(r おかしな恋』より。田才益夫訳、世界文学全集第四六巻所載、学 進められ、時の経過が数多くの時計によって示される。 拙文の筆者は当時この舞台を見たが、それが強い印象とし習研究社、一九七九年 ) と、「年老いた死者は若い死者に場所 て残っているのは、数多くの時計が時を告げ、それが音を高を譲ること」 ( 沼野充義訳、雑誌「へるめす」一九号、一九八九 めて切れる瞬間に心理的時間から物理的時間への転換が行わ年 ) がそれである。 ( 他のものは「キイノート」参照 ) れるというテクニックであった。 劇作品を書くという形式にしばられた創作から、より自由 チェコ事件の直前に「プターコビナ」という作品が演劇雑な形式へと転じたクンデラは、この分野で十分な才能を発揮 する余地を発見して、それ以後この分野から足を踏み出そう 誌に発表され、それを読んだが、これは学校の黒板に大きく 女性のシンポルが描かれているのが発見され、それをただちとしないように見える。 まじめ これらの短編の中でクンデラが描いたのは真面目一辺倒で に消すべきか、証拠として保存すべきかをめぐっての喜劇で、 はない余裕のある人間像で、それが遊びの精神に触れて現れ これもテーマの遊びの下にかくされた人間のどうしようもな るユーモアや冗談である。しかし、このユーモアや冗談に見 い形式主義を描き出した作品である。 「鍵の持ち主たち』には邦訳がある。『鍵の所有者』 ( 村井志る遊びは必ずしもその主人公の意図とは違うコンテキストに ふくしゅう 入り込み、思いがけない復讐をする様子が描かれる。この 摩子訳、現代世界演劇第八巻所載、白水社、一九七一年 ) 。 ハターンはこの短編集に共通であるのみか、『冗談』にも、 短編 『存在の耐えられない軽さ』にも共通であることから見て、 一九六三年、クンデラは『微笑を誘う愛の物語』という短クンデラの執筆の一つの柱となっているといえよう。 編集を発表する。結局この短編は稀にみる大評判になったこ 『冗談』 』 ( 一九六 ともあって、「微笑を誘う愛の物語、第二ノート 五 ) 、『微笑を誘う愛の物語、第三ノート』 ( 一九六八 ) と続クンデラがこれまで進めてきた歩みの総決算のような形で き、一九七〇年に、全部で十編あったものから、八編を選び出てきた今世紀の傑作の一つが、一九六七年に出版された長 説出し、一冊の本としても刊行されている。この一巻本でも分編小説『冗談』である。長編といっても、三百ページ弱のそ 解 冊と同じように三部に分けられているが、これは最初の三分う大きくない作品であるが、これまで密度の高い短編を書い 冊とはやや違う配分になっている。八編ある一巻本の第二部てきた作者が、そのままの密度で。ハノラマを展開したのがこ にある二つの短編には邦訳があり、「ヒッチハイクごっこ」の作品で、サルトルが「今世紀の傑作は社会主義の地から出 まれ
・ベルクマンに会い ハレスチナの状況をきき、そこに移住する ことを考える。七月初めから八月初め、妹エリとその子供たちと共 にバルト海の海水浴場ミューリツツに行き、ポーランド出身の東方 カユダヤ人の娘ドーラ・ディアマントを知る。ベルリンを経由し、八 カ月九日プラハに帰る。八月半ばー九月二十一日、オットラとその子 供たちとシェレーゼンで休養。あとプラハに寄り、九月二十四日べ ルリンのドーラのところに移る。二人は翌日シュテーグリツツ地区 に移り、カフカはユダヤ教大学で聴講する。十一月グルーネヴァル ト街に移る。カフカはドーラとバレスチナに移住する考えも捨てて はいない。冬から病状悪化。 ・一九ニ四年 ( 四十歳 ) 二月ツェーレンドルフ地区に移る。病状急激に悪化、 三月叔父ジー クフリートとプロートがカフカをプラハに連れ戻す。四月「ヴィー ナー・ヴァルト」サナトリウムにはいり、またウィーン大学附属病 、一うとう 院で喉頭結核の診断を下される。四月末ウィーン郊外キールリング のサナトリウムに移る。ドーラとクロップシュトックがっき添った。 六月三日死去。六月十一日プラハ シュトラシュニツツのユダヤ人 墓地に埋葬。五月から病床でその校正刷を見ていた短編集『断食芸 人』が夏シュミーデ書店から出版。 ( 城山良彦編 )
に恩給支給を申請するが、却下される。 短縮された形で初演される。ムージルはこれに対し新聞・雑誌上に ・一九三七年 ( 五十七歳 ) 抗議文を発表する。 ウィーンのオーストリア工芸連盟にて「愚について」と題する講演 ・一九三〇年 ( 五十歳 ) を行なう。同年出版。ムージルの著作の版権が、ベルリンのローヴ ローヴォルトと前払い金について交渉するが、成果少なし。五月、 いじよう ゲルハルト・ハウブトマン賞受賞。『特性のない男』第一巻出版。ォルト社からウィーンのベルマン・フィッシャー社に移譲される。 ・一九三八年 ( 五十八歳 ) 一部で大きな反響を呼ぶが、ムージルの経済状態を好転させるには 三月、オーストリア併合。ナチス・ドイツ国内の出版主、オイゲ 至らない ン・クラーセンが好条件で出版契約を申し出るが、ムージルは最終 ・一九三一年 ( 五十一歳 ) ローヴォルトと交渉、前払い金支給が六カ月間延長される。十一月、的にこれを断る。八月、ムージルは『特性のない男』続編の草稿を 携えてユダヤ人である妻マルタとともにオーストリアを後にし、イ ベルリンに移り住む。 タリアを経てチューリヒに入る。渡米の可能性が探られる。 ・一九三ニ年 ( 五十ニ歳 ) 、ペレリノにムージル ・一九三九年 ( 五十九歳 ) 『特性のない男』執筆を経済的に援助すべく ドイツとオーストリア国内で「特性のない男』と「生前の遺槁集』 協会が設立される。「特性のない男』第二巻を出版。 が禁書に指定される。ジュネープの「亡命知識人のための国際救済 ・一九三三年 ( 五十三歳 ) トーマス・マン等の提議によって、ベルリンのプロイセン芸術アカ委員会」より月々の補助金支給が約束される。ロンドン・ペンクラ デミーから補助金が支給される。ローヴォルトからの前払い金が打プの援助で渡英する可能性が探られる。ニューヨークの「ドイツ文 ひつはく 化の自由のための米国協会」から半年間補助金が支給される。七月、 ち切られ、経済的にますます逼迫する。三月、ドイツでヒトラーが ジュネープへ移住。 政権を掌握。五月、ムージルは。ヘルリンを去ってウィーンに戻る。 ・一九四〇年 ( 六十歳 ) ・一九三四年 ( 五十四歳 ) 「特性のない男』完成のための経済的援助を行なうべく、ウィーン貧窮と孤独感に苦しみながら『特性のない男』と取り組むが、はか どらす。ふたたび渡米の可能性が探られる。 にムージル協会が設立される ( ー三八年 ) 。 ・一九四一年 ( 六十一歳 ) ・一九三五年 ( 五十五歳 ) ハリの「文化擁護のための国際作家会議」で講演を行なう。これま全著作が禁書に指定される。ムージルのためにロックフェラー財団 觴で新聞・雑誌等に発表された短文を集め、「生前の遺稿集』としてから補助金が支給されるよう、アルベルト・アインシュタインらが 尽力するが、果たされす。 出版する。 ・一九四ニ年 ( 六十一歳 ) ・一九三六年 ( 五十六歳 ) ・バートで水泳中、卒中の発作に襲われる。国四月十五日、午前中の仕事を終えて浴室で体操中に脳卒中に見舞わ 自宅近くのディアナ
1121 解説 さて、代表作のヒーローたちも、作者の年輪と共に、成長 て、抑圧の対象となった例は少なくない。かって十六世紀に、 ク年期の性へのめざめを扱った ローマ教皇庁は『デカメロン』を禁書目録に投じた。二十世している。初期の作品に、ト 『アゴスティーノ』や『反抗』がある。前者は十三歳、後者 紀の半ばになって、モラヴィアの作品が同じ扱いを受けた。 作者はなぜセックスを好んで取りあげるのか、その理由につは十五歳の少年が主人公である。特に後者の、感受性の鋭い 主人公の登場や激しく下降線を描くプロットの設定は、その いて彼はこ , っ説明している。 「セックスは、説明の余地のない自然なことである。ところ後の傑作の手法と似通っている。主人公のルーカは優等生で かぎ で、小説家はそれそれ現実を開くのに使う自分の鍵をもってあったが、思春期を迎えて手に負えないほど反抗的になる。 いる。バルザックの鍵は金銭であり、プルーストはスノッ。フ外面に向くのではなく、激しく内面を責める。大切な切手コ レクションを惜しげもなく友達に与え、自分の持ち物のすべ な気どり、コンラッドは海、ドストエフスキーは殺害という ふうに。私は私なりに、現実のすべてを開く鍵であるセックてを道具屋に無料でやる。両親から心を離し、遂には死で、 スをもっているわけである。たとえば、バルザックが、金銭反抗を示そうとする。拒食が始まり極限に陥った時、家政婦 しゅんどう ひろ を手段にして恋愛、政治、社会生活、家族などと表現を拡げに誘惑される。肉体的な欲望は、同時に生命の蠢動を意味 する。やがて、若い看護婦によって大人の世界を知った時、 てい / 、 , つに」 上 / ポポーロ広場近くの 自宅テラスてポーズをとる ( 一九五一年、ローマにて ) 中 / ノーベル賞候補と 噂されていたヒ 下 / / ヴィアレッジョ賞 授賞式にて ( 一九六一年 ) ( 一九五九年、ミラノにて )
1097 解説 ません。この作品は、自叙伝あるいは、むしろ精神の系譜で 作品 す、なぜなら、物語は精神の系図を奥の奥まで、系図が、神 生前、シュルツが発表した作品集は一九三三年末の『却桂話にまではいりこんでしまう場所、神話的な幻覚に迷いこむ ところまで示しているからです」と。 色の店』 Sklepy cynamonowe と四年後の『クレプシドラ・ あとドイツ語で書いた作品が一編ある。〃タイプにして三 サナトリウム』 Sanatorium Pod Klepsydrq との二巻だけで ある。ともに緩い結びつきをもっ短編集で、前者は、標題の十ページ〃ほどの長さのこの作品は、「帰郷」 Heimkehr と ものを含む十五編、後者は、同じく十三編から成る。ほかに、 いう題名と『クレプシドラ・サナトリウム』と " 縁つづきの 、 0 ″ 0 、 テーマ〃と知られているだけで内容はわかっていなし 雑誌掲載のみで両者に洩れた短編に「秋」、「夢の共和国」、 ーランド語という限界の外に出る〃ことを夢みつづけたシュ 「彗星」、「祖国」がある。残りは『書簡集』と評論である。 ルツは、三七年十月にはこれを完成していて、三八年二月に 作品集『肉桂色の店』について、作者自身はこう書いてい る。「私の見るところでは、『肉桂色の店』は、自伝的な小説は、「友人の母親がチューリヒに旅行するついでにトーマ です。その理由は、一人称で書かれていること、また作者のス・マンにとどけるはず」と友人に知らせた。それが実行さ 幼年時の事件や経験がそこに見てとれることばかりではありれたのかどうか、いずれにせよ、この遺稿の所在は突きとめ 上 / シュルツは鉢巻きをしめると ふざけて ウイトカツイに襲いカカた 中 ' / ボリスワフにて 左からシュルツ ラウラ・ヴュルツベルグ マリアン・ヤヒモヴィチ アンナ・プウォッキエル ( 一九三八年八月 ) 下 / 親しい先輩スタニスワフ・ イグナツイ・ヴィトキエヴィッチ ( 通称、ヴィトカツィ ) いろ 、つけい
シンメトリーこ 魅入られたかのごとく、また、われわれの驚追いついてゆくことができなかったためでもあろう。いや、 愕の声に駆り立てられたかのごとく、ひとしく軌道から身をわたしの思うには、 かくのごとき正確無比な狙いのまえに体 - 一うこっ そらすと、同様に、フロラ・ゲンテの手の小指めがけて発砲をさらして立っことに、一種の恍惚すら感じていたのではな したのである。弾を放ち、しやがれ声の短く乾いた笑いをあかろうか。しかしながら、弾薬がついに尽きた。コロンビャ はいせん げたのである。フロラは手を口にあてた。われわれは驚愕のの達人は最後の一発でフィリードル教授夫人の右肺尖を射と 声をもらした。 めた。ライデンの達人は、それに答えて、間髪を入れず同じ そのとき早く、分析家はふたたび発砲し、教授夫人のいま くフロラ・ゲンテの右肺尖を射とめた。われわれは、い 一本の小指をも落としたのであった。夫人はもう片方の手を度、驚愕の声をもらした。静けさがあとを襲った。二つの胴 あげて口にあてた。われわれは驚愕の声をもらした。と、四体は息たえて、地面にくすおれた。敵手二人は互いに顔を見 分の一秒のまを置いて綜合の放った一発が、十七メートルの合わせた それで ? 距離を狙いたがわず飛んでゆき、このうえもない確かさでフ : 二人は、ともに顔を見合わせたまま、なにが ロラ・ゲンテのまったく類似の指を落としたのであった。フどうしたか、かいもく見当もっかぬがごときありさまであっ ロラは手をあげて口にあて、われわれは驚愕の声をもらした。 た。実際、なにがどうしたというのであるか ? 弾薬はすで かくして、あとはなるようになっていったのである。射撃は に尽きていた。いや、死体がすでに地面に転がっていたので 熱つばく激しく、みごとさそのもののごとくみごとに、おやあった。まったくのところ、なに一つなすべきことはなかっ みなく取りかわされ、十本の手の指が、耳が、鼻が、歯が、 たのである。すでにして時は十時に近かった。率直に言って、 突風にさらわれる木の葉のごとくに飛び散っていったのであ勝利は分析の側にあったのではあろうが、しかし、それがど けった。われわれ介添人一同は、この正確無比な早射ちがわれうだというのであろうか ? まったくなんということもない 力しカ われの心中に呼び起こしてゆく驚愕の声にかろうじて追随しのであった。同様にして綜合が凱歌を奏することも十二分に てゆくだけで、もう精一杯であったのである。すでにして二可能だったのであり、たとえそうなっていたとしても、また、 人の婦人は自然に備わった肉体の突起や付属物のすべてを余なんということはなかったにちがいないのである。フィリー 工 すずめ フ りなくそぎとられてしまってしたが、 、 : それにもかかわらず、ドル博士は石をとると、一羽の雀めがけて投げつけた。はす いまだに死体と化して倒れなかったというのも、ひとえにまれた。雀は逃げ、日がしだいに強く照りつけ始めた。アン た息つく暇もない稲妻のごときこの早射ちに、同様にして、 チ・フィリードルは土くれを取って、木の幹をねらって投げ
工藤幸雄 シュルツその人の名さえ、この西ウクライナの街では、忘れ られている。《社会主義リアリズム》の天国を誇っていた、 プルーノ・シュルツ Bruno SchuIz, 12 VII 1892 ー 19 XI ソヴェト連邦ではシュルツの作品は存在し得なかったからだ。 1942 が、そこで生まれ、育ち、仕事をし、そして死んだ街、一九六一年いらい、世界の主要な外国語で、さらにはユーゴ、 ノンガリーでさえ訳書が出ているにもかかわらす。 ドロホビチ Drohobycz は小さな都会である。一九三一年のチェコ、 もっとも、シュルツ文学を否定する風潮は、人民ポーラン 統計で人口三万二千、七〇年に五万六千を数えたこの街の所 ドでもしばらく続いた。戦後初のシュルツ作品集の出版は 在は、意外にも、日本の高校用の地図帳でさえ、かんたんに 突きとめることができる。ポーランド東南部の国境近くに現『フェルデイドウルケ』と同様、五七年を待たねばならなか こ書簡を加えたほば完全な選集は、ようや ウクライナ領のルヴッフ ( リヴォッフ ) がある、その南西、った。主要な評論し く六四年末にまとめられる。最近の出版は、著作年譜のとお 国境とすれすれにこの都会の名が記されている。むろんシュ ルツの文名によるのではない、 この街は周辺の石油と天然ガりだが、七三年には『クレプシドラ・サナトリウム』という ス産業の中心であり、ソ連の大都会へ向けてバイプラインの題のかなり実験的な長編映画 ( 演出・ハス監督 ) さえ完成、 す . うよう 上映されたことを付け加えよう。なお、英国では八六年、 発する枢要の地だからだ。 シュルツ作品のあちこちには、彼の幼年時から少年時にか 「大通り」がプラザーズ・クイトによ 0 て、みごとに実 説けてのドロホビチの街の光景が、その住民たちの暮らしとと験的なアニメーションの映像作品となり、その後日本でも広 もに、古びた写真のなかでのように収められている。シュル く観客を集めたことは記録に値する。ついでに記せば、ポー ランド前衛演劇の長老タデウシュ・カントルがあるインタビ ツの育ったのは、この地方の石油産業の草分けの時代に当た ューで「私はシュルツから生まれた」と述べたことも忘れて る。そして実兄は、この分野の実力者の一人であった。だが、 解説 街 シュルツ お
やすい文章で綴って行く、常識的な近代小説よりも、その努 ムージルと『特性のない男』 力の積み重ねは、はるかに密度の濃い、そして今日に生きる ローベルト・ムージルは、二十世紀における小説の変容を、われわれ読者の内面に、はるかに強く食いこんでくる一 = ロ語の 最も力強く充実した表現を通じて跡づけて見せた作者の一人表現を達成している。 である。 いつ。へん そしてムージルの代表作を一篇といえば、やはり、死の直 ひっせい この巻に収めた『三人の女』その他の、比較的短い作品は 前まで書き続けられていた、文字通り畢生の大作、『特性の ない男』を名指さなくてはならない。十九世紀流の、大規模すべて、『特性のない男』より前に書かれている。畢生の大 な本格的近代長篇の様相をはっきりと刻みつけていながら、長篇が持っている途方もないひろがりが、そこに見られない しかもこの作品は、近代小説の常識を超えて、まことに深遠としても当然だし、表現における冒険がそれほど際立たなく し。 / 言力ても不思議はないはすである。たしかに、一篇一篇の規模の な、精神の冒険の領域に踏みこんでいる。常識的こまト兇。ゝ 扱うことをためらうであろうような、ほとんど一一 = ロ語を絶するささやかさに応じて、読者の側も、まとまった印象を受けや こ。ゝ、注意深く目をこらせ 生の神秘的な体験や、心の内奥に紡がれる思いがおのずからすいとはいえるのかもしれない。だカ 、一うこっ 無時間的な恍偬を誘いだす過程が、ここではあえて一一一一口語の世ば、一見まとまって見える作品の清景が、実は相当に不安定 な、どこからゆらぎだしてあてもなく漂い去ってしまうとも 説界にまで引き上げられている。時には強引、無理無体と言い 解 たくなるほどに激越な、言葉にならぬことを言葉にしようと測り知れない、危げな世界の映像のように見えてくるだろう。 くそしてその変化に、作者ムージルの、いかにも独特な現実把 する努力が重ねられている。当然のことながら、読みやす しかし適当に首尾を整えた物語の筋を、適当に読み握法をうかがって、驚異の思いにひたることができるだろう。 解説 ムージル 月朴二郎 『三人の女』 つ
朝人間存在の重みを語りかける人と愛の物語 ・錯綜した時代を乱反射する、文学の新たな視角 ①世界文学の侃をなす古典非首劇の集成 フ・フンスⅢ 古血ハ文学集 ・ドストエフスキー「罪と罰」・トルストイ「アンナ・カレーニナ」 ・ギリ・シア非集 /. アイスキュロス「アガメムノーン」ソボク・プルースト「スワン家の方へ」・ジッド「贋金つかい」・モー レース「アンテイゴネー」エウリーピデース「バッコスの」信女」リアック「テレーズ・デスケルー」・マルロー「王道」・サン・ 全 ・務し」波乱、一一十世紀ロシアが叫ぶ自由への希求 テグジュ。ヘリ「裔飛行」・一一十世紀フランス短編集 ・ダンテ「神曲」・セルバンセス「ドン・キホーテ」 ロシ→ / Ⅲ 学 ②暑と懊悩の乱舞、人間心理劇場の幕が開く ・ゴーリキー「イタリア物語」・ザミャーチン「われら」・プル 0 人間存在の不条理をえぐり出す極限の精神 ガーコフコし・ ) マルガリータ」・プラトーノフ「ジャン」・ソ 文イイリ , ス— フ一フンスⅣ ルジェニーツイン「イワン・デニーソヴィチの一日」・一一十世 ・シェイクスピア戲「夏の夜の夢」「オセロー」他・シェイ・カミュ「異邦人」・サルトル「壁」「水いらず」・ジュネ「 の 紀ロシア短・ロシア詩集 クスピア詩集・デフォー「ロビンソン・クルーゾー」・スウィ 日記」・セリーヌ「なしくずしの死」・ O ・シモン「ル・パ一 界 フトツリヴァ打記」 ・ロプ・グリエ「ジン」 ⑩新大陸を舞台として誕生したアメリカ文学の原占 〔・激しい ( 叩の力が明らかにする人間の輪郭 ⑩文学嬲し」社会嬲が激しく交壟 9 る十九世紀ドイツ ・メルヴィル「白鯨」・ポー「アッシャー家の崩壊」「黄金虫」他 ィーィリ ,. ス ・ホーソーン「緋文字」・マーク・トウェイン「ハックルべリ ・・プロンテ「嵐が五」・デイケンズ「バーナビー・ラッジ」 ・ゲーテ「若きヴェルテルの悩み」「ファウスト」・ヘルダーリ ー・フィンの冒険」・ヘンリー・ジェイムズ「糅の獣」他 ・ハーデイ「ダーバヴィル家のテス」 ン「ヒュべーリオン」・ホフマンっフランビラ一十女」「砂男」「蚤 の親万」・アイヒエンドルフ「のらくら者日記」・グリム・失われた世代を中心に、それに続く世代の群像 ①不断に湧出する意識の流れに人間の内面を探る ャ 「グリム帝」・十九世起」・イツ短罎 ィーィリ / スⅢ ・フィッツジェラルド「偉大・なギャッビー」・フォークナー「ア ギ ・ジョイス「若き日の飛水の」・ウインダム・ルイス「愛①人間精神の深淵を究めるドイツ文学の真髄 プサロム、アプサロム ! 」・ヘミングウェイ「日は↓れ昇る」・ の報酬」・デューナ・バーンズ「夜の森」・・・ロレンス「恋 、い、ーイツ・ . Ⅱ ヘンリー・ミラー「南回」・フィリップ・ロス「狂信署イ する女たち」 ーライ」・アメリカ短 ・リルケ「マルテの手記」・ホフマンスタール「影のない女」・ トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」コウエネッィアに死す」 ・病める現代アメリカをえぐる三人の作豕 集 3 現代イギリス文学の正統と異端、そして反逆〈の渇望 ・グラスっフリキの太鼓」・二十世起トイツ短編集 ィーィリ / スⅥ → / ズ .. リ / カⅢ ・ソール・べロー「その日をつかめ」・ポールドウイン「ビール・ ノ説世界の結品 ・ゴールディング「蠅の王」・シリトー「距離走者の孤独」・・芳醇に薫るヨーロツ。、、 ィーヴリン・ウォー「ピンフォールドの試練」・フラン・オプ ド「イツ .. Ⅲ・中欧・東欧・イ・タ . リ ,. 「 /.. スゥートにロあらば」・ジョン・バース「酔いどれ草の仲買人」 ライエン「ドーキー古文書」・マードック「鐘」・スパーク「マ ・カフカ「変身」「流刑地にて」他・ムージル「三人の女」・ゴン欧米文学に衝撃を与えたラテンアメリカ文学の世界 ンデルバウム・ゲイト」・イギリス現代短 プローヴィッチ ( ポ ) 「フェルデイドウルケ」・シュルツ ( ポ ) ・フ・アン「 /. メ .. リ′・カ フランス心理小説の開花が見せる美し・き庭の華 0 「肉〕の店」・・クンデラ ( チェコ ) 「存在の耐えられない ・ポルへス「伝奇集」「エル・アレフ」「砂の本」・アストウリア フしフンス 軽さ」・モラヴィア ( 伊 ) 「」・パヴェーゼ ( 伊 ) 「地」他 ス「大糖闇下」・ドノゾ「三つのプルジョア小説」・プイグ「赤 ・ラ・ファイエット夫人「クレーヴの奥方」・プレヴォ「マノ い唇」・マルケス「族長の秋」・ラテンアメリカ ・ロシアの大地に育まれた重厚華麗なる名作群 ン・レスコー」・コンスタン「アドルフ」・スタンダール「赤と 来るべき世紀の鮮烈さを秘めた文学の新たな領上 黒」・バルザック「谷間の百合」 ・プーシキン「オネーギン」・ゴーゴリ「死せる魂」「鼻」「外套」中国・ア , 。、ン「 /. ・→ / フ . リ , カ ・人間の真実を活写するリアリズムの巨人たち ・朝鮮・魯迅「狂人日記」「阿止広」他・田 - 崟「寒い夜」 ・レールモントフ「現代の英雄」・ツルゲ ! 不フ「初恋」・レス フしフンス 「蘭」・茅盾「子夜」・・・コーツィー ( 南ア ) 「夷狄な得ちな コフ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」・ガルシン「赤い花」 がら」・・・ナラヤン ( 印 ) 「マルグディに来た虎」・・イド ・フロべール「ポヴァリー夫人」・ゾラ「居酒屋」・モーパッサ「四日間」・チェーホフ戯曲集「桜の園」「かもめ」・チェーホフ リース ( エジプト ) 「黒い呂」他・マハフーズ ( エジプト ) 「」他 短編集斎憂い女」他 ン「女の一生」・フランス・ポードレール「悪の華」
1103 解説 い人生に書き上げたものだけでも、彼を古今の最も非凡な作 桂色の店』が一九六三年、著者のイラスト付の『クレプシド ラ・サナトリウム』が七八年である。優れた翻訳者に恵まれ家の一人とするには充分なのだ」と。 両書の愛読者の渇望を充たそうとするかのように、 て原著の香気をみごとに伝える両著は共に今ではフィリッ プ・ロス編『もうひとつのヨーロッパの作家たち』の一部と八年、ニューヨークでシュルツの書簡と画業を紹介する一巻、 してペンギン・。フックに収められている。 ( 前者は「彗星」『。フルーノ・シュルツの手紙と画業』 Letters and D 「 awings by B 「 uno Schulz, Harpe 「年 Bow が出た。その著者の名は、 も収録 ) シュルツの非願を引き継いで自らの非願としたかに見えるユ 訳書が明示するところによれば、これらの翻訳のうち「ク レプシドラ・サナトリウム」、「父の最後の逃亡」を含む三編ダヤ系のワルシャワの詩人フィッオフスキである。 この夏 ( 八九年 ) 、訪れた詩人の書斎には、こんどもシュ は、出版のまえにまず「ニューヨーカー」に掲載された。文 学好きの読者の関心を惹いたと想像される。死後、何十年をルツ関係の蒐集がふえていた。書斎に入る手前の廊下で立ち 経て、シュルツの傑作は、インテリ向けの高級雑誌の誌面をどまって眺め入った額入りの地図はシュルツの生きていた当 通じてアメリカ人に直接、訴えかける機会を得たのだ。シュ時のドロホビチの市街図であった。その地図には、墓地も記 入されていたのだが : ルツ、以て瞑すべし、というべきか。 その二冊の裏表紙には、、シュルッと同じポーランド生ま れのユダヤ人作家アイザック・・シンガー ( 七九年度ノー ベル賞 ) の次のような賛辞が別々に見えている。シンガーが シュルツ作品を論じた文章からの引用と思われる。 シンガーは圭日く 「シュルツは容易には分類しかねる。 シュールレアリストとも呼べるし、象徴派、表現派、モダニ ストの呼び方もできる : : : 彼は時にカフカのように、時にプ ルーストのように書いたが、この両人の達しなかった深みに まで時として到達することに成功した」、そしてまた「仮に もしシュルツが人生を生きることを許されていたなら、得も 言えぬ宝をわれわれに残していたでもあろう。しかし彼が短