人の元気のよい男の子がいた。。ヘレグリヌスは彼らをよく知をたたえて、ペレグリヌスに笑いかけたところよりすると、 4 っていた。 すっとさとりが早いと見えた。子供たちは遠巻きに立ち、一 レンマーヒルトはカールバッハ街の路地奥にある狭い建物つまた一つと贈物が包みから姿を現わすのを食い入るように ン マ の最上階に住んでいた。おりしもまさに身を切る冬の夜風が見つめていたが、しかし、どうにも押さえ切れず、合間あい フ やがて、ペレグリヌ 吹きすさび、あまっさえ、みそれまじりで、ペレグリヌス君まに喜びやら感嘆の叫びを上げた。 レンマーヒル スが、これはだれのもの、こちらはだれのものと、子供たち が、途中、はなはだ難儀したのも無理はない トの住居の窓から、わびしい蝋燭の明るみがチロチロと洩れの年齢に応じて贈物を並べ、蝦燭全部に火をともして、「さ おさなご いた。ペレグリヌス君は急な階段をようよう這い登った。あさ、子供たち、寄ったり寄ったり、幼児キリスト様がくだ 「開けておくれ ! 」ドアを叩いて、彼は叫んだ。「聖キリスト さった贈物だよ ! 」と声をかけたとき、彼らはワッと歓声を 上げ、それでもなお、それらすべてが自分たちのものだとは、 様がよい子たちに贈物をくださるそ ! 」 まだなかなか呑み込めないでいたのだが、跳んだり、はねた 製本屋はおったまげてドアを開いた。目をこらし、まじま じと眺めてから、ようやくその雪まみれの男が。ヘレグリヌスり、大声ではしゃぎ廻り、一方、親方夫婦はなんとして礼を 君であるのに気がついた 述べていいものやらと、ペレグリヌスににじり寄った。 ところで、両親や、それに子供たちのお礼の一言葉ほどにペ 「なんとなんと、テュス様 ! 」親方が驚きの声を張り上げた。 レグリヌス君にとって苦手のものはないのである。だからこ 「キリスト様のありがたい今宵に、これはまたどうしたわけ そ、そのような場合にいつもするように、足音を忍ばせてい 、、冬るのも待ちあえす、ペレグリヌスは、「おい こが、彼がちょうど戸口の前に達 おい、子供たち、おやさしいキリスト様の贈物だよ ! 」と大ち早く立ち去ろうとした。だ したときである、やにわにサッとドアが開いた。そのとたん、 声でよばわった。そして、その小さな部屋のまん中の大きな いし、よう 折りたたみ式のテー。フルの前に仁王立ちして、すぐさま籠か蝦燭の明りを全身に受け、燦と輝く衣裳を着こなした一人の らしつかり包みこんできた贈物をとり出し、テー・フルに積み女性が、彼のつい鼻先に立っていた。 そもそも読者の皆様に、物語に登場する美しい女性の、そ 上げた。濡れそばって水のしたたるクリスマス・ツリーは、 からだ やむなくドアの前に立てかけておいたのである。製本屋ときの身体つきはどうだの、背丈はいかほどだの、身のこなしは たら、はてまたこれがどういうことなのやら、さつばり合点ああだこうだ、目の色、髪の色は何色だのと、ことこまかに 。ゝ、ゝないなりであったが、 女房の方は、目に一杯うれし涙述べ立ててみても、苦労のわりにはさして効果がないもので まわ さん
などもうからきし必要がないというに、負けやしないかと恐かに目を伏せながら、娘はいま一度、御用の向きをたすねた。 れたとはな。そうだとも、ペレグリヌス君、恋人の死にたじロごもり、舌をもつらせ、ようようのことにペレグリヌスが、 ろがす、君が決意をひるがえさなかったときだ、あの瞬間、 ここは製本屋のレンマーヒルトさんのお住居かどうかと訊く きすう かっさい すでに勝敗の帰趨は決していたのだ。喝采を叫ばせとくれ。と、娘が答えていうには、たしかにそのとおりだが、レンマ ただいま 歓声を上げさせとくれ。すべての秘密を解き明かす陽光が射 ーヒルトは只今仕事の用向きで外出中とのこと。ペレグリヌ し込めるとき、もはや何ものにだまされる恐れもないさ」 スはヘどもどしながら、自分が注文した製本のこと、レンマ たた レンマーヒルトの住居のドアをベレグリヌスが叩いたとき、 ーヒルトが仕上げてくれるはずの書物のことを口にし、その 「どうそ ! 」と、おだやかな女性の声がした。ドアを開くと、 うちゃっと落ち着きをとり戻して、アリオストの豪華本を思 きんばく 部屋にはひとり、娘がいるきりで、ペレグリヌスを出迎え、 い出した。それはレンマーヒルトが金箔ちらしの赤いモロッ どのような御用の向きかとやさしくたすねた。 コ革でこしらえてくれることになっていたのである。これを しも おやさしい読者の皆様には、下の次第をお伝えするだ 聞いたとき、娘の全身を電気の火花が駆け抜けたかのようで けにとどめておこう。つまり、この娘は年頃十八歳かそこい あった。勢いよく両の手を打ち合わせ、目に涙を浮かべて、 らで、やや大柄、手足の均斉あくまで見事なすらりとしたた こう叫んだ。「するとーー・あなた様はテュス様でいらっしゃ ちで、髪は明るい褐色、瞳は濃い。フルー、その肌といえば、 る ! 」ーーー彼女は思わずべレグリヌスの手を握ろうとしたが、 ゆり 百合と薔薇とをないまぜて、やさしくしっとりと織り上げたあわてて退き、深い息をついた。それが胸のつかえを下ろし ごとくであった。さらにつけ加えれば、娘の顔であるが、そたのであろう。その清らかな顔に愛らしい朝焼けにまがう澄 のかみ多くのドイツの画家たちが好んで描いたような、乙女んだ微笑が広がり、彼女はペレグリヌスが父の、また母の恩 ペレグリヌス の清らかさと天上の美の秘密を告げるにさながらであった。人であること、そればかりか のやさしさ、彼の親切、先立ってのクリスマス・イヴに、し ペレグリヌスはこの美しい娘の瞳に見入った瞬間、重苦し かなよろこびと慰めを子供たちに与えてくれたか、いかし 方 親 国のやすらぎと晴朗をかいま見させてくれたことかと、感謝 のしいましめを、ある恵み深い力によって解きほぐされる思い 蚤 がした。目の前に光明の天使が立っていて、その手に導かれ、と祝福をまじえつつ息せき切って語るのだった。彼女はつい ・よろこ ひじかけいす 名状しがたい愛の歓びと憧れの国に誘われていくかに思われで、父の肘掛椅子に高々とつんであった書物や書類や帳簿や ほお ペレグリヌスの凝視を受けて、頬を赤らめ、しとや仮綴じ本やらを手早くとり片づけ、その椅子を運び出し、優 あ、一が かりと
。ヘレグリヌスはいかなることを聞き知らねばならなかった 「よに、よかろうさ」と父親はいった。「若いうちに世の中 を知らすばなるまいて。世間で揉まれれば、夢うつつのたわことだろう。要するに、彼がいないあいだに、両親はあいっ いで死に、遺産は裁判所の管理するところとなった。居所の ごとも二度と口にできまいさ」だけど、こんな大変な旅行に は、お金がいくらあっても足りないものだし、足りないと定かならぬペレグリヌスに、フランクフルトに戻るよう、そ ってから行先を書き洩らしていたのを悔やんでもあとの祭だ して父親の遺産を受けとるよう、公示がなされたというので ある。 しと、母親が気を揉むのをテュス氏は一笑に付して、こうい 言葉もなく、ペレグリヌスは隣人の前に立ちつくした。彼 った。「金がなければ、それだけなおのこと、世間というも のがよくわかる。それに自分がどこへ いくのかは書いていな は初めて人生の苦の槍に深々と胸を貫かれた。これまで自分 いにせよ、どこに書き送ったらよいのかは、よもや忘れはせがおもしろおかしく住みついていた美しい世界が、音立てて んだろう 崩れ去るのを見たのである。 この跡とり息子が、いまや必要な手続き一切にからきし無 一体、この息子がどこを旅していたものやら、いまに至る までだれも知らない インドへいったといい張る向きもある。能であるのを隣人は見てとった。そこでひとます自分の家に またある者は、いや、それはやっこさんの思い込みでさ、と案内して、代ってすべてを迅速に処理してくれた。おかげで 反論する。いずれにせよ、遙か遠くにいたことだけはたしかその夜のうちにも、。ヘレグリヌスは両親の古家に落ち着くこ である。両親に約束した一年どころか、まるまる三年たってとができた。 むぎん 疲れはて、また初めて知った無慙な定めに打ちのめされて、 のち、ようやく。ヘレグリヌスはフランクフルトに一民ってきた。 ひじかけいす 。ヘレグリヌスは父親遺愛の大きな肘掛椅子に身を沈めた。そ それも徒歩で、みすばらしい格好で戻ってきたのである。 へれはありし日そのままのところにおかれていた。そのとき、 し。し力なかった。。 見ると家には錠が下り、中にひとのナま、 ヘレグリヌス坊っ レグリヌスは何度も呼鈴を押し、長いことドアを叩いていた。声がした。「よくお戻りになられました、。 ようよう隣人が取引所から帰宅したのをしおに、ひょっとすちゃまーーああ、だけど、せめてもう少し早くお戻りになっ 方 るとテュス氏は、只今旅行中かなんそかとペレグリヌスは問ていたら、どんなにかよかったのに ! 」 の 蚤 ペレグリヌスは顔を上げた。そしてつい眼前に年老いた女 うた。隣人はびつくり仰天、あわてて跳びすさり、こう叫ん 彼女はとび抜けてみつともないはかりに、どこに やっと帰ってきを認めた。 / だ。「あなたがテュスさんの息子さん , も奉公先が見つからす、それを哀れんで父親が、。ヘレグリヌ なさったか。では、何一つ御存知ない ! 」 はる やり
であった。。 ヘレグリヌスの星占いに現われている不可解なも こと、よろしいかな、敬愛するテュスさん、別のことでして つれに関しては、スワンメルダムとてもロイヴェンヘックと な、それもどうやら、うんと素晴らしく、大変うれしいこと ひとしく、かいもくわかってはおらす、ただ彼はペレグリヌでして ! 」 ン マ スのこころの内奥にこそ、謎を解く手がかりがあると考えて スワンメルダムが続いて語るには、ロイヴェンヘックとも フ したかまをかけて手がかりをつかみ、しかるのちロイヴェ ども手をとり合ってよろこんだのだが、可愛いデルティエ・ ンヘックの助けをかりて、。ヘレグリヌスが価値を覚る前にい エルヴァーディンクのペレグリヌス・テュス君に対する純愛 ち早く、このお宝を手に入れる算段であった。彼はその護符を見つけたというのである。これまではだれもがデルティエ ゅびわ がソロモン王の知恵の指環に匹敵するものと確信していた。 をおのれのものと思い込んでいて、だからこそ愛にせよ、結 あの賢王同様に、これを手にするとき、精神界をとどこおり婚にせよ、もってのほかと考え、十人十色の意見をいい立て なくわがものにできると信じていた。 ていたのだが、われら両名はここに考えを改めたのである。 ペレグリヌスは目には目でお返しをした。おとばけに努めペレグリヌスの星占いに歴然と見てとれた。すなわち、彼こ むく るスワンメルダム老人におとばけをもって酬いたのである。そ美しく可愛いデルティエを妻とすべき者にして、そのとき、 えんきよく 挈とつぐう 相手に負けす劣らず婉曲的な言い回しで答えたものだから、人生においていかなる形勢に遭遇しようとも、決して遅れを スワンメルダムはてつきりすでに護符の目覚めが始まっておとることがない。ペレグリヌスが気高いデルティエに対し、 り、自分にもロイヴェンヘックにもお手上げの謎の秘密が、 ひとしく恋ごころに燃え立っていないはすはなく、故にこの いすれ当人に開けてくると考えて気もそぞろのていであった。件はすでに終結を見たも同然のことがらであった。スワンメ せき スワンメルダムは目を落とし、咳払いして、わけのわから ルダムはなお一一一一口葉を継いで、ペレグリヌス・テュスさんこそ つぶや ない一 = ロ葉をぶつぶっと呟 いた。この男はまったくまの悪い情唯一のひとなのであれば、競争者を一掃するなどぞうさもな 、冫にいたのである。考えようと焦れば焦るはど、思考は絶え 麗しの精神とか理髪師とかの強敵も、あなたに対しては すもつれていくのだ。えい、畜生めーーこれは一体どうした ものの数ではないのである。 おれ ことだ。俺に話しているのは、はたしてあのペレグリヌス 。ヘレグリヌスはスワンメルダムの頭の方から読みとったが、 この俺は学識あふれたあのスワンメルダム様か、そレンズ師両名は実際、彼の星占いに、デルティエとの婚姻を れともすっとん狂の驢馬かいな , 動かしがたい必然と認めたつもりでいるらしかった。必然と 死にもの狂いの勇を奮って、彼は再び口をきった。「別のあれば、やむなく認めはすれど、彼らは一見のところ、デル さと
そうてい くり返し席をすすめ、自分もまた彼の真向かいに坐り、編み 雅な身のこなしで席をすすめた。それから綺麗に装幀された アリオストをもってきて、そのモロッコ革を亜麻布でそっと物をとり上げた。 あらし ペレグリヌスは、嵐のさなか、波だっ海に揺られておった。 拭ってからペレグリヌスに手渡し、この製本技術の傑作はさ ン マそかしペレグリヌス様のお気に召すにちがいないと、目を輝「ああ、王女様 ! 」どうしてこうなったのか、自分でもわけ ホ がわからぬままに、彼の口からこの一語がはとばしり、娘は かして眺めていた。 ヘレグリヌスはまるで娘に悪事をはたら ペレグリヌスがポケットから金貨をとり出すのを見て、娘驚いて顔を上げた。。 いたかのような気がして、やおら消え入るような声を振り絞 はロばやにきつばりと、自分は値段を知らないので受けとる レしいかない、むしろ、もしよろしかったら、ペレグリヌり、「いとしく貴いお嬢様 ! 」とよびかけた。 : 父ままも娘は頬を染め、乙女の羞じらいを含みながら、こういった。 ス様はここでしばらくお待ちいただけないものカノ。 ヘレグリヌスには手の中「両親はわたくしをレースヒエンとよんでましてね。ですか なく戻ってくるはずと申し立てた。。 しオオカに田 5 え、 らテュス様も、どうかわたくしをそうよんでくださいましな。 のやくざな金属が溶け合ってむなしい塊こよっこゝ だってわたくしも、あなた様からあんなにもやさしくしてい とり出したときと同様、すばやくボケットにしまい込んだ。 なにげなく彼が幅広いレンマーヒルトの肘掛椅子に腰を据えただき、またあなた様をこころから尊敬もうしあげている子 たとき、娘は自分の椅子に手をさしのべた。これを見てペレ供たちのひとりなのですもの」 「レースヒエン ! 」と、ペレグリヌスはわれを忘れてひと声 グリヌスは、本能的に立ち上がり、その椅子を引き寄せよう とした。と、このとき、彼は椅子の背の代りに娘の手を握っ叫び、あやうく娘の足元にひれ伏すところだったが、それば てしまったのである。思い切ってその手をやさしく握りしめかりはようやくのことで思いとどまった。 た。すると、気のせいか、かすかながらも、つと握り返す手静かに仕事を続けながら娘が語ったところによると、戦 争のため両親が極貧の生活に落ち込んだとき、彼女は隣の田 応えがしたのである。 舎町に住む伯母に引きとられたのだという。数カ月前、その 「ま、この小猫さんったら、おいたさん ! 」こういうなり、 娘は振り返り、床から撚り糸の玉をとり上げた。おりしも猫伯母が亡くなって、それで両親のもとに帰ってきたのであっ が前脚でじゃれついていたものであり、その糸は編みかけのた。 ペレグリヌスはレースヒエンの甘美な声に聞き惚れて、一 編み物に続いていた。無、いに、また無邪気に、彼女は陶然と して夢うつつのペレグリヌスの腕をとり、肘掛椅子に誘って、体何が話されているのやらさえうわの空であった。レンマー
ある。それよりも、こまかいところは一切省いて、そっくり に女というものは、何か奇妙なこと、異常なことに出会って 読者の皆様におまかせする方がすっと、 ししいまこの場合も も、とんととり乱さないもので、たとえびつくりしたとして その伝で、肝をつぶしたペレグリヌスに歩み寄ったこの女生も、すぐさま我に返るものだが、このたびも製本屋の女房が が、いうかいもなく美しく、また上品でと、こう述べるだけまっ先に口をきり、何か御用でございましようかと、美しい にとどめておこう。とはいえ、せめても、この小柄のひとが淑女に問いかけた。 身におびていた、ある種の特徴ばかりはお伝えするといたし さてその女性だが、ついと部屋に入ってきた。すっかり逃 げ腰の。ヘレグリヌスは、その一瞬を利用して、一目散にこの 月というか、やや小柄すぎるというべきか、とは申せ、場から立ち去ろうとした。ところが、その女性ときたら、ペ かれん きやしやで可憐な身体のつくりであった。顔は美しく表情豊レグリヌスの両の手をしつかと握り、甘い小声でささやいた ひとみ かなのだが、ただ瞳が随分と大きく、黒く巧みに彩りされたのだ。「運がよかった、やっとここでお会いできて , まゆげ 。ヘレグリヌス、いとし、 眉毛がこれもまたやたらと鮮やかなために、、 どことなく大円妙一 しいとしいペレグリヌス、お会いでき な、異邦人めいた印象を与えたものである。この小さな淑女て、とってもとってもうれしいわ ! 」 こうささやくと、彼女はやおら右の手を、ちょうど。ヘレグ は舞踏会からの戻りさながらの身なりであった。めかし立て ていたとさえ申そうか。頭し。 こま黒髪を押さえて王冠がのつか リヌスの唇が触れるところまでもち上げた。ために。ヘレグリ り、レースのふち飾りごしにふつくらした乳房が半ばのそき、 ヌスはロづけするしかないのであった。その際、はからすも 藤と黄色の格子模様の絹服が細身の身体にそってびったりと彼の額には、冷汗の粒が浮かんでいた。 やがて彼女が握 ひだ 流れ下り、裾の方は襞をつくって、白い靴をはいた小さな足っていた手をはなしたので、。ヘレグリヌスは逃げ出すことも がわすかに見てとれる。レースの短い袖ロと白いキッドの手できたのだが、ところがどうして、まるでガラガラ蛇に魅入 袋の合間に、 二の腕の眩しいばかりに美しい部分を見せつけ、られた哀れな獣といったところで、足がすくみ、につちもさ っちもいかないのであった。「ねえ、お願い」と、 小さな淑 方さらにうなじには豪華なネックレス、耳には輝く耳飾りとき 女はいった。「いとしいペレグリヌス、お願いだからこの素 て、その見事ないで立ちに隙一つなかった。 蚤 。ヘレグリヌス君とひとしく、製本屋も驚きたまげたが無理敵なお祝いを一緒にさせて欲しいの。あなたの気高い心とや からぬこと、子供たちは手の玩具をとり落とし、あんぐりとさしい心とが、よい子たちにもたらしたこの素敵なお祝いに、 口を開けてこの見知らぬ女性を見つめていた。ところで一体わたくしも何か役立ちたいの」 すき そで ね、
を手に入れたことについては、はてさて、どうであったかしポテンのうちでも、とりわけて麗しい薊のツェヘリトについ ら。 ては、賢明にも口を閉ざしておいた。目下の事情よりすれば、 ゲォルクの目はらんらんと輝き、彼は唇を噛みしめた。お友人のために百害あっても一利なしと判断がついたからであ ン マ でこをヒタヒタと打ち、。 ヘレグリヌスが話し終えるやいなや、る。 フ めいそう ホ憤りの声を張り上げた。「恥知らずめ ! 浮気女め ! あの蚤の親方といえば、すこぶる哲学的で意義深い瞑想にふけ 裏切り女めが ! 」ーーそして恋の重荷にわれとわが身を苦し っていたが、その結論として思えらく、薊のツェヘリトは見 めながら、ペレグリヌスがそれと知らすにさし出した毒の盃かけは荒つばく頑固であるが、実は至極おだやかな、ことの わか につまん から、一滴また一滴とむさばり飲むかのように、デルティエ判る男である。ただいつも少しばかり傲慢なだけだ。薊が。へ のほんのちょっとした動作までも聞きただし、その合間ごと、 レグリヌス君の生活態度を非難したのも、表現がやや強すぎ つぶや こう呟くのであった。「腕の中でだな 乳房のところに たきらいがあるにせよ、つまるところはまったく正当であっ せつぶん 燃えるような接吻だな」 ついで彼は窓べから跳びすて、実際、親方自身、。ヘレグリヌス君に、今後はなるたけ世 まわ さり、房内を駆け廻って、そのさまはさながら狂人であった。 間に出よといってやりたいところであった。 。ヘレグリヌスは懸命に、まあ落ち着いて話の続きを聞き給 「ま、わたしのいうところを信じ給え」と、蚤の親方はかき え、君にうれしいことだっていくらもある、とよびかけたが、 くどいた。「君が孤独から出ていくなら、きっと利益が大き そのかいもなく、ペプシュの狂乱はやむ気配がなかった。 いとも。どうだね、君はもはやビクビクおどっいていると見 このとき部屋のドアが開き、参事会の代議員が現われて、 られる恐れがないではないか 君は目に秘密のレンズをもっ これ以上ペレグリヌス・テュス氏を拘留しておく法的根拠がており、ひとの心中が読めるのだからな。さればどこにいよ 見つからない旨を通告した。もはや自由に帰宅できるのであうとも、びったりうまく調子を合わせることができようって る。 ものじゃないかお歴々の前に出ようともだ、しつかり落ち ペレグリヌスはとり戻した自由をすぐさま行使して、身柄着き払っていられるではないか。連中の内面がつい手の先に 拘束中のゲォルク・ペプシュの身元保証人を買って出た。こ見えているのだからねえ。世間に出て、君が自由に振舞えば、 れは正真正銘のゲォルク・ペプシュにほかならす、かってマ血の巡りもうんとよくなる。ふさぎの虫も退散だ。なかでも あたま ドラスで親密な友清を結びあった仲であり、資産家にして非 い、のは、君の頭脳にさまざまな理念や思想が花咲いて、ガ の打ちどころのない紳士であると証言した。あらゆるひもサマヘーの美しさに目がくらむなんてこともなくなるだろう。
して通り過ぎるべしというのである。 テュス氏御夫妻は永らく子宝に恵まれなかった。ところが、 ともあれ、。ヘレグリヌス君に、余人にはおよそ無縁の奇妙結婚後二十年にもなろうかという矢先に、奥様は玉のような なところが、あれこれとそなわっていたことはたしかである。男の子を生み落とされた。それこそ、われらのペレグリヌ すでに申したとおり、ペレグリヌス・テュス君の父親は世ス・テュス君であったのである。 に聞こえた商人であった。さらにつけ加えていえば、この父両親のよろこびがいかばかりであったか、容易に想像でき 君は央適なロスマルクトに結構な屋敷をかまえていた御当人ようものだ。テュス氏が催した洗礼式の祝宴がいかに華やか であり、まさにその家において、しかもペレグリヌス坊やがであったかと、いまになおフランクフルトの人々はロを揃え ぶどう いつもクリスマスの贈物をいただいていたその同じ部屋におていいそやす。あのときふるまわれた葡萄酒は極上の年代物 うたげ たいかんしき だんな いて、このたびも。ヘレグリヌス旦那様が贈物を拝領なされた に相違なかったし、宴はまるで戴冠式そこのけのにぎわいだ というわけでーー。 - ーと、こういえば、下に続いて述べていく不ったというのである。テュス御老体の死後にもわたる栄誉を 思議な事件の生じたのが、どこあろう、かの有名なマイン河さらに高めたのは、その祝宴に、これまで氏をこころよから まち 畔の麗しの都フランクフルトにはかならない次第は、三歳のず思い、氏の足を引っぱっていた少々の連中のみならす、氏 わか 自身、自分こそが足を引っぱっていると思い込んでいた者た 童子にも判ろうというものだ。 きようえん ペレグリヌス君の両親については、とり立てていうべき何ちをも招待なさったことである。かくして饗宴は握手ぜめ、 もない ごくまっとうな、もの静かな、うしろ指一つ指され仲なおりの宴ともあいなった。だが、ああ、やんぬるかな , る気づかいのない御夫婦であった。大テュス氏の声望は証券善良なテュス老人は御存知なく、つゆだに予感せられなんだ。 取引所においてひときわ高かったが、それはひとえに、氏が氏をかくもよろこばした玉の王子が、やがてまもなく、苦の 少しの狂いもなく確実に投機をなされ、次から次へと富を手たねとなろうとは。 すでに幼いときから、。ヘレグリヌス坊やはまったく変わっ に入れたばかりでなく、その際、ついぞ鼻高々となられはし 方なかったからである。むしろ常と変わらす控え目で、その裕た子であった。というのは、数週間というもの、それもこれ 親福なことは、富におごらず、しわん坊の悪名にも陥られす、といって身体のどこが悪いというわけでもないのに、昼とな さび 蚤身から出た錆のたぐいの不心得な負債者にも、いつも温顔をく夜となく泣きわめいたかと思うと、不意に静かになり、石 失いはしなかったことによって、いやましにはっきりと見てのようにかしこまって身じろぎ一つしないのである。さなが とれた。 ら何一つ目に入らす、耳にも届かないけはいであった。その
レンマーヒルトはうれしさのあまり、親しくべレグリヌスかかえ、ときおり、目を輝かせ、まるで神よりいたたしオ の耳に口を寄せ、こうささやいた。「テュス旦那様、白状いででもあるかのように、ヾ ノター菓子の食べ残しを一口また一 ロとかじっていた。 たしますですよ。白状いたさんことには、胸がこうせつない ン マですからな。 ほら、あの旦那様のアリオストに金箔を切「こいつも少々いかれてやがる ! 」通りすがりのひとりがい ホり込んだのは、実はあれはレースヒエンの仕事なんですよ」 った。その男がペレグリヌスの頭のぐあいに不審を抱いたと これを聞くやいなや、ひょっとして敵に奪われるより早く、しても、彼を悪くとるいわれはなかったのである。 ヘレグリヌ 宝物をわがものとしておこうとでもいうように、。 ペレグリヌス・テュス君が自宅に戻り着いたとき、老アリ そうていばん スはあわてて綺麗なモロッコ革の装幀本に手をのばした。レ ーヌが出迎えて、思わしげな身振りでスワンメルダム氏の部 トアは開いたままであり、その中にペレグリヌ ンマーヒルトはそれをここから立ち去りたい合図と思ったも屋を指した。。 のか、もうしばらくゆっくりなさってはいかがと引きとめた。スは、身じろぎもせず肘掛椅子に坐っているデルティエの姿 しわ 引きとめられたばかりにペレグリヌスは、もうそろそろ立ちを認めた。皺よった顔はすでに墓穴に横たわっている死体の 去らねばと思い至って、急いで製本代金を支払った。いつもそれを思わせた。同じく身じろぎもせす、同様に死体さなが へプシュとス のように、レンマーヒルトは別れの握手をしたのだが、女房ら、デルティエの前の肘掛椅子のそれそれに、。 した もこれにならった。ついでまた、レースヒエンもー 子供ワンメルダムとロイヴェンヘックが坐っていた。「この階下 たちは戸口のドアのところに突っ立っていた。恋は曲者とい はまるで幽霊屋敷ですわ ! 」と老婆がいった。「あのお三人 うとおり、あろうことかべレグリヌスは、一尸口を出かかった はあんなふうにもう一日中坐りつばなし。食べもせす、飲み 際、末の男の子が食べさしで手にもっていたバター菓子の残もせず、ものもいわない。 呼吸だってしてるかどうかし りをもぎとって、一目散に階段を駆け下りていったのである。ら ! 」 「どうしたってのかなあ」その子はすっかりびつくりして、 実際、何やら恐ろしげなこの光景を目にして、いくぶんか 「テュスおじさん、もしお腹がすいてたのならそういってくべレグリヌスは恐布を覚えたが、しかしながら階段を登って いくうちこの悪魔じみた光景は、レースヒエンを見た瞬間よ れればいいのに。そうしたら、ばくのお菓子全部をあげたの きき の り彼が嬉々として泳ぎ入った天上の夢の波打っ海に呑み込ま ペレグリヌス・テュス君は歩一歩とわが家を指して歩いてれてしまったのである。ーー願いや夢や胸のときめきといっ ま、哀れなペレグ たものは友を求めるものである。だが、い いた。重たい四つ折り版の書物を数冊、やっとのことで腕に くせもの かて こ糧
主要登場人物 蚤の親方 ロイヴェンヘック ( 博物学者ロイヴェンヘック ) レジェニ ( 守護神テーテル ) へんさん わたくし日この物語の編纂者。骨の髄まで自由 蚤の曲芸師。 もと、王立劇場のバレエ監督。今は年金生活。 マイスター 人である蚤の世界の代議会の首席、親方。 デルティエ・エルヴァーディング ( 美しいアリー エーゲル ( 蛭王子 ) しやけっ ペレグリヌス・テュス ヌ、王女ガマヘー ) もと、税関吏。今は、瀉血や理髪を業とする。 本編の主人公。かっては美男子ともつばらの評 蚤の曲芸師の姪のオランダ娘。えもいわれぬ気クナルバンティ よわい 判だったが、すでに齢三十六。多大な遺産の相続品と愛らしさで、彼女を見た男たちは、たちまち 宮中枢密顧問官。さる小さな領主の宮廷の、 人であってみれば結婚の相手にことかくまいが、情熱に身をこがすことになる。 わゆるなんでも屋。 きれい あぎみ レンマーヒルト 引っ込み思案で、若く綺麗な女性に話しかけられゲォルク・ペプシュ ( 薊のツェヘリト ) ようものなら、全身がわなわなとふるえだすとい デルティエの魅力にとらえられる、ペレグリヌ 貧しい製本屋の親方。 レースヒエン う体たらく。 スの友人。 老アリーヌ スワンメル ( スワンメルダム ) レンマーヒルトの娘。 ペレグリヌスの乳母。 ペレグリヌス家の間借人。人間嫌い スワンメル 人 ( スワンメルダム ) ロイヴェンヘック る - せ せ さ を の のみ 蚤の親方 レンマーヒルト めい ノ /. を恋 デルティエ リき ( 王女ガ「 ( ー ) ーカ べレグリヌス ( セカキス王 ) 助言 庇護 娘 ペプシュ ( 薊のツェヘリ レースヒエン 恋人ト 】娘 ひる を老アリーヌ レジェニ ( 守護神テーテル ) 宿 エーケル ( 蛭王子 ) 人 友