だらない因習で割り切ろうとしているのである。そこで、彼連れ出して、彼女そのもののような、素朴な世界に住まわせ 女の一つの考えができ上がったのであろう。いささか道徳的なければならない。金などどうでもよく、ことばの裏表のな きまじめ 、そんな世界に ラインゴルトが指摘したよ , つに、私 アな生真面目さと、無意識の低俗さとが混じりあって、バッテ イスタの腕のなかに私がむりやり彼女を押しつけようとした、 は確かにそうした世界に憧れをもっていたが、 現実にはそん ・ウ という見方である。彼女はそれをうのみにしたわけではなか な世界はあろうはずがなかった。 モ ろうが、そのことがいつも頭から離れないでいた。 そうはいうものの、私もまた、バッティスタやラインゴル もしかりに『オデュセイア』に関する見方を、ラインゴル トの世界で暮らし、身動きし、行動していかなければならな トとバッティスタと私との、三者三様として、試みにそのど かった。とすれば、どうしたらいいカ ? 先ず何よりも、そ れかをエミリアに選ばせるとしたらどうなるか。きっと、彼のためには、本質的な、いわば生来の嫌われ者といった、あ 女はバッティスタの要望するスペクタクル物の『オデュセイらぬ疑いに起因する、心のにがい劣等感を拭い去らねばなら ア』という、コマーシャルべースの理由は分かるかも知れな ない。なぜなら、前にも述べたが、結局こうした見方が、エ それから、ラインゴルトの非常に心理的な突きつめた見ミリアの私への態度に潜んでいるようだった。つまり、妻は 方も飲みこめるかも知れない。だが、私の解釈、あるいはホ私の卑屈さを、行動からでなく、性格からくる、いわば体質 メロスやダンテの解釈に直接迫ることは、彼女の素朴な真面的なものと見ていたようだ。 目さでは、理解できそうにない。 しかもそうした見方ができ 私はどんな人間でも、各自の態度とか人間関係を離れては、 ないのは、彼女が無知だからでなく 、バッティスタやラインほかのことで、その人が軽蔑されることはないものと、確信 ゴルトと同様に、彼女が極めて現実的な世界に生きて、理想 していた。しかしそれはともかく、自分が劣等感から救われ 的な世界に生きていないからである。ここで私の思考の回転るには、エミリアを説得しなければならなかった。 は終わった。エミリアは私の憧れの女であると同時に、くだ たまたま思い浮かんだのは、『オデュセイア』のシナリオ らぬ常識を拠りどころに、私を批判し軽蔑する女である。べを通して、三通りのオデュセウス像が提示されていることだ ネロペイアは十数年も不在の夫に、貞節を守る女であった。 った。三つの像に、人間それぞれの生き方が示されている。 だがエミリアは、ありもせぬことにまで打算を読むタイピス バッティスタのもの、ラインゴルトのもの、最後に私のもの。 トだった。私を本当に愛し、ありのままの姿で見てくれる、 そのなかでは、私のものが原作者ホメロスのものであり、唯 そんなエミリアになってもらうためには、現在住む世界から一の正しいものと感じている。
結論が出たのを汐に、ラインゴルトは立ち上がり、反射的 るかとなると疑問です : ご承知でしようが、人間、愛清 に私も席を立った。契約や前払金のことを話しておかなけれ が無くとも忠誠を尽くすことはあるのです。いや、事によっ ふくしゅう ばと、その気持ちは前からあった。歯止めをしておかねば、 ては、貞節が夫の身勝手への復讐であったり、報復、しつ しかし、現実はエ バッティスタは知らんぶりかも知れない 。あれは、貞節であって、 ペ返しの一形式かも知れない : ミリアのことが頭から離れなかった。そのうえ、ラインゴル 愛清ではない」 ラインゴルトのことばに、またもや心が傷ついている。改トのホメロス論が、身辺の事情と異常なくらい似ていて、気 めてエミリアのことを考えずにいられない。そんな貞節や無持ちが乱れていた。結局、三人がドアに歩きかけた時になっ こ」え つぶや いっそ裏切りに遭い、結果的に後て、呟くような低声で、 関、いに出ムロうぐらいなら、 「契約の方は ? 」と訊ねた 悔して苦しんでもらう方がましではないか。本当にそうだ。 おうよう 「契約はできている」意外なほど、あっさりと鷹揚な口ぶり エミリアが私を裏切り、私に対して罪の意識に脳めば、私は 自信をもって彼女を眺めることができよう。しかしたったムフで言った。「契約書と一緒に、前払いも用意してある : モルテーニ君、事務所の方へ寄って、契約書にサインし前払 はっきりしてきたのは、エミリアが裏切ったのでなく、私の いももらっておきなき、い」 方が妻を裏切ったことだ。もう一度気はそぞろである。その あぜん ふいを突かれ唖然とした。他の台本のときに経験したよう 時バッティスタの声に、はっと我に返った。 いつものバッティスタ一流の手口で、報酬を減らされた 「じゃあモルテーニ、承知したんだな。ラインゴルト君に協に、 り給料を延ばされたりするのではと、用心していた。それな 力してくれるね」 のに、何の交渉もなく、即座の支払いだった。三人で隣室の 仕方なしに答えていた。 経理係に立ち寄った時、ついこう洩らした。 「承知しました」 困ってい 「バッティスタさん、有り難うごさいました : 「それま、、 、バッティスタは、満足げに言った。「じ ゃあ、こうしよう。ラインゴルト君は明日の朝。ハリへ発ち、るところをお察し頂いて」 、こよそれ 私は唇を噛んだ。こんな弱音を吐けば、じっさしレ。 一週間あちらに滞在する。それでモルテーニ、君の方は『オ ′ ) 、つ力し ほど追いつめられてもいないのに、困窮しているように思わ 侮デュセイア』の梗概を作成して、今週末までに持ってきても ラインゴルト君がバリから帰りしだい、一れてしまう。それは事実ではない。そんな一一一一口葉を口にしては らえないか : いけないのに、なぜ口をついたのか 緒にカプリに出かけてすぐ仕事に掛かってくれ」 しお
た。キルケは、売春宿への登楼となり、イタケー島への帰国「何がいいたいんです ? 」うわずった声で聞いた。 判は、露地裏で立ち小便に寄った後で、深夜のダブリンの街角 ラインゴルトはぐっと身を乗り出して、ロをとんがらせた。 をご帰還というふうに、作りかえた。でもジョイスは、少な蛇が威嚇でもするような、鋭い = 諞調になる ア くとも、地中海の海や太陽や古代の末踏の土地はそっとして「今いったとおり : わたしはたった今バッティスタと食 ・ウ ふさわ おこうと神経を使った。北方の都会の泥だらけの街角に相応事を一緒にしてきた : 。そのとき彼は彼で包み隠さず意見 モ しいもの、居酒屋、売春宿、寝室、トイレ、そんなものを設を述べた。彼は君と話が合うことも認めた。モルテーニ君、 定した : 。太陽もなければ、海も空も無関係だった。何も君は私とは合わなし / 、。ヾッティスタには同調する。彼の好む かも近代化し、すべてのものを引き降ろし、卑しめ、われわことならどんなことでも調子を合わせる : : : 。君には芸術な わび だが、あなた れの侘しいレベルに引き下げてしまった : どどうでもいいんだ。どんな犠牲を払っても、金がもらえれ にはジョイスの気配りなど何もない もう一度いいますが、 ばね」 あなたとバッティスタのどちらかをといわれたら、たとえ張「ラインゴルト , 強い調子で、いきなりどなった。 り子の人形と一緒でも、ばくはバッティスタを選びます : 「ねえ君、分かってるよ。ああ何度だって正面切っていって んん、バッティスタの方がましです。あなたは、シナリオをやる。どんな犠牲を払っても、金なんだ」と言い返した。 引き受けない理由を聞きましたね : これで、分かっても 二人とも息を弾ませ、まともに向かいあった。私は紙のよ そうはく らえましたか」 うに蒼白になり、彼は朱のように真っ赤だった。 「ラインゴルト 椅子にどすんと腰を下ろした時、もう私は汗だくだった。 ! 」もう一度張りつめた声できびしく呼んだ。 ラインゴルトはけわしい真剣な目でこちらを睨んだ。 だが自分の声に、憤りというよりは、名状しがたい悲しみが くちげんか 「要するに、君はバッティスタと同意見なんだ」 こもるのを感じた。もうロ喧嘩どころか、腕づくの喧嘩寸前 「いやバッティスタと同意見じゃあない : 、。「ラインゴルト , あなたと意見の一人の傷ついた男の、怒りではなし が合わないんです」 と呼んだ声に、祈りにも似た何かがこめられている。それで いいや」いきなり声を張りあげて言った。「私とは意見が も心のどこかでは、監督をひつばたいてやろうと思っている。 合わない : ・。バッティスタと同意見なのだ」 だがその時間的余裕もなく、これまで勘の悪い男と思ったラ りようほお とっさに両頬から血の気が引き、まるで死人のようにま インゴルトが、意外にも、私の口調に悲しみを感じとって、 さお っ蒼になっている。 急にはっとし、感情を抑えた。やや後に退って、うって変わ
モラヴィア 862 その威厳や気品は必ずしも板についてはいない。横顔がやや気がするものだ」 じ・ようとう おもぶく こういう喋り方はバッティスタの常套手段だった。最初 面膨れして、張り子細工か仮面人形のように、薄っぺらで、 スポンジが膨れたようである。それで、復活祭に、 小さな男は、美しいもの、善良なもの、言い換えれば、夢の理想の世 が担いでまわる、頭でつかちの怪人の人形のようで、裏はか界に対する自分の情熱を思い切りぶちまける。もっともこの らつばとい , っ印象である。 情熱は、いささか功利的な意図を絡ませるのが常だが、私が ラインゴルトは立ち上がり、軽く頭を下げ、ドイツ風の堅戸惑うのは、それが真剣そのものと思えてしまうことだ。ひ と息入れると、彼はまるで自分に酔っているように、 苦しさで靴のヒールを合わせるようにして、握手を求めた。 その瞬間気がついたのは、威厳のある顔の裏付けのように肩を続けた。 あおあお 幅は堂々としたわりに、、 月柄だったことである。もう一つ覚「生い繁った自然、素晴らしい大空、いつも蒼々とした海 どこもかしこも花また花。モルテーニ、おれが君のよ えているのは、挨するときに、とても感じのよい半月形の のぞ ロもとで、にこっとしたことである。上下の白い歯並びが覗うな物書きなら、詩の感興を得るために、カプリに暮らして いたが、なぜかふと義歯ではないかと、思った。そして彼がみたいよ : まったく不思議に田 5 うのは、画家連中がカプ 腰を下した時、突然、その微笑は雲間にかき消えたように跡 リの風景を描こうとせず、誰が見てもわけの分からぬお粗末 いってみれば、カプリ島にいるだけ かたもなく、後に、権威的な分からず屋の、ひどく不機嫌な、 な画を描くことだ : で、画はできたようなものさ。あの風景の前に、自分を置き、 堅い表情があった。 バッティスタはいつものように、遠回しにやってくる。ラ写生すれば、それで出来上がりだ」 、、こラインゴルトを見た。皮ま インゴルトを指さして、こう切り出した。 私は何も言わず、横目づ力しし かまがた 「ラインゴルト君と、ムフしがたカプリ島のことを話していた うなずいている。例の徴笑は、雲一つない中空に鎌形の月が んだが : ・ ねえモルテーニ、カプリ島知ってるかな ? 」 かかったように、顔のまん中にある。バッティスタは喋りま くる 「ええ、多少は」私は答えた。 「おれはカプリ島に別荘をもっている」と、彼は話し続ける。「数カ月あちらで暮らしたいと始終思ってるさ。仕事抜きで ・。だが、なかなかそれができなくて、わし 「ちょうど今ラインゴルト君にカプリがどんなに魅力のあるばんやりとな : ところ き、か 処か、喋っていた : まあ仕事に追われているおれのよら都会人は自然に抗らう生活を送っている。人間はオフィス うな男でも、あそこに居ればなんとなく詩人になったようなで書類に囲まれて、暮らすようにできてはいない : あ
むよ , つに そしてその直後、ああこんな状況にまで追い ポンをはき、車の横でラインゴルトと立ち話をしている。ラ つめられたかと自嘲気味であった。まるで一人の少年が、海インゴルトは、人の善いドイツ人と見えて、イタリアを太陽 すきま ア水浴場の脱衣場の隙間から中を覗くように、禁断の覗き見趣の国と思い込んでいるのか、この度はくだけて、コロニアル しま ヴ 味で、妻の裸体を眺めるなどは。すると、突然、腹立たしさ風の縞模様の麻服を着ている。白の木綿のハンチングを被っ 力いつばいで、女の膝の上のガウンの裾を引っぱろうとしてて軽装である。エミリアと私は、スーツケースを手にした管 いた。そんな動作に、彼女は知らぬ顔で、ハンカチをポケッ 理人とメイドの見送りで、外に立った。表に居た二人が車を トにしまい込み、もう一度冷静な口調で言った。 離れて、すぐ近づいてきた。 「カプリへは行くわ : 。でも条件が一つあるの」 「じゃあどういうふうに乗ろうか ? 」挨を交わすと、 「条件の話は止めよう。何も聞きたくない」とっさに思ってティスタは返事を待たずに聞く。 わめ もいないことを喚いた。「、、、 出かけるんだ。何も聞きた 「奥さんはわたしと一緒に、わたしの車にお乗りになっては さあ、行くんだ。行くんだ」 どうでしよう ? モルテーニ君、ラインゴルトを君の車に乗 ふんまんうかが その声にいいようのない憤懣が窺えたに違いない。そのたせてあげてくれないか : そうすれば走行中、すぐにも映 めか、さも驚いた様子で、席を立ち、そそくさと彼女は部屋画の話ができる : じつはね」と微笑しながらも、ロぶり を出た。 シナリオは は真剣に、「実際の仕事は今日から始まる : この二カ月以内に欲しいんだ」 いわば反射的にエミリアの顔を見た。時たま前にもそんな 経験をしたが、 彼女の顔立ちが歪んだのだ。それは明らかに、 カプリ島へ出発する日がやってきた。バッティスタはかね内面の惑いと不快感とを表わしている。私はそれを無視した。 てから、賓客のお出迎えなので自分が島まで同行すると言っ まして彼女の表情とバッティスタの理屈の通った提案とに、 ていた。通りに出てみると約束どおり、私の小型車の隣に、 関連性があろうなど、夢にも思わない。私はむりに陽気に装 さすがプロデューサーの乗用車らしい ハワーのある特別仕って、 様の赤いカーが止まっていた。季節は六月初旬であったが、 「結構ですね」答えながらも、楽しい海浜へのドライ・フとい 天候が定まらずどんよりした曇り日で、風が吹いていた。バ う状況では、こんな明るい雰囲気が好ましいと思っている。 ッティスタは、革のウインド・プレーカーにフランネルのズ「、、。 ししてすよ : 妻はバッティスタさんの車に同乗させて ひざ ゆが
941 侮蔑 ちょっと考えこんで、私は言った。 って謙虚になり、低い声でいった。 つい思ってもいないことを 「今話したとおりです。ばくはあなたのシナリオが、やりた 「モルテーニ君、すまない : くないのです : でも、ばくがこういう形で断われば、そ いってしまった」 からだ : バッティスタの会社でのあなたの立場が悪くな 私も「こちらこそ、失礼」とでも言いたげに、身体を震われが原因て がしら それで、こうしてはど せた。同時に、目頭が涙でいつばいになる。ラインゴルトはらないか、それが気がかりです : うでしようか ? あなたに向かって、あなたのシナリオをや しばらくの間困惑の態だった。 り - た / \ 、ないとしし 、ましたが、バッティスタ氏には、主題の解 「まあいし じゃあいいんだね : 。君はこの脚本に協力し てくれないんだ : この話バッティスタに伝えたかい ? 」釈とは関係なく、あいつにはシナリオを書く意思がないとで ですから、あれはその気がな も、伝えてくださっては : いい ' ん」 疲れすぎて神経がまいっているようだ、彼にそんなふう 「じゃあ君の方から、話して頂けますね ? 」 これでゾ」 , つでしょ , つか ? 」 にお伝えください 「あなたから話して欲しいんです : もう二度とバッティ ラインゴルトは私の提案にすっかり安心したようだった。 スタ氏と会う考えはないんです」一瞬口をつぐみ、それから ことばを続けて、「代わりのシナリオライターを探してくれそれでも、 ラインゴルトさん、こ 「バッティスタがその話をうのみにするだろうか ? 」と街い るように、頼んでおいて下さい : れで分かってもらえますね」 きっと信じてくれ 諸酉いりません : 「ええ信じますよ。、い己 「何だって ! 」びつくりして聞き返した。 「わたしが『オデュセイア』のシナリオをやらないのは、あますから」 なたの構想やバッティスタの考え方とは関係ないんです。あ長い沈黙が流れた。今は二人とも戸惑っていた。さっきの ラインゴルトさロ喧嘩のわだかまりがどことなくあって、二人とも忘れ切れ なたであっても、他の監督であっても : ・ ないでいる。ラインゴルトがやっと口を開いた。 ん、分かってくれました ? 」 どうやら理解したらしい。彼の目に一条の光が射して、了「それにしても今度の仕事に協力が得られないのは残念だっ 。たぶん妥協の余地もあったのでしようが」 承したことを告げている。けれどまだ慎重な口ぶりで訊ねる。た : 「要は、君は私の脚本をやりたくないし、またどうでも脚本「いやなかったと思います」 「でも意見の喰い違いは、そう大きくはなかった」 には、手を染めたくない ? 」
嘘のようにのどかで、家庭的な会話を聴いているうちに、 今晩何になさいます ? 」 よぎ 短な沈黙があった。エミリアはきっと思案でもしているのふとラインゴルトに向かっていった先程の議論が頭を横切っ か。それから小娘に た。君は『オデュセイア』の世界に憧れている、ラインゴル トはそう言った。そうかも知れないと、私は答えた。それか 「こんな時間でもお魚あるかしら ? 」と聞く。 ようたし 「ホテルのご用達をしている魚屋さんにでもでかけたら、あら彼は、現代は『オデュセイア』の世界とは違う。だから、 りますわ」 君の憧れは、満たされることはない、そう反論した。 おも 「それじゃ、見つくろって大きめのを買ってきて : それを想い返してこう考えた。〈だが何千年の昔のホメロ 口か、もう少し目方のかかるの。 : と、もかノ \ 、 ~ めオり・ , 少月 スの時代だって、このままの情景が展開していたのではない ゅ、つげ まだい のなさそうな白身のお魚にして : 。真鯛かすずきなんかが タ餉の支度を指図して、主婦が下女と話しあうよう しいわね。ええあったら何でもいし 焼くかポイルにすなことが〉 るかして : そんな考えに耽るうち、広間いつばいに射していた昼下が アニエーゼさん、マヨネーズの作り方知って りの、あの穏やかな陽光が思い出された。すると魔法にかか る ? 」 「ええできます」 ったように、バッティスタの別荘がイタケー島の住まいに変 「ならよかった : ポイルにするなら、マヨネーズを作りわる。エミリアは、下女と話をしているベネロペイアに思え なさい。それから生野菜か、温野菜のつけ合せか : 人参てくる。そうだ、私の考えは当っていた。昔だってそうなの かズッキーニか、さや隠元でも : : : 。適当にね。それと果物だ。たとえすべてが世知辛く変化したとしても、今も昔も変 はたつぶりめにね。買い物から帰ったらすぐ冷蔵庫に入れてわらないのではないか。私は意を決して、勝手口に顔を出し お出しする時よく冷えてるようにして : : : 」 て、「エミリア ! 」と声をかけた。 たず 彼女は振り向くとすぐ訊ねた。 「ところで最初のお料理何になさいます ? 」 「ああそうね、一番目のお皿のことね : 「なにか用車・ ? 」 。今晩は簡単にし 君に話したいことがある」 蔑ましよう。少し生ハムを買ってきて、でも山の農家でできた ちじく : あたし、まだア ハムじゃなく、上等なハムにして : それから無花果をお「じゃあ広間で待っていて下さらない ? ・ ニエーゼさんに用があるの : じきに一打きます」 鱒付けして : : : 無花果あるかしら ? 」 居間に引き返して椅子に腰かけて待った。そのくせ、これ 「ええあると思います」 ふけ あ・ ) が
こと しかし多少不安げな表情である。 いている。ひと言でいえば、悲観的で不健康な映画である。 大衆にその苦難を克服する救いの手をさし伸べるどころか、 「君たち地中海に生きる人々にとっては」バッティスタは、 相変わらずラインゴルトの受け売りを言う。「ホメロスはア 苦しみを思い知らせる映画だ」 。となるとなぜ バッティスタの顔を眺めた。この男、本気でそう考えて喋ングロサクソンの『聖書』に当てはまる : ちな っているのか、それとも考えているふりをしているのか、そわれわれは、『オデュセイア』に因む映画を作らないのか ? 」 れが分からない。彼のことばには、どこか真剣味がある。恐沈黙が流れた。私はびつくりして、時間稼ぎで無理して聞 らく、自分の利益になるのであれば、そのまま素直に信じ込 、。・、ツ一丁イ 「『オデュセイア』をまるごとですか ? それとも作品の一 む凄みであった。それもまた真剣さには違いなし つの挿話をですか ? 」 スタは、妙に人間離れのした甘ったるい、しかも金属質の声 「それも検討すみ」とバッティスタは即座に答える。「『オデ でこう続けた。 「ラインゴルト君が面白い提案を出してくれてね : : : 。本人ュセイア』全編を考えた方がよいという結論だ : の言うところでは、最近『聖書』を題材にした映画がすごくそれはどうでもいい。肝心なのは」そこで一段と声を張り上 当っているそうだ。確かにああいう乍品は、 かなり成績を上げて、彼は付け加えた。「『オデュセイア』を読み返して、長 しかし年探し求めて気がっかなかったものが何かが、やっとおれに げている」彼はやや考え込むようにそう分析したが、 その話題については特に取り上げるべき問題ではないとでもも分かった。しかも、ネオレアリズモ映画には求められない、 モルテーニ、 いってみれば君が最近折りにふ 言いたげに、雑談ふうに付け加えて、「ではその理由は何か何かがだ : カカ ロ、カ / 、カ・ おれが思うには『聖書』はいつの時代に限らず、れて提案してくれているテーマとも係わりがない、何ゝ うまく説明ができないが、要するにおれが感じ取って この人生で書かれた一番健全な書物だからだ。だがラインゴ いるもの。そう、人生に必要で、だから映画にも必要なもの、 ルト君は、アングロサクソン民族には『聖書』があり、あな た方には『ホメロス』があるじゃないかっていうんだ。そうそう、つまり『詩情』だよ」 ほ - : っ だったな ? 」 私はもう一度ラインゴルトを見た。相変わらす綻んで、さ いぜんよりは屈託なげな微笑である。顔でうなずいている。 侮彼はそこで話を切って、自分の受け売りに自信がなさそう とっぜんどうでもいいように、私はロを開く。 に、ラインゴルトを振り返った。 たた 「誰でも知っているように、『オデュセイア』にはどこを取 「そのとおりです」と、ラインゴルトは顔に笑みを湛えて、 すご
こみち 。『オデュセイア』には、お説の意 も納得できないのは : 車を降りると、私は早速径の方へ向かった。その先はブド ウ園を横切れば海岸に出る。ラインゴルトに理由を話した。味もあるかも知れませんが、それに文句をつけるわけではあ 。ですが、ホメロスの叙事詩とか、一般に古代 「八カ月も家庭に閉じこもっていて : : : 。去年の夏から海をりません : 。どうです、海岸に降りて見ません芸術の特徴は、ばくら現代人の心に浮かぶそうしたさまざま 見ていないんです : の意味を、なんといいますか、ある深遠な形式のなかで包み 、も」か つまり」ふと名状しがたい、 彼は無言でついてきた。幾分はまだ苦々しく思っていたの隠しているんです : しさを味わって、こう付け加えた。「『オデュセイア』の美し か、表情が歪んでいる。道は、うねうねと約五十メートルほ ど。フドウ園を縫って、やがて砂浜でとだえた。単調で機械的さは、あるがままの、客観的に現われたその姿のまま、現実 つまり、人間を分析したり、 なエンジン音とはうって変わって、畳み重なってはどどっとを信じることにあるんです : し解体することを許さない、あるがままの形式にあるんです。 崩れる波の音が聞こえたが、私の耳にはそれも心地よい ばらくは、寄せては返す波につれて、濡れた鏡のような砂浜採用するかほっておくか、二者択一しかない形式が : いかえれば」わたしはラインゴルトでなく海を眺めながら、 で、足をすくわれ、また退いて私は歩く。とある砂丘の上に こう結論づけた。「ホメロスの世界は、現実的な一つの完結 着いた時、少しの間立ち止まって、遙かな水平線を見やった。 ホメロスは自然と対立するのでなく、調 ラインゴルトを怒らせていたのは明らかで、幾らかでも丁重した世界です : レ言を聞き返さなくては、彼の方もそれなりに待っているの和によって発展した一つの文明に属しています : : : 。従って ではと、思うのだった。この魅力的な浜辺の眺めをひと時でホメロスは、感覚的世界の現実を信じており、彼が描いたま もうち切るのは惜しい気がしたが、気分を切りかえて不意に、まの世界を見ているのです。だからわたしたちも、あるがま 「ラインゴルトさん、ごめんなさい。先ほどは自分の気持ちまの彼の世界を受け入れ、ホメロスが説明するとおりを信じ なければいけないんです。隠された意味など探求すべきでな でも正直いって、ばく がうまく伝えられませんでした : いんです」 はあなたの説し こ同意しかねます。よかったらわけを話します 興奮は冷めやらないが、そこでロをつぐんだ。せつかく努 蔑力」 。議力したわりに無駄骨を折って、自分の説明がねらいどおりに 侮彼はすぐ促すように「話して下さい。構いません : じじつ、間髪を入れすに 行かなかった妙な落胆をおばえた。、 論も仕事の内だろう ? 」 「それでは」と相手の顔は見ずに、「じつはばくがどうして勝ち誇ったような高笑いがあって、ラインゴルトのことばが ひ
的な映画を、純粋に心理的な映画を作ろうじゃないですかえ、モルテーニ君 : : : わたしもカプリ島行きを承諾した。じ だがそれは、背 あの日お話ししたように。モルテーニ君、わたしは製っさい野外ロケ地はナポリ湾のようだ : ため 麦のことは、ローマでだってできる。『オデュ 作者の希望どおりに作った験しがないんです。セットに入れ景のことだ。彳 イ ば、主人は私で、残りの人はノータッチ : 。そうでなけれセイア』のドラマは、本当は船員や冒険家や帰還兵士のドラ : 。『オデュセイ ば、映画の製作はしません。簡単でしよう ? 」 マではない : : : 人間の普遍的なドラマだ : モ 「おっしやるとおり、 いたって簡単ですね」と、私も答えた。ア』の神話には、人間のある真実の物語が秘められている」 うれ 心から嬉しそうにそう言ったのも、ラインゴルトの主張する 出まかせに私は喋った。 自主性から考えて、今度の仕事の場合は、いつもの面倒も起「ギリシア神話はどこでも、時間と空間を超えた永遠の人間 きすに、きっと気楽にこの男と協力してやっていけそうだと、のドラマを暗示していませんか」 希望がもてたからである。ラインゴルトはちょっと黙り込ん「そのとおりだ : いって見ればギリシア神話はどこを眺 ぐうわ で、おもむろに続けた。 めても、人間生活の詩的イメージの寓話だ。ところで今問題 よみがえ 「じつは今のうち、私の意見を話しておきたいと思う : になることは、われわれ現代人が、昔の隠された神話を甦 君は、運転中に話しかけても大丈夫かな ? 」 らすに当って、何ができるかだ。先す、われわれは、そこに 「もちろん平気です」そう答えて、ラインゴルトの方を振りある意味を発見し、その意味を深化し解釈し啓蒙する : 向こうとした途端、間道から二頭の牛に引かれた荷車が出現しかも、現代人としての、積極的な自主的な方法によって した。とっさにハンドルを切った。スリップして車は鋭くジ 決してこの神話に取材した、ギリシア文学の傑作によ グザグを描く。すんでのところで並木に激突する、その間一 って、われわれは押し潰されてはならない。一例を挙げれば、 髪に車を立て直した。 オニールの『喪服の似合うエレクトラ』、あれは映画化もさ れたが、 ラインゴルトがけらけら笑って「無理ですとでもいってく 君知ってるだろう ? 」 れれば」 「ええもちろん知っています」 「それま、、。 「いや、気にしないで下さい」少しむっとして言い返した。 オニールにしても、『オレスティア』のよう 「どうしたって牛など目に入りつこなかったから : さあに、古代神話を現代的に解釈すべきだという自明の真理は知 話して下さい。伺いますから」 っていた : だが、わたしは彼の『喪服の似合うエレクト せ ラインゴルトは慌かされるまでもなく、喋り始めた。「ねラ』が好きになれない。理由は、分かるかな ? それは、オ しゃべ