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検索対象: 鉄道ファン 1976年10月号
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1. 鉄道ファン 1976年10月号

車響 0 私鉄電車 ーに登場 / 私鉄 0 専門家になれます 車 ーのシリーズで , ) なたも ム 大 学 鉄 道 研 究 会 交友社 私鉄蚫車のアルバム PROGRESS OF ROLLING STOCK IN PRIVATE RAILWAYS の刃レヾム 慶応義塾大学鉄道研究会 高性能車の夜明け 0 -0 05 第 10 ー 2000 , リをム・可 愛蔵本分冊との合本 ( 上記カラーイラスト表紙カバー付き ) 定価 4300 円 ( 送料 400 円 ) 編集 / 慶応義塾大学鉄道研究会 B 5 変形総アート 344 ページ ( カラーロ絵ページ ) 上製本 = 高性能車の夜明け昭和 29 年 ~ 35 年 1 湘南形の流行と軽量車体 2 高性能車の登場 3 旧形車の若返り 1 4 ロマンスカー I 5 量産 ( こ入った高性能車 6 インターハン ( 路面乗り入れ車 ) お買い求めやすく , 下記分冊も好評発売中です . 定価 19 圓円 ( 送料 200 円 ) 普及版高性能車の夜明け 定価 1950 円 ( 送料 2 圓円 ) 普及版高性能車の夜明け ( 続 ) * 普及版は書店の店頭に並びますが , 愛蔵本は並びませんので , お近くの鉄道ファン販売書店か直接交友社へご注文ください . 引年末頃団新大量輸送時代の到来 昭和 36 年 ~ 43 年 通勤車両の大形化 / 旧形車の若返り II / ロマンスカーⅡ ( テラッワス化 ) / 特集 : 機関車 52 年夏頃新新戦前・戦後の古豪 創業期 ~ 昭和 28 年 戦前の生き残り / 戦後復期の車両 / 戦後安定期の量産車 / 特集 : ナローケージの車両 52 年末頃デザイン・技術の革命 昭和 44 年以降 通勤房車の登場 / 旧形車の若返りⅢ / ロマンスカーⅢ ( 特急大衆化 ) / 特集 : 荷物電車と電勒貨車 株式会社交友ネ土碆古替 発行所 本店・ 464 名古屋市千種区宮西町 3 ー 1 電 731 ー 0456 ・ 1285 ・ 3920 8502 番 支店・エ① 3 東京都文京区本駒込 6 - 7 - 11 電 947 ー 1100 ( 代表 ) ~ 5 鉄道ファン 弘イ私鉄電車。 , , 2 第物第本学物項写物 い冗 昭和 36 年 11 月 10 日第 3 種郵便物認可 第 16 巻第 10 号 ( 通巻 186 号 ) 昭和 51 年 10 月 1 日発行 雑誌 6459 ー 10 680 円

2. 鉄道ファン 1976年10月号

城東馬車鉄道南山停留場にて ( 大正初年 ) 写真 1 2. 堀之内軌道の機関車の種類 さて , 当の機関車の話である . この軌道には , 表 1 のように前後 4 種類 7 両の機関車が用いら れた . 第 1 は , 遠州電気鉄道旧軌道で使用された同 鉄道の川号蒸気機関車で , 馬車軌道終点の南山 から , そのさき池新田までの延長工事に使用さ れ , 開通後もこの区間で営業に供された ( 4 ). 四 輪連結 3.9 t の機関車で , 低いポイラーにらっ きよう形のスタック付きの長い煙突がついてお り弁装置のエキセントリックが記憶に残る . ビ ービーと気笛をならして , 四輪客車や無蓋車を 引き開通区間を走った . この機関車については 臼井氏も触れておられるが , 近々のご著書に詳細が発表 される由であるから , その発刊を鶴首している . 1. 堀之内軌道運輸株式会社について 第 2 はオット 1 号内燃機関車で , あらたに延伸した南 オット機関車のかよった堀之内軌道は , 堀之内軌道運輸 山一苗代田 ( 当初の池新田停留場 ) 開通にあたってメー 株式会社が運営した . その前身は , 明治 30 年に創立した きとう カーから購入され , 前記の蒸気機関車と組んで営業運転 城東馬車鉄道株式会社であって , 同社は明治 32 年堀之内 に使われた . ー南山間 5.8 マイル ( 9.3km ) に軌間 2 尺 ( 606mm ) の 第 3 はオット 2 ~ 5 号内燃機関車で堀之内 - 池新田間 馬車軌道を開業し , 大正 6 年には御前崎軌道と改称し 全通のころ , 2 両ずつわけてメーカーから購入された . た . 当時兼業していた電気事業を他に譲って軌道部門と 最後の第 4 はオット 6 号内燃機関車で , これは全通後 運送部門を堀之内軌道運輸株式会社に引き継いだのは , しばらくしたところで新造増備された . 大正 10 年のことである . 同社は軌間を 2 ' 6 " ( 762mm ) に なお , 蒸気機関車とオット 1 号は , 全通後まもなく他 改軌動力化する に転出し , 2 ~ 6 号の 5 両が昭和 10 年の廃業まで在籍し とともに , さら 線 東京 本 た . 最後まで働いたのは 3 号である ( 20 ). 1 号転出後は欠 に南方に延長し 堀之内 番のままにされた . 機関車の年譜を表 2 に示す . 大正 13 年まで堀 之内一池新田間 表 1 堀之内軌道の機関車の種類 9.2 マイル ( 14.8 (m) を内燃軌 動力 メーカー形式・出力両数 番号 旧所属メーカー 道として全通さ 遠州電気大日本軌道 蒸気 不明 なし 鉄道鉄工部 せた . M L に 8 いつばうこの イ 14HP 会社は , ほかに M L ロ 2 近辺の乗合自動 22HP ゼ 機 車 10 路線 271.3 発 動 - 機 km ( 昭和 10 年 ) と貸切自動車を 兼業したが , 軌 道の営業状態が 振わす昭和 10 年 軌道を廃業し , 新野 自動車部門は藤 オット一号 木ヶ谷 相鉄道に運送部 同 2 ・ 3 号 門は大井通運に 同 4 ・ 5 号 合併され , 整理 同 6 号 解散となった . 池新田 以ⅲ省文書および鈴木文六氏・八木伊三郎氏による・ 写真所蔵 : 小橋 、、東 ~ 道 大阪 三軒家 奈良野 2 ~ 内 新 4 No. 5 燃 製 不 道省文書 ( 木栄一 ) , 機関車説明書 ( メーカー ) による . 表 2 機関車の年譜 年次大正に年 同 ロ年 同 図年 同年 明 堤組 南山 至昭和田年 堀之内軌道路線図 778

3. 鉄道ファン 1976年10月号

3. オット 1 号機関車について 最初のオット 1 号機はドイツ発動機およびオーベルウー ルゼル発動機製 ML128 形内燃機関車であるのは確実で ある . 同機は重量 3.5 t の四輸車 , 長さ 10 ' ー 111 / 8 〃 ( 3328 (m) 幅 2 ′ー 71 / 2 ″ ( 800mm ) 高さ 6 ' ー ( ) 1 / 16 ″ ( 1827mm ) ( 4 ) 横置単気筒 14HP ェンジンを搭載し , 機関長八木伊三郎 氏によれは , 機関車説明書の扉のさし絵 ( 図 2 ) と同形 だという . ただし内側軸箱式である . これは臼井氏の く本誌 174 号 102 頁・図 1 ( 最初の形式 ) 〉とも基本的に は一致する . ただし筆者の記憶からは , 機関室はさてお き , 運転室の形は図 2 または臼井氏の図のいずれでもな く , むしろ四角はって , 窓も四角だったようにも想起さ れる . また , 臼井氏の図にみえる上部に突出したく燃油 および水槽〉と煙突様のものについては , 存在が疑問で ある . 動力はチェーンドライプで , 4 つの扁平なスポーク のついた動輪がついていた . また , 当然のことながら , 連結器は後述の主力機関車に似合ったものをつけていた はずである . 臼井氏の図 1 の連結器に書き加えられた x 印はそのことを示すのあろう . 八木さんの逝去された現 写真 3 6 号機関車と手荷物合造客車 在は誰の記憶にも残っていないので , これ以上本物の姿 堀之内駅ⅱⅱにて昭和 4 ~ 5 年頃写真 : 落合定平 , 所蔵 : 長野留男 が浮かんで来す , 幻の機関車になってしまった . この機関車は , 前述のとおり , 最初のころ延長部分の 2 ~ 5 号および 6 号機について 4. 堀之内軌道 2 ~ 5 号機関車 4 両は , 同じドイツ発動機お 南山一苗代田間で蒸気機関車と組んで用いられたが , 全 通後は出力不足のためポギー車を引くことが出来ず , 起 よびオーベルウールゼル発動機製内燃機で , その諸元は 次のとおりである ( 6 ). 点の堀之内停留場の片に放置されており , やがて福島 自 県の鉄道に転出した ( 5 ) 重 5 t ( 第 1 動輪 2.5 t , 第 2 動輸 2.5 い 最大寸法 3955 x 930 X 20 ( ) ()mm 車輪輪軸距 図 2 93()mm 車輪直径 機関車説明書の 505mm 燃料櫃容量 扉から 6000 ( ) cm3 水槽容量 25 ガロン ( 113 毛 ) * 発動機 出力 2'2PS 横置単気筒式 * クラッチ変速機前進後進各 2 段 けん引重 1 時間 10 : 甲ノ速度ニテ 1 / 100 勾配ヲ上 ル時 16 t 緩衝器高 340mm 連結器高 235mm 機関車は全機細部まで同形で , 写真 1 は外形の復元図 であり , 写真 2 はその模型である . ところで , 2 ・ 3 号入線にさいし , 八木機関長・木村 留吉氏およびレーモンド・イレカー技師をまじえて 2 両 の記念写真を写したが , その貴重な写真はまだ発見でき ていない . 機関車の内部構造は , 臼井氏の図 2 ( 本誌 174 い ゾ 102 ~ 103 頁 ) に明らかであるから , 記載を省略する . ただ し , 後述表 3 ェンジン欄に見られる違いがある . 6 号機関は 2 ~ 5 号と同形たが , 出力が 28PS にア ップされた関係から , 発動機と車体の幅がやや大きくな 779 0 所蔵 : 筆者 写真 2 機関車の復元模型

4. 鉄道ファン 1976年10月号

札幌市の地下鉄東西線 10.7 キロは 6 月川日から営業を開 う日本の各都市に共通のパターン踏襲してはいるものの 始し , 昭 46.12 に開通した南北線と合せ , 地下鉄は合計 不思議と何か他都市とは違った感触がある . 22.8 キロに成長した . 昭 37 年登場の親子電車 M101 十 Tc1 は , ラッシュ時には いつばう路面電車は昭 46.10 の第 1 次路線廃止以降順 2 両連結で , 昼間は M101 が 1 両で走るというオーソド 次縮少されて , 現在はわすか 8.46 キロになってしまっ ックスな発想であった . 有効幅 1400mm , 両開きのドア た . そして昭 37 年以来続々と登場し日本の路面電車界に はラッシュにきわめて有効であった . しかし当初は「長 新風を送り込んだ連結車・連接車も短期間にあいついで さが長いため交差点通過に時間がかかり , 道路利用上支 休・廃車になり , 地下鉄東西線開通後は , 当面わすか 3 障あり」との道路管理者の路面電車いびりによって , 朝 編成が臨時運行されるのみとなった . 今後の乗客の地ート ラッシュに 1 往復しか運行できないという日本的環境の 鉄移行状況にもよるが , 今秋にもその運行を取り止める 中になかなか真価を発揮できなかった . ことになりそうで , 栄光に満ちた連結車・連接車の活躍 昭 38 年に A800 形 3 編成が新造された . 全長 23m 近い長 に間もなくビリオドが打たれようとしている . 身の連接車となり , 車体先端はチューリヒ市電の顔を彷 札幌の連結車・連接車は , 我国路面電車の雄であった 彿とさせる細面となった . 前位車ドアを乗車専用 , 後位 だけに , その活躍が見られなくなるのは残念である . 札 車ドアを降車専用とし , 降車側中ドアは有効幅実に 1800 幌市の路面電車に対する情熱 ( 愛情と言った方が適当か mm 両開きとなり , この超ワイドドアは以後の新造車・ も知れない ) は抜群であり , ラッシュ対策に注いだ努力 改造車に継承された . は大きく , アイデアを即実行する実践力はすばらしいも 翌 39 年新造の連接車 A810 形 2 編成は , 我国で初めて のであった . それ故に , 地下鉄建設→路面電車縮少とい のパッセンジャーフロー方式を採用した画期的な路面電 地下鉄東西線を祝って日章旗と市旗を掲げてラッシ = 輸送に活躍する A830 形 . 彼女の胸中やいかに 四 4 丁凵にて 1976 ー 6 ー 10 コ - ネル ケン先キ - フライト チキン ー第一■リ 79

5. 鉄道ファン 1976年10月号

EF63 し EF63 ・ EF62 の試作車 高崎二区にて 写真 : 田部井康修 第 1 次量産形の EF63. バッテリ取り出し口に水切りがつけられている 形のものとなった . そのほかモニター屋根についても試 作車と量産車とは異っているほか , スカート形状も舟底 形から平底形となっている . 車体側面には量産車におい て蓄電池の取り出しのため扉が付けられたためフィルタ が 2 枚だけ小さなものとなった . ( 昭和 38 年試作車は量 産車へ準じて改造されている ) さて昭和 41 ・ 42 ・ 44 年に増備された EF63 ( 14 ~ 21 ) は基本的には E F 63 ( 2 ~ 13 ) と変わらないがテールラ イトの止め板形状が円形の大形のものに変更となったほ か避雷器の位置もパンタ前方中央に移設された . 昭和 49 年に増備された EF63 ( 22 ・ 23 ) はナンバー切文字がプ レートに取りつけられたタイプに変更となったほか , テ ールライトが外はめ式に変更となっている . 集昭 写真

6. 鉄道ファン 1976年10月号

EF 60 の試作車として 登場した EF 81 ワイバーの取り付けが 異なる 吹田第二区にて 1960 ー 3-27 写真 : 野口昭雄 距 2800mm ( 両端 DT115A. 中間 DT116B ) になるとと ( 全側受 ) の DT106 を使用している . ( 一時期 ED6115 もに車輪もスポーク形からポックス形となった . クイル は空気バネ台車 DT900 でテスト ) 駆動車と比較して正面窓下の手すりの取付間隔が狭くな ED60 8 両 , ED61 18 両とそれぞれ小所帯である っている . 車体延長は見ためにはよく判らないがフィル が , ED61 形は現在回生プレーキ装置を撤去し , 中間台 ターや明りとり窓の間隔のひろさでわかる程度である . 車を設けて B ー 1 ー B とした ED62 形にすでに昭和 50 年度 ツリカケ駆動車は外観上 3 つに分けられる . まず E F 60 で 5 両改造 , 51 年度もさらに 4 両改造され飯田線へ投入 ( 15 ~ 46 ) はヘッドライト ( LP402 形 250W ) カバー形 されつつある . ( 表 1 参照 ) 状が台形となったこと , 運転室側窓形状が前方斜めの切 れ上がりがなくなり普通の引き違い窓となった . これら ・ EF60 形 のグループは昭和 37 年度に製造された . 続いて増備され 山陽本線の電化とともに EHIO 形程度の性能をもつ新し た EF60 ( 47 ~ 83 ) では , 運転室側窓が引き違い窓から い機関車として開発されたもので , 前述の ED60 形の E 前部 H ゴム固定の窓へと変更になった . このグループの F 版と考えればよい . 外観上区分として大きくわけてク 固定編成特急用が E F60 ( 501 ~ 511 ) でともに昭和 38 年 イル駆動車とツリカケ駆動車が 3 タイプ , 合わせて 4 タ イプがある . EF60 のクイル式台車 < クイル駆動車 > 昭和 35 年 1 月に EF601 ・ 2 と試作車 ( 上 ) 両端台車 DT115 ( 下 ) 中間台車 DT116 が完成した . 試作車の両機は両端台車がそれぞれ異って おり , 1 号機は心皿受け方式であるが , 2 号機のほうは E D60 形に使用した全側受方式台車 D T106 を一部改良 に見られる外観上特徴は砂箱が内向きとなっているほか 運転室側窓いつばいまで , 飾り帯が伸びていることであ る . クイル駆動の量産車 EF60 ( 3 ~ 14 ) においては飾 り帯が短かくなり , 台車の砂箱も外向きになったほかは EF601 をベースとしている . クイル駆動車の特徴はヘ ッドライト ( LP402 形 250W 白熱燈 ) カバーの形状が " 樽 ' ' の形をしているほか運転室側窓の前方が斜めに切 れ上がって正面窓高さと揃った引き違い窓となっている ことである ( 工 1 ). 台車は 2 号機の両端台車を除き , 両端 台車 DT115 , 中間台車 DT116 ( ともに軸距 2500mm ). これらクイル駆動車は昭和 35 年製造である . くツリカケ駆動車 > クイル車の異状振動等のトラブル が発生したことをきっかけに E F 60 形もツリカケ式へ設 計変更された . このため車体全長がクイル駆動車の 16m から 500mm 長くなり 16.5m となった . そして台車も軸 1965 ー 3 ー 27 写真 : 諸河久 東京機関区にて △ EF65P とまったく区別がつかない“プルトレ”けん引時代の EF60 引 4 三 = 三一三一三 = 三デ 写真 : 野口昭雄 東京機関区にて 1965 ー 3 ー 27 写真 : 諸河久 " プルトレ”けん引の基礎を築いた EF60501 ~ 511 のグルーブ か , 車体側面乗務員昇降ドア下にステップ切り込みが設 おいては運転室側窓と乗務員昇降ドアの上のみにあった 水きりが量産車となってからは正面窓上から側面乗務員 けられ昇降の便に供している . このほかサイドのフィル ター形状も従来の区分なしのものから 6 列化されたもの 昇降ドアの上まで連続でつけられた . このほか機器室内 に変更となった . 昭和 41 年以降増備された EF62 ( 29 ~ の照度を確保するため量産車からはフィルター上部に小 54 ) は基本的には EF62 ( 25 ~ 28 ) と同じであるが , テ さな明りとり小窓が設けられた . 昭和 39 ~ 40 年に増備さ ールライトの止め板形状が円形の大形のものに変更され れた E F62 ( 25 ~ 28 ) の第 2 グループでは運転室側窓がそ れまでの引き違い窓から前方 H ゴム固定の窓となったほ ている . ト霧物ー・ 27 29

7. 鉄道ファン 1976年10月号

REPORT 東武 8000 系 51 年度新造車登場 東武鉄道友の会 関東民鉄初の複々線が完成し , また新塗装車が登場して 久しく , その後これといった話題のなかった東武だが , このほど 51 年度新造車の第一陣が到着したのでお知らせ する . 新造車とはいえ , また ( としか言いようがない ) 8000 系通勤車だが , 編成・従来車との変更点を示す . 〇編成および製造所 ( 第 1 次人線 , 冷房付本線用 ) 今回の 8000 の編成は , 浅草寄りからそれぞれ次のとおり 8167 ( TIC ) 十 8267 ( MI ) 十 8367 ( M2 ) 十 8767 ( TI ) 十 8867 ( M3 ) 十 8467 ( T2C ) ーアルナ工機 , 以下形式同じで , 68 ー アルナ工機 . 69 ー東急車輛 . 6 両固定 3 編成 18 両 . また 8569 (Mc) 十 8669 (Tc), 8570 (Mc) 十 867 ( ) (Tc) いすれ もアルナ工機で計 22 両 . ( 第 2 次人線 " 9 月頃と思われる ' ' 冷房付本線用 ) 8170 (TIC) ・・ ・・ 8470 ( T2C ) ーアルナ工機 8171 (TIC) ・・ ・・ 8470 ( T2C ) ーアルナ工機 8172 (TIC) ・・ ・・ 8470 ( T2C ) ー富士重工 以上合計 6 両固定 6 編成 , 2 両固定 2 編成の 40 両とな る . これで 8000 系列の総数は 450 両を突破し , 関東最大 である東武の姿を思わせるによかろう . 〇従来車との変更点 若十ではあるが , 台車が従来の FS ー 056 (T 車 ), FS- 356 (M 車 ) から , F s ー 096 (T 車 ), F s ー 396 (M 車 ) にそれぞれ変更された . 両者は同じミンデン形とはいえ 前者を見なれてきたために後者の最新の台車はスマート にも , また奇異にも感じられる . また , 側引戸内側がス テンレス側になった . これは流ⅱ・に乗じたというよりむ しろ塗装省略という理山からと思われる . 床下機器では NIG ほかに相違がみられ , ほかに細部にも相違があるが 割愛させていただく . 〇第一陣 8167 十 8267 の到着 アルナ工機のある尼崎を出発したのは 5 月 21 日 , 東海道・ 品鶴・山手貨物線を経山しⅢ端操着か翌 22 日夕刻であっ - 旧町第川引 0 ー粤 引年度新造 80 ( 第系モハ 8267 十クハ田 67 の回送 上に 95 レ南千住ー北千住間 下 ED 測 64 〔杉〕十新造車十ョ幻 4 五反野 た . 田端で一夜を明かした後 , EF8034 けん引の 1295 レ にて北千住へ , 長旅の疲れがいくらか見える . DD13114 にけん引され , 今度は東武開発 KK の側線へ移動される . 23 日午前 11 時 4 ( ) 分 , ED5064 を先頭に 8267 十 8167 十ヨ 214 の編成で西新井工場へと連はれた . 新しい本線の味はど うであったろうか . 後は続々と相俸の到着を待つは、かり である . 最後に誌上を借りて西新井工場の次長氏 , その他諸氏 に厚く取材の際のお礼を申し上げる . 東武新 800 ( ) 系の活躍を望んで止まない . 円 76-5-23 新造車の台車 FS -396 ( モハ 8267 ) 4 新造車車内 西新井工場 円フ 6 ー 5-23 729

8. 鉄道ファン 1976年10月号

1 災走 / A820 形 交通局前一西線 6 条間 円 76 ー 6 ー 8 るところはさすが路面電車先進都市札幌であった . この 車である . つまり , 後位車ドアを乗車専用 , 前位車ドア A810 形登場と前後して A800 形も A810 形と同様の客扱 を降車専用とし , 乗車側中ドア際にカウンター付の車掌 い方式にするための改造が行なわれた . 席を設けた . 当時の交通局内紙「明るい職場」は「 " 欧 この頃 , 札幌市電は全盛期を迎え , 路面電車活用の条 州スタイル " で新造連結車運転開始」と報じている . 客 件の一つである周辺部への路線延長として鉄北線が昭 38 扱い方式を " 欧州スタイル " といとも簡単に言ってのけ ・ 39 年に非電化で延長開業 し , 路面ディーゼル動車が 本来の活躍を開始してい る . 昭 38 年秋には連結車・ 連接車あわせて 6 編成とな り , ラッシュ輸送に威力を 発揮した . 昭 39 年新造の A820 形 2 編 成は " 大きな輸送カ”と " 乗 物としての魅力”をあわせ 持った理想的な路面電車と なり , その美麗なスタイル は日本の路面電車の最高傑 作 , 日本の路面電車を漸く 欧州の水準に達せしめた功 績は大きい . 当時札幌市は 冬季オリンビック招致運動 中であり , この美しいスタ イルに , ある愛好家をして 「オリンビックも札幌に来 てくれるかも知れない」と 言わせたものだが , オリン ビック開催は実現したもの の , 新開通した地下鉄が競 技場・選手村と都心間の輸 上から : 親子電車・ A 田 0 ・ A830 ・ A870 連結車・連接車のバラエティー M 10 ー A81 牛 A8 Ad3Z A8 引 属一 AB ? 2 み 4 80

9. 鉄道ファン 1976年10月号

お待たせしました ! K. S. K タイプ C タンク機関車、好評発売中 ! ! \ 2500 / 」 \ 型レイアウトの新しい主役《 K . S . K タイプ モデルは、大正 ~ 昭和初期にかけて全国の地 方私鉄で活躍した典型的な小型蒸気機関車を、 C タンク機関車》がいよいよ登場 / 9mm ケーシ 模型化したものです 初の日本型小型蒸気機関車として、あなたの 生産の都合上、第 1 回発売の数量に限りがあ レイアウトで入換に、小列車運転に、大活躍 りますので、お買い求めはお早目にどうぞ。 してくれることでしよう。 ・の 3-0 ・ 0 ー 開発進行中 EDBI 形電気機関車 国鉄高性能直流電機の中では貴重な E D クラスである E D61 形電気機関車が、現在、開発進行中てす ブルーの車体に、銀色の窓枠とべンチレーターが美 しいこの B ー B 電機は、手頃な大きさと、まとまりの 良いスタイルでファンの人気者です。今秋の発売に こ期待ください。 TOMY 株式会社 ー - ホヒー課 TOMY 本社東京都葛飾区立石 7 9 〒に 4 T E L 03 ( 693 ) 引大代

10. 鉄道ファン 1976年10月号

鼾 0 , ・リ のアルミ製客車 2 台が , 自社の工場で完成した . これは , アーサー・ティーグが費用の節減と自社の技術を生かす ため実行したもので , これにより 1 / 3 の費用ですんだの であった . しかしながら皮肉なことに , 客はこのきらめく銀色の 客車に乗るよりも , 古い木造車の木製の固い椅子に座っ て行く方を好んだのである . 鉄道は , この客の嗜好に呼応して古い木製車の近代化 を計るとともに , 外観は昔のままに維持する方向に転じ たのである , 2 台の客車は明かるい黄色に塗り直され , 18 年前の創業時代の姿を再現している . 他の木造車は 灰色に塗られ , 両端がダークグリーンである . アルミ車 両は無塗装である . 3. ワシントン山鉄道の印象 筆者がこの鉄道を訪れたのは 1961 年の夏であった . 麓の ンユ・フィールド駅には襯光シーズンの最中のため 客があふれ , 列車も全車両を投入しフル稼動していた . 線路は , レストラン兼みやげ物店の横を通って一気に 1869 年製の "THE GEORGE STEPHENSON" 号 「 Mount Washington RaiIway Company 」から 直線で手前の山を越え , 一度勾配をゆるめ , さらに次の 急斜面を乗り越えるという風にステップ状に敷かれてい 麓駅のタンクで給水を終ると列車はすぐ出発する . 機関 る . 山陰の勾配のできるだけ少ないルートを選んで登る 車は "WAUMBEK" 号 , 客車は N ( ). 4 で呼はれている のでなく , 急斜面を真正面から直線でアタックしている 1875 年製の木造車である . 後続の列車のアルミ製の客車 ので非常にダイナミックな印象を受ける . 見上げると遠 が後について来る . く頂上に致る路線をたどることができ , またその上をゆ 機関車のロッドはめまぐるしく動きまわるが , 回転が っくり登る列車の白煙を頂上に近い所まで確認できる . 1 / 5 に減速してラック歯車に伝達されるので , 機関車の 円 58 年に製造された 56 人乗のアルミ製客車 写真 : 筆者 89