875 ドン・キホーテ 広き巷に伝わらん。 ぶべっ 人の侮蔑は死をまねき 疑い、いはたえがたし ひさ 久にも見ずば憂きものそ 忘れらるるを怖れては 幸まっ願いもくすおるる さあれ死のみは避けがたし われは奇跡というべきか そねみ抱きて久に見ず さげすみ受けっ忘られつ 疑い抱きながらうる。 かかる憂いに身をおきて 望みの影だにわれは見ず 望みなき身のわれゆえに 望みをかくる術しらす。 かかるなやみに身をゆだね 望みなき身とあきらめぬ。 怖れを抱く身をもちて 束の間なりと待ち望み 怖るることのあるべきや ? ねたみを抱く身をもちて 心に受けし傷口にねたみ心の見ゆるとき ちまた おそ まなこをわれは閉すべきや ? いっしかさげすみ現われて 疑念はまことと変わりゆき まことの嘘となるを見て 誰か不信をすつべきや ? 恋王国の暴君の ねたみよわが手いましめよ さげすみわれに縄をうて。 あわれこの身の苦しみに 君が思い出うすれゆく。 かくて今こそわれは逝く ひたすら迷いをいだきつつ 死にも生にもわが幸の 望みをかくることもなく。 恋する者は幸をうけ ・一いかせ 古きえにしの恋枷に 皿低 , つ、いに , つ、れい、一な , し。 つれなき君が心ばえ 姿のごとくいつくしく とが わが科ゆえの冷やかさ 恋人ゆえのなやみこそ 恋の国土のもといなる かかる一一 = ロ葉ときずなもて
ばとて、まだ目減りに到らなかったでありましよう、 ピエル・ペッティナイオが、隣人への愛から、わらわを憐れみ、その聖なる祈りの中で、 おも わらわを憶い出さなかったならば。 なれど誰そおん身は ? わらわの勘では、眼を縫い綴じられてもおらず、また気息吐きな ただ がら物言い、かくわれらの有様を糺してゆくおん身は ? 」 まなこ 「わが眼も」と私は言う、「そのうちここで私から奪われよう、ただしほんの暫し。嫉妬の わず まなざしにより、わが犯した罪、いと僅かなれば。 かん かしやくおも はるかに大きいのは、この下の冠での呵責を想い出すと、私の魂を絶えず不安にするあの 恐れ。それゆえ、かしこで見た石の負目、既に重く私にのしかかる。」 たむろ 聞いて、女人の亡霊は私に。「ならば、おん身を導いて、ここわれどちの屯に到らしめた ( 引 ) は誰そ、おん身再び下へ帰るを志すならば ? 」承けて、私。「ここに私と共におり、も の言わぬかのひと。 そして私は生きている。それゆえ、選ばれた霊よ、何なりとはばからず私に乞え、かなた 現世にて、やがて死すべきわが足を、おん身のためわが動かすこと願うならば。」 「おお、聞くもげにめずらしきことかな」と、霊の女人は答えて、「おん身への神の愛の、 大いなるしるしを今ここ に。さらば折節は、おん身の祈りにてわらわを助けたまえ。 せち こいねが ( ) すべ またわらわは、おん身の最も切に願うもの凡てにかけて冀う、おん身もしトスカーナの うから (ä) 地を踏むあらんには、わが宗族の間にわが名誉をとりもどしてくりやれ。 ( 聞 ) おん身はかれらを見よう、タラモーネの港に信をつないでいるが、実は、ディアーナの 獄河の掘出し騒ぎ以上に、そこで希望を失うあの虚栄の民の間に。 曲なれど、そこで最も多くを失うのは、かの提督たち。」 神 た 一四四 一五四 の見られるのは常のことで あった。 ( 幻 ) 光線のはたらきを拒む。 おんちょう ( ) 神からの恩寵。 たかじよう ( % ) 鷹匠の訓練を受けやすく まぶた するために、糸で臉を縫い 綴じる。 ( ) ヴェルギリウスのこうした 配慮は、地獄でダンテをゲ リュオンの背に乗せた時に も取られた。地・一七の八 三ー八四行参照。 ( 四 ) 嫉妬は良心の盲目状態、お どみである。 ( ) 浄められた良、いに、よき思 い出だけがすがすがしく今 とつながる。 ( 引 ) 存生の縁者のささぐる祈り ( ) 神の都。地・一の一二七ー 一一九行参照。その市民感覚 については、エフェソ人へ の手紙二の一九が解きあか しの鍵となろう。 ( ) 天国を故郷とする者にとっ て、地上の生活は巡礼者の それにすぎない。へプライ 人への手紙一一の一三ー 六参照。 め ( ) 相手は眼が見えぬので、近 づいたのを足音で気づかせ かぎ
りな詩人に違いない、さもなければわしには詩がわからんとサンチョの注文どおり高い声で読んだが、それは次のごとき ものであった。 言われても仕方がない」 「そうするとなんですかい」と、サンチョが言った。「旦那 「おん身がいつわりの約束と予が確固たる不運は予をかりて、 ス 、つら ふいん テ さまは詩のはうのことをご存じですかね ? 」 予が怨み言にさきだち予が訃音の君が耳に達すべきこの場所 ン 「いやおぬしが思っているより心得ている」と、ドン・キホに来たらしめ候。ああ不実なる君よ、おん身は予にすぐれた しりぞ セ ーテが答えた。「いずれおぬしは一部始終を韻文でしたためる人のためにはあらで、予よりも富める人のために予を拒け たわしの手紙を、わが思い姫ドウルシネーア・デル・トボー給いき。されどにしてもし尊ぶべき富なりとせば、予はあ うらや えて他人の幸福を羨ます、己が不幸をかこつまじ。おん身の ソ殿にもってまいる時わかろうというものだ。と申すのは、 びばう おぬしに申し聞けておくが、昔の遍歴の騎士たちのすべてが、美貌が高く掲げしものを、おん身の行為はこれを泥土にゆだ いや大部分が大吟遊詩人であり大音楽家であったと申すことね候いき。かれによりて予はおん身を天使となし、これによ だ。この二つの技能は、いやもっと正しく一一一一口えば、この二つりて予はおん身が女なることを知る。予が心をかき乱せしお てんぶ の天賦の才能は恋をする騎士たちにつきものの性質なのじゃ。ん身が上に平安あれ。また願わくば神、おん身が夫の不信と こしなえにかくし給わんことを。こはおん身のなし給いしと 昔の騎士たちの歌は技巧よりも心いきにすぐれていたことは ころをおん身みずから悔い給うことなく、予もまた予が裏切 申すまでもない」 られしことに対して報復することなきために候」 「旦那さま、もっとお読みになってくださいよ。そうすりや、 なにかわしたちにも納得のいくことがあるかもしれません手紙を読み終わってドン・キホーテが言った。 「この手紙を書いた男は、女にすてられた恋人だという以外 ぜ」 ドン・キホーテはページをめくって、 には、この手紙からはさきの詩にもましてなんの手がかりも オし」 「これは散文だが、手紙らしい」 それからその手帳をほとんど始めからおわりまでめくった 「何か用事の手紙ですかね ? 」と、サンチョが聞いた。 が、なおそのほかに詩だの手紙が書いてあって、その中には 「書出しを見るとどうしても恋文じゃ」 「そんなら旦那さま、声を出して読んでおくんなさい。わし読めるものもあったし読めないものもあった。しかしいずれ もその内容は、嘆き、悲しみ、疑い、希望、落胆であった。 やそういう色恋事がなにより好物でございますからな」 「よし、承知した」と、ドン・キホーテが言った。そうして言ってみればあるものはおごそかに、あるものは悲しみにみ
ダンテ 772 な ) け おん身の愛深き情は、請う者あらば助くるにとどまらず、みすからの意にて、請いに先 ~ 立っこと、げ・にしばしば。 あいびん たいど およ おん身には慈悲あり、おん身には哀憫あり、おん身には大度あり、凡そ被造物に存する善 みいだ にして、おん身に見出されぬもの、一つとして有る無し。 いまこの者、宇宙の最低き底立ち出で、三界の霊一つまた一つとつぶさに見つつ、ここに 達したるが、 いやはて めぐみ かた ( ) その眼もて、なおも高く究竟の救いの方へ登り得るカ求め、おん身にとりなしの恩恵を請 いたてまつる。 ま・ナ また、この者の見神のためにとてよりも烈しく、われ自らのそのために、、い燃やしたるこ こと′と かっ と曾て無きわれ、今おん身にわが祈り悉くを捧げ、その乏しからざるを祈ぐ。 むび これ、とりなしの祈りもて、おん身、かの者の色身に纏わる一切の雲払い退け、無比至高 あら の悦びの、かれに顕われしめたまえ、となり。 レジナ さらにまたおん身に願いたてまつる、欲することすべて成らざるなき大后よ、かくも大い すこやか げんざん ( 新 ) あと なる見参の後といえども、かれの清念を健全に保たしめたまえ。 こより、煩悩にうち勝たしめたまえ。見よや、べアトリーチェの、わが祈り おん身の加護レ かずおびただ の納受を願う数夥しき聖徒と共に、おん身に向かい合掌するを ! 」 とうと ↓ーいけ , れ め 祈る者へじっと注がれたその、神に愛でられ尚ばれるその眼は、敬虔な祈りが、大后の よろこ に大いなる欣びとなるかを、われらに示した。 ややありて、その眼は永遠の光へ向けられた、その光の中へ、かくも澄み極まりわけ入る 被造物の眼は、これを措いてげに他にはあるまじく。 あこがれ いやはて ( 巧 ) さて、一切の願いの究竟に、刻々近づきつつあった私は、当然のことながら、わが憬の 0 しやくねっ 火を、ここを先途と一、いに灼熱させた。 まなこ ほほえみ ベルナルドは微笑をうかべ、私にひたすら眼を上へとばかり。しかし私は、かれの欲する のを待つまでもなく、自ら進んで、既にその態勢にあった。 よろこ ( ) ま とも つ の 想起するであろう。 ( 2 ) 煉・二五の註 (S ) 参照。 ( 3 ) キリスト。三一神の第二位 格としてのキリストは、母 マリアの父とも言える。 ( 4 ) マリアの謙抑については、 煉・一〇の三四ー四五行、 ルカによる福音書一の四六 ー四九参照。 ( 5 ) 天国の薔薇において最高の 座に就く。 ( 6 ) 元后マリア。神は永遠の世 界からあらかじめマリアを 選び取り、時間の世界での 特別な役割に就かせたこと を一一一口う。天国におけるその 座席が、旧約と新約の接点 となっているのは、この事 実を踏まえたもの。 ( 7 ) 「人の子」として生れるこ ( 8 ) 人間を原罪から釈き放そう との神の愛。 ( 9 ) 天国の薔薇。 ー二九行 (E) 天・三一の一一、 では、「朝ばらけ、地平の 東の部分」にさしのばる愛 の太陽にたとえられたマリ アが、ここでは、輝きも熱 も最もさかんな、正午の太 陽としてとらえられる。 ( Ⅱ ) ダンテが地上の人であるこ
これによって明白であろう、かれに劣る性のどれもこれも、限界を持たず、みずからによ りみすからを量るあの善を容るるには、あまりにも不十分な器であることが。 みこころ み されば、すべてのものに充ちわたるあの聖意の光の箭の、必定ただ一筋に過ぎぬお身たち 人間の視力が、 おこり ( ) 本来の性として、その起原を、おのれの視界の及びもっかぬ、はるかかなたに認め得ぬと しても、非力、まことにやむを得まい このゆえに、お身たち人の世に与えられている視力の、永遠の正義に貫入する程度は、な ・こと ( 四 ) お海における肉眼の如しと言うべきか みぎわ 眼は、汀からならば底を見ることができる。だが、沖合では見えぬ。沖合に底無きにあら す、その深さ、これを隠すのみ。 やみ じんち 人智を照らす光はあらず、とこしえ曇るなきかの蒼天より来るもののほかに。あるは闇の ( 幻 ) かげ ( ) み、肉の陰にもせよ、はたその毒にもせよ。 しつよう さあこれで、おん身の前にからりと開けたぞ、おん身が執拗に問い続けてきたあの生きた と - ) ろ 正義を、おん身から匿していた隠りくの泊っる処、隠し場のたたずまいが おん身はたしかに言った。『人、インダス河のほとりに生れたとせん。そこには、クリス トについて語り、あるいは読み、あるいは書く者、誰もおらぬ。 こと 1 ) と なれども、人間の理性の判断に照らせば、かれの内なる願い、外なる行い、すべて悉く く ) う しん 1 う 善であり、その身業、そのロ業、一点の非の打ち処無し。 ただしかれは、洗礼を受けず、信仰に入らすして死んだ。そのかれを断罪するこの正義の よりどころ、いずこにありや ? かれ信ぜずとも、その咎、いずこにありや ? 』 ひかえよ、おん身何者なればとて、はるか一千哩のかなたの審判の席に、おこがましく スパンナ わず も就こうとはする、その視力、僅か一布指の短きに過ぎぬというに ? あげつら げにもげにも、私を相手にあくまでも論おうとする者にとり、炳として照らす聖書の導 きなくば、あきれるばかり疑念継起して終る期はあるまじ。 ひりき ) が そうてん や きた とが ことを三一一口 , つ。 おんちょう ( 凵 ) 神の特別な恩寵である栄光。 ( ) ルチフェル。 ( 炻 ) 神の福祉。 ち・りト ` く 智力。六四ー六五行参照。 ( ) 神意。 ( 四 ) 詩篇三六の七に、「主よお しんえんごと ん身の審きは深淵の如し」 とあり。 ( ) 無知。 ( 幻 ) 非行。 ( ) 人智の及び難い神の審判と 正義の深処。 ( ) インドのこと。当時インド は、人の住む地域の東の極 限と見なされていた。 ( ) キリスト教の。 ( ) この強い言い方は、恐らく 聖書から、たとえば知恵の 書九の一三、ヨプ記三八及 び三九、ローマ人への手紙 九の二〇の遺響。 ( % ) マラキ書三の六に、「主な るわれは変ること無し」と あるを参照。 ( 幻 ) 「帝政論』二の二の五でも、 ダンテは「かくてまた事物 に顕現する正しさは、神意 の面影にほかならぬという ことになる。されば、神意 と相和さぬものは何にせよ 正しからず、神意と相和す
セルバンテス 1224 る瀝青の一大湖が現われて、その中をへび、くちなわ、とか げ、そのほかさまざまの恐ろしき、ものすごき生き物がうよ 第五十章 、と・も非 5 しげ・ うよと泳ぎまわるおりから、池のまん中より、 ドン・キホーテと役僧ととりかわした機知に富 な声があって、『なんじ、騎士よ、この恐ろしき湖を見給う む論争、およびその他の出来事について。 おん身が何びとにもあれ、もし、この黒き水底に隠されし財 宝を手に入れんと欲り給わば、おん身が強き胸の勇をふるい て、この黒く、燃えたっ水のまん中に身をおどらせよ。もし、 「これはまた異なことを、つけたまわる ! 」と、ドン・キホー テが応じた。「国王陛下のご裁可と、審査にあたる方々の認おん身にしてそれをなし給わずば、この黒き水の下に埋もる す る、七人の仙女が棲む七つの城が蔵する摩訶不思議を見るこ 可を得て印刷され、大人も子供も、貧しき者も富める者も、 学識ある者もなき者も、平民も騎士も、要するにいかなる境とは、しよせんおん身におよばざると知り給え』と申すあた 遇いかなる身分であろうと、あらゆる種類の人々が、同じ喜りを読むより面白いことがござろうか ? さらに、その騎士 うそ し。よう、ん びを抱いて読み、ひとしく賞讚いたす書物がじゃ、嘘であはこの恐ろしい声を聞き終わるがいなや、己のことなどうち よろい ってよろしかろうか ? まして、あれほどの真実の姿をそな忘れ、立ち向かう危険もものかは、身にまとう重き鎧を脱ぎ すてもせずに、神と己が思い姫の加護を念じつつ、煮えたぎ えておるものを。と申すのも、何某という騎士なり、あるい は数人の騎士について、その父、その母、生国、親類、年齢、る湖のまん中へ身を投ずると、いずかたへ向かうともわから いにしえエリセーオス そのなし遂げた功名手柄とその場所にいたるまで、詳細にわぬうちに、身はいっしか古の桃源境もとおく及ばぬ、百花 たり、日を追って物語るにおいてをやではござらぬか ? も咲き乱れる野原にある、と申すのはいかがでござるな ? そ う、おだまりなされい、あのような暴言はおつつしみなされこでは、空ははるかに澄みわたり、太陽もいっそう明るく照 きぎ りかがやくとも思われる。目には緑したたるばかりの樹々し して、拙者がかように申すは、おん身が思慮ある人とし、 め げる静かな森が見えて、その緑の美しさは見る眼をも楽しま 当然なさるべきことを忠告いたすものとご承知くだされよ、 それよりも騎士道物語をお読みなさることじゃ、そうすればせ、耳には枝さしこう樹々のあいだを飛びかう、色もあざや その読書より受ける喜びがいかなるものかおわかりでござろかな無数の小鳥のやさしい自然の歌声が聞こえる。ここには 小川がせせらぎ、水晶を溶かしたとも思われる透きとおった う。さにあらすと申さるるなら、おたずねいたそうが、たと ふるい 水が、篩にかけた黄金か、まじりけなしの真珠かとまごうば えば、今ここでわれわれの眼のまえに、ふつふっと煮えたぎ
ダンテ 614 なにがし ( ) また、シーレとカニャンが合流するところでは、何某ここに君臨し、頭を高くもたげて威 張り散らせど、かれを捕えるための網、すでに用意されてあり。 ちな やがてフェルトロも、その不信心な牧者の犯した罪を嘆こう、因みに一 = ロう、それほどきた ない罪ゆえに、マルタの獄に下った者、かってあるまじ。 びと ( ) げにも図無しの大きさよな、フェルラーラ人の血を受け容るるための桶は。さぞや疲れる ことであろう、その血を一オンスずつ量らねばならぬ役人は。 血の贈主は、かのいやいやしい司祭よ。忠実な党人であることを証そうとての才覚ながら、 そうした贈物がまた、お国ぶりのならわしにびたり。 、・はき お身たちが天使座と呼ぶ鏡、ここだ高く天空にかかり、審判の神、そこからわたしたち を照らしたもう。よってこれらの一一一一口葉の真実なる、炳として明らか。」 もだ ここでその光は黙す。そして私には、その心、今はほかのことに向くるかと見えた、最前 まで加わっていた円舞の輪に、つと身を翻し、跳びこんだのから察すると。 これはなかなかの貴いものと、既に私の確認していた残るもう一つの喜びは、太陽の光を きらめ ひた パラッソ ( ) 直受けて煌く、みごとな紅玉かと私の眼には映った。 えわらい ゅやく 歓喜勇躍が、かしこ高きにあっては、輝きの増幅となること、ここ地上における歓笑と異 そとみ ならす。しかし地獄では、亡霊の心悲しく、外見にもか黒さを増す。 「神はすべてを見そなわし、おん身の見る眼も神と一如そ、至福の霊よ」と、私は言った。 「されば私のいかなる願いも、おん身の眼には丸見え。 けいけんほのお ( ) ならばなにゆえおん身の声が、六枚の翼をみすからの緇衣とする、あの敬虔な焔たちの歌 声に和して、つね天をよろこばすおん身の声が、 私の切なる願いを満たしてはくれぬ ? おん身が私になり切っているそのままに、私がす なわちおん身ならば、おん身の問うを待ちはすまじ、神にかけて。」 「世界をとりまく大海原の水、そこに引かれひろがる最も大いなる谷」と、輝く霊はそれ 以上の促し待たず、やおら語り始めた。 ( 四 ) ( 引 ) まこと しえ あか おけ いては地・一五の註 ( 6 ) ヒアーヴェ ( ピアー 参照。。 ヴァ ) 河は、源をアルプス に発し、南東に流れ、ヴェ ネッィアから約三〇キロの 地点でアドリア海に注ぐ。 ( 昭 ) ダンテ当時のマルキア・ト リヴィジアーナ州、すなわ ちトレヴィーゾ辺境州。今 はほとんウエネッィアに 包含される。 ( ) ロマーノ丘。その上にエッ ツェリーノ ( アツツオリー ノ ) 一族の居城があった。 ( 燔 ) 中世イタリアの群小暴君の うち、悪逆無道の汚名近隣 に隠れもなかったエッツェ リーノ・ダ・ロマーノ三世 ( 地・一二の註 ( 幻 ) 参照 ) わぎわ による災禍。その禍いは、 州内はもとより、マントウ ア、トレントにまで及んだ。 ( ) 両親。 (> ェッツェリーノ・ダ・ロマ ーノ二世の末娘として一一 九八年頃に生れ、一二一三 年、ヴェローナのグエルフ りようしゅう イ党領袖リカルド・デ イ・サン・ポニファッイオ 伯と政略結婚したが、程無 / 、トル・ハ・トウーール→討ー八ソル デルロに恋着、兄ェッツェ 1 」ろ
771 神曲天国篇 めぐみ 〔聖ベルナルドは、ダンテに見神の恩恵を与えたもうようにとの、とりなしの祈 かのう め タンテ りを聖処女にささげる。祈りの嘉納を伝えて、聖処女は眼を上に向ける。・ も同様にすると、おのが視力を、他の光はすべてその照り返しに過ぎぬ真光へと、 貫入させることができた。そこにダンテが見たのは、一切の創造、一切の時間 三つの円球として顕現した三位格、そして最後に、神の永遠なる存在と一つにな ったクリスト。ここでダンテは表現力を喪い、残るはただ、神の愛に信従しつく したおのれの意志と、愛の追憶のみ。〕 おとめ ( 1 ) ( 3 ) 「処女にして母、おん子の娘、いかなる被造物にもまして低められ、高められたる者、永 まと ( 6 ) 遠の勧めのゆるぎなき目的、 つくりめしあえ おん身こそ、その被造物となるを、創造主が敢て厭いたまわざりしほどに、人間の性を貴 きものとなしたまいたれ。 アモーレ ( 8 ) ( 9 ) おん身の胎内にて、一愛は再び燃えあがり、その愛のぬくもりうけて、この花、永遠の平 和のうちに、かくうるわしくひらく。 カリターテまひるきよか ( 加 ) ここ天上界にあっては、おん身はわれらにとり、愛の真昼の炬火、かしこ人間界にあっ ては、おん身は希望の活くる泉。 めぐみ おん妃よ、おん身はかくも偉大にして、とりなしの力いと強し。されば、恩恵を求めてお の ん身に頼らぬ者は、誰にもせよ、その願い、翼無うして飛ばんとするに等い。 き ) き 第三十三歌 ( 2 ) ( 4 ) ) が ( 1 ) ここにくりひろげられる聖 ベルナルドウスの祈りは、 範を典礼式文に採り、言葉 ( ロゴス ) が受肉し、造ら れた者が造った者を生むと 言う超自然、超論理の秘跡 を示すための、著しい対照 法表現が特色となっている。 またチョーサーの読者な らば、カンタベリ物語 の「第二の尼僧の話」二九 ー八四行が、おおむねこの 祈りに由来するのを興深く
ダンテ 660 さればこそ、そちは、わたしが何者であるか、またこの祝祭の集いにあって、なぜわたし あえ が他の誰よりも楽しげとそちに映るか、それを敢てわたしに訊ねない い、なせレニ一一粤つに、 ここ天国にあっては、微小なものも偉大なものもす そちの信念は正し べて一様に、思想が形作られるに先立ちます映し出される、かの鏡を凝視するから。 め されど、その中にあって、わたしが、かたときだに眼をそらさず、甘美なあこがれに饑え 渇かしめる、かの聖なる愛の、いよよ完全に満たされるを願うゆえに、 あふ み さあ、自信に充ち、恐れを知らず、よろこび溢るるそちの声はりあげ、鳴り響かせよ、鳴 りとよませよ、そちの思う処を、そちの望む処を。それへのわたしの答は、もうきまっ ている ! 」 私の顔向けたべアトリーチェは、私の言わぬさきにはや聞き了り、わが願望の翼、いよよ ふくらます合図なる微笑を私へ。 そこで私は言い始めた、このように。「愛と知は、原初の平等がお身たちに姿見せるや、 たちまちお身たちの銘々に、均等の重さとなった。 けだしお身たちを照らし、お身たちを暖める太陽は、その熱と光において、完全に平等ゅ よ え、一切の比較を絶するに由る。 しかし、人間にあっての意志とその表現力は、お身たちのよく知る理由により、それそ れの翼の羽根、必ずしも均等の重さを持たす。 み ( 和 ) それゆえ、人間の私は、この不均等を躬みずからひしと感するによって、乳の実の父の歓 迎を、まごころの一一一一口葉に托し謝するばかりそ。 トパッイ、イ 今はただおん身に乞いまつる、この尊い連珠の中に、ひときわ光り輝く宝石の黄玉よ、名 のらし、わが願いをみたしたまえと。」 「おお、わたしの葉よ、それをわたしは喜びとした、そちの来るのを、今か今かと待ちう けて。誰あろう、わたしはそちの根。」私への答を、まずはこう始めて、 かれは語り続ける。「そちの一族、その姓の始まりとし、第一の冠に置かれてかの山をめ ところ おわ ( 芻 ) たず ( 四 ) その場面は、〔」アエネイス 、、に、次の 六の六八四ー 如く描かれている。「その こち とき彼は草を分け、 らに近づくわが子を見て、 もろて 歓喜にあふれて双手出し、 ほおめ / 涙に頬を濡らしつつ、声 はロを衝いて出る、 / 曰と うとう来たか ? 難渋の、 道もさすがに親思う、 / お 前の熱意に敗けたのか。 : 」 ( 泉井久之助訳 ) ( ) 生前と死後と。。ハウロの場 合 ( 地・二の二八行および 註 ( 9 ) 参照 ) は、肉体 のまま天に昇ったかどうか しかし、ダン 定かでない。 テには肉体のままとの明確 な自覚があるので、「おん 身への如く」とこの霊は言 なおこの一連が中世の教 会や学林での用語ラテン語 なのは、天上での荘重な歓 迎の辞としてふさわしい また『アエネイス』六の八 三五で、アンキセスがカエ サルに向かっての呼びかけ なんじ の中に、「放の手から剣を 捨てよ、わが血筋の者」と、 同じ「わが血筋の者」が用 いられている遺響であう。 っ
587 神曲天国篇 ん身、ほしいままに飽き足るがよい」 こう私に告げたのは、それら敬虔な魂の一つ。承けてべアトリーチェの言う、「語れ、語 ごと ( ) れ、恐るるなく。信ぜよ、かれらを、神々に対するが如く。」 「私にははきと判る、おん身微笑すれば眼きらめくを見ても、おん身はみずからの光の裡 に住し、おん身の眼から光の出ていることが。 しかし私はまだ知らぬ、有徳の魂よ、おん身が誰であり、また、他の星の光に遮えられ、 人間には姿かくすこの天体に、おん身の組み入れられている理由を。」 あかあか こう私は言った、最初私に話しかけた光に顔向け。聞くやその光は、前よりも格段に明々 と輝きわたる。 熱、その濃き水気の中和を噛み切るに及ぶや、度はずれの光の中にわが身をかくす太陽の しょ , っこ、 みがく よろこび満ちきわまり、その聖なる姿は、みすからの光の中にすつばりと身隠れのまま、 私に答えた、 次の歌に歌われているごとく。 ン人より帰る時、われを迎 えんとてわが家の戸口より 出で来る者誰にもせよ、そ は・れィ一い を主のものとし、燔祭の犠 牲 - にき、六、げんと。 フタ、ミヅパのおのが家に 帰りきたれば、見よ、わが 娘タンバリンを鳴らし、踊 りながら父を迎えんとて出 できたる。娘はかれの独り ナいけん 子にて、ほかに男子も女子 も持たざりき。」 この軽率な誓いについて、 トマス・アクイナスは气神 学大全』の二の二で、ヒ工 ロニムスを引きつつ詳論し ている。 ( 幻 ) ウルガタに、「われを迎え んとて : : : 最初に出できた る者」とあるによる。 ( ) わが子殺しの。 トロイア遠征にギリシア軍 の総帥となった王アガメム しんえん 女神アルテミスの神苑の 鹿一頭を殺したかどでアガ メムノンは女神の怒りにふ れ、ギリシア車側には疫病 まんえん 蔓延し、海上は無風状態と なり、アウリスに集結した ( 恥 ) 海軍もトロイアへ船を進め ることがてきない。女神の 怒りをなだめるために、ア ガメムノンは預一一一一口者カルカ スの忠告に従い、鹿を殺し た年度に領内で生れた最も 美しいものを女神に捧げる と誓約した。その最も美し いものが、たまたまアガメ ムノンの娘イビゲネイア ( イフィジェニア ) てあっ 〔変身譜 1 〕 ( 一二の二四。 三四 ) は、犠牲となるこの あわ 美しい娘を憐れみ、女神は 式典の最中、雲を起して参 衆の眼をくらまし、イビケ ネイアを救い、代りに雌鹿 を殺したと伝えているが、 ダンテは、「王はかくも恐 ろしいわが子殺しの罪を犯 すよりも、寧ろ誓いを破る べきであった。されば、約 東も時として守らぎ、るをよ しとす」と記しているキケ ロの〔。義務論卩 ( 三の二五 の九五 ) を念頭に置いて、 六八 - ・ - ・七二行を綴ったと思 われる。 、こ、エフ ( 幻 ) 士師記一一の三ノ タの娘が死に先立ち、 「山々の上でおのれの処女