以て彩り、彼らの永遠の困 窮にこれほどの確信をもつ者が案出した振興案に、果してどれほどの価値があるであろ かかる不吉なる予言を的中させぬために、我らの試みてよい方法はまだたくさんある。 なんびと
第七章小作問題の前途・ 一地租条例による小農の分裂六地主の黄金時代 七地価論に降参する人々 一一小作料と年貢米 三たった一つの小作人の弱味八土地相場の将来 九挙国一致の誤謬 四耕作権の先決問題 一〇農民組合の悩み 五上地財産化の防止策 第八章指導せられざる組合心 一二種の団結方法 一一組合と生活改良 三産業組合の個人主義 四農民組合の個人主義 五組合は要するに手段 第九章自治教育の欠陥とその補充 六農民の孤立を便とする階級 七前代の共同生産 八山川藪沢の利 九上地の公共管理 一〇地租委譲の意義 178 203 228
162 はしめ えもなお不幸の種になったのである。多くの農民が家に持伝えた田地は、始から決して 広々としたものではなかった。かなり簡素な生活をただ欠乏なく、働く人々に保障した というのみであった。主人自らが田の畔に臨ますして、経営し得るほどの農場といえば、 貴人と社寺に属するわすかの数に限られ、武士も在所に住む間は親方として農具を手に していた。それが弓矢を棄て専門の農民になれば、さまで総領を重んするの要なしとし て、代ごとに少しずっその田を分けて、タワケという語はこれに基くなどと、いう者を 生するまでになった。そうしていよいよ何としても分けられなくなって、始めて次男以 下の農事に愛着する者を、よその農家のやや大なる者に、年季奉公に入れて有附かせん としたのである。 こま、ん 小作農との間には堺の線もなかったのである。 だから小前と称する最小の自作農と、 豊作の年には一方がやや楽しみが多い代りに、不作の年といえば他の一方が遥かに安全 しようめん でもあった。地主が定免すなわち定額の地租を払いながら、内には見取を以て小作料を 減収したことを、何か一つの功績のごとくに考えていることは、歴史上の根拠だけはあ ることであった。現在はもはや責任もなくなったが、元は少なくとも餓死だけはさせぬ しおや やくだく こと、これが地親の暗黙の約諾であって、貧しき年季奉公人の親々は、それをせめても ありつ
195 権利でなければならぬ。そんな簡単な論理すらも省みないゆえに、今以て張三が酒を飲 んで、李四が酔、つよ、つな結果を見るのである。 八土地相場の将来 政府の自作農創定案に対する農民組合の反対は理由がよく解っている。彼らは決して 小作人の仲間が減少して、団体の威力の衰えんことを悲しむために、この案の成功を欲 みすげんか せぬのであるまい。もしそういう動機がすこしでもあるならば、ちょうど水喧嘩よりも 雨乞の方が平和であるように、第三者はもつばら自作案の実現を支持したかも知れない 国から私人の私経済を援助してもらうということは滅多にないことで、小作人は今その 途 せんざいいちぐう 千載一遇の幸福に見舞われんとしている。それを邪魔するのが彼らの組合であることは、 一見いかにも不条理ではあるが、実はこの利益の帰するところが、別に彼ら以外の者に 作 あって、保護の目的もまたそこに存するかという疑念があるために、少なくともしばら 章 く形勢の推移を観望せんことを欲するのである。 第 それを具体的に説明すれば、小作地の売買相場は現在も少しすっ低くなろうとしてい る。将来はさらに著しく下落すべきことが予想せられ、またさせなければならぬと主張 あまごい ちょ、つさん
ごしきさん うらや ことは御同様であり、むしろ心細い御直参が、大家の乂者を羨むと同じような場合さえ 多かった。ゆえに互に境遇を理解すという以上に、ほとんど同一の境遇と言われても、 しっちょ、つ 怪しむ者はなかったくらいである。しかるに一朝地租条例が全国に布かれ、米を売って その代金の中から、金銭を以て年貢を払うことになると、もはやこの二種の農民は同階 級ではなくなった。彼らは今まで例もないほどの無関心を以て、互いに相手の憂苦を眺 めようとするのみならす、世間はまた往々にして一方を問題とし、他の一方を解決とさ え考えつつあるのである。かくして農村が二組の小さきものに別れて、一つ流れの繁栄 に向うことを、期待し得る理由はないわけであるが、それを三十五箇年後に二割の面積 まで、一方を少なく他の一方を多くすることを以て我慢せしめようとするのが最近のい わゆる自作農案である。 一一小作料と年貢米 日本の小作制度の歴史としては、実際これ以上の激変はなかったといってよいが、不 思議に今まではこの点に一顧を払う者がなかった。我々の小作第は、俗言では年貢米と いうのが普通である。地主はもとより年貢を取る人ではなかったから、年貢米はすなわ またもの
でみせ いては絶えてしまって、かえって出店ばかりにやや残っているということは考えさせら れる。つまりはある時代には確に義務であったものが、もはや権利とすらも認められぬ ようになってしまったので、そうなった理由はいやしくもこの問題に携わろうとする者 が、到底無視して過ぐることのできぬものである。 日本のごとく人の素性を区別したがる国でも、さすがにまだ小作人の元祖ばかりは別 みすのみびやくしよう 階級であるとはいわない。水呑百姓は帰化人の末だとも思っていない。単に通例の農民 の貧乏し零落して、水しか呑めない境遇に陥ったものくらいに考えようとしている。果 してそのような雑然たる原因を以てわずかに百五十年か二百年の期間に、全国一様にこ れだけ多くの小作人が出来上がるものかどうか。また果して旧家が零落した場合に、甘 のんじて小作の地位に入り得るものかどうか。こちらは実例を検してみればすぐにわかる 百ことである。しかるにいまだ不安の根源をも知り得ざる人に、その救治法を託せんとし 水 ていることは、国民としてはなはだ無頓着に過ぎはしまいかと思う。 章 第 五いわゆる温情主義の基礎 けだし子の愛は至情であり、均分もまた正義ではあったが、その適用を誤ればそれさ 161 たしか
214 小作の間柄が急にますくなり、今頃小作料の高いことを騒ぎ始めたのも、突発的原因が あったからとは思われない。貧乏は昔からと平気ではいられぬように、村の気風を変え すきま たのが時勢ならば、必す何か我々のまだ心付かぬ隙間が出来ていて、世の中がすでに以 前の通りではなくなったのである。それを総括的にただ人智が進んだゆえと説明し、な るほどさようかと思っていた者も多いが、決してこれはなるほどではなかった。 つまりは人智 人が賢くなってさらに生存がむつかしくなるということはあり得ない。 も進んだがそれを追越すほどに社会も早足に変化したのであった。問題は多分ここから 起った。そうでなくてもこの変化を考えてみた上でないと、正しい解決が得られそうに なんびと は思われぬ。すなわち今日何人も知らんと欲する農村衰微の実相も、これによっておお よそ判明する見込があるのみならす、これをどう処理して行けばもっと明るい天地へ出 られるかという目算までが、さらにこのついでを以て立ちそうに想像せられるのである。 果してそうだとすれば、仕事はもちろん目前の小作紛争解決よりも大きい。もし農民組 合にできなければ他の組合に、それも無能ならば別に新たなる団結を試みても、急いで その討究に取掛る必要があると信する。組合は要するに一つの手段、そうして目的は常 に手段よりも大切であるからである。
我々はいろいろの経験をしたが、結局において小作人の側に、ます始末をしてかからね ばならぬ一つの弱味のあることを、否認することができぬように思う。工場争議の同盟 ひ」よ、つ れんごう 罷業に該当するものは、農村においては聯合の土地返還であるが、それを実行するにも みら 基金の入用はあって、これを蓄積する途が現在はもちろん、未来に向っても容易には立 一生産期は不可分であって、その間を支えることは貧農のカではないからで ある。以前の地親たちはすでに久しく自作と絶縁して、今では農具の置場すらも持たぬ 者が多い。土地を返されると当惑することは分っているが、不幸にして相手方の、今一 層早く弱るべきことが見え透いているために、どんな資力の薄い小地主の間にも、何と ろ・つじよ、つはかりごと かして籠城の計が成立つのであった。あるいは失費を忍んで同盟圏外の地から、新た に小作者を招いて家を給して耕さしめようとすれば、暴力以外にはもはやこれを防止す こっぜん る手段なく、今までの不平家たちは忽然として失業者となってしまう危険があった。そ れほどにまでまだ全国の隅々には、土地に対する飢渇があり、わすかの機会をさえ争お うとしている者が多いのである。 土地返還は名案でないということが解って、次には不納・滞納の戦術なるものが採用 お、っちゃく せられ始めた。小農が本当に橫著でない証拠には、自分が適当と信するだけの小作米を きかっ
かり・わ・け ち年貢として納める米という意味に過ぎなかった。現行の苅分分納法の根底には、いわ おきてまい とりか ゆる五公五民等の高い取箇というものがあったのである。掟米の掟という語も、「所定 っとてさく の地租額」のことであった。もちろん地主は夙に手作を廃して、田植その他の夫役を報 酬に取る必要はなくなっているから、その分を年貢米の上に懸けるのは当然のことであ くちまい ろうが、それには別にまた込米・ロ米等の名目が立っていた。中国西部では小作料をま かちょ、つ た加徴ともいっている。加徴はすなわち附加徴収で、以前の地主得分はこれであった。 、つわまい 今ならばそればかりの上米だけでは貸さぬと言ってよいが、以前の請負耕作では地主の 報酬は別にあり、土地からはただ公課を安全に負担してもらえば、それで満足していた 時代は久しかったのである。私の知る限りにおいては、沖縄県の小作は今でもこの形で、 途 従って不在者が親近故旧に委託する以外に、収入の目的で田を人に貸そうとしても望み 題 あまべ 手がない。大分県海部地方の畠場においても、小作料はただ公課の負担を限度としてい る。作らなければ荒れて山野に復るがゆえに、持主はこの無料管理を以て甘んじていた 章 のである。 第 かんがえ しんでんば 地租が金納に改まった当座の間は、新田場以外にはまだこれに近い考を持っ地主が多 かった。作らせてやることは好意であって、大小の差はあるが将軍家が諸侯を封するの 181 こみまい