男 - みる会図書館


検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」08 -フランス3
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」08 -フランス3

, つや , つやし ( け・に まるで取っ手のように、両手がそえを待っていた。だがこの場に居合わせた不安そうなみんなの られている。垂直になった手首のうえにおかれた壺は、まだ期待、そして沈黙すらも、壺のうえにおごそかにあげられた 震えている影に捧げられて、それをしずめているかのようだ酋長の手に引きよせられたままになっているように思われた。 った。またしてもかすかな衝撃音があった。壺をもってきた酋長は手をおろし、目を閉じて、葦のストローで酒をすすっ 男が途中で竿にぶつかったらしく、梯子の段々をさぐってい た。ストローをベルケンに、ついでクロードに渡した。クロ た。ようやく男は地面をはなれ、カンポジア人の着る青いば ードは不央とも思わすにそれをうけとった。不安が強すぎた ろに身をくるんで ( モイの酋長は腰巻しかまとっていない ) 、せいだ。外の様子をうかがおうとしてベルケンが目をきよと ゆっくりした歩調で背筋をのばしてあらわれた。そして神秘きよとさせるので、不安はいっそうつのった。 「グラボのいないのがどうも気にかかる。われわれはモイに めかした慎重さで、壺を自分の前の床におろしていった。グ ひぎ ザが指でクロードの膝をつついたところだった。 むかって誓っているが、グラボは誓っちゃいない。あいつを 「ゾつかー ) たか ? ・」 信頼してはいるが、しかし : ポーイがカンポジア語でたずねた。壺をもってきた男は彼「しかしこの連中も誓っています : : : それとも誓っていない のはうを振りむしたが、 、「すぐにばっと酋長のはうにむきなおのでしようか ? 」 ってしまった。 「酒の誓いをやぶるなんて誰にもできない。だがあいつがこ グザの爪が肉にくいこんだ。 の連中の前で誓わなかったとすると、どういうことになって 「あいつです : : : あいつです : : : 」 るのかわからん : : : 」 クロードはとっさに男が盲目なのを知った。だがそれだけ ベルケンはシャム語でしゃべり、ガイドがそれを通訳した。 ではなかった。 酋長はそっけなく答えるだけだった。 「クメル この答は、ト ・ミエンです ! 」とグザがベルケンにむかって叫ん / 屋の奥にいる男たち、からだを掻きむしると き以外は相変らすじっとしている男たちの興味を、ことのほ 「カンボジアの奴隷ということだな」 かさそった。クロードはやっと男たちを見分けられるように 道 はんてん 王 男は小屋の床にかくされるようにして、また村のほうへ姿なり、彼らのからだにできた白い皮膚病の斑点に目をひかれ を消した。クロードは、男が立ち去りぎわにまたしても竿にた。い まや、みんなが注意ぶかく見つめていた。 ぶつかって当然といわぬばかりに、新しい衝撃音のおこるの 「こいつが一言うには、白人の酋長なんかいないそうだ」と。へ

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」08 -フランス3

男が調子つばずれな声で、二言三言いった。 「なんてひどいやつらだ ! 」とベルケンがロごもった。これ 「ヴァス ? 」とベルケンが息をつまらせて言った。 まで彼のロにしたあらゆることば、回ってこいという命令の 「この人、ドイツ語なんかしゃべっちゃいませんよ」 なかにすらこもっていた疑惑も、憎悪にみちたその声からは、 「そうだ、モイのことばだったよ。どうやらわたしは : 消え去っていた。ベルケンは近づいて自分の名前を言った。 まぶた え ? なんだって ? 」 そのときクロードは、男の二つの瞼が、なくなった骨のうえ 奴隷はふたりのほうへ進もうとした。けれども革紐で横木にびんとはりついているのを、はっきりと見てとった。手で の端にくくりつけられているので、からだを動かそうとしてふれたら、この男とのあいだに、。 とうやらなにかが通じるの たてじわ も、石臼の軌道のなかを左右に押しやられるだけだった。 ではないか ! 縦皺のよったこの瞼、こんなおそろしいきた 「回ってこい くそいきい士し、 ならしさのしたに消えてしまった顔から、どうやって一かけ その瞬間ふたりの白人は、自分たちのいちばんおそれてい らなりと考えを引き出したものか ? 。ヘルケンは、相手の肩 るのはこの男が近よってくることだと感じた。嫌悪でも不安に両手をかけて力をいれていた。 でもなく 、神聖な恐怖とでもいうべきものだった。クロード 「え ? なんだって ? 」 ま、 がかって火葬の薪の山を前にして知った、非人間的なものに 男は顔をすぐそばにいるべルケンのほうにはむけす、光の ほお たいする戦慄だった。、 たが先ほどのように又隷は二歩ほど則 ほうにむけていた。頬がひきつった。またなにか言おうとし に進み ( またしても鈴が鳴った ) 、ふたたび立ち止まった。 ている。クロードはその声をうかがい、なにが聞えてくるか、 「この男、了解はしたんだ」クロードがつぶやいた。 びくびくしながら待った。ついに、 : なんでもない : クロードのこのことばも、ひどく低い調子で一言われたのに、 男は了解していたのだ。 男は狂ってはいなかった。まだ探すかのように、そのこと 「おまえたちはなんだ ? 」っいに男はフランス語で言った。 ばを長くのばして言った。しかし彼は思い出をなくしたので そっけない声だった。 も、答えたがらないのでもなかった。本当のことを言ったの 口をきけない絶望がクロードを締めあげた。質問の含むい である。そうはいっても ( クロードは《始末は十分につけら 王 ろんな意味がどっと胸にせまってきた。名前を一言えばよいのれる》ということばを思い出さずにはいられなかった ) 死ん おば 力、いや、フランス人とか白人とか一一一一口えばよいのか、でなけ だも同然の人間だった。溺れた者に人工呼吸をするように、 よみがえ ればなにを ? 死骸になにかを甦らせなくてはならない : せんりつ

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914 マノレロー つきそわれて出ていった。 彼はまた考えこんだ。 「われわれもまた : 「この部落は包囲できんよ : : こっちにだって銃はある 一斉射撃がまたはじまり、かがり火のうえに弧のようなも 二発の銃声とそれらのこだまが聞えた。あたりはまた沈黙 のを描いてふたたびおさまった。ひとりの男が物陰から小屋 の入口にあらわれた。男のはだしは、手同様に、音もなく梯の世界に戻った。 子の横木に触れるようにのばってきた。カンテラのばんやり 「こうも言ってた。鉄道技師が討伐隊についてきているって した光のなかに、白く浮きでたその染みがせりあがってきた。 クロードはわかりかけてきた。 頭、胸、脚。伝令だった。ベルケンはからだをおこそうとし たが、痛みに顔をしかめて、また倒れ伏した。痛みはこらえ 「しかし技師たちも活発に働いてますよ、あそこではー かねるほどに、ぐんぐん高まってきて、彼は命令をくだすた 日で少なくとも十本のダイナマイトを爆発させましたからね めに、生きた物が降りるように痛みが弱まるのを待った。す でに男はことば少なに、早口にしゃべっていた。朗吟でもす「爆発がおこるたびに、わたしはどやしつけられているよう ・ : 前進し るような口調だ。クロードは、男がシャム語の文句を暗記し な感じだ : : : あいつらは前進してる、間違いない : てきたことを見ぬいて、ベルケンをじっと見ていた。ヨーロてここまでくるとなると : ハ人の沈黙のほうがずっとわかりやすいとでもいうように。 「急に予定の路線を変更したのでは ? 」 まぶた ベルケンは瞼を閉じて男を見るのをやめたが、相変らず男は ベルケンはなんの仕草もしなかった。身じろぎもせずに目 はお しゃべっていた。頬がかすかに震えていなかったら、眠っての前の影を見つめていた。 いるようにみえただろう。急に彼は目をあげた。 「わたしの領地を通れば、ものすごく経費の節約になるんだ よ : : : 連中、なかなか大胆らしい。モイたちだって虫けらの 「どうしたんです ? 」とクロードが訊いた そうやすやすと通らせるも 「この男が一言うには、スティエン族はわたしがここにいるこように逃げだすんだから。だが、 とを知っていて、そのために攻撃しに引き返しているのだそのか。たとえ討伐隊にまぎれこんできたって」 クロードは答えなかった。 うだ。それにこっちを、敵に回したところで、討伐隊ほどこ : たとえ討伐隊にまぎれこんできたって : : : 」とベルケ わくはないしね・ : ・ : 」 一斉射撃がちょうど終わったところだった。伝令はグザに ンはくり返した。そしてまたしても口をつぐんだ

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いし。よう いたことだけを見て、それをまっ白な衣裳や暑さのせいにし無感動な目で美術館の絵の番号がべデカー版の案内書の番 3 た。しかしテレーズのほんとうの顔に気づいた者はいなかっ 号と合っているかどうか気にしているべルナールは、できる たのである。 だけ短時間のうちに見るべきものをすべて見たと満足してい ク 田舎風と。フルジョワ風をまぜあわせたこの結婚式の夕方、る。そんな青年を騙すのはやさしい。彼はまるで若いはち切 ャ 娘たちの衣裳がひときわ華やかなグループがとりまいたため、れそうな豚のように自分の央楽に夢中だった。豚のように飼 モ新郎新婦の自動車は徐行しなければならなかった。みんなはい槽の中に鼻を鳴らしている彼の姿を格子ごしにみるのはお 二人に拍手を送った。アカシャの花の散る道を花婿花嫁は、 かしかった ( 「でもわたしがその飼い槽だったんだわ」とテ あやっ 酔った若者たちがジグザグに操る馬車を何台も追い越して出レーズは思った ) 。豚と同じようにせわしげな、いそがしそ まじめ 発した。テレーズはそれにつづく夜のことを思い出し、つぶうな、真面目くさった格好をして、そのやり方も万事図式的 やく。「いやだったわ」。次に気を取り直して「いや、そんな だった。「そんなことをすることがほんとうに賢いことだと でもなかった」。イタリアの湖へ旅をしていたとき、自分は思ってらっしやるの」テレーズはびつくりして口にだした。 悩んだろうか ? いやいや、彼女は本心をみせないというゲ彼は笑って、これでいいんだという。どこでこの男は肉欲に だま あいぶ ームを楽しんでいたのだ。婚約者を騙すのはむつかしくない。 関することをすべて分類したり、まともな男の愛撫とサディ しかし夫は ! 一一 = ロ葉だけで嘘をつくぐらいだれだってできる。スティックな男の愛撫とを区別することを覚えたのだろう。 しかし肉体で嘘をつくのは、別の技術を要した。いかにも欲そこには少しのためらいもなかった。新婚旅行の帰りにパリ よろ》」 望があるようにみせかけたり、性の歓びや心地よい疲労を装で、夜、ベルナールは、ミュージック・ホールからみせつけ うことはだれにもできることではない。テレーズは自分の肉がましく外へ出た。中でのショウが彼に不快だったというの 、手口じゃよ、 体をそんな芝居にならせたが、 しかし苦いよろこびしかそこ だ。「外人がこれを見てみろ、恥すかしし言 にみつけられなかった。 一人の男が自分をむりやりに引きこんなことでフランス人が判断されるのだからな」。一時間た もうとしたあの未知の官能の世界に、いっかは幸福を見いだらずのうちにこの潔癖な男が、根気のいい作業を自分におし すのだろうかとテレーズは想像してみたのだが、しかしその つける同じ男だとは、と思うとテレーズはびつくりするのだ つア一 0 よろこびとはいったい何なのだろう。まるで雨に降りこめら ひ れた風景を前にして、もし陽が照っていたらどうだろうと考「気の毒な人、でもほかの男よりつまらぬわけではない。た えるように、テレーズは肉の央楽を考えたのである。 だ、肉欲というものはわたしたち女に近づく男を、似ても似 うそ おけ

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うばやけている。 いわば、気おされてしまうのです。あな だがあの男には : 料たはち一、が , つで 1 しょ , つが ? ・」 「まあ考えてもごらんなさい。末帰属部落から十二日か十五 「たいしたものです、平然とあんなことができるなんて」と 日のところにたっシャムの市では、あなたが抜け目ないお方 ロ で連中と取引するすべを知っていたら、いまでも見つかるん アルメニア人が答えたーー・それほど大きな声ではない あなたは マ「ただしいつも成功するとはかぎらんのです : : : 」 です、ルビーが。しかもその値段ときたら : 「あなたのフランス語、なかなかたいしたものですよ : : 」おわかりにならんでしようがね、この道には素人なんですか にせもの ら : このアルメニア人はなにか屈辱の仕返しをしていたのだ、 いずれにせよ、加工されてはいるが贋物の宝石をもっ たぶん。仕返しをするために、下船ぎりぎりの瞬間まで待っていって、加工されてはいないが本物の宝石と取り替えるほ , つが須でー ) よ , つ、が , ていたのだろうか ? その声に皮肉つばいひびきはないが、 : これなら二十三歳のときだって , ( ところがこうした取引はあの男にはむいてなかったのです 恨みがましいところがあった。 。ヘルケンはふたたび遠ざかっていった。 ね。五十年も前にある白人はちゃんとやってのけているので 「わたしはコンスタンチノープル生まれです : : : ただし、休すよ ) それどころかあの男はがむしやらに連中のところにい や 段中はモンマルトルに根を生やしておりましてね。そうですこうとしたんです。いったとたんに殺られなかったのが不思 とも、あなた、いつも成功するとはかぎらんのです : : : 」 議なくらいでしてね , いつだってお山の大将で通したがっ そしてクロードのほうをむいて、 たのです。さっきも申しあげましたように、成功しないこと 「あなただってじきにうんざりしますよ、みんなと同じよう だってありますよ。ヨーロッパではしたたかに思い知らされ : だがあの男に に : : : あの男のしてきたことにたいして , たってわけです。二十万フランとはね ! あんなふうにして シャムのために 専門の知識があったなら、そう、専門の , いて二十万フラン見つけるなんて、殿様気どりでいるほど簡 あの地方を統治していたときの立場を利用して、一財産きず単じゃないですものね ! ( が、言うまでもなく、あの男に き , んたでしょ , つに・ ・ : ま、わたしなんぞにはわからんのですは原住民たちも一目おいているのです : : : ) 」 「あの人が金を必要としているって ? 」 がね、とにかく一財産ですよ : : : 」 「生活のためじゃありませんよ、むろん。とくにあんな奥地 両腕で輪をつくってみせ、腕が一瞬陸上の灯をかくす。 ま灯はいっそうその数をましいっそう近くに見えるが、しかでは : インド人たちを乗せたランチが横づけになり、彼らはぬれ し海綿のように水を吸ってしめっているかのように、、

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・伐にはっ た。オデットがそれを拭きなさいと一一 = ロうのだが、 くオデットから、一歩一歩と遠ざかっているのだ。一杪後に 硯しても拭くことができない。それが彼女に対して恥すかしか は、彼女が去ってから何時間も経っていた。画家はスワンに、 ったし、また寝巻姿でいるのも具合が悪かった。幸い暗いの彼女の帰った直後にナポレオン三世の姿が見えなくなったと ス で、彼はそれをほかの人に気がっかれなければよいがと考え教えた。「きっと二人でしめしあわせたんだ」と彼はつけ加 ていた。ところがヴェルデュラン夫人が、驚き顔で、彼のこ えた、「あの連中は崖の下で落ちあったにちがいない。でも、 とをじっと見つめ、そのあいだに夫人の顔が崩れて、鼻が伸あんまり礼を欠いていることになるから、二人いっしょに引 ひげ び、とうとう立派な髭の生えるのを彼は見た。振り向いてオき上げるのは遠慮したんですよ。オデットはあいつの情婦な あお はん デットの方を眺めると、彼女の頬は蒼ざめて、小さな赤い斑のさ。」見知らぬ若い男は泣きはじめた。スワンはこの男を てん 点が浮かんでおり、顔はやつれて隈ができているが、それで慰めようとした。「オデットの身になってみれば、もっとも も彼を見つめるその目は愛情に満ち、まるで二つの涙の粒のな話ですよ」と言いながら、彼は若い男の涙を拭い、楽にな ように今しも彼の上にこばれ落ちんばかりである。そして彼るようにとトルコ帽をとってやった。「私はオデットにあの は自分がオデットを本当に愛していると感じ、すぐにも彼女男のことを十度もすすめたことがある。どうしてこんなこと を連れて帰りたいと思った。突然オデットは手首を返して小 を悲しがるんです ? あれこそまさしく、あの女のことが分 さな時計を見ると、「わたし、行かなくちゃ」と言い、みな かる男なんだから。」こんな風にスワンは、自分に向かって スワンだけをと に同じように別れの挨拶をするのだったが、 話しかけていた。というのは、初めはだれだか分からなかっ わき くに脇に呼ばうともせず、その晩どこで落ちあうのか、それた若い男は、これまたスワンだったのだから。ある種の小説 とも別の日にするのかも、言わないのであった。彼はそれを家のように、彼は自分の人格を二人の人物に分かち与えてい たずねる勇気がなかった。あとを追って行きたかったのに、 たのだーー夢を見ている人物と、彼が目の前に見ているこの 彼女の方へは顔も向けずに、微笑みながらヴェルデュラン夫トルコ帽の男と。 あいまい 人の質問に答えねばならなかった。しかし彼の、い臓は布ろし ナポレオン三世というのは、一種の曖昧な連想から、つい ど、つき いほどに動降を打ち、彼はオデットに悪を感じていた。今でフォルシュヴィル男爵のいつもの顔つきにいくぶん修正を しがた、彼があれほど愛したあの目玉をくり抜き、つやのな 加えたために、さらに首にさげたレジオン・ドヌール大綬章 い頬を押しつぶしてやりたかった。彼はヴェルデュラン夫人のおかげで、スワンがこの男爵につけてしまった名前だった。 とともに道を登りつづけていた。つまり反対方向に下って行事実、夢のなかでこの人物が表わしているものや、スワンに

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ていたけれど、驚いたことに彼は問いただしもしなかった。 のではない。そこでばくは、苦悩などよりも、単純な幸福 しっと のほうが値打ちがあり、到達するのも難しいと力説した。 ローラから眺められていないと思うと、たちまち嫉妬心が 鎮まったのだと思う。要するにばくのところに駆けつけて気持ちが晴れてから彼を帰してやった。 きて、エネルギーを幾分そがれてしまったのである。 , イにはなにか辻つまの合わないところがある、相手の男 性格が首尾一貫していないこと。小説や劇の始めから終 がローラを捨ててしまったことに腹を立てているからだ。 りまで、予見どおりに正確に動く作中人物 : 一貫性に こそ感、いしろというが、 男に捨てられなかったら、ローラは彼のもとに帰って来な ばくは逆にそうした人物は、人為 かっただろうと、ばくは主張した。彼は実子同然に、その的で、作りものめいていると思っている。 子をかわいがってやろうと、心に誓っている。女房を誘惑 首尾一貫していないことが自然らしさのたしかな証拠だ した男がいなければ、はたして彼は父親たる喜びを味わえ と、主張するつもりはない。なぜなら、とくに女性たちの ただろうか ? それを指摘するのは、ばくもさしひかえた。 中にはわざと首尾一貫しないふるまいをする人たちがいる なぜなら自分の無能力に思いしオ からだ。他方、いわゆる《一貫した辛抱強い精神》を、稀 、嫉妬心の激発を招く きようたん に数人の人たちに見出して、ばくは驚歎だってできる。 かもしれないからだ。しかしそうなれば、嫉妬心は自尊心 に帰着し、もうばくの興味を引かなくなる。 しかし、おおむね存在の首尾一貫性は、見栄を張って何か オセロのような男が嫉妬するのは、わかる。女房がほか にしがみついた結果えられたものであり、自然らしさを犠 の男と味わった快楽のイメージに悩まされているのだから。牲にしてのことでしかない。個人は度量が大きいほど可能 性もいつばいあるわけで、いつでも転身できる、そのよう ところがドウーヴィエのごとき男の場合、嫉妬しなければ わ な人物は過去によって末来が決定されるのを好まない ならぬと心に言いきかせないかぎり、嫉妬心が湧いてこな いのだ。 人間の模範としてすすめられている《 justum tenacem ホラチウス 彳し。いささか薄っぺらな人柄に重みをつけた p 「。 pos 三 vi 「 um 》 ( 正しくて意志強固なるもの ) ( 抒情集 っ Ⅲ〔」一、一 ) は、おおよそが、石ころだらけで耕作に適さない 全いというひそかな欲望があって、そんな情熱を内心にはぐ 土壌である。 くんでいるのだろう。平々凡々たる幸福こそ彼にふさわし ひと いのに、他人から感心されたいと願っている。彼が重んじ ばくはまた別な種類の人間、つまり、意識的な独創性を 営々として鍛えあげ、何かあるものを選んでしまったのち ているのは、無理して手に入れたものであって、自然なも みいだ まれ

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と、彼は何週間も悲しみつづける。一度など、彼はある末知 うとしているときだった。彼はそこにオデットを残して行こ の男、その人物が旅行に出たときでなければスワンに気持のうとしたのだが、彼女は男たちに囲まれて、見たこともない へんばう 休まる余裕も与えられないようなある男の、住所や毎日の行けばけばしい女に変貌しており、スワンに向けられたもので 動について、某興信所に連絡して調査を依頼したが、結局分ない彼女の視線、彼女の陽気な笑いは、まわりの男たちに対 かったのは、それが二十年も前に死んだオデットの叔父だと して、なにか官能の逸楽とでもいったものを語っているよう し、つことだった。 に見えた。その逸楽はこの場で、または別のところで ( こと う。わき一 彼女は噂になるからと言って、人目につく場所で彼がいっ によるとこのあとで彼女が行くのではないかと思って彼が身 アンコエラン しょになるのを普通は許さなかったが、それでも彼も同じく震いしたあの「支離滅裂派のパーティ」で ) 味わわれるので 招待されている夜会ーーーフォルシュヴィルのところや画家のあろうし、それはスワンに、他の男との肉体関係以上の嫉妬 ところ、あるいは政府のどこかの省の慈善。ハ ーティ , ・。ーーでは、を与えた。なぜならそれはいっそう想像の困難なものだった 二人が同席することもあった。そんなとき彼はオデットを見からだ。ところでちょうどアトリエの戸口を出ようとしてい かけても、彼女が他の男と楽しんでいるところを見張ってい たときに、彼はこんな言葉で呼び戻されたのである ( その言 いらだ るようで相手を苛立たせるのが怖さに、おそくまでそこに残葉は、彼の怖れていたような宴会の終わりをあり得ないこと っている勇気がなく、一人寂しく家に帰って不安にかられて にし、ひるがえってその日の宴会そのものを罪のないものに 床に就くのであったが , ーーーちょうどそれから何年もたって、するとともに、オデットの帰りを想像もっかない怖ろしいも コンプレーで彼がタ食に来る晩になると、私が不安にかられのではなくて、快い既知のもの、まるで彼の日々の生活の一 ることになったよ , つに そのあいだはオデットの楽しみ部のように、馬車のなかで彼に寄り添うものとし、さらにオ の終わるところを見なかっただけに、その楽しみが無際限のデット自身からそのけばけばしさや余りの陽気さをはぎとっ へ もののように思われるのだった。もっとも一度か二度このよて、それらはあやしげな央楽を目当てにしたものではなく、 方 家うな晩に、彼はある種の喜びを経験したことがあって、それスワン自身のためにしばらく彼女が身につけていた変装にす しず ン は苦痛が鎮まるところに成り立つものだったから、もし突然ぎす、おまけに彼女はそれにももう飽きたことを示していた ワ ス停止した不安がふたたび猛然とぶり返してきたりしなければ、のである ) 。それは、彼がもう戸口のところにいたときに、 おだやかな喜びと呼びたくなるようなものだった。それは彼オデットの投げかけたこういう一一 = ロ葉だった。「ちょっとわた が画家のところでの夜会にちょっと立寄って、すぐ辞去しょ しのこと待ってて下さらないかしら。わたしも失礼しようと こわ いつらく

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犯して満足したいという欲望か、でなければもうこれ以上聞 きたくない、猿ぐっわをかませてやりたいという欲望をおこ させるはど、苛だたしいものだが ) 処女特有の途方もない慎 ある場所がとりわけ僕を惹きつけたが、そこが神秘的であみなさを寓意画としてかなりよく表象していた。婚約者の男 ール・ダムール るように僕には思われたのである。それは「愛の島」だ。 とはもう身体の関係があったのか ? それはまあどうでもよ しばしば、父と一緒の日曜日の散歩の折、明るい色の洋服を ぶらんこはギイギイ軋んでいた、まるでぶらんこ自体も 着た二人連れが河岸で、鐘を鳴らして渡し守を呼んでいるの興奮しているかのように。二人乗り禁止という柱に吊された を僕は見かけたことがあったのだ。それは古代の儀式のよう掲示。彼らはずっと乗りつづけているらしかった。男は、ひ にーー・ーカロンの渡し守のよ , つに神必勺。こった。渡し守には一 かがみを突張らせて、力を倍加していた。下手な乗り手であ 文も払っていなかった。それは悪魔との契約であったに違い る女の努力は、男の努力をむしろ妨げていた。彼らは依然と して乗りつづけていた。笑い声はいっそう耳ざわりなものと っそうヒステリックになり しかしある日、僕は「愛の島」に行かねばならないことに と、突然に叫び声に なった。僕たちはオルムッソンから帰ってきたのだが、ひど変った。ぶらんこは相変らず高く、横本とはとんど垂直だっ のど たが、しかし若い ( 男 ) は一人きりだった。下の地面の上、 く喉が渇いていたので、そこへ渇きを癒やしに行ったのだ。 上面に穴を開けた箱に 僕の耳にはトノー ( ) の蚤音、ぶらんこの軋む砂利の上には、恋愛のむごたらしいイメージとなって、白い 円盤を投げいれる遊び可 音がいまだに残っている。それは婚約中の男女で、二人とも 服を着た娘が、生命を失い、胸をはだけ、血まみれになり、 僕たちの家のかなり近くの住人だった。このぶらんこの光景そして勢いに引きすられているため、彼女の姿を足もとに見 だけで既に僕の想像力は刺戟されすぎるはどであり、炎々とている婚約者はすぐに止めることもできす、跳び降りるにも 燃えあがった。娘は、頭をのけそらせ、何にだかよく分らな勢いがゆるむのを待たねばならなかった。むごたらしい いったいどんなことがこの男の いが陶然となり、 ( ぶらんこか恋に ) 酔い痴れ、頭をのけそ刻々 ! このような一瞬に、 からだ のらせ、身体をすっかり捧げつくし、男のほうに差しだし、若心をよぎるものやら、想像してみたくなるものだ。吐き気を みだ い娘に特有のあの騒がしい、淫らな笑い声をあげ ( それは瞋催しながら、僕は血まみれの娘を見つめていた。その意味が みのない、激しい笑いであり、この笑いはくすぐられている僕たちの理解を越えているが故に、今日では野蛮と思われて 人間が発するように田 5 え、なぜだか分らないが、この相手を いるであろう古代、今日僕の眼にはその古代の末開の儀式の き一さ ひ

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953 夜間飛行 が受話器をはずすと、その目に見えない不安は鎮まった。そ声がきこえた。 れは、暗い片隅でおこなわれるきわめて静かな会話だった。 こちらは無線局です。電報をお伝えします。 そのあと男は、なにごともなかったように事務机に戻った。 リヴィエールはそれを筆記し、うなずいた。 なそ わかった : 彼の顔は、判読不可能な謎を宿したまま、孤独と眠気に閉ざ されていた。二機の郵便機が飛行しているとき、外部の闇か 別に重大なことではなかった。業務上の規定の連絡だった。 らやってくる呼び出しは、どんな脅迫を運んでくるのだろ リオ・デ・ジャネイロがある情報を求め、モンテビデオが気 リヴィエールは、タベのランプのもとにつどう家族に象を伝え、メンドサが資材のことを言ってきたのだった。そ れは内輪のいつもの物音だった。 電報がとどき、そのあと、はとんど永遠とも思われる数秒間、 父親の面ざしのなかに悲しい知らせが秘密としてとどまるさ で、郵便機は ? まを考えた。当初は、発せられた叫びからはいかにも遠い 嵐です。機からの通信はきこえません。 挈」 , つか いとも静かな、カのない電波にすぎない。だが、そのたびご とに、彼はそのおすおずとしたベルのなかに、その叫びのか リヴィエールは思った。ここの夜は晴れて、星が輝いてい すかな反響をきき取るのだった。また、そのたびごとに、ひるが、無電技師たちは、そのなかに遠い嵐の息吹きを感じ取 っているのだ、と。 とりでいるために、水をかき分けて泳ぐ人間のように緩慢に じゃあ、またあとで。 なるその男の歩みは、暗がりから電球のほうに戻るあいだ、 リヴィエールが立ちあがると、社員が近づいてきた。 浮上する潜水夫さながら、彼には重い秘密を運ぶもののよう に思われるのだった。 この業務報告にサインをおねがいします : わかった。 すわっていたまえ。わたしが出よう。 リヴィエールは、その男にたいして自分が大きな友情をい リヴィエールは受話器をはずし、世界からの呼び出し音を きいた。 だいていることに気づいた。この男もまた、夜の重みを担っ こちらはリヴィエールだ。 ているのだ。「戦友のひとりだ」、とリヴィエールは思った。 だが、この夜の勤務がわたしたちふたりをどんなに結びつ かすかな雑音がひびき、それから声がきこえた。 けているか、この男はおそらく知ることはあるまい」 無線局をおつなぎします。 ふたたび雑音、交換機にプラグをさしこむ音がして、別の