次 目 一村を客観し得る人 一一保護政策の無効 三都市の常識による批判 四人量り田の伝説 五村統一カの根柢 第一〇章予言よりも計画 三つの希望 一一上地利用方法の改革 三畠地と新種職業 四中間業者の過剰 五不必要なる商業 解説失われた共産制の影を探して 六平和の百姓一揆 七利用せらるる多数 八古風なる人心収攬術 九自尊心と教育 一〇伝統に代る実験 六消費自主の必要 七都市失業の一大原因 八地方の生産計画 九都市を造るカ 一〇未来の都市の本務 : 赤坂憲雄 255 283
270 係は段々に弱くなろうとしている 地方分権は必然に中以下の都市を有力ならしめるであろう。彼らに各自の地方の生産 れんらく 利害をある程度まで代表させることになると、その相互の間の聯絡と融通が、自然に親 密になる望みもある。これまではいすれも中央の寵児となることを競うて余念もなかっ たために、同級隣接の都市は多くは相敵視し、互に事情を知合うことをカめなかった。 その上に甲乙おおむね特徴なき生活をしていたので、その間に組合を作るだけの必要も なかったのである。今後確実なる対等交通が、全国都市間に成立つようになれば、その 利益はさらに各都市周囲の農村部に及んで、それぞれ独立して最も適切なる生産計画を 立て、これに基いて追々には、農地の収容し得ざりし労力を有意義なる余裕として都市 のために働かせ、いたすらに無節制の消費を好景気と名けて、明けても暮れてもそれを 待つような、不調和なる階級ばかりを増加させすに済もうと思う。 七都市失業の一大原因 私のいう消費計画は、別の語でいえば文化基準の確立である。大なる効果はもちろん 全国農民の一致によらなければ挙がらぬが、これを各一家庭から始めて、徐々に比隣に なづ
にんそくあま しんむら 周辺に空壙の野があって、しばしば人足の剰りをここに送って新村を開かせた、すなわ ちも、っその頃から、 いったん出た故郷では直ちにその抜け跡を閉じて、戻っても再び尻 が差込めないようになっていたのである。 八地方の生産計画 お 人が流行を逐うて何かと言うと小店を開こうとしたことが、仮に無分別でありまた有 害であるとしても、それはすでに完結した事実である。我々将来の商人整理が、単に彼 らを悔恨と窮地に陥れるに過ぎぬとすれば、それは出て行った同胞に対する親切の不足 しゅんきょあ 画であるのみならず、実際また彼らの峻拒に遭っては、この案の実現はさらに何倍かの困 難を加えざるを得ぬのである。それゆえに消費当否の論評は、必然に進んで各地方の生 言産計画の協定に向わなければならぬ。すなわちそこに旧来の倹素退守の論と袖を断って、 力の及ぶ限り意義ある消費の変化を求め、生活を豊かにすることに努力する必要を生す 章 るのである。 第 あるしはリ 、帚農説の失敗を認めたる人々の中に、都市の余力を以て海外に移住せしめよ と唱える者もあるが、それもまたいたって心細い提案である。異郷の最初の定住者には、
いう予断がなかったならば、到底この多数の目的に、限りある力を分割し得るものでは ない。しかも最終の大きな目的のためには、手段としてさえも両立せぬものがあり、少 しくらでも想像し得られるにかかわらす、それ なくとも一方は重複無用である場合は、、 を検査してみようという考も、持たなかった者が多いのである。 組合はもと都市の間に起ったものであった。都市の複雑なる群衆の中では、到底総員 の合従式行進を期待し難かったゆえに、夙に一部分の利害が協力によって、その所志を 貫かんとするの計画を必要としたのである。わが邦の村落でも、稀にはこの称呼を採用 して五人組を組合といった例もあるが、なお明治に入って養蚕家その他、業を同じくす る者の結合を勧誘せられるまでは、多くの村人にとってはこれは耳馴れぬ語であった。 それがどうだろうか、わすか三十年四十年のうちに、ただ組合といえばむしろ村にあっ くわた て、古来の統一方法を改造せんと企つる者を、意味するまでに進行したのである。かっ あやぶ ては単独の結合能力を危まれんとした小作人らは、すでに十分にその推測の誤りを反証 したのみならす、さらにこれに対する新たなる興味をさえ示したのである。数の力にお いてのみは、都市の労働者は早くもその下風に立たざるを得なくなった。やがては計画 と方法についても、翻って出藍の青きに学ぶべきものが、多くなることであろうと思う。 ひるがえ しゆっらん みみな
は足りなかった。 土地の増価の少なくとも大部分が、耕作している間は耕作者の利益に帰して、やめた ら持って退くことのできぬようにしておければ、それで始めて小作人の紛争はなくなる。 技能学術の人に優れた者が、新たに農によって家を興し、かつは世の中への供給を豊か その方法が今までは立ち にしようという場合にも、障碍は前よりも少なくなるのだが、 にくかった。ところが地租を町村に委譲しようという計画は、これを計画した者にはそ の予想がなかったにもかかわらす、偶然にも我々に新しい希望を与える。現在の案では 国家がまだ税率の上に十渉して、土地の利益の全部は徴収させぬに相違ないが、とにか くにそれを個人に分配してしまっても、村に積んでおいても結果はほば同じだというこ とを、学び知る機会だけはこの税法が与えてくれる。出入自在なる農業者に持たせてい とめ ると、時には濫用の虞もある部分だけは、これを団体の管理に留ておいて、しかも彼ら の利益のために使うということは、以前失ってしまった共産制の補充としても、はたま た同地住民の新たなる結合方法としても、たしかに一挙両得の妙案といってよい 利己的ならざる産業組合の拡張、良心に忠なる農民組合の改造、その他現存組合のい ずれか一つの努力によって、まだ農村の希望はいくらでも成長するわけであるが、各種 おそれ
読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して 真理は万入によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かっては民を愚味なら しめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつね に進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の 書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の 流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。 千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さす読者を縛して数十冊を強うるがごとき、はた してその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。この ときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前 より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたっ て文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわ めて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。 この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択すること ができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従 来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の 事業として吾人は徴力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさ しめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の 熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その 達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。 昭和二年七月 岩波茂雄
第一〇章予言よりも計画 三つの希望 ゆきた イ護かなくては農村は行立たぬという考え方、これが一番に人の心を陰気にする。何 となれば保護はそう思う通りに与えらるるものでもなし、また保護があってさえなおこ 画うだと、言ったような観察をする者もあり得るからである。村には古くからの悲観習癖 詈ロ とも名くべきものがあって、これによって便宜を得た経験がまだ幾分か残っている。た 言だ無垢なる青年のみは、果して彼らとその感を与にするや否や。これを知り究めたいと 予 みな 願うのは、決して単純なる好奇心からではない。物皆新らしき代の光に向って進む日に 際して、独り一国生産の根幹と目せらるる農業のみが、治乱を問わず豊凶に論なく、常 第 あきら すみや に綿々として窮苦を訴えてやまぬとすれば、これは明かに農村の病である。速かに根治 の療法を講じて、安住の地を若き国民に引渡さなければならぬのであるが、この点に関 255 なづ
れば、農民はいまだ自ら教育するの道を知らぬのである。 九地方交通を犠牲とした 人は利害の相抵触する境遇に置かれると、兄弟でもなお争わなければならぬ。だから 平和の第一義は、できるだけ共同の利害を明かにするにあるのだが、都市は最初から 種々なる計画を地方から持寄って、限ある機会を捉えんとする者の群である。いわゆる ぬけがけ 抜駆の功名を志すべき土地である。代表の得にくく個人の意思の表れやすいのも是非が みちしきのこ これに比べると田舎だけは、何と言ってもまだ元の交通の道敷が遺っている。少 なくとも人は互の生活の必要を知っている。それを新しい結合に利用することを試みる 以前に、直ちに経済の努力を中央の市場に向けさせたのは、とにかくに不用心なことで あった。 都市が膨脹すると共に、消費者の不安の大きくなるのは当然である。これを何とかし きまま て免れようとすれば、 いきおいやや気儘なる註文が村に向って発せられる。近年のいわ ゆる換価作物の傾向を見るに、一方には工業原料のできるだけ粗なるもの、すなわち多 くの加工利得を都市に収め得るものが指定せられ、他の一方には果実・花卉のごとく純
通の日傭取の地位に甘んじている例は多いようである。わすか形をかえてこの次には純 農業地方へ、同じ征服が向って来ようも知れぬ。 ただしこれを名けて都市の迫害ということは、二つの理由から当を得ていない。第一 にはそれはただ資本家と呼ばるる者の企てで、都市に住する大多数の者の、少しでも知 ったことでない上に、第二には別に他のある者は自身村に住みながら、この計画に参加 しもしくは独立してそれを志していたからである。今日地方金融の急務を叫ぶ者の中に は、なお往々にしてこれによって、わが村の生活を苦しめてみようとする注意人物もい るのである。 八農業保護と農村保護 の 衰農村の盛衰は必すこれを農業の盛衰と、引離して考えてみなければならぬ。農業はい 農 かなる立場から見ても、日本においては決して衰えてはいない。茶や麦類などの一向に もめんはあい 産額を増さぬもの、または木綿や葉藍のごとく、人が不利益として作らなくなったもの 第 はいろいろあるが、その代りには他の作物を栽培している。これほどたくさんの新種の 農産物が、それぞれ毎年の数量を加えている中に、一方主穀は依然としてほば国内の所 ひょ、つとり なづ
不自由であったのである。 この不自由を殊に痛切に経験させたものは、日本に最も数多き地方の小都会であった。 今日では何人もこれを都市という中に入れて考えようとするが、設立者の計画は実は別 であり、従って都市らしき用意が最初から整えてなかったために、成長に際して余分の 苦しみを味わなければならなかったのである。一番著しい実例は大小官道の両側に分布 する、以前の宿駅の町になったもので、交通の変化によって当然に盛衰したのみならず、 てんま なお将来に向ってもむつかしい問題を留めている。駅の主要の任務は伝馬の供給であっ て、馬を最も有利に備えておける住民といえば、農業者の他にはなかった。すなわちた だにその住民の農家たることを便とするだけでなく、むしろ行政庁はそれを希望したの 、つまもち、つまかた であった。それが追々に運送の用が多くなって、専門の馬持・馬方が出来、いっとなく 眼の前にある田畠に、手も触れぬ者がいくらも住むようになったのである。農業に冷淡 なる近世地主の発生地、茶屋商売を町の繁昌の種にしようという類の、感心し難い気風 の養成場として、永くを農村に及ばした宿駅が、元は自分もまた一個の農村であ 0 た ということは、我々のためにはいたって大切なる教訓である。 なんびと あじわ