女は耳ざわりな表情のない声で続けた。「あの人はいいお母それだけさ。あの人はうぶ過ぎて、希望が多過ぎたんだ」 窓が白みはじめていたが、眠気に半分死にそうになりなが さんだし、いい女の人なんだから、お前があの人を悪く言っ たり、人にも悪く言わせたらばちが当たるよ。あの人は不運らも彼女はしゃべり続けた。あとでハナに報告した時は、あ で、自分に似合わない男にぶつかったんだよ。あの人はうぶれは初めから終わりまで嘘だったと言った。第一、ああいう だったから、男につけこまれたのさ。それはあの人が最初で娘がどう考えているかなんて知りもしないのだから、ほかに 何と言えばよかっただろう。でもその時は全然嘘とは思えな もないし最後でもないだろうね」 かったのだ。まるで、神様と自分しか知らないまったくの真 ジミーはしばらく黙っていた。それから低い声できいた。 実を打ち明けているように感じたのだ。そして、それは奇妙 「で、ばくの。ハバは誰なの ? 」 な形でジミーを落ち着かせ、小さな大人にしたのだった。 「誰だか知るものかね。誰にしたってたいした男じゃない ジェイムズとばくには、何か都ムロが 悪いことがあるの ? 」とついに / しきいた。そこで、これこ 「みつけたら殺してやる」 「とんでもない」彼女はきつばりと言った。「その人が何をそ他の何にもまして彼の心にかかっていることなのだと彼女 したにしても、お前のお父さんにはまちがいないのだし、そは唐った。 「ほんと、そんなことは一切ない ! 」と彼女は叫び、はじめ の人がいなけりやお前もいないわけだからね。その人はお前 の中にいるんだよ。自分の中のものをばかにしたら、結局自て心から返事をしている気になった。「何でもないよ。悪い ねた 妬み深い人たちだけがそんなことを一言うんだ。ああ、そうい 分の身の破滅なんだよ」 しレオし」と彼女は両手を合わせ 「その人がマミ ] の一一 = ロうとおりの人なら、どうしてナンス叔う連中に会っても恐れちゃ、ナよ、 て言った。「結婚の証明や洗礼の証明を盾にとって自分より 母さんは好きになったの ? 」 すぐれた人たちを見下すなんて、この世のくずだ。でもよく 「分別がなかったからさ。若い娘にどんな分別があるってい もお聞き、そういう人たちがお前は彼らと同等じゃないなんて 里うの ? 娘たちが望んでいるものなんそわかりやしない。 人しもっと分別があったら、人生ってものを知っている父親や言っても、絶対に信じちゃいけないよ。それどころか、お前 母親の一一一一口うことを聞くだろうよ。でも、親の一一 = ロうことも誰のの方が上等なんだから ! 千倍も上等なんだから ! 」 一一一一口うことも聞きゃあしない。それに、よい娘であればあるは愛や恋なぞいっぺんも信じたことのないまっとうな老女に しては、何と奇妙な意見だったろう , ど望みも高いんだよ。お前のお母さんがまちがっていたのは
ブマンの貧乏ぶりを持ち出す。しかし、内心では彼 のことを恥すかしいと思っているのだ。彼がフォードの中型 トラックに果物類と野菜を積みこんで、家ごとに車をとめて 売るやり方を情けない話だと思い、また彼が朝方市場で黒人 やインド人の行商人の中に混じって大声を上げている唯一の リンドハーストでは、ユダヤ人でない白人が、さもうらや白人であるのをにがにがしく思ってもいる。町にいるはかの 、まし挈よっに、 この町のユダヤ人はさそかし金持なのだろうとユダヤ人はみな、認可を受けた卸し売り商人とか、認可を受 か、たぶん賢明この上ない人たちばかりだろうとか、商売でけた歯医者、認可をえたホテル経営者、認可をえた医師とい った恥すかしくない身分の者ばかりなのに、リピ・リップ たいそう成功しているだろうね、といった質問をユダヤ人に ンだけが認可を受けた行商人どまりだった。それに、ひとり 向けたりするときに、「いやあ、ユダヤ人がみんながみんな そうだってわけではありませんよ。まあ、リピ・リツ。フマン息子のナータンは南アフリカ航空の免許をうけた無線技士だ が、いまだに年老いた父を養うこともできないほどの安月給 をごらんなさい ! 」という答えが返ってくるのは珍しいこと だれ に安んじている。それでも、リピ・リッブマンのような男の ではなかった。誰だって、いや、どんなユダヤ人嫌いだって、 冂 , ・、ピ」・。凵ノッ ブマンが金持だとか賢明だとか、ましてや商売で息子としては、立派すぎる職業についたものだと思われてい るようだ。「やあ、航空会社勤めの息子は元気かい ? 」人び 成功しているなどというはすがない たず づら ハトロン面して時どきそう訊ねる。 とはリピを見かけると、 リピ・リッブマン自身が、この町のユダヤ人たちはわたし 話に金を払って、どうかいつまでも貧乏なままでいてはしいと リピは額にしわをよせながら空を見上げてこう答える。「元 ン頼みにきてもよさそうなものだ、といったことさえもある。気ですよ。まだ機上勤務なんでね。」実際にはナータンはす リピはそれを知らな プつまり、貧乏なリピの例を持ち出すことによって、ほかのユ っと前から地上勤務をしていたのだが、 かった。親子が手紙を交わすことはめったになかったからで ダヤ人たちが話の鉾先をうまくかわすことができて、助かっ あいづち ラジオ ピているというわけだ。。 たが、笑って相槌を打つ人もなく、こある。リピ自身は一度も飛行機に乗ったことがない の冗談は聞き流された。趣味の悪い冗談とみなされたからでを聞いたことだって一度もないのだ。 ほおばね リピは小男だが、 頭だけは大男なみの大きさだ。両の頬骨 ある。そのくせ、リンドハーストのユダヤ人たちは、ユダヤ いつでもリ 人をうらやましがる白人たちをなだめるために、 が頑丈そうに出っ張っている。鼻は細く弓型に曲っており、 ほこき一き
あたしの席があるんですよ。席をとりかえっこしましようれてしまうこと。自分がポールに対し、いささかでも力があ 荷物を運ぶのをお手伝いしましよう」 るとは、とても考えられない。ポールと結婚していることは ク ドーラは喜びに顔を輝かせた。道徳的な行為をおこない、 あいかわらず事実だし、ゆがんだ生活のなかでのじつに確実 なみだ 望んでもいない報酬が与えられる。こんなすばらしいことがな事実のいくつかのうちの一つである。彼女は泪ぐみそうに あるかしら。 マ なり、ほかのことを考えようとした。 彼女は大きなスーツケースを持って、廊下を押しあいへし 列車はメイドンヘッドを通り抜けている。ドーラは、発車 あいして、進みはじめ、そのあとを老婦人はズックのバッグする前にスーツケースから本を出しておけばよかったのにと とポールの帽子を持ってついて来る。進むのはむずかしいし、思った。そんなことをして隣りの人に迷惑をかけるのは、内 ポールの帽子はつぶされたらしい。列車が動きだした。 気な彼女にはできない。それに本はスーツケースの底にある 別の車室に着くと、その婦人は窓際の隅の座席にいたのだ し、いちばん上にはウイスキーのびんが何本かのせてある。 とい , っことが韵・つた。あたしは運がいいわけだ、とドーラは このままにしているのが一番いい。彼女は車室のなかの人々 考えた。老婦人は、荷物はないも同然なので一人で帰ってゆを眺めはじめた。得体の知れない白髪の婦人たちが数人、老 く。ドーラはすぐに腰をかけることができた。 人が一人、そして彼女のまむ力しし。 ゝ、こま二人の若者。というよ 「手伝いましよう」と、反対側に腰かけている、せいの高い りもむしろ、一人の男と一人の男の子。窓際にいる少年のほ 日やけした男が言った。彼は、大きなスーツケースをやすやうは、十八くらいにちがいないし、男のはうはさっき荷物を すと網棚にのせ、ドーラはその上にポールの帽子を投げた。あげるのを手伝ってくれた人で、四十歳くらい どうやら二 びばう 男は愛想よく微笑する。二人は腰をおろした。この車室にし 人で旅行しているらしい。美貌の二人づれである。男は大柄 る人は誰も彼もみんな痩せている。 で肩幅が広く、日やけした顔はすこしやつれて、ゆがんでい ドーラは目をつむり、自分の恐怖のことを思い浮べた。ある。親しみのもてる明るい表情で、広い額には皺がある。ふ たしは戻ってゆく。彼のカのなかへ、しぶしぶ戻ってゆく。 さふさした暗褐色の髪はところどころ白髪になっている。彼 そしてあたしの生活についての彼の考え方は、あたしのいちは静脈が重苦しく浮いている両手を軽く握って、膝の上にの のろ ばん奥深い衝動を拒むか呪うかしているし、あたしが邪悪なせ、のんびりと視線を動かしながら、反対側の乗客を一人ひ 女だと判断する理由は彼にたつぶりある。これが結婚なのだ、 とり、無遠慮に品さだめしていた。その顔は、微笑しなくて とドーラは考えた。もう一人の者の目的のなかに封じこめらも愛想よくできるという種類の顔で、眼は、見知らぬ人の眼 ひぎ
「いや、アラブ人の服装をして行ったのさ」 霊の御名にかけて。そこでばくは見張ることにした。とにか 「誰かに話しかけられる可能性だってあったじゃよ、 オしか。声 くボッターズ・フィールドにスージが現われたとなれば何か なま が問題だよ、メンデル。それが危険なんだ。君の訛りを聞けあるなと思ったからね。彼女があそこに現われた以上、ほか ば、アラブ人じゃないことはすぐわかるんだから」 にも誰かいるはずだ。朝も日盛りになった頃、彼女は観光客 メンデルはかすれた声を出した。「どうしても喋らなきや 二人といっしょに現われた。一人は男だ。もう一人はアラ。フ こうとうえん ならなくなったら、喉頭炎にかかってることにしたさ。声が人の婆さんみたいにヴェールをかぶってた。君の召使みたい うれ 出ません、とね。しかし嬉しかったよ。ぜったいに忘れられにね」 オし」 「カイラだ」アブダルは言った。 「スージを見つけたのには何か理由があるな」アプダルは言 「ばくもその時はカイラだと思った。よく似てるんでね。と 。もこっ ハラ・ヴォーンと ころがキリスト教の遺跡詣でに来た、バー 「ああ、話すよ、それなんだ。ばくはそろそろ夜が明ける頃 いう英国女なんだよ。それがわかったのはもっとあとだ。し にポッターズ・フィールドへ行ったんだ。洞穴で荷造りをし かしそのときポッターズ・フィールドでばくがスージとカイ て、みんなで帰り支度にかかっていてね。するとスージが車ラだなと思った二人は、もう一人の男と車に乗って行った。 から降りて来た。あの教会のちょっと先にある古い家へ入っ町へねーーそこでばくは歩いて町まで行くと、聖墳墓教会の て行ったんだよ」 ところにその車がいる。そのころはもう十一時だったからな、 いたずら アプダルは笑った。「スージの奴、何か悪戯をしているな」 ばくはクリスチャンのアラ。フ人みたいな格好をして、三人の ひぎ メンデルは冷笑的に両手をひろげるユダヤ人流の仕草をす行く先々では、どこでも片膝ついたり両膝ついたりさ。びつ イ ゲ ると、「立派に父上の観光業のお手伝いをしてるんでしよう たりあとをつけていたんだ。最後はイエスが十字架に掛かっ た遺跡でのカトリックのミサだ。いや、泥棒の一人が掛かっ ウな。君が保険業の手伝いをしているのと同じさ」と言った。 「かんじんの話をしろよ」アプダルは言った。「ミス・ヴォ たほうだったかな、それならなおさらばくにはびったりだ。 デ ーンにかかわりがあることなのかね ? 警察はヨルダン中ミ観光客だのアラブ人の女だの、大勢人がいたよ。ばくはじり ン マ ス・ヴォーンを捜索してるんだが。大騒動なんだ」 じりと近づいてスージの隣に立つ。すると彼女はばくを見て、 「ああ。あの年寄りの坊主に訊いてみたんだが、あれは何もあっという顔をする。この時さ、ばくが不安になったのは。 教えちゃくれない。祝福をしてくれるだけだ。父、御子、聖アラブ女が一人、ばくが女に手出しでもしたみたいに、まる つつ ) 0 やっ ばあ
想像することができて、いすれも退役の陸軍少将なのだった。 由なだけの問題ではなかった。ドレーク先生は彼が別な眠り 薬を使っていることを知らなくて、先生がくれた強力な新薬そして一九一四年には、おそらくは騎兵連隊の若い勇敢な将 の錠剤がプロマイドやクロラルとまたジンやプランデーとも校で、戦争が終わるころには二人とも旅団長になり、それか ら陸軍大学に入り、また戦争が始まるのを辛抱強く待ってい 合わないのかも知れなかった。しかしとにかく、眠り薬のほ うはもうなくなっていて彼は錠剤も後もう一度か二度だけ呑たところが、一九三九年になってもう部隊の指揮を命じられ る見込みがないことが解った。それでも二人は銘々の仕事場 んでやめることにした。彼は一粒呑んで甲板に出た。 かみそり そこは明るく人が大勢出ていて、日光が差し、風が気持ちで忠実に働き、防護団員も務め、ウイスキーや剃刀の刃の不 、「ヒンフォールド氏が甲板へ行く階段を登っ足に堪え、今は一年おきの冬にあまり金がかからない船で航 よく吹いてした。。 てくるあいだの短い時間に若い人たちは演奏をやめて、後甲海することができる身分で、それなりに立派な人たちだった。 しかしどこを探してもこの二人はいよかっこ。 板で輪投げやデッキ・ゴルフをやり、船が横揺れしてお互い 、ヒンフォール、ト 正午を知らせるサイレンが鳴ると、前日から船が進んだ距 にぶつかるごとに大声をあげて笑ってした。。 てすり 氏は甲板の手摺に寄りかかってそれを見降ろし、こんなに無離と、それに賭けて勝った人の名前の発表を聞きにみんなが ーのほうへ行った。スカーフィールド氏が少しばかりの賞 邪気で健康に見える連中がボコプタ族の音楽などに熱をあげ 金をもらうことになって、ピンフォールド氏を含めてそこに るのを不思議に思った。グローヴァーは船尾で一人でゴル ヒンフォールド氏 居合わせた人たちに飲みものを振舞った。。 フ・クラブを振っていた。そこの中甲板の日が当たるほうに ひぎか はスカーフィールド 夫人がそばにいたので、「昨晩はつまら はもっと年取った人たちが膝掛けにくるまって椅子に納まり、 伝記ものを読んだり、編みものをしたりしていた。船客の中ない話をして悪かったと思っています」といった。 がの若いビルマ人たちはそろって。フレザー・コートに薄い茶色「そんな」と彼女はいった。「わたしたちといらしったあい のズボンをはき、二人すっ組んで甲板を散歩していて、大隊だはつまらない話なんて」 「いや、あの政治についての碌でもない話ですよ。医者にも の整列が始まるのを待っている将校のようだった。 オ フ ピンフォールド氏は真相を知らずに船長を褒めていた軍人らった錠剤のせいなんです。それが妙なぐあいに作用するよ ン うなんで」 あがりらしい二人を探しだして、ほんとうのことを教えなけ めいりよ - っ ればならないと思った。その年取っていて明瞭でごく普通「それはいけませんね」とスカーフィールド 「でも、つまらないお話どころか、ほんとうにおもしろかっ な声色から彼は二人がどんなようすをした人たちかはっきり っと 夫人がいった。
「くだらないところをとってしまえば、宗教というものには ことは明らかだった。彼は立ち上がると「そうです、そうい % うものなんだ」と言った。「しかし、それも相手の見方しだすべてある程度共通なところがあると思うんだ」とフレディ いです。相手の人間がどう見るかしだいなんですよーー・人間 は言った。「あなたはユダヤ人をどう思っている ? これを ク によって違うんだ , ーー馬鹿にも利口にもなる。わたしは家内訊くのはある理由があってのことなんだがね」 スに言わせれば馬鹿だというんです。べイルートの商売を次男「ユダヤ人というのは」アレクサンドロスは話題の性質上声 にまかせて、ここの回教徒の世界へ足を突っ込んだのが馬鹿を低くした。「商売は上手です。このヨルダンでは、ユダヤ だというんですよ。家内は善良な女だし、一家の母親として人が出て行ってしまって以来、すっかり商売がだめになった。 も申し分ありません。けれども、わたしたちと同じようにカ値段が安すぎるんです。ユダヤ人はマーケットというものが わかるし、客にしてもどういう客にはどういう高級品が向く トリックの、次男の嫁を信用していないんです。べイルート での商売をまかせてしまえばその嫁が何をするかわからない、 、知っているのです。ユダヤ人が経済を動かさなくなって からというもの、この国は貧しくなった。アレクサンドロス だからわたしは馬鹿だといつまでも言ってましてね。家内も 回教は嫌いです。このエルサレムでは近所の人とまったく口がこんなことを言ったとは、決して喋らないでください をききません。べイルートにいれば、まわりの人はみんなク誰にも。お願いします」 丿スチャンなのにと言って泣くんです。だから、家内に言わ「人間としてはどうかな ? 一人一人のユダヤ人については せればわたしは馬鹿だということになる。しかし、自 5 子たちどう思う ? ユダヤ人の血を引いている友達のことで、あな に言わせれば、わたしは馬鹿じゃないんです。息子たちは、 たの意見を聞きたい問題があるんだ。実は、すぐにもその問 父さんはエルサレムへ行って高級品専門の商売をやっている。題の処理をしなければならなくてね」 長男は大学へやっているし、次男にはレバノンで本人の望み アレクサンドロスは両手をひろげると上目づかいになった どおりの生活をさせてやっている、とこう一言うわけです。そ「、、 しのも悪いのもいますな。人間ですからねーー人間なん れにですね、ハミルトンさん、もう一つ大事なことがあるだから」そのとき彼はフレディのバッグに目をやると、「し このわたしがね、また、回教が嫌いじゃないんです。わかし、あなたは今夜イスラエルへ帰るおつもりなんです カ ? 」と言った。「マンデルバウム・ゲイトは閉まりました たしはアラブ人だ。キリスト教にはこまかい点で回教と一致 するところがたくさんあります。ところが、女にはそういうよ。もう間に合わない」 「わかってるんだ」フレディは言った。 ことがわからない」彼はここまで言って腰をおろした。
まね よ。だからわたしのためならオマールの真似みたいな詩は作てるのよ。だからあの人の病気のことが漏れて、ご主人がイ やけど らないで、また燃やして火傷してもらうわ。あなたの笑顔つスラエルの役所で笑いものにされたりしたら、わたしたちが 困るの」 て、きれいね」 ざくろ オ「笑いものにするなんて、とんでもない 「ばくなら君を石榴にたとえるな」フレディは言った。「こ だ君は石榴よりもっとピリッとくるし、甘味もある。石榴は「約束よ。あの人のことは絶対に喋らないこと。それさえ約 見た目はよくても、味もそっけもないからね」こういうやり束してくれればあの人の病気の話、聞かせてあげるわ」 とりはそれからまもなく彼の記憶から消えて何カ月も戻らず、「もちろん約束する。一言も喋らない」 とっぜん戻ってきたのは、葉の落ちたケンジントン公園の木「あの人は自分がスパイされてて、おそらくアラ。フ人をスパ 一フウンド・ポンド 木のあいだからお盆のような真赤な太陽がのぞき、丸池のイする政治問題にまきこまれてるんだと思ってるの。よくわ からないんだけど。暗号で馬鹿な手紙を書いてはあちこちへ 上で赤い日を浴びたスケーターたちが頭から腕からはねだら けになって手袋をはめた手を打ち鳴らしながら、広い空の下隠して、また自分でそれをみつけては、『こんなものがあっ ここで たわ ! 』なんて一一一一口うの。だから早くよくなるように、 の薄闇に浮かんだ白い氷の上を滑って行く姿を見ていた時だ った。何年もかかったのである。狂気に陥っていた時のもっ休養させているのよ。あの人を連れて来たご主人にも約束し たの」 とも甘美な体験は、、 しつも夜盗のようにとっぜん姿を現わし あぜん 「医者にはかかっていないのかい ? 」 たのだった。彼はしばし自分ののんきさに唖然となり、続い てそれほど央活でいられたことに感嘆し、結局はちょうど子「もちろん、たくさんの医者にみせたわ。週に二回はアンマ イ 供の頃のことを思い出した時のように、あれこれの美と歓喜ンの精神科のお医者の所へ行って、とても優秀な人なんだけ こうこっ ど、みてもらってるの」 の思い出の姿に恍惚となったのだった。 ム ウ 「か , わい、 , つに」 しかし、この日から三週間後にわずかながら記憶がもどっ ハラの面倒をみるわよ。あの人のため 「あの人ならよくバ て来たときの彼は、即座にといっていいほどたちまち、あの にも、そういう仕事があるほうがいいんだわ。それにとても ン月曜の朝食の時スージ・ラムデズと交わした約束を思い出し たのだった。 親切だし。わたしたちが口止めしておけば、あの人がバー ラのことを喋る心配はないわ。役所の人たちにはこの話はけ 「ガードナー夫人の神経衰弱のことは、役所では話さないっ っしてしちゃだめよ。約束したわね。そうすれば、あの人は て、約束してちょうだい。あの人にはお客として来てもらっ しゃべ
を語った。具体的なことになると彼の考えることはでたらめほかのアラ。フ人にはまったく見られないものだった。問題の 圏をきわめたけれども、 いかにも結核者らしく、、いに沸き立 フランス人将校にはわずかながらそれが見られたものの、こ っ思いを妹に伝えることは出来た。ジ ・ラムデズの現代の将校はたちまちのうちに連隊とともに移駐して行った。ア ク 他というのは単に古い搾取意識に新しい形式をあたえたもの 。フダルはスージを女友達として扱ったし、彼女はアプダルと ス にすぎない、と彼は言った。こうしてスージは未来を観念的 いっしょの時は大胆で陽気だった。彼はそれを喜んだ。エジ はあく に把握するようになり、兄妺はたがいに人間として無政府主プトでの英国女との時よりも喜んだくらいだった。 ちょうしようてき 義的な考え方で結びついて、誰にたいしても嘲笑的になっ 彼女からの手紙が使者に託されて一日に三、四回も来るよ た。外面的な要求には従いながら精神においては抵抗したの うになると、ア。フダルはひそかに大きな楽しみを味わいなが である。彼らの中にひそむアラブ的神秘主義も二人をこうい らこれを読み、カイラが目の前にいるのもかまわず同じよう う方向へ進ませるのに一役買った。スージはこれもカイラとな返事を書いて渡した。病院のアラブ人職員でこれを気にし いっしょに見舞いに来たときフランス人将校と情事を持ったそうなものがいると、彼は「アラブ闘争」を支援するための が、カイラの目はたくみにごまかし、その後母に向かっては、 ものなのだと説明した。こう一言えば相手はます納得して、ど ただスパイの役割を果たすために近づきになったのだと言っ ういう闘争なのか、正確な目的は何なのかと訊くものは一人 もいなかった。 てまるめこんだ。何らかのスパイだということは、たとえた 。ゝいにスパイするような立場だとしても、読み書きの出来る大戦が終わると両肺ともあるていど直ったアプダルはパレ アラブ人にとっては格好のいいことだった。ヨーロッパ人相スチナにもどったが、 そこには膨大なユダヤ人難民が流れこ 手にスパイをするとなれば、とくに立派だとされた。スージんでいて、ユダヤ人にたいするアラブ人の昔からの敵意はヒ はア。フダルを見舞うたびに、。 ヘッドの彼にわざとらしく紙片ステリックな悪に転化していた。いたるところで英軍が動 を渡した。実は、これはアプダルに宛てた彼女自身の愛の手いていたが、バ レスチナ駐在の陸軍ばかりか空軍も活発に動 紙で、なかばは本気だったのである。この兄妹のあいだの気き、沿岸には監視船まで出しているのに、毎週毎週その網を 質的な親近感には、多少性的な情熱に似たものがないでもな くぐってたくみに接岸しては上陸して来る非合法のユダヤ難 かった。二人の解放された精神は、彼らのそれまでのパレス民をどうすることもできず、英国人はユダヤ人をみな殺しに チナ的な人生にとってはあまりにも新しいものだったのだ。 しないといってアラブ人にまれた。 ジョ スージにとって、女としての自分にアプダルが見せる態度は、 ・ラムデズは海港ハイフアに自分の観光会社の出張
409 ドーキー古文書 われて彼女を連れ去るようなことにでもなろうものなら、間らハケットまで起きだしたとなると、これはたいした事件だ 違いなく彼は思慮分別を失うだろう。何かおそるべき愚行をわ。 世のなか、不思議なことが多くてね。 しでかす羽目になろう。ばかげたこととわかっていても、そ お酒が一滴も入ってないときのあの人、水につかった れをとめるすべはないのだ。 らどんな感じがするのかしら ? ークにいた。 ・伐らはハー ばくたちはヴィーコ・ロードでもう一人の男に会う用 園内の池ではあひるが泳ぎ、子供たちのはやしたてる声に ほとり がんぐ 送られて玩具のポートが波を切る。二人は池の畔の、芝草に事があってね。ある種の海中探険をするので邪魔が入っちゃ 覆われた斜面に腰をおろして、とりとめのない会話を交してまずかったんだ。 もう一人ってどなた ? あたしの知ってるかたかし いた。このところ新たな展開を経験した自分の精神的諸相を ら ? ・ 二人して吟味するのは、彼にしてみればいささか気が進まな まず知らないと思うけど。ばくたちにしたって前の日 いことであったーーーーそれにしても、と彼はひそかに自問する、 に会ったばかりなんだもの。 この人にも知る権利ってものがあるんじゃなかろうか ? トリニティ・カレッジのどなたかと海中生物の調査研 今朝のミサではお会いしなかったわね ? とメアリが 言った。これをきっかけにして彼女に打ち明けようか ? 彼究にたすさわるーーーそういうことだったの ? そうじゃないんだ。実のところ何とも奇妙な男でね。 女は煙草をふかしている。たとえばハケットなんかが煙草を くゆらすといやな臭いがするのだが、この人にかぎってそんもっともトリニティの青年にも会いはしたけれど。 おやおや、それじや同行四人というわけね。 なことはない。なにしろ淑女なんだから煙草をすってもさま 話をこんぐらかさないでくれよ。トリニティの文学青 になっている。知的洗練というところか そう。起きぬけにドーキーへ泳ぎに行ったものだから。年に会ったのは今朝のことじゃないんだ。 そう。でもあなたの言う奇妙なかたって。その人のど ハケットと ? そう。 んなところが奇妙なの ? ミックは周囲に目をやった。たおやかな木々、茂み、花、 ちょっとしたニュースね。泳 ぐだけなら . 何とい , っこと 乳母車、笑いさざめく人たち。正常そのもの。すべて事もな もないけれど、そのために早起きするなんて。まさかイギリ く、心なごむ情景。ド・セルビイとその一党とは無縁の日常 ス人じゃあるまいし。それに日曜日だというのに朝つばらか
「ヨーロッパの人間にはそういうことが始終なのよ。ますま す多くなってるわ」 「この家に英国人の女の人がいるの。まだ十日くらいはいる フレディが目をあけると、スージは寝椅子にぐったりもた ク 一わ。とても親切な人。だから明日わたしがエルサレムへ行っれて彼を見ていた。「やあ、どうなってる ? 」彼は言った。 スてるあいだは、その人に看病を頼むのよ。わたし、水曜には ーバラはずっとよくなったわよ。ルシファ博士の処方の またここへ来なきゃならないし、週末にも来られると思う」 とおり、軽いのね」 「ご迷惑を掛けるわね : : : 」 「処方じゃなくて診断だろう」 「どうせ来るのよ。ここへは始終来るの。あなたの世話はア 「挈、 , つ」 レクサンドロスに頼まれたことでしよう。だから二度は余計「彼の処方というなら、手当ての仕方を教えただけだ」 に往復することにするわ。アレクサンドロスとあなたのため「あの手当てをしてれば明日中には冶るわよ。あとはべッド に。あなたがよくなるまで」 で寝てるだけね」 だれ 「その英国人の女の人って誰 ? 」 「ばく、眠ってた ? 」 「とてもいい人。親切なのよ。あの人なら信頼して大丈夫。「ええ、わたし見ていたの」 あなたさえあの人のことを訊かなければ、向うでもあなたの「何を考えていた ? 」 ことは訊かないわ」 「人生は愛だっていうこと」 「ここでは何をしてるの ? 」 「難しいことを言うね。そして愛が人生だ」 「それを訊いてはだめ。それを訊かなければ、向うもあなた 「その通り、うまいことを言うわ」スージは言った。 のこと『ここで何してるの ? 』とは訊かないんだから」 「フレ一丁イはどこにいるの ? 」 ふん、 「わたしの部屋。たぶん今夜はここへ泊めて、明日の朝送っ 蝦燭の灯を囲んだ夕食は、うちとけた寄りそうような雰囲 て行くことになると思うわ。あの人、わたしにいっしょに寝気だった。スージの話だとマダバのコイン商からコインだけ こっとう オいかって一一 = ロ , っと田 5 , っ ? ・」 でなく骨董も買いにでかけて行くアレクサンドロスは、始終 うらや ーバラは一一 = ロった。 「十中八九言わないわね」バ ここの客になるという。フレディは羨ましかった。そのコイ ン商はさかんに発掘が行われているジェリコ一帯で少年を雇 ろうそく ひ