1196 一七八五モーリツツ「アントン・ライザー』 ( ー九〇 ) ルソー『エミール』、ゴッツィ『トウカント『純粋理性批判』 ( 八一 ) ラン・トット 一七八七シラー「ドン・カルロス』、ハインゼ『アルディンゲロ』、ゲー モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ』 テ「タウリスのイフィゲーニエ』、『エグモント』 ( 八ノ 上田秋成「雨月物語』 ( 六八 ) 初演。寛政の改革 ( 八七 ) 一七九五ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』 ( ー九六 ) ポーマルシェ『セヴィリアの理髪師』フランス革命開始 ( 八九 ) 一七九七ゲーテ『ヘルマンとドロテーア』、ヴァッケンローダー『芸術 ( 七五 ) モーツアルト「魔笛』初演 ( 九一 ) を愛する一修道僧の心情の吐露』、ティーク「民話集』、ヘルダサド『悪徳の栄え』 ( 九七 ) 第三次ポーランド分割 ( 九五 ) ーリン『ヒュペーリオン』 ( ー九九 ) ワーズワース / コールリッジ『叙情歌 一七九ハシュレーゲル兄弟、雑誌「アテーネウム」を刊行 ( ー八〇 ) 謡集』 ( 九八 ) ティーク『フランツ・シュテルンバルトの一遍歴』、シラー 「ヴァレンシュタイン』 ( ー九九 ) 一七九九・シュレーゲル『ルツインデ』 一八〇〇ノヴァーリス「夜の讚歌』、『青い花』 ( 〇一 D 、ジャン・バウルスタール夫人『文学論』 ( 一八〇〇 ) 「巨人』 ( ー〇三 ) 十返舎一九『東海道中膝栗毛』 ( 〇一一 ) 一八〇四シラー「ヴィルヘルム・テル』、ジャン・パウル「美学入門』 一八〇六アルニム / プレンターノ『少年の魔法の角笛』 ( ー一 一ハ〇八ゲーテ「ファウスト第一部』、クライスト「こわれがめ』 一八一〇クライスト「短編集』 ( ー一一、「拾い子」所収 ) 一フケー「ウンディーネ』、ゲーテ『詩と真実』 ( ー一四、第四巻 刊行三三 ) 八一三グリム兄弟『子供と家庭のための童話集』 ( ー一五 ) 一八一四シャミッソー『ペーター シュレミールの不思議な物語』、ホ フマン『カロー風の幻想画集』 ( ー一五 ) 一八一五アイヒエンドルフ「予感と現在』 ハ一六ホフマン『夜の画集』 ( ー一七、「砂男」所収 ) 一八一九ゲーテ『西東詩篇』、ホフマン『牡猫ムルの人生観』 ( ー二 一八ニ〇ホフマン「プランビラ王女』、『蚤の親方』 ( 二一 I) 一一ゲーテヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』 八ニ六アイヒエンドルフ『のらくら者日記』 一八ニ七ハイネ「歌の本』 八三一グラッペ「ナポレオンあるいは百日天下』 一八三ニゲーテ「ファウスト第二部』、メーリケ『画家ノルテン』 ラウべ「若きヨーロッヾ ノ』 ( ー三七 ) オースティン「高慢と偏見』 ( 一三 ) ドイツ解放戦争 ( 一三ー一四 ) ウィーン会議 ( 一四ー一五 ) コンスタン『アドルフ』 ( 一六 ) ナポレオン、百日天下。杉田玄白「蘭 ハイロン「マンフレッド』 ( 一七 ) 学事始』 ( 一五 ) アーヴィング『スケッチ・ブック』ショーベンハウアー「意志と表象とし ( 一九ー二〇 ) ての世界 ( 一九 ) スタンダール『恋愛論』 ( 二一 I) ヴェーバー魔弾の射手』初演 ( 二 ラム『エリア随筆』 ( 二 lll) スタンダール『赤と黒』 ( 三〇 ) 米、モンロー宣言 ( 二三 ) ポー『詩集』、プーシキン「ポリス・ ペートーヴェン「第九』初演 ( 二四 ) ゴドウノフ』 ( 三一 ) バッハ『マタイ受難曲』をメンデルス バルザック『ゴリオ爺さん』 ( 三四ーゾーンが復活上演 ( 二九 ) 三五 ) スコット『湖上の美人』 ( 一〇 ) ナポレオン、皇帝に ( 一八〇四 ) 神聖ローマ帝国消滅。ナポレオン、プ ロイセン侵攻 ( 〇六 ) フイヒテ「ドイツ国民に告ぐ』 ( 〇八 )
シュルッ 1104 ・一九一五年 ( ニ十三歳 ) 六月二十三日、肺結核に加えガンを患った父ヤクプ・シュルツ死去。 シュルツ年譜 六十九歳。ドロホビチのユダヤ人墓地に葬られる。 ・一九ニニ年 ( 三十歳 ) さんび ガラス陰画による版画集『偶像讚美の書』を二年がかりで完成。同 ・一八九ニ年 年、ワルシャワの美術奨励協会において初の個展を開き、これがグ 七月十二日、オーストリア・ハンガリー帝国領ガリツィアの小都市ラフィック ( 版画 ) の方面での彼の芸術活動の出発点となった。 ドロホビチで、服地商人の父ヤクプ・シュルッとクメルケル家出身・一九ニ四年 ( 三十ニ歳 ) の母ヘンリエッタの末子として生まれた。兄姉各ひとりがあった。 ドロホビチのヴワディスワフ・ヤギエウォ王記念ギムナジウムに美 両親ともユダヤ系であるが、家庭ではポーランド語をもちいていた術の非常勤講師としてむかえられる。 と一い , っ ・一九ニ五ーニ六年 ( 三十三ー三十四歳 ) ・一九〇ニ年 ( 十歳 ) クラクフのヤギエウォ大学の学生で若い作家でもあったヴワディス ドロホビチのヴワディスワフ・ヤギエウォ王記念ギムナジウム ( 八 ワフ・リフとの親交をきっかけに作家活動を開始。 年制の中等学校 ) に入学。 ・一九ニ六年 ( 三十四歳 ) ・一九〇八年あるいは九年 ( 十六歳 ) 兄の妻レギーナが三十六歳にして逝去。 ルヴッフ ( リヴォフ ) 工科大学建築学科卒の技師であった兄イズイ ・一九ニ七年 ( 三十五歳 ) ドルがレギーナ・ ー・ヘスマヌヴァと結婚。 兄は三人のこどもとともにルヴッフに居を定め、石油会社「ガリッ ・一九一〇年 ( 十八歳 ) ィア」の本社専務に就任する。同年、肺結核のためザコパネで療養 ギムナジウムを優秀な成績で卒業後、兄のすすめにしたがい、ルヴ中の親友リフが二十六歳で他界、リフ宛のシュルツの手紙は焼却処 ッフ工科大学建築学科に入学。この頃、姉ハンナの夫ホフマンが不分となった。 治の病を苦にして自殺。 ・一九ニ八年 ( 三十六歳 ) ひ ・一九一三年 ( ニ十一歳 ) 最初の文学作品となる「七月の夜」を執筆。ただし、この作品が陽 健康および経済上の理由からルヴッフ工科大学を中退。 の目をみるには九年後の短編集『クレプシドラ・サナトリウム』の 一九一四年 ( ニ十ニ歳 ) 出版を待たなければならなかった。 ばつばっ 七月、第一次世界大戦勃発。家族とともにウィーンへ避難したシュ ・一九三〇年 ( 三十八歳 ) ルツは、ウィーンの美術アカデミーに通い、翌年にかけての数カ月ザコバネに作家ヴィトカツイを訪ねたおり、ルヴッフの女流詩人・ 絵画を学んだ。 作家であるデボラ・フォーゲルと出会う。二人は恋愛関係におちい ころ あて
伊、ナポレオン戦役 ( 九六 ) 、チザル 一八〇ニフォスコロ『ャーコボ・オルティスへの最後の手紙』 アンデルセン『即興詩人』 ( 三五 ) 、・ツリ『ソスタンダール『パルムの僧院』 ( 三九 ) ピーノ共和国成立 ( 一八〇二 ) 一八一七ポルタ「詩集』、レオパルディ『瞑想集』 ( ー三一 l) へ 神聖ローマ帝国解体 ( 〇六 ) ネット』 ( ー ポー『短編集』 ( 四〇 ) ナポレオン百日天下。伊はオーストリ ゴーゴリ「外套』『死せる魂』 ( 四二 ) 一レオバルディ『カンテイ』初版 いいなずけ アの支配下に ( 一五 ) メルヴィル『白鯨』 ( 五一 ) 一八四〇マンゾーニ『許婚』決定版 ( ー四二 ) 両シチーリア王国成立 ( 一六 ) ポードレール『悪の華』 ( 五七 ) 一八五七ニエーヴォ『あるイタリア人の告白』 ( ー五八 ) クリミア戦争 ( 五四ー五六 ) 一八七〇デ・サンクティス『イタリア文学史』 ( ー七一 ) マルクス『資本論』 ( 六七ー九四 ) ドストエフスキー『悪霊ズ七一 ) ガリバルディ千人隊、シチーリア遠征。 』八七三カルドウッチ『擬古詩集』 ( ー八九 ) 第二次独立戦争。サルデーニヤ王国、 一八七九ダンヌンツイオ「早春』、『快楽』 ( 八九 ) ランポー『地獄の季節』 ( 七三 ) 統一イタリア王国となる ( 六一 ) 一ヴェルガ『マラヴォリア家の人びと』 イプセン『人形の家』 ( 七九 ) 八八三コッローディ『ビノッキオの冒険』 フロイト『夢判断』 ( 一九〇〇 ) 第一インターナショナル結成 ( 六四 ) 一八八九ヴェルガマストロ・ドン・ジェズアルド』 プルースト『失われた時を求めて』 ( 一伊独墺三国同盟 ( 八二 ) 一九〇三 スコリ『ミリーチェ』 伊国王ウンベルト一世暗殺 ( 一九〇〇 ) ソシュール二般一一 = ロ語学講義』 ( 一五 ) 日露戦争 ( 〇四 ) 一九〇七ゴッツアーノ隠れ家の道』 第一次世界大戦勃発 ( 一四 ) 、伊参戦 一九〇九マリネッティ『末来主義宣言』 カフカ『変身』 ( 一五 ) ハビーニ『終った男』 魯迅「阿 C 正伝』 ( 二 ロシア十月革命 ( 一七 ) 一九一四クローチェ『新しいイタリアの文学』 ( ー四〇 ) 、カンバーナ ジョイス「ユリシーズ』 ( 二一 l) 『オルペウスの歌』 ・マン『魔の山』、プルトン『シュダンヌンツイオのフイウメ占領 ( 一九 ) 伊共産党結成 ( 一一一 ) 一九一六ウンガレッティ『埋もれた港』、『時の感覚』 ( 三三 ) ルレアリスム第一宣一一 = ロ』 ( 二四 ) ガルシーア・ロルカ『ジプシー歌集』、ローマ進軍、ムッソリーニ権力掌握 一九ニ一。ヒランデッロ『作者を探す六人の登場人物』 ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』、 ( 二一 I)O 独裁体制確立 ( 二五 ) 一九ニ三ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』 ヒトラー総統、第三帝国宣一一一一口 ( 三三 ) 一九ニ五モンターレ『烏賊の骨』 プレヒト『三文オペラ』 ( 二八 ) フォークナー『響きと怒り』 ( 二九 ) スペイン内戦 ( 三六ー三九 ) 表一九ニ九モラヴィア『無関心な人びと』、『ローマ物語』 ( 五四 ) 年一九三六 第二次大戦 ( 三九 ) 、枢軸結成 ( 四〇 ) ハヴェーゼ『働き疲れて』 サルトル『嘔吐』 ( 三八 ) 史 ライト『アメリカの息子』 ( 四〇 ) 伊、二十年のファシズム体制に幕、レ 一九三八ガッダ「悲しみの認識』 ( ー四一 ) 、『アダルジーザ』 ( 四四 ) 学 文一九四一 ジスタンスの開始 ( 四三 ) 、解放 ( 四五 ) カミュ『異邦人』 ( 四二 ) バヴェーゼ『故郷』、ヴィットリーニ『シチーリアでの会話』 ア 広島、長崎に原爆、日本降伏 ( 四五 ) 一九四八サーバ罰カンツオニエーレ』、グラムシ『獄中ノート』 ( ー五一 ) ポーヴォワール『第二の性』 ( 四九 ) タ 伊、君主制廃止、共和国に ( 四六 ) 一九五ニ『イタリア抵抗運動の遺書』 ネルーダ『大いなる歌』 ( 五〇 ) イ ハステルナーク「ドクトル・ジ・ハゴ』《冷戦》体制の始まり 一九五五パゾリーニ『生命ある若者』、映画『アッカットーネ』 ( 六 ハンガリー動乱 ( 五六 ) 一九五九カルヴィーノ「われわれの祖先』三部作完 ( 五六 ) 中国文化大革命 ( 六六 ) グラス『プリキの太鼓』 ( 五九 ) 一九六三年グループの結成。サングイネーティ『イタリア綺想曲』 プラハの春、パリ五月革命 ( 六八 ) 一九八〇エーコ「薔薇の名前』 マルケス「百年の孤独』 ( 六七 ) ( 一五 )
・一九ニ三年 ( 十六歳 ) 主治医の誤診のため、ギブスを着け、病床で生死の境をさまよう。 ドストエフスキーの「罪と罰』を読み、数カ月後ロシアの作家アン ドレア・カッフイから『白痴』を贈られ、創作上の強い刺激を受け る。 ・一九ニ四年 ( 十七歳 ) ・一九〇七年 コルティーナ・ダンペッツオの、「コディヴィラ療養所」に移る。 建築家で画家の、カルロ・ピンケルレ・モラヴィアの長男として、 ーティ通りで生まれる。父はユダフィレンツェのヴィュスュ文庫の定期購読者となり、毎週四、五冊 十一月二十八日ローマのズガンバ ヤ系のヴェネッィア出身、母はアンコーナ出のテレーザ・デ・マルていどの書物がとどく。ランポーの「地獄の季節』、ジョイスの サニック。裕福な家庭で、本名はアルベルト、筆名モラヴィアは姓『ュリシーズ』、プルースト、フランスのシュール・レアリストたち、 フロイト、カフカなどに親しむ。イタリア衄、フランス語の詩作を の一部である。アドリアーナとエレナの姉二人がいる。 試みる。 ・一九一四年 ( 七歳 ) ・一九ニ五年 ( 十八歳 ) 弟ガストーネ生まれる。第二次大戦中、激戦地リビアのトプルクで 療養所を出て。フレッサノーネに移る。なお健康状態は不安定。十月、 戦没。 ホテルで処女作『無関心な人びと』を書きはじめ、二八年三月脱稿。 ・一九一五年 ( 八歳 ) ・一九ニ六年 ( 十九歳 ) ローマの「クレンドン学院」に通う。 マッシモ・ポンテンペッリ、「ノヴェチェント」訃を龕編集部 ・一九一六年 ( 九歳 ) で、ポンテンペッリや農民出の作家コルラード・アルヴァーロを知 平穏な少年期に、突然骨結核をわすらう。 る。仲間が一編ずつ長編小説をもち寄ることを打ちあわせる。 ・一九ニ〇年 ( 十三歳 ) ・一九ニ七年 ( ニ十歳 ) 「タッソ中学」に入学。病気のため通学はしばしば中断される。 しトうふ ひょうばう 短編「疲れた娼婦」を同誌に発表。国際性を標榜する同誌の、フ ・一九ニ一年 ( 十四歳 ) ランス語版で刊行された。 ローマの自宅で病床につく。父の書斎のシェイクスピア、モリエー ル、ゴルドーニの演劇書に読みふける。「私の人生の最も重大な出・一九ニ九年 ( ニ十ニ歳 ) 譜 当初同誌の出版部から出る予定の『無関心な人びと』は、「話が混 来事」と回顧した闘病生活をおくる。 年 乱している」との理由で刊行が見合わされる。七月、父に五千リラ ・一九ニニ年 ( 十五歳 ) Ⅱ「中学」第五学級の試験にパス。高校一年に進級し、二カ月後再発を借り、ミラノ「アル。へス社」から自費出版。初めての書物を手に して涙を流す。初版千三百部はまたたく間に売りきれ、三三年まで のため、その後通学ができなくなる。 モラヴィア年譜
一九〇五「ハ〕アデイ「新詩集』、「血と金」 ( 〇七 ) ジッド『背徳者』 ( 〇 ll) 日露戦争 ( 〇四ー〇五 ) 一九〇六〔ハ〕モルナール曰パール街の少年たち気曰リリオム』 ( 〇九 ) ロンドン『荒野の叫び声』 ( 〇三 ) 第一次ロシア革命 ( 〇五 ) ハリー『ピーター ・バン』 ( 〇四 ) 英、露、仏三国協商成立 ( 〇七 ) に一九〇九「チ〕ペズルチ曰シレジアの歌』 一九一〇〔ハ〕モ ーリッ「泥金』、『トランシルヴァニア』 ( 三五 ) オーストリア、ポスニア・ヘルツェゴ 夏目漱石「吾輩は猫である』 ( 〇五 ) 〔ポ〕トウヴィム〔神の待ち伏せ気「ポーランドの花』 ( 四九 ) ヘッセ冂車輪の下』 ( 〇六 ) ヴィナを併合 ( 〇八 ) 一九一九〔ハ〕サポー・デジェー押し流された村』 メーテルリンク「青い鳥』 ( 〇八 ) 第一、二次パルカン戦争 ( 一二ー 一九ニ〇〔チ〕チャ。ヘック「ロポット気「虫の生活』 ( 二一 ) 、『山椒魚戦リルケ「マルテの手記』 ( 一〇 ) カフカ変身』 ( 一五 ) 第一次世界大戦 ( 一四ー一 〔チ〕サイフェルト『涙の中の町』、マミンカ』 ( 五四 ) モーム「月と六ペンス』 ( 一九 ) 第二次ロシア革命 ( 一七 ) 〔ハ〕バビッチティマール・ヴィルギルの息子ジラヒ瀕ッヴァイク曰三人の巨匠』 ( 二〇 ) ポーランド独立回復 ( 一八 ) アラン「芸術論』 ( 二〇 ) チェコスロヴァキア独立 ( 一 一九ニ三〔チ〕ハシェク『兵士シュヴェイクの冒険」 魯迅『阿 O 正伝』 ( 二一 ) ューゴスラヴィア統一 ( 一 ハンカリー 一九ニ四〔チ〕ヴァンチュラ曰バン屋のヤン・マルホウル』、ネズヴァル ジョイスュリシーズ』 ( 二一 l) ・タナーチ政権 ( 一九 ) 曰パントマイム」、〔ル〕イストラチキーラ・キラリーナ』 ハステルナークわが妹ー人生』 ( 二ソビエト・ポーランド戦争 ( 二〇 ) 〔ル〕サドヴャヌ『水の王国「ニコアラ・ポトコヴァ』 ( 五一 l) 小協商成立 ( 二〇ー二一 ) トロッキー『文学と革命』 ( 二三 ) スタンポリースキ暗殺 ( 二三 ) 一九ニ七〔ポ〕ヴィトカツイ「秋の別れ』、「非充足』 ( 三〇 ) 、「靴屋』 トーマス・マン「魔の山』 ( 二四 ) ピウスッキのクーデター ( 二六 ) ( 三四 ) 、〔ス〕ウルバン『生ける鞭』〔ハ〕コストラーニエ ヘミングウェイ『日はまた昇る』 ( 二ソ連で農業集団化開始 ( 二八 ) ーデシェ・アンナ』 ューゴスラヴィア国王独裁宣言 ( 二 「ユ〕クルレジャ『グレンバイ家の紳士たち』 レオーノフ『泥棒』 ( 二七 ) 九 ) 〔ル〕アルゲージ『黴の花』、こ九〇七年』 ( 五五 ) オレーシャ『羨望』 ( 二七 ) 世界経済恐慌始まる ( 二九 ) 一九三ニ〔ポ〕ドンプロフスカ「夜と昼気〔ハ〕タマーシ罰アーベル』、プレヒト『三文オペラ』 ( 二 ルーマニア国王カロル親政 ( 三〇ー四 ヨージェフ『場末町の夜』、「ル〕レプリャーヌ二揆』 コクトー「恐るべき子供たち』 ( 二九 ) 〇 ) 一九三三〔ポ〕イヴァシュキエヴィチ「白樺林』、「尼僧ョアンナ』 ( 四アフマートヴァ『レクイエム』 ( 三〇 ) 仏ソ不可侵条約締結 ( 三二 ) ニザンアデン・アラビア』 ( 三 ヒトラーの政権掌握 ( 三三 ) 一九三四〔ポ〕シュルツ曰肉桂色の店気「クレプシドラ・サナトリウム』サン・テグジュペリ「夜間飛行し ( 三ズデーテン・ドイツ党結成 ( 三五 ) ( 三七 ) コミンテルン第七回大会 ( 三五 ) 〔ハ〕イエーシュ「プスタの民』、『ペテーフイ』 マルロー『人間の条件』 ( 三三 ) スペイン内乱 ( 三六ー三九 ) 一九三七〔ポ〕ゴンプローヴィッチ「フェルデイドウルケ』、「トランス・ カロッサ「指導と信従』 ( 三三 ) 日中戦争開始 ( 三七 ) アトランティック』 ( 五三 ) 、「ポルノグラフィア』 ( 六〇 ) 、「コ ミラー「北回帰線』 ( 三四 ) ソ連で大粛清 ( 三七 ) スモス』 ( 六五 ) ベルナノス『田舎司祭の日記』 ( 三六 ) 独、オーストリア併合 ( 三 一九四ニ〔ポ〕バチンスキ『詩集」、〔ス〕シヴァントネル「マルカ』、老舎「駱駝祥子』 ( 三六 ) ミュンヘン協定 ( 三八 ) 争』 ( 三六 ) 死の春』
1198 一八九四フォンターネ『エフィ・プリースト』 ( ー九五 ) チェーホフ『かもめ』 ( 九六 ) 仏、ドレフュス事件 ( 九四 ) ハウブトマン『沈鐘』 島崎藤村『若菜集』、尾崎紅葉「金色レントゲン、 x 線を発見 ( 九五 ) 一ハ九八ホルツ『ファンタズス』 ( ー九九 ) 夜叉』 ( 九七 ) 第一回ウィーン分離派展 ( 九八 ) 一九〇〇シュニツッラー『輪舞』、ゲォルデ『生の絨毯』 チェーホフ『三人姉妹』 ( 一九〇一 ) 、 フロイト『夢判断』 ( 一九〇〇 ) 一九〇一・マン『ブッデンプローク家の人々』 「桜の園』 ( 〇四 ) 一九〇三ホフマンスタール『エレクトラ』、 ?-* ・マン『トニオ・クレー ロマン・ロラン「ジャン・クリストライト兄弟、飛行機実験に成功 ( 〇三 ) フ』 ( 〇四ー一 ll) 一九〇四ヘッセ。ヘーター・カーメンツイント』 上田敏『海潮音』 ( 〇五 ) アインシュタイン、「特殊相対性理論」 一九〇五リルケ「時疇詩集』、モルゲンシュテルン「断頭台の歌』 夏目漱石『草枕』 ( 〇七 ) を発表 ( 〇五 ) 一九〇六ムージル『寄宿生テルレスの惑い』、ヘッセ「車輪の下』 ンツド「狭き門』、田山花袋」田舎教カンディンスキー、はじめて抽象画を 一九〇七ゲォルゲ「第七の輪リルケ「新詩集』 ( ー〇八 ) 師』 ( 〇九 ) 制作 ( 一〇 ) 一九一〇リルケ「マルテの手記』 ビアス「悪魔の辞典』 ( 一一 ) 清朝滅亡、中華民国成立 ( 一一一 ) 一九一三トラークル『詩集』、カフカ『判決』、・マン「ヴェネッィアプルースト『失われた時を求めて』第一次世界大戦 ( 一四ー一 に死す」 ロシア革命、ソヴィエト政府成立 ( 一 一九一五カフカ『変身』、「田舎医者」 ( 一 八 ) 、「流刑地にて」 ( 一九 ) 、 モーム『人間の絆』、芥川龍之介「羅七 ) 「断食芸人」 ( 二四 ) 、『審判』 ( 二五 ) 生門』 ( 一五 ) シュペングラー『西洋の没落』 ( 一 ・マン『臣下』、クラウス『人類最後の日々』 ( ー一九 ) ンツド「田園交響楽』 ( 一九 ) 一九一九ヘッセ「デーミアン』、ホフマンスタール「影のない女」 魯迅『阿 O 正伝』 ( 二一 ) 、 シェク・シュトラウス「影のない女』初演 一九ニニカロッサ幼年時代』、ヘッセ「シッダールタ』、・マン『詐兵士シュヴェイクの冒険』 ( 二一 ( 一九 ) 欺師フェーリックス・クルルの告白』 ( ー五四 ) 米、ラジオ放送開始 ( 二〇 ) リルケドウイノーの悲歌』、ムージル三人の女』 ジョイス「ユリシーズ』 ( 二一 l) 、マル関東大震災 ( 二三 ) 一九ニ四・マン「魔の山』 タン・デュ・ガールチボー家のヒトラー『わが闘争』 ( 二五ー二七 ) 一九ニ六カフカ『城』、「アメリカ』 ( 二七 ) 、「巣穴」 ( 三 人々』 ( 二二ー四〇 ) リンドバーグ、大西洋単独横断飛行。 一九ニ七ヘッセ『荒野の狼気・ツヴァイク「人類の運命の時』 ヘミングウェイ「日はまた昇る』 ( 二 ハイデッガー「存在と時間』 ( 二七 ) 一九ニ八プレヒト『三文オペラ』、ペンヤミン「ドイツ悲劇の根源』 世界大恐慌 ( 二九 ) 一九ニ九レマルク西部戦線異状なし』、デープリーン『ベルリン・アロレンスチャタレイ夫人の恋人』、ヒトラー、首相就任。独・日、国際連 レクサンダー広場』 ガルシーア・ロルカ「ジプシー歌集』盟脱退 ( 三三 ) 一九三〇ヘッセナルツイスとゴルトムント』、ロートヨプ』、ムージ 二・二六事件 ( 三六 ) ル『特性のない男』 ( ー三三、第三巻刊行四三 ) コクトー『恐るべき子供たち』、小林スペイン内乱 ( 三六ー三九 ) 一九三一ツックマイヤー『ケーベニク大尉』、ケストナー『ファービア多喜二「蟹工船』 ( 二九 ) ピカソ、「ケルニカ」を発表 ( 三七 ) ン』、・プロッホ「夢遊の人々』 ( ー三一 l) バール・バック『大地』、サン・テグドイツ軍、ポーランド侵攻。第二次世 一九三ニロートラデッキー行進曲』 ジュペリ『夜間飛行』 ( 三一 ) 界大戦はじまる ( 三九 )
ドイツ文学史年表 西暦ドイツの文学 八ニ〇頃 「ヒルデブラントの歌』 ( 古代ゲルマン英雄歌謡 ) 一一〇〇頃古代ドイツ語から中世ドイツ語への移行が進む 一一八〇頃宮廷詩人の活動 ( ミンネザング、英雄叙事詩など ) 始まる 一ニ〇〇頃『ニーベルンゲンの歌』、ヴォルフラム「パルツイヴァル』、ハ ルトマン『イーヴァイン』 一ニ一〇頃ゴットフリート「トリスタンとイーゾルト 一三〇〇頃受難劇、ドイツ神秘主義流行 一四九四ゼバスティアン・プラント『愚者の船』 一五〇〇頃一五、一六世紀頃、民衆本流行電ティル・オイレンシュピー ゲル』 ( 一〇頃 ) 、「ファウスト博士の物語』 ( 八七 ) など〕 一五ニニルター訳『新約聖書』 一五ニ四 ハンス・ザックス『対舌、「ルクレーツィア』 ( 二七 ) 一六ニ四オー。ヒッツ「ドイツ詩学」、「ダフネ』 ( 二七 ) 一六六九グリンメルスハウゼン「ジンプリツイシムスの冒険』 一七三〇ゴットシェート「ドイツ人のための批判的詩学の試み』 一七四八クロップシュトック「救世主』 ( ー七三 ) 、「頌歌』 ( 七一 ) 一七五五レッシング「サラ・サンプソン嬢』、「ラオコーン』 ( 六六 ) 表一七六四ヴィンケルマン『古代芸術史』 ( ー六七 ) 年一七六六ヴィーラント「アーガトン物語』 ( ー六七 ) 一七六七レッシング「ハン。フルク演劇論』 ( ー七九 ) 学 文一七七〇ヘルダー「言語起源論』、「民謡集 ( 七八ー七九 ) イ 一七七四ケーテ「若きヴェルテルの脳み』 一七七六・・・レンツ『兵士たち』 一七七七クリンガー「シュトウルム・ウント・ドラング』 一七七九レッシング『賢者ナータン」 シラー『群盗』、「素朴文学と情感文学について」 ( 九五 ) 世界の文学 社会の動き カール大帝、西口ーマ皇帝に ( 八〇〇 ) オット ー一世戴冠、神聖ローマ帝国は 紫式部『源氏物語』 ( 一〇一一 ) じまる ( 九六二 ) 第一次十字車 ( 一〇九六ー九九 ) ダンテ『神曲』 ( 一三〇七ー二一 ) ポッカチオ『デカメロン』 ( 四九ー五頼朝、征夷大将軍に ( 一一九二 ) 英、マグナカルタ ( 一二一五 ) 一頃 ) 英仏百年戦争 ( 一三三九ー一四五三 ) 世阿弥「花伝書』 ( 一四〇七 ) ラブレー『ガルガンチュワ』 ( 一五三グーテンベルク、活版印刷 ( 一四四五 ) コロンプス、アメリカ大陸発見 ( 九二 ) 四 ) ルター「九十五箇条の意見書」 ( 一五 ロンサール『恋愛詩集』 ( 五二 ) シェイクス。ヒア「ロミオとジューリ 』 ( 一六アウクス。フルクの宗教講和 ( 五五 ) エノト』 ( 九七 ) 、〕。ハムレット 関ヶ原の戦い ( 一六〇〇 ) 〇三 ) セルバンテス「ドン・キホーテ』 ( 〇ドイツ三十年戦争 ( 一八ー四八 ) 江戸幕府、鎖国令 ( 三九 ) 五ー一五 ) 仏、ルイ十四世即位 ( 四三 ) モリエール『人間嫌い』 ( 六六 ) ラ・ファイエット夫人「クレーヴの奥英、名誉革命 ( 八八 プロイセン公国、王国に昇格 ( 一七〇 方』 ( 七八 ) 一丁フォー冂ロビンソン・クルーソー』 享保の改革 ( 一六 ) ( 一七一九 ) バッハ『マタイ受難曲』初演 ( 二九 ) スウイフトガリヴァー旅行記』 ( 二 フリードリヒ二世、プロイセン王に アベ・プレヴォー『マノン・レスコ ( 四〇 ) 仏、「百科全書』刊行 ( 五一ー七二 ) スターン『トリストラム・シャン米、独立宣一一一一口。アダム・スミス「国富 論』 ( 七六 ) デイ』 ( 六〇ー六七 ) ( 光野正幸編 )
校には貴族の子弟が多かった。 ・一九ニ〇年 ( 十六歳 ) 最初の作品を書く。家庭に伝わる文書をもとに、一家の歴史を描い たもの。活字になることはなかった。 ・一九ニニ年 ( 十八歳 ) 聖スタニスワフ・コストカ高等学校を卒業。卒業資格試験の成績に ・一九〇四年 ホーランド、フ はむらがあり、ラテン語や数学は〇点だったが、。、 八月四日、ワルシャワの南、二百キロほどのところにあった父の領 地マウオシッ工に生まれる。四人兄弟 ( 兄が二人と姉が一人 ) の末ランス語作文では最高の五点をとる。 ・一九ニ三年 ( 十九歳 ) 子。父のヤン・オヌフリ・ゴン。フローヴィッチは古い家柄のリトア ワルシャワ大学法学部に入学。ただし、学業には興味をもたす、授 ニア系の地主貴族で、工場経営に携わる実業家でもあった。母のマ ルツェラ ( 自称アントニナ ) は、地主貴族イグナツイ・コトコフス業にはもつばら従僕がかわりに出ていたという。肺病の療養のため ポーランド南部の保養地ザコパネや、兄ャヌシュの領地ポトチュク キの娘。ヴィトルドはカトリック的な家庭環境で育った。 で数カ月過ごす。最初の長編 ( 会計士についての物語 ) を書きはじ ・一九〇六年 ( ニ歳 ) こめるが、すぐに破棄する。 両親が祖父のコトコフスキの領地ポゼフフに一時移る ( 両親は後し ・一九ニ六年 ( ニ十ニ歳 ) またマウオシッ工に戻った ) 。 ザコ。ハネに滞在して長編を書くが、ある女性 ( シュフ夫人 ) の忠告 ・一九一〇年 ( 六歳 ) にしたがって破棄する。この頃、従姉妺たちゃ、姉の女友達と付き 家庭教師のもとで勉強を始める。フランス人の家庭教師からフラン 合いはじめるが、彼女らの熱心なカトリックの信仰に苛立たされる。 ス語を習う。この頃母とともに毎年ドイツやオーストリアに旅行。 兄の領地のそばに住む若い女性との初めての恋 ( この恋は以後数年 ・一九一四年 ( 十歳 ) 、リに出て、高等 間続いた ) 。ワルシャワ大学法学部を卒業する。 第一次大戦中マウオシッ工はたびたび独ソ戦の前線となる。ヴィト ルドは戦闘を目撃し、また軍隊が両親の家に駐屯することもあった。国際研究所で哲学と経済を学ぶが、学業には身を入れす、送金を父 に打ち切られて乱れた生活を送る。 ・一九一五年 ( 十一歳 ) ・一九ニ七年 ( ニ十三歳 ) 家族とともにワルシャワに移る。他の二人の子供 ( いとこのコトコ 丿ンスキ ) と「トリオ」で、家庭教一年間過ごしたバリを後にして、南仏のビレネー地方に行く。ここ フスキおよびカジミエシュ・バ で婦女売買に関わるいかがわしい連中と付き合うようになり、ゴン 師のもとに勉強を続ける。 。フローヴィッチ自身も投獄されかけたところを、ある神父の尽力で ・一九一六年 ( 十ニ歳 ) カトリック系の聖スタニスワフ・コストカ高等学校に通う。この学助けられる。ピレネー地方に六カ月滞在した後、ワルシャワに戻る。 ゴン。フローヴィッチ年譜 ころ
1200 〔チ〕Ⅱチェコ、〔ス〕Ⅱスロヴァキア、〔ポ〕日ポーランド、〔ュ〕Ⅱューゴスラヴィア、 東欧文学史年表 ンガリー 、〔ル〕日ルーマニア、〔プ〕Ⅱプルガリア 西暦東欧の文学 世界の文学 社会の動き 一四一三〔チ〕フス『説教集』 世阿弥『花伝書』 ( 一四〇七 ) フス火刑に処される ( 一四一五 ) 一五四三〔ポ〕レイ『地主・代官・司祭の鼎談』、『鏡』 ( 六八 ) ラブレー『ガルガンチュワ』 ( 一五三 コペルニクス地動説発表 ( 一五四三 ) 一五七九〔ポ〕コハノフスキ「ダビデの詩篇』、「挽歌』 ( 八〇 ) 四 ) ポーランド、ヤギエウォ王朝断絶 ( 七 一六ニ三〔チ〕コメンスキー『世界の迷路と心の楽園』 モンテーニュ『随想録』 ( 八〇ー八八 ) 〔ュ〕グンドウリッチ『ドウブロフカ』、オスマン』 シェイクスピア『ハムレット 三十年戦争 ( 一六 一六五一〔ハ〕ズリニ『シゲトの危難』 〇三 ) チェコ、ビーラー ・ホラの戦い ( 二 一七七九〔ポ〕クラシッキ『風刺詩』、「寓話とたとえ話』 セルバンテス『ドン・キホーテ』 ( 〇〇 ) 一八〇四〔ハ〕チョコナイ「ドロチャ』、『リラの歌』 ( 〇五 ) 五ー一五 ) ポーランド・スウェーデン戦争開始 一八〇五〔ポ〕ポトッキ『サラゴサ手稿』 デュマ・フィス椿姫』 ( 四八 ) ( 五五 ) 一八一九〔ハ〕キシュファルデイ「ハンガリーのタタール人』 上田秋成『雨月物語』 ( 一七六八 ) ポーランド分割 ( 一七七二ー九五 ) 八ニ一〔ポ〕フレドロ「夫と妻』、「復讐』 ( 三四 ) 、〔ハ〕カトナ「太守ゲーテ『ファウスト』第一部 ( 一八〇第一、二次セルビア蜂起 ( 一八〇四ー 八ニニ〔ポ〕ミッキエヴィチ『バラードとロマンス』、『父祖の祭』 ( 二スコット『アイヴァンホー』 ( 一九 ) ナポレオンのロシア遠征 ( 一一 l) 、三一 l) 、『パン・タデウシュ』 ( 三四 ) ホフマン『牝猫ムルの人生観』 ( 二〇 ) ウィーン会議 ( 一四ー一五 ) 一八ニ四〔チ〕コラール「スラーヴァの娘』 ラム『エリア随筆』 ( 二 lll) ポーランド「議会王国」成立 ( 一五 ) 一八ニ五〔ハ〕ヴェレシュマルティ『ザラーンの逃走』 プーシキン『オネーギン』 ( 二 lll) ルーマニア、ヴラジミレスクの反乱 一八ニ九〔チ〕チェラコフスキー『ロシア民謡の面影』 カサノヴァ『回想録』 ( 二六 ) 一八三四〔ポ〕スウォヴァッキ『コルディアン』、『バラディーナ』 ( 三 ハイネ『歌の本』 ( 二七 ) モルダヴィア自治獲得 ( 二九 ) スタンダール『赤と黒』 ( 三〇 ) フランス七月革命 ( 三〇 ) 一八三五〔ポ〕クラシンスキ「非神曲』、『イリイディオン』 ( 三六 ) アンデルセン「即興詩人』 ( 三五 ) ポーランド十一月蜂起 ( 三〇ー三一 ) 〔チ〕マー ハ『五月』 リョンロット『カレワラ』 ( 三五 ) ポーランド「大亡命」の波 ( 三一 ) 一八三九〔ポ〕クラシェフスキ『詩人と世界』、『ジグムント時代』 ( 四ポー『アッシャー家の崩壊』 ( 三九 ) 青年イタリア党結成 ( 三 ll) ゴーゴリ『外套』 ( 四二 ) 東方危機 ( 三九ー四一 ) 一八四四〔ハ〕ペテーフィ『詩集』、『起て、マジャル人』 ( 四八 ) 、〔ュ〕メリメ「カルメン』 ( 四五 ) ウィーン・プルノ間に鉄道敷設 ( 三 プレシェレン「ドラギッツア』 ・プロンテ『嵐が丘』 ( 四七 ) 九 ) 〔ス〕スラートコヴィチ「マリーナ』、〔ュ〕マジュラニッチ o ・プロンテ『ジェイン・エア』 ( 四スロヴァキア標準語制定 ( 四三 ) 九 ) ンク』 ( 長與容編 )
・一九ニ八年 ( ニ十四歳 ) 番地に引っ越し、母と姉が住んでいたアバートの向かいに二部屋の 小さなアバートを借りる。マウオシッ工の領地を半分相続し、一家 圏ワルシャワで弁護士になるための研修を始め、裁判に書記として出 席するようになるが、「裁判官と殺人犯の区別もっかない」ありさの所有するアバートの賃貸料の一部を受け取るようになる。戯曲 チ 志こ発表されたが、 まだったという。「弁護士クライコフスキのパートナー」、「ステフ『プルグンド公妃イヴォナ』が「スカマンデル」言し ィアン・チャルニエッキの手記」、「計画殺人」、「処女」などの短編を批評家には無視され、上演されることもなかった。長編曰フェルデ イドウルケ』を書きはじめる。この小説の執筆には、以後二年ほど ロ ・一九ニ九年 ( ニ十五歳 ) の間、一日数時間ずつを費やすことになった。「クリエル・ボラン プ . ン「コトウウバイ侯爵夫人の宴会」、「台所の階段で」などの短編を書ニ」、「ガゼタ・ポルスカ」などの新聞や雑誌に批評や雑文を書く。 ・一九三六年 ( 三十ニ歳 ) ・一九三〇年 ( ニ十六歳 ) 「フェルデイドウルケ』の執筆を続ける。数度の旅行。料理女や女 ワルシャワの文学力フェに入りびたるようになる。短編「冒険」を中と関係をもち、「若く美しい女流詩人」と付き合う。 執筆。 ・一九三七年 ( 三十三歳 ) ・一九三ニ年 ( ニ十八歳 ) 十月に『フェルデイドウルケ』がワルシャワのルイ社から出版され、 短編「・ハンべリ号の出来事」を裁判所で執筆。 強い反響を呼ぶ。 ・一九三三年 ( ニ十九歳 ) ・一九三八年 ( 三十四歳 ) 初めての短編集『未熟な時期の回想』をワルシャワのルイ社より出イタリア旅行。ポーランド南部のタトラ山地方に長期滞在し、休養 する。 版する。この本は批評家のレオン・ピヴィンスキや作家のイエジ・ アンジェイエフスキなどに賞賛されたが、作者の「末熟さ」を示す ・一九三九年 ( 三十五歳 ) ものとして批判されることのほうが多かった。 四ー八月、ニエヴェスキの筆名を用いて、推理小説「憑かれた人 ・一九三四年 ( 三十歳 ) 人』を二つの新聞に同時連載する。これは紋切り型の表現やプロッ 法律家になるための修行に見切りをつけ、文学に専念する。ワルシ トを故意に多用した通俗小説で、ゴンプローヴィッチの他の作品と はかけはなれたものだった。。、 ャワの文学力フェ「ジェミャンスカ」に自分専用のテープルを設け ホーランドの海運会社の大西洋航路定 る。戯曲『プルグンド公妃イヴォナ』と、後に長編「フェルデイド 期船「フロプリ号」の処女航海に招待され、八月一日出航、八月二 ウルケ』の一部となる短編「フィリドル」「フィリベルト」を書き十二日プエノスアイレスに到着。九月一日、ドイツ軍がポーランド 始める。 に侵攻してヨーロッパにおける第二次世界大戦が始まったため、帰 ・一九三五年 ( 三十一歳 ) 国できなくなる。プエノスアイレスのポーランド大使館で身体検査 父が心臓発作のため亡くなる。ワルシャワのホチムスカ通り三十五を受けるが、「兵役免除」の診断を受け、ヨーロツ。ハに戻ることを