をさしだし、こういった。わたしにはわかりましたわ、あなを悟らせまいと、急いであのひとのもとを立ち去るはめにな た、おっしやることはすっかりわかりました。 ったのもしばし、まこ。 。だこの喜びはそんなにも狂おしかった。 かっては愛がこの世界を生みだしました。こんどは友情がディオティーマに愛されていると考えると誇らしくて、すっ ン かり夢中になってしまったのだ。 この世界を生むでしよう。 そんなときは高い山に登り、大気をもとめた。広々とした おお、ふたごのディオスクーロイの再来よ、そうなってい へ なかに立っと羽の傷もいえた鷲のようにわたしの精神も飛び つかこのヒュペーリオンの眠る場所を通りすぎたら、しばし 足をとどめて下さい。足をとどめて、とうに灰となり忘れ去まわり、見わたす世界のうえにわがもの顔に翼をひろげた。 られたこのひとのことをほのかに思ってこういって下さい そのすばらしさ ! わたしの炎で地上のものが黄金のように この男もいまここにいれば、われわれのひとりであったろう溶けあわされ、純化され、そこから神々しいものが生まれて くるような気がしたことも数知れない。それほどにも、いのな ヘラルミン , これをわたしはきいたのだ、。 きいてこの身かの喜びは狂おしかった。こどもたちを抱きあげて脈うつ胸 におしつけたり、草花や木々にまであいさつを送ったりした にしみたのだ。なら喜んで死におもむけるのではないだろう ほどだった , 魔法の力を呼びだせたらどんなによかったろ たしかにそうだ , そうだとも , 、まらんもってムいは , つけ う。そうすれば気前よくえさを与える手のまわりに、ものお じする鹿であろうと森に住む野鳥であろうと、家に飼う動物 たのだ。わたしは一度は生きたのだ。これ以上の喜びは神な のように集められたろうにね。こんな具合になにもかもがわ らば耐えられよう、わたしには無理だった。 たしにはいとおしく、幸福にうつつをぬかすほどだった , しかしじキ、にいっき、いが・光のよ , つに消 , んてしまった。挈よっ なると石のようにじっとだまって、悲しみにひしがれ、失わ べラルミンに れたいのちをさがすのだった。嘆こうとは思わなかった。自 あのころのわたしがどうであったかというのだね ? っ分をなぐさめようともしなかった。希望もわたしは投げてし まった。松葉杖がいやでたまらぬ足萎えのように。位くこと さいを得ようとして、すべてを失ったひとのようだった。 もちろん勝利に酔いしれたようになって、ディオティーマもわたしは恥じた。そもそも生きていること自体、恥すかし かった。それでもしまいには涙があふれ、高慢な思いあがり の樹々をあとにしてきたこともたびたびある。わたしの思い
ホフマン 876 わずみ すから偽りを責め立てられた思いがして、あわてて掛蒲団のが鼠を痛めつけるように男をなぶりものにするのです。やさ あなど しいこころづかいのお返しといったら、嘲りと侮りばかりと 中にもぐり込んだ。 いうわけですよ。だからこそ、女がちょっとでも近づくだけ 「無理もない」と、蚤の親方は言葉を継いだ。「君もまた、 王女ガマヘーの魅力にコロリと参ったとしても無理ない話だ。で、ばくの額には冷汗がどっとにじみ出るのです。たしかに ましてや彼女ときたら、君をとり込もうとして、手をかえ品あの美しいアリーヌですね、あなたの一一 = ロ葉によると王女ガマ をかえ愛の秘術を使ったのだから。熱はまだ醒め切っていなヘーとかですが、彼女には何やら特別の事情がからんでいる いとも。ひとり王女ガマヘーに限らない。優美な女性といわようで、あなたがお聞かせくださったところも、ばくの頭に ろう の れる者たちにしてもだ、その身にそなわった手練手管を弄しはとんと呑み込めませんね。まるで夢の中をさまよっている かのようで、あるいは『千夜一夜物語』を読んでいるかのご て、君を恋の網にからめとろうとするものさ。ひたすら自分 とくでもあるのですが さもあらばあれ、いったんあなた のためにだけ、自分の望みをはたすためにだけ生かしておい いかなることがあろうとも、あなたを敵 て、鼻づらとって引き廻そうという算段だ。そうなって見給を守ったからには、 はすば えーーーー哀れなものさね ! ー、ー君の高潔なこころばえが情熱をに引き渡したりしませんとも。あの蓮っ葉女には二度と再び 、ゝ 1 ゞカマヘーのいうがま会いません。固く約束しましよう。なんでしたら、手をこう よく克服できるか否か、それが題た。、、 さしのべますから、あなたもです、手をおもちなら、こちら まに屈服して、君が卑しい奴隷の身分から救い出してくれた、 あの哀れなわが同胞を再びよるべない悲惨な身の上に追い落にさしのべてくださいよ、固い約束の握手を交そうじゃあり きぜん ばくれん こういうと、ペレグリヌス君は掛蒲団からニ とす方をとるか、それとも莫連女の偽りの流し目に毅然と逆ませんか」 らって、わたしの幸せ、またわが同胞の幸せのためにつくそュッと片方の腕をさし出した。 あるじ 「うれしいじゃないかね」と、その小さな、姿の見えぬ主が うとするのか、前者か後者か、二つに一つの選択がかかって どうか後者だと約束しておくれー。ーそうあって欲声を上げた。「これでこそ大安心というものだ。なるほど、 おやゅび しつかと握手というわけにも参らんが、代えて君の右の拇指 しいものだが , オしか。心底からの喜びをあかし立て 「おっしやるとおり」と、ペレグリヌスは掛蒲団を顔から引をチョイと刺そうじゃよ、 きずな き下ろしながら、こう答えた。「蚤の親方さん、おっしやるするためにもだ、われらが友情の絆をなお固く結ぶためにも とおり、女の誘惑ほど恐ろしいものはありませんよ。女とき この瞬間、ペレグリヌス君は右手の拇指にチクリと痛みを たら、揃いもそろって猫つかぶりで、意地悪で、ちょうど猫 かけぶとん 」あギ、け
ヘルダーリン 530 ほこる半神だ。 しかしわたしはなにをいっているのか ? ジャッカルは古 がれき 代の瓦礫の山をうろっきまわり、荒々しい死の歌をうたい叫 び、わたしを夢からゆすぶりさます。 花と咲く祖国に心喜ばせ、心強める男子がうらやましい わたしはといえば、だれかに祖国のことを思いおこさせられ ると、まるで沼に投げこまれたような気もちになる。横たわ ひつぎふた るわたしのうえで棺の蓋をうちつけられた気もちになるのだ。 だれかわたしをさしてギリシア人だと呼びでもするなら、犬 べラルミンに のど の首輪で喉をしめつけられるような思いがするのだ。 ヘラルミン ! ときおりわたしの口からそ , っし なっかしい祖国の大地はまたもやわたしに喜びと悲しみを た嘆きがひとこともれ、ときには怒りのあまり目に一涙を , つか 与えてくれた。 べるや、わけ知り顔の連中がやってくるのだ。それはきみら このところわたしはいつも朝になるとコリントス地峡の高 みつばち ドイツ人のあいだでよく見かけられたが、脳める心は彼らの いところに登ってみる。花々のあいだを飛びまわる蜜蜂のよ うに、よくわたしの魂は、燃えたっ山々の裾のほてりを冷ま格一一 = 口をひとくさり御披露するにはもってこいというやりきれ ない連中で、ひとの苦しみだと思ってわたしにこういっては そうと右に左にうちよせるふたつの海を飛びめぐる。 とね。 このふたつの入江のうちとりわけ一方が、もしわたしが千ひとり御満悦の体なのだ、嘆くなかれ、行動せよ , おお、行動しなかったらどんなによかったことか ! 希望 年も昔にこの高みに立っていたら、わたしを喜ばせてくれた の分だけ、。 とれだけ心豊かでいられたことか , にちがいないのだ。 そうだ、忘れるがいし この世に人間がいることなど。飢 この輝く入江が、雪をいただく百もの峰に朝日をきらめか いつも行く手を妨げられ、千度もいらだちに刺し す荒々しくも壮麗なヘリコーン、パルナソスの山々と、シキえかっえ、 貫かれた心よ ! ふたたびおまえの生まれたところへ帰るが ュオンの野の楽園のあいだを波たてて喜びの街、青春のコリ つも変らぬ自 、自然の腕のなか、ひと知れず美しく、い ントスへとうちよせては、世界のあらゆるところから奪った 富をお気に入りのこの街にうちあげるさまは、さながら勝ち然のなかへ。
ヘルダーリン 604 とうひげつけいじゅ は唐檜と月桂樹ばかりになった。澄みきった空には渡り鳥が わたりをためらい、ぶどう畑や果樹園には、摘みのこした果 実にむらがり喜んでついばむ鳥の姿も見かけられた。天の光 は広々とひらけた空から清らかにふりそそぎ、枝という枝ご しに神聖な太陽がほほえみかけてきた。その名を呼べばいっ でも胸には喜びと感謝の念のわきおこり、その姿を一目見れ ばつらい悲しみもなぐさめられて、気がかりやふさぎの虫か ら魂を清めてもくれた慈悲深い太陽よ。 ディオティーマとわたしはふたりして、お気に入りの小道 をもう一度、ひとつひとったどりなおした。消えたはすの至 福の時が行く先々で迎えてくれた。 わたしたちは過ぎ去った五月のことを思いおこした。あの ころのような大地の姿は見たこともありませんでした、そう ふたりは語りあった。大地はすっかり変ってしまい、無骨な 生地をぬぎすてて、銀色の花の雲となり、喜びあふれるいの ちの炎となりましたね。 ああ ! なにもかも気力と希望に満ちみちていましたわ、 ディオティーマがそういっこ。 いっときも休まず成長して、 べラルミンに 疲れを知らず、このうえもなく幸福で安らかで、ちょうどな にというともなくひとりであそび、他のことは考えないこど アッティカからもどってきたわたしたちは、年のさいごの ものようなありさまでしたわ。 美しい時をしばらくすごした。 これを見ると、とわたしがいった、自然の魂がわかるので ふたりには秋は春の兄弟、燃える炎もおだやかに、悩みと すぎし日の愛の喜びの記憶を祝う季節だった。木の葉はしおす。この静かな炎、大急ぎで燃えあがろうとしながらも、ふ れ、タ映えの色をおび、いつまでも変らぬ緑を見せているのとためらうこの様子を見ますとね。 ド巻 生まれぬことこそなにものにも勝るよの。 してすでにこの世にあれば、すみやかに もと来た方へと戻り行くこそ次善よの。 ( ソボクレス )
卓に並べられている。それを目のあたりにすると、どれもこなじみになった昨夜の贈物がちらばっている。 れも子供たちの想像をはるかにこえたものばかり、手を触れ それから長い冬が過ぎ、春がおとすれ、はてしなくつづく ーーカ るのも憚られる。でも、とうとう手にとって自分のものにす夏がやってくるーーそして母親がふたたび聖なるキリストの タると、こんどはそれを小さな両の手にかかえて一晩じゅうは 話をして、もうじきその祝日がやってくる、このたびもまた イなさず、家じゅう持ってまわって、しまいは肌身離さずべッ聖キリストさまが地上に御来臨になるなどと言いはじめるこ テ ュドの中にまで持って入る。やがて時折、子供たちの夢の中にろになると、子供たちは、この前キリストがおとずれてから いざな もう永遠の時が流れ去ったような気がするのである。あのと まで、大人たちを教会の礼拝へと誘う真夜中の鐘の音が鳴り かす はるかなた 響いて来ると、子供たちは夢の中で、いまや天使たちが空をきの喜びが、もう遙か彼方の茫漠たる霧の向うに霞んでしま 翔けて帰ってゆくところを、あるいはまた、もう世の中のすったかのように思われてくる。 べての子供たちのところをまわりおえてめいめいに素敵な贈 この祝祭はじつに長く余韻を残して、ずっと高齢になって からもその残照が消えることはない。さればこそ、子供たち 物を置いてゆかれた聖キリストさまがちょうど家路につくと がクリスマスを祝い喜ぶときには、わたしたちもまたそれを ころを、想い浮かべているかも知れない。 明けて翌日、キリストの日がおとずれると、子供たちにとそばから眺めてともに喜ぶのである。 小さいけれど鋭 わたしたちの祖国の高い山々のただ中に、 ってそれは晴れがましい一日となる。朝早くからいっとう立 派な服を着せられて、暖かくした部屋に立つ。父母が教会へ く尖った教会の塔のみえるとある小村がある。赤く塗られた 行くために晴着をきる。正午には素晴らしい、一年じゅうの板葺の塔はたくさんの果樹の緑の中から聳え立ち、その赤い に色のために、青く霞んだ山並の中にも遙か遠くからもよくみ どの日よりも上等の食事が出る。ひるすぎか、夕方ちかく だえん は、友人知人らがやって来て、ぐるりに並べた椅子や長椅子える。村は、ほば楕円をなしてひろがるかなり幅広の谷間の に腰を下ろし、たがいに話を交わし、くつろいで窓越しに外ちょうどまん中に位置して、この教会のほかに学校と村役場、 の冬景色を眺めやるかも知れない。そこにはゆっくりとひとそれに一つの広場をとり囲むかたちで建ち並ぶ何軒かの立派 ひらひとひら雪が舞い下り、山の辺りに霧が立ちこめ、血のな家々がある。広場には、石造りの十字架をまん中にいただ ばだいじゅ いて、四本の菩提樹が立ち並ぶ。これらの家々はただの農家 ようにあかい寒々とした太陽がちょうど沈むところであった りする。部屋のあちこちには、椅子や長椅子の上、窓敷居のではない。人間生活に欠かすことのできない、またこの山国 上に、魔法でとびだしたような、しかしいまはもうすっかりの人々のささやかな需要を満たすべく定められた手工業をも とが いたぶき
ていた。もしあなたが手を与えてくださらなければ、わたしを去ったのはこれまでになかったことだ。おお、べラルミ 料はおしまいです》 これこそ喜びというものだった。いのちの静まり、 あのひとはうろたえ、とり乱した。 神々の安らぎ、この世ならぬ不可思議ではかりがたい喜びだ ン ではわたしに、とあのひとはいった、このわたしにヒュ。へ 丿オンはすがろうというのでしようか ? いまはじめて一 こうなってはことばは無益だ。その喜びをたとえるとなん 介の死すべき少女の身以上でありたいと思いますわ。そうで になる ? と問うひとは、それを経験したことのないひとだ。 す、そうなれたらどんなにいいか。でもわたしはあるがまま このような喜びをいいあらわせるものがあるとすればただひ のわたしでしかありません。 とつ、ディオティーマの歌だった。高みと深みの黄金の中庸 おお、そのままであなたはわたしにとってすべてです。そをただようあのひとの歌だった。 うわたしはさけんだ ! おお、レーテの河の岸辺の柳よ ! 楽園の森の夕日に映え 《すべてですって ? 、いにもないことをおっしやって、悪い る細い道よ ! 谷間の流れに咲く百合の花よ ! 止に編むば じゃあ、人間たちのことは ? 結局それだけをあな らの花輪よ , こうした心なごむ時刻にはおまえたちのこと たがスしていらっしやる人間は ? 》 が信じられる。そしてわたしは、いにこういう、あそこでなら 人間ですって ? とわたしはいった。むしろこう思います、おまえはあのひとにまた会えよう、おまえのなくした喜びも、 人間たちこそディオティーマを合一一一一口葉にしてほしいって。そひとつのこさず見つけられよう、と。 してあなたの姿を旗印に描き、こういってほしいと思います、 きようこそこの神々しいものに勝利を ! とね。天使のよう なあなた ! それこそ待ちに待った日というものです ! でて行って、とあのひとはさけんだ、行って、お願い、そ してあなたの変りようは天にお示しになって ! わたしにそ んなに近々とお見せにはならないで。 おわかりになりまして、行って、ねえ、ヒュ。ヘーリオン ? わたしはしたがった。だれがあそこでしたがわすにいられ よう ? わたしはでて行った。こんな具合にあのひとのもと べラルミンに もっともっとこのうえない幸福のことをきみに語ろう。 昔の喜びでこの胸をためし、それが鋼になるまで自分をき たえ、どんな喜びにも耐えられるようにしよう。 ああ ! 喜びはしばしば剣の一撃のように魂をおそうから だ。でもわたしは剣とたわむれよう、たわむれてこれに慣れ
て行く。その秋を、その春を、追放するのは不可能だ。その人のなじみの小唄だ。でも神に見放されたこのものたちに、 一度はいってやればいいのだ。なにもかも不完全だときみら エーテルをほろばす力はきみらにはな、 おお、自然は神々しい ! 好きなだけめちやめちゃにするはいうが、それというのもきみら自身が清らかなものと見れ ン それでも自然は古びす、美しさは美しさのままなのば損わずにいられなくなり、神聖なものなら、がさつな手で さわらずにいられないからだ、と。なにひとっ育たないとき へ またきみらの詩人や芸術家、霊のことをいまだ敬い、美しみらはいうが、そのわけは成長のあの根っこ、神々しい自然 し六」 をたいせつにしないからだ。気苦労は重くのしかかり、 いものを心から愛し、たいせつに育てているすべてのひと、 かいはかりが冷たくおしだまってふくれあがる、まったく生 そんなひとを見るたびに心が痛む。あれほど善良な人たちな この世界に生きる彼らは、ここが自分の家なのによきることは味気ない、そんなふうにきみらはいうが、ひとの そものみたいに生きていて、耐えるひとユリシーズのような行為に力と品位を、苦悩には晴れやかさを、街や家には愛清 と友愛を連んでくれる、あの霊をあなどってはねつけている ありさまだ。ュリシーズは乞食のなりして自分の家の戸口に 以上、そうなるのも当然だ、と。 すわる。なかでは恥知らずの求婚者の一団が広間で騒ぎ、ど だからこそドイツ人は死ぬことをひどく恐れもする。牡蠣 このどいつだ、流浪人などっれてきたのは ? そうたずねて のようないのちのためなら、どんな恥でも忍ぶのだ。つぎは いる、それと同じだ。 愛と精神と希望にみちて、ムーサの使徒らはドイツ人のあぎ細工のこしらえもの以上を知らない彼らだ。 おお、べラルミン ! 美しいものを愛し、芸術家にやどる いだでも育ちはする。だが七年後を見るがよい。影のような ありさまでうろついている。だまりこくって、冷えきって、霊を敬う人々のいるところ、そこならいのちを吹きこむ風の ように、すべてのものに精神が通っている。そこでなら内気 敵の手が塩をまき、草一本はえぬようにした耕地のようだ。 十・いけ・れ その彼らが口をひらけば、ああ ! なまじ彼らのことばがわさもこわばりを解く。うぬばれは消え、心という心は敬虔で かるのはつらい。成長をさまたげられた美しい精神が、さま偉大になり、感激のさなかから英雄が生まれでる。そんな たげた当の野蛮人らと、怒れる巨人の力をふりしばり、変幻人々の住むところこそあらゆるひとの故郷となる。異郷のも 自在のプロテウスの秘術をつくして、絶望的な一戦を交えるのも喜んで長くその地にとどまるのだ。だが崇高な自然や芸 術家がこれほど辱しめをうけるとき、ああ ! そこではいの のを見るのはつらいことだ。 かんべき この地上で完璧を期すのは無理というもの、これがドイツちの最上の喜びが奪われている。そうなればどの星だろうと ′一じき
仮し こ、ばくが彼女の・ おお、われを創りたもうた神よ、 祐もしあなたが私のためにその至福をお与え下さったのであっ テたなら、わが一生は絶え間なき感謝の祈りとこそなったであ 八月四日 ゲり亠まーしょ , っこ。 。いえ、御意志をあらがいは致しません。お赦 むな し - 下さい この涙を、わが空しき望みを ! が、彼女がわ ばくばかりではない。すべての人間が、その希望において が妻であったなら ! あの比類なくいとしき人を、わが腕に裏切られ、その期待において欺かれるのだ。ばくは菩提樹の かき抱くことができたなら アルベルトが彼女のほっそ下で会ったあの善良な婦人を訪ねた。一番年上の男の子が駆 りした腰に手をまわす時、ヴィルヘルムよ、ばくの身体を戦け寄ってばくを迎えた。その喜びの叫びに母親も出てきたが、 だんな 慄が貫く。 彼女はたいへん打ちひしがれて見えた。旦那さま、ああ、私 なぜ そして : これは言っていいことだろうか ? 何故いけのハンスは死んでしまいましたーーーそれが彼女の最初の一一 = ロ葉 ないことがあろう、ヴィルヘルムよ ? そうだ、彼女はばく たった。ハンスは一番下の男の子だった。ばくは声をのんだ。 と一緒なら、はるかに仕合せになったはずなのだ ! おお、 そして、うちの人は、と彼女は言った、スイスから何の 彼は彼女の胸の願いのすべてを充たしうる人間ではない。感成果もなく戻って参りましたが、ひとさまの親切なしには乞 受性におけるある種の欠陥ーーーどうとでも解釈してくれてい食をしてこなければならないところでした。旅の途中で熱病 いが、確かに欠陥だ。例えば一冊の愛すべき本を共に読む時、にかかりまして。 ばくは何ひとっ言うことができず、子 りん 1 」 まさに、おお、ばくの胸とロッテの胸が共感に燃えてひとっ供にわずかなものを与え、せめて林檎でもという彼女の一 = ロ葉 に溶け合う一節、その同じ一節を読みながら、彼の胸は共に に従っていくつかを受け取り、そして、悲しい記億に充たさ 高鳴ろうとしない。そしてまた、他の幾百もの折々、例えばれた土地を去るばかりだった。 誰かの言動に触発されて、ばくら二人の感情が自すと外へ現 われずにはいないような機会においても、彼の胸は動こうと 愛するヴィルヘルムよ ! ーーーー彼はロッテを心から愛 している。それは本当だ。そして、あれほどの愛清ならば、 何を得ても不思議ではないが 何とも不愉快な客が邪魔に入った。涙は乾いた。心は散っ りつ おの ゆる せん じき た。さよなら、愛する友よ。 八月二十一日 てのひら ばくの心は掌をかえす間もなく振れ動く。時折、生につ よろこ いての脱ばしい眺望が再び生き生きと、いにきざす。が、ああ、 ただ一瞬の間だ , ばんやりと夢にも似た思いのなかへ迷
べきタベの数々、そして、次第に育ち行くのを眺めて喜んだ眼をそそぎ、その小さな存在のうちに、彼らがやがて是非と 良き日々のすべてーー彼はそれらの朝とタベと日々のすべても必要とするだろうすべての徳、すべてのカの隠された芽を を、ただひとつの瞬間のうちに再びみな味わいかえすのだ。見出す。ばくは、その意地っ張りのなかには未来の堪えて屈 きまま せざる性格が、その気儘さのなかには世の危険を乗り切って かったっ 行く闊達にして自由の性分が、少しもそこなわれぬまま、す 六月二十九日 べてまったき姿のままに、隠されてあるのを見る。そうする とばくは、くりかえしくりかえし、人類の教師たる御方のあ おととい、医者が町からロッテの父親の館にやってきて、 ばくがロッテの弟や妺たちと地べたでふざけまわっているのの金言を言わすにはいられない。なんじら、もし幼な子のひ とりのごとくならすばー だのにばくらは、友よ、彼ら、ば を見つけた。 子供たちはばくにからみついたり、ばくをつつ くらと同等にして、ばくらの原型とも見るべき彼らを、まる ついたりの大騒ぎで、ばくの方も子供たちをくすぐり返した り、子供たちと一緒になって大声を挙げたりして騒いでいたでばくらに従属するものであるかのように扱っている。子供 では、ばくらは音 5 のだ。そのドクトルは、客にも棒にもかからぬ形式主義者で、たちは自分の意志を持ってはならぬ , ひだ 志を持たないとでも一一一一口うのか ? そして、どこにばくらの特 しゃべりながらもシャツの飾りカフスの襞を正し、胸元の襞 ばくらが年上で、より分別がある し糸オオカ権の根拠があろうか ? 飾りをしきりとつまんで引っぱり出すと、う申士。こっこ、、ゝ、 カらカ ! 天にまします神よ、そなたの眼に映るのは、た この大騒ぎを見て、品位ある人間の行ないとは認められぬと 判断なさったらしい。その鼻先の表清で、ばくにはそれが判だ大きな子供らと小さな子供らだけでありましよう。そして、 ばくはそんなことにはお構いなく、ドクトルにはそれらの子供らのどちらにそなたのより大きな喜びがあるか は、そなたの御子なる御方のっとに言いたもうたところです。 悩この上ない正論を勝手に論じさせておき、子供たちの崩した の カルタの城を築き直してやっていた。そのあとドクトル先生だが、人々は御子を信じながら、御子の一一 = ロ葉に耳を傾けるこ ルは町へ帰って行き、おおいに嘆いてまわったものだ。郡長のとはないのですーー今に始まることではなくーーそして人々 は自らの子を自らに似せて育て上げーーーさようなら、ヴィル ヴところの子供たちはただでさえ甘やかされていたのに、ヴェ ヘルム。ばくはもうこれ以上、このことをあげつらいたくな ルテルのせいで、もう手のつけようがない 若 そうなのだよ、愛するヴィルヘルム。この地上でばくの心 にいちばん近しいのは、子供たちなのだ。ばくは子供たちに
ちょうど大風が若木の森をなぎ払うようだ。わたしがまさに くれた。頭上にはゆったりとのびやかに銀の雲が流れすぎ、 判それだった。 遠くからは海の潮がかすかにここまでひびいてきた。そうし あらし おお、古代人の偉大さは嵐のようにわたしの頭をかがめさ たときわたしの心は自分の愛が生みだした大いなる幻影と、 ン せ、わたしの顔から華を奪った。しばしばわたしはだれの目なんと親しくむつみあったことだろう ! も見てないところで、身を投げだし涙にくれた。それは伐り さらば、天上のものたちょ ! 朝の光の旋律が頭上かすか へ たおされて川辺におかれ、枯れた樹冠を流れにひたす一本の に鳴りだすと、そうわたしは、いのなかでいったものだ。さよ もみ ばくはきみらについて行きた うなら、栄光の死者たちょ , 樅の木のようだった。偉大な男子の一生からほんの一瞬でい この世紀がくれたものは払いおとし、もっと自由な影の 血であがなうことができたのなら ! そうは願っても、しかしなんの役に立っ ? だれひとりわ国にでかけたいのだ , だがいまなおわたしは鎖につながれ、焦がれ苦しみ、渇き たしを必要とはしなかったのだ。 おお、このようにうちのめされた自分の姿を目にするのはのまえにさしだされればみすばらしい鉢でもひつつかみ、苦 い喜びとともにそれを飲みはす。 つらいことだ。これが理解できないひとは、もうたすねるな。 ちょう そして蝶のようにただ喜ぶために造ってもらったと自然に感 謝し、ここを去り、二度と苦痛や不幸について語らぬがいい はえ わたしはわたしの英雄たちを愛していたが、それは蠅が光 をもとめる具合だった。危険な彼らに近づこうとしては逃れ、 逃れてはまた近づいた。 傷ついて流れにとびこむ鹿のように、わたしはよく喜びの 渦のさなかにとびこんで胸の燃える思いを冷やし、名誉を得 アダマスが去って以来、島はことに狭苦しく感じられた。 て偉大になりたいという、心のなかを荒れ狂う途方もない夢 もともとその少しまえから、ティーナで退屈していたのだ。 を洗いおとした。しかしそれがなんになったか ? そしてよく夜中になると熱し 心に急きたてられて庭におり、わたしは世の中にでかけたかった。 なら手はじめにスミュルナの街へ行くがよい、わたしの父 しっとりと露をおびた木々のもとに行く、すると泉のささや く子守歌や心地よい夜気、月の光がわたしの思いをなだめてはそういった。そこで航海といくさの術を学ぶがよい。教養 べ一フルミンに