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検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」06 -フランス1
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」06 -フランス1

のことなど考えてくれるだろう ! 》 、。舌しぶりも冴え の物腰はいつまでたっても、垢ぬけしなし言 この考えかたはなかなか賢明だった。しかし、翌日、マチず、退屈きわまりない。やれやれ ! おれはどうしてこんな ルドの腕が、洋服の袖ロと手袋のあいだからちらりと見えた人間なんだろう ? 》 りすると、それだけでもう、わが若き哲学者は、胸をしめつ けられるような思い出にとらわれ、そのおかげで人生につな ぎとめられてしまった。そんなとき、彼は考えた。《よし , ロシア人の戦略をあくまでも押しとおしてやろう。どんな結 果になるだろうか 元帥夫人には、あの五十三通の手紙を写し終えたら、もち ろん、あとは書かない。 マチルドについては、こんな苦しい芝居を六週間やりつづ けたとしても、怒りをすこしも和らげることができないかも フェルヴァック夫人は、はじめジュリアンの長い手紙を読 しれない、あるいはひょっとして一時の和解が得られるだろんでもとくにうれしいとも思わなかったが、そのうちしだい うか。ああ ! そうなったら、おれはうれしさのあまり、気 に、いをひかれるようになってきた。だが、つぎの一事が夫人 も狂わんばかりになるだろう ! 》それからさきは、もう考えを嘆かせた。《ソレルさんが正式の神父でないのは、ほんと るどころではなかった。 に残念だ。親しくしてあげられるのに。勲章をつけていたり、 長い夢想のあとで、ふたたび秩序だててものが考えられる常人とほとんど見わけのつかない服装をしているのでは、ひ どいことを一一 = ロわれているのにちがいないし、それにどう答え ようになった。《そんなわけで、一日ぐらいの幸福ならっか めるだろうが、そのあとでまたすげないそぶりを見せられるたらいいものやら見当もっかない》夫人の考えはとどまると だろう。悲しいことだが、女の気持を引きつけておくだけのころを知らなかった。《だれか意地悪なお友だちが勝手な想 黒 腕がないのだから、しかたない。そうなれば、もう策なしだ。像をして、言いふらして歩きかねない。あのひとはわたしの と 赤 父方の身分の低いいとこで、国民軍に入隊して叙勲された、 破滅だ、永久におしまいだ : なにかの商人だ、などと》 弸あんな性格の女から、どんな保証が得られるだろうか ? ジュリアンに出会う以前、フェルヴァック夫人の最大の楽 ああ ! おれに取り柄がないから、万事こうなるのだ。おれ 倦怠 おのれの情熱に身を捧げる、それならわかる。 しかし、ありもしない情熱に身を捧げると は ! おお、痛ましき十九世紀よ , ジロ一丁 あか

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」06 -フランス1

おうとなさるのね ? わたしの苦しみに上乗せしないでいた ような気がして : : : そんな見苦しい闘いに自分の力を出しつ くし、魂の宝を使い果して、命にかかわるような傷を受けた だきたいわ。それを全部ご存知なわけではないのに ! 誰に っそ死んだほうがましで も一言えすにかくしている苦しみほど、堪えるのが難しい苦し時にしか支配できないなんて , ク みなのですわ。あなたも女だったら、なにも償わないのに相すの。子供たちさえいなかったら、わたしはこんな生活の流 手がそれですべてを償えると思いこんでいるような心尽しのれにも身をまかせたはすですわ。でも、誰も知らないわたし 対象になったときに、誇り高い魂が嫌悪のまじったどんな深の勇気がなかったら、あの子たちはどうなったことでしょ い憂愁に沈むものかも、わかっていただけるのでしようけれう ? わたしはあの子たちのために、たとえ人生がどんなに ど。これから何日かの間、わたしはちやほやご機嫌をとられ、苦しみにみちていても生きねばなりません。あなたはわたし さ ) や : でも、フェリックス、弱い人間に そのひとは自分が犯した過ちを許してもらおうと必死になるに恋を囁かれるのね ? ・ のですわ。そういう時にはわたしは、。 とんな無理難題でも聞 かぎってみんなそうですけど、情け容赦のないあのひとに、 けいべっ いてもらえますの。でもわたしは、そんな卑屈さ、わたしが もしもわたしを軽蔑する権利なんか与えたら、わたしがどん な地獄に落ちこむか考えていただきたいわ。わたしは疑われ すべてを忘れたとそのひとが思いこんだ時にはすぐに止まっ てしまうそんな愛撫に屈辱を感じますの。主人から目をかけることだって我慢できません ! 身持にやましさのないこと がわたしの力なんですもの。善徳というものは、フェリック てもらえるのが、主人が過ちを犯した時だけだなんて : : : 」 ス、水の浄らかな川みたいなもので、それに浸ると気力が蘇 「過ちどころか犯罪です」と、私は勢いこんで言いました。 わび 「ぞっとするような生活じゃありません ? 」と、彼女は侘しり、そこから出る時には新たな神への愛に目覚めているもの なのです ! 」 げな微笑を私に向けながら言いました。「それにわたしは、 ししてすか、アンリエット、ばくはあと一週間しかここに そんな束の間の権力を利用するすべも知りません。今のわた しは、落馬した相手には斬りかからなかったとかいう昔の騎いられないんですよ、ばくは : 士みたいなものですわ。こちらが尊敬しなければならないひ「いよいよ、行っておしまいになるのね : : : 」と、彼女は私 とが倒れているのを見て、わざわざまた新しい攻撃を受けるを遮って言いました。 ためにそのひとを助け起し、そのひと自身が恥じる以上にそ「父がばくをどうするつもりなのか、聞いてみなければなら みつき ないでしようね。そろそろ三月になるんです : : : 」 のひとの落馬を恥じて、それでいてたとえ実際的な効用のた めでさえ、束の間の影響力につけこんだりすると名誉を失う 「わたしは日にちを数えてなんかいなかったわ」と、彼女は

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を見、しかも彼女のつつましくも控え目な目の光を受けとめ伯爵夫人をパリへ連れて行きたいと思っていたのです。そう るのは自分だけだと知ること、彼女の声のあらゆる抑揚を知すれば娘のために宮廷での勤めを見つけてやれるし、伯爵も りつくしているので、たとえ社交上の気晴らしにたいする身先の辞退を取り消して、高い官職につくことができるはずだ しっと を焼くような嫉妬を心に感じていても、一見軽薄に聞えたり というのでした。みんなから幸せな女と思われていたアンリ ちょ、つしよ、つ 嘲笑的に聞えたりする彼女の言葉の底に、変わらぬひとっ ェットは、たとえ母であろうと誰にも、自分の恐ろしい苦し の思いの証拠を読みとれるということは、なんという酔 い心みを打ち明けたくないし、夫の無能なことも知らせたくない 地を誘うことでしよう。伯爵はみんなが自分に好意を寄せてと思っていました。母親が彼女の家庭の秘密をかぎつけない くれるのが嬉しくて、ほとんど若返ったようでした。夫人はようにと、彼女は、ちょうど公証人たちと議論する必要もあ ったので、モルソフ氏をトウールへ送り出したのでした。彼 そんな様子を見て、彼の気分も多少は変わるのではないかと 期待しました。私はマドレーヌと談笑していましたが、魂の女も言ったように、クロシュグールドの秘密を知っていたの 圧迫がつよくて肉体のほうがカ負けする子供たちによくあるは私だけだったのです。この谷間の澄んだ空気や青い空がど いらだ レ , っこ、 この少女は意地悪ではないが誰ひとりも容赦しない、 れだけ精神の苛立ちや病気のいやな苦痛を鎮めるかというこ 気の利いた冷やかしにみちた驚くべき観察で私を笑わせるのと、クロシュグールドの住居が子供たちの健康にどんないい でした。すばらしい一日でした。朝の一言で生れた希望が自影響を与えているかということを説明した後で、彼女は正当 然を光り輝かせていました。そして私がそんなに陽気なのをな根拠のある断わりを述べるのでしたが、もともと押しつけ がましい女であるうえに、娘の不幸な結婚に悲しみよりむし 見て、アンリエットもうきうきしていました。 「灰色の雲に閉ざされた生活のなかであんな幸せにめぐり会ろ屈辱を覚えていた公爵夫人は、なんとかそれを論破しよう としました。アンリエットは、母がジャックやマドレーヌの えて、ほんとに気持がよかったですわ」と、翌日彼女は私に ことなどほとんど心配してくれないことに気がっきましたが、 一一一一口いました。 翌日私は、もちろん、クロシュグールドで一日中過しまし彼女にとって、それはなんという恐ろしい発見だったでしょ 百 う ! 結婚前の娘にたいしてふるってきた専制的な権力を、 日 / 五日間そこから追放されていたので、私は自分の生命に 結婚した後の娘にもふるいつづけることに置れた母親の常と 谷飢えていたのです。伯爵は土地取得の契約書を作成させるた めに、朝の六時からトウ ] ルへ出かけていました。母親と娘して、公爵夫人は反駁を全然認めないさまざまの理屈を持ち もくろみ との間に、重大な不和の種が生じていました。公爵夫人は、出して攻めるのでした。ある時は、自分の目論見にたいする はん・はく

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しは、二十四時間後には絞首刑にされます。ここいらのロひた。 ラ・モール嬢は、すぐそばに立って、興味ぶかげに首をか げを生やした、りつばな紳士方のだれかが、わたしをひっと しげていたので、美しい髪は、彼の肩に触れんばかりであっ らえに・米るでしょ , つ」 「恥知らずめ ! 」とジュリアンは、押し殺した声で叫んだ。 「お若いですな ! 」と、アルタミラが答えた。「前にも話し マチルドは、二人の会話を、一語も聞きもらすまいとした。 たかと思いますが、わたしの妺は結婚して、プロヴァンス 退屈は消えてしまった。 フランスの地中 ) にいます。まだ奇麗だし、善良で、優しく、つ 「恥知らずとは言いすぎですな」と、アルタミラ伯爵が答え ( 海 イ . 、冫し力といってこりかたまっている た。「わたしのことを話したのも、なまなましい実例で、あとめには忠実で、言、い朶、 なたに強い印象をあたえたかったからです。アラチェリ公をわけではない、一家の主婦としてりつばな女です」 トワゾン・ドル 《どうして、こんな話をするのかしら ? 》と、マチルドは考 ごらんなさい。五分おきに自分の金羊毛勲章を眺めてますよ。 あんな金ピカを胸にぶらさげて、いつまでもよろこんでいるえた。 ところです。哀れなものだ。 「妹は幸福です。いや一八一五年には幸せでした。そのころ、 のですからね。時代錯誤もいい 百年前なら、金羊毛勲章もりつばな名誉だったのでしようが、わたしは、アンチープ近くの妹の家にひそんでいました。と たかわ ころが、しし 、ですか、ネー将軍の処刑の知らせを聞いて、妹 そのころは高嶺の花で、あの男は仰ぎ見るばかりだったでし は喜んで踊りだしたのです ! 」 よう。今日では、貴族のなかでも、あんなものをありがたが がくぜん 「まさか ? 」と、ジュリアンは販然として一一一一口った。 るのは、アラチェリぐらいなものです。なにしろ、叙勲のた しいくらいご執「党派心からですよ。十九世紀には、もう真の情熱はありま めなら、街のひとをみんなしばり首にしても、 せん。だから、フランスでは、みんなが退屈しきっている。 心でしたからね」 残忍無類なくせに、ほんとうの残忍さはない」 「そんなことまでして、手に入れたのですか ? 」と、ジュリ 「残念ですね ! せめて罪を犯すときぐらい、楽しまなけれ アンは、不安そうに尋ねた。 黒「正確には、ちがいますけれどね」と、アルタミラは冷然とば、意味がない。犯罪のいいところは、それだけなんですか 赤 答えた。「おそらく、自由主義者だと思われた、故郷の金持ら。それにまた、犯罪をすこしでも正当化するには、ほかの 理由なんかいりません」 の地主たちを、三十人は川に投げこんだでしようよ」 やっ ラ・モール嬢は、つつしみをすっかり忘れて、アルタミラ 「なんという奴だ ! 」と、ジュリアンは、また叫び声をあげ

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ているのだと思った。もはや成功の望みにつられて行動しての友情がなくては生きて行けません。あなたに会うのが習慣 いるのではなかった。愛する女性に会いたい、彼女と一緒に になってしまった。この心地よい習慣が生まれて育って行く いることの喜びを味わいたい、 という欲求が、私を独占してのを、あなたは許しておいてくれた。こんなに悲しい、 いたのである。十一時が鳴って、私はエレノールのもとへ出なに暗い生活の、それがたった一つの慰めだったのに、それ かけた。待っていてくれた。彼女の方からロを切ろうとしたさえ失うとは、僕はいったい何をしたんです ? 僕は途方も 。ゝ、私はこちらの話を聞いてほしいと頼んだ。彼女のそばに なく不幸なんだ。こんなに長い不幸に、もう耐えて行く勇気 腰をおろして、というのもほとんど立っていられなかったか がありません。何も望んではいません、何も求めてはいませ らだが、私は次のような言葉で、たびたび中断させられながん、あなたに会いたいだけです。生きて行く必要があるのな らも先を続けた。 ら、あなたに会わなければならないんです」。 「あなたの下した宣告に抗議しに来たのではありません。あ エレノールは沈黙を守っていた。「何が心配なんです ? 」 なたの気にさわったかも知れない告白を取り消しに来たのでと私は続けた。「僕の要求は何ですか ? 無関心な連中がみ もありません。したくてもできないんです。しりそけられてんな許されていることではありませんか。世間がこわいんで おおげさ もこの愛は滅びません。いまこうやって少しでも冷静に話そすか ? 世間なんて、くだらない大袈裟なことに夢中で、僕 のぞ うと努力していること自体が、あなたにいやな思いをさせてみたいな者の心を覗いたりはしませんよ。僕だって気をつけ いるこの感情の、烈しさの証拠ではありませんか。でも、聞ないはすがありますか ? 自分のいのちがかかっているんで いてくださいと頼んだのは、そんな話をいまさらむし返すたすよ。エレノール、願いを聞いてください。そうすればあな たにも少しはいい めではなく、逆に、あんなことは忘れてほしい、 則のよ , つに ことがあるはすです。そんなふうに愛され 一時の錯乱の思い出を遠ざけてほしい、 るのは、あなたにとってもいくらかは楽しいはすです。僕が また会ってほし、、 心の底にしまっておけばよかった秘密をあなたに知られたかあなたのそばで、あなたのことだけを考え、あなたのために らといって僕に罰を加えないでほしい、 とお願いするためでだけ生きて行くんですから。いまでも幸福感にひたれるとす フ す。僕の立場はご存じでしよう。人には風変りでつき合いのればみんなあなたのおかげだし、あなたがいてくだされば脳 ア 悪い人間だと言われています。世間的な利害にはいっさい縁みや絶望からぬけ出せるんですから」。 がなくて、みんなの中にいても孤独で、そのくせ孤立の宿命 こんな具合に、長いこと話し続けた。あらゆる反論を排除 に苦しみぬいているんです。あなたの友情が支えでした。そし、手をかえ品をかえて自分に有利なあらゆる論議をくり返

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にすぎないおだやかな態度で老人に向かって言いました。 ってくださるでしよう。あなたのご子息の居場所を白状させ ちょうろう ろう 1 ) く 「そんな無礼な嘲弄はやめにしましよう。問題はなんでするのに、牢獄や刑罰はいりません。ご子息はご無事です。ば . し子′ . し ばくらをどうなさろうというのですか ? 」 くはあの方に害を加えようと思ったのでも、あなたを怒らせ 「問題はだね、シュヴァリエ君」と、老人は答えました、 ようと思ったのでもありません。もしばくらを自由にしてく 「この足ですぐシャトレ監獄へ行っていただくことさ。明日 ださったら、あの方が静かに夜を送っていらっしやる場所を という日が来れば光がさし、この事件ももっとはっきりしてすぐにもあなたにお教えします」 くるだろうよ。で、きみも最後にはわたしの息子の居所を教残忍な老人はばくの願いに心を動かされるどころか、せせ えてくれると思うがね」 ら笑って背を向けました。そして、ばくらの計画については いったんシャトレ監獄にぶち込まれれば、ばくら二人にとそもそもの原因まで知っているのを悟らせる、幾言かを洩ら ってどんな恐ろしいことになるか、ばくは深く考えるまでも しただけでした。自分の息子のことについては、乱暴な調子 なくすぐに理解しました。そこから生するあらゆる危険を予で、ばくに殺されてはいないのだからいすれ見つかるだろう、 測して身震いしたのです。ばくは自尊心もなげ捨て、運命のとつけ加えました。 重圧に屈し、この残酷きわまりない敵の機嫌をとり結んで、 「こいつらをプティ・シャトレに連れてゆけ」と、彼は警吏 服従することによってお情けにすがらなければならないこと たちに言いました。「シュヴァリエが逃げないように気をつ を吾りました。そこで、ど、つかしばらくばくの話をきいてく けるんだそ。こいつは悪賢くって、前にも一度サンⅡラザー れるように丁重に頼みました。 ルから逃げだしたんだからな」 「ばくが亜 5 かったと訒鈊めオ 6 すこと、ばくは一一一一口いオした。「こ 彼は出てゆき、そしてばくがどんな状態のうちに残された 一んな大きな過ちを犯したのもみんな若さのせいですし、それかはご想像いただけるでしよう。 「ああ、神さま ! 」と、ばくは叫びました。「あなたのお手 スであなたが感情を害されて憤慨なさるのももっともだと認め レ ます。ですが、もしあなたが愛の力をご存じで、愛するものからでしたら、どんな打撃でもつつましくお受けいたしまし ン すべてを奪われた不幸な青年がどんな苦しみを忍ばねばなら よう。だが、こんな下等なならず者の思いのままに、非道な ノ マ ぬかおわかりなら、ばくがわずかばかりの復讐の楽しみを求あっかいを受けねばならないのかと思うと、これほど絶望す めたことをたぶん大目に見てくださるでしよう。でないまでることはありません」 も、ばくが今しがた受けた侮辱により、十分罰せられたと思 警吏たちは、これ以上待たせないようにとばくらに言いま

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スタンダール 548 あふ これが夫人をすこし安心させた。 そんな馬鹿なことが ! 」その調子には真心が溢れていて、冷 「梯子をあげておきます。物音で目を覚ました召使が見まわ然と聞き流せるものではなかった。 りにでも来ると、面倒なことになりますから」 夫人は答えなかった。彼は苦い涙を流した。まったく、も 「それより、出ていって。帰ってください」そう一一一一口う声には う話をする気力もなかった。 真の怒りがこもっていた。「ほかのひとのことなんか、どう 「それでは僕は、僕を愛してくれたたった一人のひとからも、 でもいいのです。あなたがこんな恐ろしいことをなさるのをすっかり忘れられてしまったんだ , これ以上生きていたっ 神さまがごらんになって、わたしを罰します。前にわたしがて、なんになろう ! 」だれか他人に出つくわすのではないか、 もっていた気持につけこもうなんて、卑法ですわ。わたしに という心配がなくなると、ジュリアンの勇気はなくなってし はもうそんな気持はありません。おわかりになって、ジュリ まった。恋、いのほかは、なにもかも消えてしまった。 アンさん ? 」 , 。長いあいだ声もたてすに泣きつづけた。夫人の手をと 音をたてないように、ゆるゆると、彼は梯子を引きあげた。ると、夫人はその手を引っこめようとしたが、ほとんどひき ゆだ 「旦那さまは町にいるの ? 」こんななれなれしい口をきいたつったように身をふるわせたあとで、その手を彼に委ねた。 のも、べつに夫人にたてつくつもりではなく、昔の習慣がっ真っ暗だった。二人はレナール夫人のべ ッドに、ならんで腰 い出たまでである。 かけていた。 「おねがいですから、そんな口のききかたはなさらないでく 《一年二カ月前とは、なんというちがいた ! 》と、ジュリア ださい。そうでないと、主人を呼びますよ。どんな結果にな ンは思った。すると涙がとめどもなく溢れた。《会わないで ろうと、あなたを追い出さなかったことだけで、わたしはも いると、こんなふうに、人間の感情なんて、なにもかも消え うあまりに大きな罪を犯しているのです。あなたはお気の毒てしまうのか ! 》 な方ですわ」と、夫人は、ジュリアンの自尊心が敏感なのを 「せめて、別れてからのことを聞かせてください」と、ジュ 承知のうえで、わざと相手を傷つけるようなことを言った。 リアンは、夫人が黙りこくっているのにとうとう当惑して、 親しい口のききかたをはねつけられ、あてにしてきた愛情涙でとぎれがちな声で言った。 きずな の絆をむざんに断ちきられてみると、ジュリアンの激しい恋 「お話ししますとも」と、レナール夫人はきびしい声で答え とが 、いは、狂おしいまでに燃えあがった。 た。その調子には、どこかそっけない、。 シュリアンを咎める 「なんですって ! あなたが僕をもう愛していないなんて、ようなふしがあった。「あなたがお発ちになったとき、わた

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477 赤と黒 の下に暮らしてゆけるかどうかは、この対話の成り行きにかをきかないことだ。お前が腹を立てれば、奴とわしとの仲に かっていたのだ。夫人は、夫の盲目的な怒りを操るのにもっ 水をさすことになる。あの若先生、油断がならないからな」 とも適切と思われる考えを捜していた。どんな罵倒を浴びせ「あの若者は、まったく気がききませんわ。学問はできるか られよ , っと、 っこうにこたえなかった。そんな = = ロ葉は耳にもしれません、それはあなたがよくおわかりのことでしよう も入らなかった。そのときジュリアンのことを考えていたのけれど、けつきよく、 根っからの田舎者ですわ。わたしとし だ。《あのひと、わたしに満足してくれるかしら ? 》 ては、あの男がエリザとの結婚を断わってからは、どうして 「わたしたちはあの百姓の小伜に、ずいぶん親切にしました も好感をもてなくなりましたの。そうすれば、生活が保証さ し、贈物もどっさりしてやりました。あのひとには罪はない れたわけではありませんか。それも断わる口実に、エリザが かもしれません。でも、わたしがはじめてこんな屈辱を受け ときどき、こっそりヴァルノさんのところへ出入りしている ・ : あなた ! わたし、 るのも、あのひとがいればこそです。 と一一 = ロうんですものね」 まゆ このけがらわしい手紙を読んだときに、決心しましたの。あ「なに」と、レナール氏は眉を仰々しくつりあげた。「なん のひとか、わたしか、どちらかがこの家を出ることにしよう だと、ジュリアンがそんなこと一言ったのか ? 」 ししえ、はっきりそう言ったわけではありません。あのひ 「お前は騒動を起こして、おれの顔に泥を塗り、お前自身も とがわたしに話すことといえば、きまって自分は天命によっ 面目をつぶしたいというのか ? それじゃ、ヴェリエールのて聖職につく身だということばかりですの。でも、ああいう 連中をよろこばしてやるようなものだ」 下層階級のひとの第一の天職は、パ ンを確保することでしょ 「そうかもしれませんわ、あなたの行政手腕のおかげで、あう。エリザがこっそり通っているのを知らないわけではない なたも、あなたの家族も、この町も、こんなに繁栄していると、かなりはっきりにおわせるような口ぶりでしたわ」 しいわ、わたし んですもの、みんなが妬むわけですわ。 「だけど、わしは、このわしはそれを知らなかった ! 」と、 からジュリアンに話して、あなたに休暇をねがいださせ、あレナール氏はまたすっかり腹を立て、一語一語に力をこめな たきぎ ひとっき の山のなかの薪商人のところへ、一月ばかり行かせましょ がら大声で言った。「わしの家で、わしの知らないことが起 こっているのか , : すると、エリザとヴァルノとのあいだ う。職人の小伜には、ふさわしい友だちですもの」 まね になにかあったのか ? 」 「勝手な真似はしないでもらいたい」と、レナール氏はかな り落ちついた調子で答えた。「なによりのたのみは、奴とロ 「まあ、あなた、それは古い言よ」と、レナール夫人は笑い ねた

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プレヴォ 188 「そんなはずはありません」と、ばくは言いました。「あのはあらゆる希望を失いました。ばくは死のうと決心し、死ぬ 男がマノンの心をとらえたなんてことはありません、あいつまでそこを離れないつもりで。ヘッドに身を投げました。 びやく は暴力を用いたんです。魔法か媚薬を使って誘惑したんです。 そんな状態で、ばくはその夜とつぎの一日を過ごしました。 り・ようじよく きっと手荒く凌辱したんです。マノンはばくを愛していま翌日、運ばれてきた食事を拒否しました。午後になると、父 す。ばくがそのことを知らないと思うんですか ? あいつは がばくを見にやってきました。父は親切にも、非常にやさし 短刀を片手にマノンを脅迫して、無理やりばくを捨てさせよく慰めて、ばくの苦痛をやわらげようとしました。そしても うとしたんです。あんなにかわいい恋人をばくから奪うためのを食べるように断固として命じたので、その命令を尊重し なら、あいつはどんなことだってやったでしよう ! ああ、 て一一一一口われるとおりにしました。こうして数日がすぎましたが、 神さま ! 神さま ! マノンがばくを裏切り、もうばくを愛ばくはそのあいだ父が眼の前にいて、その命令に従うときし していないなんてことがありうるでしようか ! 」 か、なに一つ口に入れませんでした。父は依然としてばくに ぶべっ ばくがひっきりなしにすぐにパリに帰るとロ走り、そのた良識を取りもどさせ、不実なマノンにたいして侮蔑の気持を めたえず立ちあがりさえするので、父はこのような興奮状態起こさせようと、いろいろと道理を説ききかせつづけました。 ではとてもばくを引きとめられないのを、はっきり見てとり たしかにばくはもうマノンを尊敬していませんでした。人ド ました。で、ばくを上の部屋に連れてゆき、見張りに二人ののうちでもっとも浮気で不実なものを、どうして尊敬できた 召使をつけておきました。ばくはすっかりとり乱していましでしよう ? ですが、ばくの心の底にある彼女の面影、愛ら た。たった十五分でもパリに行けるのなら、何百回でも命をしい顔だちは、依然としてそこに宿っているのでした。ばく 投げ出したことでしよう。こんなにはっきり自分の気持を述はそのことをはっきり感じていました。 べてしまったからには、とうてい容易には部屋を出してもら 「こんな恥辱や苦しみを受けたからには、死んだってかまい えないことを唐りました。ばくは眼で窓の高さを測りました。 ません」と、ばくは言いました、「いや、死ぬべきでしよう。 そこから逃げだすことはまったく不可能なのを知って、二人でも、恩知らすのマノンを忘れることができずに、死んでも の召使に用、い深く話しかけました。そして、もしばくの脱走死に切れないでしよう」 父は、ばくがあいかわらすそんなに強い打撃を受けている に同意してくれるなら、いっか取り立ててやろうと何百回と なく誓って約束しました。彼らをうながし、懐柔し、脅迫ものを見て驚きました。父はばくが名誉を重んすることを知っ しました。。こが、 オそうした試みもまた無駄でした。で、ばくていましたし、マノンの裏切りの結果、ばくがマノンを軽蔑

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足のあまり彼は、子供たちの身体具合にさえ無感覚になってに由来するものなのか納得ゆきました。高貴な魂というのは、 しゅうちしん しまいました。彼らの一方が加減が悪くなると、彼は知恵の自分の苦しみを外に現わすまいとする羞恥心を備えていて、 ありったけを絞って、夫人の採用した治療方針のうちにこの喜びのまじった慈悲の感情から愛しているひとたちには、誇 病気の原因を探りだし、およそっまらない些細な点にいたるり高くその苦しみの深さをかくすものなのです。そんなわけ までその治療方針にけちをつけては、、 しつでも結論として、 で私がくどく求めたにもかかわらず、一挙にアンリエットか 「子供たちの病気がぶりかえしたら、お前がわざとそうしたらこんな打明け話を引き出したわけではありません。彼女は ことになるのだぞ」といった、毒にみちた一言葉を吐くのでし 私を悲しませることを恐れ、告白しながらも不意に顔を赤ら た。そんなふうにして、彼は家庭管理のどんな細かい細部にめては話を中断するのでした。しかしはどなく私は、伯爵の てもちぶさた までも口を出し、物事のわるい面だけしか見ようとせず、彼手持無沙汰がクロシュグールドの家庭内の苦しみをどれだけ の老馭者の表現をかりていえば、何かにつけて〈悪魔の代言ひどくすることになったかを悟りました。 「アンリエット」と、何日か経ってから私は、彼女の新しい 人〉として振舞うのです。伯爵夫人はジャックとマドレーヌ にたいして彼とは別の食事時間を指定して、彼らを伯爵の病悲惨の深刻さを十分知りつくしたことを立証して、彼女に一一 = ロ いました、「あなた方の土地を、伯爵が何もすることがなく 気の恐ろしい作用から守ってやり、すべての嵐をわが身ひと つに惹きつけたのでした。。 シャックとマドレーヌは滅多に父なってしまうほど見事に整備したのが、間違いではなかった ・もっとっ 親と顔を合わせませんでした。エゴイストに特有の妄想から、のですか ? 」 伯爵は自分が他人の苦しみの張本人だということなど、ほん「とにかく」と、微笑しながら彼女は私に言いました、「わ たしはありったけの注意を傾けねばならないほどきわどい立 のわずかも自覚していないのでした。私と交わした打明け話 的会話のなかでも、彼はとりわけ、自分が家族みんなにたい場にいますの。いろんな手を十分研究したことは信じていた からぎお との手も歯が立たないんですの。実際、 して優しすぎるといってこばしていました。だから彼は殻竿だきたいのですけど、。 いやがらせはいつでもひどくなるばかりでしたわ。モルソフ 合を振り回し、それを打ちおろしては、まるで猿みたいに身の とわたしはいつでも顔つき合わせているものですから、その まわりにあるものを見境なしにこわしていたわけです。そし いやがらせをいくつものことに分散させて弱めるということ 谷て相手を傷つけておいてから、手も触れなかったなどと言い 張るのでした。そこで私にも、伯爵夫人に再会したときに気もできません。分散させたところで、全体としてのわたしの かみそり クロシュグールドには丑日トウ がついた、彼女の額に剃刀の刃で刻みつけたような皺が、何苦痛は同じでしようし :