報 月 んてみると分かるのだが、その差は歴然としている。当然のことな 世 きない どうしても臼人居住区から遠くの黒人居住区を仰ぎみると 筈見有弘 いう感じは拭いきれないのてある。 ところて、手紙には、今年 ( 一九九一年 ) の後半からはハー 昨年 ( 一九九〇年 ) の四月、來示・白山の一一一百人劇場て「中国映 ド大学へ各只教授として赴く旨が記されていた。クツツェーにとっ ぜをう 画の全貌」という催しがあった。戦後の中国映画の、一九五〇 て数年ぶりの米国滞在てある。クツツェーはベトナム戦争の時期に から今日まての主要作品六十本ほどの上映てある。近年話題になっ 一一十代の後半をアメリカて過ごしている。それは、結果的には最刀 こんどは湾岸戦ているニューウェープといわれる映画作家たち以前の作品に接する の作品『ダスクランド』を生み出した滞在だった。 争直後のアメリカてある。大国アメリカの今回のカの行使に、南ア機会にあまり恵まれなかったばくとしてはっとめて見るように心が の作家クツツェーはどのように「南ア的想像力」を働かせるのだろ ろじん 本巻てとりあげられている文豪の小説の映画化ては魯迅の『薬』 うか。私には、バクダッド空爆の映像が『ダスクランド』の場面と ばきん ( 八一年 ) 、『阿正伝』 ( 八一年 ) 、巴金の『家』 ( 五六年 ) 、『寒夜』 ( 八 重なりあって仕方がないのてある。 らくだ ぼうじゅん さて、クツツェーの作品は、今後もポスト・モダンへの傾斜を深四年 ) 、茅盾の『林商店』 ( 五九年 ) 、それに老舎の『駱駝の祥子』 ( 八 めていくのだろうか。そうかも知れない。そう期待している人々も一一年 ) 、『茶館』 ( 八一一年 ) なども見ることが出来た。魯迅の『僵』 多いだろう。しかし、私としては『鉄の時代』に描かれた質感のあ ( 五六年 ) 、記録映画『魯迅伝』 ( 八一年 ) も上映されたが、機会を逸 る人々やケープタウンの風景の方に、やや一方的だが、期待してい 八一年に魯迅の『薬』や『阿正伝』が映画になり、記録映画ま る。いずれにしろ、私のように南アの白人文学にはやや距離を置こ いま五十歳を越えたばかりのクツツて作られているのはその年が文豪の生誕百周年にあたったからてあ うとする立場の者にとっても、 る。『薬』は、清朝末期の紹興の町が背景の物語て労働者の住む界 エーは、今後も気になる存在てありつづけるだろう。 ( アフリカ文学 ) 隈て小さな茶館をいとなんている夫婦がおり、一人息子は肺病をや んている。肺病には人の血をしみこませたマントウ ( まんじゅう ) が 牛交薬たといわれ、夫婦は高い金を払って首切役人からそれを買う 連載・世界の文学・映画ノート⑩
つかけにあらためて考えてみると、この生粋のアメリカ作家の背後 いうことが言えるとすれば、その理由の大半はヨーロツ。ハを直接背 には意外にたつぶりと非アメリカ的なるものが隠れていることに気後にひかえた者と、それを持たなかった者 ( 中国文学てはもう役不 付く。「アプサロム、アプサロム ! 』という物語の中心にあるのはト 足だった ) の差てはないだろうか。 世 マス・サトペンという一人の男の生涯だが、話者てあるクエンティ この巻て言えば、ヘミングウェイの「日はまた昇る』も、ミラー たん ンとシュリーヴは、またわれわれ読者は、これを単なる成功譚や、 の『南回爆』も、共に しう都会がなければ生まれなかった ざせつ つばせ いわば運命との鍔競り合いの物語 野心と挫折の話としててはなく、 ものだ。ヘンリー・ジェイムズてはヨーロッパへの依存はもっと徹 として読む。サトペンは運命の先を越そうとして、ついに競争に破底している。今日のアメリカ文学はすっかり独立しているけれども、 れるのだ。この運命論は、多くの人が指摘しているとおり、ほとんつい先日まて続いたこの依存から独立への過程がアメリカ文学に厚 どそのままギリシア悲劇てある。 みと奥行きを与え、他の国の小説にはない特別の味を与えているよ - フに隸 - んるのだ。 アメリカ文当十とヨーロッパの関係というのは、なかなか外からは かりカたい。少なくとも今世紀の半ばまて、アメリカはヨーロッパ の文学鮑を踏まえるか、あるいは横目て見るかしながら、自分 沢木耕太郎 たちの風土と人間を描く方法を探「てきたように思われる。移住者切り取る眼 ・ジャージーと ・ヨークとかニュー たちが新しい町や地域にニュー かニュー・オーリンズ ( 新ォルレアン ) などという名を付けたこと からもわかるとおり、アメリカ合衆国そのものが実はニュー いま私の手元にある第何次かの一一一笠書房版ヘミングウェイ全集の ロツ。、だった。文学者は常にヨーロッパの文学的猤を意識してい 第二巻には、新聞や雑誌などに発表した小説以外の短い文章を集め たし、意識せざるを得なかった。文学というのは敢えて前衛を目指 た『、ハイーライン』が収められている。その文章群は、私たちの感覚 からいえばェッセイと呼びたくなるものと、リポートと呼ぶべきも さなければならないほど保守的なものだから、寄りかかれる大きな 伝統があるということはなかなかの強みなのだ。 のとが混在している力、いずれにしてもこの『バイーライン』には、 ノンフィクション・ライタ 百年則、日本国民の識字率とアメリカのそれはほば同じくらいて作家としてのヘミングウェイてはない、 ーとしてのヘミングウェイ、もっと言ってしまえばジャーナリスト はなかったか。文学への親しみどいうことて言えば、江戸期を背後 としてのヘミングウェイの主要な部分が収められている。 にひかえた日本の方が勝っていたかもしれない。 近代化の遅れとか、 国土のヴァラエティーとか、戦争とか、国としての富とか、いろい その『バイーライン』を通読して思 - フことのひとつは、ジャーナリ ろ理由はあるが、日本文学と比較しての今のアメリカ文学の隆盛と ストとしてのヘミングウェイは、さほど畏怖しなければならないよ
監督トマス・ケルファー 者紹介》 主演ルツツ・ウェイドリッヒ、サニー・メレス 柴田翔一九三五年生れ。泉大教授。作家。独文 ホフマン 学。主要著訳書「されどわれらが日々」「贈 る = = 「葉」、ゲーテ「ファウスト」ほか ・「ホフマン物語」 ( オッペンバックのオ。ヘラに基づく 井上正蔵一九一三年生れ。八九年没。独文学。主要 バレエ映画 ) 英・五一年① 著訳書「ドイツ近代文学研究」、ハイネ「ハ 監督マイケル・バウエル、エメリック・プレスパーガー ィネ全詩集」、ゲーテ「西東詩集」ほか。 主演モイラ・シアラー、ロバート・ランスヴィル 神子博昭一九五ニ年生れ。福島大助教独文学。 ・「悪魘の靉」 ( 日・杢不公開 ) 西独・七六年 。、レンアーー 種村季弘一九三三年生れ。国学院大教独文学。 監督マンフレット・ 主要著書「怪物の解剖学」「種村季弘のラビ 主演デイター・ラサー、シルヴィア・マナス リントス」「書物漫遊記」「吸血鬼幻想」ほか。 グリム兄弟 池内紀一九四〇年生れ。鑒泉大教授。独文学。主 要著書「諷刺の文学」「ウィーンの世紀末」 ・「白雪姫」 ( アニメーション ) 米・三七年 「闇にひとっ炬火あり」「伝綺肖像館」ほか。 制作ウォルト・ディズニー 川村ニ郎一九ニ八年生れ。文芸評論家。独文学。主 ・「親指トム」米・五八年① 要著訳書「限界の文学」「幻視と変奏」、プロ 監督ジョージ・バル ッホ「ウエルギリウスの死」ほか 主演ラス・タンプリン、ビーター・セラーズ ・「不思議な世界の物語」 ( 伝記映画 ) 米・六一年 9 中田美喜一九三一年生れ。九〇年没。独文学。主要 ・レヴィン 訳寰ッヴァイク「三人の自伝作家」 ( 共訳 ) 監督ヘンリ 主演カール・ペーム、ローレンス・ハーヴェイ 手塚富雄一九〇三年生れ。八三年没。独文学。主要 クライスト 著訳書「手塚羅著作集ー 58 」、ゲーテ「フ アウスト」ほか ・「こわれがめ」独・三六年 原水恒雄一九五〇年生れ。明治大教授。独文学。主 監督グスタフ・ウチッキー 要著訳書「指揮者とオーケストラの問」「モ 主演エミール・ヤニングス、アンジェラ・サローカー ーツアルトのペースレ書簡を読む」ほか。 ビューヒナー 藤川芳朗一九四四年生れ。横浜市立大助教授。独文 学。主要訳寰ヴァルター・ペンヤミン「モ ・「レンツ」 ( 日杢不公開 ) 西独・七〇年 監督ゲォルグ・ムールセ スクワの夂、」ほか 主演ミハエル・ケニグ、ルイス・ウォルドン ■好評既刊 / ①古典文学集 / 文学の源流を生 9 翡新の集成 ②イギリス— / 人と運命のさまざまなかたち ③イギリスⅡ / 運命の力が明らめる人間の輪郭 ④イギリスⅢ / / 意識の流れに人間の内面を探る ⑤イギリスⅣ / 正統と異端、そして反逆への渇望 ⑥フランス— / 心理小説の開偵美しき恋愛の華 ⑦フランスⅡ / 人間心理をリアリズムが描きだす ⑧フランスⅢ / 錯綜した時代文学の新たな視角 ⑨フランスⅣ / 不条理をえぐり出す極限の精神 ⑩ドイツⅡ / 精神の深淵を極める独文学の真髄 ⑩ド↓ⅲ・中欧・東欧・リア /. 第小説世界 ⑩ロシア— / 世紀ロシアの哀歓溢れる名作群 ⑩ロシアⅡ / 存在の重みを語る人と愛の物語 ⑩ロシアⅢ / 世紀ロシアが叫ぶ自由への希求 ⑩アメリカ— / 新大陸に誕生した米文学の原点 ⑩アメリカⅡ / 失われた世代とそれに続く群像 ⑩アメリカⅢ / 病めるアメリカ茯る三人の巨人 ⑩ラテンアメリカ / / 欧米に衝激を与えた傑作群 ■最終配本翁年 6 月加日 ) ⑩中国・アジア・アフリカ / 鮮烈な文学の新領土 朝鮮短編集 金東仁「明文』 / 玄鎭健「火ン蘿稲香永車』 / 崔曙海『脱出記』ほか 魯迅『狂人日 /. 』「阿正伝』ほか 巴金「寒い夜』「憩園』 茅盾『子夜』 ・・クツツェー ( 南ア ) 『夷狄を待ちながら』 ・・ナーラーヤン ( インド ) 「マルグディに来た虎』 ・イドリース ( エジプト ) 『黒い警官』ほか マハフーズ ( エジプト ) 『花婿』ほか 世界の文学・月報 8
面白さのもうひとつは、健康性にある。登場人物が心身ともに健 康ということてはない。作品を通してうかがわれる、共同体や社会 青野聰や国家や、人間愛と自然への作者の思いが、他の国の文学にはない アメリカ文学の面白さについて 健康性にあふれているということなのてある。ケラワックにしても、 ミラーにしても、スタインヘックにしても、ヘミングウェイにして アメリカの小説の面臼さのひとつは、登場人物がよく行動すると も。そして、フォークナーにしても。ユダヤ系作家はむろんのこと ころにある。だから肉体がみえてくる。行動といえばふつう、正義 出発点は不信、絶望てある。それらが行動へと転化するところが の戦争への参加てあったり、政治運動てあったり、自由と真実を求 めての冒険とさすらいの旅てあったりする。しかし地球規慎て世界アメリカ文学の特長なのだが、五〇年代のビートの文学運動を思い を語ることのリアリティーに疑いが持たれる見代、作者の目は日常起こそう。ケラワックは、自分たちを結びつけるのは、それぞれの に向けられて、行動の意味するところも市民社会の枠内ての、生活最も奥深くにある感情を互いに告白しうる能力にある、と仲間に書 がにおうものへと質が変わった。それても、肉体の活動がよくみえ いている。それはアイデンティティーの回復てあり、そのためには 報 じようぜっ る。現代アメリカの知識人を中心に据えて、思弁を冗舌体て展開す麻薬をふくめてなんにても手を出してみるという、ノーマン・メイ明 さた ようかないア るべローの長篇はい、」、、 し伊てこれにはおどろく。 ラーが『性の囚人』て語った、狂気の沙汰としかいい 世 アメリカ I 集英社ギャラリー [ 世界の文学 ] 16 報 月 集英社 第 15 回配本第 16 巻 1991 年 1 月
報 ・ウインタース 月 《訳者紹介》 子 ・好評既刊 / ・「かもめ」 ( 日本未公開 ) 英・六八年 監督シドニー・ルメット 木村浩一九ニ五年生れ。静岡県立大教授。「ロシ①古典文学集 / 文学の源流を生 9 非劇の集成和 主演ジェームズ・メイスン、ヴァネッサ・レッドグレ アの美的世界」、ソルジェニーツイン「イ③イギリスⅡ / / 運命の力が明らめる人間の輪郭世 ーヴ、シモーヌ・シニョレ ワン・デニーソヴィチの一日」ほか。 ④イギリスⅢ / 意識の流れに人間の内面を探る ・「三人姉妹」 ( 日本未公開 ) 英・七〇年① 川崎隆司一九三〇年生れ。新潟大教詩集「存⑤イギリスⅣ / 正統と異端、そして反逆への渇望 監督ローレンス・オリヴィエ、ジョン・シッケル 在への自由な出入り」らコーゴリの文体と⑥フランス— / 心理小説の開化美しき恋愛の華 主演ローレンス・オリヴィエ、ジョーン・プロウライ 思想の悲劇について」ほか。 ⑦フランスⅡ / 人間心理をリアリズムが描きだす ト、アラン・ペイツ 原卓也一九三〇年生れ。鑒泉外語大学長。「ドス⑧フランスⅢ / 錯綜した時代文学の新たな視角 ・「ワーニヤ伯父さん」ソビエト・七一年① トエフスキー」、トルストイ「戦争と平和」、⑨フランスⅣ / 不条理をえぐり出す極限の精神 監督アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」⑩ドイツⅡ / 精神の深淵を極める独文学の真髄 主演インノケンティ・スモクトウノフスキー、イリー 江川卓一九ニ七年生れ。土泉大教授。「謎とき「罪⑩ドイツⅢ・中欧・東欧・妥リア / 小説世界 ナ・クプチェンコ、セルゲイ・ポンダルチュク と罰」」、ドストエフスキー「亜皿」、バステ⑩ロシアⅡ / 存在の重みを語る人と愛の物語 ルナーク「ドクトル・ジハコ」ほか ・「かもめ」ソビエト・七一年 ⑩ロシアⅢ / 世紀ロシアが叫ぶ自由への希求 ・カラシク 監督ュー 中村喜和一九三ニ年生れ。一橋大教「聖なるロ⑩アメリカ— / 新大陸に誕生した米文学の原点 ・ヤコヴ 主病リュドミ一フ・サヴェーリエワ、ユー シアを求めて」、ゴーゴリ「デカーニカ近⑩アメリカⅡ / 失われた世代とそれに続く群像 レフ 郊夜話」、レールモントフ「現代の英雄」⑩アメリカⅢ / 病めるアメリカる一一一人の巨人 ・「機械じかけのビアノのための未完成の戯曲」 ( ラ一フ工藤精一郎一九ニニ年生れ。関西大教授。「ロシア文⑩ラテンアメリカ / 欧米に衝激を与えた傑作群 学つら話」、トルストイ「戦争と平和」、ドス ・待望の続刊 / トーノフ」他数編の短編 ) ソビエト・七七年 トエフスキー「罪と罰」ほか。 監督ニキータ・ミハルコフ ⑩ドイツ / / 文学運動 , こ社会運動の激しい交錯 ゲーテ / 若きヴェルテルの悩み / ファウスト 主演アントニーナ・シュラーノワ、イエレーナ・ソロ ヴェイ ヘルダーリン / ヒュペーリオン ホフマン / プランビラ王女 / 砂男 / 蚤の親方 ・「黒い瞳」 ( 「大を連れた奥さん」他三つの短編 ) 伊・ アイヒエンドルフ / のらくら者日記 八七年① グリム兄弟 / グリム童話集他 監督ニキータ・ミハルコフ 主演マルチェロ・マストロヤンニ、エレナ・ソフォー ⑩中国・アジア・アフリカ / 鮮烈た支学の新領土 魯迅 / 阿正伝 / 狂人日記他 ノフ、シルヴァーナ・マンガーノ 巴金 / / 寒い夜 / 憩園 ・「三人姉妹」 ( 現代イタリアに置去えての映画化 ) 伊・ 朝鮮短編集 / 金東仁・明文他 西独・八八年① ・・コツェー ( 南ア ) / 夷狄を待ちながら 監督マルガレーテ・フォン・トロッタ ・・ナラーヤン ( 印 ) / マルグディに来た虎他 主演ファニー・アルダン、グレタ・スカッキ、ヴァレ リア・コリーーノ ・次回配本 ( 九一年四月十九日刊行 ) ②イギリス— 笑いと涙、人間心理劇場の開幕 シェイクスピア戯曲集 / ロミオとジューリエ ヴェニスの商人 / / 夏の夜の夢 / ハムレット / オセ ロー / リア↓ / マクベス / あらし シェイクスピア詩集 / / ソネット集 デフォー / ロビンソン・クルーソー スウイフト / - ガリヴァ旅行記
報 ・『エレンデイラ』仏・西独・メキシコ・八三年 月 ・『都会と大たち』ベルー・八五年① ・次回配本 ( 九〇年三月ニ十日刊行 ) 監督ルイ・ゲーラ 監督フランシスコ・・コンバルディ ⑩アメリカⅢ 主演イレーネ・ババス、クラウディア・オハナ 主演バブロ・セラ、グスターボ・ペリ 貧困、差別暴力 = : 禾を謳歌するアメリカの影世 ・『予告された殺人の記仏・伊・八七年 ルルフォ に潜む病巣をえぐり出しながらも、人と愛の真実 監督フランチェスコ・ロージ を照らしてやまない、現代アメリカな代表する三 主ルバ ート・エヴァレット、オルネラ・ムーティ、ジャ・『大のほえ声が聞こえるかい』仏・メキシコ 人の作豕、ソール・べロー『その日をつかめ』、ポー ンマリア・ポロンテ、イレーネ・ババス 督フランソワ・ライへンバッハ ルドウイン『ビール・ストリートにロあ、らば』、ジョ ・「戒厳令下チリ潜入記』 ( 同名ノンフィクション執筆 ) ース『酔いどれ草の仲買人』を収録。 西・八七年 《訳者紹介》 監督ミゲル・リティン ・「大きな翼を持った老人』キューパ・西・伊・八八年篠田一士一九ニ七年生れ。八九年没。文芸評論家 好評既刊ー 監督フェルナンド・ビリ ・第一回配本 内田吉彦一九三七年生れ。史泉大教授、ラテンア 主演フェルナンド・ビリ、ディシー・グラナドス メリカ文学 ⑩アメリカⅡ 《脚本作品》 木村榮一一九四三年生れ。神戸市外語大教授、一フ失われた丗代と続′・、現代の文当み ) 一望の下に収録。 フィッツジェラルド、フォークナー、ヘミングウェ ・『金蹕 ( 日本未公開、原作ファン・ルルフォ、共同 テンアメリカ文学 イ、ヘンリー・ミラーをはじめ、十七名の作家によ 脚本カルロス・フェンテス ) 六三年 野谷文昭一九四八年生れ。立教大助教授、スペイ 監督リカルド・ガバルドン る十九編の長短編を収める。 ン・ラテンアメリカ子 ・『愛しのローラ』 ( 日・ k 未公開 ) 六四年 鼓直 一九三〇年生れ。法政大教授、ラテンア ・第ニ回配本 監督ミゲル・バルバチャノ日ポンセ メリカ文学 ・『犯罪に立ち向かう四人』 ( 同右 ) 六七年 桑名一博一九三ニ年生れ。泉外語大教授、スペ⑩ドイツⅢ・中欧・東欧・イタリア 本邦初訳となるクンデラ ( チェコ ) の「存在の耐 ・『エル・カウディーヨ』 ( 同右 ) 六七年 イン文学 ・『予徴』 ( 同右 ) 七四年 えられない軽さ』に加え、カフカの代表的作品群、 荻内勝之一九四三年生れ。藜泉経済大助教授、ラ ゴンプローヴィッチ、シュルツ、ムージル、モラ 監督ルイス・アルコリサ テンアメリカ文学 ヴィア、パヴェーゼのを収める。 ・『。へストの年』 ( 同右、原作ダニエル・デフォー『ベス安藤哲行一九四八年生れ。摂南大助教授、ラテン ト』 ) 七八年 アメリカ文学 ■第三回配本 ・『わが心のマリア』 ( 日木未公開 ) 七九年 土岐恒ニ 一九三五年生れ。都立大教授、英文学 監督ハイメ・ウンベルト・エルモシージョ 吉田秀太郎一九三一年生れ。大阪外語大教授、ラテ⑤ ) イ、ギリスⅣ 日玄 ( 人ーこして初めてブッカー賞を又賞したカズオ・ ・『死の時』コロンビア・八五年 ンアメリカ文学 監督ホルへⅱアリ・ドウリアナ イシグロの短編『タ餉』、ノーベル賞作豕ゴールディ 高見英一一九三〇年生れ。法政大教授、ラテンア 主演グスタボ・アンガリータ ング『蠅の手など、五大陸の英闍からなる十 メリカ文学 武井ナヲエ一九三四年生れ。桜美林大教授、英米文八名の現代作豕による長短編を収録。 ・ハルガスリョサ 学
報 ホーソン、ソロー、メルヴィルらは同時代人てある。それだけて ( する闘いの宣一一一口てもあった。だが彼の傑作『オン・ メリカ社会にた、 はなく、地或的にも北東部のポストンを中むに寄りそっていたノ サ・ロード』はど - フだろ - フ、ここからはアメリカ純颪黻が聴こえる おおらかてすがすかしい、たしかにここに本当のアメリカがある、 ネッサンス運動ともいわれるゆえんて、歴史をひとまず切って、社世 会的精神的再生をなしとげようとする動きは、当然ュートピアの建 と読者に田 5 わせるアメリカが ケラワックよりも一世代上のミラーは、フランスに渡って、諸君設へと向かう。ピルグリム・ファーサーズが北米の伝統といってし し力い が泣きごとを言ってるひまにばくは歌う、諸君の汚らしい死骸の上まったらそれまてだが、それほど多くのユートピア建設運動が短期 じつにアメリカ勺ご。 的に集中したのは、他に列をみない て踊 9 てやる、と『北回帰線』の冒頭て書いている。じっさいミラ 結果は悲膠てある。身を投じた経験のあるホーソンの作品には、 ーはエビグラフに、約百年前の思想家ラルフ・エマソンの一一一口葉を引 れいめい 用しているが、ケラワックにしても、このアメリカ文学黎明期のト その影が在礙い。しかし肉体て経験することなしには、どこまてが ランセンデンタリズムーー、超越思想の影響は大きい。ばく自年の歌実現可能て、どこからを人類の夢とするかの臨界点は見えてこない。 ひもんじ をうたったウォルト・ホイットマンの、つぎのような詩の一節が 先にも書いた康生とは無縁かのように読まれがちな『緋文字』、そ 彼らのロを介して聞こえてくるようにさえ田 5 , フ。「性 ~ 父はばくにとっ こに出てくる女のヘスター・プリン。光量を落としてはいるが、 くらやみ て死と同様に少しも下品なことてはない / 見ること、聞くこと、感暗闇にいる彼女の強さは明るい。ホイットマンの「いつの時代にも きせき じること、すべて奇蹟、ばくのどんな部分もひとつひとつがみな奇折々に帰来する / ばくアダムの歌い手」に重ねていえば、彼女こそ リ」 はアメリカ文学に折々に帰来する「イヴの歌い手」なのてはないか し」田 5- フ 超越田 5 想というのは、ム咀理的てあるところとそうてないところが 入りまざって、要約しにくい。自山′・」創造的な思想はみなそうだが エマソンは書いたものよりも講演て人々を鼓舞したようだ。「聖人や 予一一一口者がいることについて神に感謝しなさい しかし・目分もまた、 挫折の楽しみ そのひとりだと考えなさい」こうした一一一一口葉から、人それぞれが本能 そな とともに具えている神性を喚起したことは容易に想像される。それ メルヴィルの『臼鯨』を最初に読もうと思ったのは確か私が高校 が教会の反感を買い、一方て教会に異議を唱える自由な精神の持ち の頃だから、もうかれこれ一一十年も前のことになる。当時は大学紛 主に影響をえたことは。 ころ 久間十義
報 月 かしら』という本の装丁てある。この両装丁は漫画家による漫画の ルノブイリ産放射能入りのものを買わされては健康に重大な支障 子 を生じることもあるわナごが、 。オ文学作品の場合にはそういう心配装丁てあるという表面的な一致を超えた深いところて繋がっている 世 もぞあるから、我々読者は外見て判断してもまったくかまわなのてはあるまいか。大衆社会の成立下、芸術としての自立のに 立たされている文学の今日的情況を装丁に反映させたこの力業は、 。さて、文学作品の外見のことを我々は装丁と呼びならわしてい る。一部の文学批評家は勘違いしているが、文学作品がまず装丁を文学者としての良心に基づいてなされたものなのだ。なお、この両 作品の場合、例外的に中身も充実しており、近頃珍しいお買い得商 第一に生産されていることは疑いようのない事 ~ 大てある。「カンチュー ロ明し J い - んよ , フ ( 作家 ) ハイ」て有名になった某有名可可集′しもっとも重要なのはあの肘をつ きばんやりとこちらに流し目を送っている著者の写真てあり、その 後の紙に印刷されていたのはその表紙の説明てあったことは余りに ほうたい 粉川哲夫 ソール・べローの誘惑 有名てあろう。ところて、我々読者としてはこの膨大な文学作品の 洪水の中から真の傑作を選びだしていかねばならない。ある文宀子作 品の装丁は不必要に重々しく、また別のある文学作品の装丁はあま 風貎のせいもあるのだろう、ソール・べローは、非常にインテレク りにセンチメンタルだ。ウェットな中身にウェットな装丁をつけるチュアルな作家とみなされている。それはそれていいのたか、しかし、 のては安易すぎるし、デザイナーが己の力量を誇一小せんとあらん限べローの作品には「知性」や「教養」といった形容とは相反するある種 りのテクニックを駆使するのも限度を越えると文学作品てはなく美の肉体性がっきまとっている。 術作品になるおそれがある。目を転じてアメリカに向けると、あち それは、彼のユダヤ的な経歴からくるものてあるが、「ユダヤ的」と カテカデカ らのハードカヴァーの装丁は「題名」と「著者名」だけ、、 : いっても、その内実は多様てある。同じユダヤ系の作家ても、アイザッ と印刷されている場合が多く、これを質実剛健と見るか単なる手抜 ク・・シンガーの肉体性は、もっと世俗的てあるし、バーナード・ マラマッドのそれは、べローよりも庶民的てある。 きと見るか判断の分かれるところてあろう。とかく装丁は難しい こうはん ごだし、こうした広汎な「ユダヤ性」というものを目一 ( 体的に一一語て言 だが最近、文学の王道をいく装丁が現れ注目を浴びたことを我々は い表すとしたら、それは『イーディッシュ的なもの』しかないたろう。高 現代文学のために大いに慶賀したいと田 5 う。その一つはジョン・ スなるアメリカ作家の『金曜日の本』という本の装丁てあり、もう 地ドイツ語のフォーマットにヘブライやその他の雑多な要素が組み 込まれた混成一一一口語ィーディッシュ。アメリカやカナダにやって来た東 一つは高橋源一郎なる日本の作家の『文学がこんなにわかってい ふうほう 0
報 月 ⑩ドイツⅢ・中欧・東欧・イタリア⑩アメリカⅢ 発刊以来、 ~ に話題をまきおこし続けている本邦貧困、差別暴刀・ : : ・。篭木を謳歌するアメリカの影 初訳、クンデラ ( チェコ ) の『存在の耐えられない軽に潜む病巣をえぐり出しながらも、人の愛と真実を照 ③イギリスⅡ 世 さ』に加え、『変身』『流刑地にて』を初めとするカフカらしてやまない現代アメリカ文学、一一一人の巨人。 一種異様小教的執気をおびた時代北旦星の中て生と 死を越える男女の狂おしい愛を凄絶に描いた・プロの代表的作品ムージル『三人の女』、実験的精神に現代社会における宙づりの人間状況に光をあてるユダ ンテの『嵐が丘』、現実の宗教に題材を求めた巨匠富んだポーランドの作家ゴンプローヴィッチによるヤ人豕べローの「その日をつかめ』。アメリカ社会の デイケンズの『バーナビー・ラッジ』、そして、当時の文『フェルデイドウルケ』、同じくシュルツ『肉桂色の原罪、黒人問題を通して人間の本源的な不安を描く黒 ル・ストリートにロあ - 店』、そしてイタリアからは、モラヴィア『侮蔑』、パヴ人作豕ポールドウインの『ビー 壇のタブーを破った間題作、世紀末豕トマス・ エーゼ桀作短編集を収める。芳醇なヨーロツ。ハ小説世らば』、メタフィクションによる大作をうみ続ける ~ ディの『ダーバヴィル家のテス』。 十九世紀イギリスを代表する作豕三人の傑作を収める。界がかなてる物語の豊かさが、この一冊に結実する。作豕バースの『酔いどれ草の仲買人』を収録。 ⑩ラテンアメリカ ⑩ロシアⅡ ⑤イギリスⅣ ロシア文学のみならず世界文学に君臨する不朽の一一大現実性と幻想性が市した魔術的リアリズムの手法に 同時代し・エ木来を重層的に射抜く物語の饗第 ゴ ールディング『蠅の丁、シリトー『長距離走者の孤巨編、ドストエフスキー『罪と罰』、トルストイ『アンよって、全世界に衝撃を与えたラテンアメリカ文学の 全貎を、余すところなく伝える傑作査本邦初訳とな 独』、ウォー『ピンフォールドの試練』、オプライエンナ・カレーニナ』を、完訳て一冊に収録。 るプイグ『赤い唇』、ドノソラルジョア社会』のほか、 ードック『鐘』、ス。ハーク『マン独自の超人論にもとづ、さ金貸し老婆を殺したラスコー 『ドーキー古文書』、マ リニコフの、清純な娼婦ソーニヤとの愛による魂の救・ホルへス「伝奇集』『エル・アレフ』『砂の本』、アスト デルバウム・ゲイト』の長編に加えて、イキリス、ア ウリアス「大閣下』、 e= マルケス『族長の秋』の イルランド、ナイジェリア、南アフリカ、カナダ、イ済をテーマとした「罪と罰』。そして、高級官僚カレー 長編に加えて、バルガスリョサ、ウスラル“ビエト ニンと幸せな生活を送っていた美しい人妻アンナが、 ンド、オーストラリアなど、旧英連邦出身作家たちが リ、オカンボ、ポンバル、ロアバストス、ルルフォ、 描きあげる現代英文学の精髄を、十二編の短編集とし青年将校との激しい恋によって次第に悲劇的な結末に ベネデッティ、ルビアン他の士二の短編を収録。 突き進んてゆく『アンナ・カレーニナ』。 て編みあげた現代イギリス文学への誘い ⑩アメリカⅡ ⑦フランスⅡ ・次回配本 ( 九〇年八月ニ十日刊行 ) 十九世紀フランス近代小説黄金時代の生み出した失われた世代と、それに続く現代作家の一群を一望の 長短編を収録。フロべール桑ヴァリー夫人』、ゾラ『居もとに収めたアメリカ文学黄金期の傑作長短編。フィ①古典文学集 ギリシア一一一大悲劇詩人の代表作から、アイスキュ ツッジェラル、ド早大たギャッビー』、フォークナー『ア 酒屋』、モーパッサン「女の一生』の長編。メリメ「マ ロス『アガメムノーン』、ソボクレース『アンティ テオ・ファルコー、不』『イールのヴィーナス』、ネルウブサロム、アプサロム ! 』、ヘミングウェイ『日はまた ゴ、不ー』、エウリービデース『バッコスの」信女』 アル『シルヴィ』、ドーデ『アルルの女』『スガンさん昇る』、ミラー『南回帰線』、ロス『狂信場名ィーライ』 一一一界を経廻る壮大な叙事詩ダンテ「神曲 ( 地獄・ コーイエン、 の長編に、アンダーソン、マラマッド、、、 の山羊』『最後の授業』、リラダン『霊的前兆』『ヴェラ』、 煉獄・天国 ) 』、見果てぬ夢の中に、真の騎士道を モーパッサン「首飾り」『オルラ』など十編の好短編。ギャス、ダヴェンポート、カボーティ、オジック、 求めるセルバンテス『ドン・キホーテ』を収録。 ーセルミ、シュウォーツなどの好短編を集めて編んだ 加えて、近代詩の扉を開いたポードレールの「悪の華』 「アメリカ短編集」を付す。 全編を収めて、華を添える。 ・好評既刊
報 とめたり、俳優として出演し、短編喜劇『チェス狂』を初演出した。明 自覚が作家の側にあって初めて可能になる行為だとも言えるだろう。 実際、それだけ高い社会的地位を持っていたということが、ソ連文一一作目には、。、ヴロフの条件反射理論をわかりやすく映像化した『頁 学の栄光の証てあると同時に、悲惨な運命の原因ともなったのてあ 脳の構造』を発表し、次いて一九二六年に手がけたのが『母』てあ世 る。こういった事情は、ペレストロイカが進められている見代ソ連る。 ても本質的には変わっていないように田 5 われる。果たして、「ゴルバ シナリオを書くことになった若手ライターのナタン・ザルヒは、 チョフへの手紙」が未来のソ連文学史の一頁を飾るような日が来る ゴーリキーの思想、人間像を映像に置き換えるのがいかにむずかし のだろうか ? いかを知っていた。そこて、事件を原作以上にドラマチックに描く こと、葛藤を明確にすること、副次的なエピソードや登場人物を思 いきって削除すること、場合によっては原作を再構成することもあ り得ること、といった・万手なに拠ってシナリオを仕上げた。列えよ 父のミハイル・ヴラーソフは原作ては病死するが、映画てはスト破 筈見有弘 りに加わり乱闘の中て死ぬ。息子のパーヴェルが投獄され、母ニー ロヴナが目覚める過程は原作よりずっと単純化されている。ラスト ソヴィエトの映画史はゴーリキー文学を映画化した一一つの名作を 生んている。ブドフキン演出の『母』と、ドンスコイ監督による『幼はかなり劇的に改変されている。 そのために原作よりいささか規模が小さくなり、母親の人間像も 年時代』てある。 いくらか変化したが、主題は骨太に打ちだされ、ラストては感動が 十九世紀末にペンザ市のインテリゲンツィアの家庭に生まれたフ セヴォロード・ブドフキンは、文学と演劇をはじめ天文学、生物学、 高まる。文学作品を映画にする場合、一方ては原作文学の忠実な映 化学に興味を示し、モスクワ大学ては理学部に学ん・ ' たたが、宀一↓未画化の方法があり、一方ては映像ならてはの表現に置き換えるため なかばにして第一次世界大戦の戦場に送り出され、負傷して捕虜と に原作を大胆に改変するやり方がある。どちらを選択するか議論の あるところだが、ザルヒとブドフキンは後者によって映像の特性を なり、脱走して帰国した時は革命が終わっていた。しばらくの間 化学工場に勤め、戯曲、詩作などを試みたのち、国立映画学校に入精一杯生かしたのてある。むろんサイレント映画だったということ も老箙にいれなけれよいけよ、 学。舞台演出に参加したあとて、映画理論家て演出家レフ・クレシ 大胆な脚色をした場合、原作者は不満を表明することの方が多い ョフの《クレショフ工房》と呼ばれる実験集団に参加、助監督をつ 連載■世界の文学・映画ノート⑩ ( ロシア文学 ) かっとう