ゾラ 612 て、うれしかったのだ。こんなふうに、ふたりでお上品きわらいだれだって見るからな」 まりない冗談を言うのは、余計なことを言わずにおたがいの ジェルヴェーズは夕方まで彼のそばにいた。当直医が六時 満足を示しあう方法だったのである。病人が回復して、どんの回診にくると、彼に両手を伸ばさせた。両手はもうほとん なふうにもちゃんと働けるようになるのを見るうれしさとい どふるえす、指先がわずかにびくびくするだけだった。それ うのは、じっさいに病人をもってみないとわからないものででも、夜になるとクーポーはしだいに不安にとらわれはじめ ある。 た。二度上半身を起し、床や、部屋の暗い四隅をじっと見つ クーポーがべッドに戻り、ジェルヴェーズがふたつのオレめた。突然、片方の腕を伸ばした。なにか動物を壁に押しつ せん ンジをわたすと、彼はほろりとした。煎じ薬ばかり飲まされ、ぶしているような身ぶりだった。 居酒屋のカウンターでいい気になっておだをあげることがで「どうしたの ? 」ジェルヴェーズは、ぎよっとしてたずねた。 きなくなって以来というもの、彼は昔の思いやりのある男に 「ねずみだ、ねすみだ」彼は呟いた。 にもがき 戻っていた。夫が昔の元気だったころのように筋道の立った それから、しばらく黙って、寝入りかけたが、 話をするのを聞いてびつくりしてしまい、彼女は思いきってはじめ、切れぎれの一 = ロ葉を吐いた わあ、き 頭が変になったときのことを話題に出してみた。 「畜生め ! おれの服に穴をあけてやがる , たねえねずみだ , 「ああ、そのことか」と、彼は自分でもおかしがりながら一言 そらつ、スカートを押えてろよ , あま まあ、考え気をつけろ、うしろにまわったぞ ! 畜生 ! この阿魔、押 った、「その話はもう何度もしてるんだー てみろよ、ねすみが見えたんだ。それでさ、ねずみの尻つば し倒されておっぴろげか、こいつら、ふざけやがって , に塩の粒をのせるくらいむつかしいことはないってよく一一一一口う野郎ー ごろっき ! 盗っと ! 」 だろう、だからそいつをやってみようと思って、四つんばい 彼は空を平手打ちし、毛布を引きよせると、くしやくしゃ になって追いかけたんだ。そしたら、おまえがおれを呼んでとまるめて胸にあてた。ひげのはえた男たちがいると、うわ てごめ こしようとしてたんだ。つまり、 た、男たちがおまえを手籠。 ごとを言っているからには、その連中の乱暴から胸を守るつ 馬鹿げたことばかりさ、真昼間にお化けを見たようなもんだ もりらしい。そのとき看護人が駆けつけ、ジェルヴェーズは いまの光景に身も心もそうっと凍りついて、その場を引きさ ああ、よく覚えてるよ、頭はまだしつかりしたものさ いまじゃ、もうそんなこともおしまいだ、眠ってると がったたが、数日してまた来てみると、クーポーはすっか 夢を見る、いやな夢にうなされることもあるが、いやな夢くり直っていた。悪夢も消えていた。彼は子供のように眠れた。
ゾラ 650 あらし 絹のドレスを着てるだけで、そのドレスも場末の居酒屋のテ 嵐のようなけたたましさにホールはふるえた。一方、踊っ ー。フルをふいたみたいにべとべとに汚れ、ひだ飾りはむしり ている連中は足をふみ鳴らして、ガス灯の光が暗くなるほど 取られて、その跡がいたるところでヘどみたいにぶらさがっ 埃をまきあげた。暑さに自 5 もつまりそうだった。 ている。おまけに、コートはおろか、肩にショールの切れつ 「見てよ、あれ ! 」突然、ジェルヴェーズが叫んだ。 ばしもなく、裂けたボタン穴から胸のあたりの素肌がのそい 「なんだ ? 」 ている。あのろくでなしめ、以前はえらく面倒見のいい爺さ 「あそこのビロードの帽子よ」 とこかのにやけた男を追いかけて、 ふたりは伸びあがった。左手に黒ビロードの古帽子が見え、んがいたっていうのに、。 こんなに落ちぶれやがって ! そのひものやつによっぱどひ ばろばろになった飾りの羽根が二本ゆらゆら揺れていた。ま れいきゅうしゃ るで霊柩車の羽根飾りそっくりだった。しかし、あいかわでえ目にあわされてるんだな。それでも彼女は、あいかわら らすふたりの眼には、その帽子だけが、底抜けの馬鹿踊りをすみすみずしく色気たつぶりで、むく犬みたいに髪をふり乱 し、ぶざまな帽子の下に薔薇色の唇を見せていた。 おどり、跳ねまわったり、ぐるぐるまわったり、沈んだかと 思うとまた噴きあげてくるのしか見えなかった。入り乱れて「待ってろ、いまあいつを痛い目にあわせてやる」と、クー ポーが一一 = ロった。 踊り狂う人びとの頭のあいだに、その帽子は見えなくなった が、やがてまた見えてくると、その帽子はほかの人びとの頭もちろん、ナナのほうはそんなことに気がついていない 上であきれはてたほどすうずうしく揺れ動いているので、まナナが身をくねらせて踊る姿は見ものだった。尻を左にふり、 右にふり、身体がふたっ折りになるほどまえにふかくかがみ、 わりの見物のひとたちは、その下になにがあるなどおかまい ートナーの顔のほうに足を高々と蹴り スただ帽子の踊りを眺めるだけで、やんやとはやした股が裂けそうなほどパ かっ、い てた。 あげる ! みんなは輪になってとり巻き、喝采を送った。す ると、 いよいよ調子にのって、彼女はスカートの裾をつまん 「それで ? 」クーポーがたすねた。 「あの髪の格好に見覚えない ? 」喉をしめつけられたようなで膝までまくりあげ、馬鹿踊りのはげしい動きに全身をふる むち しいよ、わせながら、さらにひと鞭あててまるで独楽のようにくるく 声で、ジェルヴェーズがつぶやいた、「首をあげても、 るまわり、両脚を大きくばっと開いて床の上に平らになった あの子だよ ! 」 かと思 , っと、腰と胸を , つつとりするほど粋にくねらせながら、 板金工はひと押しで群衆をかきわけた。畜生め ! そうだ、 またおとなしく踊りはじめる。片隅にさらっていって、思い ナナだ ! あいかわらずひどい格好をしてやがる ! 古びた ほ - り・ また ひざ
なかなか清深い心の持主なんだ。、 どうだね、残念なことじゃのことが話題にならないので、彼女は帰りたくなり、クーポ ーの上着を軽くひつばった。クーポーは理由を察した。それ ないか、あんなきれいな娘がどんな男とだって寝るなんて , きっといっかは夜の歩道であの娘にばったり出くわすことに 、彼にしても、話を一向に切り出してこないわざとらしさに なるだろう。 当惑し、むしやくしやしはじめていた。 「じゃ帰るよ、いそがしいよ、つだから」 「そらひとつできた」昼飯のときからとりかかっていた鎖を 彼はちょっとためらい、ひとこと言ってくれるか、なにカ 女房に渡しながら、ロリュが言った、「仕上げを頼む」 ほの それから、冗談をひとっ思いついたらいつまでも蒸し返し仄めかしてくれるかと待った。結局、自分のほうで決心して たがるひとがよくあるものだが、 そんなしつつこさで言い添さきに切り出した。 えた。 「ねえロリュ、ばくらあんたを当てにしてるんだ。ばくの女 「また四フィート半 : それだけヴェルサイユに近づい 房の証人になって欲しいんだ」 鎖作りは顔をあげ、さも驚いたふうをして、にやりと笑っ そのあいだ、ロリュの女房は鎖を熱し直してから、調整器た。女房のほうは針金製造器から手をはなして仕事場のまん に通して仕上げをした。つぎにそれを長い柄のついた、稀なかに突っ立った。 し、ようさん 「じゃ、まじめなんだね」と彼が呟いた、「なにしろこの 硝酸を充たした銅の小鍋にいれ、炉の火にかけてよごれを シェルヴェーズはまたもクーポーに , つながされて、 《カシス坊や》ときたら、冗談のつもりなのかどうかさつば 落した。。 みが この最後の手順を見る破目になった。鎖は磨かれると暗赤色りわからないんだからなあ」 「それで、これがそのひとってわけかい」こんどは女房のほ になった。これで仕上げが終り、いつでも渡せる状態になっ たのである。 うがジェルヴェーズをじろじろ見ながら言った、「そりゃあ、 。それ 「生地のままで渡すんだ」と板金工が説明した、「それからあたしたちにはべつにとやかく一言うことはないよ : きれ にしても結婚するなんて、おかしなことを考えついたものだ 磨き屋が布でこいつをこするのさ」 しかしジェルヴェーズは気力が尽き果てた感じだった。だね。でもまあふたりがそうしたいって一一一口うんなら、うまくい んだん激しくなる熱さに息がつまってきた、ちょっとでも風かなかったら自分のせいさ、それだけのこと。うまくいかな いことが多いんだがね、そう、よくあるんだけど : に当るとロリュが風邪をひくという理由で、ドアは閉めきっ てある。それこ、 しいつになってもあいかわらすふたりの結婚言葉尻をだんだんのろくしながら彼女は幾度かうなすき、 じめ・
フロペール 142 がっていった。 て立ちあがったところへ、シャルルがはいってきた。 「しかし、こちらへ来なかったにせよ」と彼はつづけた、 「ムフ日は、先生」とロドルフが一一 = ロった。 「あなたにお会いできなかったにせよ、ああ ! 少なくとも 医師はこの先生という思いがけぬ称号を嬉しがって、しき ついしよう わたしはあなたのまわりを取りまくものをじっくり眺めてい りにお追従を並べたてたが、相手はそれを利用していくぶ たのです。夜は毎夜、わたしはまた起きだして、ここまでやんか落着きを取りもどした。 ってきて、お宅を見ていました。月の光を浴びて輝く屋根を、「奥さまが具合が悪いと話しておられましたが : : 」と・彼は あなたの部屋の窓辺に揺れる庭の木々を、窓ガラスを通して言った。 闇のなかにともっている小さなランプを、ほのかな明りを見 シャルルはそれをさえぎった。いかにも、彼もたいへん心 ていました。ああ ! そこに、そんな近くに、そしてそんな 配していた。妻の呼吸困難がまたはじまっていた。すると、 遠くに、ひとりの哀れで参めな男がいることを、あなたはあロドルフは乗馬がよくはあるまいかと尋ねた。 まりよくご存じではなかった : 「たしかにね ! すばらしい、申し分ありませんなー 彼女はすすり泣きながら彼のほうを向いた。 れはいい考えです ! お前はそのお考えに従うといいね」 「まあ ! あなたはお優しい方ですこと ! 」 そして、彼女が馬をもってないと反対したので、ロドルフ 「いいえ、わたしはあなたを愛しています、ただそれだけでは一頭提供しようと申し出た。彼女はその申し出をことわっ す ! あなたはそれを疑ってはいらっしやらない , た。彼は言いはらなかった。それから訪問に理由をつけるた ひ しやけっ / 、たき」い 一言を、たったの一言を ! 」 めに、彼の家の荷車挽き、あの瀉血の男が相変らすめまいを そしてロドルフは、、 しっともなしに、腰掛けから床の上に 感じると話した。 「いすれお夫円りしましよ、つ」とポヴァリーは一一一一口った。 滑りおりた。しかし台所に木靴の音が聞こえ、そして彼はそ え、わたしのほうから寄越しましよう。わたしたちが のとき気づいたのだが、広間のドアは閉めてなかった。 「とんでもない思いっきを」彳。 皮よ立ちあがりながら一一一一口葉をつ参りますよ、こちらにはそのほうがご都合よろしいでしょ うれ づけた、「かなえてくださると嬉しいですが ! 」 とい , っことだった。 それは家のなかを見せてもらいたい、 「いやあ、たいへん結構です。どうも有難う」 そして、二人きりになると、 彼は家の様子を知りたいと望んだのだ。そして、ポヴァリー そろ 「なぜブーランジェさんの申し出をお受けしないんだね、あ 夫人はそれには差しつかえがないと思ったので、二人が揃っ
炭屋のあんよというところかしら、まるつきりマッチの軸なまるで激しい空腹感にさいなまれているときのように、 んだから , 脳天はつるつ禿げ、 頸筋に、さあ四本くらいの身なりをしたい、ちゃんとしたレストランで食事をしてみた 縮れつ毛がべたりと貼りついているだけなので、あれを見る 、芝居にも行きたい、立派な家具のついた自分だけの部屋 と、いつでも、どごの床屋さんで髪の手入れをして、きちんに住みたいという欲望を感じて、胃袋のあたりがきりきりと と分けてもらってるのと聞いてみたくて仕方がない。まったねじられるようだった。彼女は欲望のあまり真蒼になって立 わいせつ ハリの舗道から熱気が腿をつたってのばってくるの く、なんて老いばれなんだろう、ものすごく猥褻な目つきをち停り、 ぎっとう して , を感じ、歩道の雑沓のなかで彼女を押しとばし、もみくしゃ やがて、たえず出くわすので、そう滑稽とも思わなくなっ にするいろいろな央楽にむしゃぶりついてゆきたいと、狂暴 た。この老人のことがなんとなく怖くなってきた。そばに寄な食欲に燃えあがるのであった。しかも、それはけっしてか ってこられたら叫び声をあげてしまうかもしれない。彼女が なわぬ望みではない、ちょうどいま、あの老人が彼女の耳に どま 宝石店のまえで立ち停っていると、 いきなり背後で彼がロご いろいろな話をもちかけているではないか。ああ、もし相手 もりながらいろいろと話しかけてくることが、よくあった。 が布くさえなかったら、すぐにでもこの男のさしだす手を握 それを聞くと、ほんとにそのとおりだなあ、と思う、ビロー り返しただろう。いや、こんなに悪ずれのした彼女なのだが、 ドで頸につる十字架とか、小さくてまるで血のしすくみたい 男という未知のものに面と向かうと嫌悪と苛だたしさを感じ さん 1 ) に見える可愛い珊瑚のイアリングとかが、欲しくてたまらなるばかりで、むらむらと起る本能的な反感から、かたくなに それに、宝石まではのそまなくても、彼女は、ばろ服の拒絶の姿勢をとりつづけるのであった。 着たきり雀でいるのがどうにも我慢できす、ケール街の仕事しかし、冬が来ると、クーポー一家の暮しはどうにもなら 場からちょろまかしてきたもので服をなんとかとりつくろう なくなった。毎晩、ナナはめった打ちにされた。父親がなぐ ことにもあきあきだった。とりわけ、例の古帽子にはうんざるのに飽きているときは、母親が身持ちを直してやるといっ りしていた。こんなばろにチトルヴィルの店でくすねてきたて眼がまわるほどひつばたく。そしてしばしば、一家をあげ おおげんか 屋造花をつけてみても、まるで乞食のお尻にこびりついてるうての大喧嘩ということになった。一方がなぐると、一方がか んこの残りが、ちりんちりん音を立てているようなものだ。 ばい、そして結局、三人そろって皿の割れた床のうえにころ そうしてぬかるみのなかを歩いたり、馬車にはねをかけられげまわる。その上、腹がへっても食べ物がまるでなく、寒く ちょう たりして、ショ ・ウインドーの輝きに眼を奪われていると、て死にそうだった。娘が蝶結びにしたリポンとかカフス・ポ こつけい
うのが、たぶん心の底では楽しかったのであろう。 っとは覚えておけ : 。おれでよかったらその服をふいてや 十一月のある夜、彼ら夫婦がちょうど《グラン・サロン・ るよ、往復びんたをくらわしてな : 労働者を侮辱するこ からだ ド・ラ・フォリー》に身体を暖めようとはいったときのことんな馬鹿野郎は見たことがねえや ! 」 ジェルヴェーズがなだめようとしたが、 である。外はびりびりするような寒さが道行く人びとの顔に むだだった。ばろ 切りつけていた。だが、ホールは大入り満員だった。あきれ服姿の彼はそっくりかえって自分の仕事着をたたきながら、 けんそう はてるほどの喧騒で、。 とのテー。フルもお客がふくれかえり、わめいた。 そうざいや 中央の踊り場にも、階上にも、人また人で、さながら惣菜屋「このなかには、ちゃんとした男の心があるんだそ ! 」 の店先の食い物の山のようだった。まったく、 臓物のカーン すると、若い男は、こうつぶやきながら群衆のなかに姿を 風煮込みの好きなひとたちなら、このごちやごちゃと積み重消した。 したつづみ ねて煮込んだみたいな雰囲気に舌鼓を打つかもしれない。 「うすぎたねえごろっき野郎め ! 」 彼らは二度まわってみてもテー。フルが見つからなかったので、 クーポーはその男をつかまえようとした。あんなちゃらち どこかのひと組が席を立つまでじっと立っていようと心にき やらコートを着飾った野郎に馬鹿にされてたまるか ! あの どこかでセコハ めた。クーポーは、よごれた仕事着に、てつべんがべしゃんコートだってまだ勘定も払っちゃいまい こになり、庇もとれてしまった古ばけたフラノの帽子をかぶンを見つけてきて、一文もださすに女をひっかけようって魂 り、身体を左右にゆすぶっていた。そうやって通路に立ちは胆さ。こんど見つけたら、土下座させて仕事着に頭を下げさ だかっていると、やせて小柄な青年が彼を肱でこづいてから、せてやる。だが、ひどいこみようで進むこともできなかった。 自分のコートの袖をはらっているのが眼にとまった。 ジェルヴェーズと彼は、みんなが踊っているまわりをゆっく 「やい ! 」憤然としたクーポーは、黒すんだ口から短いバイ りとまわった。物見高い連中が三重もの人垣をつくり、踊っ プをとると、どなった、「失礼とぐらい言えないのか ? ・ ている男のだれかが気取ったポーズをとったり、女が脚をあ ひとが仕事着を着てるので、なめてやがるんだな ! 」 げてなにもかもまる見えにしたりすると、顔をほてらせてひ けいべっ 酒若い男は振り向いて、板金工を軽蔑するようにじろじろ見しめきあった。クーポー夫婦はふたりとも背が低かったので、 居 たので、彼はさらにつづけた。 つま先だって背伸びをして見ようとしても、わずかに女のま 「のらくら野郎、仕事着ってのはな、いちばん立派な服なんげと男の帽子が激しく上下しているのしか見えなかった。楽 だぞ、そうさ、労働の服なんだ ! そのつくらいのこと、ち団はひびのはいった金管楽器でカドリールを騒然と演奏し、 ひさし そで
昨日なんか、かれいをびしやりと顔にたたきつけて、仕事をぶりは地下室に埋葬してしまうべきだった、それほどすうす さばった見せしめだとさ。まったく、こりやおもしれえや。 やらしい ! でも、それだってかまわない、彼女 お腹がよじれるほど笑っていた《焼肉》と《長靴》が、ジェ はそこに鼻をつつこんで、匂いをかぎ、このけがらわしいも やけど ルヴェーズの肩をばんとたたいたので、彼女もとうとう、なのを味わってみたい気がする、たとえ舌が火傷をして、オレ んだかくすぐったくなって、思わず笑いだした。すると彼ら ンジみたいに皮がペろりとむけたって。 まね 「あんたたちま、、 は、奥さんもでぶのユーラリーの真似をして、アイロンをも 。しったいなにを飲んでるの ? 」彼女はしら ちだして、酒場のトタン張りテー。フルの上でクーポーの耳にばっくれ、男たちのグラスの美しい金色に眼を輝かせながら、 アイロンをかけてやればいいんだと、けしかけた。 たずねた。 「こりや、おめえ、コロン。フの親爺さんのとっときさ : 「やあ、いかすそ」女房の空けたアニス酒のグラスをさかさ かまととぶるんじゃないよ。 にふって、クーポーがどなった、「きれいな飲みつぶりじゃ いま味見させてやらあ」 なしカ ! おい、みんな、どうだい、 こいっ筋がいいせ」 そして、強烈な安・フランデーが一杯彼女のところに運ばれ - も - も 「奥さん、おかわりは ? 」《酒浸りの呑み助》がたずねた。 てきた。最初のひとロで顎がひきつるのを見て、板金工は腿 しいえ、もうたくさん。それでも、ぐすぐすしていた。アをたたきながらつづけた。 ひと自 5 に 「どうだ、喉の奥が削られるみたいだろう , ニス酒は胸がむかついた。胃の調子をよくするため、なにか びりつとしたものが飲みたかった。そして彼女は、うしろのぐっとやんな。こいつを一杯ひっかけるたびに、医者のポケ 酔いどれ製造機械のほうへちらりと視線を投げた。この大き ットから六フラン銀貨をふんだくり返しているようなもの なべ な鍋みたいなものときたら、肥った金物屋の女房のお腹みた いにまるまるとして、鼻をつきだし、くねらせて、肩のあた 二杯目で、ジェルヴェーズは、つらかった空腹をもう忘れ りに恐怖と欲望との混じったものを吹きかけて、そくそくっていた。い まではクーポーと仲直りしていた、約束を破った かいしよう ことを、もう限んではいなかった。サーカス場へはまたこん とさせた。そうだ、ひもを養ってる甲斐性のある売春婦のこ 屋とを「鍋」って一言うけれど、これはまるつきり、ばかでかい 馬に乗って走りまわりながら曲芸をするなん コロン。フ親爺の店のなか 居淫売の金属性のはらわたみたいだ。 魔女のはらわたって言って、そんなに面白いものじゃない。 いたほうがいいかしら、胎内の火を一滴また一滴としたたらせなら雨は降ってないし、給料が電気みたいなお酒のなかに溶 かせぎ ているところなんて。まったくみごとな毒の泉、こんな仕事けていってしまってるといったって、とにかくお腹のなかに
ゾラ 474 「そんなことしたら濁ってしまうじゃない 今日はきっ並べた。そこで雇われている連中は仕事をやめた。女主人は めいめいのコップに角砂糖をふたつずつ入れてから、自分で と、ひどいものを飲まされることになるよ」 コーヒーを注いでやるのがつねだった。 一日のうちで、みん のつばのクレマンスは男物のワイシャツの仕上げをしてい かぜ るところで、爪の先でひだを際立たせていた。ひどい風邪をなが心待ちにしているひとときである。この日は、ひとりひ からだ リいて、眼は腫ればったく、 仕事台の縁で身体をふたつに曲とりがコップを取って、アイロン加熱器のまえの小さな長椅 げて喉がちぎれそうになるまで咳きこんだりしている。それ子にうずくまると、おもてのドアが開いてヴィルジニーがぶ なのに、頭にマフラーひとっ巻かず、安物のウールの服一枚るぶるふるえながら入ってきた。 でふるえていた。そのそばでは、マダム・ピュトワが厚手の 「わあ ! 身体がふたつに切れちまいそうよ ! 耳も感じな いわ。なんてめちゃな寒さなの ! 」 フランネルに身を包み、耳もとまで厚着をしたという格好で、 「まあ、マダム・ボワッソンじゃない ! 」と、ジェルヴェ アイロン板の端を椅子の背にのせ、そこで。へチコートをくる 一緒にコ くるとまわしながらアイロンをかけていた。床にはシーツをズが叫んだ、「あんた、いい ところへ来たわ : ーヒーを飲みなさいよ」 一枚ひろげて、ペチコートが床の板石にふれて汚れないよう ちそう 「それはご馳走さま : にしてあった。ジェルヴェーズはひとりで仕事台のなかばを 通りを横切るだけで骨のなかまで 占領して、刺繍のついたモスリンのカーテンに取り組み、ま凍ってしまうんだもの」 さいわいコーヒーは残っていた。クーポー婆さんが六つ目 ちがったひだをつけないように腕をのばしてまっすぐにアイ ロンをかけていた。突然、音をたててコーヒーが流れだしたのコップを取ってきて、ジェルヴェーズは礼儀をわきまえて ヴィルジニーに自分で砂糖を入れさせた。雇われている女た ので、彼女は顔をあげた。ゃぶにらみのオーギュスチーヌが、 スプーンを濾過器に突っこんで、コーヒーの枌のまんなかにちは脇へつめて、アイロン加熱器のそばに彼女のために小さ な席をつくってやった。彼女はかじかんだ手を暖めるためコ 穴をあけたのである。 「じっとしてられないの ! 」と、ジェルヴェーズが大声をあップを包むようにしてもって、鼻を赤くしたまましばらくふ げた、「いったい、おまえの身体のなかにはなにがあるってるえていた。食料品屋へ行ってきた帰りなんだけど、そこで グリュイエール・チーズを切ってもらうのを待つあいだに冷 いうんだろうね ? これじゃ滓を飲まされることになるじゃ えきってしまったの。そして、彼女はこの店がとても暖かい ないの」 かま クーポー婆さんが仕事台の空いている片隅にコップを五つのに嘆声をあげた。ほんとに、まるで罐のなかに入ったみた のど かす
靴》自身の眼のまえで、また彼をほめだした。洒落た格好を いぜ、あそこには小部屋がたくさんあって、ご立派な食事に たな 刀してやがるぜ ! まるつきりお店の旦那ってとこだよ、白い ありつけるからな。そして、彼女が血の気のうせた顔に眼だ ワイシャツにすてきなダンス・シューズなんかはいて ! 驚けを血走らせて郭外大通りに沿って立ち去ろうとすると、彼 一フ ゾいたな、いやあ、たいしたもんだよ , どう見ても、やり手はまた大きな声をかけてきた。 のかみさんをもってる果報者というところだぜ ! 「なあ、おい、デザートはおれにもってきてくれよ、菓子は ふたりの男は郭外大通りのほうに降りていった。ジェルヴおれの好物なんだからな : それから、もしおまえの旦那 エーズはついていった。しばらく一一一一口葉がとぎれてから、彼女がいい身なりをしてたら、古外套をひとっせびってみろ、金 はクーポーのうしろから声をかけた。 に換えるから」 あんたをあてにしてた 「お腹がペこペこなのよ、ねえ : ジェルヴェーズはこのあくどい冗談に追いたてられて、急 のに。なにか食べ物を見つけてよ」 ぎ足に歩いた。やがて、人ごみのなかでひとりきりになると、 クーポーは返事をしない。そこで、断末魔のような悲痛な足をゆるめた。彼女はもうはっきり心にきめていた。盗みを するか、あれをするかのどちらかなら、あれをするほうがず 調子で繰り返した。 「じゃあ、ほんとにお金は全部使っちまったのね ? 」 っとましだ。すくなくとも、だれにも迷惑はかけないのだか いいかげんにしろ ! 一文もねえって言ったじゃねら。あたしのものを、あたしの勝手にするだけじゃないカ 、。けれど、 もちろん、あまり褒めたことじゃなし ししとか亜 5 えか ! 」憤然と振り向いて、彼はどなった、「もうついてく るな ! さもねえとぶんなぐるぞ ! 」 しいまの彼女の頭のなかでは、ごっちゃになってい 彼はもう拳をふりあげていた。 彼女はあとずさりをして、 た。お腹がへって死にそうなときに、理屈をこねまわすこと なにか決心した様子だった。 もない、眼のまえにさしだされるバンにかぶりつくだけだ。 「じゃ、行くわよ、たれかほかの男を見つけるから」 彼女は、クリニャンクール通りまで戻った。いつまでたって も、なかなか暗くならない。そこで、夜になるまで、しばら とたんに、板金工はげらげら笑いだした。なにを冗談言っ てるんだというようなふりをしながら、それとなく彼女をかく外の空気を吸ってからタ食に戻ろうとしているどこかの奥 りたてた。そいつは、じつにい、 し考えだ ! 夜の明りの下でさまのように、大通りをぶらぶらと歩い 見りゃあ、おめえもまだけっこう男をひっかけられるぜ。男 この地区は、彼女が気恥すかしく思うほどきれいになって リの中 して、いまではどこもかしこも明るく開けていた。バ を拾ったら、レストラン《カピュサン》にくわえこむのがい しゃれ
はいたるところに御殿みたいな建物をつくって、労働者を田若い子ってほんとに馬鹿なものだ、よくは知らないけれど、 これだけはほ 州舎に追い返そうとしているんだと、彼は非難する。すると巡どこかの若いにやけた男と駆落ちしたらしい 査は爆発させることのできぬ怒りのため真蒼になって、とんんとうらしいのだけど、いっかの午後、バスチーユ広場で、 ラ でもない、皇帝はまず労働者のことを考えておられるんだ、あの子は爺さんに、ちょっとお手に行きたいからって三スー 必要とあれば労働者に仕事をあたえるというそれだけのためせびったんだって、それで爺さんはまだあの子が出てくるの ハリを根こそぎ取り壊してしまうだろうと答えた。ジェを待っているらしいよ。ご立派なお仲間たちの言うところの、 ルヴェーズも、こういう町の美化は住みなれた場末町の薄暗イギリス流におしつこをするというやり口である。また、ナ 一角がめちやめちゃにされてしまうので、いやだった。彼ナがその後、ラ・シャベル街の《グラン・サロン・ド・ラ・ シャュ 女がいやがったのは、まさしく、自分が転落の一途をたどっ フォリー》で馬鹿踊り ( 力」カン踊りに似た騒 ) をしてるのを見か ているのに町が美しくなってゆくという対照的なあり方ゆえけた、と断言するひとたちもあった。そこでジェルヴェーズ にちがいない。だれにしても、泥のなかにはいつくばってい は、この界隈の踊り場をのそいてみようと思った。それから るときに、頭の上からいつばいに光など浴びたくないものでというもの、ダンスホールのまえを通りかかると、かならず ある。こうしてナナを探し歩いていた日々、彼女は建築材料なかにはいってみた。クーポーもついてきた。はじめのうち をまたいだり、工事中の歩道でまごっいたり、板囲いにぶつは、ホールをざっとまわって、がちゃがちゃ踊り狂っている かったりして、ひどく腹を立てた。ォルナノ大通りの美しい おひきずりどもの顔をじろじろ見るだけだった。やがて、あ しよ、つふ 建物にもむかっ腹を立てた。こんな建物はナナのような娼婦る晩、金があったので、彼らはテー。フルについて、喉をうる のためのものだ。 おすかたわら、ナナが来ないか待ってみようと、大きな杯に そんなあいだにも、彼女は何度か娘のうわさを耳にした。 入れたポンスをとって、ちびりちびりとなめていた。ひと月 あいさっ いそいそと飛んできては、まったくとんだことで挨拶をするもすると、彼らはナナのことを忘れてしまい、ダンスを見る おしゃべりどもが、世のなかにはいつもいるものだ。そう、 のが面白くて、自分たちだけの楽しみで踊り場にはいった。 そんな連中が話すには、娘さん、あの爺さんを急に棄てたん何時間ものあいだ、なにも言わずに、ふたりはテー。フルに肱 だってね、世間知らずは向う見ずをやるね。あの爺さんのとをついて、床もふるえるほどの騒ぎのなかでうつけたように ころでとてもうまくいって、甘やかされ、可愛がられていた なっていた。ホールの息のつまりそうな雰囲気と赤い照明の んだ、やり方さえ心得てれば浮気だってできたのに。だのに、 なかで、場末を流す売春婦たちが踊るのを生気のない眼で追