ニック - みる会図書館


検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」05 -イギリス4
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」05 -イギリス4

彼はデイケンズの小説に登場する、端役の放蕩者のように見「何が ? 」とマイクルは言う。 まゆ しっと えた。ウイスキーのびんに手をのばし、眉をちょっとあげる。「嫉妬」 ク彼はたぶん、ポールが自分の結婚生活のごたごたについて打二階にポールの足音がする。彼はまごっきながら居間へお りてきた。 明けるときの率直さに対して、以前マイクルがたびたび感じ たように、保護者の立場におかれた驚きを表現したのだろう。「納得がゆきましたか ? 」とニックが言った。 マ しわ 「お早う、グリーンフィールド」とニックが一一 = ロった。「奥さ ポールはそれには答えず、不安のあまり顔に皺をよせて部 んはここにはいませんよ。こんなところにいらっしやるはず屋の中央につっ立っている。そしてニックに訊ねた。「彼が がないでしよう ? 一杯どうです ? 」 どこにいるか御存知ですか ? 」 いらだ ポールは苛立たしげに言った。「せつかくですが、わたし 「ガッシュですか ? 」とニックは一言った。「、 , ん、 ( はノ。は はウイスキーは飲みませんから」 ガッシュの番人じゃありませんよ」 「マイクルは ? 」とニックが一一 = ロ , つ。 ポールはまだ決心がっかない様子で立っていたが、それか マイクルは名前を呼ばれてぎよっとし、一瞬、ニックが何ら振り向いて出てゆこうとした。マイクルのそばで彼はちょ のことを言っているのか判らなかった。彼は首を振った。 っと立ち止る。「あなたが鐘について言われたことは、じっ 「トビーは二階ですか ? 」とポールが訊ねた。 に奇怪なことなんですよ」 ニックは相変らずポールに向ってほほえみを浮べ、ポール 「なぜです ? 」とマイクルは訊ねた。 やかた をしばらく待たせてから返事をした。「いや、あいつもいま 「この館には伝説がありましてね。あなたにお話しようと思 せんよ」 っていたのだが : 鐘が鳴ると人が死ぬと言われているん 「二階を見て来てもよろしいでしようか ? 」とポールが言っです」 た。そして彼は部屋を出てゆく。 「君はちょっと前に聞えた、あの奇妙な音に気がついたカ マイクルにも、ポールが本当に狂乱状態にあることがよう し ? 」とマイクルはニックに訊ねた。 やく判ってきた。彼は取り残されてニックと差し向いになっ 「何も聞えなかった」とニックが答えた。 た。マイクルはにこりともしないでニックのほうをちらりと ポールは荒ら荒らしく部屋を出て、車道を戻ってゆく。 見た。彼じしんもかなり狂乱状態であった。 マイクルはそのままとどまっていた。ひどく疲れて頭が混 ニックが微笑を浮べて、「大罪の一つだね」と言った。 乱している。もしニックが静かにさえしていてくれるなら、 ほうと・つ

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がん のように感じられた。そして彼は癌のように増殖してゆく奇 彼の眼の前にはたえすニック 妙な悪夢に責めさいなまれた。 / きようじん びんしよう ドーラやトビーのことは、マイクルの心の表面にきれぎれの姿が浮んで来た。まだ少年で、敏捷に、強靭に、軽快に、 にひらめいた。たえまなく、彼の心のもっと深い部分を占めマイクルの眼を意識しながらテニスコートいつばいに鳥のよ 、とうかするとマイ うに走りまわるニックの姿がちらっした。。 ているのはほかのことである。ニックが死んだと知って感じ クルには、ニックが幼年時代に死んでしまったように思われ た苦痛は極めて激しく、最初のうちはもうこれ以上生きてい られないとさえ思った。最初の何日間かは、まだ自殺をするることもあった。これらの幻影とともに、あえぐような肉体 ことができると考えることで心が慰められた。こういう苦痛的な欲望が襲って来ると、つづいて、自分の存在のあらゆる あふ を長つづきさぜる必要はないからである。彼はニックに関係次元から溢れて来るとさえ思われるほど徹底的な、ニックを この腕にもういちど抱きしめたいという渇望が襲いかかって のあることだけを考え、何を話すにもニックのことばかり口 にした。何度もロッジをくまなく探しまわり、手紙とか日記来る。 マイクルは何度か尼僧院長に会いに行った。今となっては とか、何か自分に宛てた書き置きと推定できるようなものは ないか見つけ出そうとした。ニックが一言も言い残さないで遅すぎたが、彼は彼女にすべてを打明けた。しかし、今すぐ 行ってしまうなどとは、信じられなかった。しかし何も見つに彼女が彼のためにできることはない。それは二人とも判っ からない。ストーヴには黒こげになった紙があったが、たぶていた。マイクルは、自分がトラックでニックを故意に轢き 殺しでもしたかのように、彼の死に責任を感じていた。尼僧 んニックが最後に手紙を燃やした燃え残りだろうか、すっか り焼けてしまっていて救いようがなかった。マイクルは絶望院長はこの責任を彼から取り除こうとはしなかった。と言っ 的になり、思い出したように何の前触れもなくあふれてくるて、彼が責任を担って生きるのを助けることもできなかった。 マイクルは呵責と悔恨の苦痛と、言葉に表すすべもない内心 涙で視野を曇らせながら、ニックの戸棚やスーツケースや、 うわぎ しまいには上衣のポケットまで掻きまわして探したが、このの愛の痛みとで萎え果てて、立ち去った。彼は、もう役に立 たぬことながら、尼僧院長が言った、道は常に前方に開けて 家はマイクルに何の啓示も与えてくれなかった。 鐘そのあいだもニックへの愛はつのる一方で、ほとんど悪魔いる、という一一一一口葉を思い起していた。ニックは愛を必要とし 的と言ってもし 、いほど、巨大な容積に膨れあがった。ときどていたのだ。ばくはニックに、与えるべきものは全部あたえ きこの愛は、マイクルには、自分の内部から生えている巨木てしまうべきだったのだ。それがどんな不完全なものであろ

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「ニック」とマイクルは呼びかけた。 しばらくのあいだ黙ってここへ腰をおろしていたい気持だっ た。しかしこういうことはみんな気ちがいじみた考えだった。 ほとんど同時・にニックが一一 = ロった。「トビーがどこにいるか 「一杯どうですか ? 」とニックが言った。 知りたくはありませんか ? 」 「いや、せつかくだけれど、ニック」とマイクルは言った。 マイクルはその問にひるんだ。彼は自分の顔の表情を悟ら つら 今はニックと視線をあわせるのが、ひどく辛い気持になってれまいとした。 , イ。 皮ま一一 = ロった。「トビーはどこにいるんです ? 」 いた。しかつめらしい顔には敵意があり、ほほえんでいる顔「あの子は森でドーラといちゃっいていますよ」とニックは には気持をそそるものがある。マイクルはゆがんだ微笑を彼答える。 のほうに投げかけ、それからまた視線をそらせた。 「どうして知っているんだ ? 」 ニックが立ち上ってマイクルのほうに近づく。彼が近づく 「二人を見かけたんです」 につれ、マイクルの体はこわばった。ニックがそのまま彼の 「丑須の一一一戸っことなんか一一 = ロじよ、 / ーオし」と一マイクルは一一 = ロった。ーしか すぐそばに来て体に手を触れるのではないか、とマイクルはし彼は信じていたのである。彼はつづけた。「とにかくわた せりふ 一瞬考えた。しかし彼は二フィートくらい手前で立ち止り、 しには関係のないことだ。」それは馬鹿げた台詞だった。ど 相変らすはほえみを浮べている。マイクルは今、彼をじっとの点から見ても、事件は彼の職務に属しているのだから。 見つめた。彼の顔からあのほほえみを追い払ってやりたいと ニックは後すさりしてテープルにのんびりと腰かけ、マイ 思う。彼は、手をさし伸べ、両手をニックの肩に置きたいと クルを見まもってまだほほえんでいる。 いう強い衝動に駆られた。奇妙な音での目覚め、月光、夜の マイクルは向きをかえて出てゆき、ドアをばたんと閉めた。 闇の気ちがいじみた感じ、それらのものが、とっぜんマイク ルの心に、二人の心の交流は許されたという感覚を呼び起し た。彼の全身は今、おののきながら、友人がすぐそばにいる ことを意識していた。今こそ、自分が二人のあいだに設けた 「ふむ、ところで何が起ったんです ? 」とジェイムズ・ティ ・ペイスが言った。 障壁をとりのぞく瞬間なのだ。障壁からは何の善も生じなか 鐘 った。そして、たとえそのことにどんな意味があろうと、ど 翌日の朝のことで、ジェイムズとマイクルは温室でトマト んな価値があろうと、自分がニックを愛しているという事実を摘んでいる。よいお天気は終りかけていて、太陽は依然と だけが残っている。ここから善が生れるかもしれない して照りつけているが、明け方近いころから吹きはじめた強

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マードック 588 「元気ですよ。とても幸福そうだ」とマイクルが言った。 「ええ、くたびれました」とトビーは答えた。「二階へゆき 「幸福そうだと言われたら、その人間は幸福じゃないんですますからね。」彼は、自分が神経質になっているのを悟られ よ」とニックが言った。「本当に幸福な人は、幸福そうだな まいとして、ニックの顔をまともに見すえた。 んて決して言われない。そう思わないかい ? トビー」 「うん、それがいいな」とニックはうなづいてから、もうす 質問されたとき、トビーは神経質に飛び上った。彼は今ま つかり夕食を平らげて大人しくしているマーフィに向い で傍観者になりきっていたのである。「判りません」と彼は「来い ! 」とどなった。 答えた。 マーフィはすばやく向き直って跳ねあがる。ニックは犬を 「トビーには判らないか」とニックは言って、「あやまちを両腕 にかかえ、胸に抱きしめた。犬の前足と、微笑している 犯した奥さんは、やって来ました ? 」 顎が、彼の肩ごしに見える。 「グリーンフィールド夫人は着きましたよ」とマイクルは言「犬のいいところは、飼主を愛するように仕込まれるってこ って、「では、と。もっと館のほうにも顔を出してください とさ」とニックは言った。彼はテープルの上に身をかがめて よ。もう、帰らなくちゃ」 ウイスキーのびんをつかみ、トビーをあとに従えてゆっくり 「そんなことばかり一言ってる」とニックは一一一一口った。 と部屋から出てゆく。相変らす犬を抱きしめながら階段を 「トビーの面倒を見てやって下さいよ」とマイクルが言った。重々しくのばり、戸口が三つある、狭い踊り場に達する。 ニックは笑った。そのせいで彼の顔はとっぜん、今までよ 「これが浴室」とニックは言った。「ばくの部屋、君の部 ひじ りずっと感じのいいものになった。彼は儀式張った態度でマ屋。」彼は蹴ってドアをあけ、肘で電燈をつけた。 、。ンド・カ イクルのために戸をあけてやる。マイクルは無器用な別れの トビーはこざっぱりした部屋を見た。白しへ、 しぐさをしてから、姿を消した。 がかけてある鉄製の寝台。床に敷いてある藺草のマット、白 たんす 「能無しめ」とニックは、闇のなかの彼を見送りながら言っ く塗られた簟笥、すっかりあけ放してある窓。彼らがはいっ た。「能無しめ。へつ , てゆくと、暖かくて花の匂いのする夜の大気が彼らのほうに それからトビーのほうに向き直って、「君は早くやすみた寄って来る。 いだろうな。途方もない時間に起きろと言われたんでしよう。 な力な力いいでしよう」とニックは言った。彼は犬の毛な それに、君ぐらいの年頃じゃ、一日のうちにこう大勢の気違みのなかに顔を埋めて、鼻をこすりつける。 いに会えば、くたくたになる」 トビーは当惑したが、「どうもありがとう。もう大丈夫で やみ あご にお

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びしょ濡れになり、みじめな気持である。彼はロッジの居に立ちふさがった。同時に、彼は電燈のスイッチをひねり、 間へ足をひきずって行った。外はもう暗くなりかけていた。 にやりと、作ったような笑いを浮べながら、トビーのほうを あか 灯りのついていない部屋は暗く、わびしかった。トビーはな じろじろ見た。二人は向い合った。 まぶ かによろよろとはいり、新聞紙を脇へ蹴とばした。寝そべっ トビーは笠のない電球が眩しいので、顔をしかめ、「ねえ、 やかた ばくはムフから館に ていたマーフィの上につまづき、もう一方のドアまで半分ほ ニック、馬鹿なことは言わないで下さい ど進んだとき、ニックがいつものような姿勢でテー。フルのか 行かなくちゃならないんです、お話なら、あとでだってでき げに腰かけているのに気づいた。トビーは挨の言葉を口のます」 「あとになってからじゃ、遅すぎる。哀れな、迷えるわが子 なかでつぶやき、ドアをあけようとした。そのときニックが よ」とニックは言った。「君にお説教をしてやろうって、 はっきりした声で「待てよ、トビー。話があるんだ」と言っ つか言ったのを覚えてるかい ? ほかの連中の聞きたがらな かったやつをね。それを聞かせてやろうと思ってるんだ。さ トビーはそのせきこんだ語調し こ驚いて立ち止り、テープル 越しにニックに向い合った。ニックは例のウイスキーのびんあ、説教を聞く席に座りたまえ ! 」 「どいて下さい」とトビーは一一 = ロった。 をそばに置いている。酒の匂いが部屋じゅうに立ちこめ、湿 った肌寒い外気とまじっていた。ストーヴは消えている。 「さあ、さあ。暴力や言い合いはやめよう。なんじら会うこ 日約「イザャ。 「君とじっくり、まじめな話をしたいんだよ、トビー」とニとを得る間にエホバを訪ねよ ( ー ) これだけの理由 書」五十五の六 ックは言った。酔った声だが、断乎とした口調である。 からだって、時間は大切だ。腰かけたまえ。」彼はトビーを 「今、にしいんです」 不意につついたので、トビーは後ろによろめき、ストーヴの す 「三十分ぐらいいいだろう。それに、君が厭がったって、そそばの肘かけ椅子に腰をおろした。それからニックはウイス キーのびんをとりあげ、片手でテープルをひきずって行き、 うしてもらう」と言って、テープルのかげから立ちあがる。 「すみませんけど、ニック、人に会わなくちゃならないんで騒がしい音を立ててドアに押しつけた。彼はその上に腰かけ、 す。」ニックを言い負かすには時間がかかるということを、両足もテープルの上にのせて、十字架を切る。 鐘トビーは吾っていた。そして、外のドアのほうへ、抜け目な 「ニック、冗談じゃないんです。ばくはあなたと取っ組み合 いなんかしたくないレ くは出てゆきます・」とトビーは一一 = ロっ 川く後じさりしはじめた。服はあとで着かえることにしよう。 驚くほどのすばやさで、ニックは部屋を横切り、ドアの前 にお だんこ わき あ ひじ

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ャサリンから聞いていたのに、犬のことはついうつかり忘れイクルは事務所へ戻り、一人きりになると、デスクにうつぶ いらだ した。まだ体がふるえている。嬉しいのか悲しいのか、自分 ていたので、第三者が立会っているように感じて、苛立たし く思った。近づいて行っても、ニックは視線を受けとめすに、でも判らない。最初見たとき、ニックは恐しいほど変り果て たように見えた。かってはあんなに青白かった顔が、今は赤 身をかがめ、犬をからかっている。マイクルがそばへゆくと、 体を起した。思わす、二人の顔に神経質な微笑が浮んだ。マらんで、肥っている。秀でた額は禿げあがり、髪はだらしな イクルは、自分は彼を抱きしめずにいられるだろうかと、今く首筋に伸びて、勢いよくカールしている。艶があるという よりも、脂ぎった感じの髪だ。腫ればったい瞼には幾重にも まで怪しんでいたのだったが、しかし、その動作を控えるこ しわ とはやさしかった。二人は握手し、意味のないことを一言一一皺がより、眼はどんよりして生気が乏しい。美貌ではあるが、 しいくらいの男だ。 言しゃべった。二人とも、感情は隠せなかったけれども。し重苦しくて血色のよい、下品と言っても、 マイクルはすばやく気をとりなおし、仕事に向った。あの かし犬が救ってくれた。マイクルはニックの大きなスーツケ ースを取った。ニックは上気した顔でそれを手渡し、銃を肩出会いは、全体としては、予想していたほど気持を転倒させ にかけた。二人は車のほうへ歩いてゆく。マイクルは、酔っるものではなかった。それに彼は、ニックが今はもう、あの たようなおももちでインバ ーに運転してゆく。あとになってたるみのない青白い肌の魅力を失っているせいで、かなりほ ク年時代のニック っとしていたのである。その魅力こそは、ト から、駅からインバーまでのことをはっきりと思い出すこと はできなかったくらいである。二人の会話は気ますいのを通が持っていて、今は彼の妹に、まるで夢のなかでの出来事の りこして、むしろ気ちがいじみていた。たえまなく、そしてように伝えられているものだけれども。ニックがインバー じつにでたらめに二人は話をした。ときどきは同じセンテン滞在しているあいだは、できるだけ会わないようにしようと いう决心を、マイクルはとうにかためていた。最初の衝撃が スを同時に両方で言いだしたりして。マイクルは犬のことで 馬鹿げたことを言った。ニックは田舎についてくだらぬ質問終ってしまうと、このことがむずかしいとは感じられない を発した。彼は同じ質問を二度もくりかえした。車が館の前そしてニックはうるさく請求したあげく、館の母屋の外に一 室を与えられることになる。マイクルとしては、彼を一人に の砂利道へはいってゆく。 鐘 中田をすぐ見つけてやる しておくのは気が進まなかったが、イ尸 キャサリンが待っている。兄妺は、落ちついた、さりげな い態度で、ロ数すくなく挨拶した。マーガレット・ストラフことはむすかしい。キャサリンはいっしょに住もうと言い出 さなかったし 、。ハッチウェイには断られた。小さな部屋が一 オトか大騒ぎをする。ニックがなかへ連れてゆかれる。マ

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つあるきりなので、ストラフォード夫妻を住まわせるわけに のこの男が、こんなに素朴であることに、またもやびつくり もゆかぬ。マイクルは自分本位の微妙な心理から、ピーター した。ジェイムズはたしかに、悪に関しては目ききとは一一一一口い クには頼めなかった ( 彼はあの件については何も知らない ) 。 にくい男だった。おそらく、純粋な心の持主であるせいだが それにジェイムズは、会ったとたん、たちまちニックを嫌っしかし、悪の極致を認識しない者に善の極致を認識すること てしまった。そんなわけで、三週間後にトビー・ガッシュが はできようかと、マイクルは自問した。そして、要求されて マ 到着するまで、ニックは一人きりでロッジに住んでいたので いるのは善良であることで、その極致を認識することではな ある。 、善良であることはつねに単純ではあるけれどもきびしい キャサリン以外に、インバーでニックを本当に助けてくれ要求なのだからと、暫定的な結論を下し、もうそれ以上は考 ひま る人が誰かいるとすれば、それはジェイムズ・ティバ えなかった。哲学的思策に耽っている閑はない イスだ、とマイクルは思っていたので、ジェイムズの反応に 日にちが経つにつれ、ニックの存在はマイクルにとって、 は失望した。ジェイムズは、ニックのことに関する限り、ひなんとなく目立たないものになりはじめた。ニックは名目上、 どく世間なみな態度を示したのである。「どうもあの男は男エンジニアという職を与えられ、それに事実、ときどきは自 色者のように見える」と、ニックが来て間もないころ、マイ動車をいじったり、電気関係の設備やポン。フを調べたりする。 クルに言ったのだ。「こんなことは言いたくないので、黙っあらゆる種類のエンジンについて、なかなか知識があるらし うわイ、 ていたが、あいつの噂をロンドンで耳にしたことがありまし しかし、たいていは、マーフィを連れて歩きまわるだけ りす から十・はと てね。 しいですか、あの連中ときたら、しよっちゅうごたご だったし、烏や鳩や栗鼠をずいぶん正確に射殺した ( これは、 たを起す。ああいうタイプの男は、今までたくさん見て来まやめてくれと言われるまでだけれども ) 。そういう動物の死 した。何か破壊的なところがありましてね。どう言ったらい体は、落ちて来たところにほうっておくだけである。マイク いか、社会に怨みをいだいている。飼い犬に厭な名前をつけ ルは、彼を ~ くから見まもっても、もっとしよっちゅ、つ彼と るとか、なんとか。こちらもしつかりしなくちゃ。あんなの会いたいという衝動は感じなかった。そして、すこし後ろめ ふたご がキャサリンみたいないい子と双生児だなんて ! 」 たい気持でではあるが、ニックを、こころもち、ジェイムズ マイクルはすこし異議を唱えながら、もしジェイムズが、 やマーク・ストラフォードの眼を通して見はじめていた。一 いま話をしている相手のことをよく知っていれば、どう思う度などは会話のなかで、ついうつかり、彼のことを「変り だろうか、と怪しんだ。そして、ずいぶん世馴れているはず者」と呼んだ。ニックのほうも消極的なようで、いや、たい

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って、あの情愛にみちた衝動のことを嫌悪の思いで見ている可能だと決めるのだが、しかし疑惑はまた新しくよみがえる。 らしいという感じは、マイクルをある種の逆上にまでかりた こういう悩みの雲がこの問題をとり囲むので、彼にはこのと てる。彼は、トビーに話しかけたい、問いただしたい、 もうき、自分は何を悔んでいるのか判らなくなる。自分の名声に ク いちど説明したいと熱望した。そして遅かれ早かれ、トビー 対する打撃のことなのか、たぶんニックに与えたであろう打 のほうから、二人きりで話をしたいと言い出すことを望ます撃のことなのか、それとももっとずっと単純に、ニックの愛 マ にはいられなかった。彼はなんとなく、このごたまぜのなか清を失ったということなのか ? もっとも、結局のところ、 から、そのなかにある微量の善を取り出し、トビーに対するニックの愛情を自分が今も保っていると考える理由は何もな 自分の無害な善意を、そして自分に対するトビーの無害な善 いわけだし、それを保ちつづけたいと望む権利がないことは 意を、結晶化することができるのを望んでいた。もっとも彼確かなのだが。 には、それが不可能であることが判っていた。よく判ってい こういう心の動揺のただ一つの結果は、ニックのことで自 た。この地上で、トビーと自分とがもう友人になることがで分が「何かする」ことが前よりももっと不可能になったとい きないのは、ほとんど確実である。頑な心は、おそらく最上うことであった。ただし彼は依然として、キャサリンに話し のろ の解決策なのであろう。彼はたえずトビーのために祈ったが、 かけようと決意していたのだが。想像力が、その呪われた敏 しよう その祈りが幻想となってしまうことに自分でも気がついてい捷さで、ロッジで起るかもしれない情景を描きだすと、彼 しっと た。彼は漠然とした、肉体的な欲望に、それから車のなかでは二つの方向に働く嫉妬によって悩まされた。そして嫉妬の やかた 自分の体に寄りかかってきたトビーの、暖かくて打ちとけたあげく、ニックを、トビーを、あるいは二人とも館のほうへ 感じの肉体の思い出によって悩まされていた。彼の夢には、 引越させるという、さまざまの点から見て望ましい計画を押 とら もう→つう 朦朧として捉えどころのない人影がうろついている。それは し進めることができなくなってしまうのであった。自分の動 とを、にはトビ ときにはニックであった。 機が何かは、当面の利害関係においてはじつに明白だと感じ ニックとトビーがロッジにいっしょにいるのだという考えられたので、たとえ、ほかのきちんとした理由で支持される は、彼が心をそれに向けると、マイクルの不安をいっそう複としても、その動機に基づいて行動する気にはなれない。唯 雑なものにした。彼は何度も何度も、ニックは自分がトビー 一の慰めは、とにかくトビーは二週間後にインバーを立ち去 を抱きしめているところを見ることができたろ , つか、というるということ、キャサリンが僧院にはいればニックはたぶん むな 疑問へ虚しく戻ってゆく。どのときも彼は、そんなことは不 いなくなるということであった。つまり事態は保留されてい びん

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うと恐れることなしに。もしもっと信仰を持っていたなら、 スキャンダルめいたものに思っていたらしい ニックからは しっと ニックの欠陥も考えに入れす、そうしていたかもしれないのじめて彼女のことを聞いたとき、嫉妬を感じなかったろうか だ。マイクルはまた、トビーに対しては自分はもっと大胆に彼は思い出そうと努めた。彼はとっぜん激しい思いにみたさ ク 振舞ったし、そのためたぶん間違った行為を犯したのだろうれて、死んだのがニックでなく、キャサリンであればよかっ と思い返す。しかし、トビーには深刻な打撃は何も与えなか たのにと思ったり、もしかして彼女が兄を破滅させたのでは マ った。それにニックほどにはトビーを愛しているわけではな なかろうかと、奇妙な想像に耽ったりした。しかしマイクル い。だからニックに対するほどトビーに対しては責任はない は彼女を憐れみ、自分は生涯の最後の日まで彼女のことを考 非常に偉大な愛ならば、なにほどかの善の要素が含まれてい えつづけ、彼女が幸福になるよう責任を持つだろうと、冷静 るにちがいない。この世に対する愛着をニックにいだかせ、な悲しい気持で思っていた。ニックは去ってしまった。そし かんべき 希望の光を垣間みさせるようななにものかが。マイクルはみて、彼の苦しみを完璧なものにするため、キャサリンは残っ じめな気持で、ニックがインバーに来てから何度か彼に訴えたのである。 かけたのに、そのたびごとに拒みつづけたことを思い出そう最初の苦悩が過ぎ去ると、マイクルはまだ自分が生き、考 と努めた。マイクルは自分の手を白いまま保ち、自分の将来えつづけているのに気づしオ 、こ。はじめのうちは苦しみが大き を安泰に保とうということにばかり心をわずらわせていた。すぎることを恐れていたのに、後には苦しみがすくなすぎる じつはそんなことより、自分の心を開くべきだったのに。激とか、正しい苦しみ方をしていないこととかを恐れるように しく、精魂こめて、あらゆる理陸を越えて、この極めて高価なった。強い磁力によって人間の心は慰めへと吸いよせられ こびん しゃ な香油の小瓶を打ちこわすべきであったのに。 る。悲嘆すらも最後には慰藉に変る。マイクルは自分に言い 時が経つにつれて、マイクルはキャサリンのことも考えよ 聞かせた。ばくは生き延びたくない、 ニックの死を食物にし うとした。哀れなキャサリン、ロンドンの病院で睡眠薬にま ばくも死にたい。 しかし死は容易ではなく、生は どろみ、前途に待っているものといえば恐しい目覚めばかり。そのふりをすることで勝利を占めることができる。彼は心の 彼女のことを思うと、強い憐みを感じるけれども、同時に彼なかを探って、起った出来事を考えても、最後に逃げ道や慰 女が今でもかき立てる不快の念をどうしても心から払い去るめの余地がないような方法を求めた。彼は起ったことを片時 ことができなかった。彼は、彼女に面会するようにとの手紙も忘れたくなかったのである。彼はそのため、自分の智力を が来るのを恐れていた。たぶん最初から、彼は彼女の存在を使いつくしたいと思った。。 タンテに出て来る、故意に浄火の あわ

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627 鐘 ニックは彼の 彼が去ってから、マイクルはずいぶん長いあいだ、闇のなんでいる。マイクルは椅子から立ち上らない かでじっと椅子に腰かけたままでいた彼はそのとき自分が前にひざまづいた。二人は互いにじっと見つめあう。はほえ 敗北したことを知っていた。ニックの手の感触は彼に、じつみは浮べない。それからニックは彼に両手を差し出した。マ に強烈な、あえて言えばじつに純粋な喜びを与えたのである。イクルは一瞬、その手を強く、ほとんど荒ら荒らしく握り、 この言葉をここで使うのは、いささか異様に響くかもしれなそうしながら少年を引き寄せる。震えないようにする努力で、 いろあお いけれど。それはずいぶん長い歳月ののちに思い出しても、彼の体はこわばっていた。ニックは色蒼ざめて、厳粛な表清 体がわななき、もう一度あの圧倒的な喜びを感じるような体である。その眼はマイクルをじっとみつめ、嘆願し、かっ威 験であった。彼はいま、自分の部屋で椅子に腰かけ、目をつ圧する欲情で、燃えている。マイクルは彼を離し、椅子の背 むっている。体はぐったりしている。彼は、自分の本性には、に寄りかかった。まるで長い長い時間が経過したかのよう。 ニックは床の上で寛ぎ、その顔には押えることのできない微 こんなに甘美な喜びの誘惑に逆らう力はないことを悟ってい た。あれからさき、自分はどうしたろうかと、あるいはその笑が輝いている。仮面は、もうなくなっていた。心のうちな ことがどんなによくないことかと、考えるゆとりはなかった。る力によって、焼かれてしまっていた。マイクルもまた、ま るで何か偉大なことが成就されるのを見たときのように、奇 霧のような感情が、彼が固めようとしている決意を覆ってい 妙に安らかな気持でほほえみを浮べる。それから彼らは話を いや、決意とはむしろ、 たし、その霧を追い払おうとしない ものも言わず身を引きもせずに、ニックが手を自分の膝の上はじめた。 たったいま愛を打明けたばかりの恋人同士の会話は、人生 におくままにほうっておくことだったような気がする。彼は、 自分が敗れたことを知っていたし、そのことに気づいたとき、のもっとも甘美な喜びの一つである。めいめいが謙虚さとい う点で、こんなにも高く評価されることへの驚きという点で、 久しい以前から敗れていたのだということを吾った。彼は、 習慣的に誘惑に屈服する人々ならよく知っている一種の弁証相手と競いあう。愛の最初の兆しを求めて過去が探られ、め いめいは大急ぎで自分のすべてを語ろうとし、そしてどちら 法を使って、まだ早過ぎるので戦うことができないときから、 の側のどんな部分も依然として神聖なままである。マイクル もう遅すぎて戦うことができないときまでを、一瞬のうちに とニックもこんなふうにしゃべったし、そしてマイクルは少 通り抜けたのである。 翌日ニックがやって来た。それまでのあいだ二人は、すっ年の知性と繊細さに絶えす驚いていた。少年はたくみにイニ シアティヴをとったし、しかも同時にマイクルの弟子であり と想像力を働かせるのににしかった。彼らの気持はさらに進 くつろ