松崎芳隆 て五百件以上を数える、写真を主体とした一種の伝記的アル マルロー的なもの ハムに資料をあおぐことにし、まずそこに際立ってマルロー 「王道』 ( 一九三〇 ) という小説はマルローとその妻クララ、的なものを求めたい。 こうすることでマルロー的なものの作 幼いころからのマルローの親友シュヴァソンの三人が、カン 品中での発現を目にすることができたらよいのだが。 ポジアのある遺跡から石像を持ち出した、いわゆる「アンコ ール事件」を主題の一部としている作品であり、この小説は マルローの小説はどれも冒頭の部分がじつに巧みに構成さ 二人の主人公を持ち、といって悪ければ、マルローの分身とれ、出来上っている。取るに足りない事象あるいは小イメー もいうべきクロード・ヴァネックなる独学の青年考古学者をジや小テーマがそれ自体あざやかに浮かび上ってくると共に、 主人公として、船中で知り合いクロードの考え方に共鳴する読者はもう事件の渦に巻きこまれている。このことはとりわ ベルケンなる中年冒険家をもう一人の主人公として持つ。ク け「アジア三部作」にいちじるしい。「征服者』 ( 二八 ) の冒 Ⅱ。ヘルケンの架空世界は、マルロー一行の体験した現頭における特報用の「白い掲示板」。読者は船客たちにまじ 実とどのようにかかわるものなのか知りたい。 って、まるでスクリーンの前でのように観客となり、次の事 そこで仮に現実世界でのマルローの生活、とくに生涯にわ件を待つ。『人間の条件』 ( 三三 ) はテロリスト陳による武器 かや たる出来事や日常生活における特徴的なもの、すなわちマル商人暗殺の場面からはじまり、モスリンの蚊帳から外にのび 説ロー的と一言えるような二、三の点が、その作中人物たちにどている人間の「肉体の足」に格子縞をつける、隣のビルから うかかわっているか調べることから、この解説をはじめたい。 射しこむ青白い「光」の小テーマを含む。 そのために私としてはさしあたり、主としてジャン・レスキ 『王道』もその例外ではない。書き出しは、月光にかがや ュール著「アルバム編マルロー』 ( 一九八六 ) という、総べ く仏領ソマリアの塩田を背景に、 今しがたジプチの港町の 解説 マルロー チェン
会することになっていた。マルロー夫妻はサイゴンでシュヴ時・場所等にかんしてはとくに大まかに、敢えて一一一一口えば叙事 的ですらあるのだから。 ハノイの極東フランス学院を訪ねる。 アソンをひろい そのバルマンティエと別れてマルローの一行はいよいよ密 ト兇ではクロードが学院長に向かって悪態をつく場面が設 ロ定されているが、おそらくこのような過激な意見はマルロー林に踏みこんでゆく。あるかないかの、およそ王道などと呼 マがインドシナで自らをきたえ、植民地の悲惨な現実に目覚めべた代物ではない道をとおって。 てからのものであろう。「三十年たってまだ研究所があるの マルローはある行動を書くにさいして、その結果よりは過 か。インドシナにフランス人がいるのかね」そんな一一一一口葉をの程に、細部に、極端なほどのこだわりを見せる。こうして密 こしてクロードは学院を辞去する。ハノイーメコン河ートン林を創世の相においてとらえたり、海の相においてとらえる ことにおいて、一宇宙としての密林を描ききったのである。 レサツ。フ湖ーシエム・レアップーアンコール・ワット こに不可解なことがおきる。そこまで学院教授バルマンティ 妻クララとマルロー 工が同行したはずなのに、小説にはそのことへの言及がない きぐ 六十キロもの危険にみちた密林中の道、原住民しか通らな 。ハルマンティエはあるいはマルロー一行の意図に危具を感じ たのだろうか。いずれにせよ必要となると神速をもって対象いような道をたどりーーー実はアンコール・ワット遺跡の一角 ちしつ のすべてを知悉してしまうマルローのことでもあり、それにをなすアンコール・トムから北西二十キロのところにある ハンテアイⅡスレイに一行は着いた。この同じ場所につ 加えて、あのさわやかな弁舌、博識のこの上ない集積に舌を まいていたらしい。それになによりもマルローの「無私の精いての異なる、としか言いようのない二つの描写があり、そ 神」を高くかっていた。のちにバンテアイⅡスレイ事件の裁の一つは妻クララ・マルローのものである。 判に証人として出席、マルローとその友人の美的センス、審《古老が伐採刀を高くかかげて立ち止まっていた。茂みの中 しきいーレ の門が、舗石のはがれた四角い小さな中庭に向かってひらい ~ 天眼に咸 5 、いしたとい , つ。 けれども。ハルマンティエの『インドラヴァルマンの芸術』ていた。奥はと見ると、部分的に崩れたところもあるが、し かしその両側には、存在することがありありとわかる塀が立 という論文 ( 一六 ) およびその単行本 ( 一九 ) なくしてマル っており、 バラ色の装飾のある、美しい一宇の寺院が、森の しかしながら作品を見るかぎり ローの冒険は成り立たない。 トリアノン離宮ともいうべきものが、あった。点々と染みを 。ハルマンティエの律気な文章とマルローのそれとはまさに正 反対でしかない。それにある意図があって、マルローは、日つけたように拡がる苔は、飾りであり、あるいは不可思議な しろもの
しれん うした試煉を経るうちに彼らは徐々に植民地における原住民イ・シュヴァソンに対して、同様に一年半の禁錮実刑。受刑 の悲惨な現実に目覚めたのである。 者は浅浮彫を元の位置に戻さなくてはならない クララは本国に帰って、マルロー釈放のために涙ぐましい サイゴンでの第二審の判決、二四年十月二十八日ーーアン ロ奔走にあけくれる。ジッド、アルラン、・フルトンたちの、マドレ・マルローに対して、執行猶予つき一年の禁錮、居留権 マルローの才能を惜しむ同情があった。第一審はマルローとシ ・には制限なし。ルイ・シュヴァソンに対しては、執行猶予っ きそん ュヴァソンに対し、「文化財毀損」ならびに「バンテアイⅡ き八カ月の禁錮。 スレイの浅浮彫の不法切り出し」のかどで、一九二四年七月 マルローとシュヴァソンは間もなく帰国し、翌年マルロー からひらかれた。マルローとその弁護士の立場は、バンテア夫妻は再度インドシナにやってきて、「インドシナ」および イⅡスレイの遺跡は研究家たちの対象になりはじめたとはい 「鎖につながれたインドシナ」という新聞を発刊し、二五年 え、いまだにいわば末登記のままであるゆえに、そこには盗末に、フランスに戻り、本格的に文学活動に入る。 みは成立しないというものであった。それに元の位置への復 クロードⅡマルロー Ⅱベルケンの世界 元ということも実は、区域が限られていて、バンテアイⅡス レイはその区域外であったらしいということもある。こうし 二五年の末か二六年のはじめにマルロー夫妻は帰国し、間 じ。よ、つし てモラル上の問題は括弧に入れたまま彼らは純法律的立場をもなく『西欧の誘惑』を上梓した。この本にかんして一つだ け言っておきたいことがある。 固守せざるをえないと判断したのであろう。 因に、およそマルローの作品の中で裁判を問題にしている本文に先立って、エピグラフと献辞とがあり、エピグラフ ものは『征服者』だけであり、ことは主人公のひとり、革命はのちに『王道』に付されるそれと全く同一のものである。 ほ ) っドレ・よ 家ガリーヌが妊娠中絶の幇助者に、つまり資金立替者になっそして献辞にはこうある。「クララよ、きみにこの書を捧げ たときのことであり、そのとき彼はそのような行為が重罪裁るバンテアイⅡスレイ寺院の思い出として」そして本文の こつけい 判所で「裁かれるということの滑稽さに面くらってしまっ終りに付して「一九二一年ー一九二五年」とある。あれこれ た」と回想する。おそらくは「アンコール事件」への間接的考えた末に、この年号は、マルローがクララと知り合い、ア な反応であろう。 ンコール事件を経て、二つの新聞を発刊し、再度帰国したこ プノンペンでの二四年七月第一審の判決ーーアンドレ・マとへのねぎらいのことばであろうと、推測してみた。ではな きんこ ルローに対して、三年の禁錮実刑、五年間の滞在禁止 。ルぜ、このエピグラフと献辞とは『王道』にこそふさわしいの
1141 解説 もも あのなんともすばらしい手が女性のものでないとはおど になって、彼から切り離され、やがて腿の上に落ち着いて彼 を見つめている。手がそこにあって彼を見つめている。白く、ろきである。その手とは、ダヴィンチ作の「バブティスト派 ・『アルバム編』にのせられての聖人ヨハネ」から切り離したものである。あたかも死期の 魅惑的に、死とは手なのだ : ほおづえ いるのは、みな優美なかたちを見せている。頬杖をついて、せまったベルケンのからだから左手ではなく右手が切り離さ 指が複雑にからまり合っている手。その下にはなにかの草稿れて見えたかのように。それにさらに一枚。マルローは右手 が開かれてある。流れるがごとくにやすやすとすばやく動く人差指を上向きにし、親指と中指も、ダヴィンチ式に軽く内 とい , つのもとくに親指をこちらに 手によって作り出される記号のようなもの。表情は千変万化側にむけているらしい は見せていないから。マルローの頭はかるく右にかしぎ、そ して、最後にはしかし手品師のカードを切り終ったときのよ うに、中指と親指で箱の型をつくり、さてその空間になにをれにともなって右手全体もかしぎながら、顔をかくした格好 収めたいのか。そしてたばこはいつの間にか指から両唇のあになっている ( 文化担当の国務大臣になったころのものであ ろう ) 。 。し力にもおだやかな横顔を見せてい いだに移されて、当人ま、ゝ る、マルローの自宅における一シーン。 頭部のみの仏像があるように、手だけの彫像があってもよ マルローは「猫」キチにち力し ゝ、。『アルバム編』にのって / 父フェルナンと ( 一九一五年 ) 中 / 母ベルト 下 / マルロー一二十八歳 この年 ( 一ル一元年 ) 第二次世界大戦が勃発 マルローはプロヴァンスの 戦車隊に入隊した
1143 解説 たちをアッと一一一一口わせるようなトリックにかけたりする。傷は 重くラオスの「領地」を目の前にしながら死ぬ、というよう 『王道』という作品は、前半 ( 第一部、第二部 ) と後半 ( 第に筋は展開してゆくのであるが : 三部、第四部 ) にはっきりと分れており、前半ではクロード 前半の石像搬出まではほばマルローたちの現実の行動に一 が、後半ではベルケンがイニシアティ。フをとっている。前半致していて、クロード Ⅱベルケンの行動もマルローのかって は主人公のクロード・ヴァネクがカンポジアに渡り、密林の行動様式に重なり合う。後半は、マルローの裁判沙汰とは をものともせす、バンテアイⅡスレイの遺跡から石像を取り無縁であるが、しかしマルローの目から見れば同一のものの はずすところまでであり、これははばマルローの体験と重な相異なる両面であろう。一方は石像取得↓裁判、他方は石像 り合う。後半はかねてより行方不明にな 0 ているグラボを捜取得↓保存である。クロードはベルケンの付添人のようなこ しだすために、ベルケンが勇猛果敢に活躍する。目指すグラ とをしているうちに、石像は彼の脳裏から少しずつ遠ざかる ポは見つかった。奴隷となって屈辱的な目にあっている。べかのようである。 ルケンはスティエン族との交渉中に、あやまって逆茂木にや ところで、インド洋を航海してきたアンコール号は、シン られ傷を負い、これが命とりになる。その間派手な、未開人ガポールでベルケンを降ろす。のちにシ , ム・レアップで再 『王道』 / - 日取初の妻クララと 娘のフローランス ( 一儿三二年 ) 中 / 愛人のジョゼット・ クロ一アイス 彼女はマルローとの間に 一一人の男子をもうける 下 / ヴェルサイユの ランテルスの庭て 描とたわむれる ( 一九六七年 )
1142 しゅ いるもので目につくのは、まず第一に、マルローの服の上着血統によって猫の種を区別している。そんな区別は死を基準 にべったりと賺りついて、まるで床の上にねそべるために敷にしているにすぎないのです ( 昔あなた方の画家たちは、死 とら ひろ いた虎の皮のように四肢を大の字なりに拡げている図。おそ体をデッサンしながら、人体の。フロポーションを研究してい ましたね ) 」この猫の定義はなかなかよい。そう、定義しょ ロらくこれほどまでにマルローの顔が静けさと柔和さを呈した じようはく マ ことはなかったに違いない。片方の上膊部にそっと乗ってうとしても猫は逃げていってしまう。影の中を横切る例の猫 も、前述のように、クロードの無意識界に作用して突き動か いる猫。右手を平らにして前に差し出し、その手から。フリッ まえあし すものに他ならない。『人間の条件』の登場人物、アナキス ジをつくるかのようにマルローの左手で前肢をつかまれてい たこ トの陳の夢に現われるという「猫の影と蛸のようなもの」も る。これまたなんという、なごやかな光景であろう。 「王道』の冒頭部の終りちかく、ベルケンが甲板での談話を同じことになるであろう。 右のことどもからもわかるように、やや意外なことに、マ 終えて引き返すところに、たぶんクロード自身の「目のない ルローは、クロードよりもベルケンに、自分のいわば外的な 影」がすぐ目の前にのびており、そこを、船に棲みついた猫 が横切るシーン、これはおそらく影すなわち自己の無意識界らびに内的属性を分かち与えているようである。おそらくは クロード 日。ヘルケンのあいだに釣合のとれるようにとはから の鏡のなかで猫が守ってくれているという、マルローにとっ ては、かなり一般的な内的風景を表わしているだろう。こう それともう一件。『アルバム編』 ( および他のアルバム集に して猫のいるところに共通に見られるように、猫の出てくる 一致して ) はマルローの生涯の最終到達点を示すための印し 場面は、どちらかというと、くつろぎのシーンとなるようだ。 クロードの目の前に猫が現われたのは、作品中の説明にもあであるかのように、「猫の小立像」 ( エジプトの。フロンズ像。 るように、エジプト沿岸を通るときに、ベルケンから聖猫の紀元前六六四ー五二五 ) で締めくくった。 ここまでの記述から結論めいたものを一つ提示しておくと、 ことをきいていたという事実と切り離しては考えられないで マルローは自分のいわば実質の中から、少なくともこの三つ あろう。 にかんするかぎり、クロードよりもベルケンに多くを分ち与 にかんしては、数ある省察の中でも、『西欧の誘惑』 ( 二 えたように田 5 われる。 六 ) の林のそれはなかなか面白い。「私が《猫》というとき、 私の精神を支配しているのは猫のイメージではない。それは 猫に特有の柔らかで物言わぬ運動のことである。あなた方は
1211 文学作品キイノート アンドレ・マ ) レロー 識に支えられなければ、意味がないと信 じてきた。冒険家ガリーヌは「エネルギ は信じているが、マルクス主義は信 じていないと、放言していたのである。 それはあくまでも、労働者の情熱を組織 するための方法でしかないのであるから。①マルローが盗掘したバンテアイスレイの遺跡 ( 廟の入ä) ②『世界の彫刻の空想の美術館』に収められた美術品 マルローは二種類のコミュニストを定義 「ヘリオポリスのジュビター神に捧げられている手」 する。「モスクワの革命の既得権を後生③一九一一五年のサイゴンの街角。右の建物はマルローとクララが住んていたコンチネンタル・ホテル だいじにまもっている連中、あえていえ ばローマ人型のコミュニスト」そして 「征服者型の革命家」とである。おそら , こんてい く後者は、個人主義とその根柢である孤 独とを前提にしなければ、成り立たない であろう。赤衛軍の優勢を伝える報告を 聞きながらガリーヌは死をむかえようと第 している。「わたし」に看取られながら。 『征服者』は一九二八年にグラッセ書店パ・鸞 から出版された。トロッキーがこの小説 に注目したことだけを考えてもこの作品 の革新性がわかるであろう。 ( 松崎芳隆編 )
マルローは裁判の開始をまちながらプノンペンのホテルに 一の正面には三つの図書館、六つの付属施設などのあること もすぐには、つまり彼らのとは別の書物によらなくては、わ滞在することになり、一方、ベルケンとクロードはグラボを 捜しに、そのままフィクションの世界に旅立っていった。 からない。そして主神がシバであるというようなことも。 マルローの一行は、ベルケンの一行とは逆にもときた道を マルロー一行は南の聖域に到達した。そこには他の聖域と くす たどり、船倉にかくした石像の入った樟の木の箱を警官に押 同じように、砂岩で外装を仕上げてある本堂、紅土の小ホー ルとから成 0 ていて、上の階はない。そのホールの外側の壁収され、石像はプノンペンのアルべール・サロー美術館に飾 られてから、「元の位置」、バンテアイⅡスレイの壁面に戻っ に《女神たち》 ( 舞姫 ) の像。これが除去作業の対象であっ たのであるが、しかしマルローは、少なくともその所有権に た。こうして現地の新聞の伝えるところによると、成果は かんしては、永遠に上告することをあきらめないという姿勢 50X65X70 センチの石塊七個であったという。盗掘にせよ 卩をくすさなかった。 何にせよ、運び出して美術館に入れば、それらは時代の刻 クララとシュヴァソンと丑ハに外出を林不じられている間に、 も作者名すらも消して、宗教的含みをすら棄てて、あらたに 空想の美術館に理想の永遠のス。ヘースを与えられるはずであ彼らは狂気じみた読書をつづけてい 0 たが、クララの自殺末 遂などということのあるうちに、クララは不起訴になる。こ 二二ロ 、ノ ヒ / 文化相として初の登院 ( 一九五九年、十月一一十一日 テアトル・ド・フランセにて ド・ゴール大統領と ) 中 / 毛沢東主席と会見する ( 一九六五年、北京 ) 下 / ケネディ大統領夫人と モナ・リサを背に ( 一儿六三年、ワシントン )
ハンテアイⅡスレイそのどちらも「乙女のとりで」なのであびいた。最初は鈍い、 つぎにはさえた音をひびかせて、クロ ・ 6 っ ( こ . ・ : 私たちの手がまるでオートウュの庭で花にふれるよ ードの、いに〈 in-so-lite アンソリット〉とい , っことばを呼び き、ました : うに、石のはだにふれた》 ロ クララは、実家のあるオートウュと、母の実家のあるドイ ごらんのとおりマルロー自身によるこの廃墟描写はかなり マツのマグド。フルクとに、ヾ ノンテアイⅡスレイの心象を重ね合 控え目であり、このことにより密林描写の濃密さがかえって せているのである。 際立つようになっている。クララにおける一 0V6 ↓ love わだかまり これに相当するマルローの文章 〔蛇ノ蟠 ( ↓心の蟠 ) ↓愛〕なる連想が、アンドレにおけ 《石また石。そのあるものは平たく、あとはほとんど空に角る二度の in-so-lite 〔見慣レヌモノ↓地面ノ上ノ石〕のそれ ちなみ をむけている。密林に侵入された石切場である。紫砂岩の壁 応じているらしいことは、すぐにわかる。 ( 因にこうし 面のいくつかは彫刻がほどこされ、他の壁面は裸で、羊歯が た一一一一口語現象は、マルローに親しい例の farfelu ファルフリュ たれさがっている。火のように赤い色のついたのもある。ク ーということばにともなう意味の多重性、あるいは意味の不 ロードの前にあるのは、古い時代の、インド様式のものだっ確定運動にもつながるように思われる「マルマルト肥ッタ た浅浮彫だ ( クロードはそれに近づいてみた ) 。といっても奇妙ナし すばらしく美しいもので、いまでは崩れてしまっている石の ンテアイⅡスレイといえば、マルローはこの作品の中で 砦のしたに、半ばかくされたいくつものむかしの入口をと一度もその名をあげていない。ちょうどこの遺跡の研究の第 りまいている。思い切って彼はむこうへ目を移した。うえの一人者バルマンティエに言及しないように。 ほうに、地上二メートルの高さのところで崩れ落ちた塔が三 クララのほ , つはといえば、。ハルマンティエに一一一一口及すること つあり、三つの円筒状の断片は丈の低い草が生い茂る完全な はあっても、回想のこのあたりは妙にアンドレヘの庇護者気 がれき 崩壊のなかから突き出ているのだが、逆に瓦礫の山に突きさ取りであることがいささか気になる。 かえる さっているとでもいったおもむきだった。黄色の蛙がのっそ ハンテアイⅡスレイの唯一の正面が砂岩でできており、建 り逃げていった。ものの影が短くなっていた。見えない太陽築物がかなり複雑に入りくんでいたり、といってもアンコー が中天にのばっていく。 風もないのに、動かぬざわめきが、 ル・ワットに比べればかなりコンバクトであったり、したが かんべき ってその特徴は仕上げの完璧さにあることなどはマルローの いっ果てるともしらぬ震えが、葉末にまで生気をあたえてい た。熱気がおしよせてきた : : : 石が一つはがれ落ち、二度ひ文章からもクララのそれからもすぐにはわからない。その唯 とりで
1205 文学作品キイノート ス〃ノ川 4 な 4 〃ズ アンドレ・マルロー 体を五十六の断片からなる章をもって構走らせたことのある人物だし、サポター織化するのは、主要人物のひとり、スペ ジュの主謀者になったりしたくらいだかインの最もすぐれた民族学者ガルシアで 成した ( 現行普及版 ) 。章は独立してい いくつか連なる場合もあら、このたびの戦いでもなにをするか、ある。彼がそんなことをマニャンにむか る場合もあり、 るが、そのせいで、いくつかの筋の同時わからない人物だ。あるいはプイグ。革って主張するのは、勝利を保ちつづける いっき 進行や、一時的断絶や、省略による強調命とは彼の目からすると常に一揆なのでために「その勝利をあたえた手段と対立 。ゝ可能となった。実にこれこそ分割によあった。希望のない世界にたいして、彼する技術によるしかない」からである。 がアナキズムに期待したのは、「模範的かってマルローはいった。アストウリ る統治をテクストに応用したかのごとく であるが、これらの断片Ⅱ章は、また一な反抗」だけである。もしもこうした諸アス地方の坑山でのストで、坑夫たちが おびただ 方では、広間いつばいに夥しい数の写個人のあいだに「友愛」が生まれなかっ敗れたのは、オーガナイザーがいなカ たせいであると。 たら、戦う士気もおとろえるであろう。 真をひろげてなんらかの美術書のために またル・ネグスにむかってガルシアは 選んでいるマルローの仕事場を思わせる。それにしてもその行動がいかに孤立的で かえん いう。「ねえネグスさん。革命というも はあっても、こちらに向けられた火焔放 いすれにせよこれらの章は、題名をもた 射器のロを無謀にも手づかみにしてしまのがそれだけで一つの生き方であってほ しいと思うとすると、それは必す一つの この小説においてもマルローは敵、フうル・ネグスの蛮勇にはおどろくほかは なしが、これとは対照的にトレド防衛の死に方になるものなんです」。ガルシア アシストたちをその視点からは描かない がアナキストに反対するのは、それが最 ことによって、かえってスペイン人たち最後の一人として、捕えられてーーーとは キョ むち の、あるいは国際義勇兵たちの熱狂を強つまり『人間の条件』の清のように鞭の初からなにかであろうとするからである。 いっせん 調する。第一部「抒情的幻想」はアナキ一閃になぎたおされるようにしてーー意それゆえ、あの友愛のアポカリプスです へんばう ストたちの行動、あるいはそれと似た行識を失い、銃殺刑に処せられるエルナンらも変貌せねばならない。つまり規律と いうものに。この作品の中ではいわば、 動を指している。最初期の孤立的行動にデスにマルローはありうるかぎりの観察 よっては勝利できないことはもちろんで力を付与した。死を前にしてこのユーモ理想のコミュニストと考えられているマ あるが、にもかかわらず、アナキストたア、冷静、余裕、そして寛容は読者の感ヌエルという人物も、そのように考えて いるようだ。マヌエルもまたコミュニズ ちの個人主義的行動は派手であり、目立動をさそわすにはおかない ちすぎることもたしかである。例えばそ「アポカリプス」すなわち世界を終末的ムを理想的にしか考えてはいないのであ のひとりル・ネグスは車庫に入って市電絶望の相においてとらえ、その末来なきるから。 「マンザナレス河」 ( 第二部の名称、国 に火を放ち、バルセロナの中心部にまでものを反転させて「アポカリプス」を組