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検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」02 -イギリス1
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」02 -イギリス1

657 あらし ステフアノー ほうら、ロを開けな。こいつを飲めば、ロを きけるよ , つになるんだ、。 とら猫。口を開けるんだ。これを や 飲れば、からだの震えなんか吹っとんでしまうんだぜ、あ っさりとな。だれが友だちか、わからんもんだろう。もう あご いっぺん顎を開けろ。 トリンキュローあの声は、聞きおばえがあるぞ。たしかあ れは しかしあの男は溺れて死んだ。してみると、こい つらは悪魔だーーーああ、お助けを , ステフアノー足が四本に声は二つーーー愛嬌たつぶりのお 化けだぜ ! 前のほうの声は、このさい、友だちのことを ばりとっ一ん よくいうはすだが、あとのほうの声は罵詈雑言をはく気ら しい。徳利の酒を全部飲ませて回復するものならば、こい つの犀を治してやろう。ほら。それで十分だ ! もうひと つのロにもすこし流しこんでやろう。 トリンキュロー ステフアノー ステフアノー もうひとつのロがおれを呼んだのか ? 、こ、 -S-J ナものじゃない ばら、くわばら , こいつは悪魔たイし ご免こうむろう。おれは長い匙なんかもっていない鱚 るには長い匙が必要。 だという諺がある トリンキュロー ステフアノー きみがステフアノーなら、 おれに触ってみて、話しかけてくれ。おれはトリンキュロ こわがるなよ 親友のトリンキュローだよ。 小。き、 ステフアノーお前がトリンキュローなら、出てこい いほうの足をひつばってやろう。どっちがトリンキュロー あいきよう の足かといえば、こっちの小さいほうだろう。なるはど、 どうしてまたきみは、 まぎれもないトリンキュローだ , このお化けの下のものなんかになったんだい ? はトリンキュローがひり出せるのかね ? トリンキュローおれはこいつが雷にうたれて死んでいると 思ったんだ。ところで、溺れて死んだのじゃなかったのか ステフアノー ? どうやら、死んではいないようだが あらしはおさまったかね ? おれはあらしがこわいばっ この死んだ化けものの上着のなかにもぐっていたん おい、ス だ。きみは生きているんだな、ステフアノー テフアノー、ナポリっ子がふたり助かったんだ , ステフアノー 頼むから、そう小づきまわさないでくれよ 胃袋が落ち着いていないんだからさ。 キャリバン「傍白〕あれは、精霊でないとしたら、りつば なおかたたちだ。あっちのかたはすばらしい神さまで、天 の美酒を持っていなさる。あのかたの前にひざますこう。 ステフアノー どうやって助かったんだ ? どんなふうにし てここへ来たんだ ? この徳利にかけて誓え、どうやって さかだる 来たか。おれは水夫が海に投げた酒樽につかまって助かっ たのさ、この利にかけてな ! 徳利は、岸にうち上げら れてから、木の皮を使って自分の手で作ったのだ キャリバンその徳利にかけて、あなたさまの忠実な家来に なると誓います。なにしろ、その酒はこの世のものじゃね えから。

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」02 -イギリス1

980 デフォー そんなわけで、彼らのようすはいちいち手にとるようにわ ことも、さして難事ではなかろうというのだった。スペイン かった。船長はポートの人間ぜんぶの名前から性格まで見分 人たちのことはまだ絶えず念頭にあったことはもちろんだっ けがついた。彼のいうところによると、このなかには三人、 こうやって着々と計画を実行に移しながら、ます主力をポ正直な男がいるそうで、きっとほかの者に無理矢理におどか ートにそそぎ、いくら高潮がきても流されないように、陸地されて一味の陰謀に引きすりこまれたに相違ないということ 深くボートを担ぎあげた。そのうえ、船底には大きな孔をあだった。しかし、このポートの指揮者格におさまっているら けてそう応急修理もできないようにした。われわれはそこで、しい水夫長その他の連中ときたら、乗組員ちゅうでも名うて さてどうしたものかと腰をおろして考えこんでいた時、本船の乱暴者で、こんどの事件でいっそう死物狂いになっている から砲声がきこえてきた。また、さらにポートに帰ってくることは当然考えられることだった。こうなってはもうこちら と船長はひどく心配そうであった。 ように命ずる信号旗が掲げられるのが見えた。もちろん、ボに勝ち味はない、 トが動きだす心配はさらになかった。そこで何回となく砲私は彼のほうに微笑を投げかけて、われわれのような境涯 声が発せられ、帰ってくるようにポートに呼びかけるいろんにある人間は恐ろしいなどという段階は通りすぎているはず ではないかといった。今後どんな状態に陥ろうと、現在われ な信号が出された。 しんぎん 信号も砲声も効果なく、ポートが動こうともしないのを見われが呻吟している状態に比べればはるかに勝っている。そ う思えば、結果が生きるにもせよ死ぬるにもせよ、一つの救 ると、彼らはついにもう一隻のポートをおろして島のほうへ いであることは当然期して待つべきであろう、ともいった。 漕ぎだしてくるのが、私の望遠鏡に映じた。だんだん近づく にしたがって、ポートには少なくとも十人乗っており、火器私はさらに、私の生涯のような生き方をはたしてどう思われ るか、このような生き方から脱出することはまさにやり甲斐 を持っていることもわかった。 たず 一、いは / 、 のあることだとは思わないのか、とも訊ねた。そして、「私 船はほとんど二リーグの冲合に碇泊していたので、ポート がこうやってここで命永らえてきたのも、結局はあなたの命 の連中が近づくにつれ、しだいにはっきり見分けがつくよう になり、その顔さえわかるようになった。というのは潮流のを救うためであった、と、さっきあなたはあれほど喜んでお 関係で、彼らは最初のポートのやや東側に流されていたので、られたが、その信念はいったいどうなったのです。私の見る それと同じ上陸地点、また現在そのポートのあるところへ着ところでは、計画のうちただ一箇所困ったところがあるよう いったいなんでしようか」「つまり、あな くためには岸に沿うて漕がなければならなかったからである。です」「というと、

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まったく向う側にあったので、安全このうえなしというとこしまい、どうかするとそれがずいぶんと長くつづくこともあ ろであった。時としてこの島を訪れる蛮人があったとしても、 った。しかし結局それも、多くの見えざる危険から、また災 りようけん 何かここで手に入れようという料簡でやってくるわけでは 難から私を守りたもうた神に対して感謝の意を表わすことで なかったので、海岸から奥地深くまぎれこむということはな問題は落着した。まったくの話、多くの危険にしろ災難にし 、刀子 / 目 。蔔こもそうだったかもしれないが、蛮人のことが心ろ、いろんなことがさし迫っていても私はそれを知ることが 配になって用心深くなってから後も、彼らが何度か上陸したできなかったし、また、じっさいに起こりうるという推測も ことはまず間違いないと私は思っている。まだ裸も同然で、 できなかったので、自分自身でそれをさける方法はなかった 武器といえば小型の弾をこめただけの鉄砲一挺もって、何かのである。 手に入るものはないかと、島のあちらこちらをきよろきよろ このことは私にはからずも、われわれがこの人生でいろん して歩いていた時に、もし蛮人に出会っていたら、というよ な危険にあい、それを切りぬける場合、そこには神の恵み豊 りその前に向うから発見されでもしていたら自分の運命はど かな配慮が働いている、ということを私が初めて考えはじめ うなっていたろうか、と思うと、思っただけでもそっとした。 たころ、つねに、い中に去来していたある反省を思いおこさせ 人間の足跡だからよかったものの、もしあの時、足跡のかわた。それは、われわれは自分で少しも気がっかないが、じっ りに十五人か二十人の蛮人に出会ったとしたら、しかもそれに不思議な導きによってわれわれがしばしば救われていると に追っかけられでもしたら、私の驚きはどんなものであった いうことであった。こちらの道をゆくかあちらの道をゆくか こぎしゅんじゅん ろうか。彼らの脚は速い。 まず逃げのびることはできなかっ という、いわゆる途方に暮れるというか、狐疑逡巡してい たろう。 る場合に、自分ではあちらの道をゆこうと思いながらも、あ こういったことを考え、じっさいそういう時にはどういうる不可思議な暗示に導かれてこちらの道をゆくということが ク ふうにしたろう、蛮人に手向いできないばかりか慌ててしまわれわれにないであろうか。われわれの分別が、気持が、場 ン って自分に当然できるはずのこともできなかったろう、いわ合によっては仕事が、あちらの道をゆけと命する。ところが、 ン 、どんな力によるともわからな んやいろいろ計画や準備を整えたところでそんなことできるどこから来るともわからない 、ビ ロはずはなかったろう、などと思うと、生きた心地もなく気は 、ある異様な感じが強くわれわれを圧してこちらの道をと 滅入るばかりで、すぐに立ち直ることもできなかった。、 じじらしめる。その結果はやはり、もし行こうとしていた、また ゅううつ つ、真剣にこういうことを考えると、まったく憂鬱になってかねての考えに従って行くべきであった道をとっておれば、

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」02 -イギリス1

まさら、本土へわた へむかって進んだらよいのか、などということもこれまた念や宙に浮いてしまっていたのだった。い 頭には浮かばなかったのだ。くり返していうが、こんなことるという計画以外のことを考えようとしても、もう私にはカ は何一つ思いっかなかったのである。そしてひたすら思うこ がなかった。この計画のもっ迫力と強烈な意欲、これに対し とは舟にのって本土にわたるというそのことばかりであった。て抗すべきすべはもはや私にはなかった。 二時間かあるいはもっと長く、私の心はこの計画に猛烈「 自分の現状ほど悲惨なものはない 、もしこれ以上の悲惨なこ とといったら死以外にないと思われてならなかった。本土のかき乱されて、しまいには血が沸きかえり、ただもの凄く熱 心に考えただけなのに、まるで熱病に冒されたみたいに私の 海岸にたどりつけば、おそらく助かる道があろう、すぐに助 どうき からなくとも、以前にアフリカの沿岸で経験したように、海動降までが速くなるという始末だった。しかし自然はよくし 岸にそって航行してゆけば、いっかは人の住んでいる国へ着たもので、計画に夢中になったために肉体的にも疲れはてた らしく、やがて私はぐっすり眠りこんでしまった。海をわた こう。そこまでゆけばなんらかの救いがえられ、結局は、ム って本土へゆく夢でも見たろうと人は思うかもしれないが、 を収容してくれるキリスト教徒の船にも出逢うこともあろう。 最悪の事態がやってくるとしても、要するに死ねばよいのだ。そんなことは、あるいはそれに関係したようなことは何一つ みなかった。見た夢というのは次のようなものであった。あ 死ねば、この不幸のいっさいは一挙に終るのだ。私はそうい , っふ , つに思った。。 たが、こういった気持が、すべて思い乱れ、る朝、いつものように城を出て歩いていると、海岸に丸木舟 が二隻と十一人の蛮人が上陸している姿が目に映った。彼ら 焦燥にかられた心から発せられたものであることを読者は注 意してほしいと思う。私の心は、いっ果てるともなくつづく はもう一人の男を連れていて、食うためにまさにその男を殺 に、いわそうとしていた。すると突然、その殺されかけていた蛮人は 一困苦や、わざわざいってみた難破船で味わった失望 一ば絶望的にさえなっていたのである。だれかに話しかけたい、 飛びあがり、一目散に逃げだした。夢のなかでだが、彼は要 ク現在自分のいる場所について清報をききたい、 これなら大丈塞の前の、小さいがこんもり茂った木立のなかへ逃げこんで ン 夫だという脱出の手段をききたい、 といったかねて熱心に切身を隠したように私には思われた。彼はただ一人だし、ほか 力な ン 望していたことが難破船にいったら叶えられそうな気がしての連中は彼のいるほうへ捜しにくるようすもなかったので、 ロ 私は彼の前に姿を現わし、笑いかけて、いわば激励してやっ いたのである。くり返していうが、私はまったくこういう思 いで焦慮にかられていたのだ。すべてを神の摂理にゆだね、た。彼はさっそくひざますいたが、たぶん助けてくれと私に その決定のまにまに従うという、私のかねての平静な心も今対して祈りをささげているふうであった。そこで私は梯子を よ・つ

5. 集英社ギャラリー「世界の文学」02 -イギリス1

彼のほうへゅこうとしていた。熊がその枝の細いところまではつかなかった。初めは彼が熊を枝からふり落すつもりだと ばかり思っていたが、熊もさるものでふり落されるほど愚か ゆくと、フライディはわれわれのほうにむかって「さあ、私、 熊に踊りを教える」と呼びかけた。そう いいながら、彼は飛ではなかった。つまり、ふり落されるほど枝の端のほうまで かぎづめ びあがるようにして枝をゆさぶりはじめた。熊は驚いてよろはゆかなかったのだ。逆に、その大きな鉤爪と足でしつかり めきはじめたが、 すぐに立ち直り、枝の上をもとのところへと枝にしがみつくという具合だった。結局どうなるのか、こ 戻ろうかな、といったふうに後ろのほうをしきりに見ていた。の見世物の結末はどうなるのか、われわれには想像できなか つつ ) 0 こうなると、われわれも心から笑わざるをえなかった。しか しかし間もなく、フライディはわれわれの疑問を一掃して し、フライディはそれくらいでは満足しなかった。熊が立ち くれた。熊が枝に必死にしがみついていて、それ以上いくら どまっているのを見ると、まるで熊が英語がわかるとでもい 口説いても進も , っとしないのを見て、彼はこ , ついった。「よ った調子で、彼は話しかけた。「どうした。それ以上こない し、よし。お前がそれ以上こないなら、こっちからゆく。お のか。頼むから、もちょっとこっちへこい」彼は飛んだり跳 こっちがお前のほうへゆく」そういし ねたりして枝をゆさぶるのをやめた。彼の一一一一口葉がわかったか前がこっちへこない、 ながら、彼は枝のいちばん細い端のところまでゆき、体重で のように、熊は少しばかりのこのこ近づいてきた。するとま たもやフライディは飛びあがってゆさぶりはじめた。熊はふ枝がしなうのを利用してじわじわと下のほうへおりてき、枝 を滑るようにして飛びおりてばっと地面につっ立った。それ たたび立往生した。 から大急ぎで鉄砲のところへ走ってゆき、それを取りあげて もうそろそろ熊の脳天めがけて弾を撃ちこむちょうどよい ソころだと思、 . し、熊を撃つからじっとしているように、とフラすっくと立ちはだかった。 ルイディに大声で注意した。ところが、彼はいとも熱、いに頼む「おい、フライディ、こんどは何をしようというのか。なぜ ク 。まだ撃たな 熊を撃たないのだ」と私はきいた。「撃たない のだった。「頼みます。頼みます。撃たんでください。不が ン そのうちに撃つ。まだ殺さない。私待つ。もう一度みん ソその時に撃ちます」その時に、というのはそのうちに、の意 ン 、ビ なを笑わせる」と彼は答えた。そして、じじつ、彼はわれわ とにかく話をかいつまんでいうと、フライ 味だったらしい ロ ディは盛んに跳ねたり踊ったりするし、熊はぐらぐらするし、れを笑わせたのであるが、それについてはすぐ述べる。熊は 川というわけでわれわれはまったく思うそんぶん笑った。しか自分の敵手がおりてしまったのを見て、登っていた枝から後 し、 いったいフライディが何をしようとしているのか、想像戻りしてきた。しかし、そののろいことといったらお話にな

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」02 -イギリス1

テフォー 906 こういった光景に私は気をのまれてしまって、しばらくは また今後も嘗めるかもしれぬすべての不幸をはるかに償って 身の危険を感ずる余裕もなかった。こんな悪魔のような非道あまりある幸福なことだと思った。 残虐な野蛮行為がまたとあろうか、いやしくも人間がこれほ 私は感謝の気持にみたされてわが家なる城へと帰った。自 ど野獣化するとはなんと恐ろしいことか、などと私は思った。 分の身の安全については、以前ほど不安はいだかなくなった。 そう思っているあいだは少なくとも不安は消えていた。こう この蛮人たちは何か手に入れようとしてこの島にきたのでな いう恐ろしいことは幾度か聞いたことはあったが、いまだか いことがはっきりしたからである。おそらく彼らはこんな島 ってこれほど間近に見たことはなかった。結局、私はこの怖で何か探すとか、求めるとか、当てにするとかいうことはな ろしい光景から眼をそむけた。胸がむかっき、今にも気を失 かったらしかった。きっと幾度も、一面森に蔽われたあたり いそうになった。有難いことに自然はその時、胃袋から悪い まできたかもしれないが、欲しいものは何一つ見つけること ものをいっさい吐きださせてくれた。さんざん吐いてしまう 考えてみれば私がここに住みつ はできなかったに違いな、。 といくらか気分もよくなった。しかしもう一瞬も、このよう いてほとんど十八年になる。しかも人間の足跡すら見たこと な場所にとどまってはおれなかった。大急ぎで丘に登り、住はなかった。してみれば、おそらくその必要もあるまいが、 居のほうへ歩いていった。 自分のほうから姿を現わさないかぎり、もうさらに十八年間 島のその一角から少し離れたところまできた時、私は文字 くらい従前どおりだれにも見られないで暮らすこともできる ばうぜん どおり度胆をぬかれた人間のようになって、しばらく呆然と かもしれなかった。現在の場所で、ただひたすら身を隠して してつっ立っていた。それからわれにかえり、ふかぶかとし いることが、私のただ一つのとるべき手段であった。もちろ た感動を魂いつばいに感じ、両眼から涙を流しながら天を仰ん、人食い人種とちがって、もっとましな人間でこちらから いで、自分がこんな恐ろしい人間の仲間にならなくてすむ国すすんで近づきたいと思う者が現われるならば、話はおのず に生まれたことを神に感謝した。現在の境遇をこれほど惨めから別であった。 なものはないと自分では思ってしたが、 文字 、 : そのじつ、神の恵み しかし、こういった蛮人たちはもちろんのことだが、 によってかすかすの慰めを与えられているのだ、感謝こそすどおり骨肉相食む鬼畜のような彼らの習慣が不愉快でたまら うつうつ れ不平をいういわれは毛頭ないのだ、と思った。とりわけ、す、この後ほとんど二年間くらい鬱々として楽しまなかった。 こんな哀れな状況にあってもなお神を知り、その祝福への希そして、ただ自分の狭い世界に閉じこもって暮らした。自分 望によって励まされてきたことは、私が今まで嘗めてきた、の狭い世界、と私はいったが、つまりそれは三つの設営、す おお

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から見ると、天気ももう完全に晴れあがっていたので、残念んな場合には、乗組員は短艇をたたき壊したり、時には自分 ながらはっきりそれが難破船だとわかった。私が舟で沖に出たちの手で船外に捨てたりしなければならないことも多いの そう た際に見たあの岩礁に昨晩のうちに乗りあげたものらしかつである。それからまた、あるいは仲間の船が一艘だかそれ以 オ た。急激な潮流をはばんでそこに一種の逆流というか渦巻を上だか近くにいて、遭難信号を見てすぐ近づき、乗組員を乗 フ とも思った。それともまた、 デ起こしていたこの岩礁のおかげで、私はそれまでにかって経せて連れ去ったのかもしれない、 験したこともないような絶望的な最悪の状態から命拾いがで乗組員は全員短艇に乗りうつって海上に出、私が以前巻きこ きたのであった。 まれたと同じ潮流に押し流されて大洋に漂流していったかも しれない、 ある人間には救いどなるものが他の人間には滅びとなる、 と思った。大洋まで流されたら、そこにあるもの とはまき、にこのことであった。田 5 , つに、、、 とこの人たちか知らは悲惨な運命と死のみであって、今ごろは彼らもただ餓死す ないがこの連中は、この辺の水路不案内にかてて加えて、岩ることと互いに相食む絶体絶命の苦境にたたされていること 礁がすっかり水面に隠れていたために、東および東北東からをただ考えているのかもしれなかった。 あお 吹く強風に煽られて昨晩ついにこの岩礁に乗りあげたもので こういったことはぜんぶ要するに推測にすぎなかった。現 あろう。彼らはどうも島を見なかったらしいと私は思わざる在のような境遇にある者として、私はただこのかわいそうな ポート をえなかった。もし見ていたら、その短艇に乗ってなんとか人たちの苦しみを傍観し、気の毒に思うよりほかになんらの 陸へあがろうと努力したにちがいなかった。しかし、救助をすべもなかった。それにしても、こと私自身に関するかぎり のろし 求めて大砲をうったこと、とりわけ私の烽火を見て ( と想像は、ある教訓をここから学ぶことができた。この寂しい生活 するのだが ) ただちに発砲したことよ、、 。しったいどう考えたをおくっている私に幸福と慰めを与えたもう神に対する感謝 - : っ・はく らよいのであろうか。私は第一に、彼らは私の烽火を見るなの念がいよいよ厚きを加えたことがそれであった。広漠たる り全員ただちに短艇に乗りうつり、海岸めがけて漕いでいっ世界のこの一隅で難破した二艘の乗組員のうち、私だけが死 かぎなみ た、しかし風波が高く、そのために呑まれてしまったのかもを免れたということはまことに感謝のほかないことであった。 しれない 、と想像してみた。次には、いろんな場合によくあ神がどんなひどいどん底の生活に、あるいは悲惨そのものの ることだが、 もうすでにその前に短艇を失っていたのかもしような生活に人間をつき落しても、そこにはかならずといっ れない、 とも想像した。こういったことは、たとえば船が怒てもよいくらい、感謝すべき何ものかがあり、それ以上にひ とう しんぎん 濤にたたきつけられるような場合にとくに起こるのだが、そどい状態に呻吟している人間もいるということを、私はふた の

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824 しようぜん も忘れてはいけないのだ の孤島で孤影峭然と死んでゆけということではないのか、 それからさらにこうも考えた。生きてゆくに事欠かぬだけ これが天の配剤というべきものかと私は独り思わざるをえな 、しよう かった。こう考えると涙がさめざめと頬を濡らすのであった。の充分な物資も手に入れたではないか。船がいったん坐礁し オ私は自問自答した。なぜ神はかくも痛ましくその被造物を滅たのにそこからふたたび浮かびあがって海岸のすぐ近くまで デばそうとするのか、なぜかくも悲参な目にあわせようとする押し流され、そのあげくの果てが、物資を運ぶこともできた のか、なぜかくも救いなきまでに見捨て、音澹たる気持に陥という、こういうようなほとんど稀有中の稀有ともいうべき れようとするのか。このような生活でもなお感謝の念をもて事が起こらなかったら、はたして今ごろ自分はどうなってい というのであれば、これほど馬鹿馬鹿しいことがまたとあろたか。浜辺に打ちあげられたままの状態で、生きてゆくのに 必要な品もなく、し ) 、やそれを入手するに必要な用具もなく生 うかと思わざるをえないではないか、と。 いったい自分はど しかしそう思う、と同時に、そのような私の気持をおさえきてゆかなければならなかったとしたら、 ういうことになっていたろう。「とりわけ」と私は思わすロ つけ、叱りつける考えもつねに起こるのであった。たとえば ある日こういうことがあった。その日は銃を片手に海辺を歩に出していった。「鉄砲や弾薬がなかったら、またものを作 していたが、 現在の自分の境涯を考えて心中まことに悲しみったり、工作したりする道具がなかったら、衣服や寝具やテ に閉ざされていた。するとその時理性がいわば全然逆な立場ントやその他各種の身につけるものがなかったら、 から私にむかって説くのであった。「お前が惨めな境遇にあ自分はどうしたであろうか」しかるに、私はこういったもの ることま、 は充分に持っていた。たとえ弾薬がっきて鉄砲が使えなくな 。しかにも事実だ。しかし考えてみるがよい っても生きてゆく方策をたてるめどもついていた。したがっ しほかの乗組員たちは今どこにいるのかポートに載ったの て、自分が生きているかぎり、なんの不自由もなしに生活し はお前たち十一名ではなかったのか。その十人、今どこにい るのか。なぜその十人が助かり、お前が死ぬということにはてゆけるというかなり明るい見通しもついた。つまり私は初 めから、不慮の事態にどう備えるかということはもちろん、 ならなかったのか。なぜお前だけが選ばれたのか。ここにし るほうがよいのか、それともあそこのほうがよいというのやがて襲って来る老後のこと、弾薬が尺、きてしまった後だけ おもんはか 力」私はその時海のほうを指さしていたのだった。。 とんな悪でなく健康や体力が消耗してしまった後のことまでも慮っ いことでもそのなかに含まれている良いことを除外して考えていたのである。 弾薬がただの一発ですっ飛んでしまう、つまり落雷のため またより悪いこともそれに伴っていることを ほお

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855 ロビンソン・クルーソー た。しかしよく考えてみるといろいろ問題があった。現在私私はいわば別荘と浜の本邸と二軒をもっていることになり内 が海岸の近くにいる、ということは、私の運がひらける糸口 男荘をつくるのには八月の上旬ま 心はなはだ得意であった。リ となるような何かがここでなら起こるかもしれない、少なくでかかった。 とも起こる可能陸があるからではないのか。それにまた、私柵をどうにか苦心して作りあげて、やれやれとひと息つこ の場合と同じく悲連に見舞われて、不幸な人間が所も同じこ うとしたら、もう雨季がやってきて、おかげで私はもとの住 ろうじよう の海岸に漂着することももしかしたらないとはいえない ま居に完全に籠城せざるをえなくなった。別荘のほうにも本 すそんなことはなかなか起こりそうにもないことかもしれな 邸と同じようなテントを、帆布の一部を見事に張って設けた いが、島の真ん中の丘陵と森のなかに好んで閉じこもってしのだったが、そこには嵐の時に身を守ってくれる岩壁がある まうということは、自分から先手をうって自分を隔離してしわけでもなし、雨が土砂降りの時に逃げこむ手近な洞穴があ まうことになりかねない。ひいては、、 しろんなありそうもなるわけでもなかった。 いことを単にありそうもないことにとどめるのではなく、ぜ 先にもいったとおり、八月の初めにはあすまやができあが ったいにあり , つべからぎ、ることにしてしま , っことにもなる。 ったので、私も少しのんびりした気持になっていた。八月三 日のことだが、 樹の枝にかけてあった葡萄が完全に乾いて、 こう考えると、私はどうしても移転すべきではないという結 論に達せざるをえなかった。 まことに申し分のない乾葡萄ができあがっていた。私はさっ カ実をいうと、それはまことに それでもこの場所がすっかり気に入った私は、七月の残りそく枝からおろしはじめた。。ゝ ぜんぶをもつばらそこで暮らした。今も、 いったように、結危ういところであった。ちょっとでも後れたらそのすぐ後で 局考えなおしたあげく、移転はしないことにしこ。 : 。 オカとうしやってきた雨季のために葡萄は台なしになり、冬の食糧の大 ても思いきれなくて、小さな一種のあすまやをそこに築いた。半は失われていたかもわからなかったからだ。葡萄の量は大 そしてそのまわりの少し離れたところに強固な柵を設けた。房のものが二百房以上もあった。それをぜんぶ枝からおろし 柵は私の手がとどくくらいの高さの二重の垣根で、杭で厳重て、大半を洞穴に運んだかと思うと、もう雨が降りだしたの だった。それが八月の十四日だったが、その日以来、ほとん に支柱をしておいた。垣根と垣根のあいだには雑木をいつば つめた。私は安、いしてここで泊ることができた。、、 ' とうかすど毎日、十月の中旬まで降りつづいた。時にはあまりにひど くて数日間も洞穴から一歩も外に出られないこともあった。 ると二晩も三晩もつづけて泊ることがあったが、出入りには この雨季のあいだに、私の家族がふえたのにはわれながら もう一つの住居の場合と同じく、梯子を用いた。こうなると、 さく

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そう ったので、陸上の旅のはうがはるかに央適なものと思われた。 ろにしてはいけないのだ。乗船するつもりで私は二艘の船 しかしいやがうえにも央適なものにしてやろうというので、 を選んでいた。とくに念には念を入れて選んだものであった が、一艘には荷物をのせ、他の一艘には自身乗船するつもり老船長はリスポン在住の貿易商の子で、私と旅行をともにし たいという一人のイギリス紳士を紹介してくれた。このあと で船長とも了解すみであった。ところが、あとになってわか ったことだが、この二艘とも結局駄目になってしまったのだでわれわれはさらに二人のイギリス商人、二人の若いポルト った。つまり、一艘はアルジェリア人の海賊に捕えられ、他ガル紳士と行をともにすることになった。ポルトガル紳士た ) 近くのスタート岬冲合でちはただバリにゆくだけであった。こんなふうにして、われ の一艘はトーベイ ( デヴンシ川入江 できし 難破して、三人を残すのみであとはぜんぶ溺死したのであつわれの総勢は六人、それに従僕が五人という数であった。二 た。このどちらの船に乗っていたところで、私が悲惨な目に人のイギリス商人も二人のポルトガル紳士も費用節約のため に、それそれ二人で一人の従僕をやとってそれで満足してい あっていたことは間違いなかったろう。どちらのほうがひど た。私は私で、フライディのほかに、もう一人イギリス人の っこかは、簡単にはいえないことであった。 もんもん こんな具合に、私がどうしたものかと心中悶々としていた水夫を従僕として連れてゆくことにしていた。フライディで はなにしろ不馴れなせいもあり、みちみち従僕の役目を果す 時、なにもかもうち明けていた老船長は、海路はさけるよう にといとも熱、いに勧めてくれた。その代りに、陸路まずグロのは無理かとも思われたからである。 こんなふうにして私はリスポンを出発した。一行は馬の乗 る ) へ出てビスケー湾をわたり口シェル イン ( 港、現在のラ・「一一ャ フランス西部の現 ) に上陸すれば、それから先は陸路バリへ、りこなしも立派だし、武装も相当なものだしというわけで、 かっ・一う ソさらにカレー ドウヴァーへゆくのは安全でまたたやすい旅ちょっとした軍隊といった恰好であった。みんなは敬意を表 ーレ だが、これも一案、それともマドリッドまで北上して、そして私を隊長と呼んでくれた。それは私が最年長者のせいも 程 ク こからすっと陸路をとってフランスを横断するのも一案だが、あったが、また従僕を二人も連れ、それにこの旅行の発案者 ン であったせいもあった。 ソと・はいっこ。 ン イング 今まで私は航海日誌で読者を悩まさなかったように、こん ランド 要するに、カレー ( ト む、フラ , ス北部港 ) からドウヴァー ( ロ のケント州にある海 ) へ海をわたる以外は、海路による旅は全然どもいわば陸上日誌で読者を悩ますつもりは毛頭ない。ただ、 こんどの長い困難な旅行ちゅうに起こった若干の冒険は省く 試みるつもりはなかったので、全旅程陸路によることに決心 べつに急ぐわけではなし、費用を惜しむわけでもなかわけにはゆかないと思う。 みさき