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検索対象: 鉄道ファン 1976年4月号
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1. 鉄道ファン 1976年4月号

の D, 合計 9 時間の影響は非常に大きく , 他に札幌・首 東北線の昼行特急 , それは " はつかり " ・代やまびこ " ひばり " となる . ご存知のように。はつかり " は , 北 都圏における A および F , 11 時間を差し引くならば , 24 時間のうち 20 時間は支障することとなり , チャンネル可 海道連絡特急のものと , 東北指向特急のものとに分けら 能時間は 1 日約 4 時間と絞られ , そのチャンスは次のよ れ , 現在 5 往復を上野ー青森間に運転している . 特に " はつかり " は , 東日本特急列車のなかでも , いちはん うになる . " はつかり " ・ " みちのく " 早くから運転されたこともあって , そのエピソードもな B ′ = 道内夜行バターン かなか多い列車でもある . B ″ = 青函夜行バター ン ノヾター - ン " はくつる " ・代ゆうづる” " はつかり " の補助列車として当初 " やまびこ”は , E = 本州夜行バタ ーン : 計画されたが , 今日では上野ー盛岡間 5 往復までに成長 ノヾタ - ーン 。 ( はつかり”とデュエットを組んで上野を毎時 30 分 この道内・青函航路が夜行となる B ′・ B ″のパターンは し , には顔をのぞかせている特急である . 限られたチャンスとなるが , 本州内昼行列車である。は つかり " ・代みちのく " パターンの中から選択となるが , 。ひばり " は , 上野ー仙台間を 3 時間 55 分で結ぶ特急 はくつる”・ゆうづ であるが , 運転当初は“はつかり”に気兼ねしてか , む 本州内夜行となる E パターンは , る " が今日の列車形態である . この列車形態は今も昔も しろ同列車のひきたて役として細々と不定期列車で運転 変わらず続けられている . した時代もあったが , 電車化後は独走ぶりを示してい る . 今では 13 往復とその伸びも大きく , 上野を毎時 00 分 代はつかり”の誕生まで に発車するエル特急である . さて , 今回はこれら東北線の昼行特急を系統別に述べ 昭和 31 年 11 月 19 日 , 東海道線の電化が完成したのを期に ることとし , 「東北線特急ものがたり」とする . 従来東京ー大阪間つばめ”・はと”・さくら” , 京都 ー博多間。かもめ " に続き , 東京ー博多間に " あさかぜ " ・“はつかり” の運転が開始された . 電化完成により東京ー大阪間の 3 代はつかり”と青函航路のこと 特急は , いずれも E F 58 により口ングランが行なわれる 上野ー青森間昼行特急列車は代はつかり”であるが , も など , さらに 32 年 10 月 1 日改正では東京ー長崎間“さち かぜ” ( 現行 ' ( さくら " ) が運転開始となり , この特急増 ともとこの上野ー青森間特急・急行列車は北海道連絡を 発は西高東低であった . 考慮しつつ , 常磐線を含めて東北幹線輸送が形成されて 特に特急増発希望は , 熊本・鹿児島あるいは今回の東 いることは皆さんがご存知のとおりである . もちろんこ 北各県からも強い希望があり , 東北線特急への検討が行 のことは夜行特急列車。はくつる " ・“ゆうづる”系統に なわれた . 当時の関連する東北線・常磐線は , 東海道・ もそのことは共通していることではあるが , 青函トンネ 山陽線と異なり , 東北線は宇都宮 , 常磐線では平以北が ル未完成の今日 , 青函航路の運航可能回数 , そして乗り ほとんど単線区間であり , かっタブレット区間と , 継ぎ可能時間帯の良否等を考慮すると , 東京一九州間の その ・トレインの列車計画と較 プノレー 生活時間と列車計画ゾ 。ーン べると , そこに差があることにお 気付きと思う . 特に青函連絡船の連航規模とそ の運航時間は , 東京 ( 本州 ) と北 海道の代表都市札幌とのチャンネ ルを左右されることともなり , い かに生活時間がチャンネル形成上 のネックとなっているか , 簡単に 説明すれは次のような図になる . 特にチャンネル形成上 , 深夜時間 となって不可能なゾーンは , A = 札幌 C = 函館 E ′ = 仙台 D = 青森 F = 首都圏 となるが , この場合仙台地区 (E') を無視すれば E ゾーンは可能とな 上 る . しかし函館における C , 青森 野 2. 1. 24 22 20 4 0 6 2 8 札 幌 館効 函有 1 札幌 3 非有効 3 時間攣 よくつる ゆうづる 時間① 函 館 ⑥ ① 青森ロ に有効時間 はつかり ・みちのく 盛 岡 盛岡 非有効時間 仙 ンひばり ⑥ ⑧① 首都圏 非有効時間 , プ 5

2. 鉄道ファン 1976年4月号

冬の午後 , 西陽を浴びて常磐線を下る " はつかり " 荒川冲ー土浦間にて 1959 ー 12 写真 : 宮田啓行 または北海道へのビジネス旅客が多く , 地元乗客の乗車 のは , 昭和 35 年 8 月 14 日であった . 大宮 - 小山間で試運 はあまり多くなかったが , 乗車効率は 70 ~ 85 % 程度で好 転を行ない , 年末までの寸暇を各種試験期間とし , 1 年 評であった . しかし , 雪国での長靴は必要不可欠ながら 後の 36 年 10 月改正で登場する気動車特急を成功させるた も , 長靴で特急列車に乗車する姿には多少東海道特急と め , 早期に落成させたのであった . その間 , 10 月 14 日に 旅客層に差のあることは否めなかった . アジア鉄道会議出席者を乗せて東京一日光間運転したほ 盛岡をすぎるあたりから船客名簿にサインを行ない , か , 11 月 2 日には上野ー荒川沖間に 2 往復の試乗列車を しんしんと更けゆく夜ながの " は 上野まであとわずか・・・・・水戸で一服する上り“はつかり”けん引の C6220 ( 尾 ) つかり”は SL のみが重連で力闘 1959 ー 9 ー 22 写真 : 三島富士夫 するのと反対に , 車中は静寂その ものとなって , 北帰行ムード , あ るいはそれが北海道連絡列車の特 徴でもあるが , 今もって代はっか り " の旅客は , 他の特急のリズミ カルな車内とは対照的に , よく寝 るあたり遺伝 ? なのかも知れない 代はつかり”の気動車化 動力近代化の波は , 蒸気列車の気 動車化 , あるいは蒸気機関車のデ ィーゼル機関車化が推進されてい " はつかり " の気動車は , 急 行用気動車等に使用の DMH17 形 工ンジンを基調とし , かっ 151 系 電車のイメージを再現することと して計画が進められた . 一世を風靡したポンネット形の " はつかり " 用気動車が落成した 79

3. 鉄道ファン 1976年4月号

図 1 車両数の推移 ー 3 引 5 ′ - い 39 引 ) / ロ田 6 、一イ S L - E L D L E C ・ D C 、、 2983 ・、、、 0733 ロ 000 / に 570 に 000 ノロ 688 Ⅱ 53 7 ロ 4 田 / / ロ 034 / 田引 6 ロ 4 に 凵 000 ー 0362 、、、 9960 / ′ 9950 9483 田 000 93 引 / 89 4 6 9000 ー 8596 8229 8000 7902 / 42 34 7927 7000 / 6574 ( 6699 ) / 60 ロ 6000 ′ 5322 ・ 54 引 54 引 5430 5426 5423 ( 5308 ) ′・ 5028 5213 5000 5 円 4 ′ 4534 3974 3808 36 田 / / 3356 / 2809 4575 / ・ 3680 . / 4057 / ・ 34 引 432 ー′ 4000 4 ー 94 3335 3 ー 64 3000 2 引 5 2644 / 2227 、、 - 。 2266 ー 893 巧 29 ロ 69 ! 色 60 3 ( 2 円 4 ) 2 ロ 4 2060 ( 2053 ) 2004 円 52 ロ 93 2000 ロ 92 四 4 838 田 00 178 245 280 385 383 431 巧 1 34 35 36 37 38 39 40 42 43 44 45 46 47 48 49 50 年度末 鉄道統計年報から ) は見込み 35 720 X809 浦四 512 ロ 9 主要ャードの作業能率の向上に力点がおかれたほか , あ いつぐ炭鉱の閉山によって運転用適正炭の需給を考慮し て計画が進められたが , 43 年 9 月 , 国鉄諮問委員会が , 「国鉄財政の中で大きな赤字を生み重い負担となってい るローカル線のうち 83 線区 2600 キロ ( 全線の 12.5 % ) は 自動車に切り替えるべきだ」との答申がなされたことな どにより地区別にみて北海道・東北・九州地区は終盤に 無煙化を完了した . なお , 電化率および無煙化率の推移 を表 2 に示す . 4. 動力近代化と車両 動力近代化によって S L ・ E L ・ D L ・ E C ・ D C ・ P c の車両数の推移を図 1 に示す . この図を見て理解でき るように s L は 40 年頃までは , 戦乱による D L の空白時 代の影響で , 量産体制に入れなかったこともあり , 年間 10 ( ) ~ 200 両の廃車であったが , 41 年度以降は DL の安定 化にともない 300 ~ 400 両の廃車が行なわれている . 写真 : 諸河 東海道・山陽の長距離ランナー トレインに活躍する EF655 プルー わが国の最大・最強力機関車 EF66 東京駅にて 円 73 ーに一 25 山陽線瀬野にて 円 75-2 ー国 66

4. 鉄道ファン 1976年4月号

1 9 76 - 1 - 1 5 写真 . 諸河久 吾妻線を行く 1 8 3 系 " 白根 ' 川原湯付近にて 東海道本線にも 183 系進出 7 み 写真 : 松井崇 1 976 - 1 - 25 、あまぎ” 根府川を行く運転初日 60 2 1 M

5. 鉄道ファン 1976年4月号

C62 “はつかり”仙台までスパート 線路条件に差があって , 当時の格調高い特急列車のイメ 論を交わした . その結果 , 遠距離旅客への利便を計るた ージからは運転線区に格段の差があって , ェリート列車 め常磐線経由に決定された . への基礎づくりに苦心が払われた . 客車は , 32 年 6 月まで山陽路で活躍した・、かもめ " の それには部分線増を順次行なうこととし , 単線自動信 スハニ 35 ・スハ 44 ・スハフ 43 を代あさかぜ”スタイルに 号化を推進することとなった . しかし , 新設特急 " はっ 化粧直ししたほか , 新製ナロ 10 を充当しされた . かり " の運転に際しその運転経路はどのようにするか , ( 注 ) " かもめ”は , 昭和 32 年 6 月 6 日から軽量客車編成となり , 捻出車 は宮原へ転属して東海道線不定期特急“さくら”に充当した . 昭和 33 年 すなわち上野ー仙台間を東北線案または常磐線経由とす 田月時刻改正で一引系ヒ・ジネス特急の登場で”さくら”は廃止となり , るかの案があった . 当時両線はいすれも電化されていな ”はつかり”用として再び尾久へ転用された . かったため , 常磐線が比較的平坦線で約 20 キロ長いこと さて , 当時の 3 等車 ( 現行普通車 ) は , 進行方向へ座 に対して , 東北線は白石付近をはじめところどころに 25 席が固定となっていたため , 列車が終着駅に到着後は , % 。こう配があることから補機を要することもあって , お のおのに得失があった . いつばう沿線都市は常磐線より 編成を転向する必要があった . これは東海道線 " つばめ " " はと " も同様であったが , 下図のように行なわれた . 東北線には宇都宮・福島など県庁所在地もあり , また奥 尾久から田端操車場 , 青森操車場から青森への回送ルー 羽など連絡支線もあって , 経由線の選択では最後まで激 田端操③ 青森 尾久 / ロ を 0 入 内⑦ 上野①⑤ 津軽新城 青森操 0 つ乃、 \ ④田川 76

6. 鉄道ファン 1976年4月号

2. 咼尾臨のパターン 。東京北局管内発 東 日 光 線 高 尾 新 宿 。水戸局管内発 9564 M 我 ←ーーーー EF80 〔内〕ーーーーー孫—DE 田〔左〕ナ 子 9430 9.08 田 .49 成 田 北 9535 M 9536M .43 ※Ⅱ . 023 9563M . 37 レ 8 ・ 9 ・に・ロ・円・ 2 い 22 ・ 26 EF570 「宀 58 E G 9534 常磐・水郡線 9839 9842 田 . 2 卩 . 06 .42 9 . 274 9443 .273 l, / 8 ・田・ロ・ロ・田・ 20 ~ 22 ・ 24 ・ 26 ・ 28 ・ 29 9432 9 ・ 53 98 引 9838 〔八〕一高 新 E F ロ 宿 ~ 0 rl 5 東板 北・ 線宇 都 宮 。高崎局管内発 高上両 崎越毛 : 宝線 越妻 9535 9536 .32 ※ 3 ※ . 233 常磐線 田 .053 図 . 504 田 .533 . 05 9537 レ 24 ・ 27 ・ 29 ・引 9435 丐 .07 l/1 4 ・巧・ 20 ~ 22 ・ 24 ・ 26 ・ 28 高 尾 新 宿 。静岡局管内発 上 野 <DE 田〔佐〕ー成 9942 田 . 49 9535M ( 9537M ) 9536M ( 9534M ) .42 9764 M ( 沼津・富士 ) 東海道線 .43 ※Ⅱ . 023 .37 9847 回 9846 ロ . 264 ロ .48 ※円 .36 9863 M レ 8 ・ 9 ・に・ロ・円・ 2 い 26 ・ 27 D D 引〔高一〕ー王 9222 子 99 円 . 引※ レ 24 ・ 2 / ー・ 2 ・ 4 高 尾 9944 ( 金谷・蒲原 ) 東海道線 0 . 48 9835 4 . 引 回 9836 ( 尾久へいったん入区 ) 高 崎 両 毛 線 。千葉局管内発 田 .233 8 田 7 一回円 l/14 ・ロ・絽 9223 レ田・・・円・ 2 い 26 ・ 2 / 4 汚 .32 我孫子 湯本 9944 0 . 48 9835 4 . 引 9836 9 コ 7 94 海金 道谷 線 高 新 宿 IO . 25 田 .35 9438 に .00 9334 M 9349 田 .34 9533M 9534M 田 . 563 . 38 ( 千葉 ) 総武線 .45 レ 24 9335M 田 .43 。長野局・千葉局は省略 成田臨 レ 25 東北・高崎 我 。長野局管内発 央松 本本 常磬 高 尾 甲 府 9422M 9423 M 上野 .48 中央ー 成田 レ幻 物線に E F 57 or 58 のけん引する客車列車か走ったり , 中央本線に , 貨物用の EF13 or 15 のけん引する客車列 車が走ったりするのは , 団臨ならではの楽しみである . ちなみに昨手山手貨物線に EF57 or 58 い客車をけん引 して入線したのはこの高尾臨のほか , 5 月 24 ・ 25 日の八 工子市民号 , 7 月 15 ・ 17 日と 9 月 16 日の松島・一ノ関方 面への団臨 , そして年末の品川始発だけであり , そのう ち昼間連転されたのはこの高尾臨と八王子市民号だけで ( 昨手については , 本誌 168 号広吉秀治「高尾 あった . 山初詣列車の話題」同 173 リ太田正行「臨客八王子市民 号に EF13 ・ 57 活躍」参照 ) ( 文責 : 太田 ) (GROUP K. 0. EXPRESS 担当 = 岩本泰志・太田正行 ・竹中寿人・広吉秀治 ) ロロ ・ EC PC 東海道 東北・高崎 高崎 新 宿 / / 八王子 総武 ( 千葉 ) 中央 . ( 松本 ) 高 99

7. 鉄道ファン 1976年4月号

表 3 車両使用成績 S L 車種 項目 T E C 使用効率走行キロ使用效率走行キロ使用効率走行キロ使用効率走行キロ使用効率走行キロ使用効率走行キロ使用効率走行キロ 86 . 9 D L E C D C P C 年度 49 りも " , 72.9 85 . 2 320 87.2 ( 3 ) 動力 4 3 引 77.7 328 EL は 39 年 , 東海道・山陽線全線電化と同時に 東京ー下関間 1110 キロを EF60 形 " さくら " , DL は 46 年 , 函館・室蘭・千歳線釧路ー函館間 670 キロを DD51 形 ( 貨物列車で " ほくりん " ) 、 DC は 36 年 , 東海道・日 本海縦貫線大阪ー青森間 1050 キロをキハ 82 系 " 白鳥 ' ' , EC は日本海縦貫線全線電化した 47 年に DC 特急 " 白鳥 ' ' が E C 化され 485 系である . 49 年度の年間 1 日平均の実績でみる使用効率 ( 使用車 を配置両数で除したもの ) および配置 1 両当たりの走行 キロは表 3 のとおりで , 近代車両は S L に比較して使用 効率が高い . すなわち SL は 100 両配置されていても 73 両 , E L は 85 両使用されている . また , 配置されている 車両が 1 日平均走行した距離は S L が 116 キロに対し E L は 320 キロと効率が良い . 特に新幹線は 1 川 ( ) キロから の走行キロで他車種と比較にならない . 筑豊・久大線をはじめ北九州地区で活躍するキハ 66 ・ 67 形 動力費が車種別にどれだけかかるのか条件を同じくして 鹿児島本線八幅付近にて円 75 ー 6 ー料写真 : 関崇博 または 48 カ月以内に全般検査を行なうが , EL は 80 万キ すなわち , S L ( C 57 形 ) は 32 万 4 千キロ走行した時 があるが , 車種別には表 4 のとおりである . 車両の保守に全般検査といってオー ーホールする周期 ④車両保守 んその必要がなく動力費以外の利点も大きい . が減少している . さらに E L ・ E C にいたってはせんせ の油の積み込み作業を比べると比較にならないほど手数 また , S L の動力源である石炭と水に比べ D L ・ D C L ・ DC は ( ). 4 % , EC は 0.5 % の費用ですむ . 費を比較すると s L は約 400 円に対し E L は ( ). 3 % , D が客車川トンをけん引して 100 キロ走行するための動力 46 年に試算したものがあるので紹介すると , 今 , 動力車 69

8. 鉄道ファン 1976年4月号

REPORT 今年も上信越ー東海道間に 臨時荷物電車登場 、物第を第 植手直紀 年末の荷物繁忙期に入り , 今年も上信越ー東海道間には 通勤形の 72 系と荷電の 74 ・ 83 形を 3MlT の 4 連に 3 本 12 月 12 日から 24 日 ( 日に 組み合わせた臨時荷物電車が , よって運体した列車あり ) にかけて新潟 ( 上沼垂 ) ー静 岡間に , 東京経山で荷 9048M →荷 9049M ・荷 9042M →荷 9041M として運転された . 72 系は昨年まで下十条・松戸 区 ( 一昨年までは浦和・東神奈川区も使用 ) のクモハ 7 3 ・サハ 78 を使用していたが , これらはすべて廃車された ため今年は房総・北総各線の新性能化により , ねん出し た津田沼区のクモハ 73 ・クハ 79 各 2 両すっと , 上越・両 毛線で細々と活躍し , 115 系に置き替えられた新前橋区 のクモハ 73 ・クハ 79 各 1 両すつが使用された . いつばう , 荷電は例年どおり各区から集められ , 今年 は新前橋区からクモュニ 74 を 2 両 , 長岡運転所からクモ ニ 83 を 2 両 , 大垣・宮原両区からクモニ 83 を 1 両ずつが 使用された . 今回使用された各編成の車両番号・配置区名は次のと おりである . クモニ 8300 ( ) 十クモハ 73391 十クハ 79340 十クモニ 83020 ( 新前橋 ) ( 新前橋 ) ( 大垣 ) クモニ 83003 十クモハ 73275 十クハ 79420 十クモニ 83001 ( 津Ⅲ沼 ) ( 長岡 ) ( 長岡 ) ( 津川沼 ) ニ 74206 十クモハ 73119 十クハ 79348 十ク千コ二 74200 ( 新前橋 ) ( 新前橋 ) ( 津田沼 ) ( 津田沼 ) ←新潟方 E F 58P E F 57 or 58EG E F 58SG 臨荷 9049M クモニ 83 )( ) ほか 大井町一大森 円 75 ーに一 30 ン丁 臨荷 9049 M クモニ 83 ( ) 田ほか 円 75 ーに - 川 東京駅 第を第重 臨荷 9048M ク千ュニ 74206 はか 円 75 ーに一新 西日暮甲 - 定期 3 両 ( 6 両 ) 臨時 9 両 * 定期 10 両 い 8 両 ) 臨時 2 両 ( 4 両 ) EF58 に 1 〔咼二〕 ( 1 両 ) 臨時 1 両 定期 13 両 臨時 12 両 ( 29 両 ) EF58EGP を , EP58P 組予備車から充当 なお , EF57 は , 1 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 7 ・ 9 ・ 11 ・ 13 の 8 両が運 用に人っており , E F 57 ー 6 は一体となっていた . また EF58 の SG → EG 改造は , 今年度 84 ・ 85 ・ 114 ・ 116 ・ 117 の 5 両に行なわれ , 残り 65 ・川・ 1 1 ・ 12 については 来年度以降 , EF58-14 は東京区の EF58 ーに 2 の EG 改 造後 , 交換転属されることとなっている . EF57 トッブナン , く一阯在田 08 レ ー 9 フ 6 ーレ 4 ノ 07 品川始発の帰省列車 9403 レ LF577 ( 宇 ) 白岡ー久 円 75 ーに一 29

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8 Ⅸ ) 1 M 8002M 上野 11 : 27 青森 21 : 20 常磐経由 青森 6 : 55 上野 16 : 49 この臨時 " はつかり " は , 通路に立席客も出るほど嬉 しい乗車率で運転する風景に , 徹夜で計画したこともあ って感激ーしおであった . しかし , " はつかり " = 東北線 のイメージがあってか , 特に下り特急では郡山・福島下 車客の乗車もあったとか . このようなことから , この特 急は同年年末・年始から " 常磐はつかり " と改称し , 46 年春季に東北本線経由に改められた . そして 47 年 3 月時 刻改正では予定臨時列車として計画的に組み込まれ , 48 年 3 月から毎日連転臨時特急 , 同年 10 月 1 日に晴れて定 期特急にトントン拍子で出世 , 格上げされた . また昭和 47 年 1 月に札幌で冬季オリンヒ。ックが開催さ れたときのこと , 上野ー青森間に代オリンビア 1 号 " , 北 海道内に " オリンヒ。ア 2 号 " を運転したが , この時の 583 はつかリ、 : 第ト 27 ビードの向上で幅広いが , 北海道連絡を考慮すると , きわ はっかり系統は , 上野ー青森間の列車設定ゾーンはス 10 月 1 日と , 2 年ぶりに増発が行なわれた . 月 10 日 , 姉妺列車は 43 年 10 月 1 日 , そして 3 男坊は 45 年 ・ ( はつかり " の初登場したのが前記のように昭和 33 年 10 “はつかり”増発 8002M 青森 8 : 10 上野 16 : 45 2 / 1 ~ 14 8003M 上野 19 : 30 青森 4 : 45 1 / 28 ・ 29 〔オリンビア 1 号〕 また独特のヘッドマークも今は楽しい思い出である . 行“ゆうづる 3 号 " のはしり ? といったこともあったし を寝台 , 1 ~ 6 号車は座席のままとしたが , さしすめ現 ト時間が不足するため寝台・座席電車として 8 ~ 13 号車 系特急下り ' ( オリンビア " は , 上野 ( 尾久 ) での寝台セッ 東北線茂虫付近にて円 75- に写真 : 河井秀夫

10. 鉄道ファン 1976年4月号

POST 廃車後の E F52 松本拓 昭和 50 年 8 月 24 日の 7 号機によるサヨナラ連 転を最後に鹿亜になった E F 52 は , 現在 , 大 王寺危華機関区で解体の日を待っている . プ レートをはすされ , かって東海道の線路にの せられた車輪にはサビがうかんできた . 廃車 の理由は , 故障の連続・部品難・スピード不 足などだが , 同区配置の E F 15 や E F 58 の活 躍を見まもる存在となった現在 , 時代の流れ △ E F 58 100 〔宮〕に引かれて西下する 25 形 による機関車の置き替えがめだってきてファ 回 1941 レ御徒町 1975 -12 -11 近鉄大阪線単線区間廃止 ンを悲しませる一方である . 左が昭和 50 年 6 月 12 日廃亜の 2 号機 , 右が同年 8 月 24 日廃車 富永裕之 の 7 号機 . なお 1 号機は国鉄奈良駅の操車場 近鉄大阪線で最後まで単線区間として残って の機関庫に保存されており , プレートはペン いた伊賀上津ー伊勢中川間 28.4 のうち , 8 キで画かれている . その他の E F 52 はすべて カ所計 15.8 が 11 月 22 日をもって , 参急開業 糸 解体された . 以来 45 年の歴史を閉じた . 当日午前 10 時から , 崎 マ解体の日を待つ 2 台の E F 52 複線化工事の完工式を西青山駅で行なった . 童華機関区 上リの単線区間の最終列車は東青山発午後 10 1975 -11 - 2 時 46 分発の名張行普通で , 使用車両はモ 2427 十 72527 であった . また , 下りの最終列車は 曲青山発午後 11 時 10 分発の明星行普通で , 使 用亜両はモ 2237 + モ 1411 で , 単線区間の最後 を当線に山緒ある旧参急・旧大軌の車両で飾 両列車の前後には , 単線区間さよなら のヘッドマークを付け , 乗務員に花東の贈呈 が行なわれ , 蛍の光が流れる中二度と走るこ とのない青山トンネル越えを行なった 上リ最終列車西山駅 1975 ー 11 ー 22 E F 58 貨物列車を引く」の記事によりますと 字都宮区と阪和線だけ EF58 の引く貨物列車 が走っているように記載されていますが , 山 陽本線にも E F 58 の引く貨物列車が試連転列 判 車を引いています . 「電気機関車快走」 112 ノ機関車運転表、・宮原区 1 組 12 仕業 " で 糸崎にある三菱重工で新製された貨車を引い て別表運行ダイヤのとおり走っております . ( 三菱重工で新製された D D 51 の試運転が同 しスジで行なわれるのでご注意 ) 写真の貨物列車は定期連用で E F 58 が引いて いましたが , 現在はありません . マ E F 5842 ( 宮 ) の引く 8762 レ大門ー笠岡 間 ( 188.4 付近 ) 1975 -2 -9 EF58 の引く試運転列車 笠 赤 坂 岡 東 福 山 IO : 34 田 : 54 試 6982 レ 試 6983 レ ロ : 02 方 に : 40 に : 50 ロ : 25 形東京に現わる 太田正行 20 系寝台客車の置き替え , 廃車が進んでいるが , 昭和 49 年度第 3 次債務で , 大阪ー青 : 森間季節 特急、・第 2 日本海 " ( 6003 ・ 6004 レ ) の 14 系 ( 座 ) と大阪ー新潟間寝台特急、、つるき一 4005 ・ 4006 レ ) の 20 系を , 24 系 25 形 ( 二段寝 台 ) に置き替えのため , 24 系 25 形を 60 両新製す ることとなった . そのうち , 富士重工宇都宮で 新製された 13 両が , 12 月 10 日と 1 月 19 日に字 都宮ー黒磯間で試連転をすませ , 尾久へいっ たん入区し , 習日 , 東海道経山で配置区とな る宮原客車区へ回送されていった 台頭する江ノ電の S C 架線 飛田康行 昭 49.6 藤沢高架線乗リ入れを期に高架線区間 にンンプルカテナリー ( SC ) 架線が導入され , 以 後 , 湘南海岸公園ー腰越間が従来からの直接 つリ架線を改めて S C 架線となった . そして今回 , 昭 50.12 には鎌ー長谷区間 の工が開始され , 木柱に代わってコンクリ ート柱が目立ちはヒめ , 年未には長谷駅付近 たけが一足先に S C 化され , 駅構内の趣もだ 森川伯男 い変化したようだ ファン 1 月号 , 星野氏のレホ。ート「字都宮の この区間の工事によって全線中の S C 架線 画で車両メ -- ーカーに発注された車向で , D D 園間 4.6 km に、・カラーの電亜 " 3 両がお目見 14 が 4 両 , D E 15 が 6 両の合わせて 10 両 . 国 得 , 話題になっている . 従来のボデーカラー 鉄ではすでに昨年 12 月 11 日までに D D 14 が 1 の緑色より少し明るいグリーンとオレンジ・ 両 D E 15 が 4 両落成し , 名寄・岩見沢第 2 ・ プルーの 3 色をそれぞれ 1 両、ごとに用いたも 小樽築港・敦賀第 1 の各機関区へ配属された ので , グリーン車両には「緑を大切に育てま しよう」 , オレンジ車両には「ふれあいの心を ついで D D 14 が名寄 , D E 15 が新庄・郡山へ とそれぞれ落成と同時に各機関区へ回送され 大切に」 , プルー車両には「子供にはこの街が て年内に 9 両の配備を完了した . また年明け 故郷です」の文字がそれぞれ横書きされてい 早々には最後の D D 14 も名寄機関区に配置さ る . ボデーー下部には通テーマの空をあらわ れ降雪ン一てンに臨戦体制をとった . した白い雲がデサインされており , これまで これら 10 両に続いて 50 年度本予算で発注さ のチンチン電車を見慣れていた浪速ッ子はし ばし立ち止まって見送っている . れた D D 14 ・ D E 15 の第 2 陣も現在 , 各車両 メーカーの手で製作が進められているが , この電車 , 電機メーカーがスポンサーにな の車両は従来の除雪亜にはなかった新しい機 ったもので「いわゆる企業広告臭さをぬいて利 構が加えられており , 白と闘う豪雪地帯の 用者の共鴫を得るように考えた」という . しか 関係者から期待を集めている . しこれはど色あざやかな電車ともなればそれ ◆南海軌道線のカラー電車 なりに人目を引き , 宣伝効果は満史でもなさ 南海電鉄軌道線の上本町大王寺駅前 亠八 そう . 南海電鉄でも 1 回の広告契約期間が切 ーイ主ロノ、 EF58 の引く貨物列車は 山陽本線にも走る ニュース・スクラップ ◆ D E 1 5 など 9 両が落成 13 年・前に新潟・北陸地方を襲った 38 ・ 1 豪雪 をきっかけにして国鉄の除雪車は , S L に後 押しされなけれは動けなかった従来の方式に 代わって自走のできる D L の前頭部に除雪装 置をつけたな式に改良されてきている . 国鉄 のまとめでは , 49 年度未現在の除雪用 DL は , D D 15 の 50 両を筆頭に D D 14 の 26 両 , D E 15 の 24 両 , D D 53 の 3 両 , D D 21 の 1 両など 合わせて 104 両あリ , 北海道や東北・新潟・ 北陸などの雪国に配置され機動力を発揮して いるが , 両数的にはまだまだ足リす , さらに 老朽化している車両もあるため , 国鉄では数 年前から降雪用 D L の増備にカコプを入れて きた . 今冬お目見得した新製除雪車は , 昨年 舂の 49 年度第 3 次債修負担による車両新製計 108