看護婦 - みる会図書館


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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

三十歳のオスカルが彼と彼の太鼓の周囲に弟子たちを集める薬を間違えたことも過量だったことも、ドロテーアにとって ように仕向けるのだ。 最後の散歩となったあのライ麦畑の散歩のことも、すべて否 カラス すなわち彼女が、あの看護婦のべアーテが、ばくの看護婦認した。オスカルもなに一つ自白しなかったのだが、。 しっと ラドロテーアを卵黄色の嫉妬のあまり殺害したという。 瓶の中に不利な証拠物件の指が入っていたので、ライ麦畑へ 多分、あなた方もまだ覚えていらっしやるだろう ? ヴェ 行ったと見なされ、有罪の判決を受けた。しかし、法廷は、 ルナー博士というのがおり、彼をめぐって、映画や実人生で彼をまともにはとらず、ばくを気違い病院へ入れて、観察す 実にしばしばそうであるよ , つに、 ここでも二人の看護婦が対ることにしたのだ。もちろんオスカルは、有罪判決を受けて 立しあったのだ。いやな話た。・ ゞヘアーテはヴェルナーを愛し病院に収容されるまでには逃走もしてみた、つまりばくは、 ていた。・ ウエルナーはしかし、ドロテーアが好きだった。ド ばくの逃走によって、ばくの友人ゴットフリートが行なう告 ロテーアは、これに反して、だれも愛してなどいなかった。訴の価値を大いに高めてやろうと思ったのである。 あるいはせいぜいこの小男のオスカルをひそかに愛していた。 ばくが逃走したとき、ばくは数えて二十八歳だった。数時 ここで、ヴェルナーが病気になった。ドロテーアは彼の看護間前には、ばくの誕生祝いのケーキの周囲に、まだ三十本の をした、彼が彼女の受け持ちの科の病人だったからだ。・ ヘアロウソクが燃えて、静かに蝦をしたたらせていた。ばくが逃 ーテはこれを邪推し、我慢がならなかった。それで彼女は、走したあのときも九月だった。ばくは、乙女座の生まれだ。 ドロテーアを散歩に連れだし、ゲレスハイムの近くのライ麦しかし、ばくが電灯の下で生まれたときのことは、ここでは 畑で殺した、というよりはむしろ片づけた、というのである。どうでもよいことだ。問題にすべきは、ばくの逃走のことで こうしてべアーテは、ヴェルナーをだれにも邪魔されずに看ある。 護することができた。彼女はしかし、彼が健康になるように すでに述べたとおり、東方の祖母への逃げ道がふさがれて ではなく、反対のやり方で看病したという。この恋に狂った いたので、今日だれもがやるように、ばくは西のほうへ逃げ 看護婦は、多分、自分にこう言いきかせたのだろう、彼が病るよりしかたがなかった。オスカルよ、おまえが、お上の政 気でいるあいだは、彼はあたしのもの。彼女は彼に過量の薬治のおかげで、おまえの祖母のところへ行けないのなら、 を与えたのだろうか ? それとも、間違った薬を与えたのだ っそ合衆国のバッファローに住んでいるおまえの祖父のとこ つつ , つか ? ・ いずれにしても、ヴェルナー博士は、過量もしくろへ逃げろ。アメリカのほうへ逃げろ。行けるところまで行 ってみろ ! は間違った薬のために死んだ。・ ヘアーテはしかし、法廷では、 ろう

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

跳ねたりしたあげく、慰問劇団時代に覚えたアクロバットまそう簡単には許せないのである。 がいのことまでやって見せたので、夫人のほうはクスクス笑最初はばくの三歳の誕生日のおり、地下室の階段から落ち い。こし、はり鼠のほうは思わす膝を打って笑い始め、ばくが たときだ。あれはたしか、ロッテという名の看護婦で、プラ ス ラ廊下に出て、看護婦のミルク色ガラス戸、トイレットの戸、ウストの人だったと思う。ホラツツ博士のところの看護婦イ 台所の戸の前を通りすぎて、ばくの荷物と太鼓をばくの部屋ンゲは、何年ものあいだばくとともにあった。。、 オーランド郵 に運びこんでしまっても、まだ笑いが止まらないのだった。 便局の防衛戦の後では、ばくは一度に何人もの看護婦の手に それは、五月の初めのことだった。その日以来、ばくを看かかった。その中の一人の看護婦の名前だけが心に残ってい 護婦という神秘の存在が誘惑し、占領し、証服した。看護婦る。たしかエルニとかべルニとかいったはずだ。リューネプ というものはばくを病的にした、おそらく、癒しがたいほど ルク、次いで、ハノーファー大学の無名の看護婦たち。それ 病的にした。その証拠に、なにもかも遠い過去のことになっ から、デュッセルドルフ市立病院の看護婦たち、なかんずく てしまった今日ですら、ばくはばくの看護人プルーノーの率ゲルトルート。今度は、しかし、看護婦のほうからやってき 直な主張に反対なのだが、プルーノーの主張によれば男だけ た、ばくが病院を訪ねなくとも。健康そのものなのに、オス が真に看護人たりうる、患者たちが看護婦に看護されたいとカルは一人の看護婦の手に落ちたのである。彼女は、ツアイ いう欲求を持っことが、すでに一つの病気の徴候である。男 トラーの住居にオスカルと同じく、間借り人として住んでい ・刀しトゐく の看護人は患者を一所懸命看護し、しばしば恢復させるが、 た。この日から、ばくにとって世界は看護婦たちでいつばい 看護婦というものは女の道を行く、すなわち、看護婦は患者 になった。ばくが早朝仕事へ、つまり、コルネフのところへ を恢復へか、あるいはエロティシズムで軽く味つけしておい 字を彫りに行こうと思ったら、ばくの乗車駅の名は、マリア れんが しくした死へ誘惑するというのである。 病院というのだった。病院の煉瓦造りの玄関の前と、花がい こんなふうに、ばくの看護人プルーノーは一一 = ロうのだが、ば つばいの前庭には、、 しつも、行く看護婦、くる看護婦の姿があ くは彼の言い分を喜んで承認する気にはなれない ばくのよ った。すなわち、骨の折れる勤務を終えた者とこれからの勤 うに二、三年おきに、看護婦の手で生命を保証してもらって務を控えている者である。そのうちに電車がきた。ばくはこ きた者は、感謝の気持ちが胸ふかく刻みこまれているから、れらの疲労しきっているか、少なくとも、緊張のゆるんだ顔 同清はしていてもむつつりしている男の看護人が、同業者とっきをしている看護婦たちと同じ車に腰かけたり、同じプラ してねたむあまり、患者の心から看護婦たちを遠ざけるのをットホームに立ったりするのをしばしば避けるわナこま、

3. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

ロテーアについて知っていることといえば、彼女がツアイト なかった。最初のうち、ばくは彼女たちの匂いがいやだった ラー家のミルク色のガラス戸の部屋を借りているということ が、やがて、彼女たちの匂いを追い求め、わざわざ隣に坐っ 、 ) 十ノゞっ , ) 、、ゝ 0 子 / 子 / 子 / 、刀 たり、彼女たちの制服と制服のあいだに身を置きさえした。 ときどきばくは、夜勤からもどってくる彼女の足音を耳に それから、ビットヴェークである。天気のよい日には、ば くは戸外の墓石を陳列してあるあいだで字を彫っていた。すした。それからまた、晩の九時ごろ彼女の昼の勤めが終って、 ると、彼女たちが三々五々腕を組んでやってくるのが見えた、彼女が部屋に帰ってきたときにも足音がした。オスカルは看 、つも椅子に坐ったまま 護婦の足音が廊下に聞こえたとき、し 自由時間をおしゃべりしながら散歩していたのだ。オスカル は心ならずも、というのは、ちょっと眼を離すごとに二十プでいたとはかぎらないよく彼は、ドアのハンドルをもてあ フェニヒの損になるからなのだが、手がけている輝緑岩からそんだ。こんなとき、じっと我慢していられる者があろう か ? ひょっとしたら、自分に見てもらうために通りすぎる 眼をあげて仕事をなおざりにした。 ドイツではこれまでにも、すでにたくさんのかも知れないものが通りすぎるときに、これを見あげない 映画ポスター の看護婦映画ができていた。マリア・シェルがばくを映画館ものがあろうか ? 隣室の物音がすべて、静かに坐っている の中へ誘惑した。彼女は看護婦の制服を身につけ、笑い、泣者を飛びあがらせることを唯一の目的にしているらしく思わ き、献身的に看護し、微笑をたたえつつやはり看護婦帽をつれるとき、椅子にじっと坐ったままでいる者があろうか ? そしてなお始末のわるいものは、静寂というやつだ。ばく けたままで、真剣な音楽を演奏し、それから絶望に陥り、自 たちはこのことをあの静かで受動的な木彫りの船首像で体験 分の寝間着を今にも引き裂きそうにして自殺を試みた後、彼 相手の医師はポルシェーー , 職務を忠実した。まず、第一の美術館員が血にそまって倒れた。ニオペ 女の愛を犠牲にし うわ一 ーが彼を殺したと噂が立った。館長は新しい守衛を探した、 に守り、こうして、制帽と赤十字章をあくまで捨てなかった 。し。しかなかったからだ。この二番目 のである。オスカルの小脳と大脳はこれを笑って、このフィ美術館を閉館するわナこま、 わいだんそうにゆう の守衛も死んでしまったとき、みんなは叫んだ、ニオペーが 太ルムに間断なく猥談を挿入していたのであるが、一方では、 キ オスカルの眼は涙に泣き濡れていた。ばくは半分盲目となっ彼を殺した、と。それから、美術館長は骨を折って三番目の プ て、砂漠の中をさ迷い歩いた。砂漠と見えたのは、実は白布守衛を見つけたーーあるいは、もう十一番目だったのかも知 と と , つで - もよい まあ、何番目だったかは、。 の無名のサマリア女たちの集団だった。ばくはその中から、れないが にかくある日のこと、この苦労のあげく見つけだした守衛も 看護婦ドロテーアを探そうとしていた。もっとも、ばくがド

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」11 -ドイツ2

トイフェル 著」さや 婦ドロテーアはぶるぶる震えだして、「ああ、悪魔 ! 」と囁ら彼女の身体を仰向けにし、頭を西のほう、つまりクレップ いた。これを聞いて、ばくは思わずクスクス笑ってしまった。の部屋のほうへ向けて、その身長の分だけ絨毯の上へ引きす しかし、けっして悪意があって笑ったのではなかった。それった。彼女の背面は少なくとも一メートル六十センチの長さ ス ラなのに、彼女はそれを悪魔のクスクス笑いと解釈した。ばく にわたって、椰子絨毯に触れていたので、彼女の前面もばく はしかし、トイフェルという語がきらいだった。だから、彼はやはり同質繊維で蔽ってやったが、もちろん七十五センチ 女が再度、だがもうすっかりおじけずいて、「どなたなの ? 」の長さしか、自由にならなかった。初めばくは、その七十五 たず あご と訊ねたとき、オスカルは、「おれはサタン ( 悪魔 ) だ。看センチのマットを、彼女の顎の下に当ててみたが、これだと ふともも 護婦ドロテーアに会いにきた ! 」と答えた。すると彼女は、反対の端がどうも太腿よりだいぶ下まで行きすぎる。そこで 「ああ神様。でも、 いったいなんの用で ? 」 今度は、そのマットを十センチほど上にずらして、彼女のロ ばくはこの役に徐々にはまりこみ、またばくの中に住むサの上まで持っていった。しかし、ドロテーアの鼻は蔽わなか タンを後見役にして言った、「サタンは看護婦のドロテーアったから、呼吸に差し支えはなかった。事実、オスカルのほ が好きなのだ」。「いや、いや、いや、あたしはいやよ ! 」と、 うでも、べッド用マットの上に身体を横たえ、そのマットの またしても、 彼女はなおも腕を突きだして脱出をはかったが、 たくさんの繊維を震わせたとき、彼女は鼻息を荒くした。ば ばくの椰子の悪魔的繊維へ手をぶつけてしまったーー彼女の くは、看護婦ドロテーアとじかに接触しようとはせず、ます、 寝間着はとても薄かったらしい おまけに、彼女の十本の椰子繊維の力を働かせることにし、さらに、ドロテーアとの 指が誘惑的なジャングルのとりこになってしまい、そのため対話を再開した。彼女は相変らずなかば失神状態で、「ああ、 彼女は虚脱失神状態におちいった。看護婦ドロテーアが前へ神様、ああ、神様」と囁き、繰り返し繰り返し、オスカルの 崩折れたのは、たしかに一種の軽い失神のせいだった。ばく 名前と素性を訊ねた。そして、ばくがサタンを名乗り、サタ せりふ は自分の身体から離して高くかかげたばくの毛皮でもって、 ンという語を悪魔的に耳うちし、また、いろいろの科白で、 すみか 倒れかかる女を受けとめ、かなり長いことそのまま支えてい ばくの棲家である地獄の話を話してきかせるたびに、彼女は たが、このあいだにサタンの役にふさわしい決心を固めるこ椰子絨毯と椰子マットのあいだで震えおののいた。ばくはそ とができた。それでばくはちょっと後退して、彼女に膝をつんなことを囁きながらもべッド用マットの上で、一所懸命に くことを許したが、彼女の膝がトイレットの冷たいタイルに体操し、マットを動かしつづけた。なぜならこの椰子繊維が、 触れずに、廊下の椰子絨毯に触れるように気をつけ、それか看護婦ドロテーアに一種の感情を起こさせたのを、ばくの耳

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人かの買い手の気をひくこともあるだろう。面会時間が終る と、彼は受け持ちの患者の部屋から集めてきたありきたりの 紐を解きほぐし、その紐を結んで、軟骨状の複雑なお化けを つくる。それから石膏にひたして固め、木の土台に固定した 編み針に刺して留めるのである。 彼はときどき、自分の作品を彩色するという空想にふけっ ている。ばくはそんなことはやめろと言い、白いラッカーを 塗った鉄のべッドを指さして、このいとも完全なべッドがけ 大きなスカート ばけばしく塗りたくられたさまを想像してみたまえと言う。 すると彼はびつくりして、看護人の手を頭の上で打ち合わせ、 いっとき そのとおり、ばくは気違い病院の住人である。ばくの看護少しく顔をこわばらせて、驚きの表情をなにもかも一時にあ め 人はばくを見張っていて、ほとんど眼をはなすことがない らわそうとし、それから彩色の計画を放棄する。 のぞ ドアに覗き窓がついているのだ。それなのに、看護人の眼は ばくの白ラッカー塗りの鉄のべッドは、それゆえ、一つの 例の茶色なので、青い眼のばくを看破することができない 尺度だ。しかもばくにとってはそれ以上のものなのである。 だから看護人は、断じてばくの敵ではありえない。 ばくはすなわち、このべッドは最後にたどりついた目的地であり、 彼に愛情すら抱いている。このドアのかげからのぞいているばくの慰めであり、もし病院当局が、少々手を加えることを 男がばくの部屋に足をふみ入れるやいなや、ばくは自分の生許してくれるなら、ばくの信仰になるだろう。つまりばくに 涯のさまざまな出来事を話してやる。覗き窓の邪魔など無視もうだれもあんまり近寄れないように、。ヘッド の格子を高く して、ばくを知ってもらいたいのだ。この善良な男はばくのしてもらいたいのだ。 太話を高く評価しているらし い。なにかでたらめな話をしてや 週に一度の面会日が、白い鉄格子のあいだにかもされたば ひも キると、とたんに彼はそのお礼のしるしとばかり、紐を結んでく の静寂を中断する。その日にはばくを救おうとするやつら プ作った最新の作品を見せてくれるからである。彼が芸術家でがやってくる。わが身をばくと比較してうぬばれたがり、改 亠めつかレ」 , つかは、 っさい触れないでおくことにする。しかめて自分を見直したがっている彼らにとって、ばくを愛する し、彼の作品が陳列されれば、新聞は好意的にとりあげ、幾ことは楽しみなのだ。なんと愚かで、神経質で、教養のない せつこう

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瓶や缶は一杯にのっていた。脱脂綿の包みと半分空になってのも湧いてこなかった。このときのばくの心の状態を端的に いる月経帯の包みとが、そのときオスカルから、それらの缶表わすのは次の事実である、すなわち、たちまちばくの心に の中身を調べる勇気を奪ってしまった。しかし、今でもばく 効験あらたかという評判の幾種類かの養毛剤が思い浮び、こ ス なんこう ラは、あの缶の中身は化粧品類か、毒にも薬にもならない軟膏れらの薬をばくはおりをみて、看護婦に手わたしたいと思っ ぐらいのものだったろうと思っている。 たのである。こうして彼女に会うことを早くも考えながら 櫛を、この看護婦はヘアー。フラシの中に差しこんでおいた。 オスカルは暖かく風のない夏空の下、波うつ小麦畑の中 ばくはいささかためらったあげく、ついにその櫛を。フラシかでの出会いを思い浮べた ばくは櫛から抜け毛をむしり取 ら引き抜き、つくづくと眺めた。そうしてみたのはたいへんり、それを束ねてひと結びし、この束から一部の埃とふけを よいことだった。つまりこの瞬間にオスカルはきわめて重大吹き払ったうえで、それをばくの紙入れの仕切りの一つを大 な発見をしたからである。すなわちこの看護婦は、プロンド急ぎで空にした中へ用心ぶかく押しこんだ。 の髪をしていた。ひょっとしたら灰色がかったプロンドかも 紙入れを扱うためにオスカルが一時大理石板の上へ置いて しれない しかし、櫛にひっかかっている死んだ毛髪から結おいた櫛を、ばくは紙入れと分捕り品を上着のポケットにし 論をだすには重を要する。だから、ここでは、看護婦ドロ まってからもう一度とりだした。ばくはこの櫛を裸電球にか テーアは・フロンドの髪をしている、ということを確認するに ざして、透かしてみた。そして、歯の強さの異なる二つのグ め とどめておこう。 ループに眼を走らせ、きやしゃなグループの中で二つの歯が さらに、櫛に怪しいほどたくさんの毛髪が付着しているこ 脱落しているのを確認し、ぜひとも左人差し指の爪を頑丈な とは、この看護婦が抜け毛に困っていることを物語っていた。 ほうの歯列の頭に沿ってプル。フルンと走らせたくなり、この 女性の心をきっと不央にするに違いないこのつらい病気を、 暇つぶしのあいだじゅう、数本ばかり残っている毛髪をキラ ばくはただちに看護婦の制帽のせいにしたが、 その制帽を非キラ光らせることによってオスカルを喜ばせた。それは怪し 難しはしなかった。なぜなら、ちゃんとした病院では、制中 」冒まれないようにと、ばくがわざとむしりとるのをやめておい なしではすまされないのだから。 た毛髪であった。 オスカルは酢の匂いは大きらいだったが、看護婦ドロテー やっとのことで、その櫛がヘアー。フラシの中に収まった。 アの毛髪が脱けおちたという事実を知った以上、ばくの、いに ばくをあまりに一方向にばかりかたよらせた化粧台から、ば は同情によって洗練された、憂慮のこもった愛以外のなにも くは離れた。看護婦のペ ッドへ行く途中でばくは台所用の椅

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行われた、看護婦のイルゼが看護婦長に告げロしたそうだ、の院長は日に三ないし四時間までなら太鼓を叩くことを彼に 婦長が昼食直後に見習い看護婦たちの宿舎を検査した、また、許可しているーーー彼の指はそれだけ独立して、他のできのよ たしか、ゲ い肉体の一部になったかのように働く。マツェラート氏は、 盗難があり、ドルトムント出身の一看護婦が いまでもレコードで レコードでたいへん金持ちになったし、 ルトルートといったと思うがーーぬれぎぬを着せられた、と 稼いでいる。おもしろい人たちが彼の面会日に訪ねてくる。 いった話だ。それからまた、看護婦から煙草の配給券ばかり 貰いたがっていた若い医者たちの話も、彼は詳しくしてくれまだ彼の裁判が始まらない前から、彼がわたしたちのところ へ引きわたされる前から、わたしは彼の名前を知っていた。 た。それから、看護婦でなくある女の薬剤師が単独かもしく だたい なにしろ、オスカル・マツェラート氏は傑出した芸術家なの はインターンの手を借りて、自分の身体に堕胎を企てたかど で取調べを受けたことも、彼は話すに値すると考える。わたである。わたし個人としては、彼の無罪を信じており、した しは、こういう通俗的なことに精神を浪費するわたしの患者がって彼がすっとわたしたちといっしょに暮らすことになる か、それとも、もう一度世間に出て、以前のように成功を収 の気が知れない マツェラート氏は、今わたしに彼の話を記述するようにとめることになるか、わたしにはなんとも言えない。それはそ 言う。喜んでわたしはこの希望に応じ、そして、看護婦を扱うとして、今はわたしは彼の身長を測る役目を言いっかって っているために、彼が大げさな一言葉でくどくどと描写する長いる、二日前に測ったばかりなのだが ばくの看護人。フルーノーの記述を読み返すのはやめにして、 たらしいあの話の一部を省略することにする。 わたしの患者は、身長一メートル二十一センチである。彼ばく、オスカルがふたたびペンをとることにする。 。フルーノーが今しがた彼の折尺でばくを測ってくれた。そ の頭は正常の大人の場合でも大きすぎるくらいである。それ が両肩のあいだの少々曲ったような首の上にのっている。胸の物差しをばくの身体の上に置いたまま、彼は測った結果を 鼓郭と、せむしと呼ばれる背中が現われる。彼は、強い光を放大声で知らせながらばくの部屋を出てい 0 た。ばくが話して いるあいだに、彼がこっそり作りあげていた結び紐の作品も 太ち、利ロそうに動き、しばしば夢想的に見ひらかれる青い眼 キ をしている。髪は多く、軽いウェ 1 ヴのかかった焦げ茶色を彼は落としていった。女医のホルンシュテッター博士を呼び に行ったのだと思う。 プしている。彼が見せたがるのは、ほかの部分に比して強力な しかし、その女医がやってきて、プルーノーが測った結果 両腕でありーー彼に言わせればーーーその手がまた美しいのだ ここを保証してくれる前に、オスカルはあなた方に申しあげる、 そうだ。とくに、オスカル氏が太鼓を叩くときには もら

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たった。この「誘拐」で少々論争を巻きおこした直後に、 オスカルは、そんなときには排水管のない浴槽付きの彼の 判「道化が看護婦を治す」という絵ができあがった。 部屋を去って、ツアイトラー家の廊下に出てから看護婦の部 ばくの一一一 = 口が、ラスコリニコフの空想に火を点じたのだっ屋の前に行き、そのドアのハンドルを掴んだ。 ス た。陰気な赤毛の彼は、するそうな表情で考えこみながら、 六月の半ばごろまでばくはこの実験をほとんど毎日のよう 絵筆をすっかり洗ってしまうと、ウラをじいっと見つめて罪 に行なったのだが、そのドアはいうことをきこうとしなかっ と罰の話をしたが、このときばくは彼に、ばくの中に罪を見、た。早くもばくは、この看護婦を責任ある仕事のおかげで非 きちょうめん ウラの中に罰を見てはどうか、と助言したのである。ばくの常に几帳面に育った人間だと考え始めていたから、うつかり 罪は大っぴらのほうがいい、罸のほうには看護婦の服でも着 ドアの鍵をかけ忘れるなどということを期待するのはやめた せてみたらどうだろうか、と。 ほうが利ロだと思った。そのためだろうか、ある日のこと、 このすばらしい絵が後に、人を迷わせるような妙な名で呼そのドアに鍵がかかってないのを発見したとき、ばくは鈍重 ばれることになったのは、ラスコリニコフのせいであった。 な機械的反応しか示さず、ドアをすぐにふたたび閉めてしま っ , ) 0 ばくなら、あの絵を「誘惑」と名づけただろう、というのは、 つか 描かれたばくの右手がドアのハンドルを掴んでまわし、看護 きっとオスカルは数分間、皮膚をこの上なく緊張させて、 のぞ 婦が立っている部屋の中を覗いているのだから。また、この廊下に立っていたのだろう。そしていちどきに、実にいろい ラスコリニコフの絵を、あっさりと「ドアのハンドル」と呼ろな種類のことをいろいろに思い合わせたものだから、彼の ふのもしいだろう。かりにばくが、「誘惑」に新しい名をつ 心はあの襲撃の計画らしきものをきめるのに苦労したのであ けるよ , つに一一 = ロわれたら、ばくは「ドアのハンドル」というる。 をすすめるだろう、なぜなら、あの手がかりをなす突起は、 そのうちにばくは、ばくとばくの考えを別の関係に接木す 試みられることを欲しているのだし、看護婦ドロテーアの部ることに成功した。マリ ーアと、彼女を崇拝する男との関係 屋のミルク色のガラス戸についているあのハンドルは、はりである。ばくは考えた、マリ ーアは崇拝者を従えている、崇 ねずみ 鼠のツアイトラーが旅行中で、当の看護婦が病院勤務中で、拝者は、マリーアに缶入りコーヒーを贈った、崇拝者とマリ ツアイトラー夫人がマンネスマンの事務所で勤務中なのがわ ーアは土曜日にアポロへ行く、マリーアは仕事じまいになっ かっているときには、どの日にもばくの手で試みられたのだてからでないと、崇拝者に置れなれしい口をきかない、仕事 から。 中マリ ーアは崇拝者にていねいな口をきく、店の主人なのだ かギ

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からーーと、こんなふうに、マー ーアと崇拝者とをいろいろ ーン大理石さえもあの永続的な正面板に変えてしまい、それ な角度から考察してみたとき初めて、ばくは、ばくの貧しい で大きな肉屋の店先を飾っているのだ。 さて、馴染みの石灰岩とっきあったおかげで、不良品の鏡 頭の中で考えを整理する端緒を掴むことに成功したーーそし にうつったばくの歪んだ姿を忘れることができたばくは、こ てばくは、そのミルク色のガラス戸をあけた。 こでやっと、オスカルが部屋に入ったとたんに異様に感じた ばくは、この部屋は窓のない部屋だろうともう前から思っ ていた。なぜなら、ドアの上部の曇りガラスの部分に、一条あの匂いをうまく言いあてることもできた。 それは、酢の匂いだった。後に、つい二、三週間前にも、 の陽光が洩れていたためしがなかったからだ。ばくの部屋と まったく同じに、右側をさぐってみると、電灯のスウィッチばくはこのツンとくる臭気をやむを得ないものと考えたのは、 こう推測したからだ。すなわち、この看護婦は前日に髪を洗 が見つかった。部屋というにはあまりに狭いこの小部屋なら、 ったらしい この匂いは、頭をすすぐ前に、彼女が水に混ぜ 四十ワットの電球でも十分に間に合った。いきなり目の前に、 びん 上半身が鏡にうつって現われたのにはやりきれなかった。オた酢の匂いだった。なるほど、化粧台の上には酢の瓶は見当 スカルは、しかし、彼の左右反対の、だからといって別に有たらなかった。ほかのレッテルを貼ってある容器の中にも、 益でもない映像を避けようとはしなかった。というのは、鏡やはり酢はなさそうだった。それにまた、ばくは自分に何度 も言いきかせたのだが、看護婦のドロテーアは、マリア病院 の前に、それと同じ幅で置かれている化粧台の上にのってい つまさき る種々のものがばくを強く惹きつけ、オスカルを爪先立たせに最新式の浴室があるだろうのに、ツアイトラー家の台所で、 たからである。 前もってツアイトラー氏の許可を得たうえでお湯をわかし、 洗面盤の白エナメルはところどころ青黒く剥げていた。そそれを彼女の小部屋に持ってきて、十二分に髪を洗うなどと いうことをするわけがないだろう。しかしもしかすると、看 の洗面盤が上縁まですっかり埋めこまれているあの大理石の 化粧台も、やはりほうばう破損していた。大理石板の左角が 護婦長か病院管理人の一般命令で、看護婦たちは病院内のあ 太欠け落ちており、そのかけらが鏡の前に置かれ、鏡に向ってる種の衛生設備を利用することを禁止されていたのかも知れ かしょ キ ない。それでドロテーアも、やむなくここのこのエナメルの その条紋を示していた。破損個所に剥げおちた接着剤の跡が プ残っていて、修理の不手際ぶりがうかがえた。ばくの石工の洗面器の中で、いいかげんな鏡を前にして、彼女の髪を洗う ことになったのかも知れなかった。化粧台の上には酢の瓶こ 州指がむずむずした。コルネフの自家製の大理石接着剤のこと をばくは思った。あれは、すいぶんばろばろに崩れていたラそ見当たらなかったが、しかし、その狭い大理石板の上に小 ゆが

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グラス 884 しかし、四人の尼僧たちを彼の叫び声で彼の寝床の前に 日三時間も超満員の列車の中か、ときには列車の踏み台の上 集める効果を発揮し、彼女たちの祈りをいつまでも終らせよ にのって通わなければならなかった。病院と収容所はそれほ , っとしなかった。 ど遠くへだたっていたのであるーー医者たちはすいぶんため 同乗者たちの優に半数がシュヴェーリ ンでこの輸送列車をらったあげく、患者をデュッセルドルフの市立病院に引きわ おりたが、その中にはレギーナ嬢も含めて亡き社会民主党員たすことに同意した。ことに、マリ ーア夫人が移住許可書を の一家もいた。マツェラート氏はこのことを大いに残念がっ持っていたので、その気になったのである。すなわち、デュ た。氏はこの少女の顔を見ることに慣れ、見ずにいられなく ッセルドルフには戦時中その地のポーイ長と結婚した姉のグ なってしまっていたからで、そのため彼女が行ってしまったステがおり、夫のポーイ長がロシアの捕虜になっていて、部 けいれん あと、高熱を伴う激しい痙攣性の発作が氏を襲い、身震いさ屋が空いていたため、二部屋半の住居の一室をマツェラート せたほどだった。マリーア・マツェラート夫人の陳述によれ夫人に提供してくれたのである。 ば、氏は、絶望的にルーツィエという少女に呼びかけ、自分その住居は便利なところにあった。ビルク駅からヴェルス ぐうわ のことを寓話上の動物とか一角獣とか呼びかけ、十メートル テンとべンラート方面へ行く市電に乗れば、乗換えなしで楽 の飛込み台からの墜落を恐れる気持ちと、墜落したいというに市立病院につくことができた。 欲求とを同時に示したとのことである。 マツェラート氏は、四五年八月から四六年五月までその病 リューネ。フルクでオスカル・マツェラート氏は病院に入れ院にいた。彼はわたしに一度に何人もの看護婦のことを話し られた。そこで氏は、熱にうなされながら数人の看護婦と馴てきかせる。もうその話が一時間以上もつづいている。彼女 染みになったのであるが、まもなくハノーファーの大学病院たちはモニカ、ヘルムトルート、ヴァルプルガ、イルゼ、ゲ へ移された。そこでうまく熱を押えることができた。マリ ルトルートといった名前である。彼は病院内での長たらしい ア夫人と彼女の息子のクルトに、マツェラート氏はたまにしおしゃべりを記憶しており、制服をはじめ看護婦生活に付随 か会えなかったが、 そのうち彼女が掃除婦として病院で働くするいっさいのものに大げさな意義を与えている。わたしの ようになってからは、また毎日会えるようになった。しかし、 記憶するかぎりでは、当時の病院食の粗末なこととか、暖房 病院内や病院の近くには、マリーア夫人とクルト坊やが住めも不十分な病室のことなどには、一言も触れなかった。話題 るような部屋はなかったし、また避難民収容所住まいもだんはもつばら看護婦のことや看護婦関係の事件や退屈きわまる だん耐えがたいものになってきたのでーーーマリーア夫人は毎看護婦の環境ばかりである。そこではこそこそ話や告げ口が