これは作家冥利につきる。エミリー・フロンテも、狂わんばかり画に生まれ変わった。そこてはスクルージはテレビ・ネットワーク月 に喜んているのてはないだろうか、と思った。 局の社長て、ケチて非人情なうえに視聴率のことしか頭にないと というのも、私の想像ては、エミリーという女は、ことさら喜 う設定てある。 世 怒哀楽が激しく、情念の炎や失意の翳りを、いつもゆらゆらと燃え ニューヨークのスクルージといえば、数年 ~ 則にプロードウェイて 立たせていたひとだと思うから、喜びもまた、狂気のように噴き出 ミュージカル化された『カミンク・アッフタウン』を見たこともあ すのてはないかと田 5 ってしまうのだ る。『クリスマス・キャロル』のミュージカル版には、七〇年にアル ヒースクリフのように暗い情熱に支配される男は、現実には存在 ート・フィニーがスクルージを演じた作品もあるが、それは映画 しないたろ - フ。しかし、エ ミリーという女が作り出した小宇宙の向きに作られたミュージカル。しかし『カミング・アッフタウン』 なかには、恐ろしいばかりの迫力をもって存在している。女の生みの方はそれとは関係なく、舞台をマンハッタンのハーレムにとり、 出す世界にしか存在しない男、それがヒースクリフだと言える。 オール黒人キャストのドラマになっている。ストーリーはそのまま ハワースをあとにする観光客の多くが、短く悲劇的な生涯を終えて、グレゴリー ハインズがスクルージ殳。彼のダイナミックなタ たんのう た才能ある女に同情するかもしれないが、私は違った。工、 フタンスを堪能させてくれるステージごっご、、、、 、オオカロンクランには ならなかった。 プロンテの、勝利の笑い声を聞いたような気がした。それは、ヘザ ーを手にとったときの、棘だった硬い感触にも通じるものだった。 八五年にプロードウェイのインペリアル劇場て慕を開けた『エド なそ ( 作家 ) ウイン・ドルードの謎』もやはりミュージカル仕立てだった。ご承 知のようにこれは未完の小説たが、さてそこて、クライマックスに たれ なると舞台を中断させ、犯人は誰てあるかといういくつかの推理が 提示され、あなたはどの推理に共感しますかと、観客に問う趣向が 筈見有弘盛りこまれているのが楽しかった。 これもプロードウェイのフリマス劇場て上演されたイギリスのロ 英米の映画や演劇の世界てはデイケンズはいまだに引っ張り凧てイヤル・シェイクスビア・カンパニーによる八一年の『ニコラス・ ある。例えばこの夏休みに公開される『オリヾ / ニューヨーク子ニックルビー』は、なんせ八時間半というけたはずれの上演時間だっ たのて、旅行者てあるばくは見るのをさけてしまったが、あとになっ 猫ものかたり』は、ディズニーによる『オリヴァー・トウイスト』 のアニメーション版だ。一年半ほど前には『クリスマス・キャロル』 てやはり見ておくべきだったと後悔している。テレビて中継された もやはり現代のニューヨークが背景の『 3 人のゴースト』という映 ものを友人が録画してくれたのて、それを見ることがてきはしたが。 連載■世界の文学・映画ノートを
報 ティの会場はグリニッジ・ヴィレッジのフリーカー・ストリート の日本語訳は出ないのかねと一言うのだった。『ネーミンク・ネームズ』 〇〇番地だといし 、十一月の水雨の降るタ方、 O さんの車て出かけ はマッカーシズムを描いたカ作てある。 ナヴァスキー氏からはなれて、窓ぎわに行くと、にこやかな老紳士世 なんのパーテイかと訊いたら、新人作豕の出版記今大ムらしいと O さ がやってきた。いわずとしれた『ラグタイム』の作者てある。今夜はロ んは教えてくれたフリーカー・ストリート 一〇〇というのはコロ ンドンのマクミラン社の担当編集者がニューヨークに来たのて、そ ンビア大学の先生たちのアパートてある。 のレセプションなのだと氏は説明してくれた 会場に着いてみてはじめて知ったのたが、そこは・・ドクト レセプションといっても、酒は白ワインて、食べものは若い女性が ローの住まいて、入口の近くて数人の男女が白ワインのグラスを手カナッペのお盆を持って、いかがと客のあいだをまわるだけてある。 ひげづら にして、熱心にしゃべっていた。居間の中犬ては髭面の初老の男が しかし、目の前にアメリカ文学の巨人がいるとは夢のようてある。 一一人の中年女性と話をしている。 日本てはアメリカのどんな作家が読まれているのかとドクトロー O さんと私はワインをもら「て、髭のおじさんのほうに行「て挨氏は穏やかな口て尋ねた。〈ミングウイのほかにジ「ン・ した。彼は意外に気さくて、ヴィクター・ナヴァスキーだと自己紹介やジェイムズ・ポールドウインなどが読まれているし、八〇 , 喪に出 した。いまは「ネーション」という雑誌を編集している。 てきた若い作豕たちも人気があると答えた。氏はいちいちうなずいて、 昔、あなたのエッセイをニューヨーク「タイムズ書評誌て読んだこ それから私の作品はと訊くのだった。近く日本語訳が出ると聞いてい とがあると言ってみた。ナヴァスキー氏は七〇年代のはじめごろだっ るとのことてある。 たか、出版界の内幕を断続的に書いていて、愛読した記憶がある。ずい やがて、ケイ・タリーズ氏がやってきた。氏に会うのはこれが四 ハミル氏と青木冨美子さんの結婚式のとき ぶん昔のことだとナヴァスキー氏は不機嫌になった。ほんとうは彼の度目て、三度目はビート・ 著書を挙げるつもりて、その書名を度忘れしてしまったのだが、よう たった。そのハミル夫妻もまもなくやってきて、みんなてア。ハ やく思い出して、あなたの『、不ーミング・、不ームズ』はとてもよかった ースト・サイドの中国科理店に行った。 なんじ と一言った。 タリーズ氏の『汝の父を敬え』は拙訳がある。ハミル氏は高見浩氏の とたんに、氏は機嫌をなおし、微笑を浮べ、紙ナプキンに「ネーショ 名訳て『ニューヨーク・スケッチブック』がある。タリーズ氏もハミル し」い - フ咸 5 ド ) かー ) た、。 ン」のオフィスの所番地と電話番号を書いて、よかったら訪ねてきて氏もドクトロー氏を知っている。世間は狭い くれと紙ナプキンをわたしてくれたのよ、 ーししカそれはそうと、拙著 ( 作豕・翻訳家 ) あ
欧系ユダヤ人の大半は、イーディッシュをしゃべり、べローにとって た。「ジューイッシュ・プロードウェイ」と呼ばれたセカンド・アヴェ もこの言葉は、「母語」ぞあり、生活の一一一口葉だった。 ニューには、まだ相当数ィーディッシュ劇を上演する劇場があり、浅 いまアメリカに住むユダヤ系の家′し、日常、イーディッシュをしゃ草軽劇にも似たメロドラマから、のちのプロードウェイ・ミュージ べっているところは少ないが、東欧民族の第一世代が生きていたべロー カルに発展する歌謡网ニューヨークに着いたプレヒトが真っ先に見 の子供時代には、イーディッシュしかしゃべれない親や祖父母がいる に行った左翼劇にいたるさまざまなスタイルの芝居を見せていた か ~ 、はん ユダヤ家庭はめずらしくはなかった。 大衆的な劇場とは、言語的表現の実験室・貯蔵庫・攪拌室てあ まだ、テレビはなかった時代だから、芝居は重要な大衆メディアてる。劇場がそういうものとして活気づいているとき、文学作品は、そ あり、ニューヨークのユダヤ人居住区ては、さまざまなタイプのイー こからある独特の肉体性を身につける。すなわち《遊歩》の肉体性 てある。 ディッシュ劇が上演されていた。 ィーディッシュ劇がシンガーやマラマッドに大きな影響を与えた 芝居を見るということは、単に舞台を観察することてはない。それ ことは知られているが、べローにとっても、それは、重要な「文化環境」は、街路を遊歩した末にドラマや出米半や第や人に出会うことてあ の一つてあったのてはないか ? 彼の小説一言語 ( 英語 ) のなかには、明 、都市と直結した遊歩の身ぶりを前提とする。 らかにイーディッシュ的表現の影響を読み取ることが出来るし、とき べローの作品を読んていると、街を歩いているときと同質の身体感 たま彼は、イーディッシュ劇についても一言及している。 を感じることがある。読者は、徐々に、あるいは突如、《劇場》のなかに 『犠牲者』のなかて主人公ェイサ・レヴィンサールは、友人のオール 入る。が、この劇場は、街路から画然とは切り離されてはおらず、読者 ビーからこ - フ一一 = ロわれる。「そ - フだとも、おれは長いこと、このニューヨー はふたたび街路のうえに自分を見出すこともある。都市ⅱ劇場として クに住んている。ここはユダヤ人の都会だ。ジューのことなら、いやてべローの作品を読むこと。一つの誘惑。 ( 哲学・評論 ) も知りつくしてしまう。それがてきんのは、よほど友けな観穴名だ きみにしたって、カフェテリアにいかに多くのユダヤ科理が並んてい 吊盤新平 ヴィレッジのパーティ るかを知っているはずだ。どこの劇場ても、ユダヤ人の喜劇俳優がっ ぎからつぎと癶して、ユダヤ人のジョークを撤きちらす」 ( 太田稔訳 ) この小説の時代背景は、一九四〇 / と考えてよいだろう。四〇年 ゲイ・タリーズも来るのて、ハーティに来ないかとニューヨーク在明 代のマンハッタンては、イーディッシュ一典劇が最後の華を咲かせてい 住の編集者 0 さんを介して、ビート・ ノ夫妻から誘われた。パ 世
に昇華されていった。ミロシュ・フォアマンの「プロンドの恋』『火 フォアマン、カリエールがニューヨークて構想を開始した作〕ロは、報 事の家のごとく』、イヴァン・パッサーの『おもしろくない午後』、ヤ三年後、『。、パ / すれてるウ ! 』という、ヒッピー世代の娘の行動に おどおどする親の姿を皮肉つばく苗、ご 才しオ、ニューヨークが背景のコ ン・カダールの『本通りの店』、イジー・メンツェルの『厳重に監視 世 メディによって実を結んだ。フォアマンは、ソ連の武力介入後に。、 された列車』といった作品は海外ても評価され、あとの一一作はアメ リカのアカデミー外国語映画賞を受賞するほどだった。知的て皮肉ッサー、撮影監督のミロスラフ・オンドリチェクらとチェコを出国 しアメリカに転じたのだった。その後、アメリカの市民雀を得たフ な笑いをともなった独自の感覚は新鮮てあり、人々はこれを《チェ オアマンには『カッコーの巣の上て』『アマデウス』のような傑作が コ映画の新しい波》と呼んだ あり やがて、ミロシュ・フォアマンは、ニューヨークて新作の準備に 、。、ツサー、オンドリチェクもアメリカに定着、カダールもア とりかかったが、 メリカとカナダて作品を手がけたのちに亡くなっている。 そのとき、脚本を依頼したのはプニュエルの作品 クンデラはといえば、その後フランスに亡命し、八四年に『存在 などて名を高めていたフランスの脚本家ジャンⅡクロード・カリエー ルてある。だが、その年、ソンミ村て米軍による大虐殺が起こって、 の耐えられない軽さ』を発表するが、その映画化を望んだのはアメ 和平交渉ははかどらず、ヴェトナム戦争はますます泥沼に落ち込み、 リカの硬派のプロデューサー、ソウル・ゼインツてある。ロシア系 四月にはキング牧師が暗殺され、アメリカは騒然としていた。ニュ ポーランド人を両親に持っゼインツは、フォアマンと組んて『カッ とフォアマンとカリエー ーヨークては落ち着いて仕事が出来ない コーの巣の上て』『アマデウス』を送り出していて、クンデラ作品の こんとん レはパリへ移ったが、 そこもまた学園闘争て混沌としており、フォ映画化にあたってもまっさきにフォアマンの演出、オンドリチェク アマンの提案て一一人はプラハへ戻ったのだったが、やがてソ連軍の の撮影を意図したのてはなかったかと思う。しかし、フォアマンや 進攻が開始され、プラハの春はあっというまに終りを告げてしまっ オンドリチェクにとってこの題材はあまりにも身近てありすぎた かくて、おそらくフォアマンの推薦によってカリエールが脚本に参 そのプラハて、カリエールは、すてにチェコを代表する文学者て加することになり、これも骨つばく疑り生の映画作家フィリップ・ コーフマンに演出がまかされた。 あったミラン・クンデラに初めて会っている。クンデラは、映画理 したこともあり、フォア 撮影はベルイマン作品て知られるスウェーデンのスヴェン・ニク 論に関しても一家一一一口を持ち、シナリオを書、 ・ディ・リュイ マンの学んだプラハ国立映画学ても講師を務めていたのだ。このヴェスト、配役にもイギリスの若手実力派ダニエル とき、どのような会話がなされたかはわからないが、これが一一十年ス ( トマーシュ役 ) 、フランスの個性的な新進女シュリエット・ビ に、スウ 後に『存在の耐えられない軽さ』の映画化につながっていくことに ノシュ ( テレザ ) 、スウェーデンのレナ・オリン ( サビナ ) わき なる。 エーデン、ポーランド、アメリカなどの性格俳優を脇に配している
レスを手帖に書いて貰うと、相手は微笑しながら「これてばくがカ てみると一九六一一年にローマの風刺劇場て上演されているという。 フカのことをよく知ってる理由が分ったてしよう」と意味ありげに スチープン・ベルコフの脚色演出て、簡素な舞台の上て、ストップ・ 言った。そこには「ツオフカ」という名 ~ 則がロシア語て書かれてい モーションを含む櫞智にとんだ一種機械じかけ的な演技を駆使しな たが、彼の説明によると、これはカフカのロシアなまりて、彼自身がら、極めてユニークな舞台を創りあげていた。バルイシュニコフ かぶとむし しんせき カフカとは遠い親戚に当るという。それ以来、彼とは一一度と会って も役者に徹していて、始めから終りまて、体を甲虫のようにまるめ いないが、今ても時どきカフカの文字を見かけると、このツオフカ て、彼の部屋をイメージする鉄棒の枠にしがみつきながら、時に舞 台に下りて這い・ 青年のことを想いだす。 すりまわるというグレゴールの殳を、立派にこなし 次は一九六四年秋のプラハてのこと。この年、石川淳、安部公房、 ていた。幕間なしの一一時間足らずの緊張した舞台空間てあった。 江川卓、筆者の四人てソ連を旅し、そのあと東ドイツをへて、プラ バルイシュニコフは映画「ホワイト・ナイツ」、ては映画俳優とし ノいった。安部さんのカフカ好きは有名だが、チェコ作家同盟てても活躍したが、「変身」ては舞台俳優としてのデビューを飾ったわ もカフカ研究家に会、 けてある。それにしても筆者にとっては、ヤースナヤ・ポリャーナ、 したいと希望し、すぐ一人の研究者があらわれ ニューヨークと、カフカとの思いがけぬ出会いを体験した この人物はチェコ事件のあと英国へ亡命、今はサセックス大学プラハ はす ことになる。いや、ニューヨークといえば、先年、ユダヤ美術館。て 彼の話によると、 て教えている筈だが、いま名前を思いだせない。 カフカ展を観たことがある。カフカとユダヤとの関係はやはり無視 近く出版されるチェコ語の選集の表紙はある女流画家の作品を使う ( ロシア文学者 ) ことになっているが、彼女は一貫してカフカのテーマて絵をかいててきないものがあろう。 つし」い - フ 、こいといって、独りてアト 筆者はすぐその画家に会し リエを訪ねた。カレル橋に近い地下のアトリエに当のアナ・プフナ ドイツⅢ・中欧・東欧・イタリア ロヴァーは住んていた。その絵はもちろん抽象の、極めて洗練され た、リリカルとさえいっていい美的世界てあった。 筈見有弘 最後は今年の六月はじめてある。 ード大学院へ留学してい った帰途、ニューヨーク、て亡 た娘が卒業したのを機にボストンへ、 映画になった『存在の耐えられない軽さ』を見たとき、この物語 命したバレエのバルイシュニコフがカフカの「変身」を演じていたの背景になっている《プラハの春》からソ連軍の武力介入の時期の 報 のを観ることがてきた。プロードウェイのバリモア劇場の舞台だっ チェコスロヴァキアの映画人のことを考えたのだった。 学 / 、刀ノノ ヾレイシュニコフの初舞台とあって大変な盛況、てあった。筆 チ 0 の映画が突然のように熱「ばくな「たのは、一九六〇年代 者など「変身」を舞台化することすら驚きてあったが、あとて調べ の半ばのことてあり、六八年のプラハの春の季節に向かって、一気和 世 てちょう 連載・世界の文学・映画ノート② )
ごったというクリスティーナは、まるてしゃべれなかった英語をた のだから、完成した『存在の耐えられない軽さ』は、アメリカ国籍 ちまち習得、アンナを利用し、要領よくふるまって、あっというま の作品とは思えない《存在の重さ》があった。また、撮影をプラハ に売れっ子モデルから、映画に出演するまてにいたる。つまりこれ て行うことはむろん不可能てあり、フランスのリョンが選ばれたが、 サ真を見たクンデラはプラハとまちがえるほどだったという。 は『イヴの総て』の現代版とてもいったストーリーてあるが、背後 に重くのしかかっているのはあの時代のチェコてある。 この『存在の耐えられない軽さ』と同じ頃に公開された、やはり カカ アンナが、あまり思い出したくない様子て、それてもポッポッと アメリカ映画『アンナ』もプラハへのソ連の武力介入と深く関わり 語る過去はこうだ。あの事件が起こるまて彼女はチェコ映画・演 のある内容てあり、そこてもまた一一十年前のチェコに思いをめぐら 劇のスターてあり、チェコを代表する監督と結婚し、妊娠した。だ さざるを得なかった。演出はポーランド出身のユレク・ボカエヴィ が、夫がパリへ行っているとき、ソ連軍の戦車がプラハに侵入して ッチてある。 きた。出国しようとしたが、 マークされていたのて旅券が発行され アンナは、チェコから移住してきたニューヨークの女優だ . なかった。ある日、夫を罵倒し、「チェコは死んだ」とわめき、国旗 ってもめったに役がつくことはなく、ようやく獲得するのがオフ・ に小便をひっかけた男にアンナは灰皿を投げつけて重傷を負わせて プロードウェイの舞台の代役てある。そんなアンナを頼ってチェコ から若い娘クリスティーナがやってくる。六八年の事件の時、一歳しまい、その男はソ連大使の息子だったのて彼女は投獄され、そこ ころ 電上 / 『存在の耐えられない軽さ』 まジュリエット、ビノシュ宀ずるテレザと 一′ ~ , 。レナ・オリン演ずるサビナ 中 / 『暗殺の森』 ( 原作『順応主義者』 ) ドミニク・サンダと ステファニア・サン「レツリ 下 / 『女ともだち』 。、をガフリエーレ・フェルゼッティと マヾーレース・フィッシャー 写真提供 / 松竹富士 / シネマトリックス 世界の文学・月報 5
の恋人』だ リオ・デ・シーカが演出、重くしんどい品に仕上がっていた 写真モデルとして。ハリにやってきたニューヨークっ子て文学かぶ さて、カミュてはルキノ・ヴィスコンティ監督の『異邦人』がある。 れのオードリーが訪れるのが emphaticalism なる哲宀子を信果・する者夫の作品の映画化をなかなか認めようとしない未亡人フランシー あこが たちのたむろするれの地下のクラブ。お互いに言葉はわからなく ス・カミュがヴィスコンティが演出をするなら許可しましようとい ても感じゃ語調て音生が通じるという、なにやらあやしげな哲学て うことて、映画化のニュースが伝わってきた時から楽しみにしてい たものた ある。案の上、その教祖は手の早い教授て、オードリーは危ないめ : と、まあ、そんなふうに風谷化した実存主義のハロディ モニカ・スターリングによる『ルキー / ・ヴィスコンティ / ある 、・ごーしごし」い - フ大第 的な一場面を思し 貴族の生涯』 ( 平凡社 ) によると映画化まてのいきさつはおおよそ次 のよ - フてある。ヴィスコンテイか、フランスにいご 一九四一一年に『異 閑話休題。やはりその頃公開された『サレムの魔女』はアーサー ミラーの戯曲をサルトルが映画用に脚色したものて、パリのサラ・ 邦人』が出版されて、ただちに読んていた。その後カミュのすべて ベルナール座の舞台て演出にあたったレイモン・ルーローが監督し、 の筰を読んだそうだ。映画化の話はイタリアの大ブロデューサー やはり舞台て評判を得たイヴ・モンタンが主演している。少しのち ディノ・デ・ラウレンティスから持ちこまれた。 ウイスコンティは、カミュの月 = = に辛しい生命を吹き込むために の『アルトナ』はサルトルの戯曲『アルトナの幽閉者』をヴィット は一ル一元年を背景にするのてはなく、アルジェリア戦争の時代に 移すべきだと考えて、ゴンクール賞受賞の作家ジョルジュ・コンシ ョンと共同て脚本を執筆したのだったが、未亡人は、時代を変更す ることはもとより、亡夫の小説に一字一句忠実てあらねばならない と譲らなかった。 一方、また、ヴィスコンティはムルソー殳にアラン・ドロンを予 定していた。『若者のすべて』と『山猫』てこの一一枚目から新たな個 いんうつ 羅を引きだしたヴィスコンティはドロンならドライて陰鬱な感じを 報 くみに表現てきるてあろうと信じていた。これがドロンのスケジ明 ュールの都合 ( ラウレンティスが反対したともいう ) て不可能にな 世 ノ イ 映画『異邦人』 ( 原作カミュ ) より ムルソー役の マルチェロ・マストロヤンニ ( 左 ) と 一リイを演じる アンナ・カリーナ ( 右 ) 川喜多記今瑛画文化財団
出演ニューヨーク・シティ・バレエ 五五年 ・「ヘンリー五世」英・四四年① ・「冬物語」 ( 日杢不公開 ) 英・六六年 監督エリ・アルンシュタム、エリ・ラヴロフスキー 監督ローレンス・オリヴィエ 主演ガリーナ・ウラーノワ、ポリショイ劇場バレエ団監督フランク・ダンロップ 主演ローレンス・オリヴィエ、ルネ・アシャースン ・ r 蜘蛛巣城」 ( 原作「マクベスし日本・五七年①主演ローレンス・ハーヴェイ、ジェイン・アシャー ・「ハムレット」英・四八年⑨ ・「じやじゃ馬ならし」英・六七年 9 監督黒澤明 監督ローレンス・オリヴィエ 監督フランコ・ゼフィレツリ 主演三船敏郎、山田五十鈴 主演ローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ 主演エリザベス・テイラー、リチャード・ ・「オセロ」 ( バレエ映画 ) ソヴィエト・ ・「マクベス」米・四八年① ・「真夏の夜の夢」 ( 日・杢不公開 ) 英・六八年 演出・主演ヴァフタング・チャプキアーニ 監督オーソン・ウエルズ 」監督ビーター・ホール ・「ウエスト・サイド物語」 (r ロミオとジュ 主演オーソン・ウエルズ、ジャネット・ノーラン 主タイアナ・リグ、ディヴィッド・ワーナー の現代ミュージカル版 ) 米・六一年① ・「オセロ」 ( 日杢不公開 ) 伊・五一年 ・「ロミオとジュリエット」 ( 日本未公開、バレエ映画 ) 督ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ 皿督オーソン・ウエルズ ジョ英・六八年 主演ナタリー・ウッド、リチャード・ペイマー 主演オーソン・ウエルズ、スーザン・クルチェ ージ・チャキリス 監督バウル・ツインナー ・「ジュリアス・シーザー」米・五三年 主演マー・コット・フォンティン、ルドルフ・ヌレーエ ・「ハムレット」 ( 日本禾公開 ) 英・六四年 督ジョゼフ・—J ・マンキウィッツ フ、ロイヤル・バレエ団 舞台演出ジョン・ギールグッド 主演マーロン・プランド、ジェイムズ・メイスン ・「ロミオとジュリエット」伊・六八年① ・「キス・ミー・ケイト」 ( 「じやじゃ馬馴らし」の現代主演リチャード・ 監督フランコ・ゼフィレツリ ・「ハムレット」ソヴィエト・ ミュージカル版 ) 米・五三年① ・コージンツェフ 主演オリヴィア・ハッシー、レナード・ホワイティング 監督グリゴリ 鞏督ジョージ・シドニー 主演インノケンティ・スモクトウノフスキー、アナス・「ハムレット」英・六九年 主演キャスリン・グレイスン、ハワード・キール リチャードスン タシア・ヴェルチンスカヤ 監督トニー ・「ロミオとジュリエット」英・伊・五四年① 主演ニコール・ウィリアムスン、マリアンヌ・フェイ ・「ロミオとジュリエット」伊・六四年 監督レナート・カステラーニ スフル 主演スーザン・シェントール、ローレンス・ハーヴェイ監督リカルド・フレーダ デクスター、ジェロニモ・メニエル・「ジュリアス・シーザー」英・七〇年① 主演ローズマリー・ ・「オセロ」ソヴィエト・五五年 監督スチュアート・ヾ ・「オセロ」英・六五年 監督セルゲイ・ユトケーヴィッチ 主演チャールトン・ヘストン、ジェースン・ロバーズ 主演セルゲイ・ポンダルチュク、イリーナ・スコブッ監督スチュアート・ヾ ・「リア王」 ( 日奎不公開 ) 英・七〇年 主演ローレンス・オリヴィエ、マギー・スミス ・「フォルスタッフ」 ( 「ヘンリー五世」「ヘンリー六世」監督ビーター・プルック ・「十ニ夜」 ( 日杢不公開 ) ソヴィエト・五五年 主演ポール・スコフィールド、アイリーン・ウォース 「ウインザーの陽気な女房たち」からの脚色 ) スペイン・ 監督ヤコフ・フリード ・「リア王」ソヴィエト・七一年 スイス・六六年① ・「リチャード三世」英・五五年① 報 月 ・コージンツェフ 監督グリゴリー 監督オーソン・ウエルズ 監督ローレンス・オリヴィエ 主演ュー ・ヤルヴート、ワレンチナ・シンド 主演オーソン・ウエルズ、ジャンヌ・モロー 主演ローレンス・オリヴィエ、クレア・プルーム リコワ ・夐の夜の夢」 ( バレエ版 ) 米・六六年 ・「ロメオとジュリエット物語」 ( バレエ ) ソヴィエト・ 世 六四年⑨ 六〇年 ーー・・エット . ートン
《訳者紹介》 永川玲ニ一九ニ八年生れ。英文学者。主要著訳書『こ とばの政治学』、シリトー『土曜の夜と日曜 の朝』、シェイクスビア『ハムレット』「マ クベス』、ジョイス『ュリシーズ』 ( 共訳 ) 他。 小池滋一九三一年生れ。泉女子大教授。英文学。 主要者訳書『幸せな旅人たちーイギリス・ ビカレスク小説研究』、デイケンズ『オリ ヴァー・トウイスト』『荒凉館』 ( 共訳 ) 他。 井出弘之一九三六年生れ。泉都立大教授。英文学。 トマス・ハインド『犠牲はいつも処女』、 ゴールディング『我が町、ばくを呼ぶ戸它 ンチャー・マーティン』他。 報 ・『さすらいの旅路』 ( テレビ映画、日本では劇場公開、 監督クライヴ・ドナー 月 原作『ディヴィッド・コバーフィールドし米・七〇年主演ジョージ・ o ・スコット、テイム・カリー ート・マン 監督デルバ ・『クリスマス・キャロル』 ( テレビ映画、日大未放映 ) ・『狂乱の群れをよそに』 ( 日本未公開、サイレント ) 和 主演ロビン・フィリップス、スーザン・ハンプシャー 世 米・八四年 英・一五年 ・「大いなる遺産 ( テレビ映画、日木未放映 ) 英・七四年監督クライヴ・ドナー ー・トリ / プレ 督ラリ 監督ジョゼフ・ 主演ジョージ・ o ・スコット、ナイジェル・ダヴェン・『カスタブリッジの町長』 ( 日木未公開、サイレント ) 主演マイケル・ヨーク、サラ・マイルズ ポート ・『キルプ氏』 ( 日・杢不公開、『骨董屋』のミュージカル・『 3 人のゴースト』 ( 『クリスマス・キャロル』の現代監督シドニー・モーガン 版 ) 英・七五年 版 ) 米・八八年 主凍フランチ・スウィート、コンラッド・ネーゲル 監督マイケル・タクナー 監督リチャード・ドナ ・『遙か群衆を離れて』 ( 原作『遙か狂乱の群れを離れ 主演アンソニー ディヴィッド・ 主浦ヒル・マーレー、カレン・アレン⑨ て』 ) 英・六七年 グス ・「リトル・ドリット』 ( 日・杢不公開 ) 英・八八年 監督ジョン・シュレシンジャー ・『ニ都物語』 ( テレビ映画、日木未放映 ) 米・八〇年監督クリスティーン・エドザー 主演ジュリー・クリスティ、ピーター・フィンチ、テ 監督ジム・ゴダード 主演アレック・ギネス、デレク・ジャコビ レンス・スタンプ⑨ 主演クリス・サランドン、ビーター・カッシング ・『オリバー / ニューヨーク子猫ものがたり』 ( 『オリ ・『テス』 ( 原作『ダーバヴィル家のテス』 ) 仏・英・七九年 ・『オリヴァ・ツイスト』 ( テレビ映画、日本未放映 ) ヴァ・トウイスト』のディズニー ・アニメ版 ) 米・八八年監督ロマン・ボランスキー 米・八ニ年 監督ジョージ・スクリブナー 主演ナスターシャ・キンスキー、ビーター・ファース ( ① ■次回配本 ( 九 0 年七月ニ十日刊行 ) ■好評既刊″】 ⑤イギリスⅣゴールディング『蠅の王』、カズオ・イ ⑨フランスⅣ シグロ『タ餉』等、慴の長短編。 人間存在の不条理を訴える時代精神の光と陰。日本 ⑦フランスⅡモーパッサン、フロべール : ソラ等、 文学にも多大の影響をケえた、サルトル、カミュ、 の長短編に加え、—: ドレール『悪の華』を収める。 ジュネらの実存主義からスーヴォーロマンに手る、 ⑩ドイツⅢ・中欧・東欧・イタリア本邦初訳、クン 戦後フランス文学の隹下人 デラ『存在の耐えられない軽さ』ほか、カフカ等。 力、、、ユ 『異邦人』 ⑩ロシアⅡドストエフスキー『罪と罰』、トルスト サル 「壁』『水いらす』 イ「アンナ・カレーニナ』の一一大巨編を一挙収録。 ジュネ 隊日起 ⑩アメリカⅡフィッツジェラルド、 ヘミングウェ セリース 「なしくずしの死』 ( 完全版テキス イ等の失われた世代の作品と現代短編集ろ トによる全面改訳 ) ⑩アメリカⅢべロー、ポールドウイン、バ ースの大作。 O ・シモン ⑩ラテンアメリカプイグ、ドノソの作も本邦初 ロプグリエ 身ン』 ( 本邦初訳 ) 訳て収録。眩暈の魔術的リアリズムの世界。