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検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」03 -イギリス2
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」03 -イギリス2

村の伝統的文化は、集約農業と機械力によって急激に崩壊 いる。が、「因襲的な側面」と「自然的な側面」をともにも し、富以外のすべてのものが平均化に向かっており、その中っ彼女も、裏切られてからは当初から認められた衝動的側面 での南米移民熱、おかしな宗教熱、そして彼女の前に現われを出すことが多くなり : : : そう、衝動に駆られてアレックを おおもう イ デるのは北部で大儲けした俄か成金のどら息子、与えられた教殺すことまで当然含めて、テスは文字通り a pure woman in nature であったのだ。 会や教育に抵抗して家を出ている進歩的青年、無表情なエン つまり読者の眼の前に展開するのは、まごうか それほど時間内における人間を描きながら、いわゆるリア たなき歴史的時間の現実世界なのだ。そういえばドナルド・ 丿ズム小説であるかといえばこれがそうでないし、また逆に みな デイウイは、ハ ーディは、あの時間を循環するものと看做しダーバヴィル家四輪馬車伝説がテスの身の上に再現した、と 歴史的時間を超越しようとしたイエイツとは全く対照的な詩 いう神秘主義小説であるのかといえば、これもそうではなく 人であったとしし 、、、「彼は、歴史となって記録されていく時て、つまりじつはここ , ーディのアート、彼のいわゆる 間の、その直線的な展開を詩が超越できるという主張を怪し「偽のものによって真なるものの効果」をあげるための「も んだようであり、また他の詩人たちには確かに怪しむように っとナチュラルな魔法」ーー一一一一口葉は悪いが現代的詐術と呼ん し向けた」と記していた。その意味合いでならば、ここにはでも一向に差し支えない 「秘訣」がある。 。無論そ 風俗小説もあるし、社会小説もある、と言っていし すなわち物語の歴史的現実世界と、ある予言的伝説との、 れだけではなくて、そのことをいま問題にしているのだけれまた作品中にしばしば現われる数々のバラッドとの重ね焼き によって、現実の底にある世界の真実を一つの「印象」とし その中にあって、テスは副題どおりのゞ pure woman' て読者の耳に残そう、というのがハーディのこの作品の方法 ーディが、人びとは 'pure' という語の〈自然〉におだった。たとえばこの公式四輪馬車伝説の予言が実現した、 だれ ける意味を蔑ろにしている、と第五版以降の序で抗議してと誰が言い切れるだろう。しかし、そんな予言の実現などは い , っと ) ころの a pure woman in nature として、彼女あり得ない、 とまた誰が言い切れるだろう。そしてハーディ なりに真の人間として精いつばい現実と格闘しながら生きてはこの伝説の扱いに、出し方に、極めて慎重であり、用意周 ー・一丁イ・は ゆく。両親から「おかしな娘」と言われるほどの現実感覚と 到であるのだ。その話が出てきかけると、途端にハ 自立心を持ち、罪の意識に法え、友情にあふれ、悩み、そし うまくその話の腰を折り、話題をそらしてしまうし、語り手 一 : っ一つ つか」 て自然と一体になる恍忽も、生に対する実存的疑問も知ってに物語の最後に悪名高い「神々の司」をもち出させても、予 0 おび

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」03 -イギリス2

のだから、こうした男女を問わす眼の高い読者諸氏に直接お 会いして、握手を交わすことができないのを残念に思う。 そんな人びとの中には、じつに寛大にこの物語を歓迎して 下さった、圧倒的多数の書評家たちが含まれている。それら の文章は、他の人びとと同様彼らもまた、私の語りの及ばな い所を、惜しみなく諸氏自らの想像的直観によってつぐなっ この小説では、従来、女主人公という役柄にとっては致命 的、いや少なくともその企てや希望に決定的なとどめをさすて下さったことを示していた。 にもかかわらず、この小説の狙いは教訓的であることでも、 ものとして扱われてきた出来事を経験した後に、ヒロインの けんか 偉大な戦いが始まるのである。だから世の人びとが本書を歓また喧嘩を売ることでもなく、舞台風景に関する部分ではひ おお たすら再現をこととし、観照的な箇所では、多くの場合何か 迎し、また私の意見、つまり誰にも知られている破局の蔽い 隠されている側面について、これまで語られてきた以上に何確信を述べるのではなくて、印象を盛ろうとっとめたのに、 はず かフィクションのかたちで語るべきものがある筈だという私題材についても表現についても異議を唱える人びとが跡をた の見解に、同意が得られるだろうなどと思うのは、世間一般 なかでも厳しい部類に属する人びとは、なかんすく芸術に の習いにまったく背反することであったのだ。けれどもイギ 丿スおよびアメリカの読者諸氏に、この『ダーバヴィル家の適した主題は何かという点で、良心的な意見の相違を主張し、 テス』が幸いわかってもらえ受け入れていただけたというこそして、この小説の副題に用いた形容詞の観念を、文明の スとは、すなわち物語をただ声高なばかりの社会の公式に合わ種々の定めから生じた人為的、派生的な意味以外の意味と結 のせるよりも、声なき声の方向に据えようとした計画が、たとびつける力のないことをさらけ出しているのだ。彼らは、自 。レ え出来上がりこそご覧のとおりむらのある不完全なものであ身の信するキリスト教の最もうるわしい側面からなされるべ イ き精神的解釈は言うに及ばず、この語に関するあらゆる美学 ヴっても、あながち間違いではなかったことを証明している、 一と一言えるのではないだろうか。このご理解に対して、私は感的要請とともに、〈自然〉におけるこの語の意味を無視して 謝の念を表明せずにはいられない。通常この世においては友いる。べつの人びとは、この小説の体現している人生観は、 まれ かっ 十九世紀末に広まってきたもの、それ以前のもっと単純な世 情に渇えながらも満たされることはきわめて稀であり、また 故意に誤解されないだけでも一つの親切と感じられるはどな代のものではないという、本質的にはただそれだけの断定を 第五版への序 ねら

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1324 トマス・ / 、一ディ たいとの幼時からの夢が、今やロマンチンの覚醒を思わせる、あの嵐の中の大騒 このことは重要だ。先にクリムの最後 ックな救いへの希求と化しているだけ。動がそれだ。その時こそ、表題 The を周縁的存在と述べたが、いみじくもク リムの物語全体が、文明の周縁的存在Ⅱ情緒の点では末成熟。つまり「〈自然〉 Return of the Native がもつ、いま一 とは、本質的規範に対してはそうでない つの深い意味が実現する時だと一一一一口える。 作家となった作家ハーディの故郷におけ べんぎ 一丁イ・は ・べィリーはかって、 が、人間がただ社会的便宜のために考え る位置を表象している。要するにこの作 ロロよ、トマス ーディの自画像だと称た文明の規範に対しては無頓着なもの」「片や彼の知る世界、創造者として十全 して過言ではない。 ーディ ) だという深い自覚に到達しな、また最も魔術的な意味でその一部で えないでいる。だからこそ、彼女もまたあった世界と、片やテスのように " モダ でも表題はそれだけの意味か、と問い うず 直すとき、エグドン荒蕪地の自然を失念エグドンの自然と「心底永遠に融和するニズムの疚き〃に苦しむ、見捨てられて ことなどありうるはすがない」のだ。 していたことに気づく。とは言っても、 も探求をやめない孤独な意識の間に、深 しかし、たとえ融和できないとしてもくひき裂かれた」人であったと語った。 例えばュースティシアーーー彼女の登場の ひけっ こんぜん : そう、ここにこの作品の戦略的秘訣じじっ宇宙内に様ざまな意味合いにおい させ方は彼女が自然と渾然一体をなす存 在かと読者に錯覚させるが、そうではな がある。デイケンズの展開する世界は現て断ち切られほうり出されている、コズ へきとう ミックな意味でデラシネである人間存在 いのである。彼女には物語劈頭の、あの実が現実以上に迫真的な夢の世界だが、 近代文明に虐げられて屈辱にじっと耐えしかしハーディ小説では「夢の世界が悪の現実ーーー。それを形象化したのがこの作 品なのである。 ているエグドンの美、「もっと微妙な、夢のような同時結合というかたちで : もっと非凡な本能に訴える美、近年になその時までは全く正気であった日常的経 かんよう わか って涵養された情緒に訴える美」が判ら験、白日下の欲望の世界につき当たる」 ない。なせか と語ったのは・ゲラードだが、至言で それはクリムが、まことエグドンに似ある。第二巻でユースティシアの見る予 ふうばう つかわしい風貌をもちながらも、深いと言夢は実は自然と彼女が豊かに通底して ころで不条理な自然に逆らった非現実的いることを物語っているが、その訳の判 な夢にとっ憑かれているという、あの内らぬ夢をなそるように、エグドンの自然 こんとん くびき 実に似ている。よし近代社会文明の軛にと彼女の自然が渾然一体、混沌の中で突 逆らっているかに人の目に映ったとして如一大乾坤をつくりだす瞬間は最後に訪 も、具体的に言えば「素敵な女」になりれる。まるで横たわっていた巨人タイタ っ けんこん かくせい

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1323 文学作品キイノート トマス・ハーディ 《登場人物》 じゅすい ーター堰にはまり込んだのか、入水した娘で小都会バドマス育ち。両親の死後は はエグドンの「風景、実質、においさえ し こうぶち のか。救出しようとしてワイルディーヴェグドン荒蕪地に住む祖父のもとに身をも滲みついている」。だが、その彼にも できし は彼女とともに溺死、クリムだけが一命寄せていた。「エンドールの魔女」を気帰るべき故郷はついになかったことに、 がくぜん をとり留める。 取る情熱家だが、実は大の田舎嫌い 読者は愕然とさせられる。華やかな大都 」もうまい その後、創造主を貶めまいと仮説をとリ暮らしを夢見たけれど、思い叶えられ会パリから彼は、蒙昧な村人たちを啓蒙 りつくろう村人たちをよそに、末亡人トず、情念をくすぶらせたまま溺死。 しようと、「質素な生活、高遠な思想」 - : つまい マシンは今や本来の酪農場主に戻ったヴ ディモン・ワイルディーヴ技師上がという高邁な志を抱いてターン。けれ しよせん クワイエット・ウーマン エンっ紅殻屋みはトマシンを護るためりの「淑女亭」経営者。トマシンとども所詮、回帰は不可能。せいぜい伝統 の一時的便法であったのだ ) と再婚する結婚しても女蕩しは直らず、ユースティ的農村社会の周縁的巡回説教者となるの ひ こととなった。そして今日も荒野には、 シアに惹かれ、彼女を救おうとして溺死が関の山なのだから。 哲学的体系など持たぬ巡回野外説教師とする。 しかし、そもそもハーディ自身、必す なった、盲目のクリムの姿があった。 トマシン・ヨープライトクリムのやしも田園作家ではない。ちょうど、あの さしい従妹で、叔母ヨー。フライト夫人の . フランドルの画家。フリューゲルが単なる やっかい もとに厄介になっていた。間違ってワイ農民画家ではなかったように、とでも一一 = ロ クリム・ヨープライト幼時父親を失ルディーヴと結婚。夫の死後はヴェンとおうか。いや顧みれば母親はもと女中、 という貧しい階級から世間的には作家と リの宝石商のもとで。フルジョア生再婚する。 活を送っていたが、「富よりも英知をもデイゴリー・ヴェン酪農場主になるして立身出世を遂げた、典型的ヴィクト たらす知識」を貧しい民衆に、と一念発べきところ、求婚を拒まれても献身的愛リア朝人であった。要するに、ふるさと かな 起して帰郷。しかし念願は叶えられず、を捧げるトマシンのために、紅殻屋に身回帰のできないデラシネ。なるほど消え 母と妻は非業の死を遂げ、彼自身も視力をやっして彼女を護る。最後にはついにゆく伝統的文明を心から惜しんだハーデ イではあった。、、 : を失うに至る。 結ばれる。 力しかし前近代的農村 ヨープライト夫人ひたすら一人息子 の人々を内側と同時に外側に立って描く ことができたのも、・ウィリアムズの に深い愛情をそそぐその母親。自分を裏《解説》 いわゆる「教育とそして出身階級、近代 切った息子夫妻と和解しに行き、すれ違表題の " 帰郷。から、読者は誰しも、 主人公クリム (=The Native) の帰郷を的知性と仲間意識」という一一律背反を身 いと誤解から荒野で息をひき取る。 ュースティシア・ヴァイ軍楽隊長の指していると思うはずだ。たしかに彼にをもって体験したからこそである。 せき おとし 一さ たら

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1326 マイケル・ヘンチャード二十歳の頃子とばかり町長は信じていたが、実はス舞台背景となるキャスタープリッジの は腕つぶしが強く、気性の激しい乾草刈 ーザンとニューソンの間にできた子だっ町は、片や鉄道、農業機械などの新しい りであったが、今や穀物商にして町長。た。 薄幸の身ではあったが、自分を磨き、文明が侵入する以前のピクチュアレスク がたキ しかし初め片腕、やがて商売仇となった義父とその運命、つまりは自分の宿命をな自然と、片や新しい近代的都市機械文 きぜん ファーフリーに敗れてからは、零落の一毅然として受けとめる。 明の「接点」として位置づけられている。 途を辿る。最後は、その性分を貫いてひ 小都会であっても「田園の神経節」、つ とり孤独な死を迎える。 《解説》 まり自然がゆき交っている ドナルド・ファーフリーより近代的 この作品の副題は「 a Man of Charac- だが、その自然がノスタルジーの対象 たぐい で冷静、合理主義的なスコットランド生 te 「の物語」と銘打たれているが、語り となるような類のものでないことは、ハ まれの青年。農業技師を志していた彼は手は十七章でノヴァーリ スの「性格は宿ーディの愛読者には申すまでもない。例 ノ ヘンチャードこ し見込まれてその支配人と命である」という一句を引用する。このえばヘンチャードが物語の最後で、四半 しの なる。が、やがてその才覚は前者を凌ぎ、 ト兇のテーマはこれにつきる、といって世紀前の場所に四半世紀前と同じ状態に まな たたず ついに前者の社会的地位、元婚約者、愛もかまわないだろう。 置かれて佇むとき、おのれの半生を振り むすめ 4 娘、財産をすべて手中に収めてしまう。 主人公マイケル・ヘンチャードは本質返ってみて悟るのは、つまり、もっと深 むとん スーサン・ヘンチャードマイケルの的には善人だが、しかし倫理的に無頓い意味における「〈自然〉の依估地な じゃく 無邪気な妻。娘とともに夫に売られ、ニ着な偶然の力によって破滅させられて 矛盾」である。言いかえれば、それ じゅうりん ューソンの妻になるが、夫が海へ出て行ゆく。自らモラルな秩序を蹂躙し、そは「人類の向上の可能性を最小限に抑え 方不明になると、再び最初の夫ヘンチャれを愛によって償おうとするが、しかし こもうとたくらむ神々の巧妙な仕組み、 ードを捜し出して再々婚する。やがて病修復は不可能。それでも前近代的な生の要するに事を行なおうとする英知と、な 死。 エネルギーをもったヘンチャードは、挫そうとする情熱の霧散を同時にもたらす せつ きようじ ルセッタ・テンプルマンヘンチャー折しても挑戦し、最後まで矜持をたもち、ような仕組み」なのである。 めし ドと婚約したがふられる。遺産を得た後、そして不確かな宇宙の中に、盲いて、不だから、この小説世界では、満足のゆ ヘンチャードの愛情と名誉回復を求めて安定なかたちでほうり出されている人間 く秩序ある宇宙を人間の知性も、愛も、 あがな 邑に現われるが、皮肉にもファーフリ の条件、というものから顔をそむけるこ贖ってくれないのではないか、という ーと結婚。しかし過去が露見して流産死。とがない。その意味で、これはすぐれて無意識的認識と、そして修復は不可能で エリザベスⅡジェイン二十年前の実実存的な小説であるということができる。あれそれを求めるのが人間的要求だ、と / 二 = ロ インコンシステンシー

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」03 -イギリス2

ことらわれて、あるがままの姿を見落とし 、まるで同じ部屋のありもしない姿し ってきた。腹立ちまぎれに、彼女に向かい ていた。そして、欠点のある方が完全無欠なものにまさるこ の中にでもいるかのように声をかけそうになった。すると、 ささや やみ 諫めるような、悲しげに訴えるような彼女の甘い囁き声が闇とだってありうることを、彼は忘れていた。 デを騒がし、またビロードのような彼女の唇の感触が彼の額を かすめ、そして空気中に、彼女の暖かい息づかいがはっきり と感じられるのだった。 この夜、彼が見下げそして責めていた当の女は、彼女の夫朝食のテーブルでは、プラジル行きが話題になった。農場 労働者の中には向うへ移住したが十二カ月たらずで帰ってき はなんと偉い、善良な人だろうと思っていたのである。がこ うわき ) の二人の上には、エンジェル・クレアの気づいている影よりた者もいる、という悲観的な噂も出たが、それでも皆は、つ ももっと色濃い、彼自身の様ざまな限界という影が垂れこめとめて、かの土地の土壌を相手にためしてみたいというクレ ていた。あくまで自主的にものごとを判断しようと心掛けてアの案を有望視してくれた。朝食後、クレアはその小さな町 に出かけて、その町で彼の身にかかわりのあるこまごまとし はいたものの、過去二十五年間の典型的な所産ともいえるこ た問題に片をつけ、また土地の銀行から預金を残らず引き出 の進歩的な、悪気のない若者も、不意をくらって幼い頃の教 えの世界につき戻されると、依然として、習置と因襲の奴隷した。帰りぎわに、教会のそばでマーシー・チャント嬢に出 なのであった。誰も告げてくれる予一一一一口者はいないし、彼自身会った。彼女はまるで、教会の石壁からにじみ出た香気みた いな感じだった。腕いつばいに彼女のクラスで使う聖書をか 予一一一口者でないから自分に教えるわけにもいかなカったが、こ かえ持っていた。他人には頭痛のするような出来事も彼女の の彼の若い妻は本質的に、同じように悪をきらう心をもった しようき ) ん 他のどんな女にも劣らず、レムエル王の賞讚を受けるに値顔には幸福の笑みをもたらす、というのが彼女の処生観で、 していた。その道徳的な値打は、何をなしたかでなく、どんこれとてエンジェルに言わせれば、人間性をおかしなくらい な性向を示すかによってはかられるべきであったのだ。さらに不自然に、神秘主義のために犠牲にささげた成果である、 うらや とはいうものの、羨ましい話ではあった。 にこうした場合、間近にあるものの姿はそのいただけないと ころをも白日のもとにさらけ出すために、わりを食う。遠く 彼がイングランドを離れることはすでに聞き知っていて、 とても素晴らしい、頼もしい計画ですわねと言ってくれた。 離れてばんやりしていれば、汚点でさえ距離のおかげで芸術 「ええ、営利的な意味では、まず有望な計画であることは間 的美点となって、栄光を与えられるところなのに。彼はテス

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1304 ス〃〃召 B り〃ど アン・プロンテ 。フロンテ姉妹の末娘アン・プロンテのとを大騒ぎするが、アグネスの父が死に 最初の作品で、これもまた自伝的要素が母の希望で、アグネスは実家に帰り、姉 と一緒に小さな学校を開くことになる。 アグネス・グレイは貧乏な田舎牧師のあるとき、浜辺を散歩しているとき、い 娘であるが、父が軽率な投資で失敗、借まは近くの村の牧師補になっているウェ 金を背負ってしまったために、住み込みストンに会う。彼はふたたびアグネスを 家庭教師となって家計の助けをする決心訪ねているうち、ついにアグネスに求婚 をする。ます。フルームズフィールド家にする。こうして彼らの質素ではあるが幸 住み込むが、両親は手前勝手、子供たちせな結婚生活が始まる。 は甘やかされ放題、頭は悪いうえに、す アン・プロンテの『アグネス・グレ べてにかけて反抗的で手に負えない。アイ』には、姉たちの作品に見られるよう グネスの教師としての能力も疑われ、つな道徳的切迫性とか激情の力強さとかは しに彼女は解職され、しばらく家で静かない。姉たちに較べれば、文学的才能は な生活を楽しむ。やがてマレー家の家庭明らかに劣ってはいるけれども、アンは 教師の職を与えられ、もう一度家を出る。三姉妹の中では実際の家庭教師の経験が ここの両親もアグネスの仕事にはなんの最も多かったので、当時の家庭教師が置 関心も示さず、子供たちも、ただ一人アかれていた厳しい社会的状況がこの作品 グネスに好意を寄せてくれるロザリー以 には最も具体的に描かれている。しかし 外は、まったく始末に負えない子供ば かそれにもかかわらす、この作ロには市こ りである。 ちの作品にはない明るい雰囲気がある。 マレー家のあるホートンの教会に新し ( 川口喬一編 ) い牧師補ウエストンが赴任して来る。マ レー家の娘たちもこの新しい牧師補のこ 『アグネス・グレイ』ゝ g ミ G 、一 847 ゝ 0 B 「 0 ミ、

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・ダービフィールド はどの輪郭の線も男性美の極致であり、彼の魂は聖者の魂、 その知性は予一一一一口者のそれであると彼女は思った。彼への愛の つぶや 「ああ、おっ母さん、おっ母さん ! 」テスは呟いた。 その愛としての知恵が、彼女の威厳をささえ、彼女は王冠を デ自分には押しつぶされそうなほど重苦しい出来事も、母親戴いているかのようであった。そして彼の自分に対する愛、 のダービフィールドの弾力に富む精神には軽く触れるだけのその愛にこめられた思いやりを察知するにつけて、彼女は自 皮ま時どき、彼女の ものにすぎないことを、ようやく彼女は認め始めていた。母身の真心を高く彼にささげるのだった。 , イ。 ひとみ 親は人生というものを、テスと同じようには見ていなかった。大きな、崇敬に満ちた底知れぬ深い瞳が、その深奥から彼を、 の - つめ・ あの脳裡を離れない過ぎ去った日々のエピソードも、母親にあたかも不滅なるものを眼のあたりにしているかのように、 とってはちょっとの間の出来事にすぎないのだ。しかしそのじっと見つめていることに気づいた。 言い分がどうであれ採るべき方途ということになると、母親 彼女は過去を振り捨てた くすぶっている危険な石炭を の一一 = ロうことは正しかった。ざっと見わたしたところ、沈黙を踏み消しでもするように、それを踏みしだき、消した。 彼女はこれまで、男が女を愛するとき、彼ほど私心なく、 守ることこそは、彼女の恋したう人の幸せのためには最善の みち 騎士的であり、身を守ってくれることがあり得るのだという 途であるように思われた。黙して語らないにかぎるのだ。 こうして、この世でただ一人、彼女の身の振り方を左右すことを知らなかった。エンジェル・クレアはその点、彼女の る権利をいささかなりとも持っている人からの言いつけのお色いろと考えていた彼とは、はるかに、実際途方もなくはる かげで、意を強くしたテスは、落着きをとり戻した。責任は かに違っていた。真実彼は、動物的というより精神的な人で、 転嫁され、気持はここ数週間見られなかったほど軽くなった。己れをしつかりと掌握していて、不思議なほど雑なところが 彼に承諾を与えた後の十月から始まった晩秋の日々は、彼女なかった。決して冷たい人ではなかったが、熱いというより 一 : っ第っ にとって生涯の他のどの時期よりも、精神的な意味で恍惚状もむしろ輝く人ーーバイロン的というよりシェレー的で、生 命をかけた恋をすることはできても、その恋はことのほか、 態に近い境地にあって明け暮れる、季節となった。 クレアに対する彼女の愛には、地上の愛といった風清はま想像的で霊妙なものとなりがちだった。恋する者を油断なく るでなかった。その崇高なほどの信頼の眼に映った彼は、善彼自身の私欲から守ることのできる、それは潔癖な恋情であ なるもののすべてだった。ーー指導者であり哲人であり友であった。これには、わずかなこれまでの経験があまりにも不運 る者の心得るべきことは、すべて心得ていた。彼の姿かたちであったテスは、驚嘆し狂喜した。そして男性に対する憤激

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かんじん するのを見かけてはいても、本質的に自然につきしたがった い事柄を、あれこれと、さも肝腎な要点ででもあるかのよう 信仰世界の中にあって、それは明らかに現実ばなれしたもの し弓した自分の矛盾に気がついた。彼がテスを愛するのは、 であったので、とかく軽蔑していたのだった。 テスその人を愛するからであった。その魂、心、その実質ゅ クレア氏夫妻は、その見知らぬ娘が感心なクリスチャンだ、えであって、酪農場での腕前だとか、教えられる者としての などという、その当の息子自身がいやしくもその肩書きに値資質、そしてむろんのこと彼女の素朴で形式的な信仰表明の するかどうかについては悲しい疑いを抱きながらも、少なく ためではなかった。彼女の純朴な、野外の生き方は、因襲に ともその娘が思想的に健全であるということは見過ごせない よる粉飾を必要とするまでもなく、彼の好みにかなっていた 好条件だと、感じはじめた。特にこの場合二人の結びつきが、のだ。教育は今のところ、家庭の幸せというものが依存して 神意のなせるわざであることは間違いなかった。エンジェル いる情緒や衝動の鼓動には、まだほとんど影響を及ばしてい が正統派的信仰などというものを、選択の条件とする筈はな というのが彼の見解だった。幾時代かたつうちには、 かったからである。両親はしまいに、 ことは急がない方がよ たぶん徳育、知育の制度も進歩して、人間性のあの意志によ いと思うが、その娘さんにいちど会ってみることに異存はならず、意識にのばらないことさえある諸々の本能が、そのお と一一一一口った。 かげでかなりの程度、おそらく相当に向上することもあり得 そこでエンジェルは、今はこれ以上細かい話はもち出さなるだろう。だが今日までのところ、彼の見るかぎり、教養が いことにした。誠実でわが身のことなど省みない両親ではあ変化をもたらしたのは、その影響下で育ってきた人びとの精 っても、それでも彼らなりに、中産階級の人間特有の偏見は神の表皮だけであったと言っても過言ではない。 この信念を スなにがしか潜在しており、それを克服するには多少の手練が彼がますます強くしたのは、女性たちに接してきた経験をと の必要だと彼は感じた。というのは、法律的にみて自分の思い おしてであった。教養ある中産階級から、そのはばは最近、 ルどおりにする自由はあるし、たぶん遠く離れて住むことにな農村社会へと広がっていたが、この体験から彼は、ある社会 ヴるのだから、嫁の条件など親の暮らしには実際上なんのかか層の善良で賢明な女と、べつの社会層の善良で賢明な女の差 一・わりもありえないのだけれど、子の情として、自分の人生の違は、同一社会層ないしは階級内の、善良な女と性悪な女、 わず 最も重大な決定に当たって、両親の感情を傷つけまいと願っ賢い女と愚かな女の差違に較べると、本質的にい力しイカ たからである。 かりのものであるかを教えられていたのだ。 彼は、テスの暮らしぶりに見られる偶発的な取るに足りな 出発の朝となった。兄たちは、すでに牧師館を後にして、 けいべっ

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1251 解説 ようだいである早熟で甘えん坊の。フランウルは、肖像画家エミリーはあまりにもホームシックが激しく、わずか二カ月 を志したがものにならす、結果的には、外の世界に適応できでハワースに舞い戻 0 た。シャーロットはまた、三人姉妹で ぬまま、酒と麻薬に身を持ち崩し、姉妹たちの文学的出発も学校を始めることを思い付き、資格を身に付けるために、べ 知らぬまま、エミリーやアンに先立って死んでいった。 ルギーの。フリュッセルの寄宿学校まで語学の勉強に行った。 三人姉妹の中では、外の世界と調和しよう、あるいは外のこのときもエミリーを連れて行 0 た。ここでもシャーロット 世界を征服しようという点で、シャーロットが最も意欲的・は、翌年には英語教師の職に就くが、エミリーは一年近くプ 積極的であった。居心地のよい、自分たちだけの世界から外 リュッセルを経験しただけで、二度とハワースを出ることは の世界への道を切り開こうとしたのも彼女であった。シャー よ , かっこ。 ロノト。ゝ、なければ、われわれは現在のような形でエミリー このようなシャーロットの体験はそのまま、彼女の自伝的 の作品を読むことはできなかったはずなのだ。 な『ジェイン・エア』の素材となっており、プリュッセルで シャーロットはまず、新しい寄宿学校にはいってもう一度の痛ましい経験は『教授』と『ヴィレット 』の重要な素材と 勉強を始め、のちにはそこの教師にな 0 た。教師として赴任な 0 ている。それに対してエミリーの場合は、イギリスの女 するときには、妹のエミリーも生徒として連れて行ったが、学校での生活とか、ベルギーでの体験とか、ハ ワースの自然 上 / 父。ハトリックの肖像画 ( 五十六歳 ) 中 / 母マリアの少女時代 ( 一七九九年 ) 下 / 長男プランウエルの プロンテ一二姉妺 左からアン、エミリー シャーロット