E ・プロンテ 132 お粥はさめてしまったし、食欲だってなくなったし、も うとても辛抱できなくて、あたしは強く言ってやったわ。 いますぐおちつける部屋へ行って、やすむ支度をしてちょ うだい。 「地獄へでも行くがええだ ! 」と信心家気どりのくせにそ んなことを一言うのよ。「ああ神さま ! おゆるしくだせ いってえどこへ行けというだ ? この出来そこない ・こく の穀つぶしが ! あと見てねえのはヘアトンの小部屋だけ だで。寝られるところはこの家にはほかにひとつもありや しねえだ ! 」 あんまり腹がたったから、あたしはお盆をお粥ごと床に 投げつけて、階段のてつべんにすわりこみ、両手で顔をお おって泣きだしたの。 「えへ、えへ ! 」とジョウゼフは叫んだわ。「ようやった、 キャシー嬢さん ! ようやった、キャシー嬢さん ! だが な、旦那がいまに茶碗のかけらを踏んづけて、たつぶり小 一 = 口を聞かされるで、まあ待っとるがええだ。ろくでなしの 気ちがい女 ! これからクリスマスまでなにも食わずにお るがええ、神さまのくだされものを血まよって地べたにほ うりだして ! だがまあどうせその元気も長つづきするは ずはねえ。ヘイスクリフの旦那が我慢されると思うかね、 そのごりつばなお行儀を ? そのふくれつ面の最中にとっ つかまってみるがええ。とつつかまってみるがええだ」 しきりに小一言を一一 = ロいながら彼は自分の寝ぐらのほうにろ くらやみ うそくを持っておりていき、あたしは暗闇にとりのこされ たの。 ばかなことをしてしまったと反省しているうちに、 はやはり自尊心をおさえ怒りを殺さなければと思いたって、 腰をあげてあとかたづけをはじめたわ。 まもなくそこに駆けつけた思いがけないお手伝い、と、 うのはスロットラーのことだけど、よく見るとうちで飼っ てたスカルカーの息子じゃないの。子犬のころはスラッシ ュクロス屋敷にいて、お父さまがヒンドリーさんにあげた 犬なのよ。あたしをおばえてたんじゃないかしらーーー鼻を あいさっ すりよせて挨拶しておいて、がつがつお粥を食べはじめた から、あたしのほうは階段を手さぐりで一段すっ、瀬一尸物 てすり のかけらをあつめたり、手摺にかかった牛乳をハンカチで ふいたりしたの。 あたしたちの作業が終わるか終わらないうちに廊下でヒ しつば ンドリーの足音がして、あたしの相棒は尻尾を巻いて壁ぎ わにびったり寄るし、あたしはいちばん近くのドアに逃げ こんだわ。犬のほうはどうやら見つかってしまったらしく、 あわてて階段を駆けおりて、あわれな声でいつまでも鳴い ていたけど、あたしは運がよかったの。彼は黙って通りす ぎ、自分の部屋にはいって、ドアをしめてしまったわ。 そのすぐあとでジョウゼフがヘアトンを寝かせにあがっ てきたの。あたしの逃げこんだのがヘアトンの部屋だった から、じいさんはあたしを見つけるなり一一一一口うの
あのヒメナオとアレクサンデルみたいな立場に立たされるこ考えてみても、他のどんな天国にも劣らないほど申し分ない トゆく。しゅ、つ 間とになっちまっただろうよ。きみは、また見事に復讐を遂もんだよ。だけど真面目な話ね、テス」ダーバヴィルは立ち ひじ げたもんだね ! ばくは罪のないきみを見て、だましちまつ上がり、近寄って来て、麦束の中に片肘をついて横向きに寝 デた。四年たってみるとばくは熱烈なキリスト教徒、それできそべった。「この間きみに会って以来、ばくはずっと、きみ が聞かせてくれた彼氏の語ったことについて考えつづけてき みは、そんなばくの心を揺さぶって、これでおそらく、ばく たんだ。で結論はといえば、ばくのこれまでのような、陳腐 いや、ばくの従妹、そうば は完全な地獄行きってわけさ , な古くさい発意は、どっか常識に欠けるところがあるんじゃ くは昔きみのことを呼んでいたねえ、テス。こいつは、ばく とうして、あのクレア牧師なんその執 一流の喋り方にすぎないんで、そう恐ろしく心配そうな顔をないかということだ。。 意にあれほどまでに焚きつけられて、彼さえしのぐほど、ま することはちっともないんだよ。むろん、きみは何もしちゃ いない。ただ、その愛らしい顔と端正な姿を、今日まで失わるで気でもふれたみたいに働くことになってしまったのか、 だが例のーーーその名前はついそ聞か 自分でもわからない , すにいたってだけのことさ。今もばくはきみが気がっかない せてもらえなかったがーーーきみの素晴らしいご主人の知性を でいる間、見とれていたんだよ。ー。。・そのきつい前掛けみたい いわゆるドグ この間きみが語った、あの所謂、教条ぬきの倫理体 なものがいちだんと引き立てるんだね。それに、その布を垂頼り らしたポンネット きみたち野良で働く若い娘は、危険か系とやらを持っということについては、ばくは、あれには全 くついていけないな ! 」 ら身を護りたければ、絶対に、そのポンネットはかぶっちゃ ますいな」彳。 皮まちょっとの間、黙って彼女を眺めやり、それ「あら、たとえその何とかー・ - ーそう、教条は持てなくても、 せめて、慈しみと潔白の宗教は持っことができますわ」 から短い皮肉な笑い声を上げると、言葉をついだ 「とんでもない , ばくはとてもそんな人間じゃないよ ! がその代理役を自認していたあの独身で通した使徒だって、 ″これをやれば、死後おまえのためになる。それをやれば、 こんな愛らしい顔に誘惑されりや、ばくみたいに、その娘の すき ためにならないそ〃と、そう言ってくれる者がいなければ、 ためには鋤を手放したことだろうよ ! 」 め・ゅ、つ 子 , 」し【か、誰 ばくは燃えることができないんだよ。とてもじゃよ、 テスは彼をいさめようとしたが、こんな時にかぎって流 ちょう かしら、その人に対して責めを負うべき人でもいなければ、 暢な舌もまわらない。で、彼はお構いなしに言い添えた 自分の行為や清熱に、責任を感じることはできないな。ねえ 「ところで、きみの与えてくれるこの天国は、たぶん、どうきみ、もしもばくがきみだったとしても、やつばりだめだろ
まくら しっと にとめ、彼女はほてった顔を枕にうずめて、嫉妬にかられてた色男の名前だった。 あえ 「で、あの男は約束どおり、例の勇ましい母親の娘と夫婦に 喘ぎながら思った。「あたし以外の誰かにあの人を取られて しまうなんて、我慢できないことだわ ! でもやはりあの人なったんですか ? 」エンジェル・クレアが、彼は身分が高い のためにならない、 もしも知ったら、あの人めちゃくちゃに からというのでクリック氏のおかみさんにいつも追いやられ なってしまうわ ! ああ、この心ーーーああーーーああー・ーあている小さなテープルで、読んでいた新聞をめくりながら、 たず うわの空で訊ねた。 「ちがうよ、そうじゃねえんでさ、旦那。全然そんな気はな かったんで」と親方は答えた。「今も言ったように、相手は 後家だ。つまり、金を持っていたらしいーー・・・年に五十ポンド だれ・つわ吉 ) かそこいらのですね。やつの目当てはまさしくそいつだった 「ところで、みんな、今朝わしは誰の噂を聞いたと思うか ね ? 」クリック親方は翌朝、朝食のテー。フルにつくなり、むってわけ。大急ぎで二人は祝一 = 口をあげた。ところがその後で、 なぞ しやむしややっている男たちゃ娘たちを、謎をかけるような祝一言をあげたためにその年収五十ポンドとやらがふいになっ やっこ 眼で見回しながら、言った。「さあ、誰だと思う ? 」 てしまったことを、女が告げた。それを知った奴さんの胸の うちを考えてもみろ ! それからというものやつらあ、どこ 一人が見当をつけて言い、また一人、当てずつばうで名前 を上げた。クリック氏のおかみさんは黙していた。すでに知捜しても見当らねえような、犬猿の仲の明け暮れでね ! や かわい っていたからである。 つはなんばかいい気味でさあ。だども可哀そうなのは、一番 ほ ) っと一つ ス 「いやはや」と親方は言った。「あのどじな放蕩もんの父なの貧乏くじをひかされたその女の方だでよ」 「愚かしい女だよ、もっと早くに男に言っておけばよかった のし子、ジャック・ドロップの野郎さ。あいつめ、最近ある後 めおと に。さきの亭主の幽霊にたたられるかも知れないとね」とク 家さんと夫婦になってやがったんだよな」 ヴ リック氏のおかみさん。 「まさか、ジャック・ドロップが ? ひでえやつだよーーー考 あいづち 「うん、うん」と親方は、どっちともっかない相槌を打った。 一えてみりや ! 」搾乳夫の一人が言った。 はっきりわかるだろ , っさ。 その名前は、テス・ダービフィールドにはすぐにびんと来「そんでも、そん時の事情くらい た。それは他でもない、あの好いた女をはずかしめて、後で後家さんは世帯をもちたい一心で、だから男に逃げられるよ かくにゆ、つき いかなかったんだで。どうだい、お 娘の母親に、攪乳器の中でじつにこっぴどい目にあわされうな危険を冒すわけにや だんな
自信がついたので、それを喜んでお受けしようと思うので 彼は黙っていた。 暮しの道について選り好みす」 「少なくとも他の人間みたいに、 ウイレット老の心の目に浮かぶ西インド諸島は、いや外国 ズなんかできませんよねえ。『これをやって見よう』とか、 れはいやだ』とか言っちゃいられないんで、できる仕事ならはすべて、いつも仲直りの煙草をふかしたり、斧を振り回し からだ たり、身体に妙な模様をいれずみしている野蛮人の住む土地 デ何でも、まあまあましな方だと感謝してやらなきゃいけない でしょ , っ だった。だから息子の一一 = ロ葉を聞くやいなや、椅子にそっくり えつ、何とおっしゃいました」 モ , っ′、し ウイレット氏は考え込みながら、小声で「サルワナーの防返るとバイプを口から離し、あたかも息子がすでに棒杭に縛 衛戦」とか何か繰り返していたのだが、聞かれてしまったのりつけられて、元気のいい土人のなぶりものにされているの でばつが悪そうな顔をしたまま、「いや、何でもない」と答を眺めているような目つきで、息子を眺めた。彼の感情がど えた。 のような形で表現されたかは、誰にもわからないし、またそ 「さて、お父さんーーーエドワード様は西インド諸島から帰っんな必要もなかったのだ。というのは、彼が一一一一一口もしゃべら ぬうちに、目に一涙をいつばい浮かべたドリー・ヴァーデンが て来なさったのですよ。あの方が行方不明になった日 ( ばく 駆け込んで来て、何の説明もなしにジョーの胸に飛び込むと、 が家出したのと同じ日でした ) そこの島の一つに向かう船に 乗ったのです。そこに学校時代のお友達が農場を持っていた白い両腕をその首に巻きつけたからである。 ! 」ジョーが叫んだ。「ドリー のですが、友達に会うと見栄も外聞も捨てて、そこで雇って「ドリー いつまでもそう呼 もらいました。そしてーーー要するに成功してお金持になって、 「そうよ、どうかそう呼んでちょうだい。 かぎや かわい ご自分の商用でこちらに来て、すぐ急いで戻る予定なのです。んでちょうだい」鍵屋の可愛い娘が叫んだ。「わたしに冷た よそよそしい口のきき方なんかしないでね。わたしのや ばくたち二人ともほば同じ頃に帰国して、この前の騒ぎの最 った馬鹿なこと、すっと前から後悔しているから、叱らない 中に再会したことが、いろんな意味で幸いしたのです。昔の お友達のためにいくらかお役に立っことができただけではなでね。でないとわたし死んでしまうわ、ジョー くて、ばくがお父さんに厄介をかけないで自分の道を切り開「ばくが君を叱るなんて ! 」 くチャンスともなったのですから、簡単に一一 = ロうとですね、お「そうよ・ーーだって、あなたがおっしやった親切で正直な一一 = ロ 父さん、エドワード様がばくを雇ってもいいと言ってくださ葉の一つ一つがわたしの胸にこたえたからよーーわたしのや しんばう ったことをじっと辛抱してくださったあなたーーーーわたしの気 るのです。ばくは片腕一本でもあの方のお役に立てるという ころ え おの
E ・プロンテ 128 安心しきってたのね。 っちにいるよ」 すわったまま悲しいもの思いにふけるうちに、時計は八 あけようとしたあたしを彼はとっぜんひきとめて、とっ 時を打ち、九時を打ち、それでもヒンドリーは行ったり来ても変な言いかたをするの かんめき たり、深く胸もとまで頭をたれて、ものも言わず、ときた 「たのむからしつかり鍵をかけて、閂をおろして寝てく まうなり声や苦しげな叫びが口から漏れるだけだったわ。 れよーー。ーぜったいに忘れないでくれ ! 」 「ええ、 あたしはこの家のどこかで女の声がしないかと耳を澄ま しいわ ! 」とあたし答えたわ。「でも、なぜです せながら、狂おしい後悔や暗い末来への予想にせめたてら の、ヒンドリーさん ? 」ヒースクリフといっしょの部屋に れているうちに、とうとうおさえきれなくて溜息や泣き声鍵までかけて閉じこもるなんて、考えただけでいやだもの。 が出てしまったのね。 「これだよ ! 」と答えて彼がチョッキのポケットから出し 自分ではそんな声なんかたてたつもりはなかったのに、 たのは、なんだか変てこなピストルで、銃身に両刃のとび それまでこっこっ歩きまわっていたヒンドリ ーがすぐ目の だしナイフがくつついてるの。「やぶれかぶれの男にとっ まえに立ちどまり、はじめて気がついたみたいにびつくり てこいつはたいへんな誘惑だよ、そうだろう ? おれは毎 してあたしを見てるのよ。思いだしてくれたのをさいわい 晩こいつを持って二階へあがり、やつの部屋の戸をゆさぶ に、あたしは大きな声を出したわ ってみずにはいられない いちどでも鍵があいてたら、や 「旅の疲れがありますから、はやくやすませていただきた つの命はそれつきりさ。毎晩くりかえすんだからな。たと いの ! 女中さんはどこですか ? 来てくれないから、あ えその一分まえまで百も理由をならべたてて、やつばり思 たし自分で呼んできます ! 」 いとどまろう、殺せばおれの計画が狂ってしまうと考えて 「女中はいないよ」という返事なの。「自分のことは自分 しても、どうしても悪魔にそそのかされてしまうんだ。き ひとりでするんだね ! 」 みも亭主がかわいかったらなるべく長く悪魔とたたかって 「どこで寝ればいいの、それなら ? 」とあたしはもう涙声 みるんだね。いざというときには天使が総出でとめに来た ていさいなんかかまっていられないくらい疲れとみじ って、やつはおしまいなんだから」 めさにうちひしがれてしまったの。 その凶器をつくづく眺めてたら、おそろしい考えが浮か 「ジョウゼフがヒースクリフの部屋に連れてってくれるだ んだの。こんな武器をもってたらあたしもさそ心強いだろ ろう」と彼が言ったわ。「そのドアをあけてごらんーーーそ うに ! 彼の手からそれを取って、ナイフの刃にさわって ためいき
「いや、それは自分でとっておきたまえ。持っていていいよ。 じゃらの咽喉に流し込みながら、「ご命令とあれば、人殺し わたしは泥棒でも、盗品故買屋でもないから。わたしに見せだってやりますぜ ! 」 なくてもいい。隠した方がいいよ、急いで。隠し場所もわた 「そんなことを命令するつもりはないし、君はその調子でど しに見せない方がいい」そう一言うと、彼は横を向いた んどん行ったら、命令されなくてもやってしまうかもしれな 「盗品故買屋じゃないだって ! 」ヒューは次第に相手に頭が いから」チェスター氏は完全に落ち着きはらって、「君さえ 上がらなくなりながらも、ぶつきらばうに言った。「じゃあ、よければ、もう一杯でやめることにしよう。君はここに来る 旦那、こいつはどうしようってんだい」そしてがさつな手で前に飲んでたね」 たた 手紙を叩いた。 「おいら飲める時にや、 いつだって飲んでるんだ」ヒューは 「これは全然別さ」チェスター氏は落ち着きはらって言った。空のコップを頭の上で振り回し、めちゃくちゃ踊りの格好を しながら、陽気に叫んだ。「いつでもそうなんだぜ。 「その証拠をじきに見せてあげよう。君は咽喉がかわいてい ろ , っ ? , つわっ、はつ、はっ ! おいらにとっちゃ、これつ るだろう」 ヒューは袖で唇をこすりながら、ああ、とぶつきらばうに くらいいいもなあねえんだ。他にあるけえ ? 寒い晩に寒さ 答えた。 を吹っ飛ばしてくれて、ひもじい時に空きっ腹を吹っ飛ばし びん 「あそこの戸棚へ行って、そこにある壜とコップを持って来てくれるものが、この他にあったかってえんだ。おいらがち たまえ」 び小僧で、誰からもかまってもらえねえで、おっ死にそうに 彼は言われたとおりにした。旦那は彼の動きを目で追ってなった時、一人前の男の力と元気を出さしてくれたものが、 したが、彼が背を向けている時、彼が鏡のそばにいた時には この他にあったかってえんだ。こいつがなかったら、男の意 ジ 見られなかったような微笑を浮かべた。彼が戻って来るとコ地もなくなったろうし、溝ん中でおっ死んじまったろうさ。 っ 一フ ップに酒を注いでやり、飲めと言った。それが空になるともおいら足ががくがくして目もかすんじまって、よたよたの病 人になっちまった時に、元気を出せよって言ってくれた奴が、 う一杯、さらに一杯注いでやった。 こいつの他にどこにいたかってえんだ ! 知らねえな、他に ナ「何杯までいけるかね」またもや注ぎながら彼は尋ねた。 「旦那が注いでくださるだけ、何杯でも。どんどん注いでく だから旦那、おいらこいつのために、酒のために乾杯 だせえ。なみなみとね。真ん中へんに泡が光っている酒のコするんだ。わっ、はつ、は , 「君はひどく諭快な若者だな」チェスター氏は極めて廩重に ップときてらあ ! こいつがどっさりいただけりや」毛むく そで
「マーサ」鍵屋はできるだけ目をばっちりさせようと努力しれるもんかね。でも、なれるかもしれん。人間みんなそれそ おちど とが ながら言った。「何が不満なんだい。幸せになりたいと願っれ落度があるのだから、あの女の落度を咎めることはすまい もう長いこと夫婦でいるのだから、いまさらってこともない て帰って来たんだよ。本当だよ」 ズ ン 「何が不満かですって ! 」妻がやり返した。「夫が帰るが早だろう」 ケ デいかむつつり寝込んでしまうーーー家の者の暖かい気持を凍ら彼はまたこっくりこっくりやりだしたーー彼の気のいい性 せ、炉端に水をぶつかけるーー。これじゃ愚痴も出るじゃあり格のせいであろうが、前と変らず央そうな様子で。彼の目 ませんか。わたしだって関心がある用事で夫が出かけて行っ が閉じると、二階に通するドアが細目に開いて、人間の頭が あらわれたが、 たことはわかっている、それだったら出来事を全部知りたい 彼の姿に気づくとあわてて引っ込んだ。 と思うのも当然でしよう。わたしが頼まなくても話してくれ「誰かが」その物音で目をさましたゲイプリエルは、あたり を見回しながらつぶやいた。「誰かがミッグズと結婚してく るのが当然じゃありませんか」 ゞとこカ 「わしが悪かったよ、マーサ」人のよい鍵屋が言った。「おれればいいんだがなあ。でも、そりや無理な相談た。。 にミッグズと結婚してくれるような気違いがいてくれるとい 前はあんまり央におしゃべりなんかしたい気分でないと思 いんだがなあ ! 」 っていたんでね。何でもみんな話すよ。喜んで話すとも」 しいんですよ」妻はこう答えながら威厳をもって立ち上が これはかくも壮大な希望なので、彼はまたもや居眠りをは じめ、今度目をさました時には炉の火は完全に燃え尽きてし 「ありがとう。でも結構なんです。わたしは叱ったか まった。とうとう起き上がると彼は習慣どおり玄関の戸締り と思うとすぐに宥めすかす子供とは違うんですからーーわた しはそれほど幼稚じゃありませんよ、ヴァーデン。ミッグズ、を二重にし、鍵をポケットに入れると寝に行った。 明りをとっておくれ。お前ぐらいは陽気になってくれるわ 彼が居間の明りを消して数分たっかたたぬうちに、例の人 間の頭がまたもやあらわれ、シム・タバーティットは小さな ランプを持って姿を見せた。 これまで同情のあまり陰気のどん底に沈んでいたミッグズ は、途端にこの上なしの央活ぶりに変身し、旦那様の方を見「何だってあいつはこんなに遅くまで起きてやがったん だ ! 」シムは仕事場へ入って行くと、鉄床の上にそのランプ てつんと頭を振ると、奥様と明り同伴で退場した。 さび 「やれやれ」ヴァーデンは肩をすくめ、椅子を炉に近づけなを置いた。「もう夜が半分過ぎちまった。忌々しい錆だらけ かなもの がら考えた。「あの女が陽気に央になれるなんて、考えらの鉄細工商売で、ひとつだけとりえがある。それはこの金物 なだ かなとこ
足を踏み入れようとはせず、都会を二度と再び見たいとも望 州ます、この嫌悪の情を棄てることがなかった。 グリップはやがて本来の姿を取り戻し、昔と同じくつやや ズ ン かでなめらかになった。しかし完全な無口になってしまった。 ケ イ ニューゲイト監獄に入っている間に上品な会話術を忘れてし まったのか、それともかの騒乱の時期にあって、自らの諸芸 百般の披露を一時中止すると誓ったのか、その辺ははっきり しかし、はっきりしているのは、彼がまる一年間真 じめ 面目くさった上品な鳴き声しかあげなかったことである。ま ひぎ うまや る一年たって、ある快晴の陽射しうららかな日、厩の馬ども やかん に向かって、本書で何度も紹介した「薬缶」云々について演 説しているのが聞かれた。それを洩れ聞いた証人が知らせを からす 持って母屋に駆け込み、もう一つおまけに烏の笑うのを確か に聞いたと厳かな証言を行なう暇もないうちに、、 ご当人が酒 きてれつ 場の戸口のところまで奇妙奇天烈な足どりでやって来ると、 有頂天になったように「おれは悪魔だそ、おれは悪魔だぞ、 オレハ悪魔ダゾウ ! 」と叫んだのであった。 それ以来 ( ウイレット老の死によって大、 しにがっノ、り・米た とか噂されてはいたが ) 彼は下品な言葉を絶えず練習しては、 ますます上達の一途をたどって行った。バ ーナビーが白髪に なっても、彼は烏としてはほんの赤ん坊だから、きっと今日 までがなり続けていることだろう。 原題 BARNABY RUDGE 訳注 三一一七下道路通行料金取立所鉄道が普及するまではイギリスの主な街 道はほとんど全部私設有料道路になっていて、要所要所に門ができてい た。徒歩の人間は無料で通れるよう横に細い道がついているが、馬や車 は番人に金を払って、門を開けてもらわないと通れないようになってい 三一一九下軽いギニーギニーとは本来一・〇五ポンド ( 一ポンド一シリ ング ) の価値を持っ金貨であるが、よく悪者が金貨を「王水」 ( 濃硝酸 と濃塩酸の混合液で、普通の酸では侵されぬ金や白金を溶かす作用を持 っ ) に浸して金を溶かし出し ( これを「汗出し」と呼んでいたが ) て金 儲けをした。このようにして金が目減りして軽くなったギニー金貨は 「軽いギニー」と呼ばれ、「価値のないもの」の代表として使われる。 三三一上新川口ンドン市の水道のために一六一三年に作られた上水路 で、北隣のハーフォード州から流れて来て、クラークンウエル付近の水 道取入口 ( 第章、七四一。ヘージ参照 ) から地下の導水管に流れ込む。 なお三〇三ページの地図参照。 三三四下プロメテウスの生き肝プロメテウスはギリシャ神話に出て来 る周知の人物。人間のために天から火を盗んだ罰として、ゼウス神の命 わし 令で鎖で山頂の岩につながれ、昼間は鷲によってその肝がむさばり食わ れるが、夜になるとまた肝が大きくなる。 三三四下ジョージ・ こ歌われた人物で、これを ンウエル古い俗謡。。 主人公にしたジョージ・リロの芝居 ( 一七三一年初演 ) は十八世紀を通 じて好評を博し、何度も上演された。彼はロンドン市内に住む徒弟であ しようふ るが娼婦に惚れて堕落し、ついには泥棒、人殺しになる。しかし娼婦の 手で警察に訴えられ、最後は死刑になった。デイケンズもこの芝居を好 んだらしく、彼の作品には、よくこの名が出て来る。 三五一上八種変奏法西洋の教会の鐘は日本のお寺のそれとは違い、音
601 バーナビー 。末亡人はまだ膝の上やまわりの土の上に、手仕事の麦藁そしたら一所懸命になって掘り出すぜ ! 」 を置いていた。バ ーナビーは鋤にもたれながら、西の空のタ「お前にはわかるまいけどね」母親は椅子から立ち上がると 映えを見つめ、そっと鼻歌を歌っていた。 息子の肩に手をやった。「人間は金を手に入れようといろん 「お母さん、素晴らしいタ方だねえ ! 向こうのあの空に積なことをやったのだけれども、いざ見つけてみたら、遠くか らきらきら光って見えたものが、手にとって見たら光のない んである金のかけらを、二つ三つでいいからポケットにちゃ らちゃら持っていれば、ばくたちは一生大金持になれるねつまらないものに変ってしまった、ということがいくらでも あったのだよ」 「うん、うん、お母さんはそう言うんだね。お母さんはそう 「今のままの方がいいわよ」未亡人は静かに笑いながら答え た。「今のままで満足していましよう。お金がわたしたちの考えるんだね」息子はまだ熱心に西の方を見つめている。 あ。し - もと 「でもね、やつばりばくは見つけて見たいなあ」 足許に転がって光っていたとしても、そんなものは必要でな 「そら、あんなに真っ赤なのが見えないかい。金ほど血で汚 いし、持ちたがる必要もないわ」 「そうだなあ ! 」バ ーナビーは鋤の上で腕を組み、入り日をされているものはないんだよ。近寄ってはいけないよ。わた したちほどその名前を憎む資格のある人間は、よそにはいな じっと見つめながら考え込んでいた。「それはそのとおりだ いのだよ。金なんて考えるのもおよし。金がお前やわたしの ね、お母さん。でも、金というのは持ってていいものだよ。 金の見つかる場所がわかればいいんだけどなあ。グリップと身の上にどれほどの悲しみと苦しみをもたらしたか、誰も矢 らないほどだし、わたしたちのような目に遭う人間がこれか ばくは金があればきっといろいろなことができるんだがな ら出ないように、申様にお願いしましよう。お前が金を愛す あ」 るよ , つになるくらいなら、 いっそのことわたしたちが死んじ 「どんなことをしたいの」 「どんなって、どっさりあるさ , 立派な着物を着てーーおやって、お墓の中に入った方がいいくらいだよ」 日バーナビーは目をこちらに向けると、驚いたよう 一瞬の門 母さんと、ばくがだぜ。グリップじゃないよーーー馬を飼って、 犬を飼って、派手な色の飾り物をつけて、羽根飾りもつけて、に母親を見つめていた。それからタ焼け空から自分の手首の あぎ 仕事なんかやめちゃって、気楽に上品に暮らすのさ。金の使痣に目を移し、まるで二つを見比べているような様子で、母 い道なんていくらでもあるさ。ばくたちにとってためになる親に何か熱心に問いかけようとした時、新しいものに気をと 使い道がね。金が埋っている場所がわかればいいんだがなあ。られ、移り気な彼は質問をすっかり忘れてしまった。 ひぎ すき
とら ひろ 「何と無鉄砲な男だろう ! 」秘書が叫んだ。「はつはつは , ゆる機会を捉えてそれを確証したり、よそへ拡めて回った。 ンに戻 このようににしく奔走しながら、二十回目にホー 大胆で、荒つばくて、すごくむちゃくちゃな男だ ! そのう って来た時、大勢の女子供の群がーー息を切らせ後ろを振り だが秘書は最後まで言う必要はなかった。三人は酒場から向きながらーーー通りを走って来て、何やら口々にわけのわか らぬことを口走るのが、彼の耳に聞こえた。このことと、両 飛び出してしまって、もう声も届かぬ先へ行ってしまったか ら。彼は笑いを中断すると耳を澄まし、手袋をはめると、後側の家並を赤く染める光とによって、われらの友の一団が実 ひとけ 際に近づいて来たことを納得した彼は、通りがかりに開いて 手を組んだまま人気のない酒場の中を長いこと歩き回ってい いた玄関口から、とある家に入れてもらうと、他の人たちと たが、それから忙しい町の方へと足を向けて出て行った。 街路は人でいつばいだった。その日の事件の噂が大変な騒一緒に階上の窓に駆け寄り、群衆を見下ろした。 たいまっ 松明を持った一団の中に、おもだった顔ぶれがはっきり見 ぎを巻き起こしたからで、家の外に出たくない連中は玄関や 窓のところに集まり、どこもかしこも一つの話題が独占してえた。連中がどこかの建物を壊して来たということ、それが そ、つりよ いた。暴動は完全に鎮圧されたと言う者もいれば、再燃したカトリックの教会であることは、僧侶の祭服やら、祭壇の立 という者もいる。ジョージ・ゴードン閣下は厳重な護衛の下派な飾りのかけらなどの分捕品を意気揚々と担いでいるとこ すす にロンドン塔に送られたと言う者もいるし、国王暗殺末遂がろから、充分はっきりとわかった。全身煤と泥と埃と石灰に あったと言う者もいるし、軍隊がまた出動して、つい一時間まみれ、着物はばろばろに裂け、髪の毛はざんばらに垂れ下 くぎ がり、錆びついた釘の傷で手や顔を切り傷と血だらけにした もたたぬ前に、市内の遠くの方で銃声がはっきり聞こえたと ーナビーとヒューとデニスが、恐ろしい狂人のように一同 言う者もいる。暗くなるにつれてこれらの噂はますます険悪 なぞ ジ になり、謎に包まれるようになった。暴徒たちが近くにいて、の先頭に立って足早に歩いていた。その後から群衆が押し合 いへし合いついて来た。歌を歌う者あり、得意そうに叫ぶ者 こっちにやって来るぞう、とおろおろ声で叫びながら通りを けんか 一駆ける者がしばしばいた。そうすると一同は玄関を閉めてあり、仲間同士で喧嘩する者あり、通りすがりに見物人を脅 閂を掛け、下の窓をしつかり閉める。まるでロンドンに外す者あり、また大きな木の破片を持ち、まるで生き物に対す うつ るように、それを八つ裂きにして空中に高く投げ飛ばして鬱 国の軍勢が押し寄せたような大恐慌が巻き起こっていた。 ぶん ガッシュフォードは人目につかぬよう歩き回り、人の噂にを晴らしている者もあり、ぐでんぐでんに酔っ払って、落 れんが きき耳を立て、自分にとって都合のいいデマがあると、あらちて来た煉瓦や石や梁で怪我したことに気づかぬ者もあった。 かんめき