に暮らして行く気持ちがどんなものか、おまえにわかるか し、やがて月光をあびている広野の果てに消えて行きました おれもいっか、人にやれないようなことをやってみた 失われた、まだ失われない、東の方ポーランドのほうへ いものだよ。おまえが今やってみせたようなことを、独力で 馬を駆っているのでした、月の光を浴びながら。 わたくしたちはあえぎながら待ちました。するとやがて、やってみせたいな。そうして新聞に活字で印刷されたいな。 ふたたび平穏な夜が立ち返り、空がふたたび閉じて、とうのこれをなせるはゴットフリート・フォン・ヴィトラルな 昔に消滅した騎兵隊を最後の攻撃へ奮起させたあの光が、雲り ! 」 マツェラート氏が笑ったので、わたくしは腹がたちました。 に遮られて見えなくなりました。ここで、わたくしは初めて 立ちあがりました。そして、月の影響力を過小評価したわけ彼は仰向けに寝ころび、背中のこぶで柔らかい土をほじった ではありませんが、マツェラート氏に向って彼の大成功を祝り、両手で草をむしってそれを空中へ投げあげたりしながら、 なんでもやれる超人的な神のように笑ったのです、「いい いました。彼は、しかしくたびれたような、しょげたような も、お安いご用だ , ここに書類鞄がある ! よくまあ、ポ 態度でわたくしを制しました、「成功だって ? ゴットフリ ーランド騎兵隊の蹄の下敷きにならなかったものさ。この鞄 ート。ばくは、成功にはもううんざりしてるんだ。一度でい いから、成功しなけりやいいんだが。それがとてもむずかしをおまえにやるよ。この革の中には薬指の入ったガラス瓶が しまってある。これを全部鞄ごと持って、ゲレスハイムへ走 くて、たいへんな仕事なんだ」 って行くんだ。あそこには、相変らず煌々と電灯をともした わたくしにはこの言い草が気に入りませんでした。わたく しなどは勤勉な人間の部類に入りながら、しかも一度も成功市電が止まっているはすだから、それに乗って、おれの贈り したためしがないのですから。わたくしにはマツェラート氏物を土産にフュルステンヴァルの警察本部へ行って、訴えて 出るんだ。そうすりや、たちまち明日にはおまえの名前が全 が忘恩の徒のように思われました。それでわたくしは彼を非 部の新聞紙上を賑わすだろうよ」 鼓難いたしました、「おまえは思いあがってるそ、オスカル ! 」 初め、わたくしはこの申し出にすぐには応じす、異議を申 のと、わたくしはわざとそんざいな一一一一口葉を使いました。当時、 キ わたくしたちはもう貴様とおれで呼び合う間柄だったのです。し立てました、第一、彼はこのガラスに入った指がなければ つばいだ。おまえは名をあ暮らして行けないだろう、と。しかし彼はわたくしを安心さ 「どの新聞にもおまえのことがい ・及まそも絜」も化のことにはも , っ飽キ、飽きし しかし、新聞にせて言いました。彳。 げた。おれはここで金の話などしたくない せつこうぞう たし、それに、 いざとなれば数個の石膏像もある、そればか ものせてもらえないこのおれが、成功者のおまえといっしょ
ました。 カラス瓶入りの書類鞄を持っておりるよ エノ、、に頼みオした、、、 「末だに彼は度の合う眼鏡を見つけられなかったんだな。彼うに。 まだいつまでも電灯がともっている市電を後にして、わた はひどい近眼だから。彼らに撃たれるときだって、彼はとん でもないほうを見つめていることだろうよ」。わたくしは刑くしたちは刑吏と犠牲者の後からついて行きました。 吏たちが武器を持っていないものと思いました。しかしマッ菜園の垣に沿って行くのでした。わたくしは疲れてまいり エラート氏には、二人の緑帽のマントがかさばってふくらんました。前の三人が立ち止まったとき、わたくしは気がっき でいるのが気になるようでした。 ました、彼らはわたくしの母の家庭菜園を射殺場に選んだの 「あの男は、ダンツイヒのポーランド郵便局で書留郵便配達です。マツェラート氏ばかりではなく、わたくしも抗議いた し、ました。 / イ 皮らはそんなことにはお構いなく、もともと腐っ までは西ドイツ郵便局で同じ仕事をし 人をしていたんだ。い 一く ている。ところが、仕事が終ってから彼らに追いまわされる。ていた木の柵を押し倒して、マツェラート氏が可哀そうなヴ えだまた それというのも、射殺命令書などというものが相変らず存在イクトルと呼ぶあの半盲男を、林檎の木のわたくしの枝叉の しているからだ」 下に縛りつけ、わたくしたちがなおも抗議をつづけますと、 しわ わたくしは、マツェラート氏の言うことが全部が全部理解懐中電灯の光であの皺だらけの射殺命令書を再度わたくした できたわけではありませんが、しかし氏に約束いたしました、ちに示しました。それにはツェレヴスキーという名の軍法会 議長官のサインがありました。日付欄には、たしかツォポト、 彼といっしょに射撃の現場に立ち会い、できればいっしょに 三九年十月五日とありました。スタンプ印もちゃんとしてお 力を合わせて射撃を妨害してやろうと。 ガラス工場の背後から家庭菜園へかかろうとする辺りですり、文句のつけようがありませんでした。しかしわたくした りん一 月が出ていれば、林檎の木のあるわたくしの母の庭園をちは、国際連合やら、デモクラシーやら、連帯責任やら、ア デナウアーやら、いろいろな話を持ちだしました。しかし、 鼓見ることができたでしよう。ーーそこで、わたくしは市電にプ のレーキをかけて車内へ叫びました、「降車ねがいます、終点片方の緑帽がわたくしたちの抗議をすべてこう言って一掃し キ です ! 」。彼らもおとなしく、緑帽と黒リポンを頭にのせてました。わたくしたちはこの件に介入してはならない、 出てきました。半盲の男は、またしても踏み板がわからなく平和条約が締結されていないのだ、彼もわたくしたちとまっ て苦労していました。それからマツェラート氏がおりたのでたく同様アデナウアーを選ぶ、しかしこの命令に関していえ ば、やはりこの命令は効力を持っているのだ、彼らはその書 すが、おりる前に上着の下から太鼓を引きだし、おりぎわに
にも起こらなかった。引き船の上では、 いかだ師同士、火夫きよう。両者とも不安だったのだ。コリャイチェクよりはむ だしゅ といかだ師のあいだ、舵手同士、火夫と船長のあいだ、船長しろデュカーホフのほうが。というのは彼らはロシアにいた と絶えす交替する水先案内人のあいだで、むろん、男同士のからだ。デュカーホフは、かっての哀れなヴランカのように、 ス ラ そしてばくたちは グあいだでは当り前だといわれていること、いやおそらく現に甲板から墜落したかもしれなかった、 そうであることが、いろいろ起こったことだろう。ばくにだ 今やキエフについたのだが こんな材木でできた迷宮に迷 って、カシューブのいかだ師たちとシュテッティン生まれの いこんだら、おのれの守護神を見失うかもしれぬほど見渡す 舵手との喧嘩を想像することができる。おそらく大騒ぎにな かぎり材木だらけの大きな木場では、彼は一突きされただけ るところだったろう。つまり、上甲板に集まり、くじを引き、で、突然、支えを失った一人ばっちの材木と化したことだろ 合一一一一口葉をかけ合い、そり身の短刀をといだというわけだ。 う , ーー・あるいは、救いあげられるということもありえたろう。 その話はこれくらいにしておこう。政治的な争い ドイ救うのはコリャイチェクのような男で、彼は最初プリーベト にんじようざた ツ・ポーランド間の刃傷沙汰が起こったわけでもないし、社河か。フク河で製材所の親方を釣りあげ、守護神のいなくなっ 会的弊害から生じた大暴動という活劇が始まったわけでもな たキエフの木場では最後の瞬間にデュカーホフをさっと引き なだれ おば い。「ラダウネ号」は石炭をたらふく食いながら、せっせと もどし、材木の雪崩の進路から助けだしたことだろう。溺れ 進んだ、一度ーープロックを過ぎたばかりの所だったと思う かかったか、あるいはつぶされかけたデュカーホフが、眼に 砂洲に乗りあげたが、 自力で脱出することができた。死の影を宿しながら青息吐息で、ヴランカと自称する男の耳 ノイファールヴァッサー出の船長バルブッシュとウクライナもとに「ありがとう、コリャイチェク、ありがとう」と囁く、 の水先案内人とのあいだで短い一一一一口葉がかわされたのがすべてそれから、しかるべく思い入れがあったのち、「これでおあ であったーーそして、航海日誌には報告すべきことはもはや けりはついた」と言うーー , 今こんな光景を報告で ほとんど見当たらないようである。 きたら、なんとすばらしいことだろう。 ま たが、もしコリャイチェクの記憶にある航海日誌か、ある そして彼らは苦い友情を噛みしめ、間が悪そうに微笑し、 ひもと いはさらに製材所の親方デュカーホフの心の日記を繙かずに ほとんど涙をきらきらさせた男の眼で見つめ合ったことだろ はらん はいられす、繙こうとするならば、その中には変化と波瀾、う。はにかみながら、タコだらけの手で握手をかわしたこと さいギ一 」ろ ; っ 疑心暗鬼と確信がたつぶり見いだされるだろう。猜疑し、ほ ちょうだい とんど同時にさっとそれが消えるさまを書きしるすことがで ばくたちはこのような光景を、よくできたお涙頂戴映画 0
がら、確信することができた、オスカルが眠っているあいだては、これに反駁し、こうした噂を伝説の国へ追放しなけれ 、塵払いたちが、イエスの名において、党の資金や食糧品ばならない。 ス配給券や、もっと大事な公用スタンプ、印刷した書式用紙と裁判のときには、七月二十日のヒトラー暗殺事件の共謀者 グかヒトラー青少年団バトロールの隊員名簿などを盗みだすに たちとの関係まで問われる始末だった。ブッテの父親である 相違ないと。 アウグスト・フォン・ブットカーマーが、ロンメル将軍とご シュテルテべーカーとモールケーネが、偽造した証明書をく親しい関係にあり、自殺をとげていたからである。ブッテ 使って、いろいろ馬鹿げたことを仕出かすのを、ばくは大目が戦争中、父親に会ったのは四度か五度で、いつもあわただ にみてやった。 一味の大敵はなんといってもバトロール隊でしくてそのつど階級章が変っているのに気づいたくらいで終 あった。だから、この相手を気のむくままに捕えて、塵払い ってしまったのだが、ばくたちの裁判のときになって初めて、 をしてやることは 担当者のコーレンクラウの表現を借り くわしいことがわかった。この将校の身の上話など、ばくた ればーーー彼らのきんたまを磨いてやることは、ばくに言わせちには、けつきよくどうでもよいことだったが、ブッテは恥 れば、当然のことなのであった。 にいたコーレ も外聞もなく大声をあげて泣きだしたので、隣 ' こうした攻撃は、しかし、いわば前座にすぎず、ばくのほ ンクラウが裁判官たちの前で、彼の塵払いをしなければなら ↓な、かつわ」。 んとうの計画とはぜんぜん関係がなかったから、ともかくば くは傍観者の態度をとった。だから四四年の九月に。ハトロー ばくたちの活動中、一度だけ大人たちが接触を求めてきた ル隊の高官二名を縛って、その一人は泣く子もだまるヘルム ことがあった。造船所の労働者たちであったがーー共産党系 ート・ナイトベルクだったが、牛橋上流のモットラウ河へ沈であるらしいことにばくはすぐ気づいた・ーー彼らはばくた めたのが、塵払いたちの仕業だったかどうかを証一言することちの仲間であるシッヒャウ造船所の見習工たちに影響を及ば 、もば / 、にはできない。 して、ばくたちを赤色地下運動へ誘いこもうと試みた。見習 塵払いたちとライン河畔ケルンのエーデルワイス海賊団とエたちはその気になった。しかし、高校生たちは政治的傾向 はんばっ トウーフラー のあいだにつながりがあったとか、 ハイデ地というものにはすべて反撥した。空軍補助員をやっているミ 域のポーランド人。ハルチザンたちがばくたちの活動に影響をスターは、塵払い団きっての皮肉屋で理論家であったが、グ うわ ) 与え指導までした、などということが、後に噂にあがったが、 ループの会合のとき、彼の見解を次のように公式化した、 オスカル兼イエスとして一味を二重に代表しているばくとし「われわれは、そもそも、政党などとはいっさい無関係であ はんばく
リキの太鼓の受け継ぎは、前途有為な若者にとって、食料品待っているみんなを訪ねることもできるんだぜ」 店の受け継ぎ同様、いやでたまらぬことであるかもしれない するとクルト坊やはスカートの下で身をのりだし、感嘆の め のだった。 眼をむいて、父親たるばくに礼儀正しく質問して説明を求め そうオスカルは今日では考えている。しかし、当時は彼のたかもしれない。 きれい 願いはただ一つだった。太鼓を叩く父のかたわらに、太鼓を 「あの綺麗な女の人はね」とオスカルは囁いたかもしれない、 叩く息子を配することであり、二人で太鼓を叩きながら、下「ほら、真ん中に坐って綺麗な手をもてあそんでいる、こち から大人たちを見物してやることであり、絶えることのない らが涙ぐみたくなるほど優しい卵形の顔をしている人、あれ 鼓手王朝を確立することであった。なんといっても、ばくのがばくの可哀そうな母、おまえの優しいおばあちゃんにあた うなぎ 仕事は赤白に塗りわけた。フリキによって、世代から世代へとる人なんだ。鰻のスープ料理のために死んだのか、でなけれ ば心があんまり優しすぎたために死んでしまったのさ」 伝達されてしかるべきなのである。 「それから ? ばくた それから ? 」とクルト坊やはせきたて どのような生活がばくたちを待っていただろう ! ちは肩を並べて、しかしまた、リ 男々の部屋で、二人いっしょ たかもしれない。「あの大きな口ひげのおじいさんはだれ ? 」 いわくありげにばくは声をひそめたかもしれない、「あれ に、あるいはまた彼はラーベス通り、ばくはルイーゼ通り、 彼は地下室でばくは屋根裏部屋、クルト坊やは台所で、オスはおまえのひいおじいさんで、ヨーゼフ・コリャイチェクと まゆ カルはトイレット、といったぐあいに、父と急子は所をへだ いう人さ。ごらん、放火犯人の眼がぎらぎら光ってるよ。眉 て、またときにはいっしょになって、プリキの太鼓を叩くこのあたりにはポーランド人の厳かな自負と、カシューブ人の ともできただろうし、うまくすると二人いっしょにばくの祖現実的な抜け目なさがうかがえるだろう。それにね、彼の足 そうそば 母で彼の曾祖母にあたるアンナ・コリャイチェクのスカートの指には水かきがついているんだ。一三年、というと、『コ の下にもぐりこみ、そこに腰をおちつけて太鼓を叩き、腐り ロンプス号』が進水した年だがね、この年に彼はいかだの下 にもぐって長いこと泳がなけりゃならなかったんだが、とう 太かけたバターの匂いを嗅ぐことだってできたかもしれない。 キ彼女の入口の前にしやがみこみながら、ばくはクルト坊やに とうアメリカに渡って百万長者になったのさ。それでも、と プ向って言ったかもしれぬ、「ほら、のぞいてごらん、坊や。きどき彼は海へ乗りだし、泳いで帰ってきてここに潜ること あそこからばくたちは出てきたんだよ。おまえがお利口にし があるのだ、ここは放火犯人であった彼が、初めて隠しても ていれば、一時間かそこいら、あそこにもどって、あそこでらい、そして彼の一部をばくの母に施した場所なんだ」 さや
うめ ちもやってきた。このまことにヨーロッパ的な居酒屋で給仕かね」と彼女は、苦しい息を吐き、呻き声を立てているヘル ベルトの耳にいやみをいった。しかし彼女は、黒いニス塗り をやるということは、危険が伴わないわけではなかった。 ーン、オーラ」で積んだ経験があったればこその額縁の中のあの男が、どこでどのような最期を遂げたのか、 ヘルベルトはファールヴァッサーにくる前、その三級のあるいはおそらく最期を求めたのか、けっしてはっきりとは 「スウェーデン屋」に渦言わなかった。 ダンスホールで給仕をしていた 「今度の相手はだれだったの」腕組みをした灰色の鼠は知ろ 巻く数カ国語の混乱を、英語とポーランド語の片言を織りま , っとした。 ぜた彼の低ドイツ語の田舎一一一一口葉で取りしきることができたの つものとおり」へ 「スウェーデンとノルウェーの野郎さ、い である。それでも、彼の意志に反して、その代り無料で、月 ルベルトは寝返りを打った。そしてべッドがきしんだ。 に一、二度は救急車が彼を家に運んだ。 いつもあいったちだけだ つも、いつもだ , そういうとき、ヘルベルトは百キロもあったからなのであ「まったく、い はらば るが、腹匍いに寝て、苦しい息をし、数日間彼のべッドに負なんてお言いじゃないよ。この前は練習艦のやつだった、な 担をかけなければならなかった。そのような日には、トルツんてったつけ、ほら、言ってごらん、ね、『シュラーゲター』 しか インスキーかあちゃんは絶え間なく叱っていたが、 寝食を忘だった、なにを言ったんだっけ、そお、あんたはスウェーデ れたように彼の面倒を見た。そして看病しながら、彼の包帯ンとノルウェーのやつの話をしてる」 ヘルベルトの耳はーーばくには彼の顔は見えなかった を取り替えた後で必ず、彼女のまげから引き抜いた一本の編 み棒で、彼のべッドと向い合わせにかかっているガラスのは裏まで赤くなった、「あのドイツのやつら、いつも大口を叩 まじめ いちゃ、でけえつらをしやがる」 まった肖像をとんとんと叩いた。それは真面目で強情な眼を 「ほっときなよ、若いのなんか。あんたとなんの関係がある し、ロひげを生やした男の修正を施された写真だった、その 鼓男はばくのアルバムの最初のほうのページに賺 0 てあるあののよ。あの人たちが外出したのに町で会うけど、いつもきち んとしてるように見えるがねえ。また例のレーニンの考えと 太ロひげの男の一部によく似ていた。 キ しかし、トルツインスキーかあちゃんの編み棒が指さしたやらを話したんじゃないかい、それともスペイン市民戦争に ・フ その紳士はばくの家族の一員ではなく、ヘルベルトとグステ余計な口でも入れたんだろう」 ヘルベルトはそれ以上答えなかった。トルツインスキーか とフリツッとマリーアの父親だった。 「あんたも、あんたのお父さんが死になさったように死ぬのあちゃんは麦芽コーヒーを取りに、台所へ足を引きずって行 「ライトハ
の、オスカルが太鼓の撥でドアの鏡板をノックすると必ず彼まにしか姿を見せなかった。入れ代り立ち代りべッドを提供 女が開けてくれるのであった。 してくれる少女を二、三人持っていて、彼はその少女たちと 「そんなに強く叩くんじゃないよ、オスカルちゃん。ヘーベオーラの「ライトバー ン」に踊りに一打った。・伐はアパートの ス ラルトがまだ眠ってるんだ、またゆうべきっかったんだよ、車中庭に青いウィーン人という種類の兎を飼っていたが、世話 で送られてきたんだからね」。彳 皮女はばくを居間に入れ、麦をするのはトルツインスキーかあちゃんだった。フリツツは 芽コーヒーとミルクを注いでくれ、糸をつけた茶色の氷砂糖女友だちとの付き合いで手がいつばいだったのである。グス もひとかけら、コーヒーにひたしたり嘗めたりするためにばテは三十歳くらいになるおとなしい女で、中央駅前のエーデ くによこした。ばくはコーヒーを飲み、氷砂糖をしゃぶって、ン・ホテルのメイドだった。相変らす末婚の彼女は、その一 太鼓はおとなしくさせておいた。 級ホテルの従業員がすべてそうであるように、エーデン・ビ トルツインスキーかあちゃんの顔は小さな丸顔で、薄くな ルの最上階に住んでいた。最後にいちばん上のヘルベルトだ った灰色の髪の毛がすだれのようにのっているだけだったか が、母親のところに住んでいるのは彼一人だけであった ら、薔薇色の皮膚が透けて光っていた。ほんのわずかな髪のときどき泊まることのある機械組立てエフリツツを除いての 毛が途方もなく飛びだしている後頭部の一点に束ねられてい 舌だが。彼は港町のノイファールヴァッサーで給仕をしてい た、そのまげは小さかったにもかかわらずーーー・それは玉突き た。ここで彼のことを話そうと思う。というのは、可哀そう 彼女がまわったり向きを変えたりな母の死後、ヘルベルト・トルツインスキーは、ばくの努力 の玉よりも小さかった してもどの方向からも見えた。まげは編み棒で束ねてあった。目標であったからだ、それは短い幸福な期間にすぎなかった 笑うと取ってつけたようになる丸い頬を、トルツインスキー けれども。今でもばくは彼を友人と呼んでいる。 かあちゃんは毎朝菊ぢさを包んだ紙でこすった。その赤い紙 ヘルベルトはシュタールブッシュのところの給仕だった。 ねずみ は色褪せた。彼女は鼠のような眼をしていた。四人の子供はそれは「スウェーデン屋」という居酒屋の主人の名前である。 それそれ、ヘルベルト、グステ、フリツツ、マリーアというその店はプロテスタントの水夫教会の向いにあり、店のお客 ↓よ 名前だった。 「スウェーデン屋」という名前から容易に察すること ができるよ , つに ーアはばくと同い年で、ちょうど国民学校を終えたば たいていスカンジナヴィアの人たちだっ かりであったが、 シートリツツの役人の家に住みこみ、家事た。しかし自由港からロシア人もポーランド人もきたし、ホ の見習いをしていた。自動車工場で働いているフリツツはた ルムの沖仲仕や、たまたま入港したドイツ帝国軍艦の水兵た ほお
マツェラートは救急車がくる前に泣き悲しんだ、「、つこ、 徐々に衰弱する肉体を繰り返し波打たせるのを防ぐことはで どうしておまえは子供が欲しくないんだ。だれの子だってい きなかった。そしてとうとう四日目に、彼女はまったく骨の ないか。それともまだあのいまいましい馬の首のせい 折れる死に方をしたものだが、だれもが死亡証明書を得るた かす だというのか。あんな所へ行かなけりやよかったな。さあ忘めに最後には吐きださなければならぬあの微かな息を止めた れちまいな、アグネス。おれはそんなつもりじゃなかったんのである。 からだ ばくの母の身体に、彼女の美しさを損ねる吐き気の原因が 救急車がきて、母が運びだされた。近所の子供や大人が道もはや見いだされなくなったとき、ばくたちはみんなほっと きようかたびら に集まっていた。母は運ばれて行った。そして、母が突堤も溜息をつしオ 、こ。彼女は清められ、経帷子を着て横たえられ 馬の首も忘れていなかった、彼女は馬の思い出をーーそれがると、ただちにまた、彼女の親しげで、小ずるいが憎めない まぶた フリツッと呼ばれようがハンスと呼ばれようがーーー持ち帰っ丸顔をばくたちに示した。看護婦長が母の瞼を閉じてくれた、 たということが、明らかになったということである。彼女のマツェラートもャン・プロンスキーも泣いていて盲だったか 器官は痛々しいまではっきりと聖金曜日の散歩を覚えていて、らである。 あの散歩が繰り返されるのではないかという恐れから、その ほかの人たちがみんな、男たちと祖母、ヘートヴィヒ・ブ 器官と同意見であったばくの母を死なせたのであった。 ロンスキーと間もなく十四になるシュテファンが泣いている おうだん ホラツツ博士は黄疸と魚の中毒だといった。病院では、母のに、ばくは泣くことができなかった。実際、ばくの母の死 が妊娠三カ月であることが確かめられ、個室が与えられた。 はばくをほとんど驚かせなかった。母に連れられて木曜日に ばくたちが見舞いに行くことが許されると、彼女は四日間、 は旧市内へ、土曜日には聖心教会へ行ったオスカルには、ま けいれん すさ 吐き気に悩まされ痙攣のために荒んだ顔をばくたちに見せてるで母が数年前から三角関係を清算する一つの可能性を真剣 ほほ - ス に求めているように思われた。そうすれば、彼女がおそらく 鼓いたが、その顔は嘔吐しながらも、たびたびばくに微笑みか 太 憎んでいたマツェラートに彼女の死の責任を負わせ、ヤン・ の キ ばくが今日、面会日にやってくる友人たちに精いつばい幸プロンスキー、彼女のヤンには、彼女はばくのために死んだ 福そうな顔をして見せるのと同様に、母も見舞客たちを少しのだ、ばくの出世の邪魔をしたくなかったのだ、彼女は自分 でも満足させようと努めたのだが、最後にはもはや吐く物はを犠牲にしたのだと考えながら、ポーランド郵便局での勤め かんけってき なにもないというのに、間歇的に襲ってくる吐き気が彼女のをつづけさせることができるのだ。 ためいき
ければ、演壇の下にね、けっして演壇の前じゃない。オイゲだが、母が賭けたマツェラートは一九三四年に、つまり比較 的早く、組織の実力を見抜いて、党に入り、それでも班長に ン王子の直系であるべプラかく申す」 オスカルの名を呼びながらサーカスの車の前に現われた母まで出世した。変ったことがあればなんでもスカート遊びを にたまたま、べプラがばくの額にキスし、それからバケツを開く理由にしていた彼らは、この昇進も見逃さなかったが、 とって肩を振りながらサーカスの車のはうに行くところを見これまでいつもポーランド郵便局の役人だという理由でヤ ン・プロンスキーに警告していたマツェラートは、このとき られてしまった。 「まあ考えてもごらんなさい」と母は後でマツェラートとブ初めて、いつもより厳しい、しかし気づかわしげでもある調 ロンスキーに憤慨した、「小人国住人のところにいたんです子でヤンをたしなめた。 ヒアノの ほかの点ではそんなに変ったところはなかった。。 よ、この子ったら。それに小人がこの子の額にキスしたんで いんうつ トーヴェンの・肖像が 上の、グレフの贈り物である陰鬱なべー す。なんかのおまじないでなけれ、よ、 べ。フラが額にしてくれたキスはばくにとって大きな意味をはずされ、同じ場所に、同様に陰鬱な眼をしたヒトラーの姿 が見られるようになった。真面目な音楽が嫌いであるマツェ 持っことになった。翌年の政治的事件が彼の説の正しさを証 明した、つまりたいまつ行列と演壇の前の行進の時代が始まラートは、ほとんどっんばの音楽家なんか追放したくてたま ートーヴェンのソナタのゆっくり らなかったのだ。しかしべ ったのである。 した楽章を非常に好んでいて、その二つ三つを、指定された ばくがべプラ氏の忠告に従ったように、母は、兵器廠通り のジーギスムント・マルクスに与えられ、木曜日の訪問の際速度よりもずっとゆっくりとうちのピアノで練習し、時には に繰り返し聞かされた忠告の一部に心を留めた。母はマルク一本指でポツンポツンと弾いていた母は、べートーヴェンを ばくは引っ越しソファーの上でなければ食器戸棚の上に移すことを主張した。 スとロンドンへ行きはしなかったけれど 彼女はマツェラかくしてあの陰鬱な者同士が対決をすることになった、ヒト に反対する理由をそんなに持っていない 鼓 太 ラーと天才が向い合ってかけられ、お互いに睨み合い、互い ートのもとに止まり、適当にヤン・プロンスキーと会ってい の の心を見抜き合ったが、お互いに箭央な気持ちになることは キた、つまり、ヤンが借りている家具屋小路で、またヤンがい つも負けるのでいいカモにされている家庭でのスカート遊びできなかった。 のときにである。母はマルクスの忠告に従って、賭金を二倍しだいしだいにマツェラートは制服を買い調えていった。 にはしなかったものの、マツェラートに賭けつづけていたのばくの記憶するところでは、最初が制帽だった。彼はそれを とど かけきん しよう
鼓はどんな意味があったろう ! リキはもろく、薄くなり、透き通る前に破れた。なにかが損 害をこうむり、終りになろうとするときいつもそうであるよ 市立病院を退院してすぐに、ばくは看護婦たちと別れたこ うに、損害を受けた目撃者はその苦しみの時を短縮し、より とを嘆き悲しんで、烈しく連打しながらばくの仕事に励み、 仕事しながら連打することを始めた。・ サスペ墓地でのあの雨速やかに最後を招き寄せたがるものだ。オスカルは待降節の もよいの午後は、ばくの手仕事をおちつかせることにはなら最後の二週間、急ぎに急ぎ、隣近所の人やマツェラートが頭 。ロしオ生夜までに清算してしまうつもりだっ なかった。反対に、オスカルは二倍も骨を折って仕事をし、 を抱えるまど卩、こ、ロ 防郷団員たちの前での彼の恥知らずの行為の最後の目撃者でた。つまりクリスマスにばくは新しい無垢の。フリキを期待し ある太鼓を叩き潰すために全力を傾けることを、彼の使命とていたのである。 したのである。 ばくはなし終えた。十二月二十四日の前日、皺くちやで、 しかし太鼓は抵抗し、ばくにロ答えし、ばくが叩くと、訴たえすがたがた鳴り、銹びていて、衝突した自動車を思いだ えながら叩き返してきた。奇妙だったのは、ばくの過去のあさせるあるものを、ばくの肉体と魂から取り去ることができ た。ばくの希望どおり、ポーランド郵便局の防衛は、今やば る一時期を消し去ることだけが目的であったこのような連打 くにとっても最終的に撃破されたのである。 のあいだに、繰り返し現金書留配達人ヴィクトル・ヴェルー ンがばくの意識にのばってきたことである、彼は近眼だった 人間はだれ一人ーーもしみなさんがばくの中に一人の人間 からばくに不利な証言はほとんどできないはすなのに。とこを見る用意があるならば・ーーオスカルよりも当てのはすれた ろで近眼の彼はうまく逃げられなかったのだろうか ? 今やクリスマスを経験したことはけっしてあるまい。オスカルに 事態は、近眼のほうがよく見えるということになっているのもクリスマストウリーの下で贈り物が配られたのだが、その かわい だろうか、たいていは可哀そうなヴィクトルと呼んでいるヴ贈り物にはなに一つ欠けるところはなかったのに、プリキの エルーンが、黒と白のスケッチのようにばくの表清を読み取太鼓だけはなかったのである。 鼓 太 ばくは絶対に開けなかっ り、ばくのユダ的行為を識別し、オスカルの秘密と恥辱を握そこには積み木の箱があったが、 の た。シーソーになる白鳥は特別の贈り物を意味し、ばくを口 ったまま逃走して世界じゅうにひろめているのだろうか ? ーエングリーンにするつもりなのであった。三、四冊の絵本 十二月のなかばになってやっと、ばくにぶらさがっている 刀ニス塗りの赤いぎざぎざ模様の良心の告発は説得力を失った。を贈り物のテープルにあえて載せる人がいたのには、ばくも すなわちニスに細かいひびが生じ、剥げ落ちたのである。。フよくよく腹が立った。しかし、手袋と編上靴と、グレートヒ しわ