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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

報 とめたり、俳優として出演し、短編喜劇『チェス狂』を初演出した。明 自覚が作家の側にあって初めて可能になる行為だとも言えるだろう。 実際、それだけ高い社会的地位を持っていたということが、ソ連文一一作目には、。、ヴロフの条件反射理論をわかりやすく映像化した『頁 学の栄光の証てあると同時に、悲惨な運命の原因ともなったのてあ 脳の構造』を発表し、次いて一九二六年に手がけたのが『母』てあ世 る。こういった事情は、ペレストロイカが進められている見代ソ連る。 ても本質的には変わっていないように田 5 われる。果たして、「ゴルバ シナリオを書くことになった若手ライターのナタン・ザルヒは、 チョフへの手紙」が未来のソ連文学史の一頁を飾るような日が来る ゴーリキーの思想、人間像を映像に置き換えるのがいかにむずかし のだろうか ? いかを知っていた。そこて、事件を原作以上にドラマチックに描く こと、葛藤を明確にすること、副次的なエピソードや登場人物を思 いきって削除すること、場合によっては原作を再構成することもあ り得ること、といった・万手なに拠ってシナリオを仕上げた。列えよ 父のミハイル・ヴラーソフは原作ては病死するが、映画てはスト破 筈見有弘 りに加わり乱闘の中て死ぬ。息子のパーヴェルが投獄され、母ニー ロヴナが目覚める過程は原作よりずっと単純化されている。ラスト ソヴィエトの映画史はゴーリキー文学を映画化した一一つの名作を 生んている。ブドフキン演出の『母』と、ドンスコイ監督による『幼はかなり劇的に改変されている。 そのために原作よりいささか規模が小さくなり、母親の人間像も 年時代』てある。 いくらか変化したが、主題は骨太に打ちだされ、ラストては感動が 十九世紀末にペンザ市のインテリゲンツィアの家庭に生まれたフ セヴォロード・ブドフキンは、文学と演劇をはじめ天文学、生物学、 高まる。文学作品を映画にする場合、一方ては原作文学の忠実な映 化学に興味を示し、モスクワ大学ては理学部に学ん・ ' たたが、宀一↓未画化の方法があり、一方ては映像ならてはの表現に置き換えるため なかばにして第一次世界大戦の戦場に送り出され、負傷して捕虜と に原作を大胆に改変するやり方がある。どちらを選択するか議論の あるところだが、ザルヒとブドフキンは後者によって映像の特性を なり、脱走して帰国した時は革命が終わっていた。しばらくの間 化学工場に勤め、戯曲、詩作などを試みたのち、国立映画学校に入精一杯生かしたのてある。むろんサイレント映画だったということ も老箙にいれなけれよいけよ、 学。舞台演出に参加したあとて、映画理論家て演出家レフ・クレシ 大胆な脚色をした場合、原作者は不満を表明することの方が多い ョフの《クレショフ工房》と呼ばれる実験集団に参加、助監督をつ 連載■世界の文学・映画ノート⑩ ( ロシア文学 ) かっとう

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

報 ーの死まて一一人は親しくつきあうことになる。 さて、『持っと持たぬと』の映画ヒをワーナー・プラザースに買 筈見有弘わせたホークスは、し「かりした手腕を持「脚杢豕ジールズ・フ和 アーズマンにまずシナリオを執筆させたあと、フォークナーに手を 加えさせた。ハ リー殳にハンフリー・ホガートを起用することはす 原作がヘミングウェイ、脚色がフォークナーーーやがてノーベル ぐに決まったが、マリー役の女優はなかなか決まらず、結局、ホー 賞を受賞することになる作豕一一人が参加している唯一の映画として クスは元モデルのローレン・ 、コールを起用することにした。撮影 一九四四年の『持っと持たぬと』 ( 映画邦題『脱出』 ) がある。 が進むにつれて花開いたポガートとバコールのロマンスも有名だが、 企画を考えたのはハワード・ ホークス監督てある。ハリウッドの ここはそれ ) 五る切′しはわはい。 映画人の中てもユニークな人脈を持っていたホークスはどちらの作 家とも懇意にしていた。 ヘミングウェイとはキーウエストやサンヴ ハコールのスクリーン・テストを行うにあたってホークスの書い たセリフは、彼女がドアにもたれてこう一一一口うのだつご。「ロ笛の吹き アリーへよく釣りや狩猟に行っている。『誰がために鐘は鳴る』も『陽 はまた昇る』も最初に映画化を意図したのはホークスだといわれる。方、知ってるてしよ。唇をすばめて、息をだせばいいのよ」 スクリーンから送りだされた名セリフの一つとされるこのセリフ ホークスはヘミングウェイに映画のシナリオを書かせようとしたが、 ヘミングウェイはまったくのってこない。 そこてホークスは、へ、 はそもそもは映画の中て使う予定にはなっていなかったのだ。それ を、場所をホテルの一室に設定し、きっかけになるセリフを加えて ングウェイの最も出来ばえの悪い小説を面白い映画にしてみせると 映画の中に挿入しようという案を思いついたのがフォークナー ししたした。この最も出来ばえの悪い小説というのが『持っと持た かんこつだったい ところて完成した映画はヘミングウェイの原作小説を換骨奪胎、 ぬと』てあるという占ぞ一一人の意見は一致した。 どころか両者の間にはほとんど接点がなくなっている。最も大きな 一方、フォークナーは、『響きと怒り』『サンクチュアリ』などを発 表していたものの小説だけては生活が出来ないとあって一九三一一年原因は、一一年前にヒットした、やはりポガートの『カサプランカ』 、ことりいれていることによる。会社も、 以来、ハリウッドと関わりを持っていた。てしばらく仕事をの状況、人物設定を意識的 ( していたが、フォークナーの小説『急旋回』を気にいったホークス第一一次大戦末という時代もそれを要求した。 ヘミングウェイは原作を提供したにとどまるのだからさておく が、それをシナリオにするよう依頼したことから交際が開始された。 として、フォークナーはこの映画、さらにいえばハリウッドの中′し これは『今日限りの命』というタイトルの映画 ( 一九三三年 ) にな どのような役割を果たしたのてあろうか。それを知るのはなかなか ったが、狩りと飛行機操縦、とりわけ〃ストーリーを語る , ことに にむずかしい。フォークナーがハリウッドと関わっていた時代の映 興味を持っていた一一人には共通したところがあり、以来フォークナ 連載■世界の交学・映画ノートエ アメリカⅡ

3. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

報 月 んてみると分かるのだが、その差は歴然としている。当然のことな 世 きない どうしても臼人居住区から遠くの黒人居住区を仰ぎみると 筈見有弘 いう感じは拭いきれないのてある。 ところて、手紙には、今年 ( 一九九一年 ) の後半からはハー 昨年 ( 一九九〇年 ) の四月、來示・白山の一一一百人劇場て「中国映 ド大学へ各只教授として赴く旨が記されていた。クツツェーにとっ ぜをう 画の全貌」という催しがあった。戦後の中国映画の、一九五〇 て数年ぶりの米国滞在てある。クツツェーはベトナム戦争の時期に から今日まての主要作品六十本ほどの上映てある。近年話題になっ 一一十代の後半をアメリカて過ごしている。それは、結果的には最刀 こんどは湾岸戦ているニューウェープといわれる映画作家たち以前の作品に接する の作品『ダスクランド』を生み出した滞在だった。 争直後のアメリカてある。大国アメリカの今回のカの行使に、南ア機会にあまり恵まれなかったばくとしてはっとめて見るように心が の作家クツツェーはどのように「南ア的想像力」を働かせるのだろ ろじん 本巻てとりあげられている文豪の小説の映画化ては魯迅の『薬』 うか。私には、バクダッド空爆の映像が『ダスクランド』の場面と ばきん ( 八一年 ) 、『阿正伝』 ( 八一年 ) 、巴金の『家』 ( 五六年 ) 、『寒夜』 ( 八 重なりあって仕方がないのてある。 らくだ ぼうじゅん さて、クツツェーの作品は、今後もポスト・モダンへの傾斜を深四年 ) 、茅盾の『林商店』 ( 五九年 ) 、それに老舎の『駱駝の祥子』 ( 八 めていくのだろうか。そうかも知れない。そう期待している人々も一一年 ) 、『茶館』 ( 八一一年 ) なども見ることが出来た。魯迅の『僵』 多いだろう。しかし、私としては『鉄の時代』に描かれた質感のあ ( 五六年 ) 、記録映画『魯迅伝』 ( 八一年 ) も上映されたが、機会を逸 る人々やケープタウンの風景の方に、やや一方的だが、期待してい 八一年に魯迅の『薬』や『阿正伝』が映画になり、記録映画ま る。いずれにしろ、私のように南アの白人文学にはやや距離を置こ いま五十歳を越えたばかりのクツツて作られているのはその年が文豪の生誕百周年にあたったからてあ うとする立場の者にとっても、 る。『薬』は、清朝末期の紹興の町が背景の物語て労働者の住む界 エーは、今後も気になる存在てありつづけるだろう。 ( アフリカ文学 ) 隈て小さな茶館をいとなんている夫婦がおり、一人息子は肺病をや んている。肺病には人の血をしみこませたマントウ ( まんじゅう ) が 牛交薬たといわれ、夫婦は高い金を払って首切役人からそれを買う 連載・世界の文学・映画ノート⑩

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

ニューウェープといわれる作家たちによの世代て、多くは七〇年代から活動を開始、やはり自分の国の伝統 最初にも聿日いたように、 や文化を大切にしながら、気負わすに落着きのある描写をしめして って中国映画はにわかに脚光を浴びたのてあるが、こうして見てい くと、この国の映画にもみごとな伝統のあることがわかる。『林商店』 しんはん そして第五世代が、『黄色い大地』 ( 八四年 ) 、『子供たちの王様』 ( 八 の水華、『家』の陳西禾、『阿正伝』の岑范たちは第三世代に属する ちをかいか 七年 ) の陳凱歌、『赤いコーリャン』 ( 八七年 ) 、『菊豆』 ( 九〇年 ) の ハリウッド映画の影響を受けていた 映画作家といわれるが、戦前 中国映画を見て育ち、新中国設立後の一九五〇年代から演出活動を張芸謀といった映画作家たちぞ、彼らの作品が国際的に評価される 始めている彼らは、映画表現の伝統を継承し、新生中国にふさわし ことて、中国映画はにわかにクローズ・アップされた。この世代は ふようちん い題材を選んている。第一回茅盾賞を受けた古華原作『芙蓉鎮』 ( 八文化大革命という困難な状況の下て青少年期を送ったことが、ハネと 七年 ) が日本ても話題になった謝晋もこの世代の一人てある。 なり、また外国のさまざまな文化に接する機会が増えたことが刺戟 けつぶん 『薬』の呂紹連や『寒夜』の闕文は第四世代に属する。壅星国際映 となって、大胆な題材、映像や色彩表現に挑んている。 画祭てグランプリを得た『古井戸』 ( 八七年 ) の呉天明、昨年ようや ばくは昨秋、一一年ぶりて上海を訪れたが、相変らす映画館に人が く日本ても上映された『蕭蕭 ( シャオシャオ ) 』 ( 八六年 ) の謝飛もこ群がっている光景を見て、映画は相変らず娯楽の中心だな、と思っ ご。ところが、実際にはいろいろ間題を抱えているらしい 来日した謝飛監督が「日経エンターテイメント」誌のインタビュ ーて語っているところによると ( 一九九〇年十一月一一十八日号 ) 独 立採算システムが徹底し、各撮影所は製作費を自分たちて稼ぎ出さ ねばならなくなったこと、その結果、娯楽一辺倒の作品が増え、芸 術映画の質が落ちていること、さらに年間に作られる約百六十本の 自国映画より、輸入される五十本の外国映画の観客動員数が多いこ と、そして天安門事件以後、映画製作に必要な当局の審査がきびし くなっていることなどを挙げている。ようやく世界の注目を集める ようになった中国映画だ、ぜひ苦境を切り抜けてほしい。 ( 映画評論家 ) 上 / 『寒夜』 ( 巴金原作 ) 虹芳なインテリ注文宣 ( 許還山 ) と 彼の美貎の妻・曽樹生 ( 潘虹 ) 世界の文学・月報 7

5. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

ドといった今世紀の作家たちに驚かされた時にも、その感動の底に ン家の方へ』の第一一部『スワンの恋』は、一九八一二年にフォルカー・明 シュレンドルフによって映画化され、日本ても公開されているが は常に少年時の感想が横たわっていたように田 5 われる。 しっそう この作品が実現するまてには一一十年以上の歳月が必要だった。 この印象は、『オノレ・シュプラックの失踪』や『壁をぬける男』と 世 いた幻想怪奇譚を見ると一層はっきりする。ドイツの屋大可物に特製作にあたっているニコール・ステファースがマントⅡプルース ちみもうりようばっこ 徴的な神と人との関係、魑魅魍魎の跋扈するロシアのそれ、炉辺てト夫人から『失われた時を求めて』の映画化の権利を穫得したのは 一九六一一年のことてある。このニコール・ステファーヌは、ジャン・ 火にあたりながらどうすれば一番効果的に背筋を寒くさせられるか、 ・メルヴィルが一九五〇年に映 ということに専むするイキリスのゴシックロマンスといった各々見コクトーの小説をジャンⅡビエール しゃれ 事な世界に対して、フランスの幻想小説ー ( 冫 よ洒落のめした機知と意表画化した『恐るべき子供たち』て主人公姉弟の姉、最後には拳銃自 しよせん 殺をして弟を追うエリザベートを演じた女俊′ー - あり、その後、短編 をつく奇想て一歩もゆすらない。人間なんて所詮こんなものさ、と 舌をベロリと出すその裏て理知が行きつく哀しみをさりげなく教え映画の演出やプロデュースに転じた人てある。 ソラの『居 てくれる。 ステファースは最初ルネ・クレマンに演出を依頼した。、、 せいち 人は何かに行き詰まると、割合簡単に神秘主義に逃げ込んだりす酒屋』て十九世紀パリを精緻に映像に描き込んだクレマンに白羽の る。事実ここ三十年ほどは、近代のひずみをただす、を標語に神秘矢を立てたのは当然てあるが、やがてクレマンはこの仕事から離れ 主義が世界中て勢いを得ている。僕自身にもこうした神秘主義を好る。『失われた時を求めて』を映画化することの困難さを悟ったのか、 むところはある。が、そこにのめり込みそうになると、きまって僕製作費を食いすぎることがわかったのか、どちらかてあろう。 の耳元てクバランスが大事だよ〃とささやく声がするのだ。そんな時次に登場するのはルキノ・ヴィスコンティてある。ヴィスコンテ くどく イがトーマス・マンを愛読していたことは前回この欄に書いたか 『星の王子様』世代だった功徳は、やはり確かにあったのだ、と深く ( 作家 ) ヴィスコンティはプルーストにも若い頃から並々ならぬ関心を抱い 感じ入ってしまうのてある。 ていて、『失われた時を求めて』に取り組むことは生涯の夢だった。 一九六五年、『地獄に堕ちた勇者ども』を撮り終えようとしていた ヴィスコンティは、さっそく検討を始める。膨大な大河小説のうち どの部分を取り上げるか、むろん最初の大間題てあるが、ヴィスコ ンティは第四編『ソドムとゴモラ』しかありえないと考え、エンニ オ・フライアーノにシナリオ執筆にあたらせた。しかし、仕上がっ たものはヴィスコンティの意にそわなかったのて何人かのライター 連載■世界の文学・映画ノート⑩ 筈見有弘 マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第一編『スワ

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

報 『臼痴』のわが黒澤明などがその例てある。 ず、女形の俳優がロシアの女性を演じたのだから、なんとも遠い昔 むろんこれはすぐれた個性を持っ映画作家が彼ら流に映像化した の話だ。これは大ヒットして続編、続々編も作られたし、映画会社 ものてあるが、ドストエフスキー文学にひめられた、作者の意図を は調子に乗ってやはりトルストイの『生ける屍』まて取り上げてい 世 乗り越え、現代社会をゆさぶる毒性が彼らをして映画化に駆り立て る。むろん著竊の意識のなかった時代なればこそだ。 ているのだ。ちなみにワイダが坂東玉三郎にナスターシャとムイシュ そのようにロシア以外てもトルストイやドストエフスキーの小説 の映画化はかなりあったようだが、革命以後になると、むしろ他国キン公爵の一一役を演じさせて、『臼痴』を大胆に舞台劇化した『ナス ターシャ』も、べニサン・ピットという来星の小劇場の空間にドス ての映画化の方が目立ち、その傾向は一九五〇年代末まて続く。む トエフスキーとワイダと玉一一一郎の芸術をからませあった奇妙な実験 ろん、有名文学の映画化には興行バリューがあるということもある によって ( た が、この一一巨匠の作品の多くは起承転結のはっきりしたストーリー さて、よその国てはドストエフスキーやトルストイの映画化が盛 ドラマ性があり、換骨奪胎させてしまったという批評家の非難をお それずに映画化すれば、一般大衆を興奮させるには十分な要素が備んだったのに対し、本国ソ連ては郵以後あまり活発とはいえなかっ わっているからた。 た。時代の流れの中て文学そのものの評価が変わっていったために ったという事清もあったろう。ことにスタリーン晩年 『アンナ・カレーニナ』は、グレタ・ガルボが二度演じ ( 最初はサ手がけ イレント映画 ) 、ヴィヴィアン・リーも扮しているが、ハリウッドやの硬直した芸術・文化政策の影響は否定てきまい。革命期以前の文 学にようやく正当なバランスが回復されるのは一九五六年のスター ロンドンの映画人の手にかかれば、一代の大スターが取り組むにふ へんほう リン批判以後のこと。てあるが、その少しのちから、一九六〇年代の さわしい悲劇のヒロインに変貎する。不△間、自殺と、ドラマチック 末にかけてソヴィエト映画界は侍ってましたとばかりに文芸大作を な要素にこと欠かない商業的なメロドラマに仕立て上げられる。 送り出すことになる。 ドストエフスキーていえば、『白夜』は橋の上。て出会った男と女・ : -z 、ルス—z ・イー その時期に生まれた文芸映画は、ドストエフスキー というわけて、文学的な香りのするロマンチック映画に再生てきる し、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』は名優たちの演技の競いあの原作に限ったこと、てはなかったが、軸になっているのはこの一一大 の昜ごっご。 文豪の小説の映画化だった。前者ては『白痴』『白夜』『カラマーゾ ー、十ノ学 / フの兄弟』『罪と罰』、後者ては『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』 ドストエフスキーの文学にはさまざまな国の一流映画作家も関心 がこの期に作られている。ことに十月革命五十周年記念と銘うち、 をしめしている。『白夜』に取り組んだイタリアのルキノ・ヴィスコ レ 三部におよぶ超大作として公開された ( 日本ては一一部作として公開 ンティ、フランスのロべー ・プレッソン、近年てはフランスて『悪 された ) 『戦争と平和』は、スケールの点て項点に立つものだ 霊』を発表したポーランドの映画作家アンジェイ・ワイダ、それに

7. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

にはフランス映画の黄金時代を支えた名匠たちが多い。それほどゾラナナ』を選んだのてあるが、父のモデルから彼の妻となったカトリー ス・エスランをナナ役に起用したこの作品は、この女優の固生勺な美 の描いた世界は映画作家の食指を動かすものらしい。 『女優ナナ』と『獣人』を映画化したジャン・ルノワールは、 ( 、うまてしさを強調することに彼の関心が傾きすぎていたようだ。だが、十三 もなく画家オーギュスト・ルノワールの次男てあり、最初は陶芸など 年後の『獣人』において、ルノワールはゾラ文学に映像の息吹きをあた の仕事にあたっていたが、やがて映画に魅せられることになる。その える。すぐれた映画評論家バザンは、小説の『獣人』の欠点をいくつか 大きな契機となったのはエリッヒ・フォン・シュトロハイム監督のあげた上て、「全体的に見て、ルノワールはほとんどすべての占ぞ小説 ハリウッド映画『思かなる妻』 ( 一一一年 ) を見たことによる。徹底した自を改良したと言えよう。鉄道員の世界は、映画ても小説に劣らないほ 然主義描写によってモンテカルロの上流階級の腐敗を描いたこの作 どよく描かれている。映画はしばしば小説を凌駕しており、癶物人物 品を少なくとも十回は見たルノワールは、「フランスのリアリズムの の正統化はまさに小説以上てある」 ( 前書 ) とさえ評価するのだ。 伝統のなかに真実の主題をなげ入れることによって観客の心を動か ばくも、この『獣人』と、前にもふれた一一つの『テレーズ・ラカン』と、 すことの可能性を垣間見た」 ( アンドレ・バザン著『ジャン・ルノワー ルネ・クレマン版の『居酒屋』は、名作と呼ぶにふさわしいゾラ文学の ル』奧村昭夫訳、フィルムアート社刊 ) のだという。 映画化と考えているが、ことにクレマンの『居酒屋』は、いま眼をつぶつ こうして映画作家としてスタートしたルノワールは一一作目て『女優てもいくつかの場面がよみがえってくるほどに鮮烈な印象を残して クレマンの『居酒屋』の原題は、ゾラの原題をさけて『ジェルヴェー ズ』となっている。日本ての封切り題名が『居酒屋』となったのは、原作 が有名だったからだろう。しかし、フランスの原題をそのようにした のは、映画の作り手たちがジェルヴェーズを核とし、それをめぐる人 のろ 物や社会を描こうとしたからに他ならない。ゾラは、呪われた血、この 場合はアルコール中毒の悲劇を主題としたのに対し、クレマンはジェ ルヴェーズの運命的な悲劇を描くことに主題を移動させている。 報 クレマンは、『禁じられた遊び』 ( 五一年 ) ても第一一次大戦下の社会、生明 活を描きこむことによって幼い主人公たちの悲劇を浮かび上がらせ 世 一『女の一生』 いンヤンスに〔する マリア・シェルと 夫のジュリアンに扮する クリスチャン・マルカン

8. 集英社ギャラリー「世界の文学」 月報

冒険をふたたびくりかえすのなら精神病院に監禁されるほうがまし だ、し」田 5- フト , フにた : る。・伐か王・」日ノいナ、カ、らし」い - フこし J 、′し 2 たいトフ 筈見有弘だが、マルカム >< の伝記映画も結局流れてしまった。 このエピソードはポールドウイン自身が『亜が映画をつくった』 ひれき ( 原題『 The DeviI Finds Work 』山田宏一訳、時事通信社 ) て披瀝し ジェイムズ・ポールドウインは一度だけ映画の仕事にかかわった ていることたが、この本は、七歳ぐらいてジョーン・クロフォード ことがある。アレックス・ヘイリーによる『マルカム自伝』がそ主演の『暗黒街に踊る』を見たときの記憶から始まる作家の映画遍 れて、最初、ールドウインはエリア・カサンらと舞台劇にしよう 歴についての著てある。わが心の映画館とてもいうべきものだが、 と語っていたのたが、やがてそれはハリウッドのプロデューサーによ映画を通じてのアイデンティティ発見の旅が語られていて、エッセ って権利が買われ、コロムビア社て映画化される話へと発展し、一 イと呼ぶ以上の重みがある。 九六八年の初頭、ポールドウインはシナリオを書くためにハリウッ 少年期にポールドウインは、いわゆるハリウッド黄金時代の作品 トへ飛んだのだった。 をかなり見込んだようだが、やがて、自分の知っている世界の人間 小説家が映画の仕事にあたった場合の多くの例にもれず、彼も映がスクリーンにめったに姿をあらわさないことに気づいてい 画の仕組みが理解てきず、文句をつけられつばなしだった。や時のハリウッドには黒人の人気コメディ・リリーフが何人もいて、 がて撮影所は彼に協力者をあてがった。ポールドウインが毎週、一「あわてふためく召使のような役を演じていたが、そんな人間は現実 三のシーンを書いて渡すと、映画の専門家てあるその協力者はそれ には存在しないと考えるよ - フになる。 を持ち帰り、映画的に翻案するという分担作未が始まった。 マーガレット・サラヴァンやべティ・デーヴィスやキャロル・ロ 例えば、田舎から出てきた少年時代のマルカムがハーレムのバ ンバードのような白人の女優が彼の心をゆすぶったが、手のとどか に入って、 しくくだりても ' 映画的に翻案されたみものになると、た ないところから感動させているにすぎなかった。『暗黒街の弾痕』な どのシルヴィア・シドニーが 、彼に黒人の少女あるいは婦人を思わ ちまち『真昼の決闘』に化してしまう。そんな具合だから、書きな おされたシナリオは『戦争と平和』より膨大なものになっていき、 せる、ということは現実を喚起させるただひとりのアメリカ映画の しかも主題からは逸脱してい ・ス優だった。 つまるところ、ボールドウインはハリウッドを去り、あのような 男優て彼が真に同化てきたのはヘンリー・フォンダて、『怒りの葡 連載・世界の文学・映画ノート⑤ ア メ リ カ 世界の文学・月報 5

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報 月 舎町という設定てはなく、現代に書き換えての映画化もある。 子 これらの作品のうち見ていないものもいくつかあるが、ゾラに興味和 世 を抱くようになったのは戦後に封切られた作品を見てからのことだっ た。『獣人』や『女優ナナ』や『居酒屋』を見て、『居酒屋』の少女ナナが成 長して『女優ナナ』となり、『居酒屋』のヒロイン、ジェルヴェーズが前 夫ランチ工との間に生んだ三人の男の子のうちの一人、ジャック・ラ ンチェが成長して『獣人』てジャン・ギャパンの扮する機関手になる のだといつごレ ーゴン日マッカール叢書の結びつきも面白かった。 レ ーゴンⅡマッカール叢書てはないが、『テレーズ・ラカン』を映画 筈見有弘 イした『嘆きのテレーズ』 ( 五一一年 ) もまた現代のリョンに設定を変え てあった。このことは、ゾラの取り上げた間題が現代にも通じること ーゴンⅡマッ かってフランスの映画作家・たちは、ゾラの、ことにル を物語っている。この名作『嘆きのテレーズ』の監督はマルセル・カル そうしょ カール叢書を映像化することにかなり熱意を燃やしていたようだ。 ネだが、彼の師にあたるジャック・フェデールもサイレント期の一一八 サイレントの昔にはジャン・ルノワールが『女優ナナ』 ( 一九一一五年 ) 、年に『テレーズ・ラカン』に取り組んだことがあり、門下のカルネが磨 マルセル・レルビエが『金』 ( 二九年 ) 、ジュリアン・デュヴィヴィエが きをかけたといつごところたろ - フ 『婦人の幸福のために』 ( 三〇年 ) 、トーキー後てはジャック・ド・、 ゾラの小説はハリウッドてもいくつか映画になっているが、それよ ンセリが『 ~ を ( 三一年 ) 、ガストン・ルーデスが『居酒屋』 ( 三二年 ) 、ふた りも有名なのが一九三七年に発表された伝記映画『ゾラの生涯』てあ たびジャン・ルノワールが『獣人』 ( 三八年 ) 、クリスチャン日ジャック る。《名ホール・ムニがゾラに扮し、生を忠実に追 - フとい - フよりは、 たんがい が『女優ナナ』 ( 五五年 ) 、ルネ・クレマンが『居酒屋』 ( 五六年 ) 、これも ドレフュスの悲劇を中心にすえ、あの「私は弾劾する」をヤマ場におい 再度デュヴィヴィエが『奧様ご用心』 ( 『ごった煮』の日本ての映画題名、ての映画化だ。当時、ナチ・ドイツからの亡命者をかかえていたユダ 五七年 ) 、ロジェ・ヴァデイムが『穫物の分け ~ 掣 ( 『穫物の奪い合い』のヤ人社会ハリウッドのお気に召したとみえて、アカデミー賞をとって 日本ての映画題名、六六年 ) といったぐあいにル ーゴンⅱマッカール 叢書から題材を得ている。すべてが十九世紀の第一一帝政下のパリと田 話をフランス映画に戻すと、ゾラの文学に取り組んだ映画作家たち っ′、に 純粋な精神が石の殻の下て生いいずるー ( 篠Ⅲ知和基氏訳ネルヴァル『火の娘たち』より ) こ耳を澄ます。 外国の始原の無一高の " 言語″。その " 無言の言語み ( ( 詩人 ) 連載■世界の文学・映画ノート⑥ ~

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女とジプシー』も演出していて、ロレンスには田 5 い入れが強いようウエン ) 、ジェニー・リンデン ( アーシュラ・プラングウエン ) とい たか、こちらも日本未公開に終わっている。 う、その頃アプラの乗り切っていた、冫技派四人が主演しているが さて、結局のところ、われわれの見ることの出来たロレンス作品彼らは肉体をあらわにしてセックス・シーンに取り組む。だが、た の最もすぐれた映画化はケン・ラッセルの手がけた一九六九年のイ とえば林の中てアーシュラとルバ ートが結ばれる描写にしても、か ギリス映画『恋する女たち』ということになろう。 なり克明だが、映像は美しい ラッセルといえば、映画好きならばスキャンダラスな題材やケレ 暖炉のある部屋てルバ ートとジェラルドの一一人の男性が全裸て ン味のある映像を思い浮かべるてあろうが、『恋する女たち』はたい えんえんと体をぶつけあう場面も話題を呼んだものだが、奇をてら へんオーソドックスな作品てある。もともとテレビてイギリスらし った演出にならず、セックスと人間とのつながりを解く口レンスの い地道なドキュメンタリーをこなしてきたラッセルは、この初期の思想が映像から伝わってきた。 作品ては、セックスの行為に対しても好奇の眼てはなく、冷徹な観 その後もセックスと人間のつながりを描くことになみなみならぬ 察眼てみつめ、それが効果を挙げているのてある。 関心を寄せ続けてきたラッセルだが、『恋する女たち』からちょうど カーディフの『息子と恋人』ては水墨画のようなイメージだった一一十年後の一九八九年にふたたびロレンス文学に挑んだ。しかも『恋 ロレンスの故郷、イングランド中東部ノッティンガム州ィーストウする女たち』の前編にあたる『虹』 ( 日本題名『レインボウしてある。 ッド地方の炭鉱町が今度はカラーて美しく、鮮やかにとらえられて『恋する女たち』てガドランを演じてアカデミー主演女優賞を得たグ いる。今世紀初頭の風俗、風物の描写も克明てあり、こうてなくてレンダ・ジャクスンがガドランとアーシュラの母親アンナ・プラン ふん はロレンス文学は生きない。 グウエンに扮し、アーシュラには最近注目されているサミ・デイウ 一九六〇年代の後半といえばアメリカやヨーロッパて映画におけ イスを配置するというキャスティングだ。 る性描写の基準がかなり緩和した時期てあり、いわゆるハード・コ 原作をラッセル自身がかなり自由に脚色している。虹のかなたに あこが アのポルノ映画も登場しはじめたのてあるが、そんな時代だからこ 夢を追い、 自由奔放な生き方にれる少女アーシュラは女教師ウィ そ、ロレンスにスポットが当たったともいえる。といってラッセル ニフレッド ( アマンダ・ドノホー ) によって性の手ほどきを受ける はセックス場面を扇情的に描こうというわけてはない。 が、ウーマン・リプの先駆者みたいな口のききかたをしているウィ アラン・べィッ ( ルバ ート・バーキン伐 ) 、オリヴァー・リード C シ ニフレッドは打算からあっさりとアーシュラの叔父て炭鉱成金のヘ エラルド・クリッチ ) 、グレンダ・ジャクスン ( ガドラン・プラングンリーと結婚してしまう。そのウイニフレッドの結婚式てアーシュ 世界の文学・月報 6