C60 ・ C61 の重連で東北線を行く上り ”はつかり” 好摩ー渋民間にて写真 : 本島三良 当時東北線昼行特急列車は , " 青葉 " ・松島”他に準急 であったので , 上野ー青森間では約 2 時間の短縮が計ら 1 本の 3 本体制で , いずれも仙台行 , 常磐線は代みちの れた . これは東北・常磐 , そして北海道へは大きな福音 く " のみであった . 因みに青森直通急行“みちのく " は であった . 201 列車みちのく 青森 23 : 44 上野 9 : 50 " はつかり " の新設で " みちのく " は , 盛岡ー青森間 ( 札幌着 11 : 49 ) は不定期 ( 現行季節 ) 列車へ格下げが行なわれ , 多客 202 列車みちのく 青森 5 : 20 上野 19 : 25 期は従来どおり青森まで直通運転が行なわれた . ( 札幌発 17 : ) 運転当初の " はつかり " の乗車客は , 東京から仙台 , ”はっかり”仙台 以北は C が活躍 写真 : 二品勝暉 プ 8
急 特 だ ん 第 並 山、《 大 東 仙台 20 : 56 ひばり 9 号 上野 17 : 1017M 仙台 22 : 25 ひばり 10 号 上野 18 : 30 1019M 仙台 22 : 54 東京 18 : 55 ひはり 11 号 1021M ( 上り ) 東京 14 : 11 やまびこ 1 号 盛岡 8 : 00 〇 32M 盛岡 9 : 00 上野 15 : 04 やまびこ 2 号 34M やまびこ 3 号 盛岡 14 : 00 上野 20 : 04 ◎ 36M 仙台 6 : 10 東京 10 : 11 ひばり 1 号 1002M 上野 11 : 04 ( 9 両 ) 仙台 7 : 10 ひはり 2 号 1004M 上野 12 : 04 ひはり 3 号 仙台 8 : 10 〇 1006M 上野 13 : 09 ひはり 4 号 仙台 9 : 10 1008M 仙台 12 : 05 上野 16 : 04 ひはり 5 号 △ 8012M 上野 17 : 04 ひはり 6 号 仙台 13 : 05 1012M 上野 18 : 04 ひばり 7 号 仙台 14 : 05 1014M 上野 19 : 04 583 系 ひはり 8 号 仙台 15 : 05 〇 1016M ( 9 両 ) とし , 他の特急は 12 両であり , 増発列車に 583 仙台 17 : 05 上野 21 : 04 ひばり 9 号 1018M 系“ひはり”も生まれ , 楽しさも増した . しかし , 予定 ひばり 10 号 仙台 18 : 05 上野 22 : 04 △ 8014M 臨時列車で計画した 2 往復の " ひばり " は 485 系電車 26 ひばり 11 号 仙台 18 : 50 上野 22 : 44 1022A4 両青森に新製配置となり , 6 月 15 日から運転開始され , △ = 予定臨時列車 〇 = 増発◎ = 格上げ 実質。ひばり " 11 往復体制とし , 夏季多客輸送の戦列に 代ひばり " とも各 2 往復増発 このように代やまびこ " されたほか , " ひばり " は他に 2 往復の臨時列車をあら 加わることになった . 47 年 10 月 2 日 , それは日本海縦貫線の電化完成による かじめ計画されたが , これでほば 1 時間へッドの特急ダ 時刻改正が行なわれた . この時 " 白鳥”・。いなほ " を電 イヤ網が形成されて , 将来の増発余力をも考慮したダイ 車化するため青森運転所に 485 系電車を 130 両配置し , ヤとなった . 583 系寝台電車 167 両と併せた基地増強が行なわれた . この改正時における 1015M ・ 1004M C 。ひはり 8 ・ 2 これで代ひばり " ・。やまびこ”は新たに青森運転所でも 号 " ) は , 。あいづ " と車両を共通としたためミニ編成 運用を担当することとし , 従来仙台一色で受け持った特 急も 2 分されて仙台は緩和され , 東北線の輸送力増強が 東北・奥羽・磐西線 485 系特急電車ダイヤ 昭 47.6 コ 5 計られた . 山 形 0 2 4 6 8 IO に 田 20 22 24 さて , これにより臨時特急 " ひはり " 2 往復 8011M ・ 8015M は 1001M ・ 1011M に , 8012M ・ 8014M は 1010M ・ ・ヘ若松 1020M と改称された . いつばう " やまびこ " は , この時 2 往復の増発が計画され , 次の時刻であった . ( 下り ) 又 6033M やまびこ 2 号 上野 9 : 05 盛岡 15 : 川 盛岡 21 : 川 37M やまびこ 4 号 上野 15 : 05 ( 上り ) 上野 13 : 30 32M やまびこ 1 号 盛岡 7 : 25 上野 22 : 49 X 6040M やまびこ 5 号 盛岡 16 : 45 これにより , 。やまびこ " 3 往復は列車番号・列車名 を発時刻順に整理し , 31M ~ 39M , 32M ~ 6040M " やま びこ 1 ~ 5 号 " と改称された . この増発 " やまびこ ' ' は 24 両の車両落成の関連から 11 月 1 日から運転開始され , 今日に及んでいるが , 1 往復 6033M ・ 6040M は上野ー大 宮間午前通勤列車の関係で休日連転列車で計画された . この時期に合わせ , 常磐線特急 " ひたち " は電車特急 5 往復体制となったため , " ひばり " と " あいづ " の共通 運用は。ひたち " と " あいづ ' ' とでペアーを組むことと 2 〔 , 引、当 32V やーびこ ー 2 号 リを ! やーび - ー 3 号 リやまび - 80 Ⅱルい 002 ソけはり一号 浦 03Vm04V いばり ~ 号 m05 、い 006V ひばり 3 号 こ本 m01 、い 008M ひはり 4 号 20 ヨ V80 にリひばり 5 号 80 当、い 0 にリひばりも号 ー田 3 い 0 はリリはり 7 考 国汚、い例 6 リリはり 8 号 響 機 国ロ浦慴リはり 9 号 国円リ 80 M ひばり号 国幻 M 222M ひばりⅡ号 上 野 増発列車 マ 9 臨 8 キきキき さキきききキ 編成変史列車ー 05 M ( ひばり 3 号 ) ・ 10 ロ M ( ひはり 7 号 ) ・幻 M ( ひはりⅡ号 ) 1008M ( ひばり 4 号 ) ・田図 M ( ひはり 7 号 ) ・ 22M ( ひはりⅡ号 ) ⑧⑨⑩⑩ ⑥⑦ ①②③④⑤ M' M M' M Tc Tc M' M M' M TD Ts 4 引 484 485 484 485 4 引 4 田 4 引 484 485 484 485 田 04M ・ M を除く ) その他のひはり ( 臨時特急を含み , ひはり 2 号・ひばり 8 号 4 引 484 485 484 485 4 田 4 引 4 引 484 485 484 485 38
東北・奥羽線特急電車 その後 46 年 3 月 20 日臨時特急 " あおは " 登場時に , 下り “やまびこ”の盛岡着は 5 分繰上げとなり 19 時 10 分とな ったほか , “ひばり 7 ・ 1 号 " は須賀川にも停車するこ ととなり , 利便が計られた . 6. 東北特急は臨時から 夏季輸送のポイント , それは東北・北海道への観光客輸 送 , それと 8 月中旬のお盆輸送 , これが輸送の決戦でも あって , 特にその計画は時刻改正前後の慎重さとは異な って , その配慮が必要となる . 上野のテント村あるいは ワッペンによる乗客整理はその例ともいえる . 40 年代になると観光プームも次第に加熱し , 従来とか く集中的であった旅客はだんだんに高原状を示すことと なり , その輸送期間も長くなってきた . このため臨時列 車の運転期間は 44 ~ 46 年頃には 1 ( ) 月時刻改正に先行して 早期に車両落成を行ない , 臨時列車が運転されるように なった . 46 年夏には , これら長期間連転される列車は , その列 車名を 70 台で表わしたが , もう 4 年前のものになってし まった . この時登場した列車の中には次のやまびこ 71 号”が含まれていた . ( 下り ) 8011M やまびこ 71 号上野 7 : 42 盛岡 13 : 57 ( 9 : ) ( 15 : 05 ) ( 上り ) ( 下り ) 8012M やまびこ 71 号盛岡 15 : 45 上野 22 : 00 9017 やまびこ 52 号上野 22 : 3 ( ) 盛岡 5 : 55 ( ) 内は IO 月いヨ以降の時刻 ( 注 ) ( 上り ) この列車は 7 月 21 日から翌年 3 月 14 日まで ( 以降定期 9018M やまびこ 52 号盛岡 22 : 40 上野 6 : 24 格上げ ) 運転されたが , この頃 " あいづ 51 号 " ・ " はつか 期日 12 / 29 ~ 31 , 1 / 3 ~ 6 り 51 号 " の運転のほか , 秋田特急。、つはさ " は 10 両を 12 いちおう初めての試みともあって , その連転期間は短 両化するなど行なわれた . その他 , 45 年年末・年始輸送 期間であったが , 予想外の人気で , 特に座席確保 , 時間が には夜行。やまびこ " が連転された . 夜行臨時座席特急 よい等 , 特急の魅力ともいえる声が聞かれ , 計画当初の不 を初めて運転した最初の列車でもあった . 安からうれしい悲鳴となった . これは後に山形特急 " や 夜行列車は寝台車により計画することが理想ではあっ まはと 51 号 " , 上越線の夜行 ' 、はくたか " ( 現 " 北陸 51 たが , 予備車をフル活用の中にその余裕のないことから 号 " ) , 山陽線 " タ月 " などにも反映され , いすれもその人 昼行特急電車にその方策を見つけて , 上野・青森におの 気は不動のものともなり , 毎年ヒ。ーク輸送時の常連列車 おの夜間留置中の電車を活用することで連転された . 昭 45 コ 0 コ 8 田に図田 20 22 24 田台 ー 20 ! 一 2 多 松犠費宮野 仙日福・ニ日第宇大上 LS 8 きうざや 485 系”ひばり” 36
22 列車に使われたこともあったが , 後にこの列車は " 安 ■ やまびこ”・“ひばり ' ・やまびこ”のことなど 1. 芸”となり今日の“あさかぜ 2 ・ 1 号 " である . エレガントな列車名に代やまびこ”がある . 昭和 34 年 2 さて , 仙台特急。ひばり " が昭和 36 年 10 月改正で不定 月 1 日誕生の準急気動車 . 福島一盛岡間 4 時間 55 分で連 期列車として登場した . 82 系気動車の慎重運転を考慮し 転するキハ 55 の日光スタイルも鮮やかに登場し , 福島か ての不定期扱いであったが , 秋田・青森へ仮配置して 82 ら仙台へのビジネス列車として , また仙台ー盛岡との都 系列車の予備車を分散して新設列車の運転確保が計られ 市間準急行としての使命もあった . たため , 当時はこの。ひばり " は隠れた存在であった . この時期の急行・準急はすべて上野始終着列車であっ 時刻は次のように , 4 時間 53 分連転と , 現在より 60 分 たため , 福島以北では早朝とタ方にそのチャンスがあっ のスローモーではあった . て , データイムに急行のチャンスは皆無であった . その ( 下り ) ような時に新設されたこの " やまびこ”は画期的な列車 上野 16 : 30 仙台 21 : 23 ※ 1003D ひばり であったが , これが非常に好評で , 福島一仙台間普通列 ( 上り ) 車で 2 時間 20 分を 1 時間 25 分と , 約 1 時間短縮となれば 仙台 7 : 30 上野 12 : 25 ※ 1004D ひばり その高速性・利便性などおわかりと思う . 東北線特急ダイヤ 仙 仙 505 ( やまびこ ) 9 : 20 9 : 22 黒機 宇都宮 昭 36.10 コ 給 給 20 22 24 田 に 14 盛岡 に : 40 7 : 55 89 マ 506 ( やまびこ ) : 40 田 : 58 円 : 00 20 : 36 その後 , 昭和 36 年 10 月 1 日時刻改正で郡山一青森間と その前後を区間延長し , また 1 等車も連結し長距離準急 行としての使命を持つようになった . 2. 鱸ひばり " の登場 このひはり " は , 春の訪れとともに翌 37 年 4 月 27 日 仙台特急代ひはり " この“ひばり”を使いなれて 13 年 から 6 月 10 日まで , 春の多客期から 6 両編成で運転され にもなる . 一時期戦後の急行東京ー広島間夜行列車 21 ・ て好調であった . ディーゼル特急時代の " ひばり” 写真 : 三島富士夫 上野ー こて
となっている . ( 下り ) やまびこ 1 号 上野 7 : 00 盛岡 13 : 04 ◎ 31M やまびこ 2 号 盛岡 19 : 04 上野 13 : OO 33M 7. 新幹線岡山開業時の東北特急 やまびこ 3 号 東京 16 : 00 盛岡 22 : 10 ( ) 35M 仙台 10 : 24 昭和 47 年 3 月 15 日 , それは新幹線岡山開業に関連して全 ひばり 1 号 上野 6 : 30 △ 8011M 仙台 11 : 57 ひばり 2 号 国的に白紙改正となった . この時 " ひばり " ・ " やまびこ " 上野 8 : 00 1003M 仙台 12 : 57 ひはり 3 号 上野 9 : 00 は次のように増発された . 1005M 仙台 13 : 57 583 系 上野ー仙台間 " ひはり ' ' 2 往復 , 東京・上野ー盛岡間 ひはり 4 号 上野 10 : 00 〇 1007M 仙台 14 : 56 ひはり 5 号 上野 11 : 00 2 往復 ( うち 1 往復は臨時特急の格上げ ) 増発したほか 1009M 仙台 15 : 57 上野 12 : 00 ひばり 6 号 他線区の増発ももちろん行なわれた . 新幹線との連絡強 △ 8015M 仙台 17 : 57 ひばり 7 号 上野 14 : 00 化を計ることから東京乗り入れ列車の一部修正が行なわ 〇 1013M 仙台 18 : 57 ( 9 両 ) れ , 次のようになった . ひはり 8 号 上野 15 : 00 1015M
帝都高速度交通営団 元旦早朝は全線にわたって終夜運転を行なったが , 連転 間隔は銀座線上野ー浅草間が 10 分毎・渋谷ー上野間が約 20 分毎 , 丸ノ内・日比谷・東西・千代田・有楽町の各線 1 、、へい は約 3 ( ) 分毎であった . 相互乗り入れを行なっている各線 のうち , 日比谷・東西線は営団線内のみを連転したが , 千代田線は代々木公園ー国鉄常磐線我孫子 ( 一部は綾瀬 止り ) 間を夜どおし直通連転した . なお , 各線とも 1 月 3 日まで休日ダイヤで運転した . 京王帝都電鉄 ( 1 ) 京王線 高尾山薬王院・高幡不動尊・大国魂神社・深大寺など著 小田急電鉄 名な社寺を沿線にもっ京王線は , 終夜運転で例年どおり 終夜運転は新宿ー片瀬江ノ島間のみで , 相模大野ー小田 原間と多摩線は行なわなかった . 運転間隔は新宿ー向ケ 新宿一高尾山口間に特急 " 迎光 ' ' 号を連転した . " 迎光 " 丘遊園間が 10 ~ 15 分毎 , 向ヶ丘遊園ー片瀬江ノ島間が 20 号は新宿発 22 時 20 分 ~ 7 時 20 分の間 , 20 ~ 30 分間隔で計 ~ 30 分毎で , 全部普通列車であった . この他 , 恒例の特 20 本運転され , 停車駅は定期の特急と同じで , 5000 系・ 急ロマンスカー " 初詣 " 号が N s E 車を使用し , 上り新 6000 系を使用した . 高尾山口到着後は折り返し特急新宿 原町田発新宿行 3 本 , 片瀬江ノ島発新原町田行 1 本 , 下 行となったがこの列車はヘッドマークを付けなかった . り新宿発新原町田行 2 本 , 同片瀬江ノ島行 1 本の計 7 本 この他 , 普通列車も新宿一高尾山口間を 30 分間隔で終夜 運転された . 途中停車駅は参宮橋・向ヶ丘遊園・新原町 連転し , 調布一京王多摩センター間および北野ー京王八 田・大和・藤沢で , 明治神宮や鎌倉方面への初詣客の便 王子間は終電を約 1 時間繰り下げた . なお , 1 月 3 日ま をはかったが , 新宿駅では NSE 車が 2 本並ぶ光景が見 では休日ダイヤで運転した . られるとあって , 真夜中にもかかわらすファンの姿が目 ( 2 ) 井の頭線 三が日は休日ダイヤで連転し , 準急が明 立った . また , 沿線に特に有名な神社等はないが , 沿線住民の便をはか って約 30 分間隔で全線にわたって終夜運転を行ない , 京 治神宮下車駅・参宮橋に同駅着 10 時 27 分 ~ 16 時 17 分の間 に限り , 上下とも臨時停車した . 王線同様 , 1 月 3 日までは休日ダイヤで運転した . 京下 5 Ⅸ用系 " 迎光”号 高尾山口にて 円 76 ー 写真 : 小林隆雄 小田急新宿駅に並ぶ NSE 車”初詣”号 円 76- レい 写真 : 小林降雄 92
8 Ⅸ ) 1 M 8002M 上野 11 : 27 青森 21 : 20 常磐経由 青森 6 : 55 上野 16 : 49 この臨時 " はつかり " は , 通路に立席客も出るほど嬉 しい乗車率で運転する風景に , 徹夜で計画したこともあ って感激ーしおであった . しかし , " はつかり " = 東北線 のイメージがあってか , 特に下り特急では郡山・福島下 車客の乗車もあったとか . このようなことから , この特 急は同年年末・年始から " 常磐はつかり " と改称し , 46 年春季に東北本線経由に改められた . そして 47 年 3 月時 刻改正では予定臨時列車として計画的に組み込まれ , 48 年 3 月から毎日連転臨時特急 , 同年 10 月 1 日に晴れて定 期特急にトントン拍子で出世 , 格上げされた . また昭和 47 年 1 月に札幌で冬季オリンヒ。ックが開催さ れたときのこと , 上野ー青森間に代オリンビア 1 号 " , 北 海道内に " オリンヒ。ア 2 号 " を運転したが , この時の 583 はつかリ、 : 第ト 27 ビードの向上で幅広いが , 北海道連絡を考慮すると , きわ はっかり系統は , 上野ー青森間の列車設定ゾーンはス 10 月 1 日と , 2 年ぶりに増発が行なわれた . 月 10 日 , 姉妺列車は 43 年 10 月 1 日 , そして 3 男坊は 45 年 ・ ( はつかり " の初登場したのが前記のように昭和 33 年 10 “はつかり”増発 8002M 青森 8 : 10 上野 16 : 45 2 / 1 ~ 14 8003M 上野 19 : 30 青森 4 : 45 1 / 28 ・ 29 〔オリンビア 1 号〕 また独特のヘッドマークも今は楽しい思い出である . 行“ゆうづる 3 号 " のはしり ? といったこともあったし を寝台 , 1 ~ 6 号車は座席のままとしたが , さしすめ現 ト時間が不足するため寝台・座席電車として 8 ~ 13 号車 系特急下り ' ( オリンビア " は , 上野 ( 尾久 ) での寝台セッ 東北線茂虫付近にて円 75- に写真 : 河井秀夫
冬の午後 , 西陽を浴びて常磐線を下る " はつかり " 荒川冲ー土浦間にて 1959 ー 12 写真 : 宮田啓行 または北海道へのビジネス旅客が多く , 地元乗客の乗車 のは , 昭和 35 年 8 月 14 日であった . 大宮 - 小山間で試運 はあまり多くなかったが , 乗車効率は 70 ~ 85 % 程度で好 転を行ない , 年末までの寸暇を各種試験期間とし , 1 年 評であった . しかし , 雪国での長靴は必要不可欠ながら 後の 36 年 10 月改正で登場する気動車特急を成功させるた も , 長靴で特急列車に乗車する姿には多少東海道特急と め , 早期に落成させたのであった . その間 , 10 月 14 日に 旅客層に差のあることは否めなかった . アジア鉄道会議出席者を乗せて東京一日光間運転したほ 盛岡をすぎるあたりから船客名簿にサインを行ない , か , 11 月 2 日には上野ー荒川沖間に 2 往復の試乗列車を しんしんと更けゆく夜ながの " は 上野まであとわずか・・・・・水戸で一服する上り“はつかり”けん引の C6220 ( 尾 ) つかり”は SL のみが重連で力闘 1959 ー 9 ー 22 写真 : 三島富士夫 するのと反対に , 車中は静寂その ものとなって , 北帰行ムード , あ るいはそれが北海道連絡列車の特 徴でもあるが , 今もって代はっか り " の旅客は , 他の特急のリズミ カルな車内とは対照的に , よく寝 るあたり遺伝 ? なのかも知れない 代はつかり”の気動車化 動力近代化の波は , 蒸気列車の気 動車化 , あるいは蒸気機関車のデ ィーゼル機関車化が推進されてい " はつかり " の気動車は , 急 行用気動車等に使用の DMH17 形 工ンジンを基調とし , かっ 151 系 電車のイメージを再現することと して計画が進められた . 一世を風靡したポンネット形の " はつかり " 用気動車が落成した 79
を口 ′ハ、 0 上野駅にて 1960 ー 12-10 “はっかり”初列車風景 ( 上野一仙台 , 不定期 ) , " つばさ " ( 上野ー秋田 ) , " 白 鳥 " ( 上野・大阪ー青森 ) , " まっかぜ " ( 京都ー松江 ) , " かもめ " ( 京都ー長崎・宮崎 ) , " みどり " ( 大阪ー博多 , 当分連休 ) , " へいわ " ( 大阪ー広島 ). ョーロッパの T E E にも比すべきディーゼル特急網が 組まれ , 特急列車というべきものが全国に行き渡ること になったのである . ビジネス・観光列車として好評のディーゼル特急は , ティーセル特急網 " かもめ " の新設をはじめ着々と発展し , また 40 年 10 月 の白紙ダイヤ改正ではさらに増発・延長などが大々的に 行なわれ , 全国に勇姿を見ることになったのである . 追 っかけ登場した , 同じ横形機関を使用した急行形ディー ゼル動車の大量産とともに , わが国のディーゼル動車グ ループは全用途にわたっていちおうの完成をみ , 英国を しのいで 50g 両を上まわる世界一の保有両数となった のである . 昭 36.10.1 時刻改正による特急大増発当時 直江津 秋田 松江 白鳥 ←ー 2002D 20 田 D- → 福島 / 仙台 ひばり 04D 田 03D 物 2 に 3 ( 不定期 ) 00 2 に 00 0 、 小倉広島、大阪京都 2D → 22 : 0 2003D 2 青森 函館札幌 旭川 長崎博多 ( 運休中 ) みどり (4D おおぞら 0 : 圓← 2D かもめ 22 : 35 1 : 25 20 : 05 ← 8 : 50 2D → 5 : 05 23 : 5 6D ◆ 1 : 30 へいわ 90 品 / 宮 ← 2D 22 : 20 8 : は・効、り み 6
の D, 合計 9 時間の影響は非常に大きく , 他に札幌・首 東北線の昼行特急 , それは " はつかり " ・代やまびこ " ひばり " となる . ご存知のように。はつかり " は , 北 都圏における A および F , 11 時間を差し引くならば , 24 時間のうち 20 時間は支障することとなり , チャンネル可 海道連絡特急のものと , 東北指向特急のものとに分けら 能時間は 1 日約 4 時間と絞られ , そのチャンスは次のよ れ , 現在 5 往復を上野ー青森間に運転している . 特に " はつかり " は , 東日本特急列車のなかでも , いちはん うになる . " はつかり " ・ " みちのく " 早くから運転されたこともあって , そのエピソードもな B ′ = 道内夜行バターン かなか多い列車でもある . B ″ = 青函夜行バター ン ノヾター - ン " はくつる " ・代ゆうづる” " はつかり " の補助列車として当初 " やまびこ”は , E = 本州夜行バタ ーン : 計画されたが , 今日では上野ー盛岡間 5 往復までに成長 ノヾタ - ーン 。 ( はつかり”とデュエットを組んで上野を毎時 30 分 この道内・青函航路が夜行となる B ′・ B ″のパターンは し , には顔をのぞかせている特急である . 限られたチャンスとなるが , 本州内昼行列車である。は つかり " ・代みちのく " パターンの中から選択となるが , 。ひばり " は , 上野ー仙台間を 3 時間 55 分で結ぶ特急 はくつる”・ゆうづ であるが , 運転当初は“はつかり”に気兼ねしてか , む 本州内夜行となる E パターンは , る " が今日の列車形態である . この列車形態は今も昔も しろ同列車のひきたて役として細々と不定期列車で運転 変わらず続けられている . した時代もあったが , 電車化後は独走ぶりを示してい る . 今では 13 往復とその伸びも大きく , 上野を毎時 00 分 代はつかり”の誕生まで に発車するエル特急である . さて , 今回はこれら東北線の昼行特急を系統別に述べ 昭和 31 年 11 月 19 日 , 東海道線の電化が完成したのを期に ることとし , 「東北線特急ものがたり」とする . 従来東京ー大阪間つばめ”・はと”・さくら” , 京都 ー博多間。かもめ " に続き , 東京ー博多間に " あさかぜ " ・“はつかり” の運転が開始された . 電化完成により東京ー大阪間の 3 代はつかり”と青函航路のこと 特急は , いずれも E F 58 により口ングランが行なわれる 上野ー青森間昼行特急列車は代はつかり”であるが , も など , さらに 32 年 10 月 1 日改正では東京ー長崎間“さち かぜ” ( 現行 ' ( さくら " ) が運転開始となり , この特急増 ともとこの上野ー青森間特急・急行列車は北海道連絡を 発は西高東低であった . 考慮しつつ , 常磐線を含めて東北幹線輸送が形成されて 特に特急増発希望は , 熊本・鹿児島あるいは今回の東 いることは皆さんがご存知のとおりである . もちろんこ 北各県からも強い希望があり , 東北線特急への検討が行 のことは夜行特急列車。はくつる " ・“ゆうづる”系統に なわれた . 当時の関連する東北線・常磐線は , 東海道・ もそのことは共通していることではあるが , 青函トンネ 山陽線と異なり , 東北線は宇都宮 , 常磐線では平以北が ル未完成の今日 , 青函航路の運航可能回数 , そして乗り ほとんど単線区間であり , かっタブレット区間と , 継ぎ可能時間帯の良否等を考慮すると , 東京一九州間の その ・トレインの列車計画と較 プノレー 生活時間と列車計画ゾ 。ーン べると , そこに差があることにお 気付きと思う . 特に青函連絡船の連航規模とそ の運航時間は , 東京 ( 本州 ) と北 海道の代表都市札幌とのチャンネ ルを左右されることともなり , い かに生活時間がチャンネル形成上 のネックとなっているか , 簡単に 説明すれは次のような図になる . 特にチャンネル形成上 , 深夜時間 となって不可能なゾーンは , A = 札幌 C = 函館 E ′ = 仙台 D = 青森 F = 首都圏 となるが , この場合仙台地区 (E') を無視すれば E ゾーンは可能とな 上 る . しかし函館における C , 青森 野 2. 1. 24 22 20 4 0 6 2 8 札 幌 館効 函有 1 札幌 3 非有効 3 時間攣 よくつる ゆうづる 時間① 函 館 ⑥ ① 青森ロ に有効時間 はつかり ・みちのく 盛 岡 盛岡 非有効時間 仙 ンひばり ⑥ ⑧① 首都圏 非有効時間 , プ 5