マドモワゼル ないのである。彼女は、もし「先生」といっしょに買物に なくなったし、また親に従順でもなかったことであろうし、 もし無理矢理に家の人の言うことに従わせられているのだつ行くためなら、シャンⅡゼリゼに来なくても当り前であり、 たら、彼女に会えない日の私と同じような絶望を感じながら母親といっしょに外出するためなら、シャンⅡゼリゼに来な くても楽しいと考えていたのである。仮に彼女が、自分と同 そうしていたはずだからである。さらにこの新しい秩序は、 ジルベルトを愛している以上、やはり私は愛するとは何かをじ場所で休暇を過ごすことを私に許してくれたとしても、少 なくともその場所を選ぶのに、彼女の両親の気持だとか、噂 知るべきだ、と告げていた。それは私に、自分がジルベルト にきいた無数の楽しみごとがあるといったことなどに気をつ の目に立派に見えるようにと、始終気を配っていることを気 かうだけで、家の者が私を行かせようとしている場所である づかせたーーそのために私は、フランソワーズにゴムのレイ ン・コートと青い羽飾りのついた帽子を買ってくれるように、 ことなど、問題にもしないのである。彼女はときどき、私が いや、むしろいっそのこと、私を赤面させるこんな付添いをばんやりしていたために彼女が勝負に負けることになったの つけてシャンⅡゼリゼに行かせるのはやめにしてくれるよう だから、私がほかのある男友だちより好きでなくなったとか、 にと、母に説得を試みたのである ( それをきいて母は、私が前日より好きでなくなったなどと断一 = ロすることがあって、そ いま一度ほかの者と同じよ フランソワーズに対して不当であり、彼女は実に献身的な感んなとき私は彼女に許しを請い、 心な女なのだ、と答えるのであった ) 。それはまた、ひたすうに愛してもらうために、またほかの者以上に好きになって らジルベルトに会いたいという欲求しかないことも私に気。つもらうために、自分はどうしたらよいのかとたすねるのであ かせたが、 った。私は彼女に、も , っそ、つなっているからいいのだと一一一一口っ その欲求のために、私は何カ月も前から、いつご こんがん ろ彼女がバリを離れ、どこへ行くのか、そのことばかりを知てもらいたかった。そう言ってくれと懇願した ろうと考えていて、最も気持のよい国も、もしそこに彼女が私のしたことがよいとか悪いとか言ってくれさえすれば、そ の一一一口葉だけで、彼女は自分の思いのままに、また私の思い通 へ行かないことになれば追放の土地に思われたし、またシャ りに、私に対する愛情を変更して私を喜ばせることができる のンⅡゼリゼで彼女に会える限り、いつまでもバリにいること ンしか望まないのであった。おまけに新しい秩序は、この私のかのように。そうだとすると私は、この自分の彼女に対して ス ような心づかいや欲求が、ジルベルトの行為の背後には見出感じていたものが、彼女の行為にもまた私の意志にも左右さ せないことも、造作なく示してくれた。彼女は逆にその女家れないことを、知らなかったのであろうか ? 最後に、あの目に見えぬお針子の手で描かれた新しい秩序 庭教師を尊敬していて、私がどう思おうと、一向気にもかけ まるで、
そこに一体化したいと思ったものだが、今では測り知れない素はジルベルトが私と知合いになる前に、才能ある作家によ 好連を思うように、ジルベルトがいっかこの私の生活、余り って、また鉱物学の法則によって、決定されていたのであり、 にもよく知りつくされ、無視されている生活の、ヘり下った たとえジルベルトが私のことを愛さなかったとしても、本も ス 召使になり、便利で気持のよい協力者となって、夜になると石も何一つ変わらなかったであろうし、したがって、そこに かりと カ私の仕事を助けて仮綴じの本をあれこれと調べてくれるかも幸福の言葉を読む権利など与えられていないことに私は気づ しれないと考えるのであった。ベルゴットにかんして一一一口えば、 いたのである。そして私の恋心が、たえす翌日こそジルベル 私がはじめジルベルトに会いもしないうちから彼女が好きに トの愛情告白があると期待しては、毎晩その日一日に行なっ - ごっにつ なったのは、このどこまでも賢く、はとんど神々しいとすらた下手くそな仕事を破棄して、それをほどいてしまうのに対 くらやみ 一一一口える老作家のためだったが、今ではとくにジルベルトが原して、一方では私自身の暗闇に一人の見知らぬお針子がいて、 いとくずす 因で、ベルゴットが好きなのであった。私はベルゴットがラ抜いた糸屑を棄ててしまうことなく、私の気に入ろうとか、 シーヌについて書いたページを読むのと同じくらいの喜びを私の幸福のために働こうといった気づかいもせすに、彼女が 覚えながら、ジルベルトがその本を包んで持ってきてくれた自分のすべての縫い物でそうしているように、ちがった秩序 包み紙、白い大きな封蝦で封をして薄紫色のリポンが波のよ にしたがってその糸を並べてしまうのだった。私の恋になん うにかかっていた紙を、眺めるのであった。私は瑪瑙玉に接ら特別の興味も示すことなく、まず私が愛されているという 吻をする。それは彼女の心の最良の部分、移り気でない忠実ことにして仕事を始めるわけでもなく、このお針子は、私に な部分であり、またそれはたしかにジルベルトの生活の神秘は説明不可能と思われたジル。ヘルトの行動や、私が許してし まった彼女の過ちを拾い集める。するとそれらが、みな一つ 的な魅力に飾られていながらも、、私のそばにとどまり、私 の部屋に住み、私のべッドにやすむのであった。けれども、の意味を持ってくる。この新しい秩序にしたがえば、ジルべ この石の美しさや、またベルゴットのこういったページの美ルトがシャンⅡゼリゼに来るかわりに、午後の集まりに出た しさ、それを私は、ジルベルトに対する自分の恋がもはや無り、女の家庭教師と買物をしたり、正月の休みに出かけてし としか思われないときにも、それに一種の実質を与えてくれまう準備をしたりしているのを見て、私が「これは彼女が浮 るものとして、自分の恋の観念と結びつけて幸福な気持にひ気つばいからだ、さもなければ親の言うことをよくきくから い。なぜな たっていたのだが、それらはこの恋愛以前に存在していたも だ」と考えるのは、間違っていることになるらし のであり、この恋愛とはちっとも似ておらず、その美の諸要ら、もし本当に私を愛しているのであれば、彼女は浮気でも
っ沈黙を深めているからにすぎない。あたかも修道院の鐘が、どうかは疑問である。なぜならたった一度、私がひどく悲し 昼間は町の響きにおおいつくされてもう鳴らなくなったかとんでいると分かったとき、父は母にこう言ったのだから、 「さあ、行って慰めておやり。」ママはその夜ずっと私の部屋 思われるほどなのに、夕方の静寂に包まれるとそれがふたた にいてくれた。そして、ママが私のそばに腰を下ろし、手を び聰河りはじめるよ , つに。 その夜、ママは私の部屋で過ごした。てつきり家を出て行とって、叱りもせずに私を泣くままにさせているのを見て、 かねばならない、 と自分でそう思うような過ちを犯したとき何か異常なことが起こっているのに気づいたフランソワーズ ほうび が、「奥さま、どうしてそんなに泣いてらっしやるのですか、 、両親は立派な行ないの褒美としてもいまだかって私がも らったことのないようなものをくれたのだった。父の私に対坊っちゃまは ? 」とたすねたとき、私が期待する権利のある 力い・一ん するやり方は、このような恩恵によって示される場合であっ時間とはおよそかけ離れたこの時間を、悔限で台無しにさせ きまぐ ても、どこか気紛れで不当な性格を備えていて、それが特徴まいとするように、ママはこう答えた、「自分でも分からな いのよ、この子ったら。興奮してるんだわ。フランソワーズ、 になっていたのだが、それはおおむね父の行為が、あらかじ め考えた計画というよりも行き当りばったりの都合から来て大いそぎでわたしに大きなべッドを用意してね。そうして上 に行って寝てちょうだい。」こうして初めて私の悲しみは、 いたためだった。ことによると、私をベッドに追いやるとき の父の厳格さと私が呼んでいたものにしても、母や祖母の厳もう罰すべき過ちではなくて、意志ではどうにもならない病 という気であると公に認められたのであり、私には責任のない神経 格さのようにはその名に価しなかったかもしれない のも父はある点で、母や祖母以上に私とかけ離れた性格であの状態だと見なされたのである。私はもう、自分の苦い涙に いろいろな気づかいをまぜる必要もなくなったので、ほっと り、おそらくは、私が毎晩どれほど悲しい思いをしたかとい うことを、これまで見抜けなかったにちがいないからだ。そしたー丨ーー泣いても罪にはならないのだ。私はまたフランソワ ていさいじよう ーズへの体裁上、このような人間的な扱いの戻ってきたこ へれは母や祖母にはよく分かっていることだった。しかし母と とが、すこぶる得意だった。ママが私の部屋に来るのを断わ の祖母は私を非常に愛していたから、ただ苦痛を免れさせよう やわ ンというのではなく、私のびりびりした神経を和らげ、意志のり、寝なくてはいけないと素気ない返事をさせた一時間後に、 ワ スカを強くするために、苦痛を克服することを教えようと考えそういった人間的な扱いのおかげで私はおとな並みの高い位 たのである。父の場合、私に対する愛情はこれと別な種類の置にまで引き上げられ、一挙に苦悩の思春期、涙の解放、と ものだったから、父だったらはたしてそんな勇気があったかでもいったものに達してしまったのだ。私は有頂天になって
った。彼はたいへん金持だったし、彼の身なりに驚いたので、 私はある日その理由を彼に尋ねてみた。 「これは必要な場合、すばやく着物を脱ぐためなんですよ」 と彼は答えた。「要するに、ろくに着るものも着すに外出す ることにも、すぐ慣れてしまうものです。下着や、靴下や、 帽子なしだって、ちゃんと済ませられるものですよ。ばくは 二十五のときからこうやって暮らしていますけど、病気にな 綿密きわまる捜査にもかかわらず、警察は、オノレ・シュ ったことなど一度もありませんからね」 { リションなぞ 。フラックの失踪の謎を解明するにいたらなかった。 この言葉は、私の疑念を晴らすどころか、かえって好奇心 をそそりたてた。 彼は私の友人であり、それに私は事件の真相を知ってもい たので、ことの次第を裁判所に知らせるのが私の義務だと考「なぜオノレ・シュブラックは、そんなにすばやく着物を脱 えた。私の供述を受けた裁判官は、話を聞き終わると、私に ぐ必要があるんだろう ? 」と私は考えた。 おび むかってさも脅えたような丁重な口調になってきたので、彼 そして、私はあれこれと推測をたくましくするのだった が私を狂人だと思っていることを、私は苦もなく語った。私 はそれを彼に言ってやった。彼はますます丁重になり、つぎ 踪 には立ちあがって、私をドアのほうへ押しやったが、すると 失 の ある夜のこと、帰宅の道すがらーー時刻はたぶん一時か、 ク彼の書記が拳をかためて立ちはだかり、もし私が血迷ったま ねをしでかそうものなら、すぐに飛びかかろうと身構えてい 一時十五分だっただろうーー低い声で私の名が呼ばれるのが 一フ かす るのが見えた。 聞こえた。私が掠めるばかりにすぐかたわらを歩いている壁 ュ シ 私はくどくど一言いはらなかった。オノレ・シュプラックの のなかから、それは聞こえてくるように思えた。私は不央な まゆっぱ レ ショックを受けて立ちどまった。 事件は、じっさい、すこぶる奇妙なので、その真相は眉唾も ノ だれ オ のに見えるのだ。新聞の記事で知れわたった通り、オノレ・ 「通りには誰もいませんか ? 」その声はまた言った。 そでぐち シュ。フラックは変人として通っていた。夏も冬も、袖ロのひ「ばくですよ、オノレ・シュプラックです」 ウブランド ントウフル ろい外套を着ているだけ、足は部屋履きをはいているだけだ 「いったいどこにいるんです ? 」友人が隠れられそうな場所 オノレ・シュブラックの失踪 ディスノ
そうめい 私が今なお真剣に扱い、今なお私に喜びを与える唯一のもの 、たとえ母よりもっと美しい聡明な一人の母親がいても、 であるからだ。ものを創造する信念が私のうちで涸れてしまその人におやすみを言いに来てもらいたいとは思わないよう ったからか、それとも現実は記憶のなかでしか形成されない に。そうだ、私が幸福な気持で、悩みのない安らかさを心に抱 ためか、私には今日初めてだれかに見せられる花が、本当の いて眠りこむために必要だったのは、母であり、母がその顔を やぐるまそう 花とは思えないのである。リラや、山査子や、矢車草や、ひ 片方の目の下に何かきずのようなものがあったけれども、 なげしや、りんごの木のあるメゼグリーズの方、おたまじゃそれさえ私は他の部分と同様に愛していたその顔をーー私の すいれん くしのいる川や、睡蓮や、きんばうげのあるゲルマントの方、方にさし出してくれることだった。そしてこのような安らぎ それらは私にとって永久に、自分が住みたいと思う地方の姿は、それ以後どんな恋人も私に与えてはくれなかった。なぜ を作り上げてしまった。その地方で私が何よりも先に求めるなら恋人の場合、人はたとえ信じているときでも相手を疑っ のは、釣りに行けること、ポートを水に浮かべられること、 ているからであり、また私が母の接吻を通じて、どんな底意 じようき、い はいきム ゴチック式の城砦の廃墟が見られること、それから麦畑のもなく、 私のためにならないようなどんな含みも残さない母 真ん中に、サンⅡタンドレⅡデⅡシャンのように堂々とした、の心を、そっくり受けとったようには、決して恋人の心を所 わららか しかも田舎風で、藁塚のように金色に輝く教会が見出せるこ有できないものであるからだ。同様に、私が是非また見たい となのだ。今でも私は旅行の途中で、矢車草や、山査子や、と思っているのは、かって知ったゲルマントの方であり、び りんごの木を野原で見かけることがあるが、そういったものったりくつつきあった二つの農園から少し離れて、樫の木の は同じ深さに、私の過去の水準に位置しているので、たちま道の始まるところに例の農園がある、あのゲルマントの方な ち私の心と通じあうのである。しかしながら、土地には何かのだ。それはまたあの牧草地なのだ。陽が当たって沼のよう しら個陸的なものがあるので、もう一度ゲルマントの方を見にきらきらとそれが反射するときには、りんごの木の葉蔭が へ たいという欲望が私をとらえるさいに、ヴィヴォーヌ川と同 くつきりと描かれるあの牧草地なのだ。それはまたあの風景、 方 のじくらい美しい睡蓮、いや、もっと美しい睡蓮の浮かんでい夜になるとしばしば夢のなかにあらわれ、その個性がほとん ン る川のほとりに連れて行かれても、私の欲望は満足しない。こ ど幻想的とも一言える力強さで私のことを抱きしめるが、目が ワ ス ろう。ちょうど夕方家に帰りつくときにーー・それはあの苦脳、 さめるともう二度と見つけ出すことのできないあの風景なの 後になって恋愛のなかに移動し、絶対にこれと離れられない だ。なるはど、メゼグリーズの方にせよゲルマントの方にせ ものになるあの苦脳が、かって私のうちに目ざめた時間だがよ、たださまざまの異なった印象を同時に感じさせたという せつぶん
でもなおしばらくのあいだ、彼女は私をあいかわらず「あなめたのだから、それのみが幸福の尊さを知り得たであろうに 家に戻ってからでさえ、私はその喜びをかみしめてみ た」と呼んでいた。そして、私がそのことを指摘すると、彼 女はにつこりして、まるで外国語の文法でただ新しい言葉をようとはしなかった。なぜなら、来る日も来る日も、明日こ ス使わせるためだけに組立てられたような文章を作り上げ、そそジルベルトのことを、正確に、落ち着いて、楽しく見つめ の最後に苗字なしの私の名前をつけ加えた。後になってそのることができるだろう、明日こそいよいよ彼女は自分の愛情 とき感じたものを思い出してみると、あの社会的な形式、そを告白して、なぜこれまでその愛情を隠してこなければなら れは彼女のほかの友だちにもっきまとい、また彼女に苗字でなかったかを説明してくれるだろうと、そんな期待を私に抱 呼ばれるときは私の両親にもっきまとっているのだが、そのかさずにはおかないものがあって、その同じ必然性が私に過 いっさいを失って、自分自身が一瞬裸のまま彼女のロに支え去を無視させ、自分の前方のみをひたすら凝視させ、彼女か られたような印象を抱いたことが分かるのだった。彼女の唇ら与えられたこまごまとした恩恵を、それ自体として、あた いくぶん父親に似て、強調しようとする言葉を一生懸かもそれだけで充足したもののように見なすのではなく、こ 、中味しか食べられない果物のれを、そこに足をかけて一歩二歩と前へ進みながら、最後に 命区切って発音しながら はまだ私が出会ったことのない幸福に到達できる新しい階段 皮をむくように、私からあの社会的形式をはぎとって裸にし のように思わせるからであった。 てゆくように見え、一方そのあいだに彼女の視線は、そのロ 彼女はときおり、こういった友情のしるしを見せてくれた のきき方と同じくらいの新しい親密さを帯びながら、同時に もっと直接的に私のところに届き、しかもそのことの意識や、けれども、また、会っても嬉しくなさそうな様子をして私を 喜びや、さらには感謝の気持まで示しながら、微笑をたたえ苦しめることもあり、しかもそういったことは、私が希望の ているのだった。 実現にとりわけ期待をかけているその同じ日にしばしば起こ けれどもその瞬間には、こういった新しい喜びの価値が私るのであった。たとえば、今日はジルベルトが必すシャンⅡ には味わえなかった。これらの喜びは、私の愛している少女ゼリゼに来るだろうと考え、大きな幸福の漠とした前兆とし から、彼女を愛している私に与えられたのではなくて、別のか思われないある深い喜びを覚えることがあったが、それは、 せつふん ママはもう っしょに遊んでいた少女から、別の私、本当の朝早くママに接吻をしにサロンに入って行き 少女、私がい いちず ジルベルトの思い出もなければ、一途な心も持っていない私出かける支度が終わって、その黒い髪の塔もすっかりでき上 せつけん へと与えられたのである , ーーーそうした一途な心こそ幸福を求がり、白くふつくらしたその手にはまだ石の匂いが残って
いったん らわれると、私の胸は興奮でどきどきしはじめ、それが一旦 ンではなかったからである。現在私が彼の名を結びつけてい 鎮まっても、ちょうどある歴史上の人物について私たちが多る観念は、かって彼の名をその網の中にとりこんでいた観念 わず 数の書物を読んだとき、その僅かな特徴にも心を躍らせるよとは異なっており、いまでは彼のことを考えるとき、もう決 うに、彼の姿は依然として私の感動を誘うのであった。彼として以前の観念を用いることがないのであった。彼は新たな 、つわ」 パリ伯爵との交際も、コンプレーでその噂をきいたときはど人物になっていたのである。それでも私は彼のことを、人工 うでもよいものに見えたのに、今や私にとって、まるでほか的で二次的な横断線で、かってわが家の客であった彼にふた にだれ一人としてオルレアン家の人びとを知った者がいない たび結びつけた。けれども今では、私の恋に役立てられない かぎり何もかもがもう無価値に見えていたから、私はこうし かのようこ ( バリ伯爵 し「てフラスス王家の後継者とされていたん物 ) 、 . 何かす・ばらし いものに思われるのであった。その交際は、現にこのシャて昔の歳月をふたたび見出したときに、それを消すことので ンⅡゼリゼの小道に雑沓するさまざまな階級の散歩者の俗悪 きないのが恥ずかしく、悔しかったーーその数年のあいだ、 な背景から、スワン氏をくつきりと浮き上がらせていたが、 私は、現在シャンⅡゼリゼで私の前にいるこのスワン、幸い 同時に私たちは、スワン氏がその雑沓の真ん中に平気であら にもおそらくはジルベルトから私の名をきいてはいないよう われて、散歩者から特別な敬意を要求しようともせず、また、 に思われるこの同じスワンの目の前で、彼や私の父や祖父母 もともとだれも彼にその敬意を払うことを考えっかぬくらい といっしょに庭のテープルで食後のコーヒーを飲んでいるマ きようたん にすつばりとその身分を隠しているのに、驚歎するのであマのところへ、おやすみを言いに部屋へ来てくれるよう頼み つつ ) 0 に ~ 打ってもらい 、こうしてあんなにたびたび滑稽な自分の姿 をさらけ出したからである ) 。彼はジルベルトに、もうひと 彼はジルベルトの友だちの挨拶に対して、丁寧に答えた。 私の家の者と仲たがいしているにもかかわらず、私の挨拶にゲームだけやってもいし 、十五分ぐらいなら待てるから、と へ さえ答えてくれたが、もっとも私のことを知っているように 言って、だれもがするように鉄製の貸椅子に坐ると、フィリ 方 のは見えなかった。 ( ところが、これで思い出したが、彼は私 ップ七世 (; じが何度も握ったその手でもって椅子の切符を ン のことを何度も田舎で見かけていたのである。その思い出を買うのであったが、一方そのあいだに私たちは芝生の上でゲ ワ くらやみ スムは、いに留めていたが、 しかし暗闇に押しこめていた。なぜ ームを始め、それに驚いて飛びたった鳩は、ハ ート形をして いて鳥類のリラの花といったような虹色の美しいからだを、 ならジルベルトに再会してからというもの、スワンは私にと って何よりも彼女の父親であって、もはやコン。フレーのスワ まるで隠れ家にひそめるように、あるものは大きな石の水盤 こつけい
私はケルト人の信仰を、きわめて理にかなったものだと思 マドレーヌ〉と呼ばれるすんぐりしたお菓子、まるで帆立貝 力いカら・ うが、それによれば、死によって奪い去られた者の魂は、何の筋のはいった貝殻で型をとったように見えるお菓子を一つ、 か人間以下の存在、たとえば動物や、植物や、または無生物持ってこさせた。少したって、陰気に過ごしたその一日と、 のなかにとらえられており、なるほどその魂は、私たちがた明日もまたもの悲しい一日であろうという予想とに気を滅入 またまその木のそばを通りかかり、これを封じこめているもらせながら、私は無意識に、紅茶に浸してやわらかくなった のを手に入れる日まで、多くの人にとって決して訪れること一切れのマドレーヌごと、一匙のお茶をすくって口に持って のないこの日までは、私たちにとって失われたままでいる。 いった。ところが、お菓子のかけらの混じったその一口の紅 - : っ力い だがその日になると、死者たちの魂は喜びに震えて私たちを茶がロ蓋にふれた途端に、私は自分の内に異常なことが進行 呼び求め、こちらがそれを彼らだと認めるやいなや、たちましつつあるのに気づいて、びくっとした。素晴らしい快感、 のろ ち呪いは破れる。私たちが解放した魂は死に打ち克って、ふ孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいた。 たたび帰ってきて私たちといっしょに生きるのである。 おかげでたちまち私には人生の有為転変などどうでもよく、 われわれの過去についても同様だ。過去を喚起しようとつ人生の災難は無害なものであり、その短さは錯覚だと思われ とめるのは無駄骨であり、われわれの知性のいっさいの努力るようになった。その快感がちょうど恋の作用と同様に、何 むな は空しい。過去は知性の領域外の知性の手の届かないところか貴重な本質で私を満たしたからだ。というよりも、その本 で、たとえばわれわれの予想もしなかった品物のなかに ( こ質は私の内にあるのではなくて、それが私自身であった。私 の品物の与える感覚のなかに ) 潜んでいるのだ。われわれが はもう自分を、つまらない、偶然の、死すべき存在とは感じ 生きているうちにこの品物に出会うか出会わないか、それはていなかった。いったいこの力強い喜びは、どこからやって 偶然によるのである。 きたのか ? 私はそれが紅茶とお菓子の味に関連があるとは へ コンプレーにかんして、自分の就寝劇とその舞台以外のい 感じたが、しかしこの喜びはそれをはるかに越えたもので、 のっさいのものが私にとってもはや存在しなくなってから、す同じ性格のものであるはずはなかった。それはどこから来た ンでに多くの歳月の過ぎたある冬の一日、家 ( 〔リ ) に帰った私のか ? なんの意味か ? どこでそれをとらえるのか ? 私 スがひどく寒がっているのを見て、母は、ふだん飲まない紅茶は二ロ目を飲む、そこには最初のとき以上のものはなにもな でも少し飲ませてもらっては、と言いだした。私は初め断わ 三ロ目がもたらすものは二ロ目よりも少しばかり減って ったが、それからなぜか、気が変わった。母は、〈プチット・ いる。やめにすべきだ、お茶の効き目は減少しているようだ 一じ
うれ しらが も当然だった。ところが私は嬉しくなかった。母が初めて私白髪を生えさせたような思いだった。その思いで私の嗚咽は に譲歩したのだ、これは母にとってきっと辛いことだったろますますかき立てられた。そしてそのとき、これまで決して トう、私のために心に抱いていた理想を、母は初めて自分から私につりこまれて涙ぐむようなことのなかったママに、突然 一放棄した、あれほどしつかりしていた母が初めて敗北を認め涙が伝染し、泣きたいのを一生懸命こらえているのが目には カたのだ、そう私には思われた。私が勝利を収めたとすれば、 いった。ママは私に気づかれたと感じて、笑いながらこう一一 = ロ かわい それは母に対しての勝利であり、私は、ちょうど病気や苦悩 った、「まあまあ、この可愛いおいたさんたら、もうちょっ おんな ゃあるいは年齢などのせいで起こるようなこと、つまり母のとで、お母さんまで、お前と同じお馬鹿さんになるとこね。 しかん いらいら 意志を弛緩させ理性を屈伏させることに成功したのだ、このさあ、お前もママも眠くないんだから、苛々するのはやめて 夜は新たな時代の始まりで、悲しい日付として残るだろう、何かしましようよ。何かご本を読んだらどうお。」けれども てもと そう私には思われた。もしこのとき私が思いきってママに言手許に本はないのだった。「お祖母ちゃまがお誕生日に下さ うとすれば、こう言ったところだろう、「ううん 、いいんだるはずのご本をいま出してしまったら、折角の楽しみがふい あさって よ、ママ、ここには寝ないでよ。」けれども私は母のなかで、 になるかしら。ようく考えるのよ。明後日何もいただけなく 祖母からうけた激しい理想主義的な性質が、今日なら現実主ても、がっかりしないこと ? 」がっかりするどころではない、 義と呼ばれる実際的な知恵で和らげられているのを知ってい 私は大喜びだった。ママはそこで本の包みをとりに行った。 いったん しず た。また、一旦悪がなされてしまった以上、母が、気持を鎮それは包み紙の上からだと、背が低くて幅の広いものだとい めるこの楽しみくらいはせめて私に味わわせてやりたい、父 , っことしか分からないが、しかし最初に目にはいるその格好 の邪魔はしたくない、と考えるだろうことも分かっていた。 、ざっと外側から見ただけでも、今年の正月にもらった絵 母があんなに優しく私の手をにぎり、私の涙を止めようとし具箱や去年の蚕などをもうすっかり色褪せたものにしてしま てくれたあの晩、なるほど母の美しい顔はまだ若さに輝いてうのだった。それは『魔の沼』、『フランソワ・ル・シャン いた。けれども私には、そんなはすではないとしか思えなか ピ』、「プチット・フアデット』、『笛師の群れ』 (ä・サンの作 ったのだ。私にとっては、子供の自分がそれまで知らなかっ だった。のちに分かったことだが、祖母は初めミュッセの詩 たこの優しさを示されるよりも、むしろ怒られた方が悲しみ集と、ルソーの本を一冊、そして『アンディアナ』のン ' ド作 が少なかったであろう。私はまるで、親不孝な秘密の手でもを選んだのである。というのも祖母は、つまらない本などポ しわ って母の魂に最初の皺をつけたような、そこに最初の一本の ンポンやケーキと同じように不健康だと思っていたにしても、 つら 力い ) 」
いう私の確信の源泉が、ジルベルトの私に対する愛情に発しびきならないものと思われないかもしれない彳 。麦年、快楽の ゆる ていたのだとしたら、彼女の冷淡な態度はこの確信を揺がせ修養を重ねてもっと巧妙になったときには、ちょうど私がジ ることにもなりかねないところだった。ところが事実はそれルベルトのことを考えたように、われわれは一人の女のこと とちがって、確信の源泉は彼女に対する私自身の愛情にあり、を考えるだけで満足し、その女のイメージが現実の彼女に対 いやおう こうしてその確信は、内心の必然によって否応なくジルベル応するかどうかということも余り気にしなくなったり、また トのことを思わずにはいられなくなったという私自身の態度女から本当に愛されているかどうかを確かめる必要も覚えず に支えられることとなったために、はるかに確固たるものに ただ相手を愛する喜びに満足したりするようになる。あ されたのである。しかし私自身も、彼女に対して抱いているるいはまた日本の庭師が美しい一輪の花を得るために多くの まわ 自分の気持を、まだ打ち明けていたわけではなかった。なるほかの花を犠牲にするのを真似て、こちらに傾斜している女 ほど、私はノートのすべてのページに、彼女の名前と住所との気持をいっそう強く維持するために、彼女に惹かれている あいまい を無限に書きつらねてはいたけれども、これら曖昧な文字をことを告白するという喜びを諦めることもある。だがジルべ 言したところで彼女がそのために私のことを思うようになるルトを愛していた当時、私はまだ〈愛情〉が、われわれの外 わけではなく、またこの文字は一見私の周囲で彼女に大きな 側に実際に存在しているものと信じていた。またこの愛情は し・よう力し 場所を与えることになりはするが、そのために彼女がいっそわれわれに、せいぜい障碍をとりのけることを許すくらい う私の生活にまきこまれるわけでもなく、それが語っているで、それが提供する幸福には一定の秩序があり、われわれは しよせん ものは所詮この文字を見ることすらないジルベルトではなくその秩序を何一つ変えられないのだと思いこんでいたのであ て、私自身の欲望であり、しかもその欲望を、何か純粋に個る。もしも自分からすすんで、あの甘い告白のかわりに無関 人的で、非現実的で、つまらない、無力なものとして一小して心を装ったりすれば、単に私が何よりも夢見ていた喜びの一 いるように思われたから、これらの文字を見ると私は勇気がつが失われただけではなく、人為的で無価値で、真実の愛と わっぞう の挫けてゆくように感するのであった。緊急の課題はジルベル はなんら通じあうところのない恋愛を自分勝手に捏造したこ トと私が会い、互いに愛清を告白しあえるということであり、 とになったろうし、あらかじめ存在していたその真実の愛に スそのときまで二人の愛情は、いわば始まってすらいないのか至る神秘の道を辿ることなど、きっと諦めてしまったろうと もしれなかった。なるほど、彼女に会いたくてたまらない気思われるのだった。 持にさせるさまざまの理由も、大人であれば、それほどのつ けれどもシャンⅡゼリゼに着きーーーそして私の愛情に必要 あきら