ロレンス 932 た。そしてはげしい血の鼓動は胸のうちでしだいに鎮まって 「いや、そんなことはないさ。人間はもみあったり、つかみ ゆき、それにつれて意識が徐々にもどってきた。彼は、自分あったりして、肉体的に接近しなければいけないんだ。そう が相手のやわらかい体の上に全身の重みをかけて寄りかカ ゝっすれば人間は健全になるのだ」 ていることに気づいた。もうとっくに身を退いたはすと思っ 「ほんとにそ , っ巴ってるのかい ? 」 ていたので、びつくりした。彼は気をとりもどし、身を起こ 「そうさ。君はそう思わないかね ? 」 すわ して坐った。だがまだ朦朧として安定を欠いている。身を支「うん、そのとおりだね」とジェラルドは言った。 えるために手を伸ばした。それが床に伸びているジェラルド 彼らの言葉のやりとりには、その都度長い沈黙の間があっ の手に触れた。するとジェラルドの手は突然バーキンの手をた。このレスリングは二人にとってなにか深い意味ーーその あたたかく握りしめた。こうして二人は、一人の手が相手の底をいまだ見せぬ意味があった。 手をかたく握って、疲れはてて息も絶えだえにしばらくその 「ばくたちは気持ちの上でも、精神的にも、親密なのだから、 ままでいた。握っているのはバーキンのほうで、その手が、肉体的にも多少なりとも親密になるべきなのだー , ・ーーそのはう すばやい反応を示して、相手の手を強くあたたかく握りしめ、がより健全だよ」 包んだのであった。誘いをかけたバーキンの握りかたは突発「たしかに、そうだ」とジェラルドは言った。それから諭央 的で瞬間的なものだったのである。 そうに笑って、つけ加えた。「ばくには、とにかくすばらし が、正常な意識がもどって来、潮のように退いてきた。バ い経験だよ」と彼は凜々しく両腕を突きだした。 ーキンはふたたび平素に近い呼吸ができるようになった。ジ 「うん」とバーキンは答えて、「でも、人間って奴は自分の ーキンはのろのろと、 ど , っして エラルドの手はゆっくりと退かれ、 やることに理屈をつけて弁護せすにはいられない、 眼まいを感じながら立ちあがって、テーブルのほうに一打っこ。 だかわからんがね」 ウイスキー・ソーダを一杯っしだ。。 、シェラルドも飲みに来た 「そうだなあ」 オし力、 , ん , ん ? 」とハ 「この取っ組みあい、本物だったじゃよ、 二人の男は服を着はじめた。 ーキンは陰の深い眼でジェラルドを見た。 「それに君は美しいなとばくは思、つ」とバーキンはジェラル きやしゃ 「まったくだね」とジェラルドは言った。彼は相手の華奢な ドに言った。「それも楽しいことだぜ。人間は与えられたも 体に眼をやって、つけ加えた。「君にはきっすぎやしなかっ のを楽しまなくちゃね」 たかね ? 」 「ばくが美しいってーーそれ、どういう意味だ、肉体的に
シュラが一一一口った。 ーキンは社交的な仕事から脱けだして、彼らのほうにや ってきた。 「よろしい ではお茶のバスケットを用意させましよう、 スそしたらあなたがた二人きりで。ヒクニックができますーーー名「それをどうなさったの ? 」とアーシュラは訊いた。その質 問をしたくてもう三十分もうすうすしていたのである。 安木でーしょ , っ ? ・」 ロ 「まあなんてすばらしいんでしよう ! そうしていただけた「手ですか ? 」とジェラルドが言った。「機械にはさまれた ら、どんなにありがたいか ! 」とグドルーンは、またも頬をんですよ」 さっと赤くさせながら、熱つばい口調で叫んだ。彼女が彼の 「まあ ! 」とアーシュラは、「それでひどい怪我でしたの ? 」 ほうを向いてその感謝の気持ちを彼の体のなかに注ぎこんだ 「ええ、そのときはね。いまでは大分よくなってますが。指 微妙な身のこなし、それが彼の血管のなかで血をかきたてた。をつぶしてしまいましてね」 「バーキンはどこにいるんでしよ、つ ? 」と彼は一一一口って、眼を 「まあ」とアーシュラは自分で痛みを感じているかのように、 しばたたいた。「カヌーをおろす手伝いをしてもらいたいん大声で、「あたし、怪我した人、嫌ですわ。自分で怪我した ですがね」 みたいに感じてしまうんですもの」そう言って自分の手を振 ってみせた。 「でも、手はどうなさったの ? 怪我をなさっているんじゃ たず ない ? 」とグドルーンは訊ねたが、それはまるで親しみを示 「なんの用だね ? 」とバーキン . が言った。 すのを避けようとするかのように、低い声であった。傷のこ 二人の男は細長い茶色のポートを運んできて、水に浮かべ とがロにされたのはこれがはじめてであった。この女は奇妙た。 なやりかたでこの話題にすれすれに触れて、それが彼の血管「大丈夫ですね、乗っても、ほんとに ? 」とジェラルドは訊 のうちに新鯡で微妙な愛撫を送ってくるのであった。彼はポ ケットから手を出した。繃帯がしてあった。彼はそれに眼を「ほんとに大丈夫よ」とグドルーンが言った、「ほんのちょ っとでも危ないと思ったら、それを押しきって乗るほど、馬 やって、またポケットに入れた。繃帯に巻かれた手を見て、 グドルーンは身ぶるいした。 鹿じゃないつもりよ。アランデルにいたときカヌーを持って いましたの。ですからぜったいに 大丈夫ですわ、ほんとう 「なあに、片手でなんとかなりますよ。カヌーってのは羽根 みたいに軽いんですからね。おや、ルーパト ・女はそ , っ田刀のよ , つにきつばり一一一一口ってから、アーシュラと
ひとみ とうして、わか ている色のない瞳が、一瞬、目にはいった。。 な涙が目からあふれ、はずかしさと、苦しさと、こわさに焼 りきった小細工だなんていうんだろう ? かれる思いで、彼はふるえる左手をこわごわひっこめ、あま 怠けものの、のらくらもの ! と生徒監が叫んだ。眼りの痛さに思わずうめき声をあげた。体はこわさにしびれた 鏡をこわしただって ! 古くさい小細工だ。さあ、さっさと ままふるえ、はずかしさと怒りのなかで、のどから焼けつく 手を出すんだ ! ような泣き声がもれるのがわかるし、焼けつくような涙が目 ほお スティーヴンは目をとじ、ふるえる片手を、てのひらを上から燃える頬をつたって落ちるのがわかった。 にしてまえにさしだした。生徒監が一瞬、指にさわって手を ひざをつけ ! と生徒監が叫んだ。 まっすぐにするのがわかり、つぎに、革帯がふりかざされる スティーヴンはすばやくひざますき、うたれた両手をわき スータン ときに法衣の袖がさらさら鳴るのがきこえる。っえがばきっ腹におしつけた。一瞬のうちにうちのめされ、苦痛にはれあ と音をたてて折れるときのような、かっと燃えてひりひりつがった両手のことを思うと、たしかにかわいそうになってく きさすような痛みのせいで、ふるえるてのひらが火のなかのるけれど、でも、まるで自分のじゃなくて、だれか他人の手 木の葉みたいにくしやくしやになる。その音と痛みのために、のことをかわいそうに思っているような感じだ。ひざますい 熱い涙が目にこみあげてきた。こわさで体じゅうがふるえ、 て、のどにこみあげるすすり泣きの最後をおしころし、わき 腕もふるえ、くしやくしやになって燃えるような土色の手も、腹におしつけた両手のひりひりと焼けつく痛みを感じている 空に舞う葉っぱのようにふるえた。泣き声がロにでかかり、 と、てのひらを上にしてまえにさしだした両手のことや、生 もうかんべんしてと祈りたくなる。しかし、涙が熱く目にに徒監がふるえる手をきちんとさせようとしてしつかりつかん じみ、痛さとこわさで手足がふるえても、熱い涙と、のどをだときのあの感触や、うたれて赤くひとかたまりにはれあが 閉焼きこがす叫びを、彼はけんめいにこらえた。 ったてのひらと指が、宙でカなくふるえていたようすが思い の 家 うかんでくる。 そっちの手 ! と生徒監がどなった。 スティーヴンはしびれてふるえる右手をひっこめて、左手 さあ、みんな、勉強するんだ、と生徒監がドアのとこ 日をさしだした。また法衣の袖がさらさら鳴って革帯がふりかろから叫んだ。ドラン神父は毎日きて、だれかぶたれる生徒 若ざされ、びしっと大きな音がすると、もうれつな、ひりひり がしなしか、怠けてのらくらしてるものはいないか、見てま と焼けつく痛みのせいで、左手はてのひらも指もいっしょにわるそ。毎日だ。毎日だぞ。 ちちみあがり、土色のかたまりになってふるえた。湯のよう生徒監が出てゆき、ドアがしまった。
十 ( たノ、り一込した。 かすのういた手はやさしく形がよくて力がこもっている。そ力がし くそっ、おれはこの言いまわしが気に入ったそ。微笑 して顔。いや、顔はみえない。彳。 皮ま雨にぬれてかぐわしい金 髪に顔をうめている。彼女をだきしめている、そのそばかす家か ふと のういたカづよく形のよい手は、だが、これはディヴィンの みんなより下の石段に立っている肥った学生が言った。 さっきの愛人の話をしろよ、テンプル。みんな聞きた 手ではないか スティーヴンは思わず顔をしかめ、自分の夢想と、夢想のがってるんだ。 ほんとさ、あいつには女がいたんだ、とテンプルが言 きっかけであるしなびかえった小男に腹を立てた。バントリ ーネル ) についての父親のあざけりの文句った。結婚してるのにだぜ。おまけに司祭たちはみんなあの ーの連中 ( ヒー丿ら を裏切った政治家たち が、ふいによみがえってくる。彼はそのあざけりを遠くに押店で食事をしている。くそっ、きっとみんな手をつけてやが るぜ。 しやり、ふたたび不快な気持で自分の夢想について考えた。 なぜあれがクランリーの手ではなかったのか ? ディヴィン 良馬を惜しんで駄馬に乗るというのだろうねえ、とデ の単純さと無邪気さのほうが自分の、いに深くくいこんでいるイクソンが言った。 おい、テンプル、とオキーフが言った、いったいビー せいだろうか ? 彼はディクソンといっしょにホールを横ぎり、小男との念 ルを何杯のんでるんだ ? あいさっ そんなことをきくから、おまえの知性のほどがわかる いりな別れの挨拶はあとに残ったクランリーにまかせた。 柱廊の下にはテンプルが数人の学生たちにかこまれるようんだぜ、オキーフ、とテンプルがさもばかにしたように言っ 学生のひとりが叫んだ。 にして立っていた。 ' 像 ・肖 ディクソン、こっちにきて聞いてみろよ。テンプルがた 彼はふらふらとみんなのまわりを歩いてから、スティーヴ の きえん 、し = = ロカけてきた。 糘いした気焔だぜ。 フォースター家からベルギーの王家が出ているって、 テンプルはその学生にジプシーふうの黒い目をむけた。 の 日 知ってたかい ? とテンプルはたすねた。 おまえは偽善者だそ、オキーフ、とテンプルは言った、 クランリーがホールのドアから出てきた。帽子をあみだに 若そしてディクソンは微笑家だ。くそっ、こいつはなかなか文 かぶり、しきりに歯をほじくっている。 学的な表現じゃないか ゃあ、知ったかぶりの先生のおでましだ、とテンプル テンプルはするそうに笑いながらスティーヴンの顔色をう
る」なんてことはできっこないのだ ! そんなことは、一瞬「警察に、包囲されてるだと , 」彼はしやがれ声で抗議した。 たりと思ったこともない 「なんでそんなことがわかるんだ ? 」 しかし、今回の逃亡はきたないやりかただった。恥ずかし ードカスターさんのあとをつけていって、彼が逮捕され 男らしさにそむく行為だ ! 卑劣なコミュニスト野郎るのを見たのよ」 とグルになって、かわいい妻を仲間はすれにしてだましたの ハードカスターが逮捕された ! マーゴ、一体どういうこ 許しがたい行為だ。こんなやりかたは断然承知すべき じゃなかった。妙な言いかたをすれば、彼は妻に行く手を阻 彼は新たな驚きに目を丸くして彼女を見つめ、怒ったよう まれて、ほっとした気分だった。彼はもちろんいつだって、 に眉間にしわを寄せた。「。こ、、 オししち、なんで彼がここへ来て 彼女の味方なのだ ! 彼女も、それは充分承知してるはするんだ ? 」 「あとで教えるわ」とマーゴは一一 = ロった。「でも、 いよは・時・間 しいえ、来てよかったわ」とマーゴが答えた。「来てよか がないの、ヴィクター。あなたが予定の時間に着かないと、 ったのよ、ヴィクター。あなたが行こうとしてるフィグエラ警察はあなたを探しにくるわ」 スの家は、警察に包囲されてるわ」 まんまとワナにはまってしまった。すぐに駆けつけなくて 彼は熱いレンガでも持っていたみたいに、思わす彼女の手はならない一大事が寝耳に水に伝えられ、そして、行く手を を離した。その手はふんわり飛ぶようにして、神経質な主人阻む障害物が目の前にいる。一大事を伝えた当人が障害物な のもとへ戻り、そのまま、髪や服の土埃をはたく仕事にとりのだー カカった。彼はびつくりした顔で彼女を見つめていた。彼女ヴィクターはためらうように車のほうへ行きかけたが、突 に裏切られて、ひどいことを一言われたみたいな顔だ。しかも然、くるっとマーガレット・スタンプのほうへ向き直って一一 = ロ それは、彼が妻を信じ、ふたりの愛の約束事に従って、手に 手を取った矢先に言われたのだ。もしかしたら、彼女が警察「マグ、絶対間違いないんだな ? 」強姦か、放火か、自殺を 報に密告したんじゃないだろうか , 目撃したと言い張る子供にむかって、大男が問いただしてい 愛彼の目はらんらんと輝いた。結局、裏切ったのは彼女のほるみたいだ。 うなのだ。これが報いなのだ。たぶんそういうことだ。もし 「絶対間違いないわ」疑問の余地を与えまいと、マーゴは頭 あれが愛なら、これが愛の報いというやつだ。 を振った。「あの家は警察でいつばいよ。あれは治安警備兵 1 ) うかん
285 愛の報い 彼は学生時代から、見る目だけは確かなものを持っていた。 強味だと豪語していたが、その主張は、その後の修行で実証 ただしそれは、絵筆を手にしていないときに限られた。知的されることはついになかった。いや、実状はもっとひどいも なひらめきを経験しても、絵筆を手にした瞬間、それははかのだった。はるかにひどいものだった。 なく消えてしまった。この絵のために、マーゴは指示通りの とりわけ悲惨なことは、彼が美しい色彩というものに度し 姿勢で、忍耐強くモデルをつとめてくれた。帽子とワンピー がたく取り憑かれているということだ。おそらくその美しい スと顔の構図は、誰かの絵ーーーたぶんマチスだろうー・・ーを思色彩は、彼の不完全な線の無意味な丸みに調和するよう考え わせるものがある。描きはじめたときには、どう描くべきか出されたものだろうが、それが彼の最大の不幸なのである。 はわかっていたつもりだ。しかしそれは、自分の手を計算にそれはじつに、自然の悪魔的ないたすらであり、このいたす 入れすに考えたものだ。 , 彼の手は、彼の目が指示したものと らにたいして、彼はなす術がないのである。 はまったく違うものを描いてしまう。あるいはこれは、たん フランス人の単彩主義的な厳しさは、つねに彼を感動させ、 なる傍観者の、無責任な確かな目などというものが、いかに誘惑し、けっして彼の脳裏から離れたことはない , ばかばかしいものであるかということを、目と手が協力してスペイン人の病的なまでの暗い色彩に出会うたびに、ヴィク 証明しているのだと言っても、 しいかもしれない。 しき」 ター・スタンプは無邪気な感嘆の声をあげた。しかし、 いつもそうなのだ。彼を制作へと駆り立てたイメージとはそれを真似ようとすると、たちまち、大好きな陽気な色が出 似ても似つかない、気の滅入るようなばかばかしいしろものしやばってくる。ポスターのタ陽みたいな陽気な色が、突然 ばかり出来あがるのだ。いつだってそうなのだ ! 彼の体が出しやばってくるのである。 動き、大きな呻き声が部屋じゅうに響きわたった。大きな体 たいていのイギリス人より大きな図体をし、がっちりした から、大きな呻き声が発せられた。教育が彼を裏切ったのだ。大きな顔をもち、まさに牧童に生まれついたような、そんな 鈍重な才能を過大評価させ、美術界の新星気取りにさせたの粗野な大男が、事、色彩のこととなると、どうしてこんなば だ。だからこんなことになったのだ。 かみたいな美しい色に、これほどご執心あそばすんだろう ヴィクター・スタンプはけっして有名になることはないだ か ? 多かれ少なかれこういった疑問が、作品と作者の顔 ろう。彼は絵描きとしては失格だ。。 とうしても確かな線を描を見比べた連中の頭にうかんだ。彳 皮の感性は少々洗練さに欠 くことができないのである。彼はシドニーの美術学校で、 けるかもしれないが、それはたいした問題じゃない。子供じ ( 自分のほんとうの欠陥をごまかすために ) 色彩こそ自分のみているかもしれないし、重々しすぎるかもしれないが、こ
ロレンス 838 りしているんだから」 きがくるかのようであった。 「こんどは家へひつばってゆきますよ」とバーキンが言った。 やがて、人声がざわめいて、彼がまたポートによじのばっ ' クドレーンと 蒸汽船からのうねりでポートがまた揺れた。。 ていったのがわかった。彼との結合を望みながら彼女は坐っ ていた。眼に見えぬ水の空間を越えて、彼女は彼との結合をアーシュラはジェラルドが出てくるのを見張っていた。 「あそこにいる ! 」と、いちばん眼の利くアーシュラが叫ん ひたすらに求めた。けれども彼女の心をとりまいて、堪えが だ。ジェラルドは長くは潜っていなかったのである。 たい十重二十重の隔絶があり、それを通して何ものもはいっ ンが , 及のほ , つに曲日ぎより、グドルーンがつづいた , イ。 てこられないのである。 「遊覧船をひきあげろ。そこにおいといたって何にもならん。くりと泳ぎ、怪我をしているほうの手でポートにつかまった。 底引き網を持ってこい」ときつばり命令する、事務的な声が手がすべって、彼はまた沈んでしまった。 「どうして手をかしてあげないの ? 」とアーシュラは鋭く叫 した。例の男の世界のひびきのこもった声である。 んだ。 遊覧船はのろのろと水をはじきはじめた。 ーキンが身をかがめて手をかし、 「ジェラルド , ジェラルド 彼がまた姿を現わすと、 ! 」とウイニフレッドが根をか ぎりに叫ぶ声が聞こえてきた。彼は返事をしなかった。船は彼をポートに引きあげた。ジェラルドが水からあがるのをグ しかし今度は不器用 ゆっくりと不器用な円を描いて悲しげにぐるっとまわり、陸ドルーンはまたしても見守っていたが、 りよ、っせいるい な水陸両棲類のような、ただすがりつくようなあがりかた のほうに忍びやかに進んでゆき、おばろのうちに消えていっ クドルーノま又土、 で、のろのろと重くるしそうであった。ふたたび月が彼の白 た。外輪の音もしだいにかすかになった。、 ポートのなかで激しく揺すぶられ、体を支えるために自動的く濡れた姿や、前かがみの背や、まるめた腰を照らし、にぶ く光らせた。しかし彼の体はもうへとへとの状態であり、ポ に櫂を水につきこんだ。 ートにのばるにしてもそこにべたりと坐りこむにしても、の 「グドルーン ? 」とアーシュラの声がした。 ろのろとぎごちなかった。吐く息も涸れて、病気の獣のよう であった。、、 ホートのなかに身動きもせすにぐんにやりと坐っ 姉妹のポートまこ。ゝ、に曲日ギ、よった。 ているだけで、頭はあざらしのそれのように鈍重で眼が利か 「ジェラルドはどこ ? 」とグドルーンが一一 = ロった。 「また跳びこんだわ」とアーシュラはいたいたしそうに言っず、全体が人間とは思われぬ、知匪のないもののように見え おのの た。グドルーンは機械的に彼のポートを追いながら、戦きふ た。「そんなことしちゃいけないのにねえ、手を怪我をした 、っち
「そうしたかったんですよ」と冷たく言い放った。 して、この男に殺されやしないだろうか、ふっとそんな気が 「でも、どうして ? どうしてこんなことなさるの ? 」 した。一瞬、恐ろしさに石のように身がこわばった。 「理由を見つけろって言うの ? 」と彼は訊いた 「あなたの運転の仕方、ちょっと危険なんじゃない ? 」と訊 ス ン 一一一一口葉がとぎれて、そのあいだに彼女は紙にひねって包まれ レ ロ ていたいくつかの指輪をためっすがめつ眺めていた。 「なに、危険なことなんかありませんよ」と彼は答え、それ 「みんな、美しいわねえ。とくに、これ。これ、すばらし、 から、ちょっと間をおいて、「その黄色の指輪はどう ? 全 然気に入らない ? 」 それはまるいオパールで、赤く火のように光り、小さなル それは見事な細工を施した鋼鉄か、なにかそれに似た金属 にかこまれてセットされていた。 トパーズだった。 の台にはめこまれた四角の 「それがいちばん気に入った ? 」と彼は言った。 しいえ、気に入ったわ。でも、どうしてこんな指輪をお買 「ええ、そう思うわ」 いになったの ? 」 「ばくはそのサファイアが好きなんですよ」 「欲しかったんですよ。中古なんです」 「これ ? 」 「御自分用にお買いなったの ? 」 きらきらと光輝を放つように多 「いや。指輪はばくの手には似合わないんでね」 それは細かい。フリリアント ( 角に仕上げる宝石の磨きかた ズ形に仕上げた美しいサファイアだった。 「じゃ、なぜお買いになったの ? 」 「そうね、きれいね」彼女はそれを光にかざして見た。 「あなたにあげようと思って」 「そうねえ、たぶん、これがいばんねーーー」 「でも、なぜ ? これはハーマイオニにあげなけりやいけよ 「その主月さがねえーーー」と彼が一 = ロった。 いわ ! あなたはあの人のものなんだから」 「ええ、すばらしいわ・ーーー」 彼は返事をしなかった。彼女は宝石を手に握ったままでい 彼は農家の荷車をよけて、突然ハンドルを切った。車は土オし。 こ。旨こまめてみたかったが、、いに何かがあって、そうはで 手の上でゆらいだ。ずいぶん無茶な運転はするが、気転はききなかった。それに、自分の手が大きすぎるのではないかと くのである。しかし、アーシュラはぞっとした。この男には いう懸念もあった。、 どれも , い化作にしかはまらないと・なると、 め いつもなにかしら向こうみずなところがあって、それでこちその恥すかしさは眼も当てられない気がして、尻ごみせざる おび らは脅えてしまうのである。車でなにか恐ろしい事故を起こをえないのである。二人は黙ったまま、人気のない小道に車 ) でロー
は ? 」、そうジェニーは尋ねながら、目は依然としてロビンも、間違ってはいなかった。わたしの、いにはお父さんにたい くぎ に釘づけにしていたから、その質問は医師よりも車のそっちする愛情と尊敬のほか何もありません』とね」 の隅へ向けられているようだった。 ジェニーは膝掛けの中へ引きこもって、医師の話など聞い 「マダム、あなたが目のあたりにしておいでなのは」と医師てはいなかった。目はロビンの手の一挙一動を追っていた。 は言った、「不安の中で生を享けた人間です。父は、主よ父その手は子供の手の上に置かれていたかと思うと、いっしか の魂に平安を垂れたまえ、はじめからわたしには喜びをもたその髪を撫でつけてい、 子供は微笑を浮かべて森の木々を見 なかった。わたしが軍隊に入ったとき、父の心は少し解けまあげている。 した。息子を『余命いくばくもなきもの』の名簿に一時的に 「ああ」と医師が言った、「お願いだから ! 」 けんか もせよ載せることになるあの戦争という名の喧嘩騒ぎで、わ ジェニーはゆっくりと泣きだした。涙は顔の奇妙な惨めさ たしがやられてしまう可能性があると心配したわけですな。 と溶けあって、いかにも濡れた、なま温かい、唐突な感じが しかだま 結局、父には、鹿弾の一斉射撃などでわたしの素行を矯正さ した。それを見て医師は悲しくなった、そこには惨めなくせ ころ せようという気持はなかったわけです。朝まだき頃、わたし に、なんとなく甘美なむすがゆい不快感があって、たいてい めいそう がまだべッドに入っているとき、父はわたしのところへやっ これが契機となって医師の冥想は冴えてくるのである。 てきて言いました、わたしを許したと、本当にわたしに許し 医師はジェニーが涙を流すことによって、なぜかはわから てもらいたいのだと、一度もお前という人間がわかったこと はじめて一個の人間として見えてきたことに気づい しかし、大いに考え、大いに書物を読んで、手に愛た、涙をなん倍にも増やすことによって、この女は一一十の鏡 をたずさえていまやってきた、すまないと、そう言いにきた に二十の姿を映している人間と同じ位置に立ったのだと のだと、わたしが兵らしく振舞えるよう祈っていると。一瞬人間としては一人だ、だがなん十人分もの悩みを抱えている。 父にもわたしの恐ろしい境涯がわかったようでした。牛とし いまやジェニーはおおっぴらに泣きはじめた。はじめのしの すす て人間の食糧のために射たれながら、くずおれるときは、女びやかな啜り泣きがロビンの注意を惹かなかったものだから、 森の子の姿に変わり、夜なかに母を求めて泣き叫んでいる。そ いまやジェニーはこの女の気を惹こうと、泣き声を高め、喉 だれ 夜こでわたしはべッドに膝をついて起きあがり、父が立ってい をつまらせる手を使っていた、混み合った部屋で誰かある人 るすその方へいざっていき、両腕を投げかけて言いました、 物の注意を惹こうとするときにやりたくなる、あれと同じ狂 しつよ、つ 『お父さんがこれまでしたこと、考えたことがなんであっておしい執拗さで。心は何も感じていないにもかかわらす、そ
一途のはげしい気持ちがその眼にひらめくのを見た。 ニフレッドはちょっと脅え声になって、「おろしておしまい 「こういう乞食どもには昔から馴れてますからね」と彼は言 なさいよ。まったく手がつけられやしない」 グドルーンは握った手のうちに巻き起こった大嵐に一時気 、、、云到した 細長い、悪魔めいた動物はまたもやあばれだして、宙でま が、やがて顔に血の気がさし、はげしい怒りが ひろ 雲のように体に拡がった。彼女は嵐のなかの一軒家のようにるで飛んでいるように体を拡げ、竜みたいに見えるかと思う と、また身を縮める。思いおよばぬほど力があり爆発的な動 揺すぶられ、すっかり圧倒されてしまった。なんだってわけ もわからす、こうばかばかしくあばれるのだろう、そう思うきをするのであった。その動きに懸命に追いすがる男の体は つめ ふんめ と心が忿怒でどうしようもなくなった。手首がこの獣の爪ではげしく揺れ動いた。と、突然、鋭く輝く刃のような忿怒が ひどく引っ掻かれてしまっている。おそろしく残忍な気持ち彼の、いに湧きあがってきた。さっと稲妻のように身を退くと、 わ 鷹のようにすばやくあいている手で兎の首をつかんだ。とた が胸に湧きおこった。 彼女が飛び狂う兎を腕の下に押えこもうとしているときジんに、兎は死の恐布に襲われて、この世のものとも思われぬ、 いんうつ エラルドがやってきた。彼は彼女の様子に、陰鬱な、しかしぞっとするような悲鳴をあげた。一度大きく身をもがき、と そで けいれん どめの痙攣のうちに彼の手首や袖をひき裂き、手足を旋風の 烈しい残忍さがあるのに、放妙に気づいた。 「下男をだれか呼んでやらせたらいいんですよ」と彼は急ぎように振り動かし、その旋風のなかに腹が白くひらめいた ジェラルドは兎をぐるっと振りまわしてから、腕の下にしつ 足で近よってきた。 かり抱えこんだ。兎はすくんで、小さく縮こまってしまった。 「ああ、とても手がつけられないのよ ! 」とウイニフレッド ジェラルドの顔は微笑に輝いていた。 は、半狂乱の態で叫んだ。 、、にならなかったでしょ 彼は筋骨たくましい手を出してグドルーンの手から兎の耳「兎にこんなに力があるとはお思し う」と彼はグドルーンに眼をやった。見ると、彼女の眼は青 をつかみ取った。 ち かんだか 白い顔のうちに夜のように黒くて、ほとんどこの世のものと 「ほんとに恐ろしいほど力があるのよ」と彼女は甲高し 女 かもめ る は思えぬ姿であった。はげしい争いのあとで、兎があげた悲 鵰の鳴き声のような声で叫んだ。異様に贈々しげであった。 す 恋 兎は宙で体をまるめてから、弓のようにびんの身を反らせ鳴、それが彼女の意識のヴェイルを引き裂いてしまったよう 約て、あばれだした。まったく、悪魔に憑かれているとしか思である。彼は女を見つめた。すると女の顔の白熱した電気の ような輝きが光を強めてくるのだった。 えぬほどである。グドルーンはジェラルドの体がこわばり、 おび