へきがん ラ座の前桟敷を借りるよりもっと高い額を払っても、 けばけばしさを庶民的な表情で緩和しながら、まるで壁龕の オデットがやってくる日にそこで宵を過ごす権利を得たいと なかにおかれた聖人像のように、その入口のアーケードの下 思うだろう。いやそのほかの日でもよい、そこでオデットの に立っていた。また、教会巡警のような服装をした偉丈夫の たた 噂をし、またふだん彼のいないときにそこでオデットが会っ 玄関番が、客の着くたびに杖で床石を叩いていた。ゴヤの描 ている人びとーー・・そのために彼の目には、恋人の生活のなく香部屋係かあるいは古典劇の公証人のように、頭のうしろ しつば あおじろ かの何かもっと現実的な、もっと近寄りがたい不思議なもの に髪をリポンで束ねて小さな尻尾に垂らしている蒼白い顔の を秘めているように見える人びと とともに、そこで暮ら召使にずっと付き添われたまま階段を上りきると、スワンは したいと思うだろう。このようにもとのお針子が住んでいる、大きなテーブルの前を通ったが、 そこでは大型の帳簿を前に すわ 悪臭を放ってはいるけれども慕わしい階段では、勝手口の裏して公証人然と坐っていた召使たちが、立ち上がって彼の名 階段がないので、夕方になるとどの家の戸口の前にも、靴拭を記入した。それから彼は小さな控えの間を通った。そこで から - いの上に汚らしい空の牛乳缶の出されているのが目につくのは、、・ーー芸術作品が一つだけ飾られていて、その作品の額縁に であったが、 それに対していまスワンが上って行くこの堂々なるように持主がしつらえた部屋、その作品の名をとって たる階段、しかしスワンの軽蔑を買っている階段では、左右何々の間と呼ばれており、その絵以外はわざと何もおかずむ のさまざまな高さのところにある門番部屋の窓だとか、広間 き出しのままにしてある部屋のように 入口のところに じゅんら かたど 十六世紀フィレ の戸口などが壁に窪みを作り、その窪みのひとつひとつに、 巡邏の兵隊を象ったべンヴェヌート・チェリニ ( ンツェ派の彫刻 まえかが 家 受付や給仕頭や家令が立っていて、それそれ自分が采配をふ ) の貴重な彫像さながらに、軽く前屈みになった若い従僕 くびあて るっている家のなかのっとめをそこで示すとともに、来客に が陳列されており、赤い首当の上にもっと赤い顔を起こし、 おくびよう 敬意を払っているのであった ( いすれも堅実な人たちで、ほその顔からは情熱と臆病と熱意とが急流となって噴出して へ かの日はそれそれの土地でいささか独立した生活を営み、 いるのだった。その従僕は、みなが音楽を聞いているサロン 方 のさな店屋の主人のように自分の家でタ食をし、明日になればの前にはりめぐらされたオービュッソン ( 中瑯フランスの町。「ルペ タビスリ ン医者とか実業家などのような単なる。フルジョワの家につとめ ¥ ') の壁掛けを、その激しく、警戒するような、狂おしい眼 スることにもなりかねない人たちだ ) 。彼らはいささか窮屈そ差しで貫きながら、軍人のような無表情さ、あるいは超自殀 うな様子で、たまにしか着ない派手な制服に身を包み、その的な信仰とでもいったものをたたえてーー・ー警戒というものの アレゴリ 制服を着せられる前に受けた注意を忘れないよう気を配って、寓意、期待の血肉化、戦闘準備の記念碑とでも言うべきだ くつめぐ
1035 ドニーズ るななかさしれ は 愿な僕 かかのらでてはド らっかだは僕村 か本でた 。なたの一 。当あが僕ドくち若ズ 、を者よ る、は 鼾 しひー他駆た かとズ人りち僕 を しがよとたがは はておチあグ く れくで区る前ュな か はもは別のでた ど 僕不僕さはおと つ の幸がれ愛前呼 か 僕 苦にあたすとん 痛なないる話で のりたと人しお は は得をいにて前 絶 対 うる愛う がなし必おチた話 愛どて須す前。かし 分 り をりといのらて 凌ょ思た欲ででい は 駕ネつの求話あた し してはですりが な ても本あ楽 いい当るしそそ で 一 9 一七上カンワイラーダニエル日アンリ・カンワイラー ( 一八八四ー 一九七九 ) 、ドイツで生まれ、 リで活躍した画商、美術評論家。初期 のピカソ、プラックなど立体派を支持したことで知られ、また第一次大 戦後、ジャン・コクトーなど当時の前衛的な作家のグループとも親交が あり、文学書の出版にも関係していた。 一 9 一七上カルケーランヌ南フランス地中海岸、港市トウーロンの近く にある保養地。 一 9 一七下ナルキッソスギリシア神話に出てくる美少年。泉に映る自分 びはう の美貌に恋いこがれ、その恋情が満たされぬまま死んで水仙になったと される。 一 0 一一九下《。ヒジョン・ヴォル》直訳すれば《鳩が飛ぶ》となるが、これ は掛けあいでやる子供のゲームの名称である。親の出す動物の名にたい して、飛ぶものにだけ《ヴォル》 ( 飛ぶ ) と言って手をあげることが要 求され、間違えると罰をあたえられる。 一 0 三一上「キリストのまねび』トマス・ア・ケンビス ( 一三八〇 ? 一四七一 ) による啓蒙的な宗教書。キリスト教の教義を平易に説いた信 仰の手引きとして、長いこと広範囲な読者に親しまれた。
けれど、もし彼女が会いたいと言ったり、何かうまい手が見つた。いつもの癖で、スワンはすぐ生きた人間と美術館の肖 つかったりしたら、十二時まではサンⅡトウーヴェルト夫人像画の類似を求めたくなるのだが、その彼独特の癖は今もな のところにいるから、手紙を持たせて一言そう言ってくれれお、しかもいつも以上に休みなく、 いっそう広い範囲で働い 十二時からあとはうちにいるからね。本当に何かとていた。つまり、彼が社交界から離脱した今になって、社交 ありがとう。とても感謝しているよ。」 生活全体がまるで一連の油絵のように彼の目の前に現われた シャルリュス男爵は、スワンをサンⅡトウーヴェルト邸ののである。かって彼が社交人だったころ、コートに身を包ん えんびふく 入口まで送って行ったのちに、彼の頼んだとおりにオデット だ姿でそこにはいり、燕尾服姿でそこから出ていった玄関、 を訪ねようと約束した。スワンはシャルリュス男爵がラ・べしかしそこにいるわずかな時間のあいだ、心はたった今離れ ルーズ街でその宵を過ごしてくれるのだと思って、安心しててきた宴会に、あるいはこれから案内されようとしている宴 サン日トウーヴェルト邸へ着いたのだが、オデットと関係の会に飛んでいたために、目の前で起こっていることにも気づ ないすべてのこと、とりわけ社交界のことに対しては一向に かなかった玄関、その玄関で彼は初めて、こんなにおそくや 興味をそそられず、気が重くなるばかりだった。おかげで社 ってきた招待客の思いがけない到着のために目をさまされた いじようぶ 交界は、もはやこれを手に入れようとする意志が目指すもの堂々たる偉丈夫の召使たちの群れに気がついた。ここかしこ ではなくなって、ただそれ自体でありのままに人の眼前にあに散らばって、華麗な服装のまま、所在なげにしていた彼ら らわれるものの持っ特有の魅力を帯びてきたのである。一家は、あちこちの腰掛や箱の上などで居眠りをしていたのだが、 もったい の女主人たちは勿体ぶった招待日などに、客に見せるのだとグレーハウンドのように鋭い立派な横顔を見せて起き上がり、 称してその家のしきたりの要約を作り上げ、そんな日にふさ彼のまわりにぐるりと輪を作って集まってきたのであった。 ′につもう わしい的確な服装や舞台装置を再現してみせようとするのだ そのなかの一人はとりわけ獰猛そうで、死刑を描いたルネ ッサンス期のある種の絵のなかに見られる死刑執行人にそっ 方が、スワンは馬車から降りるやいなや、そのような光景のな とら * くりだったが、 その男がスワンの持ち物を受けとりに、ずい 家かでも真っ先にバルザックの「虎」の後継者のような小姓た そろ ン ち、いつも散歩のときに付き添う従者たちが、揃いの帽子と ワ と前に進み出た。けれどもその鋼鉄のような目つきの険しさ ス 長靴をつけて戸外に出ており、もし庭師たちであれば花壇のは、しなやかな布手袋で埋め合わせをされていたので、彼が けいべっ 入口に並んでいるところだろうけれども、それらが邸の前のスワンに近寄ったとき、まるでスワンの人柄を軽蔑しながら、 、つまや 並木通りや廏舎の前などにたたずんでいるのを見て面白く思その帽子にだけは敬意を払っているように見えた。彼は帽子
ココ水 ( 謝 ) を入れた水差しを持って戻ってきて、兵隊あちこちを埋めていた。そしてどの家の前でも、人が出てい たためしのない家の前でさえ、召使やまた主人までもが椅子 は優に千人はおり、あとからあとからティベルジとメゼグリ かいそ・つ ーズの方からやってくる、という報告をもたらした。フラン に坐って外を眺め、ちょうど高潮の去ったあとの岸辺に海藻 」カいカら - ししゅ・つ 一ソワーズと庭師は仲直りをしていて、戦争のさいにとるべきのヴェールや貝殻の刺繍が縁飾りとなって残されるように、 レ きまぐ 気紛れな暗い色の縁となって閾のところを飾っているのであ プ態度について議論していた。 っこ。 「考えてごらんよ、フランソワーズ」と庭師は言う、「そり こういった日を除けば、ふだんは逆に、静かに本を読むこ や革命の方がましさ、革命だって言われたら、ただ行きたい とができた。だがあるとき、それまでまったく末知の作家だ 者だけが行きゃあいいんだから。」 「そうね ! そのくらいなら、わたしも分かるさ。その方が ったベルゴットという人の本を読んでいたときに、スワンが ざっくばらんだからね。」 訪ねてきて読書を中断し、私に注釈を加えたことがあったが、 と 庭師は、宣戦布告と同時に鉄道が全線停められてしまうだそのために、それ以後長いあいだというもの、もはや紡錘形 の紫の花に飾られた壁を背景にしてではなく、まったく別な ろう、と考えていた。 「そりやそうさ、すたこら逃げられちゃいけないからね」と背景の上に、、 ゴチック式の大聖堂の正門入口の前に、私が夢 フランソワーズが一一 = ロう。 見る女たちの一人のイメージが浮かび上がることとなった。 最初にベルゴットの話を聞いたのは、年上の友人で私がと 腹黒い連中だ ! 」と一一一一口うのだ すると庭師は、「まったく、 った。なぜなら庭師は戦争というものを、国家が人民に対しても尊敬していた。フロックの口からであった。私が「十月の て行なう一種の悪ど いいたずら以外のものでないと考えてい夜」 ()( しが好きだと打ち明けるのを聞いて、。フロックは たからで、もしその方法さえあれば、逃げださない人間はあまるでトランペットみたいな声を出して騒々しく笑うと、こ う言ったのである、「おいおい、用心したまえ、ミュッセ り得ないと思っていたのだ。 一八一〇ー五七。フラ ) の先生にいかれるなんて大分低級な趣味だ しかしフランソワーズは大いそぎで叔母のところへ引き返 ( ンスのロマン派の詩人 やっ わる よ。あいつはほんとによくない奴だ。相当な悪だぜ。そうは し、私は本に戻り、召使たちはふたたび門の前に出て椅子に 腰かけ、兵隊たちがまきおこした埃と感動とが鎮まるのを眺言っても、あの先生にしても、それからラシーヌとかって奴 にしても、それそれ一生のうちにはなかなか見事な韻律の詩 めるのであった。ことが一段落してからずいぶんたった頃で も、ふだんにない大勢の散歩者の波が、コンプレーの通りの句を一行書いてることは認めなくちゃ。その詩句はね、おれ しず うす しきい ば、つす . い
ずぶと この苦しみがいっそう残酷なものとなったのは、数日前にわばふだんの顔の表情をいく段も引き下げ、彼の図太さをほ はじめてオデットの目のなかで出会った束の間の視線がスワめる意地の悪い微笑とその図太さの犠牲者に対する皮肉とで、 ひとみ ンの記憶に蘇ったときだった。それはヴェルデュラン家での瞳を輝かせた。彼女は悪の共犯者然とした視線を彼に送っ ス 夕食後のことであった。フォルシュヴィルは、自分の義兄のたが、その視線は実にはっきりと、「もうこれで二度と立て サニエットがヴェルデュラン家で歓待されていないのを感じ ないわね。うけあってもいいわ。あの困ったような顔、ごら て、彼を笑い物にして自分を目立たせようとしたのか、あるんになって ? 涙まで浮かべてたわ」と言っていたので、フ いはサニエットの言ったますい一一 = ロ葉、もっともその場にいこ ォルシュヴィルは、目が彼女のこの視線に出会うと、そのと 者には意味が分からないので気づかれなかった一言葉、そしてきまでかんかんになって腹を立てていたのに、あるいは腹を 言った本人もなんの悪意もなくそれを口にしたのだが、、いな立てたふりをしていたのに、急にそこからさめて微笑し、こ う答えた。 らずも何か不快なあてこすりを含んでしまった言葉に、フォ ルシュヴィルが苛立ったのか、あるいはしばらく前から、自 にいられたのに。 「他人に愛想よくしてれば、まだここ 分のことを余り知りすぎているサニエット、しかも非常に繊つになっても、びりつとしたお仕置はききめがあるものです 細な人物なので、ときには彼がそこにいるだけでフォルシュ ヴィルは窮屈な思いをしてしまうサニエットを、この家から ある日スワンは、人のところを訪ねるために真っ昼間に家 わら 叩き出す機会を狙っていたのか、とにかくフォルシュヴィルを出たが、会いたいと思った相手の人物が不在だったので、 はサニエットのこのますい一一一一口葉に対してひどく乱暴な言い方オデットの家に寄って行こうと考えた。この時刻に彼女の家 ・はと一つ で答え、相手を罵倒しはじめ、自分がどなりちらしてゆくにしへ行ったことは一度もないのだが、 しかし彼女がいつもこの たがって、相手の恐怖や苦痛や哀願にますます大胆不敵にな ころは家で午睡をしていたり、お茶の時間前に手紙を書いた かわい っていったので、可哀そうにサニエットはヴェルデュラン夫りしていることは分かっていたので、余り邪魔をしないでち 夫人の答 人に、自分はここにいてもいいのかとたすねたが、 よっと会えたら楽しかろうと考えたのである。門番は、たぶ えが得られなかったために、目に涙を浮かべて口ごもりながん彼女はいるはずだと彼に言った。彼は呼び鈴を鳴らした。 ら退出してしまった。オデットは平然とその場に居合わせた物音が、人の歩く足音が、聞こえたように思ったが、ドアを が、サニエットのうしろでドアがふたたび閉ざされると、フ開けには来なかった。心配になり、苛立って、彼は家の反対 ォルシュヴィルと同じくらいの下劣さに身をおくために、し 側に面した例の狭い通りに行き、オデットの部屋の窓の前に
びつけられているので、もしその心のふれあいが恋愛より前もう充分にこの音楽に置れているので、すぐさまパ くだり にあらわれたとすれば、それが恋の原因にもなり得るほどなの待ち受けている条で相手に合流するのである。 のである。以前なら、人は忽れた女の心を所有することを夢オデット・ド・クレシーはふたたびスワンに会いに行き、 ひんばん ス 見たものだった。ところが後になると、一人の女の心を所有それから頻繁に訪問するようになった。そして、彼女が訪ね 力していると感するだけで、この女を愛せるようになる。こんてくるたびごとに、スワンはその前の訪問のときからそれま こんなに表情豊かなこと な風にーー人は恋愛のなかに何よりも主観的快楽を求めるもでに顔の特徴を少し忘れてしまい しお のであるからーー・女の美しさを好む心が恋愛の最大部分を占や、若いくせにこれほど萎れていたことなどを思い出せない めているように見える年齢では、たとえその基盤にあらかじので、訪問のたびにその顔を前にして、おそらくはぐらかさ め欲望が存在していなくとも、恋愛ーーそれももっとも肉体れたような気持を味わったことだろう。彼女が彼に話をして いるあいだ、スワンは、この女の持っている大そうな美しさ 的な恋愛ーーの生まれることがあるものなのだ。一生のこの が、自分のすんなりと好きになれるような類いの美しさでな 時期には、人はすでに何度も恋に見舞われた経験を持ってい っ いことを残念に思うのだった。もっともオデットの顔が、実 る。そしてもはや恋というものも、不意を衝かれて受身にな っているわれわれの心の前に、未知の宿命的な固有の法則に際以上に痩せて、突き出しているように見えたことは確かな 従ってひとりでに進展するものではなくなっている。われわのだ。なぜなら額と頬の上部のなめらかで平らな部分が、豊 れの方が恋を助けにかけつけて、記憶や暗示でこれをでっちかな髪でおおわれていたからで、当時の人は髪を「前髪」 ' して垂らし、「カール」にして上にあげ、耳に沿ってほっれ あげてゆくのである。恋愛の徴候の何か一つでも認めると、 われわれはすぐに他の徴候を思い出してこれをふたたび作り毛のようにひろげていたのである。一方彼女の身体つきは実 上げる。われわれは恋の歌をちゃんと所有しており、それは に見事なものだったけれども、全体の線は容易に分からなか った ( これはそのころの流行のせいであって、彼女は本当を すっかり心に刻まれているので、一人の女がその歌の出だし ししっ ) ん のところをーー彼女の美しさがかきたてる賞讚の心に満ち一一 = ロうと。ハリのベスト・ドレッサーの一人だったのである ) 、 コルサージュ た出だしのところをーーー歌ってくれなくても、つづきの文句それほどに胸部が、ありもしない腹の上に突き出たように が見つけられるのだ。また女が真ん中からーーー。すなわち心が出つばっており、そのうえみるみるそれがしばられてゆき、 。ゝ三ゝ、こ目手のためにしか存在してし しかもその下では二重スカートが風船のようにふくらんでい 近づくところ、一一人力オカしし本 ないと語りあうところからーーー歌いはじめても、われわれはるので、女性はまるでばらばらの部分からできていて、それ ートナー
の先端に赤い旗を掲げ、油に染みた黒いプイの上の方でその装いだったーーそれも、たった一つだけ正真正銘の祭りと一言 える宗教的な祭日の装いをしていたのであって、それという 旗を風にはためかせている眺めは、私の胸を躍らせた。ちょ そう うど低い土地の上で、陸に乗り上げてしまった一艘の小舟をのも世俗的な祭日と異なって宗教的祭日は、とくにそれにあ 一船大工が修理しているのを認めるやいなや、まだ何も見えなてられていない日、本質的に祭りと関係のない普通の日に、 勝手な気紛れで適用することのできない日だからである いうちに「海だ ! 」と叫ぶ旅行者のように。 いや、それ以上に豊かな装いであった。なぜなら、ロココ式 それから私は、ふたたび山査子の前に戻った。まるで名画 ふき ) の杖を飾る総のように、飾りのない場所がないくらいびっし の前に戻るようにー、、ーーその名画からしばらく目をそらせてい りと重なりあって枝についているその花は「色つき」であり、 たあとでふたたびそれを眺めると、よりよく鑑賞できそうな びようぶ したがって、コン。フレーの美学によれば、また広場に出る 気がするのである。だが、私が手で屏風を作って山査子だけ を凝視してみても無駄だった。山査子が私の心に呼びさまし「商店」やカミュの店などでばら色のクッキーの方が高いと いう値段表から判断すれば、この方が上質だったからである。 た感情は、相変わらすばんやりと曖昧で、私を逃れて花には いち・こ 私自身も、普通のクリーム・チーズより、なかで苺をつぶし りつこうとしながら、うまくいかないのだった。山査子も、 私を助けてこれを明らかにはしてくれなかったし、また他のてもよいと一一一一口われたときのばら色のクリーム・チーズの方が 好きだった。そしてまさにこれらの花が選びとったのは、そ 花にそれを満足させてくれと求めるわけにもいかなカった ういった食べられるものの色、あるいはお祭りの晴着をやわ そのときである、気に入りの画家のもう知っている作品とは 違うものを見るさいに覚えるような喜び、あるいはそれまでらかく飾る色の一つであり、それらの色は、自分が優れている りようぜん 鉛筆で描かれたスケッチしか見ていなかった一枚の油絵の前理由をはっきり示しているために、子供たちにも一目瞭然 に連れて行かれたり、ビアノだけで聞いていた曲があとからで美しいものと映り、またそれだからこそたとえ子供たちが これらの色はなんら食べられるわけもなく、裁縫師の選んだ オーケストラのさまざまな色彩をまとってあらわれたりする ときのような喜びを与えながら、祖父が私を呼び、タンソンものでもないことを理解した場合でも、それははかの色以上 に生き生きとして自然な何かを常に備えているものなのであ ヴィルの生垣を指さしてこう言った、「お前は山査子が好き なんだから、ちょっとこのばら色のを見てごらん、きれいだる。だから私は、白い山査子を前にしたときのように、オカ ツ」うこっ いっそう恍忽として、たちまちこう感じたのであった ろう ! 」なるはどそれは一本の山査子だが、ばら色で、白い 山査子よりも一段と美しかった。そしてこれもやはり祭日のの花のなかには陽気な祭りの意図が表わされているけれども、
しよう。いすれにしても、常に立ち戻ってこなければならな でもない、サンⅡトーギュスタンの円屋根で、それがこのバ いのは鐘塔であり、すべてを見おろしているのは常にこの鐘 の眺めに、。 ヒラネジの描くある種のローマ風景のような性 からだ 塔だったーーーまるで、身体は群衆のあいだに隠れていても決 格を添えているのである。だが、私の記憶がどんな好みでこ して群衆と見まちがえられることのない神が、その指を持ち れを作り上げたにせよ、そうした小さな版画のどれ一つにも、 ビナクル しいきなりその尖塔を目の前に立ち上がらせて 己檍は、私がずっと前に失ってしまったものをこめることが上げるようこ、 できなかった。それはすなわち一つのものを単なる目の前の家々を脅かす鐘塔。そして今日でも、地方の大都会で、ない かいわい 光景のように思わせるのではなくて、かけがえのない存在のしはバリのよく知らない界隈で、私を「探していた道に戻し ようにこれを信じさせる感情である。それと同様に、これらて」くれた通行人が、遠くの目じるしとして、私の行くべき の版画はどれ一つとして、コン。フレーの教会の背後にある通道の一隅で聖職者の帽子の尖端を持ち上げているような病院 りから見たあの鐘塔の姿の思い出のように、私の生命のあるの塔や修道院の鐘塔を示してくれるとき、私の記憶がそこに 、冫い部分全体を支配してはいないのだ。その鐘塔をタ方の五わずかなりとも、消えてしまった懐かしい姿との類似点をば 時に見たとしようーー , ちょうど郵便局に手紙をとりに行くとんやり見出すことができるなら、私がまだうろうろしてはい りようせん オいかとふり返ってみた相手は、こちらがやりかけの散歩も き、鐘塔が数軒先の左手で、家々の屋根の作る稜線を突如よ 孤立した尖端で持ち上げているのを見たとしよう。あるいは必要な用事もすっかり忘れて、そこの鐘塔の前に幾時間でも じっとたたずみ、思い出を掘りおこし、自分の奥底に、忘却 また逆にサズラ夫人の家へその様子を訊きに行こうとして、 きっこう 鐘塔から二つ目の道を曲がらなければと考えながら、鐘塔のに拮抗してふたたび征服された土地が少しすっ乾いて再建さ 反対側でふたたび低くなった稜線を目で追っていったとしよれてゆくのを感じている、そのような姿を見つけてびつくり う。あるいはまたさらに遠く、駅の方まで足をのばしたときするかもしれない。そしておそらくそのときには、今しがた へ に、斜めに目に映る鐘塔が、あたかも旋回している物体が末この通行人に道をたずねたとき以上の不安にかられて、私は まちかど たど の知の局面で不意にとらえられたように、横の方から新たな角やはり自分の辿るべき道を求め、とある街角を曲がっている ところなのだ : : とはいえ : : : それは心のなかの街角だが ンや新たな面を示していたとしよう。あるいはまたヴィヴォー スヌ川のほとりから遠くのそむと、肉づきたくましい後陣が、 ミサからの帰りがけに、私たちはよくルグランダン氏に出 丈高く見え、それがまるで尖塔を空の真っただ中に投げ上げ ようとする鐘塔の努力からほとばしり出たように思われたと会うことがあったが、この人は技師というその職業のために まる
プルスト 44 まうのだが、 その散歩はすっかり習慣になって聖なるものと 父には礼の言いようがなかった。もし父のいわゆる「べた まね されているので、それを私からとり上げるとすれば約束を破べたした真似」などをすれば、かえって父の機嫌を損ねるこ ったと言われないわけにゆかないはずだった。あるいはまた、 とになったろう。私は身動き一つすることもできずに立ちす 一ちょうど今晩もそうしたように、きまりの時刻よりずっと劇 くんだ。父は相変わらず目の前にいる、大きな身体を白い部 うえ に父はこう私に言うのであった、「さあ、二階に行っておや屋着にくるみ、顔は神経痛に悩まされて以来するようになっ すみ。ぐずぐす一言うんじゃない ! 」だがまた父は ( 祖母のよ た紫とばら色のインドのカシミャのマフラーのなかにすつば うな意味での ) 原則を持っていないので、本当に一歩も譲らり包み、スワン氏が私にくれたべノッツオ・ゴッツオリ ( + のフィレン ないというところがなかったのである。父は一瞬、驚いたよ ) の複製のアプラハムが、その妻サラに向かって、イ ツェの画家 うな、また腹を立てたような様子で私を眺めた。それからマサクのそばから身を離せと告げるときのあの身振りをしなが マがしどろもどろに、何が起こったかを説明しはじめると、 ら。それ以来、多くの歳月が過ぎ去った。父の蝦燭の光の上 たちまち母にこう一言った。「この子といっしょに行っておやり。 がってくるのが見えた階段の壁は、もうすっと前から失くな たく ちょうどお前も眠くないって言ってたとこじゃないか。少し っている。私の心のなかでも、永久につづくと思っていた沢 この子の部屋にいておやり。私は何も要らないからね。」母山のものが崩壊し、新たなものが建設され、それが、以前に はおずおずと答えた、「でも、あなた、わたしが眠くても眠は予想もっかなかったような新たな苦痛と喜びを生み出した くなくても、何もちがいはありませんわ。この子に悪い癖が ちょうど昔の苦痛や喜びが今は理解困難になってしまっ つくと : 「悪い癖をつけるなんてことじゃないよ」 父がママに向かって、「坊主といっしょに行って と、父が肩をすくめて言った、「ごらん、この子は苦しんでおやり」などと一言うことができなくなってからも、やはりず るよ。寂しそ , つじゃよ、 オしか、この子は。さあさあ、私たちは いぶん長い時がたつ。このような時間を持っ可能性は、もは 血も涙もないわけじゃないんだよ。この子を病気にでもしちや二度とふたたび私には生じないだろう。だが少し前から、 まったら、まったくゆきすぎだー この子の部屋にはべッド じっと耳をすますと、父の前ではなんとか抑えることのでき が二つあるんだから、フランソワーズにそう言って大きい方た涙、ママと二人きりになって初めて急にこみ上げてきた嗚 えっ のべッドの支度をしておもらい。そうして今晩だけはこの子咽の声が、また聞こえるようになりはじめた。本当は、この 嗚咽の声は決して止むことがなかったのだ。それがいまあら のそばで寝ておやり。さあ、おやすみ。私はお前たちみたい に神経質じゃないから、ひとりで寝ることにするよ。」 ためて聞こえはじめたのは、ただ私のまわりの生活が少しず さん
をとり、彼の立派なっきあいの話をしようとした。それも、 たことにするのだという決意、そういう決意を固めたヴェル 思いがけぬ成功を祝うような調子ではなく、社交界の人間とデュラン夫人が、自分の沈黙を同意ではなくて、何も知らな して、打ちとけた批判的な口調で話そうとしたのである。 い無生物の沈黙であるように見せようとして、突然その顔か 「そうでしよう、スワンさん ? ほとんどお目にかかることらいっさいの生命し 、つさいの動きをはぎとってしまった姿 がありませんねえ。第一、どうやったらこの人に会えるのでであった。彼女の高い額は、もはや丸く彫り上げた美しい習 しよう。この先生ときたら、しよっちゅう、ラ・トレムイユ作にすぎず、スワンが入りびたっているあのラ・トレムイユ 家 ( フ ' 緒ある貴族の一つ ) とかレ・ローム家とか、そういったところ家などという名前は、そこへ入りこむこともできなかったの しわ に入りびたりなんですから。」この非難は、一年前からスワである。かすかに皺の寄った彼女の鼻は、生きた本物の鼻に ンが、ヴェルデュラン家以外にはもうほとんど行かなくなっ当てて型どったようなものを見せていた。なかば開かれたそ っそう見当ちがいもはなはだしいものだった。 のロは、今にも話しだしそうに見える。それはもはや蝋型に せつこう しかし、ヴェルデュラン家では、彼らの知らない人の名前がすぎず、石膏の面、記念碑のための模型、産業館 (3 翦プチ・ 発音されただけで、たちまち非難の沈黙によって迎えられる ハレ ) こおくための胸像にすぎない。その胸像の前で人び である、。 のである。ヴェルデュラン氏は、こういった「やりきれない とはかならずや足を停めて、これを作った彫刻家が、いつま 連中」の名前が、とりわけこんな風に信者たちみんなの前ででもつづくヴェルデュラン家の威厳を、ラ・トレムイユ家や うつかり投げ出されたので、自分の妻にきっと苦痛をひき起レ・ローム家の威厳に対立するものとして表現しながら ( ヴ こしたにちがいないと怖れて、こっそりと不安な心づかいに エルデュラン家は、この両家や、また地上のすべてのやりき 満ちた視線を彼女の上に注いだ。そのとき彼の目に映ったのれない連中に匹敵するはずである ) 、石の白さと固さにほと は、過失を犯した友人がその会話のなかにこっそり言訳を滑んど法王のような尊厳を与え得たことに感心するだろう。し へ りこませようとしたのを耳にして、それに抗議しなければそかし大理石はとうとう生気を帯びはじめ、そこから洩れる声 方 はこう語っていた、そんな連中のところに行くには、余程辛 家れを承認するように見えてしまう場合とか、または禁句にな のっていた恩知らずの名前がわれわれの前でロにされる場合な抱づよくなければならない、なぜなら、そういうところでは むちもうまい ス どに、よく人がそんな態度を装うことがあるような、絶対に妻はいつも飲んだくれており、夫はまるで無智蒙昧で corri- ことを認めまいという決意、知らされたことに心を動かすま dor ( 廊下 ) を collidor と発音するような手合いなのだから、 と。 い、ただ何も言わずにいるだけではなく、何も聞こえなかっ と