POST マークを付けた電車が走ったからであろう . 東急ではこのはか記念乗車券を発売するなど たいへんな力の入れようであった . マヘッドマークを付け , 渋谷へ回送中の 8500 系大岡山駅 1976 ー 7 -25 E F58 の話題 友の会会員を乗せ多摩センターへ向かった . 多摩センターでは 3 番線 ( 1 番線の先にある Freight Liner 1 . 台枠き裂のため廃車予定の EF5821 ( 竜 ) 留置線 ) において乗務員への花束贈呈 , 1904 は , 竜華区の扇形庫の中に置かれており , 代 にワインを飲ますなどの行事を行なった後 , 機として広島区から , F 5840 が入区してき 再び多摩線内を 1 往復半運転を行ない , 新百 ました . 合ヶ丘から回 7004A で相模大野検車区へ帰っ 2 . を F57 は全検の期限いつばい使い , 東海 ていった 道・山陽線で余剰の E F 58 に置き換えられま 3 . 車両回送 すが , 宮原区の EF58 141 ・ 144 が来年 3 月 お別れ運転の行なわれた盟 9 日 , 相模大野検 ごろに , 波動運用のようすを見て宇都宮区に 車区から海老名電車基地へ向けて車両の回送 転属の予定だと聞きました . があった マ廃車を待っ EF5821 竜華機関区 回送された車両は 1911 十 1961 十 1912 十 1962 1976 -7 -20 でバンタを下げて貨車扱いとなり , 13 時 34 分 ED1031 に引かれ相模大野検車区を出発 , 13 近鉄大阪線布施駅周辺高架完成 時 53 分 , 無事海老名電車基地へ到着した . これによって戦後小田急の復興に大いに貢 松見勝令 献した A B F 形車両がすべて姿を消した . 近鉄が進めていた布施駅周辺高架工事のうち マ小田急職員によるお別れ式相模大野検車 大阪線下りが完成 . 8 月 8 日から新線を使用 区 1976 -7 ー 24 ( 上 ) と ED1031 に引かれ 開始した . これで大阪線の上下 , 奈良線の上 る 1962 ほか相武台前 - 座間 りは新線を使用しており , 仮設線を使用して 1976 ー 8 ー 9 いるのは奈良線下りのみとなり , この方は来 年 8 月に完成する予定 . 完成したのは今甲 . 駅東側から長瀬駅西側ま で 2411m で , 7 日最終列車が通過後 , 新線へ の切り替え工事を行ない , 8 日の始発から使 川開始した . 大阪線の高架完成によりヵ所 の踏切が廃止になった . あと近鉄はここを含め て , 大阪線の八尾駅付近 , 橿原線の筒井駅付 近で高架工事を行なっている . マ高架工と仮設線を走る 8000 系 ( 高架部分 を走っているのは 8600 系 ) 今里ー布施 1975 -11 -23 ・、第 300 第 ローレルお 消えた小田急 A B F LTD EXPRESS 1 . お別れ式 7 月 24 日 , 小田急職員による A B F お別れ式 が 15 時から相模大野検車区で行なわれた . 当 日は 1903 十 1953 十 1954 十 1904 の編成にお別れ ヘッドマークを取り付け , 1904 の前で惜別の 儀 , 惜別の乾杯 , 記念品の贈呈 , 記念撮影な どが行なわれ 16 時予定どおり終了した . また 1900 系の車内には製造時 , 特急運転などの写 真が飾られ 1900 系往年の姿が偲はれた . 東急ローレル賞記念電車走る 2 . お別れ運転 8 月 8 日 , 多摩線で鉄道友の会によるお別れ 野呂俊明 1976 年度のローレル賞を , このたびめでたく 運転が行なわれた . 当日の編成は先日相模大野検車区でお別れ 富十急 5000 形とともに東急 8500 系が , 受賞し た . しかし , 以外にもこれが , 初の受賞であ 式を行なった 1903 十 1953 十 1954 十 1904 で , 12 る . 7 月 25 日の当日には , 沿線にはかなりの 時 56 分相模大野検車区から新百合ヶ丘に向けて 回送された . 新百合ヶ丘でお別れのヘッドマー ファンが写真を撮っていた というのもこの 記念電車には , ローレル賞受賞記念のヘッド クを取り付けた後 , 臨客 7001 列車となり鉄道 駅に D J スタンプを設置して , 旅客にサービ 高架化工事として今川一河内天美間を実施中 〔東京急行〕注目の渋谷一二子玉川園間の スするとともに観咒地の P R をはかってきた 新玉川線の建設は 80 % 近く終え , 来存完成の であるが , ほとんど工事は完成した が , 最近若い旅行者からせひ記念にシ - ールが 予定 . すすかけ台ーっきみ野間の田園都市線 〔南海電鉄〕河内長野一橋本間の複線化工 はしいという希が多くなってきた . そこで 延長工事は今秋に完成の予定である . 事は現在 , 天見ー紀見峠間と紀見峠一橋本間 を工事中で , 55 年 3 月には完成する子定 . 同局では独自のアイデアとして記念シールを 〔京浜急行〕 北品川一青物丁間の直上高 作成 , さきごろから敦賀・福井・金沢・輪島・ 〔阪急電鉄〕高架化するため , 名神高速道 架化工事は追い込み段階に入り , 残りの上り 路ー藻川間を実施中 , 54 年 6 月完成予定 . 富山など 9 駅のキョスクで発売している . デ 線の切り替えはこの秋までに終了する見込み 〔阪神電鉄〕大物駅西方一姫島 , 大物駅西 サインは各地の名所旧跡 , 特産品をあしらっ 〔営団地下鉄〕 11 号線渋谷ー半蔵門間の工 方 - 左間殿川西岸を高架化 . 52 年 3 月完成す たものでカラー印刷 , 1 枚 10 円 . 同局では屮 事が最も進み , 現在 60 % 出来上り , 54 年春完 る予定 ( 左門殿川西岸方は 52 年度末 ) . 進捗 行きがよければ 1 , 2 年ごとにより斬新なア 成を目途にしている . 率は 70 %. 本線杭瀬ー姫島間の高架橋ははは・ イデアでデザインを変えようと意欲をもや 〔名古屋鉄道〕小牧ー上飯田間の複線化工 完成し現在は大物駅付近の高架工事を進行中 事を実施中で , 完成は 54 年・度を子定している している ◆北九州高速鉄道会社が発足 〔西日本鉄道〕平尾ー大橋間の高架化工事 また , 柴田一聚楽園間の高架化は現在仮線工 事中で 54 年度完成予定となっている . 新線建 で , 53 年 3 月には完成予定進捗率は 90 % 都市モノレールとしては日本最初の北丿し州高 設として羽島信号所ー新羽島間は高架橋クイ 速鉄道会社がこのはどスターートした . 路線と 打ち工事を始めている . 金沢鉄道管理局では , 全国初の試みとしてデ 軌道本体は市が建設 , 同社は停留所 , 車庫 , 〔近鉄〕長田一生駒間の新線建設は未着工 ジャパン記念シールを発売し , 電気通信設備などを分担 , 完成後は経営にあ イスカノく て・あるが , 56 年には完成したいとしている . ャングたちに好評である . 同局は 45 年から 66 たる . 区間は小倉駅前一石田間 , 56 年に開業 . 707 ◆ DJ 記念シールを発表
0 崧妥み崧朝言気 近江長岡ー柏原間にて 1975 ー 2-8 写真 : 諸河久 東海道線で見られる数少ない電車特急”しらさぎ " 485 系 ( 金沢 ) の 583 系・ 485 系 , 仙台 ( 運 ) の 485 系と 3 種類の編成 んでいる . 青森運転所との足つけは , 東北線 " はつかり " が連用されていることがわかるであろう . 羽越・上越線 " いなほ " で行ない , 首都圏側に滞泊とな ・秋田運転区 485 系 72 両配置 る車両により , " ひばり ' ' ・ " やまびこ " ・ " やまはと " の 50 年 11 月の奥羽南線電化にさいして , 新たに特急電車の 運用を組み立てている . 基地の仲間入りをした基地であり , 新しく上越線の " と このように青森運転所の交直流特急電車は , その充当 き " に登場した耐寒耐雪形の 183 系 1000 台の交直流版とい 列車の種類 , 運転線町の多さ , 運用キロの長いこと等に える 485 系 1000 台が配置されている . 開業以来約半年は , その特色がある . このことについては後に述べることと 在来形 485 系で運用してきたが , この新製車の落成にと する . もない在来車は順次長崎・佐世保線へと転属させ , 置き ・仙台運転所 ( 483 ) 485 系 203 両配置 換えを完了して間もない . 充当列車は " つはさ " ( 上野 仙台連転所々属の 485 系には , 3 種類の編成がある . ま ー山形一秋田 ) の 2 往復のみである . ず , 磐越西線へ入り込む " あいづ " ( 上野ー会津若松 ) ・全沢運転所 489 系 168 両 , 485 系 93 両配置 のため 9 両編成 ( 一部 " ひたち ' ' にも使用 ) そして 12 両 489 系は 12 両編成で , 信越線経由 " 白山 " と北陸線 " 雷 編成は青森のものと同一で , " ひばり " ・ " やまばと " ・ " ひ 鳥”の共通連用としているが , 1 本のみが " しらさぎ " たち " に使用されている . さらに , " ひばり " のうちも ( 名古屋ー金沢一富山 ) の連用に人っている . っともグリーン車の需要の強い 3 往復に使用するための いつばう , 485 系には 12 両と 7 両のグループがあり , 13 両編成がある . ただし , この 13 両の組成内容は前述し 12 両は " しらさぎ " に , 7 両は湖西線開業による米原口 た青森の " 白鳥 " 編成が , サロ ( Ts ) 2 両であったのに対 の新幹線接続輸送カ確保のために新設された " 加越 " に し , こちらはクロ (Tsc) とサロを各 1 両組み込んであ る . 最近までは同運転所のグリーン車は , ポンネット形 運用されている . のクロ 481 (Tsc) が上野寄りに連結されるのが定位であ ・向日町運転所 583 系 254 両 , 485 系 156 両配置 新幹線博多開業と同時に山陽線の昼行特急は全廃され , ったが , 長崎・佐世保線電化にともない , " みどり ' ' の ここ向日町の様相も一変してしまった . しかし大部分の 編成としてクロを使用する必要が生じたため , 一部を九 夜行寝台特急は存置されたため , 583 系は従来どおり九 州へ転属させた結果 , 現在ではクロの見られるのは 9 両 州特急として " 明星 " ・ " 彗星 " ・ " 金星 " ・ " なは " として ・ 13 両グループの 5 編成のみとなっている . 運用されている . また九州島内では , 博多・小倉での新 以上の話の中でも , 例えば " ひばり " には , 青森 ( 運 ) しらささ 3 0 物、、第、を第 27
一地鰤 , 第ま第、を第第を 北陸線の米原ー田村間の交直接続用として作られたユニークな凸形機 ED301 写真 : 三島富士夫 4. 標準形交直流電気機関車 F81 形の発展 ているが ( 関門用 300 台は除く ) , これには , 直流区 北陸線の電化が北上し糸魚川まで達したあとは , すでに 間では静止形のサイリスタインバータを使用してい 直流電化されている上信越線との接続が再び問題となっ る . 交流区間では主変圧器の暖房巻線を使用する . (iii) 主整流器とインバータ用サイリスタを一つのタ て来た . 車上切換方式は当然としても , 接続点をどこに ンクに納めて油漬とし , 冷却効率をあげコンパクト するか , 機関車の運行をどうするかなどが検討された結 果 , 糸魚川一梶屋敷間で交直接続することとなり , 北陸 にしている . ( ⅳ ) 90kVA の電動発電機を持ち , すべての補機に 3 線の糸魚川一直江津間と , 信越線の直江津一宮内間が 44 年 10 月に電化され , 北陸線の交流区間と信越線の直流区 相誘導電動機を用いプラシを M G のみとするなど , 間が結ばれることとなった . ここで使用される機関車も 保守の省力化がはかられている . (v) 空転を検知すると自動的にノッチ止めを行なうほ 新しい技術の可能性も含め種々検討されたが , 時間的な 制約もあり , 最終的には交流 50 / 60Hz , 20kV と直流 1500 か , 空転軸を含む台車に空気プレーキをかけ , 再粘 V の三電気式で , 標準主電動機 MT52 をもつ 6 軸の抵抗 着したらゆるめる方式の再粘着プレーキを備え , 粘 制御機関車 , つまり EF65 形の交直流版として , F811 着性能の改善をはかっている . 号が昭和 43 年に誕生した . EF81 形は , それまでの技術 (vi) 運転台まわりは人間工学的に配慮した斬新で使 の集大成として設計され , 技術的に非常に安定したもの いやすい構造としている . を持っており , 実用面では本質的なトラブルもなく , す (vii) 固定編成特急客車や高速貨車をけん引する設備 こぶる好評であり , また 3 電気式であるので , 日本海縦 ( 編成増圧装置 ) を持っている . 貫線の電化の延長にともない酒田・秋田と運行の範囲を 5. ユニークだった E D 301 号 広げた他 , 東北線 ( 田端ー福島間 ) や , 関門トンネルに 北陸線の米原ー川村間の交直接続用として , EF553 号 も進出 , また , 湖西線の開業により , 東海道線にも姿を を種車にし部品を流用する形で , 国鉄浜松工場で昭和 37 見せるといった具合に , 標準機関車として全国を走るに 年に改造された . これは EF553 号の部品の大幅な再用 至った . このうち , 関門用は , 塩害対策として車体外板 と , 不足部品と追加となる交流部品を交直流電車との共 や屋上のステンレス化などが行なわれ , 300 台の番号を 通化が考えられ , 主変圧器 , シリコン整流器 , 交直切換 装置や冒進保護装置などは 471 系交直流電車と共通とな とっている . ( 1 ) 性能 っている . また車体構造は簡単で交直接続のハタオリ連 基本性能は川 % 。こう配で 1200t をけん引することがで 転に便利なように中央運転台式となっていた . 米原ー田村間の 1200t けん引も問題ないことが確かめ きる . られていたが , けっきよく , この交直接続の運行は米原 ( 2 ) 特徴 (i) 使用線区の情況を考え , パンタグラフ以外の特高 構内の入換と共通の運用が良いこととなり , 現在のよう 機器を屋内に収容するなどの耐寒耐雪構造に十分な なディーゼル機関車けん引となり , ED301 号はその後 鉄研での試験機関車として使われたりしたが , ED461 配慮が払われている . 号同様 , 廃車となった . (ii) 客貨両用として列車暖房用の電気暖房装置を持っ 78
REPORT 南海軌道のワンマン化 について 初軽発積准時表 子物行を物 35 物 2 ー ! を分 事第行 5 ~ 9 脅 23 いい分 磯画公・行 ; 5 員 2 ら 2 ! 4 一分 : ・い第を物電物アをド物・物材 ◆性々増 絅代守男 南海電鉄は経営合理化の一環として 7 月 1 日から軌道線の上町線 ( 天王 寺ー住吉公園間 4.6 キロ ) と阪堺線 の一印 ( 住吉ー我孫子道間 1.6 キロ ) をし , 化した . 南海は現在 83 両の路面電車を持っ ているが , ワンマンカーとツーマン カーを区別しやすいように , すでに 1976 ー 77 ( 6 枚共 ) モ 3 形天王寺駅前 円 76 ー 7 ・ヨ 天王寺駅前の掲示 ワンマンカ " カラフル電車 " として沿線住民か 車掌発行の 2 種類かある . ら人気のあるオレンジ , プルー グリーンの 3 通りの車 定期乗車券と回数乗車券は従来どおり発行されるが , 体の 32 両 ( 今年中に ) それぞれ下部に入道雲の模様を人 れた立石電機のスポンサーっきのワンマンカーは , 電車 発売駅は天工寺 , 住吉公園 , 我孫子道 , 浜寺公園などの の前 , 後 , 横に「ワンマンカー」の表示板を 6 枚つけ , 地下鉄の整備 , 交通渋帯などで大阪市電や阪神の路面 乗客の乗り降りは , 中央ドアが人口 , 前部ドアを出口と 電車がつぎつぎと姿を消し , 大阪に残っている路面電車 する " 後乗り前降り方式 ' ' で降車の際運転台横の連賃箱 は南海の上町・阪堺・平野線の 3 線だけ . 南海軌道線の に大人 70 円 , 小児 40 円を入れる . また , 両替機も備えつ 50 年度の赤字は 18 億円 , このワンマン化などの省力化で けられている . この " 現金投人方式 " はワンマン化して 車掌と駅員合計 88 人を配置転換させることで , 年Ⅲ」 4 億 ない阪堺線の恵美須町一住吉間 , 我孫子道ー浜寺駅前間 , 5 , 0 ( ) 0 万円を浮かせることができ , これで昨年度の営業 平野線でも実施され , 自動券売機や車内で発売されてい た普通乗車券は 6 月 30 日で廃止された . 係数 2 ( ) 4 が 186 に下かる . 地下鉄谷町線の延長に伴い 54 年に廃止されることか決 軌道線の阿倍野 , 今池 , 住吉 , 我孫子道で乗換する際 まっている平野線ではワンマン化のための機器設置に費 大人 18 円 , 小児 50 円で乗換券が発行されるが , 乗換券 川がかかるためツーマン方式をとることにしている . は , ワンマンカーの自動乗換券発行機とツーマンカーの ①②中内て允売 南海電気鉄道脣 5 冊トに 0 5 叮 された東車券 ③駅の自動券売 ””車内補充券当 機の東車券 以上 6 月 30 日で廃 ⅱ : になったもの ④自動東換券発 行機発行東芬 ⑤車掌発行東換 以上 7 月い」から つンフンカ -- - 3 5 3 第を 、、ん第 : は はをまの第を 第をを 恵美須町 円 天王寺駅前 阿倍野 小荷 今池 ( 大市内 ) : ( 市内き 住吉公園 ・発当日り有効てす。 ・おを ををを : なるヘ ( こ強をに叮第 - : のをめ下町、 9 例 け 0 200 を工町 平野線 子道浜寺駅前 上町線 平野 住吉公園 ・巨中下をはてき ! せん、 我孫子道 つ 南海電鉄 ・平野◆ 70 当に物 下車の主第効円区問ゆき 平野駅発行① 乗換券 学市 , 内 大阪市内 ② ー : ー第内は物画をす 住当公第 線 道券 3 軌換用 乗当間 浜寺公園駅前 ワンマン区間 ー + ト + + ーツーマン区間 区問用 ③ ⑤ 700
2. " おき " の 181 系化 第 2 ・第 3 ひだ登場遅延理由がひそんでいるのかも知れ 昭和 50 年 11 月奥羽南線の電化完成により " つはさ " は , ない . 余談はさておき , 。おき " でねん出された 80 系気動車 485 系電車に衣替えが行なわれた . この " つばさ " は本 を名古屋へ移管して今回 3 往復の " ひだ”が実現するこ 年 5 月に , 耐寒・耐雪用電車にその毛並みもようやく生 え揃ったが , 気動車にあっては 33 両を小郡に転属し , な ととなった . 編成は 6 両から 7 両へと増強され , うち 1 往復は 91 系 がらく夏をしりめに冬眠ならぬ夏眠をしていた . これは 気動車急行 " のりくら " の格上げを行ない改善されるが 小郡機関区の検査設備・運転線区の訓練など待って , よ 他に名鉄ー ( 高山線経由 ) ー富山地鉄直通の気動車急行 うやく再登場することとなり , ここに新特急基地の誕生 " 北アルプス " も今回特急列車に格上げされて , 一躍 4 となった . 往復の特急線区へと脚光を浴びることとなった . 昭和 50 年 3 月までは特急 " かもめ " として京都ー長崎 ・佐世保間を , 新幹線博多開業後は特急 " おき " として 小郡ー米子・鳥取間を走った . 何の因果か " おき ( の ) かもめ”との関係が生じたのも当時の楽しい工ビソード であった . " おき " の運用は , 現在向日町で担当し今日まで運転 を続けた . 長距離運用はファンにとって楽しいものでは あるが , 広域連用は時により短所となりやすく , 山陰特 急 " まっかぜ・はまかせ " がクシャミをすると " おき " に伝染しやすいこともあって , 今回運用の分離が計られ ることになった . これに関連して , " はまかぜ " 下り 1 号・上り 2 号は 4. 日本海縦貫線 倉吉ー米子間を 烏取 ( 大阪 ) ー富山一糸魚川間季節急行 " 立山 " 1 往復を , 廃止することと 米子 大阪ー糸魚川間の定期急行に格上げし , 利便を計ること なった . 益田 とした . ( 注 ) ”おき”の 181 系化は 9 5. 東北・常磐線 月四日より順 益田 東北・常磐線は通年混雑が昼行・夜行特急とも旺盛であ ホ郡 次実施の予定 である . る . このため今回は , 夜行特急 " ゆうづる " の 24 系化を 行ないサービス向上を計ることとした . すなわち東海道 3. 高山線 線 " はやぶさ・富士・出雲 " からねん出した客車を品川 高山線特急 " ひだ " は昭和 43 年 10 月 1 日に登場以来ひさ から青森へ転属し , 客車 " ゆうづる " 4 往復の置替えを しく孤軍奮闘した特急でもあった . 当時 , 基地を金沢に 行なうこととした . 求めてスタートして以来 , それは " しらさぎ・雷鳥 " な 現在 , 上野口夜行特急は 583 系電車寝台と 20 系客車寝 ど北陸線特急の触媒的役割にウェイトをかけたことに , 台をくらべると寝台幅の点で格差が生じ , このため電車 寝台への人気が集中している . この置き替えにより乗車 率もやっと平均化され , 北帰行ムードも倍加されること となった . この改善で青森受持ちの 20 系 " あけほの " 運用は , 2 往復とも秋田へ移管となり , 24 系客車は青森に , 20 系客 車は秋田に , それぞれ集中配置されることとなった . ( 注 ) 北星・北陸は従来通り尾久配置 ( 20 系 ) である . さて , 本年 2 月に東海道線 " 銀河 " に 20 系客車が充当 されたように , 今回 " ゆうづる " からねん出された 20 系 客車を東北線の寝台急行 " 新星 " と羽越線の急行 " 天の 川 " に充当することとなった . これは質的改善を図るた め計画されることとなったが , 上野口夜行急行に登場す る両列車は , スター・シリーズに一段と花ならぬ星をそ えることとなった . 0 ー 2 3 4 5 6 7 8 9 Ⅱにロ丐市ロ圏円 20 れ 22 お 24 飛弾古川 高山 0 名古屋 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ キ キ キ キ キ キ キ 82 80 80 80 80 80 82 ~ 3 4 5 6 1 8 9 国口にロ丐け円 20 23 24 ー / 0 、学 0 ンを 0 ルの 0 は ゆうつる。 20 系から 24 系に置替わる”ゆうづる " 写真 : 河井秀夫 目時一金田一間にて 円 74 ー川一 田 69
R EP 0 R ア 片町線たより 冒コ「日日 鹿島 1 . クモハ 32 のシルバーシート 関西の国電にも , ご存知のように昨年末からシルバーシ ートが設けられたが , 片町線の車両は東海道山陽緩行線 や環状線と同様に車体外板にもステッカーがはられてい る . 片町線の旧形にはシル・ヘッダー付きの車両が多い が , このステッカーはとい下の外板からへッダーにかけ て段付きにはられている . 中にはリべット付きの車両も 数両残っているので密着してはりつけられす , めくれ上 った状態で走っている場合がよくある . さて , クモハ 32001 は国電のシルバーシート車ではお そらく唯一の両連車だと思うが , その位置が左右で違っ ているのがおもしろい . この 32001 の半室運転台の方は ここ数年先頭に出たことはなく , 下り向きのクハ 79 が多 数転属して来た現在 , まず使われることはないと思われ る . 2. クハ 79929 号の座席 クハ 79929 号はアコモデーション改造試験車として昭 47 年夏に吹田工場で改造されて淀川区へ配属されたが , こ の車はシートかロング←クロス変換可能となっているに もかかわらす , 今だに一度もクロスシートの状態で使用 クハ 79929 の車内 淀川区円 72-7 ー引 されたことかない . せつかくの改造なのだから一度クロ スシートで乗ってみたいと思うのはファンだけではない と思うのだが . なお , この車はドア内側のにぎり棒が両端ドアの車端 よりの 4 本を除いてないため , ラッシュ時など危険であ る . また , シートのクッションは一般車にくらべ , はる かに良い . 101 系投人開始 3. 旧形王国だった片町線にも本年 4 月 3 日から , 環状から 降りて来た川 1 系が使用開始され , 現在までに 3 本がそ ろった . 編成は次のとおり ① 1 ( ) 1 ーー 205 十 100 ー 259 十 101 ー 117 十 1 ( ) 1 ー 264 十 1 ( ) 0 ー 193 ② 1 ( ) 1 ー 94 十 1 ( ) 0 ー 16 十 1 ( ) 1 ー 7 ( ) 十 101 ー 16 十 1 ( ) ( ) ー 94 ③ 101 ー 9 ( ) 十 100 ー 17 十川 1 ー 118 十 1 ( ) 1 ー 17 十 100 ー 90 であり , 左が長尾寄りで , 形式は左からクモハーモハー サハーモハークモハである . 今後も環状に川 3 系の増備 及び転属車が人るごとに 101 系が片町線へ移り , 来年 2 月には全車川 1 系に置き換えるとのことである . 余剰と なる旧形車のうちモハ 72 とクハ 79 の 920 代の一部が阪和 線へ転属し , 残りは廃車とのこと . 川 1 系が片町線で営業車として使川されるのは なお , これが 3 度目である . 1 回目は昭 38 年頃オール M の 4 連 でかなり長期 ( 1 年ぐらい ? ) にわたり , また 2 回目は 本誌 P ( ) ST 欄でも報告されたように一昨年の昭 49 年・ 12 月末から数週間にわたって使用されている . クモハ 32 1 のシルノく一シート△半室運転台の向かいがシル・バーシ - ・一ト ▽ステッカーがリペノトの上にはってあるのがわかる 四条畷円 76 ー 5 ーい 活やくを始めた 1 田系 5 連 クモハ 100 ー 93 ほか 住道 1976 ー 4 ー 4 702
・ 0 ておられる方も多いであろう . ・青森運転所 583 系 180 両 , 485 系 271 両配置 583 系は , 東北・常磐線の夜行寝台特急 " はくつる " ・ " ゆ うづる " に使用されるほか , 昼間は座席に早変わりして 同線の " はつかり " , 常磐線の日中見られる唯一の 583 " みちのく " に運用されている . また間合使用の形で 上野ー仙台間の " ひはり " にも 1 往復のみ充当されてい を一は第 交流電化の函館本線特急“いしかり " 電車は 485 系台 厚別ー大麻間にて 1975 ー 9 ー料写真 : 篠崎隆一 図 4 函館本線特急 " いしかり " 電車運用図 0 ー 2 3 4 5 6 7 8 9 田Ⅱにロロ田円 20 幻 22 23 24 いつばう , 485 系は 13 両と 12 両の 2 種類の編成がある . 13 両は日本海縦貫線を経由し , 青森ー大阪間を走る " 白 鳥 " の運用である . この編成は同区間 1059.5km を 13 時 間 35 分かけて走り抜くが , 世界でもっともロングランす る電車の記録をもっていた . 現在は新幹線電車の東京ー 博多間 1069. lkm にその座を譲っているが , 在来線とは 基本的に異なる運転方式であることを考えると , やはり 真の意味でのロングランはこちらであるかもしれない . また 12 両グループは 17 編成を要しての大形運用を構成 しており , 使用される列車もきわめてバラエティーに富 一 0 一 24 こ 0 一 一 204 き 600 、 一 006 き 00 、 一 0 っ 44 一つ 02M さ、 00 一 008 へ 00 、 札幌 手稲 道民のために足にふさわしい高効率の運用を行なって , 有効時間帯での列車本数を確保しているが , これは同区 間の距離が比較的短いこと等により行ない得るものであ る . 本州内のような長距離特急では , 折り返し間合を十 分にとり , 整備時間を確保するとともに , 遅れに対応でき る余裕を持っことが基本なっている . この点で , " いし かり " の運用は , 特急電車の中では特異なものである . また , この車両は渡道する前の一冬を , 青森運転所です ごし , 日本海縦貫線の " 白鳥 " に使用されたことを覚え △間合使用で " ひばり”に られる青森 ( 運 ) の 583 系 岩沼付近にて 1975-3 写真 : 羽賀美知雄 26 昼間の座席特急”はつかり " の 583 系 東北線金谷川一松川間にて 1975-12- 幻
睦合 1 4 - 1 1 - 3 山形交通三山線 . 小さな単行電車がモータをうなら せながら素朴な沿線風景によくマッチして 10 キロあ まリの全線を往復していた . この愛すべきローカル線が廃止されるニュースを 聞き , 晩秋の羽前路の里に足を踏み入れた . 前日ま てのみぞれ混リの冷雨が快晴に好転し , 紅葉の散リ 行く中をピンクとマルーンのパステ丿レカラーのチビ 電達は期待どおリに快走してくれた . 大正時代のム うわの ードにあふれた羽前高松駅 , 睦合や上野のひなびた 停留場 , そして古豪の木造単車モハ 103 の印象はい まだにはっきリと網膜に焼き付いている . 訪問の日 から 12 日目の 1974 年 11 月 16 日のお別れ運転を最後に 三山線は同社の高畠線とともにその歴史を閉した . 羽前高松駅 1974-1 1 - 3 73
ーー当■を 高」 曲。 0 6. 出力アップ 120kW の標準主電動機 MT54 の誕生により , 交直流電 車も , それまでの MT46B ( 出力 100kW ) から MT54 に 変更されることになった . 近郊形では 401 系が 403 系に , 421 系は 423 系となり , 急行形も 451 系が 453 系に , 471 系は 473 系に移行した . これにともない関連電気機器の容量アップも行なわれ た . いつほう , 急行形電車は走行線区の拡大にともない クモハ 591 形試作在来高速電車 抑速プレーキの必要性が高まってきた . このため , 制御 在来線のスピード・アップの望めない線区を , 将来高速運転する車両開発 引き通しジャンパ線を増設し , 抑速プレーキ付とした 455 を目的に製作された連接構造・振子装置付きの交直流電車 藤田にて円 70 ー 1 写真 : 小玉光 系 ( 50Hz 用 ) および 475 系 ( 60Hz 用 ) が誕生することと なった . を E F63 形機関車との協調運転により , 12 両編成で走行 7. 特急形電車 できる 489 系が昭和 46 年に誕生した . これは 485 系を基 特急電車の交流区間乗り入れは 151 系直流特急電車の機 本とし , 協調運転に必要な制御引き通しジャンパ線の追 関車けん引による博多乗入れから始まったが , 昭和 39 年 10 月の北陸線富山電化を契機に交直流特急電車 481 系 ( 60 加や主制御器の変更を行なったものである . いつばう , それまでの標準形主整流器 RS22A をさら Hz 用 ) が誕生することになった . に改善し , 油冷方式および大容量素子の採用などにより この電車も , 直流の 181 系の交直版であり , MT54 装 備の抑速プレーキ付である . 主要機器は交流機器は 475 大幅に小形化された RS40A が生まれた . しかし , その 後の不燃性油 (PCB) 製作中止 , 拡大使用の禁止にと 系と , 直流回路機器は 181 系と共通である . いつばう , もない , 交直流電車は主変圧器および主整流器の両面か 東北線の盛岡電化 ( 昭和 40 年 10 月 ) にともない 50Hz 用 ら , 大きな暗礁に乗り上げることになった . 早急に基礎 の特急電車 483 系も誕生した . 研究や代替品の開発・試作試験に全力を上げて取り組み また , 昭和 42 年 , 座席・寝台兼用の交直流特急電車 主変圧器の方はシリコーン油を採用した無圧密封方式の 581 系 ( 60Hz 用 ) が誕生した . TM20 を , 主整流器の方はコロン沸騰冷却方式の R S45 A を開発し , これらの機器がその後の標準形となった . 8. 50 Ⅱ z ・ 60 Ⅱ z の両用化 485 系は特急列車の増大とともに増加の一途をたどっ 北陸線電化の北上と羽越線電化の進展にともない , 日本 たが , 適用線区に合わせた改善を加えたものもその後誕 海側縦貫の電車に対して , 50Hz ・ 60Hz 両用化の必要性 生し , 北海道の L 特急暫定対応用の 4851500 系 , および奥 がでてきた . いつばう , 車両の転配属の自由度の面や使 用機器の標準化の面でも , 交直流電車の 50Hz ・ 60Hz 両 羽線 " つばさ " 用の 4851000 系などへと発展している . 用化は強く望まれていた . 主変圧器・主整流器・主平滑リアクトルなど本体その ものは , 両用化に対する問題はほとんどない . しかし , 実際にはこれらの機器は電動送風器やオイルポンプを必 要とし , これら補助回転機は交流区間のみ必要なため , 主変圧器の 3 次巻線から供給されているため , 電源の周 波数が変わると回転数も大幅に変化して所定の性能が確 保できなくなってしまう . このため , 50Hz でも十分性能 が発揮でき , 60Hz でも熱的に問題ない補助回転機を開発 することにより , 初めて 50Hz ・ 60Hz 両用化が可能とな り , 50Hz ・ 60Hz 両用の標準主変圧器 TM14 が誕生した . TM14 の採用により近郊形は 415 系に , 急行形は 457 系に , 特急形は 485 系に , 寝台特急形は 583 系にそれぞ れ集約されることになった . 9. その後の発展 昭和 46 年 , 信越線横川一軽井沢間の急こう配 ( 66.7 % 。 ) 上野駅で顔を合わせる交直流電車の特急形と急行形 光 円 72 ー 3 写真 : 小玉 肌 ) 凵 白 に ノ - 気ン 0 第第ン 2 プ
九州にデヒ・ユーした近郊形は 60Hz 用の 421 系 1961 ー 9 写真 : 小玉光 海老津付近にて もない , 電車用シリコン整流器も実現可能となってき 5. 急行形電車 . いつほう , 常磐線取手一勝田間と山陽および鹿児島 東北線の仙台電化 ( 昭和 36 年 3 月 ) が完成し , 北陸線の 線にまたがる小郡ー久留米間が昭和 36 年 6 月から電化開 金沢電化完成が近づくとともに交直流急行形電車が必要 業されることになり , 交直流近郊形電車が強く要望され となり , 昭和 37 年に 451 系 ( 50Hz 用 ) および 471 系 ( 60 ていた . ここで誕生したのが 401 系 ( 50Hz 用 ) および 421 Hz 用 ) が誕生した . この電車は直流急行形電車 153 系の 系 ( 60Hz 用 ) である . 交直版であるが , 主制御器は CS15 を採用しており , 界 この電車は , 直流近郊形電車 111 系の交直流版であり , 磁制御段を増し力行 5 ノッチとするとともに , 界磁制御 主変圧器・主整流器・主平滑リアクトルなどの交流機器 段のノッチ戻しも可能としている . その他の電気品は , は M ′車に搭載し , TcMM'Tc を基本編成としている . 401 系および 421 系とほば同じである . 最近の近郊形増備車は九州・常磐ともクーフー付きの 415 系 円 75 ー 3 博多にて 写真 : 後藤文男 20