思い - みる会図書館


検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2
993件見つかりました。

1. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

ヒー一フッハ シューラーの家の前で、若い機械工たちが通行人にうなず リンデン広場のあたりからようやく足を早めた。。 ころあい いてみせたり、おたがいに話しあったりしながら、落ちつき にちょうどいい頃合に着きたかったからだ。 はらって得意そうに立っているのを見たら、かれらが頼もし 鏡のような川面は、青や金や白にきらきらと輝いていた。 かえで い一体となって、日曜日の娯楽のさいにも仲間以外の者を必並木道のほとんど葉の落ちつくした楓やアカシアの木のあい 要としないということがわかるだろう。 だから、やわらかい十月の陽の光があたたかくさしていた。 ハンスもこのことを感じて、その仲間のひとりであること高い空は、雲ひとつなく青く澄みきっている。過ぎ去った夏 がうれしかった。それでも、こんどの日曜日の遊山にはかすのあらゆる美しさが、こころよい ほほえましい思い出のよ かな不安をいだいていた。機械工仲間では、人生を楽しむこ うに、おだやかな大気を満たしている、とでもいったような、 とにかけても、おおいに羽を伸ばしてはでにやることを知っ静かな、清らかな、のどかな秋の一日である。こんな日には、 ていたからである。たぶんダンスだってやるだろう。 ハンス子供たちは季節はずれも忘れて花摘みにい くことを考え、お は全然踊れなかった。だ ほかのことなら、できるだけ元じいさんやおばあさんは窓辺や、家の前のべンチに腰かけて、 気のいいところを見せてやり、事と次第によっては少々の二考えこむような目で、じっと空を見つめる。この一年の思い 日酔いもなんのそのだと覚悟を決めた。これまで、ビールを出だけでなく、かれらのたどってきた全生涯の楽しい思い出 がぶ飲みするなどということは、置れていなかった。たばこ が、澄みきった青空をよぎるのが見えるような気がするから も、ゆっくり吸って、葉巻一本が精いつばいというところだである。けれども若者たちは上機嫌で、それそれ分相応に、 った。それ以上だと、ふらふらになって恥をかきそうになる。またそのときどきの気分に応じて、おおいに飲んだり食べた アウグストは、うきうきしたようすでハンスを迎えた。アり、うたったり踊ったり、酒盛りをひらいたり、はでなけん かをしたりして、このすばらしい日をたたえるのだ。、 ウグストの話では、年かさの職人はいっしょに行かないと言 どこへ ってるが、そのかわりにほかの仕事場から仲間がひとり加わ行っても新鮮なフルーツケーキが焼かれ、地下室では搾りた はっ・一う ばだいじゅ 下るので、すくなくとも四人にはなるから、それだけそろえば、てのりんご酒やぶどう酒が醗酵し、酒場の前や菩提樹の広場 の 村じゅうを引っくり返すくらいわけはない、 と言った。今日では、ヴァイオリンやアコーディオンがこの年の最後のすば はビールは飲み放題だ、みんなおれのおごりだ、とも言った。 らしい日々を祝い、ダンスや歌や恋のたわむれへと人びとの そして、ハンスにも葉巻をすすめた。四人はぶらぶら歩きだ 心を誘うのである。 し、得意そうに胸を張ってゆっくり町を通って、町はすれの 四人の若い仲間たちは足早に先へ進んでいった。ハンスよ

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

そんなことにばくが責任をとらねばならぬいわれは、毛頭な静かに。傷がふさがるときのような、一種独特な感じのびり っ】、刀ュ / りとする静けさ。こうなればすぐさま眠ってしまってもよか あんど さて、この日の晩は、かってないほどに荒れた。まだそれったろう。ほっと安堵の息をつき、眠りこめばよかったろう。 ケ ほどおそくもない時間だったが、疲れていたのでばくははやしかし驚きの思いが、 ばくを依然として眠らせなかった。だ ばやと横になっていた。これならます眠れそうだ、そんな感れかが隣の部屋で話していたが、この話し声さえ、静けさの とたん に、れ - 、か〔か じがしていた。途端にばくはあわてて飛び起きた。。 うちだった。この静けさがどのようだったか、だれでも自分 さわったような気がしたのだ。と思う間もなく、それがはじで会得するよりほかはあるまい とてもことばにつくせるも まった。躍りあがり、ころげ、どこかに突き当り、よろめき、のではないのだ。部屋の外も、すべてはまどかな調和に包ま ごうおん 轟音を発した。足ふみ鳴らす音はすさまじいばかり。その合れたかのようだった。ばくはからだを起こし、耳をそばだて 日ー、ぐ 一階下から、遠慮会釈もなく腹だたしげに、天井を突た。田舎にいるような心地がした。ああ、そうか、とばくは きあげる音がきこえた。新しい入居者ももちろん迷惑をこう思った、お母さんがきているのだな。彼の母が燈のそばに腰 むっているのだった。そら、部屋の戸があいたそ。ばくはすをおろし、息子に語りかけているのだ。ひょっとすると息子 つかり冴えていて、階下のドアの音まできこえるように思っ は、頭を軽く母の肩に寄せかけているかもしれない。彼女は た。驚くほど注意深くあけたてしたのだったが。やがて、こそのうち息子をベッドこ レ寝かしつけることだろう。今はじめ ちらに近づいてくるようだった。きっとどの部屋か、はっきてばくには、外の廊下を通っていった忍び足が納得できた。 りさせたいのだろう。どうかと思ったのは、この人のまったああ、まだこんなこともあるのだ。このような人の前には、 く度はずれな注意深さだった。この建物の中では、静かにす ドアもばくらに対してとはまったく別の形でひらくのだ。さ る必要などいささかもないことが、たった今わかったはずであムフは、ばくらも眠ることができる。 。なしか。なんだって抜き足さし足するのだろう ? しばら くはばくのドアの前で立ちどまっているように感じられた。 ばくは隣人のことをまるきりといっていいほど忘れてしま それから、これは絶対まちがいなく、隣の部屋へはいってい った。自分でもよくわかるが、ばくが彼に抱いていたのはま くのがきこえた。あっさり、はいってしまったのだ。 っとうな同情ではなかった。たしかに下へ行くと、あの人の するとそこで ( そう、このことをどう書きあらわしたらい 近況報告などありますか、どんな具合ですか、と通りがかり うれ いのか ? ) 、静かになった。痛みがなくなったときのように、 にたずねてはみる。具合がよさそうだと嬉しく思う。だが、

3. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

ら石炭酸の匂いが漂ってきて、かもめが看護婦服姿で手をふ ランケスのほうが先にトーチカを出てきた。絵かきの典型 ひざ り、太陽がばくの眼には赤十字のプローチとなって輝き出し的な仕種どおり、ズボンの膝で両手を拭ってから日射しを浴 びてごろりと横になり、ばくから煙草を一本巻きあげ、それ ス うれ オスカルは太鼓を叩いているのを邪魔されたとき、実は嬉をシャツのポケットにつつこんでから、もう冷たくなってし しかった。尼僧院長のショラスチカが、五人の尼僧たちとい まった魚に襲いかかった。「あれは腹がヘるな」と、彼はそ っしょに引っ返してきたのだ。彼女らは疲れているようすで、れとなく弁明しておいてから、ばくの分だった尻尾のほうを りやくだっ 雨傘をがつくりと傾けていた、「あなた、若い尼僧を見かけ 掠奪した。 ませんでしたか、わたしたちのところの若い修練女なのです「彼女を不幸にしていいのかい」と、ばくはランケスを非難 が ? あの子はまだ、ほんとに子供なのです。海を見るのが し、ついでに不幸という語の味わいを楽しんだ。 初めてなのです。きっと迷ってしまったのでしよう。 「どうして ? 彼女は不幸になる理由なんか、なんにもない しどこにいるの、アグネータさん」 ぜ」 ばくに残されていたのは、この船隊の帆に今度は追い風を ランケスは、彼のような交際の仕方が、人をときには不幸 与えて、オルヌ河口、アロマンシュの方角へ、かってイギリ にするものであることに、田 5 いも及ばなかった。 ス人たちが海に手を加えて港をつくりだしたポート・ウイン 彼女はいま、なにをしてるんだい ? 」と、ばく ストンの方角へ、差し向けることしかなかった。これだけのは訊ねたが、実はもっと別のことを訊ねるつもりだった。 人数がいっしょでは、ばくたちのトーチカの中には収容しき 「縫いものだよ」と、ランケスは魚のフォークを持ったまま れなかったろう。たしかに一瞬、この訪問を画家のランケス答えた。「修道服がちょっと破れたもんだから、綻びを今直 に贈り届けてやりたい気持ちも働いたが、しかし、その後すしているところさ」 に友情と煩わしさと意地の悪さが口をそろえて、親指をオ お針子がトーチカから出てきた。彼女はすぐに、また雨傘 ルヌ河口の方角へ差し伸ばすことをばくに命じた。尼僧たちを開き、軽くつぶやいていたのだが、そのくせーー・・ばくの耳 はばくの親指の指示に従い、砂止の上を風に運ばれてだんだ に聞こえたところでは くぶん緊張が感じられた、「ほ ん小さくなってゆく六つの黒点と化した。そして、「アグネんとうに綺麗ね、このトーチカから見ると。浜辺がすっかり ータさん ! アグネータさん ! 」という、哀れつばい呼び声見渡せるし、海もよく見えるのね」 ぎんがい もだんだん風にかき消され、やがて、ついに砂に埋もれた。 ばくたちの魚の残骸の前に彼女は立ち止まった。 たず ひざ ほ、一ろ

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

らの死に場所となるのだった。 かった。窓の外にしたところで、相変わらず知らん顔の風景 しかし、ひとりでいてすら、こわいと思うこともあったのがひろがるばかり、そこにあるのはやはりばくの孤独ばかり、 だ。あの夜な夜なのことなどっゅ知らぬといったふりを、どそれがすぐ会得されてしまったのだ。この孤独はばくが自分 ひ うしてしなければならぬことがあろう。あの夜な夜な、ばくでわれとわが身に惹きよせたものだが、それがばくの心臟に ふつりあい は到底不釣合なほど大きくなっていた。ばくがかってそのも は死の不安におそわれて起き直り、こうして坐っているのは わら ともかく生きていることだ、死人は坐りなどしないのだ、藁とを離れた人々のことが頭に浮かび、どうして人を見捨てる ことができたのか、ムロ占 ~ がい力なカった をもっかむ思いでこうした考えにしがみついていた。こうな ああ、神よ、このような夜をばくがまた味わわねばならぬ るのはきまって、たまたまめぐり合わせた部屋でのことで、 ものならば、時としてばくの、いに浮かんだかすかすの思いの そのような部屋は、ばくの様子が思わしくないと、あっさり 一つぐらいは、ばくの手もとにとどめておいてもらいたいの 知らん顔をきめこむのだった。面倒くさい事件にかかわり合 いになって、事情聴取やらなにやらされるのはまっぴらだとです。この望みはそれほど愚かしいものではないはすです。 なぜならばくには、ほかでもないばくの大きな不安から、そ でもいわんばかりだった。そこでばくは坐ったままでいたが さそかしこわい顔をしていたものと見え、ばくのためにとりれらの思いが湧き出たのだとわかっているのだから。幼いこ なす気になるものなど、何一つありはしなかった。部屋の燈ろばくは、よく横っ面を張られ、弱虫とあざけられたものだ った。それとい , つのも、ばくがまだほんと , つにこわがること さえ、たった今わざわざ手間をかけて火をともしてやったの に、ばくのことなぞわれ関せすといったふうだった。だれもを知らなかったせいだった。しかしその後、ばくはまぎれも ない恐布、それを生みだす力が増しさえすれば、 いないがらんとした室内ででもあるかのように、それはひと り静かに燃えつづけていた。ばくが望みをつなぐ最後のもの増していく恐怖を味わうことを知った。ばくらがこの力をな は、そうなれば窓にきまっていた。窓の外にはまだ何かがあんとか想像することができるのは、恐怖を感じている場合に 手るのではないか、この不意におそってきた死のみじめさのさ限られる。つまりそれはどこの力は測りがたく、ばくらのあ テなかにも、まだばくのものというべき何ものかがあるのではり方とは完全に相反しており、この力について考えようなど マよ、 オしか、そ、つばくはふと思 , つのだった。だ 外に目を投げと気をひきしめようものなら、ばくらの脳はその場で砕けち ってしまうだろう。しかもなお、これはやはりばくらの力だ、 るか投げぬかに、すぐさまばくは、窓などふさがれていれば ばくらにとってはまだ強すぎる、一切のばくらの力なのだ、 よい、壁のように閉じていればよい、と願わずにはいられな きロ

5. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

たちがこの唾の味もなめすりながら飛びまわる、そう思うと気がついたときは、彼らのロの端にのばるすべてと同様に、 女たちはうっとりする。たとえ鳥たちが、この味をもちろんその名を軽く受け流したまえ。この名前もやくざになってき すぐまた忘れてしまうにしても。 たな、と考えて、お払い箱にしたらよい。その代わりにはリ の名前を、なんでもよい、神が夜ふけにきみを呼ぶことがで ノルウェーの劇作家へンリック・イプセン、、 はくはあなたきるように、つけておくことだ。そしてこの名前はだれにも 一徹な人よ ( 〈 ー一九〇六〉をさすとされる すわ の書物の前に坐っていた。そして、あなたをまるごと受けと秘密にしておきたまえ。 らず、得々として勝手な自分の取り分をくすねこんでしまっ このうえなく孤独な、ひとり離れてたたずむ人よ、あなた た他人たちと同様に、これらの書物を考えようと試みた。なの名声を足がかりにして、なんと手ぎわよく世人はあなたを ぜならばくは、あの時まだ名声について会得していなかったわがものにしてしまったことだろう。どれほど前のことにな ふぐたいてんきゅうてきし からなのだ。名声、建設途上にあるもののこの公然たる破壊。るか、かって彼らはあなたを不倶戴天の仇敵視していたも ちんにゆう 建築現場に闖入し、石を押し崩す群衆の所業。 のだ。今ではそれが、まるで仲間の一人に対するようなっき おり どこにもせよ、おのが身に、われながら身の毛もよだつもあいぶりだ。ノ 彼らはあなたのことばを、思いあがりという檻 のが湧きおこるのを感する、そんな若い人がいたら、自分が に入れて持ちはこび、広場で人目にさらしたり、安全な自分 無名であることを、役だてなくてはいけよ、。 きみを歯牙にの場所からちょっかいをだしてみたりする。あなたの恐ろし もかけぬ人々がきみに反対する、きみの交際相手がきみにすい猛獣たちに。 つかり愛想をつかす、きみの大事な考えのためにきみを完膚 この猛獣たち、自暴自棄の獣たちが脱走し、ばくの荒野の たた なきまでに叩きのめそうとする、しかしこのような、きみ自まっただなかでばくにおそいかかった、まさしくその時には かん 身の集中を促す明白な危険は、後になって得られる名声の奸じめて、ばくはあなたを読んだのだった。あなた自身が最後 あく 悪な敵意にくらべれば、何ほどのことがあるだろうか。名声 には、そのように自暴自棄だったのだが。そう、あなたの軌 手の敵意は、きみを拡散して衛生無害な存在と化してしまうの道は、すべての直星図に誤って記載されているのだ。っと走 の るひびきのように、その軌道は、あなたの道の絶望的な双曲 、レ わん マ だれにむかっても、自分のことをしゃべってくれと頼んで線は、天をつらぬいて走っている。これはただ一度だけ彎 きよく はいけない、お安くふんだいい方ですら、してもらってはい 曲してわれわれに近づき、と思う間もなく、仰天して遠ざ かっていくのだ。ある女が家にとどまるか、出ていってしま 時が流れ、人々のロに自分の名が取沙汰されるのに 1 三ロ 、、つ ) 0 とりざた

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

きロ けいちょうふはく 金の作り方だの、宝石だの、トランプのカードのことだのが「軽佻浮薄な生活、というわけかな ? ところが実は、思 書いてあるところへきてしまったというわけだ。そういうこい者なる真実に対して、これも一種の騎士らしいふるまいだ とが書いてなかったはすがあろうか ? どこかに出ているに ったのだ。結構あの人は操を守っていたわけだ」 きまっているのだ」 もうしばらく前から、老人はアベローネに語りかけている のではなかった。彼女のことなどもう念頭にはないのだった。 「あの人物は、もしひとりだったら、真実とも結構折り合い いど をつけられただろうな。だがしかし、真実などというものと狂ったように行きっ戻りつしながら、彼は挑むようなまなざ 時到れば一瞬にして、ステンを自 しかもあしをステンに投げかけこ。 水人らずですごすのは、なまなかなことではない。 やばてん の人は野暮天ではなかったから、真実といっしょにくらして分の思惑どおりのものに変化させてしまおう、とでもいうか いるところへ客を招ぶなどというまねはしなかった。真実ののように。しかしステンはまだ変わらなかった。 とりぎた 「自分の目で見るのでなければな」と。フラーエ伯爵は恍惚と ことなど、あれこれ取沙汰されたくはなかったのだな。つま り東洋流に、思い者をそっとかくしておきたかったのだ。 して語りつづけた。「ひところは、実によくあの人の姿が見 えたのだ。あちこちの町であの人が受けとった手紙は、なん 《ではさらば、奥方》とあの人は、真実にむかって、真実に ふさわしくいったのだ。《折があれば、いずれまた。千年もの名あてもなく、所書きよりほか何も書いてなかったのだが たてば、少しは強くたくましくなれるかもしれませんな。あしかしわたしはあの人を見たのだ」 奇態にせきこん なたはやっとこれからお美しくなられるところですものな、 「好男子ではなかったな」伯爵は笑ったが、 奥方》こういったのだが、けっして口先だけのお愛想ではなだ笑いだった。「押し出しが立派だとか、品があるというの かった。そのままあの人は飛び出して、外に公衆のための動ともちがっていた。もっと品のいいのがいつでもそばに、こ。 物園をこしらえたわけだ。わたしらのところではおよそ見か金はあったが、金があるなどということは、たまさかの思い うそ けたこともない、あれやこれやの嘘を集めた訓練所、大仰なっきのようなもので、いっこうたよりになることではなかっ 手言い廻しを栽培する温室、にせものの秘密を植えこんだ、手た。からだっきはしつかりしていたが、ほかの連中の方が姿 け入れのよい小さな果樹園、といったものだ。世間の連中があ勢はよかった。もちろんそのころのわたしは、あの人の頭が ししか、とか、あれこれのいわゆる美点があるかどうか、見 マちらからもこちらからもやってくる、するとあの人はダイヤ きわめるわけにま、ゝよかっこ だが、あの人はそこに の尾錠をつけた靴をはいて歩きまわり、ただもうお客大事と いたのだ」 心がけていたのだ」

7. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

差し、この男が無邪気な子供をポーランド郵便局に引きずり にからみ合っていて、ばくたちが建築術と呼ぶやつつけ仕事 こみ、ポーランド流の非人道的やり方で射躱に利用したのだ が、あれやこれやの清勢に応じて結合を諦めるかもしれぬあ と言ったのである。 の日のうちで、最悪の事態を恐れねばならぬほどだった。 オスカルは無傷な太鼓と壊れた太鼓のために、このユダ的 ばくがこのことを理解したのはすっと後になってからなの 演技に若干の期待をかけ、彼の言うことが正しいのだと思わだが、だからといって、むろんばくの罪が許されるわけでは しり ばくは建築用の足場を見ると、いつも取り せようとした。その結果、防郷団員たちはヤンの尻を蹴とば 、唯一つ人間にふさわし し、銃の床尾で小突いたが、 ばくの二つの太鼓には触れなか壊しを考えざるをえないのだが った。そして鼻とロのあたりに家父としての苦労を示す気む い住宅であるカードの家に対する信仰は、ばくにとって無縁 ほおな すかしい皺を刻んだすでに中年の防郷団員はばくの頬を撫でのものではなかったからだ。それに家系の素質が加わってい てくれ、もう一人の、 いつも笑っているためにけっして裸出る。あの午後、ばくはヤン・。フロンスキーの中に単に伯父で することのない細い眼をした白っぱい金髪の男は、ばくを抱あるばかりでなく、また推定上の父ではないほんとうの父も いてくれたが、 オスカルはなんとなく気まずい思いがした。 いるのだと確信したのだから。つまりャンには、永遠に彼を 今日、ばくはときどきこの破廉恥な行為を恥じることがあマツェラートから区別する優越点があるのである。なぜなら るが、そんなときばくは繰り返しこう一一 = ロうのである。すなわマツェラートはばくの父であるかぜんぜんなにものでもない かのどちらかでしかなかった。 ち、ヤンはこのことに気づかなかった、彼はまだカードのこ ばくの想像では、あなた方もあの とで胸がいつばいだった、彼はその後もカードから思いが離 一九三九年九月一日 れることはなかった、もはやなにものも、防郷団員の悪魔的不幸な午後のあいだに、カードで遊ぶあの不幸なャン・プロ ンスキーの中にばくの父を認められたであろうーーーあの日か なとてつもなく央な思いっきさえも、彼はスカートのカー ドから引き離すことはできなかったと。ャンがすでにカードらばくの第二の大きな罪は始まった。 鼓 ばくはどんなに気分が滅入るにしても、このことだけは黙 太の家の永遠の国へ行き、このような幸福を信する家に幸福に っているわナこま、 ばくの太鼓、いやばく自身、太 住んでいるあいだ、ばくたち、つまり防郷団員とばくは たた 鼓叩きオスカルは、最初にばくの可哀そうな母を、次にヤ オスカルは自分を防郷団の一員に数え入れていたからだ れんが ーしつくい ン・プロンスキー、ばくの伯父にして父を、墓場へ送ったの 煉瓦の壁のあいだの、タイル張りの廊下の、漆喰の軒蛇腹が 付いた天井の下に立っていた。天井は壁や仕切り壁と不自然であった。 しわ しやだ ただ あきら

8. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

たびに、胸がしめつけられ、才能に恵まれたこのふたりの教 んだとたん、床に膝をついたまま、立てなくなってしまった。 郡の医者は、自分の患者がそんなことまでやらかしたのかえ子がいなくなったのは、自分にも責任の一端があるのでは と、 ないだろうかという考えを、なかなか打ち消すことはできな しいかげん腹をたてていた。医者は言葉に気をつかいな がら、すぐに休学をして神経科の医者に診てもらうようにすかった。とはいえ、したたかな道徳堅固な校長は、こんな無 意味な暗い疑念にいつまでもとらわれているようなことはな すめた。 「あの子はいまに舞踏病になりますよ」と、医者は校長に耳かった かばん 小さな旅行鞄をさげて出ていくこの神学生のうしろに、教 打ちした。校長はうなずきながら、この場合、ふきげんそう 会や、門や、破風や、塔といっしょに、修道院全体が姿をか に怒ったような顔をしているよりも、父親らしく心配そうに くし、森や止陵もいっしか消えてしまって、そのかわりにバ しているほうがいいたろうと考えた。そんなことは造作もな ーデン州の境界にある実りゆたかな果樹畑があらわれてきた。 いことだったし、 いかにも自然らしく見えた。 こハンスの父親に手紙を書き、そそれから、プフォルッハイムの町が見え、すぐそのうしろに へつべっし 校長と医者は、。 シュワルツワルトの青黒い樅の山々がつづいている。そのあ れを少年のポケットに入れて、家へ送り帰した。校長の腹だ いだに無数の谷川が流れていて、暑い夏の日ざかりなのに、 たしさは深刻な憂慮に変わった。つい先ごろのハイルナー事 件で動揺をきたしたばかりの学務当局が、この新たな不幸を樅の山はふだんよりいっそう青々と涼しそうで、いちだんと どう考えるだろうか。校長は、この事件にふさわしい訓辞を木陰も深そうだった。風景が移り変わり、だんだん故郷らし くなってくるのをながめながら、少年は楽しい気持ちになっ 垂れることすらあきらめてしまい、みんなは肩すかしをくっ こ。ーしカーし いよいよ故郷の町が近づき、父親のことを思い オしよいよとい , っときに、校長はハンスに気味がわるいほ ノスが静養のための休学から、二度とも出すと、自分をどんなふうに迎えるだろうかという不安が頭 ど愛想よくした。ハ、 どってこないだろうということが校長にはよくわかっていたをもたげてきて、せつかくのささやかな旅の喜びも台なしに なってしまった。シュトウットガルトへ試験を受けに一行った いまでもすっかりおくれてし たとえ全央したとしても、 ときのこと、入学のためにマウル。フロンへ向かったときのこ 輪まっているこの生徒が、数カ月、いや数週間のおくれを取り 市・ となどが、あのときの緊張感も不安な喜びもそのままに、 もどすことは不可能であろう。校長は、励ますようにやさし いったいなんのた たたび頭に一「冫かんできた。あれもこれも、 く、「じゃ、また」と言って、別れを告げはしたが、それか ンス自身も校長と同じように、自分が らしばらくというもの、ヘラス室に行って三つの空席を見るめだったのだろう。 ひぎ もみ

9. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

どは考えているわけで。そうかといって、そういう方々が美の革のようだったところも、薄く紅をさされてほんのりと赤 いち一 容芸術に対する厳格さを歯に対しても向けるとなると、これ味を帯び、血の気のなかった唇が苺色にふくれ上り、頬やロ しわ はどうにも困ったことになってしまいます。つまりこの、おのまわりの皺、目の周囲の小皺がクリームを塗られ、若返さ 歳などというものも、お気のもちょうひとつでございましよせられて消え失せて行くのを見た。胸をどきっかせながら、 しらが うから、時と場合によっては、白髪のままにしてお置きにな彼は鏡のなかにひとりの咲き誇る青年を発見したのである。 うそ るほうが、お染め遊ばすのよりも、嘘をおっきになっていら美容師はやっと満足したとみえて、こういう人間にありがち っしやるということにもなるのではございますまいか。旦那のお追従まじりの丁重さで客に礼をいった「ちょっとお手入 れ申上げましただけのことで」と彼はアシェンバハの頭に最 さまなどは、おつむりを自然のままになさる権利があるとい うわけですが、しかがでしよう、もとの自然のままにして差後の手を加えながら、言った。「これで旦那さまは思いのま まにご恋愛遊ばすことがおできになります」 上げましては」 光忽としたアシェンバハは、夢でもみているように幸福に、 「とい , っと」アシェンバハは尋ねた。 すると理髪師は澄んだ液と黒い液と二通りの液で客の髪をとまどい、びくびくしながら出て行った。ネクタイは赤でつ ま もギわら ころ 洗った。すると若かった頃の黒い髪になった。さらに鏝をあばの広い麦藁帽子には多彩な色のリポンが捲いてあった。 なまぬるい烈風が吹きはじめていた。雨ははんの稀にばら てて、柔らかなウェーヴをつけ、後ろにさがって仕上った客 ばらと降って行くだけたったが、大気は重苦しくじめじめと の髪を占 ~ 検した。 して、物の腐って行く匂いにみちていた。ばたばたという音 「これでもう、お顔の肌を少々お直しすればよろしゅうござ や、びちゃびちゃという音、ざわざわという音が聴覚をつつ います」 それから理髪師はいったん始めたらいくらやっても満足しんだ。化粧して熱にうかされたアシェンバハには、悪な風 死 客かねる人間のようにつぎからつぎといろんなことをした。アの精霊どもや意地悪な海鳥どもが空中を我物顔に荒れ回って、 イ この宣告を下された男の食べるものをひっかき回したり、つ シェンバハはゆったりとくつろぎながら、やめてくれとも一言 ネ わすに、むしろ理髪師のすることに心楽しく昂奮させられなっき散らしたり、汚物をひっかけたりしているように思われ 工 まゆ た。というのは蒸し暑さのために食欲がすっかりなくなって がら、鏡のなかで彼の眉がいっそうくつきりと均整のとれた ・はいきん まぶた しまい、その上、食物をみるとすぐにこれは黴菌に汚染され 弧を描き、まなじりが長くなり、目蓋の下にちょっと手が加 えられて眼がいっそう輝きをまし、もっと下の、肌が薄茶色ているという考えが浮び上って来るからであった。 こて

10. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

階下の事務室に寝た。ということは、まったく眠らないとい 4 うことだった。彼は目をさましたまま横になっていた。朝の 九時頃になると、異郷の女の寝ている部屋へ行って、よく眠 一れたか、朝食はすんだか、気分はよいかなどとたずねた。き この奇妙なにおいは、家に、己意にのこった。いや、ファ ロ のうは古い花がさしてあった肘木の上の花びんのために、摘 ルメライアーの、いには惨事よりもはるかに長いあいだしみつ みたてのすみれをもってゆき、古い花をどけて、新鮮な水に いていたと言ってよいだろう。つづく数週間は、事故のもっ 新しい花をいけ、それからべッドのすそに立っているのだっ とくわしい原因や詳細な経過に関する調査が規定どおりなが た。彼のまえには、異郷の女が彼の枕に頭をのせ、彼のふと ながとつづけられ、ファルメライアーもなんどか事情を聴取 んをかけて寝ていた。彼はなにやらはっきり聞きとれぬことされたが、彼はそのあいだも、異郷の女に思いをめぐらすこ をつぶやいた。 大きな黒い目、異国の甘い風景のように広やとはやめなかった。くわしい質問に対する彼の返答はほとん かな、肉づきのよい白い顔。そして駅長の枕に、駅長のふと どしどろもどろといってよく、まるで、女が彼の周囲と彼の まひ んをかけて、異郷の女は寝ていた。「どうかおかけになって心にのこしていったにおいに、知覚を麻痺されたかのようだ ノ、ださい」 日に二度、彼女はこう言った。彼女はいゝ , った。職務が比較的簡単で、すでに何年もまえから、彼自身 もロシア女らしい異国風の固いドイツ語を話した。聞きなれがほとんど機械のようにその職務の部品になっていたからよ のど そうれい ぬ低い声だった。その喉には、遠い未知のもののもっ壮麗さ かったものの、そうでなかったら、彼はもはや良心的に職を のすべてがあった。 まっとうすることはできなかったであろう。郵便が来るたび ファルメライアーは文かけ、なかっこ。「いや、も , っ失礼し 、彼はひそかに異郷の女からの便りを期待した。作法どお ます。いろいろ仕事がありますので」 こう一一一一口うと、彼はり、いちどはもてなしにたいする礼状をよこすだろうと、信 背をむけて立ち去った。 じて疑わなかった。そしてある日、ほんとうにイタリアから そんなふうにして六日間がすぎた。七日目に、医師は異郷の大きな紺色の手紙がとどいた。夫とともにさらに南へ来て の女に旅をつづけるようすすめた。夫がメラーノで待ってい いる、とヴァレフスカ夫人は書いていた。目下ローマにいる た。そこで彼女は出発した。そして、部屋という部屋に、と が、自分も夫もシチリア島に行くつもりだ、とあった。一日 りわけファルメライアーのべ ッドに、ロシア革と名も知らぬおくれて、ファルメライアーのふた子のために、果物の入っ カ ) 一 香料の、消えやらぬにおいをのこしていった。 たかわいい耆が、また、伯爵夫人ヴァレフスカの夫から駅長 1 ) ろ ひじき まくら