されるロづけで、熟成した強いリキュールのように、酔いはれたが、本当にロづけを交わしたのは、夢見心地の憧れが生 んだ幻の二人でしかない。その場に離れ離れにじっとしてい 一分ほども、そのロもとを眺めていたか それから静る二人とは無縁だった。エミリアを眺めながら、心の中で囁 ア いてみる。〈今もし本気でキスしたら、どうする ? 〉その答 ヴかに唇を女の唇に寄せた。だがすぐにはロづけをしない。合 まね わせる寸前に、ためらいがあった。鼻孔から安らかな吐息がえはすぐはね返った。〈おれにそんな器用な真似ができるか モ しやくねっ かすかに洩れてくる。女の唇に熱気が伝わる。灼熱の大地 妻の軽蔑を意識して、すっかり怯けづいている〉 と、 の地底に凍った雪があるような、唇の向こうに、ロの中に、 いきなりカ強い声で、名を呼んだ。 なまつば 生唾が見える。そんな雪を見る驚き、渇きへの安らぎ。そん「エミリア ! 」 な期待を味わって、とうとうエミリアの唇に触れた。けれど、 「なんなの ? 」 そのロづけに、目覚める気配も、はっと驚く様子もない。初 「うとうとしながら、君とキスする夢を見ていた」 めはそっと、しだいに深く唇に触れる。それでも彼女はじっ 黙ったままだった。その沈黙に慌てて話題を変えようとし としている。それを見て、いっそう烈しく唇を合わせようとて、出まかせにこう付け加えた。 した。たとえば、海水に冷たく濡れた生物が息づくにつれて、 「バッティスタ、どこに居るかな ? 」 貝の殻が静かに開く。そのように、私の望みどおりに、女の 帽子の下から穏やかな声が返ってきた。 口がゆっくり開くのを見た。 「さあどこに居るかしら : 。そうね、今朝あの人、わたし 口が開く。もっと開く。上唇が上がって歯ぐきが覗く。途 ラインゴルトさんと、ビー たちと一緒に食事しないわ : 端に女の腕が首に絡んでくる チの方で食事するとか」 激しく身震いした。目覚めたのだ。物静かなたたずまい そのことばが終わるか終わらないかの内に、ロが滑った。 日射しのぬくもり、それから明らかに仮眠に入っていた。私 「エミリア、じつはばくね、昨日君がバッティスタとサロン の前に、相変わらす砂利に寝そべって、エミリアが居た。今でキスしてるのを見てしまったんだ」 までどおりに麦藁帽が、顔を隠している。 。わたしもあな 「うん、わたしも見られたの、知ってる : わび キスが夢だったと知った。侘しい現実など見るより、央い たを見ていたもの」 おも ひ寺」し 幻想をしきりに願う郷愁のような想いが、そんな時間を経過帽子の庇のせいか、幾分おし殺された声だが、別段ふだん させたのか、そう思う。妻にロづけし、妻もそれを返してく と変わったところがない。妻が、こうして何気なく私の告白 のぞ - あ一 J! か
いっしか虚脱感が消えていく。こうして、少年がセックスを『わたしとあいっ』は、脚本家のリーコと、彼のシンポルで ーしトうか 発見し、それを人間的に肯定するところから、大人の世界がある「あいつ」との、性的昇華をめぐる、おかしな確執であ 開かれる。モラヴィアにはかなり手厳しい批評家ルイジ・ルる。また、近作の小説『深層生活』、『視る男』、『ローマ旅 ア おのの ッソも、こうした青春文学が現代の教科書であると認めてい 行』は、核の恐怖に陳く現代社会での、すさまじい性衝動、 そうかん 乱交、近親相姦などの新たなタブーへの、表現上の挑戦であ モ 処女作『無関心な人びと』をも含めて、いわゆる母と息子る。しかも、その題材に限らず、形式の模索も、対話形式の の関係を軸とする思春期ものの後に、夫と妻の関係、つまり ト兇やポスト・モダンな作風の試みなど、まことに意欲的で 結婚を扱った作品『夫婦愛』、「侮蔑』が発表された。いずれある。 も、妻への愛情と仕事の間で脳む作家が主人公で、若い妻は やや無教養だが、肉感的な美人である。そして夫婦の間に割 りこんでくるのは、世間ずれした男である。最後に微妙な夫個人的な体験が、作品に微妙な影を落とすことは否めない 婦の行き違いから、妻がその男に肉体的に誘惑されていく筋が、さて『侮蔑』に、作者の生活体験が、どのように関わっ しかーし、な で、小説は一人称形式で、主人公の側から事件を追っている。ているかとなると、断定的なことは何も言えない。 こうした作品では、夫婦におけるセックスの問題があからさ がら、大戦末期のモラヴィアのシナリオ作家の体験や、若い まに描かれて、言うなれば時代を何歩も先取りしていた。モ女流作家エルサ・モランテとの結婚生活は、主人公モルテー ラヴィア文学は、題材についても手法に関しても、いつも先ニやその妻エミリアの人間像に何らかの形で関わっているで ふうび 鋭的であった。ようやく社会が性的解放にいくらか理解を示あろう。ただ明らかなのは、世を風靡した戦後「ネオ・レア しはじめた頃、彼は『倦怠』を発表した。社会は、新資本主 丿ズモ」が曲がり角にさしかかっていて、その社会背景があ 義の巨大な産業構造へと急速に移行しつつあった。セックス って、作中の映画の路線をめぐるエピソードが生まれたこと がもはや人間性を解放するのではなく、言ってみればことばである。このイタリア人二人とドイツ人監督との論争は、た 代わりのコミュニケーションにさえ変質しつつあることを、んなる挿話にとどまらす、物語の展開の重要な伏線となって 鋭く浮き彫りにした。じつに人間が、 目的を失ってあらゆる いる。つまり、制作者バッティスタがしきりに希むス。ヘクタ 面で道具にされていく現実と、その危機を予見した。その後クルもの路線、彼に反対して、フロイトふうの心理主義ドラ 今日まで、彼の創作活動は止むことがない コミックな小説マを提起するドイツ人ラインゴルトのそれ、その二人の対立 / 1111 ロ 『侮蔑』の周辺 カカ
す まれて棲んでいるので、色が真青だと。そのときの彼女は、 ッティスタは、別荘内の設備を見せることに、人いちばい気 私への怨みなど忘れてしまったように、熱、いに説明に耳を傾 配りを見せて、ちょっとした物置きさえ見せて回った。親切 けた。そこで、もう一度仲直りへの期待がはずまずにはいらが度を越して、あげくに洋服ダンスを開け、ハンガーが足り ア くば たず イ れなかった。今しがた、二つの岩礁の窪みに棲息するといつるか ? などと、エミリアに訊ねた。その後、皆は広間に引 た青トカゲが、島に長期の滞在をすれば、私たちでもなれそき返した。妻は着替えに行くとかで、出て行った。私もそう モ ひじか うな、象徴的な生物に思えてきた。平穏な海辺の暮らしで、したかったが、肘掛け椅子に腰かけたバッティスタが、椅子 いんうっすす 都会の陰鬱な煤がいっしか払われて、この胸の内まで青くなを勧めたためできなくなった。彼は煙草に火をつけると、前 . りノ -H 1 しよ、ゝ。 オしカこのトカゲか、海か空のように、明るく央活置きもなくだしぬけに聞く。 で無垢なこの土地のたたすまいのように。私たちも碧になり、 「モルテーニ、君、ラインゴルトのことど , っ思、つ ? 」 かがや 内部までも碧い光で耀きはしないカ 幾分まごっいて答えた。 こみち ファラリオーニの奇岩を過ぎると、径のもうどこにも私邸「さあどうですか : あれこれ批評するほど、あの人のこ まじめ や庭園が見当らず、殺風景な岩の峡を縫っていく。終いに人とは存じあげませんが。 ・ : 大変真面目な人と思います : ・ 影もない処で、とつじよ、白い建物が姿を見せた。広いテラ評判の名監督と聞きますが」 スが海上に張り出ている、屋根の低い細長の家である。それ バッティスタは一瞬考え込むようにしてから、話し続け 。、、バッティスタの荘だった。 建物は決して広いわけではない。テラスに面したサロンを 「ねえモルテーニ : : : おれもよく知らんのだが、多少あの男 べつにすれば、三部屋しかなし 、。バッティスタはいかにも家の物の考えや、ねらいは分かっている : : : 。要するに、あれ だがわれわれはイ 主という立場を誇示するように、先頭を歩いて、事情を説明はドイツ人なんだ。そうじゃよ、 した。一年前に、ある債務者から負債の一部としてもらい受タリア人だ。世界も違えば、生活観も違う。感覚だって違 けて、それ以来まだ住んでないことや、私たちが訪ねて来るう」 ので、何かと準備を整えたことなどを。見ると、サロンの室私はひと言も口をさしはさまなかった。例によって彼は、 つや 内の花瓶には、花が挿してあり、艶々したフロアにワックス直接の利害には無関係な話を遠回しに持ち出した。私は、話 のぞ の異臭が鼻をつく。調理場を覗くと、管理人のおばさんがガの落ち着く先をじっと待つだけだ。ふたたび彼はロを開く。 そば スレンジの前で、夕食の準備にせかせかと追われている。 「ねえモルテーニ、あの男の側に、イタリア人の君をつけて かびん と - ) つつ はギ、ま せいそく 0 0
907 侮蔑 い茂った樹木が、そのさらさらと風渡る枝葉で、頭上に自然のは、街の広場からかなり離れていて、ソレント半島を望む海 トンネルを作る。見渡すかぎり、赤茶けた丘に散在する灰色辺の閑静な処にあった。ラインゴルトをホテルまで見送った こみち のオリーヴの樹、つやのある濃い葉陰に実の光るオレンジの後、バッティスタとエミリアと私は、別荘に通じる径を歩い むぎわら ていた。 。二つ三つ金色の麦藁の山が囲む黒ずんだ古い農家の眺め。 じっとハンドル 初め私たちは、島の中腹を取りまく静寂な遊歩道を歩いて だが今の私の目には、何ひとっ入らない。、 きようち - くとう いんうつ いた。日没もはや迫っていた。花をつけた夾竹桃の木陰の を握っている。時間が経つにつれて、じめじめした陰鬱がお オい。エミリ石畳は、両側に茂った庭園の石塀が続いて、ごく数人の人が し寄せてくる。その理由を、私は探ろうとはしょ みどり うら ゅうぜん アを自分の車に同乗させることに我を通さなかった怨みがま悠然と、物静かに歩いていた。冷たく光る落日で、濃い碧の しさ、それだけではなかろう。けれど、頭はもやもやして、神秘的な海面が、時折り、松やイナゴ豆の葉陰を通して目に 入る。バッティスタとエミリアの背後を歩きながら、辺りの 動機を反省しようにもできはしな、 たとえば病人が手のつけられない神経の発作を起こし、し景色に見とれるように、私はその度に足を止めた。心底から ばらく耐えて、次の段階に進む。次第に冶まって、やがて無楽しいとはいえないまでも、久しぶりに味わう静かで穏やか ばうぜん 感覚になり茫然自失となる。それと同じで私の不機嫌も、野な気分であった。それが自分でも不思議に思える。その長い 原や森や、平野や山を越えるうちに、頂点を迎え、次に衰え遊歩道にそって、私たちは歩き続けた。もう一度、狭い脇道 に折れた。とある曲がり角で、とっぜんファラリオーニの岩 始め、いっしかナポリに近づく頃は、跡かたもなく消えてい カプ鳴のが眼下に姿を見せた。 うれ エミリアがあっと驚嘆の叫びを上げるのを聞いて、私は嬉 こうして車はいっきに丘を降り、松林や木蓮の木のま隠れ しくなった。彼女がカプリに来たのはこれが初めてだった。 に、紺碧のナポリ湾を望見しながら、海岸へ降りていった。 てんかん どうにもならない激しい癲癇に襲われたように、私は身も心その時までひと言も口をきいてくれなかったのだ。まるで、 あえ まひ 空から鏡の上に韻石が落ちたように、大きな二つの岩礁が海 も麻痺しており、気怠さに喘いでいた。 面に横たわっている。かなり高い位置で奇怪な形を示す、そ の赤い巨岩に驚かされた。私は、景観にすっかり興奮して妻 このファラリオーニの岩塊には、世界のどこにも発見で カプリ島に着いてから知ったのだが、バッティスタの別荘きないトカゲがいる、と話した。それは碧い空と碧い海に囲 っ ) 0 けだる た もくれん ところ あお わき
モラヴィア 902 らしい景色を満喫させてもらうよ」 デュセウスの船団の進むのがほうふっとする。当時はまだ知 もうそれ以上彼の言葉に逆らわなかった。約一時間、無言られざる地中海の処女地を指して、航行する黒い船団。まさ のまま、車を走らせていた。ハ イウェイの右側に緩やかな深しくホメロスが描きたかったのは、この海岸から眺めるこの あおぞら ふさわ みのある疎水があり、左側は開墾地の青々とした野辺が拡が碧空の下の海だ。そしてその自然の趣に応しい古代の人々だ。 る。往時のポンチーノ湿原にさしかかっていた。それからチ質実と愛すべき節度をもった人たち。すべてはここに言い尽 ステルナ、やがてテッラチーナに出た。テッラチーナの町並 くされ、ほかの何物でもない ところが、この世界をライン みを抜けると、道路は海辺を走り、背後にさんさんと陽光を浴ゴルトは、色彩も形ももたない、太陽も風もない人体の内な びて変哲もない岩山が続く。海は荒れていた。褐色の砂丘のる密室に、つまりはオデュセウスの潜在意識に、すり替えよ あらし 向こうには、最近の嵐で土くれが底から起こされて、海面は うとする。この風に鼓舞され、陽光に輝き、快活で機転に富 暗緑色を帯びる。山のような大波が緩慢に盛り上がっては、む人間群像の住む、明るい光に満ちみちる世界を。それでは、 うしお あふ シャポン玉のような白色の潮となって、狭い砂浜に寄せてく 『オデュセイア』は、空想溢れる人類の幼児期の、地中海発 る。遙かな沖合いは、、 月さなうねりではあったが、荒れ模様見という魅力的な冒険物語ではなく、ノイローゼに悩む現代 だった。その辺りの海は緑から紫紺に変わって、その海を白人の心のドラマに堕しはしまいか びんしよう い波頭が風の向くままに見え隠れして敏捷に走る。大空に こう反省してみると、ある意味でこれほど始末に負えない つぶや もそんな気紛れで敏捷な動きがあった。あちらこちらと旅をシナリオに出くわすのも珍しいと内心呟く。なぜなら、変え まばゅ する白雲は気ままである。眩い光で掃き清められた紺碧の大ずにすむところを、愚劣な脚色をするのは映画界の常識だが、 かもめ 空を、鵐がまるで突風や旋風を鼓舞するかのように、旋回し、 ましてこの場合は、おおらかなヴィヴィッドな芸術作品であ 羽根を休め、宙に舞う。私はそんな景色に見忽れながら、 る『オデュセイア』に、精神分析のあの機械的、抽象的な独 ゅううつ ンドルを握り続けていた。さっき、ラインゴルトの『オデュ 特の憂鬱さが着色される。 セイア』観を「ピンク映画」と決めつけた、あの時の、彼の その時、私たちは海岸の目と鼻の先を走っていた。道路の 驚きとも憤慨とも取れる目つきに、後ろめたさを感じていた。向こう側には、大方砂地に植えられた生い茂ったブドウ園の だが今ふいに、 こだわりに反撥するように、結局私は間違っ緑の枝があり、稀に大波が泡立ちながら寄せてくる狭い浜辺 ていなかったと思い始めた。今明るい大空の下で色鮮やかな は、廃棄物で黒ずんでいる。私は急にプレーキを踏むと、 海を望み、人気のない海岸線を走っていると、波間隠れにオ「脚が伸ばしたくなりました」と無造作に言った。 こんべき まれ