生活 - みる会図書館


検索対象: 都市と農村
112件見つかりました。

1. 都市と農村

得るのは、むしろ村民の知識が実際から遮断せられて、一般の批評の敏活に働き得ない しゅ、つらん 場合であった。だから徳望ある先輩などの、幸いにして全幅の信任を収攬している期間 が、殊に次の代の反動と破綻とに備うべく、力を自治の教育に費すべき必要の多い時で おたんぎ あった。いわゆる長老の御談義はあまりにも変化以前の黄金時代を説くことに偏して、 新たなる組合生活に必要とする人物の養成に疎であった。 かたぎ 人物の必要はもう古臭いと思うほど、今も盛んに説立てられている。しかし親分気質 の指導者だけならば、格別骨は折らずともこれからもまだ出て来る。これに比べると遥 かに困難であったのは、穏健なる組合人の資格を作ること、すなわち村の平等観の練習 であった。これには近年の名士たちの村のためによく尽したという者までが、幾分感情 の上から反対しようとさえしていた。小農の地位の久しく進まなかったのは、必すしも 単純な貧乏のためではない。彳 皮らを金持にすることはもちろん容易な業でもないが、し たから直ちに伸び伸びと明るい生活に進出することが、できるものとは定まってもいな なきごと ことわざ い。百姓の泣言という諺は、彼ら自身も笑いながらこれを口にしている。それが宿命的 な一つの昔からの生活方式であったとも考えられる。これと同時に都市の生活などは、 貧乏はもっと激烈であっても、人の関係は段々に対等になろうとしている。つまりは相 わざ

2. 都市と農村

122 ので、都市ではただわすかの芸能の士、学問文章に携わる者などが、個人的にこれを味 わし彳 、日寸るのみであるが、村では常人の一生にも、何度となくその幸福を感じ得たのであ った。ただ税と闘った百姓は努めてこれを包もうとし、一方無責任なる田園文学が、幾 分かこれを誇張したために、今では改めて考えてみようとする人が村の内にもなくなっ ただけである。第二には智慮ある消費の改善を以て、なお生存を安定にする道がいくら もあるということ。その反対の側面から言うならば、保守固陋を以て目せられる田舎風 の生活にも永い歳月の間には種々なる取捨選択が行われ、また往々にしてその失敗に悩 まされていたということである。近頃ではその変動が殊に烈しく、しかも全部を中央の 指導に仰ごうとするゆえに、ほとんど判断の当否を覚るいとまもないが、新しい物必す しもより良き物でなかったことは、木綿や毛織が風引きを多くし、温食の風が歯を弱め、 米の精白が脚気を流行させた等の、種々なる原因が後から発見せられるのを見てもわか る。気永なる観察を以て実験を得、かっ土地の生産をこれに基いて調節していたのが 我々の農民であった。奢侈浪費の論とは独立して、人はしばしば愚昧なる採択を以て、 生活改良のごとく誤解するものだということを、注意し得る地位に立つ者は彼らの他に はない。それが今日ではその本務を怠っているのである。 ころう

3. 都市と農村

のは、新たなる変化であり、また第二のカの致すところであった。 都市と農村との互に相影響した関係が、この国際の交渉とほほ同一轍を踏んでいるこ とは、私には少しでも不思議でない。農民はもと各個の盆地に安居して、外に求めざる 生活を営む者の名であったが、後に同胞の自ら耕し織らざる者、すなわち都市人がます 大いに動いて、交易を彼らに勧めたのである。しかもそのカのなお微にして、産物の余 お、つよ、つ 裕がともかくも自他の生存を支え得る限りは、依然として在来の鷹揚さを以て交換の条 件を軽視し、外から持込まるるものの価値を吟味せす、容易に新奇の刺戟に乗って選択 に細心でないことは、原始生活者の常の癖であった。また受身の貿易者の弱点でもあっ せんし た。それが久しからすして趣味を複雑にし、漸次に経済の組織を変化させることになる 権 集と、一方には生産力の改良も起るが、同時にまた商人勢力の増進ともなって、自ら大小 のの市場を創造しつつ、甘んじてその統制に服せんとするに至るのである。都市が外国の 文文化を背景として、日に月にその威望を高めて行く状勢は、主としてこの第一期の受動 章 貿易から、次の能動期に移ろうとする際に現われるので、さらに今一級の階段を踏越え 第 さえすれば、以前の無差別な輸入歓迎はもうなくなり、この仲介機関の任務は、国民の 行利益のために再び整理せられるはすである。

4. 都市と農村

174 一〇親方制度の崩壊 地主手作の廃止は近代に入って始めて完結したが、その傾向は遠く江戸時代の中頃に きざ 萌し、彼らの働かすともなお農民なりという世にも珍らしい感覚は、かなり久しい年月 を以て養い上げたものである。回顧者の遠目を以て見れば、江戸期はただ単調なる三百 年のごとくに思われるか知らぬが、実はその外観の太平無事が、特に今日の新傾向を根 強いものにしたのである。原因は算え立てればいくっとなくあるけれども、ここにはた 家が働き得られ、その収穫が一年の生存に足りるということは、最初から双方の予想し ていたところではないのであった。簡単にいうと、外部の事情が要求したからでもある が、日本の地主たちはその生活の便宜のためこ、 ( いつも必要以上の水呑を取立てようと した形があった。人の手ばかり多い国の昔からの習いとして、その最も豊富なるものを らんよ、つ 濫用したのはやむを得ないことであった。そうして言わば貧民を必要とすべき農業を続 けようとしたのであった。この状態をもし維持しなければならぬとしたら、悲しいこと ながら永く小農の極度の節倹を以て、村の当然の道徳と主張するの他はなかったのであ る。 てさく かぞ

5. 都市と農村

統括せらるべきであった。それが大部分は村外の資本事業に取上げられ、いわゆる農業 、さよ、つあい の純化ははなはだしく生存を狭隘にしたのである。純化のためには農は遥かに漁業・商 業よりも不適当であった。ゆえに私は再び農村という語を、農業のできる土地、あるい は農業もできる土地、農を足場として静かなる生活の営まれる区域と解して、できるだ んい、か′、 け日本の田舎の利害を糾合し、そうしてこの失われんとする平和の恢復を試みてみたい のである。 九生計と生産 上世農を重んじたまいし御政治が、今日の農業保護と、本質において異なっていたこ とを考えてみなければならぬ。農はもと民の生を安からしむる、唯一にしてまた十分な る手段であった。農民はすなわち今もこの国初以来の伝統に信頼して、必すこれによっ て一家子孫の幸福を保とうとしてはいたが、しかも求むるところは当然に全生計の維持 ま にあったがゆえに必要あるときはその補充を農以外に須っことを意としなかったのであ る。しかるに都市が消費者として彼らに期待するところは、単に食糧の滞りなき供給で あった。これが確保のためにのみ、ただ農村の衰微を気遣うかの観があった。少なくと じよ、っせし たみ

6. 都市と農村

五中央市場の承認 過渡時代という語はもう我々も使い飽きている。そんな名義の下に一生を送ることは、 誰しも感心せぬことには相違ないが、何にもせよ明治以後の経済界が伝統ある千年来の わずら もくと 農国本意識と、貿易拡張を目途とする商工立国論との抵触によって、累わされていたこ とだけは事実である。いわゆる八方美人の政治家は苦しがって、新たに産業立国という ことを言い出したが、この文字には内容はあり得ない。産業を以て国を立てざる国民は 西洋ではモナコ、東方においては近頃滅びたチドル・タルナテ、またはゴア等の海賊王 国の他にはない。その他はことごとく土地の生産を基礎として、できる限りの商工業務 を以て、生活を充実しかっ繁栄せしむるの必要に迫られているのである。それを一方の 徹底のために、他方を抑制するの必要があるかのごとく、論するに至って始めて矛盾が めいりト・、つ 起る。そうしてその分界はまだ明瞭になっていなかったのである。 農民が何よりも先に知らなければならぬことは、我々の国土と生存の欲求とが、夙く の昔に農ばかりでは維持し得ぬ境涯まで進んでいることと、今日大小の市場がまったく その欠陥の補瞋のために、設けられたものだという事実である。村に市場があり市日が いちび と

7. 都市と農村

にんそくあま しんむら 周辺に空壙の野があって、しばしば人足の剰りをここに送って新村を開かせた、すなわ ちも、っその頃から、 いったん出た故郷では直ちにその抜け跡を閉じて、戻っても再び尻 が差込めないようになっていたのである。 八地方の生産計画 お 人が流行を逐うて何かと言うと小店を開こうとしたことが、仮に無分別でありまた有 害であるとしても、それはすでに完結した事実である。我々将来の商人整理が、単に彼 らを悔恨と窮地に陥れるに過ぎぬとすれば、それは出て行った同胞に対する親切の不足 しゅんきょあ 画であるのみならず、実際また彼らの峻拒に遭っては、この案の実現はさらに何倍かの困 難を加えざるを得ぬのである。それゆえに消費当否の論評は、必然に進んで各地方の生 言産計画の協定に向わなければならぬ。すなわちそこに旧来の倹素退守の論と袖を断って、 力の及ぶ限り意義ある消費の変化を求め、生活を豊かにすることに努力する必要を生す 章 るのである。 第 あるしはリ 、帚農説の失敗を認めたる人々の中に、都市の余力を以て海外に移住せしめよ と唱える者もあるが、それもまたいたって心細い提案である。異郷の最初の定住者には、

8. 都市と農村

102 かれんしようおく て窓から顔だけを出すという類の、可憐の小屋を意味することになって、都人はむしろ これらの名を以て喚ばるることを恥するかの面持さえあった。これはあるいは極端の例 であるにしても、全体において十分なる異国意匠の踏襲にもあらす、また長期の実験に つき 基いた綜合でもなくして、単なる少数者の思い付を、流行として早く世に布かんとする もの、別の語で言うならば農村の旧習に縛られがちな人々が、容易に手を出そうとせぬ ものばかりを、一括して固有の生活技術と対立させようとするならば、これを文化とい うことの当否は知らす、少なくともこの数千年来の単一民族の間においても、現在は確 に二箇以上のいまだ調和せざる生活様式は併存している。 たどころくわどころ ひらば おくざいしょ かいどうすじ 同じ農村の中でも平場と岡沿い、奥在所と街道筋、いわゆる田処と桑処などは、生活 よめむこやりとり 様式がすでにはなはだしく区々である。嫁聟の遣取にさえも故障がある。ましてや町風 が村の土になじみ難いのは当然のことで、それが無意識の統一に進もうとすれば、ます 動揺と混乱との若干の犠牲を忍ぶ者を想像しなければならぬ。しかも新様式の浸潤は必 たがい すしも、いわゆる田園都市の運動を以て始まったのではないのである。村で互に知り相 のち 理解するの交際は、当初生活と作業との均一に始まり、後ようやく富力の等差を見るに 至っても、なお一定の拘東を群の規準から逸出せんとする者に与えていた。現代 : 一 よ おかぞ し

9. 都市と農村

に、自然にロ達者が勝って来て、段々に町風の模倣が盛んになるのである。 八古風なる労働観 第三の弱点は労働の性質と関聯している。村に働く人々は気力内に充ち、心を成績の 上に集注する点にかけては、、、 し力なる技術者にも引けを取らぬはずであるが、その実は 、っちまか あまりに古くから、定まった一つの様式に生存を打任せていたために、かえって自分の 境遇に対する意識が足りない。たとえば鏡を持たぬ者の、わが姿を批評せられるのを聴 くような感じを、抱く場合が今までも多かった。この不安を除くには学問より他はない のであるが、久しい間教育は極度に消極的であった。親から学ぶところは親が学んだだ 舎けであり、分を知るということは現状に甘んするを意味していた。世間を見よという訓 戒は彼らのみには与えられす、比較はいたって狭い範囲にしか行われなかった。しかも 風 町 この抑圧せられたる知識慾に対しては、学校の教育はやや急激なる解放であったともい い得る。物皆がすべて新奇で、新奇なるが故にことごとく価値あるかのごとく、解せん 第 とする者をさえ生じた。理窟は何でも通り、漢語・洋語はすなわち信用というような時 Ⅱ代がしばらく続いて、村に最も不似合な生活をする者が成功した。なまじいに一方のロ かんれん

10. 都市と農村

読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して 真理は万入によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かっては民を愚味なら しめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつね に進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の 書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の 流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。 千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さす読者を縛して数十冊を強うるがごとき、はた してその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。この ときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前 より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたっ て文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわ めて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。 この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択すること ができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従 来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の 事業として吾人は徴力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさ しめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の 熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その 達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。 昭和二年七月 岩波茂雄