シモン 982 せき えたい ている得体の知れない音をうかがっていると、暗闇のなか、断続的な音すら聞こえなくなり、まるで海からやってくる小 静寂のなかからゆっくりと湧きだし、流れだしてくるのが聞止みのない、無気力な微風そのものもやみ、やはり元気を失 こえる ( 聞きとれるような気がする ) のは彼自身の汗ではな はいりこむことをあきらめたとでもいうみたいで、だか とりか一 町全体が闇に蔽われ、そこから ( まるで鳥籠の上にかぶらしまいに彼は窓辺へ行けば、水をいつばいふくんだ綿とは せた毛布が生じさせる唐突で重くるしい沈黙をとおしてみた またちがったなにかで肺を満たす手段が見つかるかもしれな いに ) 聞きとれないほどかすかだがある壮大な呼吸のいぶき いと期待して ( すくなくともそれが、からだが彼に提出した が発するかのようで ( 聞きとれないほどかすかで、目に見え表向きの口実で、それを彼の精神も、ぜんぜん本気にしてい ない、得体の知れない羽毛のそよぎ、まったく耳には聞こえオし。 よ、こもかかわらず容認して ) 立ちあがった ( というかから ためいき ない、訴えるような溜息が彼らの小鳥の眠り、夜のおそろし だのほうで起きあがった ) が、だが中庭の反対側のアメリカ いまばろしが立ち現われる彼らの小鳥の夢をかきみだし ) 、人の窓には明かりがついており、だから彼の最初の衝動はズ おまけに読むものもなにひとつなく ( せいぜい四つに折ってポンをはくことで、そのつぎにシャツを着ようというときに ポケットに入れてある新聞ぐらいでーーだがそこに書いてあなって、彼は動きをやめ、「はだしで床石の上を歩いてもべ ることもみんな、彼はそらで暗記していて、それを読む必要 ッド以上にというか濡れたシーツのかたまり以上に希たくな すらなかったくらいで ) 、息づまるような暗闇、なそめいた、 いとはなんてひどい国だ。床にじかに寝ることさえできやし 威嚇的な沈黙のなかで、いまはどれくらいのあいだ横になっ ない ! 」と考え ( つまり彼自身の一方の分身にはったりをか ていただろうか、その時になって眠れるかもしれないなどと けようとするもう一方の分身がそういい ) 、そのあいだもは いう期待はあきらめなければならないのだということを吾っ じめのほうの分身ははたして、廊下へ出てアメリカ人のとこ て ( まるで夜とか暗闇とかが昼間にとって代わったのではなろへ行ってドアをノックするのは、賢明だろうか、危険だろ くて、上げ潮みたいなもの、なま温かくて不透明な溶岩とでうか、礼を失することだろうか、それとも逆に分別のあるこ ) 」っけい もいったものが、街路、並木路にゆっくりとひろがってゆき、 とだろうか、滑稽なことだろうかと論議していて、もうすこ 堰のなかの水みたいにだんだんと地面から高さを増していっ しで結論が出そうだったが、 それからこの分身にはったりを て、光が後退するにつれて家々の正面を登ってゆき、しまい かけようとしていたあとのほうの分身が彼に ( もっともらし に家々を浸し、空気そのものの通過さえ遮り、不可能にし、 い論拠を , ーーーたとえばもしアメリカ人がなにか彼に、、こ、 きし そのためいまは彼には、どこか近くの屋根の上の風見が軋むことがあるのだったら、彼自身も廊下の十五メートルぐらい
ンを断念し、寝台の上に横になるのだが、すぐに起きあがっ 自時はわたしのカの顕一小であり、その使用目的であり、さら たくま て、前に見た場所をもう一度さがす。逞しい筋肉の上にどっ にその証拠であるからだ。事実、わたしはこの世で最も堅い す きずな かりとあぐらをかいた、この男の健全な人間としての確信が 絆さえ破り棄てただろう、ーーー愛の絆でさえも。そして、 り、ようかく わたしはどれほどの愛を必要とすることだろう、それを破壊寸断、粉砕され、その男らしい確乎とした稜角がとれて、 わたしそれまでに見せたことのないポャケた男となっていた。わた するに足る力をそれ自身から汲みとるのだから : む 1 ) んり しはこの無一一一一口裡の変貌を見守っていた。そしてなに食わぬ顔 が初めて自分の盗みの被害者の悲嘆を目撃した ( 少なくとも わたしの知るかぎり ) のは軍隊にいたときだった。兵隊からをしていた。しかし、この自信に満ちた若い兵隊が、彼の 盗み取ることはとりもなおさす裏切ることだった。なぜなら、禍を惹き起したある悪意に気づかないまま・ーー。・彼としては、 この悪意が初めて、しかも、よりによって彼をその被害者に わたしは、わたしをその兵隊に結びつけていた愛の絆を切り 選んで実行に移ろうとは思いもよらなかっただろう 棄てたのだから。 びばう プロースト、イ 、本格で、心から他人をれに対して示した無知と、恐怖と、ほとんど感嘆でさえあっ 、ールま、美貌で、ししイ 信頼していた。この男が自分の寝台の上にのばって、その十た反応、それに、自分自身を恥じている様子などがあまりに 五分ほど前にわたしが盗んだ百フラン札を見つけようとして、も哀れだったので、わたしは危うく同情のあまり、盗んだ後 なかみ こんばう 彼の梱包の中身を何度も引っくり返していた。彼の動作は道で幾重にもたたんで物干場に近い兵舎の壁の割れ目に匿して が盗まれ 化役者のしぐさそのものだった。彼は思い違いをしたと考えおいた百フラン札を彼に返す気持を起しかけた。、、、 しろもの つら た男の面というものは、見苦しい代物なのだ。盗まれた人間 ては、次々と世にも風変りな蔵い場所を想定していった、 ふそん みいだ はん 1 ) う 彼がいましがたそこから食べたばかりの飯盒、次に。フラの顔を周囲に見出すとき、泥棒はある不遜な孤独を感じる つつけんどん こつけい かん シ入れ、今度は油の罐 : : : 。それは哀れにも滑稽な姿だった。のである。わたしは突鰹貪に、 「なんだい、その不景気な面は。まるで下痢っ腹でもかかえ 彼は自分で自分に言っていた。 「おれはこのとおり正気なんだ。とすると、あそこへでも入てるみてえだそ。便所に行って、流してこい」と一一一一口うことが 日 できた。 れたのかな ? 」 棒 この経験が、わたしを自分自身から解放したのだった。 泥彼は、頭がヘンになったのでないかどうか少し怪しくなり この歴然たる事わたしは不思議な爽やかさを経験した。ある自由の感覚に ながら、そこをさがすと、何も出てこない 実にもかかわらす、彼はなんとか希望を持っために、百フラよって心が晴ればれとなり、寝床に横たわっていたわたしの 一三ロ 0 わぎわい さわ かっこ
とうとう形がなくなった : ォルジュモンの大地で、彼はヌ ! カランタンⅡシュールⅡロワン : メズーの : たつぶり二時間も沼の真中、大きな肥溜の真中に完全に漬つまったく安心で、クールシアルにたいして献身的な市議会 てはまり込んでいた , うごめき、泡を立て、そいつはすて ・ : 彼を三十五年も前から知っている : : : ずっと前から、彼 ヌ きな見物だった ! 近所の百姓どもはみんなわき腹が痛の言うことならなんでも信ずるような場所 : そうした連 セ くなるほど笑った : 《熱狂号》をたたむと、猛烈に肥溜中が突然、われわれを呼ぶのを延期するため奇妙な口実を見 の中身と汁の臭いがした。かつまた、クールシアル自身もたつけだしたー ・ : 言い逃れ ! 尻ごみ ! われわれの仕事は かいめつ 特に一九一一年の五月と、 つぶりウンコの。ハイを詰め込まれ、ウンコまみれでべっとり溶けだした ! 潰滅だった , カンドマール・ そいつがくつついていた ! お陰で、われわれは汽車の車室六、七月以後、事態は深刻に悪化した : には入れてもらえなかった : お道具、操縦具、その他が ジュリアンとかいう男が、一人しか名前を挙げないとして、 らくたといっしょに貨車で旅行した。 その《とんば号》だけで、われわれから二十人以上の客を奪 ハレⅡロワイヤルに帰っても、まだ終りじゃなかった , とはいえ、われわれは信じがたいような値引 われわれのすてきな気球は、そんなふうに地下室の奥きにも応じていた : だんだん遠くへ行くようになった でもまだすごい悪臭を発していたので、ほとんど夏中、少な 水素・ : : ・ポンプ : : : 圧縮計を持って : 百二十五フ びやくだん ランのためにニュイⅡシュールⅡソンムまで出かけた ! ガ くとも大鍋に十杯もの安息香、白檀、ユーカリを燃やさな くちゃならなかった : : : 幾連ものアルメニア紙も , わス代こみで ! おまけに運送費も , 正直な話、これじ れわれは追い出されかねなかった ! すでにいくつも請願がやもうやっていけなかった , ごく薄汚い小さな町 : ・ : ・悪 出ていた : 臭ふんぶんとした郡役所の所在地までが、機体や翼の構造、 ウ , イ、レ・、 そういったことはまだなんとかなることだった : ー・ライトや 職複葉機の話でもちきりだった , 業に伴う不慮の出来事、災難の一部とも言えた : だが最《飛行大会》のことでー 悪なのは、飛行機との競争によって確実にもたらされた致命 クールシアルはこれが死闘であることがよくわかっていた だった : ・ : ・否定のしようがない : 飛行機はわれわれ 彼は反抗して戦おうとした : ・ : ・不可能なことを試み の客を全部奪ってしまった : ・ もっとも忠実な委員会 : た。二カ月以内に矢継ぎ早に四冊の入門書、そして自分の新 われわれを全面的に信頼し、まちがいなく呼んでくれる委員聞に十二の論文を発表し、飛行機はけっして空を飛ばないだ たとえばペロンヌ、。フリーヴⅡラⅡヴィレー 会さえ : ろ , っとい , っことを《音 5 固地に》証明しょ , っとした , なべ
していた、しかしそれは、彼ら自身がかけた、心の内部の罠ポプは、リュシアンを卑劣な人間として、わたしに示すこ なのだ。・ とによって、わたしの心を彼から離しうると考えたのだった。 ウエルポー・ウェイドマンの、彼を逮捕した警官に 傷を負わされて頭に包帯をしている姿を写した美しい写真でしかしそれはむしろわたしをいっそう彼に愛着させることに は、彼もまた罠にかかった獣の表情をしてはいるが、その場なった。わたしは愛情に胸をふくらませながら、彼が「やっ 合それは、世間がかけた罠なのだ。彼の、彼自身の真実は決っけたり」、拷問したりするところを思い描いた。しかしそ 、、こっこ。彼は決して裏切りをしなかった れはわたしの間違したオ して彼に背いてはいない。彼に背いて彼の顔を醜くしてはい ないのだ。それに反して、わたしがそのとき、そしてその後のだ。あるとき彼に向って、わたし流の生活を、その危険を もときどきそれを取出すたびに、ラフォンやその仲間の写真伴う面においても、わたしと一緒にすることを承知してくれ そむ るか、と訊いてみた。すると彼はわたしの眼をじっと見つめ に見るものは、彼らの、彼ら自身に対する背きなのである。 まなぎ そのときわたしは思った。「正真正銘の裏切り者、自分のた。わたしはかってそのときの彼の眼差しほど爽やかな眼差 この しは見たことがない。それは、忘れな草や、モルヴァン地方 嗜みからそうなる裏切り者は、決して不実な様子をしてはい で震え草とよばれるあの禾本科植物が茂っている、すでに水 十 / し」ン」 わたしが最前から問題にしている男たちも、皆それそれ得気を含んだ野原をひたす泉のようだった。それから、言った、 「 , っ / ル」 意の絶頂にいた時期を経験したにちがいない。彼らはそのと きは輝かしい存在だったのだ。わたしはラビュシェールを知「じゃあ、お前を、お前の友情を信頼してもいいね ? 」 ) うしゃ めかけ 同じ眼差しと、同じ答え。 っていた。彼が、お妾たちと一緒に、豪奢な自動車に乗って 「うん。おれ、あんたとおんなじ生活をするよ。ただ、盗み 出歩くのをよく見かけた。かれは自分自身にゆるぎない自信 あんざ をするのはいやだけど」 を持ち、彼の真実の中に安坐し、報酬をたんまりもらってい 「ど一 , っして ? 」 る密告者としての彼の活動の真っただ中に落着きはらってい さいな 「どうしても。おれ、それよりは動いたほうがいいや」 た。彼は何ものにも心を責め苛まれてはいなかった。 と・か 日 わたしはしばらく無言のままでいた。それから、 「良心の咎めというような感清も、ほかの男たちの場合は、 棒 泥あのように顔に現われずにはいない深刻な心の乱れを起させ「でもお前いっか言ってたね、もしおれに棄てられたら、お らんまん るが、リュシアンの天真爛漫さには一指も触れえないのだ」前、悪党になるって。それはなぜだい ? 」 「なぜって、そうしたら、自分が恥すかしくてたまらなくな と、わたしは心の中で思った。 二 = ロ さわ
的な飛翔だ いつも科学的な ! そいつが彼の絶 し、構想し、解決し、主張することをやめたことがなかった 対的な信条だった。そいつは彼の新聞によい結果をもたらし、 朝から晩まで天才が頭をはげしく膨張させていた 彼の活動を完全なものにした。飛行のたびに、彼は購読者を そして夜さえ休んではいられなかった : 思想の つか 1 ) 引き寄せてきた。彼は吊り籠に乗るのに制服を持っていて、 流れに抵抗して、しつかりしがみついていなければならなか セ三本の金筋の入った船長のように、《連盟会員、免状所有者、った・ 警戒していなければ : それが彼の較べ物のな 教授資格者》、である飛行家として、異論の余地なくその権利い苦しみだった : 普通の人間のようにまどろむかわりに、 を持っていた。もはやメダルの数は数えきれないほどだった。空想に追いまくられて、別の気まぐれ、新しいお気に入りの 、、フ .. ル」ルツ - ル , 日曜日の彼の衣服には、そいつが胸当てみたいについていた考えにたえず取りつかれていた , : そんなことはま 彼自身はそんなものにはたいして重きをおかす、見せ眠るという考えも吹き飛んでしまった , まね びらかすような真似はしなかったが、聴衆にとってはそれが ったく不可能になった : どっと押し寄せてくる発見、自 重要であり、儀式が必要だった。 分自身の情熱に反抗しなければ、完全に眠れなくなってしま っただろう : クールシアル・デ・ペレールはとことんまで、《空気より 自分の天才をこのように訓練すること、そ もはるかに軽いもの》の断固たる擁護者だった。彼はすでにれが彼にたいして他のあらゆる営み以上に、より大きな苦痛、 ヘリウムのことを考えていた ! 三十五年は時代に進んでい 真に超人的な努力を要求したのである , 彼は私にしば ゼレ た ! それはたいしたことだ ! 《熱狂号》、彼個人所有の古しばそう繰り返した ! つわものの大軽気球は、飛行と飛行のあいだはガルリー それでもなお、さんざん抵抗したあげく打ち負かされて、 ン。ハンシェ十八番地の、彼の事務所の地下室に憩っていた。 自分自身の熱狂にいわば圧倒されたように感じ、ものが二重、 普通には、金曜日の夕食前にしか引き出されず、そのとき操三重に見え始め : : : 奇妙な声が聞こえ始めるときには : : : 彼 縦用具を準備し、細心の注意を払いながら横糸を全部なおすはその猛烈な力を抑圧し、通常のリズムに戻り、上機嫌を回 きのう のであって、襞や、気嚢や、細糸が、ちつばけな体操場をみ復するためには、ちょいとばかり空に昇る以外、ほとんど方 すきま たし、絹が隙間風に膨れ上がっていた。 法がなかった ! 空の中をたつぶりひと回りしてくるのだ ! もっと暇があったら、もっとしよっちゅ , つ、つまりはほとん ど毎日気球に乗っただろう、だが、そいつは新聞の活動と両 そ クールシアル・デ・ペレールは彼自身、生産し、想像立しなかった : 彼は日曜日にしか乗らなかった : ひだ
ジュネ 330 棒だと言うかもしれないが、そんなことは問題ではない。泥を : わたしは、もし最も輝かしい運命を持ちえないなら、 みじ 棒という一言葉は、その主要な活動が盗みであるところの人間最も惨めな運命を望むーーー不毛な孤独のためにではなく、そ たぐまれ をさす。そういう人間からーー彼がこう呼ばれているかぎりのように類い稀な材料から、一つの新しい作品を創りあげる 彼の中の泥棒以外のあらゆる点を除去して、その人間をために。 明確化するはたらきをする。彼を単純化するのである。とこ ポエジー かってのようにモンマルトルでも、またシャンゼリゼーで ろで詩は、彼の、泥棒という境涯への最も深い自覚にある のだ。もちろん、泥棒以外のいかなる境涯の場合でも、そのもなく、サンⅡトウーワンで、わたしはある日ギーにめぐり あか 人間に名称を与えるほどに本質的になることができる自覚な会った。彼はばろをまとい、垢だらけで、見るも汚い様子を ポエジー らば、それもまた同様に詩であろう。しかし、いすれにし していた。そしてたった一人で、売り手よりもいっそう貧し ろ、わたしの独異性への自覚が、盗みという一つの非社会的くて汚らしい一群の買い手の中に立ち混っていた。彼は一対 のシーツを売ろうとしていたが、それはどこかの安ホテルの 活動によってよばれるということはよいことなのだ。 もちろん、有罪者は、そしてそうであることを誇りとする部屋から盗んできたものにちがいなかった。 ( わたし自身、 者は、彼の独異を社会に負うているのではあろう。しかし幾度となくこの種の、わたしの姿と歩容を滑稽なものにする そな 彼はその前にすでにこの彼の独異性を具えていたはずである、重荷を身につけたことがある、 わたしの腕を動かせなく わき 社会がそれを認め、そしてそれを罪となしたからには。わた していた、腋の下に入れた幾冊もの本、わたしをとんでもな ふと しは社会に対抗したいと願ったが、しかしその前にすでに社 い肥っちょに見せていた、胴に巻きつけたシーツや毛布、脚 そでうら 会はわたしを有罪と断じ、そして、泥棒であるということそにそってゆわえつけられたこうもり傘、袖裏にギッシリつま ゅうわ れ自身よりも、その孤独な精神を恐れたところの宥和しえな った古勲章類、等 ) 彼はかなしい顔をしていた。ジャヴァが い敵としてわたしを罰したのだった。ところでその場合、社わたしと一緒だった。わたしとギーはすぐに互いを認めた。 会は、それ自身の裡にこの独異なるものを内蔵していたのだ、わたしが言った、 この、やがてそれに敵対して闘うであろうところのもの、 「なんだ、ギーじゃねえか」 かー ) やく 社会にとってその体内にある刃、呵責の種ーーー不安の種 彼がわたしの顔に何を読みとったかは知らないが、彼の顔 であり、社会自身があえて流す勇気のない血がそこから流れは恐ろしい形相になった。 出る一つの傷口となるであろうところの、この独異なるもの いいんだ、ほっといてくれ」
からなのだが、 それにしたところでやつばり習慣的な儀式にして彼は , ーーっまり彼のからだはー・ - ー開けはなした窓の前で たいする譲歩にすぎず、彼のほうはすでに後すさりし ( つま じっと立ちつくしていたのだけれども、彼の内部のあの、動 り彼のからだがドアから遠ざかっており ) 、だがその間もい きまわるのにからだを、手足を必要としないなにかはふたた ン モ まではもはや彼の手でないもの ( いまは彼はドアに手のとどび部屋を通りぬけ、外へ出、廊下をもう一度逆もどりし、も シ ふと。も - も かないところにいて、その手が太腿に沿って垂れ、じっと動う一度ドアの数をかそえ、琺瑯びきの楕円形の小さな金属板 かなかったから ) 、彼のからだに追随すること、ドアを見捨の上の番号をたしかめ、それと同時に彼には、彼の足の猛烈 てることを拒むなにかが ( というかあるいはまた、閉まった な攻撃を受けて、木のバネルがどんどん鳴るのが聞こえるよ ドアそのものがやはり彼自身の一部となり、それにたいしてうな気がし、そのあいだも彼は、両手でふたたび把つ手にし 彼自身のべつの一部が躍起になって立ちむかっていたのかも がみついて、それをまわし、ゆさぶり、まわし、ゆさぶり、 しれないのだが ) こっこっ、ドラムをたたくみたいにたたき たたき、ぐるぐるまわし : ほつつつ、つ つづけ、把つ手をゆさぶり、その一方では彼は、琺瑯びきの それから、上の階でだれかがどこかの窓をあけ、そこで彼 だえん 楕円形の小さな金属板に書かれた番号をたしかめ、それから ははっと後ずさりして、テープルにぶつかり、床石の上には 並んでいるドアの前を通りながらその数 ( 五つ ) をかそえ、ねかえってはずむ金物の騒々しい音のために突然われに返り 廊下のつきあたりで直角に曲がり、かぞえるのをやめ、いま ( というか酔いがさめ ) 、だからかなたの廊下で、ドアと格闘 は急ぎ足で歩いて ( 走りだしたわけではなく、ただ急ぎ足でしている彼自身の一部は、だしぬけにおとなしくなり、 歩いて ) 、もう一度右へ曲がり、自分の部屋の戸口にたどりではドアと向きあって、つい先ほどとおなじように、といっ つき、そのなかへはいり、立ちどまらないでその部屋を横ぎても番号さえ見ないで、ただ立ちつくすことだけで満足し、 り、開けはなした窓の前、夜のあいだ彼が陣どっていたその絶望、反抗とでもいったものをこめてドアを凝視するだけで、 場所にふたたび立ちつくして、いまは正面の中庭に面した壁「畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生 ! : 」と考え、そ にある窓の数を何度もかそえなおし、緑色がかったねすみ色の間も筋肉と、肉と、骨とでできた彼自身のもう一方の部分 のカーテンのある ( 相変わらず引かれたままになっている ) は、床の上に四つん逾いになって、散らばった吸殻やマッチ 窓は、壁の隅から四つ目なのだということを吾って、「し かのカスを ( といってもそれも目にはいらないのだが ) 、熱に したしかにおれは、五つまでかそえたな : : 」と考え、「だ浮かされたみたいに拾うことに夢中になっており、それらを とすると、あれは、あのドアは、彼は : : : 」と考え、依然と灰皿にもどし、それからもう一度、頭が床にすれすれになる
い粥とでもいったもののなかに浸って、立っていたというか苦しげなかすかなひゅうひゅうという音を立てながら、せわ つばいになったり空つばになったりする音を聞きと むしろ漂っていたのであり、いまは彼にもわかったが、それしげにい ばうこうひだ は彼が ( やはり聖母マリアみたいに純潔な若い女中たちゃ、ることができ、そのなかに彼は、下卑た膀胱の襞とか皺とか かんばく がふくらんだりしばんだりするときに立てる微細なきゅっき 老人たちゃ、子供たちゃ、装飾的な灌木の茂みに囲まれて、 肘掛け椅子に坐って相変わらずじっとしていて、まったく今ゆっという音も聞き分けられるような気がしたのであって ) 、 とおなじだったが ) あまり急いで歩いたため彼のからだから不意に自分は勘ちがいしたのではないか、そこに坐っている 滴った汗ではなくて、いわば均等な割合でまぜた四大元素のはきっと、自分が考えたようにホテルの主人ではなくて、 ろう ( 水、土ーー、つまり埃ーーー空気、暑さ ) から成り立っているグレヴァン博物館のあの蝦人形とか、村祭りの見世物小屋の かと思われる、第五の元素とでもいったものなので、彼の肉、入口で太鼓をたたいている機械人形の猿みたいな、こしらえ ものの人形かなにかではないかという滑稽な考えに襲われ、 彼の筋肉とおなじ密度をもち、温度の点でもたいした違いは なく、だから彼の皮膚ももはや外皮というか、外の世界と彼おそらくグレヴァン博物館の蝦人形なのだ、と彼は考えた、 なぜならあの博物館のべンチに腰かけたにせの参観者とおな との境界を構成せすに、おなじひとつの全体の切りはなせな じように、その人物も両手で新聞をひろげて、その上に目を い諸部分として、金属的な光沢の空、単調で一様な黄色つば いかさぶたみたいな家々、人間たち、すべての臭い、それか伏せているからで、しかしきっと蝦人形の人物と同様、その ら彼自身の骨をもそれが無差別に包括するかと思われーーと新聞など読んでいないにちがいなく、それと同様に蝦ででき いうわけで彼は ( つまり彼のからだという、彼自身のその一た耳もきっとなにも聞くことができないにちがいなく、その 部分は ) 差しあたってチンパンジーみたいな顔をして、ホテ証拠に彼が四回目にその質問をくりかえしても男はびくとも と、つ ルの玄関脇の歩道にひつばりだした肘つき籐の椅子に坐ってせす、どうやら耳も目も役に立たないようだった。それから いる人物のかたちをとった、彼自身のべつの部分のひとつの今度は二番目の仮定 ( つまり村祭りの見世物小屋の猿の機械 ス 則に突ったって、朝から三度目に ( 学生、ちつばけな男であ人形 ) のほうが適当であるように思われたが、それは男が、 るところの彼自身の一部分が ) なおもおなじ質問をくりかえおよそチンパンジー以外に着せることを考えられないような くぶん喘ぎながら返事を待服装をしていたためばかりでなく、さらに、身動きするとき していて、それから黙りこみ、 回ち ( つまり形体と臭いと音とのその広大で雑然とした混合物の動き方が、まさしくそうした機械人形とおなじ動き方、つ まり歯車装置への送信に必要なかすかな時間的すれを伴って のどこかで、ふたつのぐにやぐにやした袋みたいなものが、 かゆ
追いやっていた。 のように見事に彼らを光らせ、彼らを限定するところの、彼 アルマンの慈愛は、善をなすことにあるのではなかった、 らの力強さの中に、彼らの男性美の中におさまって、自分の プレテ ほればれみと アルマンという観念は、その骨太い筋肉隆々とした託言姿に忽々と見惚れているのだ。一方、そのあいだ、彼らと相 クスト うっそみ 対して、このような激烈な存在と接しつつも少しも傷つけら 材料〔すなわち彼の現身〕から遠ざかっていった結果、やが て、わたしがその中に避難したある種の蒸気体のようなものれることなく、豊満な情婦たちは、ただ彼らの美によって孤 となった。そしてこの避難所はじつに優しい避難所だったの立させられて、彼女自身の中に自分の姿を映しながら、いっ あ で、わたしはそこから世界に宛てた感謝のメッセージを送っまでも彼女たち自身のままでありつづけるのである。わたし はこれらの美男たちを寄せ集めて花束にしてみたい。そして たものだ。わたしは、アルマンなら、リュシアンへのわたし の愛の正当化の論拠を、その是認をわたしに与えてくれただ密閉した花瓶の中に彼らを投げ入れたい。そうしたら、ある いは苛だちが、彼らを孤立させている眼に見えない物質を溶 ろ , っと思 , つ。スティリターノとちがって、彼は、この愛の重 かすかもしれない。そのときこそ、彼らすべてを包摂するア 荷、そしてこの愛の結果生ずべきあらゆることを含めてわた ルマンの影の中で、彼らは初めて花と咲きひらいて、わたし しを包摂したにちがいないと思う。アルマンはわたしを完全 、 ' 彼の慈愛は、したがって、ふつうの道の観念裡のギュイヤーヌが誇りに思うような祭典をわたしに に吸収し尽してした。 / 徳によって認められている美質の一つではなく、それは、わ与えてくれるだろう。 ひせき カトリック教会の秘蹟「聖礼〕 ( この語自身がすでに豪奢 たしがそれを思うにつれていまなおわたしの内部に、数々の ほ、つふつ 安らぎのイメージがそれから生じるところの感動を起させるである ) が、ただ一つだけを除いてすべて荘厳さを髣髴させ ものなのである。わたしはこのことを一言語の経験によって知るということをわたしは不思議に思っているのだが、いまや りえた。 その、悔罪の聖礼「告解礼〕がついに聖祭儀式の中にその当 スティリターノ、ピロルジュ、ミカエリス、その他わたし然占めるべき席を占めようとしている。わたしの少年時代は、 ぎんげ ぜげん 懺悔堂の格子窓の向う側に見える人影 この懺悔礼は、ただ、 己が出会ったあらゆる女衒や悪党たちは、気をゆるしてだらし す しゃべ 日なくしているときでも、厳しくはないが落着きはらった、優と共に行なわれた、腹黒い、恥すべきお喋りと、椅子の上に 泥しさのない、きちんとした様子をしている。央楽のときでさひざまずいて早口に唱えられたいくつかの祈りに限られてい た。今日、それはあらゆる地上的華麗さを伴って行なわれる、 えも、またダンスをしていても、彼らは独りつきりでいる、 それが断頭台への短い遊歩でないならば、この遊歩は発 彼らは彼ら自身の中に自分の姿を映しているのだ、香油 一三ロ ′ ) うしゃ
人がいうと、制服を着た男、「こいつが進歩したっていうん声 ( アメリカ人の声と禿頭の男の声 ) が代わるがわる小ちん だ。だからどんな進歩だって聞いているんだ ? 」、そこでアまりした広場の夜のしじまのなかで答えあい、といっても調 ーのカウンターの向こうでポー メリカ人が、肘掛け椅子に腰かけたままからだをのけそらせ、子を荒らげす、人影のないバ ン つまさき モ 両脚を伸ばし、爪先を組みあわせ、顔の前の煙を片手を振っイが、洗い物をしながらがちゃがちゃとぶつける台皿の音よ シ て払いのけながら、「さあね。連中がどうやってあの男の血りもほんのわすか大きいぐらいで、学生 ( つまりそのとき学 をださせたのかと思うよ。 生だった彼 ) には、、 しまも聞こえるそのふたつの声 ( つまり、 あの男ってだれだ」、アメリカ人の顔はいまは完全によく主張されるように、ひとりの人間とは彼の経験の総体か 陰にとざされて、まったく見えず、彼の声だけがまたしてもら成り立っているのだとすれば、不格好な ( あまりに背が高 彼の顔の前のほうでしゃべっていて、「きみも知っているとすぎ、半白の、というかむしろ半白気味の髪をし、目もやは しわ 思っていたよ。きみもおれたちといっしょにあのバルコニー り灰色すぎ、年のわりには顔に皺が多すぎ、声もいたみすぎ、 にいたんだと思っていたよ。きみも彼の葬式の行列の通るの疲れすぎているという以外彼がなにも知らなかった ) アメリ を見たと思っていたな。あいつは感動的だった。いたるとこカ人というかたちを借りた彼自身の一部分が、なにか制月に ろに彼の名前が書いてあった。たしかサンチャゴとかなんと 似た服を着て、やはり疲れきっている禿頭の男のかたちを借 かいうんじゃなかったかな ? 」、イタリア人がまたしてもも りた彼自身のもうひとつの部分と対話している声が聞こえ、 そもそして、彼の銃を反対の側に移し ( というかむしろ彼のふたりともその古めかしい一郭の、小ちんまりした広場とい ほうが、銃にたいする相対的位置を変え、まるで彼自身がっ うかたちを借りた彼自身の一部分に陣どっていて、その広場 、ただの武器、いやそれどころか武器の付属品、昔のあの一方の縁をふさぐようにして、教会の暗い正面があり ( お けんおび のなんといったろう ( 剣帯じゃなかったかな ? ) その唯一のそらくは火事に見舞われたのだろうが、暗すぎて煙の跡まで しもべ 役割といえば暴力の、死の下僕、というかいわば配達人となは識別できず、しかし正面のコリントまがいの円柱のあいだ きようもん ることであったような道具にすぎなくなってしまったみたい の拱門は板囲いでふさがれ、板囲いはかぶさりあったり破け で ) 、煙草を口のそばへ近づけたまま、ふたたびアメリカ人 たりした宣伝ポスターで蔽われていて、そのひとつに、彼が のほうへかがみこんで、「消えちまったよ : ア坐っているところからでも、禿頭のすこし上の左側に識別す メリカ人が今度は、彼の顔も見ないでぐっと腕をのばして、 ることができたのは、黒っぱい翼をした一台の飛行機と、恐 小型葉巻を彼のほうへ突きだし、ふたりの人間のおちっしオ 、こ布におびえ、涙をいつばいためた顔でそれを見あげているひ へり